キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのレビュー・感想・評価
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長尺を感じない見応えのある作品
スコセッシの新作やっと観れました。
尺が長いせいか、タイミング合わせるのが本当難しかったです。
花殺し月の殺人と、FBIの誕生をベースにした社会派サスペンス。
スコセッシ監督の元、デニーロとディカプリオの共演という何とも贅沢な時間でした。
作品は米の悲しい史実を元にした、インディアン連続殺人事件を描いています。
その石油を巡る利権争いは、正しくマフィアのそれ。
デニーロの立ち位置もあり、結構序盤から「グッドフェローズ」を感じました。これがまた嬉しいんですよ。
キャストも今や立派な芝居を見せるディカプリオをはじめ、皆円熟した役者ばかり。
そしてやっぱりデニーロです。ジェントルな姿から溢れ出ている、禍々しい野望がすごいです。表情や囁きや指先まで完璧な悪人。
それと証言を決意したアーネストがヘイルへ訣別をぶつける場面は、ゆっくりだがその芝居にすごい緊張感がありました。
あと殺害シーンも正にスコセッシと行った感じで、その容赦が無いです。
銃殺を隠蔽するために医師が現場で(親族や野次馬のいる中)開頭、銃弾を抜き取る描写もすごかったですね。
何より一番怖いのが、米の底に澱み無くならない差別意識でしょう。
財を奪うためだけの結婚に連続の殺害、政府が敷いた後継人制度に、そもそもの「西部開拓」というインディアン強制移住。
その根深い差別はほぼ無意識的にあり、それは心から妻を愛するアーネストにすら見られました。
ふと薬に疑念を抱いたカットと、それでも打ち続ける薬。
最後の妻モリーの問いかけで、自分の心を知ってしまったのでしょう。
ラストはその顛末が朗読劇で語られ、その最後には突然スコセッシがアップで現れてびっくりでした。
この突如現実に戻されたようなこの演出、時々スコセッシやりますよね。
悲しく思いデーマに重厚な芝居、長尺を感じない見応えのある作品でした。
長いからこそ映画館で見る価値あり。今のアメリカを知る映画
マーティン・スコセッシ監督ということで、長いなーと思いながら、これは、後から家で観ると絶対途中で寝ちゃうかもしれないと思って、映画館で観ることを選択。
大正解だった。
まず、長いけれども、ストーリーに引き込まれていくので、体感的には、1時間半くらいの映画と変わらない感じ。
そして、風の音、虫の声をオーセージと同じように感じるには、映画館の音響が必要。
事前にアメリカ開拓史について、Coten Radioで聞いていたので、インディアンがどういう感覚で、土地や自然を捉えていたかを学んでいたことにより、理解が深まるように思った。
とにかく、アメリカ大陸に渡ってきた(ざっくりいうと)白人は、その土地に元々いた民族を大量殺戮して、その民族の文明や知識を彼らの尺度で遅れているとみなして、
潰してきたという事実をなかったことのようにしてはいけないと思う。
少なくともその事実は、ほんの300年くらい前のことで、日本で言うなら、江戸時代の初め頃のことなんだから、それほど大昔の話ではない。
この映画の事件に至っては、1920年ごろといえば、大正時代くらいの話。
現在のアメリカという国が、西洋人の欲望を人為的に都合のいいように作り出した国なのは、建国以来から今に至るまで、ずっと変わらないし、今も彼らの尺度で何が正しいかを決めて、その尺度にはまらないものを全て、自分たちの都合で搾取していくところは、ずっと変わらない。
ある意味、それを正義とか、アメリカンドリームと言い切って、善意として振る舞える図々しさは素晴らしいものがあると思う。
アメリカという国の歴史こそ、人の欲望をそのまま形にしているような気がしてならない。
アメリカは、好きだし、今の私たちの暮らしもその考え方をベースに物事を考えていっているように思うけれども、その大きなズレを気が付かないでいることは、間違った価値観で物事を判断していくようになってしまう気がする。
