キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのレビュー・感想・評価
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鑑賞動機ディカプリオ5割、予告3割、リリー・グラッドストーン1割
スコセッシやデ・ニーロは途中でトイレに行きたくならないのだろうか。かなりハードル高い上映時間だったけど、それでも長さを感じさせないでくれたので良かった。集中すれば尿意も消滅するのだろうか。
前後して『ギルバート・グレイプ』を観たので、ディカプリオの円熟ぶりに、年月の重みを感じる。ホワイトではなくアーネストを中心に据えるという変更も、観終わってみれば当然のことのように思える。絶対にアーネストの方が演じるの難しいもの。
ディカプリオの表情をかなりの長回しでとっているところを、顔芸と一言で言うのは簡単である。でも、じっくりと時間をとってシーンとして提示してあることで、ただ流されていくダメ人間とはいえ、内なる葛藤や逡巡や自己欺瞞、妻への愛情と叔父への恐怖など色々なものがぐちゃぐちゃに混ざり合ってカオスとなっている心境を、セリフで説明せずに垣間見せてくれたわけだし、それらを観客が自分で考え想像することができる余白を作っているのだと思った。なんかようやくスコセッシの凄さを実感できた気がする。
リリー・グラッドストーンも良かった。最初のお嬢様然とした余裕を滲ませる場面、値踏みしつつそして打算ありありとわかりつつ受け入れていく様、家族を殺された際の慟哭、アーネストを信じていいのか揺れながら憔悴していく様など、様々な表情や立ち振る舞いで、ディカプリオに引けを取らない演技だったように思う。
そして、この重苦しく恐ろしい話もいよいよ決着が…というところで、あの演出ですよ。一気に現実に引き戻される。スコセッシは出てきたのはわかったけど。いやあ、なんなんでしょう、なんかこういいように弄ばれた感が残ってしょうがない。
本当に大切なものとは?
これまで自給自足をしてきたインディアン達が石油を得て、白人の論理である資本主義を受け入れる事で恩恵を受けたが、金が全てという資本主義のダークサイドにもさらされる事になってしまう。
その時にインディアンはあまりにも無力である。何故ならそれまでそんな知略謀略の搦手なんかで戦ってなんてこなかったからだ。
最後には結局何もかもを搾り取られてしまう。
事件の全容が明らかになり、犯人も捕まってすっかり焼け野原になった地に久しぶりの平穏が訪れる。インディアン達が増え出し草原の中で太陽を描く。
太陽とは復活のメタファー。
先祖伝来脈々と続く民族的アイデンティティのことだろう。
それを捨ててしまった時、要は冒頭の先祖伝来の笛を埋めた時から闇が訪れていたのだ。
圧巻の映像美!
マーティンスコセッシ監督×ディカプリオ×ロバート・デ・ニーロとなれば悪かろうはずがない!
まずはこの圧倒的な映像とカメラワーク!
もうこれだけで映画を大スクリーンで見る幸せを感じられます。VFXなにするものぞ!です。
質素に暮らすアメリカンインディアンの村に突如吹き出した石油のおかげで村は大金持ちに。そしてそこに群がる白人たち。
インディアンに対する迫害と捉えられがちですが、この映画を見る限りでは単に石油マネーを狙った利権争い、相続争いにまつわる殺人事件。これは相手がインディアンでなくても黒人でも白人同士でもありそうな出来事で、金の為なら何でもするデニーロおじさんとおじさんに逆らえない気弱なディカプリオに巻き込まれた奥さん一家の悲劇という構図ですね。ディカプリオがちゃんと奥さんを愛していた(らしい)のが救いで、余韻の残る素晴らしい作品に仕上がっていました。
ただ3時間半はさすがに長い。最近長い映画が多いけどせめて2時間半くらいにしてください💦
主人公が最後まで小物でよかった
ズンと重たい…不快感
なんだかスッキリしない
ディカプリオとデニーロ、2人の演技に見入りました。
1920年代のアメリカのお話…と聞いて、ビックリするくらい、白人のインディアに対する搾取のてんこ盛り。
西部劇ってかなり昔(200年くらい前)のことだと思っていたけれど、この頃も、田舎の方だと銃をバンバン撃つ感じだったんですね?