日本は、幸いにして、ペリーの黒船が来たときも、第2次世界大戦で負けた時も、アメリカに全てを奪いとられるというところまでは行かなくて済んだと思う。
それは、彼らの尺度で見たときに、そこまで遅れているとは見えずに、インディアンや黒人のような扱いまではならなかったのだと思う。
しかし、根底では、日本人に対しても、そして、アジア人に対しても、アラブ人に対しても自分たちの尺度で、劣っていると考えて、自分たちの都合で搾取をしてもいいと考えているところがあると思う。
日本人に差別をする気持ちがないとは、思わないけれど、アメリカが持っているような強引なまでの自分たちの欲望からくる正義と差別はないと信じたい。
むしろ、それに感化されてしまい、それがスタンダードだと考えてしまうような意志のなさを持ちたくないと思う。
オーセージの部族は、インディアン居住地区として、追いやられて、オクラホマの土地に移住させられた。
彼らは、何もない土地で作物も育たずに苦労した。しかし、その土地に何があるかは、わかっていた。だから、その土地で採れたものの全ての権利を得る契約を結んだ。
白人は、その契約を馬鹿にしていたが、後から、そこから石油が出ることがわかった。そして、自動車が普及したときに石油がどれだけのお金を産むかに気がついた。
インディアンの文明は、今の私たちの暮らしと比べれば、劣っているように見えるかもしれないが、1万年以上もの間、自然との均衡を保ち、争いをそれぞれの部族の長が治めて暮らし続けていたのだとすると、今、私たちが直面している地球温暖化やSDGsの問題は、彼らの文明と比べて、どちらが優れていると言えるのだろう。
この事実を昔話としてではなく、今、起きている事実と照らし合わせてみると、より深い考察ができるように思う。
今年ベスト級!とんでもない怪作!
スコセッシ監督、とんでもない映画を作ってくれた!!
3時間半があっという間に終わってしまった。。
エンドロールを見た後は頭がグラグラ、、、とんでもないもを観たという異常な興奮が冷めやらない。
あらすじ
戦間期のオクラホマ。先住民オセージ族が握る巨大な石油利権をめぐる白人入植者による連続殺人!
物語は、街の名手ウィリアム"キング"と、甥でアル中帰還兵のアーネストを中心に進む。
キングは資産目当てでアーネストに先住民モーリーとの結婚を持ち掛ける。
元々その気があったアーネストとモーリーはすぐに結婚。
子供も産まれ幸せな家庭が続くと思われたが、次第にキングの命令は過激化していく。。
※以下ネタバレ—————————————-
たった100年前が舞台だが、現代の倫理観など微塵も無い!
劇中に「インディアンの命は犬以下」というセリフがあるが、キング(白人)はただただ金目当てで淡々とモーリー家族の殺害を命令する、、
(モーリーに向けられる白人の視線。正にゴミを見る目。)
前半は割と穏やかに話が進むな映画なのかと思っていた、、
キングがアーネストにケツ叩きをするシーンからデニーロ+スコセッシの本領発揮だ!
デニーロがディカプリオのケツを!?映画ファンにはこれだけで特大のご褒美!
対するアーネスト。物語が進むにつれ、どんどん苦虫を噛み潰したような表情になる。
オツムも弱く叔父に逆らえない彼が、モーリーを愛しつつ殺人に手を染める様は、どうしようもなく情けなくヘタレ。
後半、いよいよモーリーの死期が近いことが何度も暗示される。。
そしてアーネストの決断から、ファミリーは崩壊したが、、
最後に特大の胸糞が来るので、カタルシスなど一切ない!!
エンドロールの後、頭がグラグラしなが映画館を後にした。。
兎に角3時間、半食い入るように見てしまった。
映画の事以外を全く考えないほど集中して、あっという間に終わってしまった。
特に後半は胸糞展開の連続なのだが、
この映画、何故こんなに目が離せなかったのか??
色々要因はあるだろうが、個人的には、やはりリリー=グラッドストンの演技と表情はとても大きいと思った。
モリーを見た時、ありきたりだが”モナリザ”という単語が浮かんだ!