ホントにナチュラルに暴行・殺人・爆破が起こるので、何回もビクッと身体が反応しました。
映画評でクズ男と言われているアーネスト。
もっとひどい人間と想像していたけれど、妻であるモリーに惚れている家族思いの男性で、そこは好感を持ちました。
ただ、このアーネスト、学ばない、考えない、働きたくない典型的なヒモ男。
ディカプリオは、それを本当に見事に、魅力的に演じきりました。
アカデミー賞などにノミネートされるんじゃないでしょうか。
この映画を観て、翻って、私も、日本の古来からいる人たちのことを何も知らないことに思い至りました。
アーネストに対して、学ばないというのがおこがましく感じました(^-^;
日本のことをちゃんと知る努力をします。
いくつかのレビューで上映時間を短く感じたとありましたが、私はしっかり3時間と認知しました。
入場前にトイレに行くこと、座り心地のいいシートのシアターで観ることをお勧めします。
私はお尻が痛くなり、何回かもぞもぞしました。
どうという事のない映画
ディカプリオ度星5
3時間半濃密
上質な知るための映画
揺れる心と痛む尻
(予告編に出て来る程度のネタバレがあります。予告編すら見ずに真っさらで鑑賞されたい方はスルーしてくださいね)
仕事帰りにレイトショーで見た『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』。長尺と疲労による眠気を危惧したけど、引き込まれっぱなしでその隙はなかったな。
予告編で見て取れた通り、レオ様がいつものように眉間に皺を寄せ、口をへの字にしながら堕ちて行く姿を愛でる、いつもの調子のディカプリオ作品だった。
もちろん、それだけでは終わらない。
他国の出来事なので精神性や文化性に心からの同調と理解が難しいけど、恐らく今作に類する内容の邦画『福田村事件』の鑑賞に、気持ちの覚悟的な要因で躊躇している今の自分には、これ位の距離感が有難い。(『福田村事件』はいつか気持ちが落ち着いたら絶対見ます)
スコセッシ作品らしく、全編通してエンタメ的な小細工はあまりなく、映画の基本に忠実な印象。それでいてけして平板にならないのは、演技や演出の骨太さが物を言ってるからだと感じた。(一映画ファン目線の感じ方の為的外れご容赦)
プロレスに例えて申し訳ないけれど、少ない技で長時間客を沸かせ続けるベテランレスラーを見ているかのような220分(企業CM&予告編込)だった。
ディカプリオやデニーロらの凄味に揺さぶられる度に、彼らが伝えたい、訴えたい事の大きさが垣間見えて圧倒されるのだけど、それを明確に受け取り消化するには、こちら側に何かが圧倒的に不足していた気はする。
あまり見た事がない、ちょっと不思議で不穏なエンドロールが流れ終わった時、理解しきれなかった諸々へのモヤモヤと、「久々に映画らしい映画を見れたな」という映画通気取りな満足感が、ぐるぐるとしばらく止まらなかった。
(あとお尻が痛かった)
人物関係が分かりにくい
スコセッシ節の到達点。
マーベル映画は映画ではないというスコセッシ監督の発言が物議を醸したのは記憶に新しいが、私は本作もまた映画ではないと感じた。本作はスコセッシ監督にしか作れない、3時間30分におよぶ壮大なスコセッシ監督の芸術作品である。スピルバーグ監督のシンドラーのリストが、映画というジャンルを超えた3時間を超えるスピルバーグ監督にしか作れない芸術作品だったのと同じように、本作もまたスコセッシ監督にしか作れない、映画というジャンルとは別の壮大な芸術作品なのである。
はっきり言って本作に、マーベル映画のようなハラハラや、スターウォーズのような驚きや、あらゆるハリウッド映画のようなワクワクを期待してはいけない。
なぜなら本作は、巨匠マーティン・スコセッシ監督にしか作れない、監督にしか出せない、監督による、監督の芸術的感性の到達点のような、そんな歴史的キーストーンの作品だからである。
究極なまでに鮮麗された鋭いナイフのようなスコセッシ節は、我々常人があーだこーだ言わずに、ただスコセッシ監督の新作を味わえるだけで嬉しいと思わないといけないレベルにまで達しているとも言えるだろう。
私はマーベル映画が好きだ。
スコセッシ監督の映画も大好きだ。
すべての映画が好きだ。(ウーヴェ・ボルの映画以外は)
そんなあらゆる映画の共存を許すハリウッド映画がわたしはやっぱり大好きだと実感できた。
血と金と蝿の羽音
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