美しいが何を考えているか掴めない表情が、聡明かつ魅力的でありつつ、彼女の立場や心情の複雑さを引き立てている。
観客がモリーをどう”観れる”かで、この映画の複雑さは全く変わってくる。
ただの哀れな先住民に見えたり、馬鹿な女に見えたら台無しだ。
この映画のクライマックスは、一族の最後の生き残りであるモリーが生きるか死ぬか!?の場面である。
白人から見れば彼女の価値は巨大な石油資産とイコールであり、それに見合うような女でなければならないのだ。
彼女が魅力的だからこそ、彼女を金としか思っていないキングの恐ろしさと、叔父と妻に板挟みになるアーネストの情けなさが際立つのだ。
スコセッシ監督の映画では、女房は添え物になりがちだが、今回の主役は事実上リリーと言っていいのではないだろうか。
もはやノンフィクションな感覚…。。
予告から非常に気になっていましたが、上映時間が3時間…。やっと重い腰を上げて本日見てきました。
まずは、人間なんぞ少しオツムが良いだけの動物なんだと再認識。近年のフェミだ左だのが馬鹿げてきます。
肌の色、金(資産)、権威など全て、ガチ真正面にぶつかったなとスコセッシ監督!といった感想です。
もう少しグロいと思っていましたが、そこまででも無く誰でもOKです。福田村事件でも思いましたが、時代で命の価値が違います。本当に!!
ディカプリオ氏も名演(優柔不断な私は共感しかなく)、デニーロ氏も演技してる?のレベルで、時間を感じさせずあっという間で終わっていました。
いやーー少し古めのアメ映画が好きな方(多分、時代的にウエストサイドストーリー辺り)は見た方がいいかもです。
邦画も、リアルな戦前に向き合った映画を作れば良いのに…
映画好きな方にはハマる作品である事、間違いなし!
是非映画館でご観賞くださいませ!!
道具としての映画、愛情と支配構造のはざまで。
2023年。マーティン・スコセッシ監督。1920年代のアメリカ・オクラホマ。オーセージ族が所有する痩せた土地に石油が噴出したことから、白人たちが手練手管でその富を奪い始め、ついには殺人にまでいたる。その流れに巻き込まれた男の悲劇。
あからさまな暴力ではなく、親切を装った構造的な暴力によって、真綿で首を締めるように原住民消滅が進行する。責任を負うべき支配者たちに暴力の意識は薄く、「自分ではどうしようもない大きな流れ」(=すなわち支配の構造)として、自分が何をしても結末は定まっていると責任を放棄して考えているところが恐ろしい。遅ればせながら抵抗を始めた主人公でさえ、最終的におのれの中の支配構造ともいうべき自己保身によって、妻の愛を失ってしまうのだ。力の構造(権力者の伯父を中心とした白人社会)に支配される立場の「私」は、同時に、内部に白人・男性としての支配構造を抱える「私」でもあるのだ。この構造から「私」が逃れることは至難の業だ。
その難しさが、デ・ニーロの人のよさそうな笑顔や、ディカプリオの苦悶の表情からひしひしと伝わってくる。しかし、伝わってくればくるほど、映画は広い意味での政治的主張を伝達するための道具になってくる。CGをふんだんに活用し、会話場面と過去の想起場面を丁寧に描き、最後はメタレベルから語り継ぐ工夫も見せているが、映画のためというよりも物語を伝える道具立てに見えてくる。もちろん、寡黙な妻とのにらめっこかというほど静かな会話場面は3時間を超える理由がこれなら仕方がないかと思わせる迫力がある。
始まりのスローモーションとラストの演出に鳥肌!
今まで視聴したスコセッシ作品のなかでは、最も冗長に感じる・・。
概ね高評価の方が多いようだが、私には冗長な凡作に感じた。 ディカプリオの熱演以外は、あまり見所もなかった様に思う。 物語も起伏に乏しく、ほぼ全編が同じペースで進展して、終盤はまだ終わらないのか・・と感じてしまった。 ラストの演出も?が残るのみ・・。
今作が事実に基づいたほぼ、ドキュメンタリータッチの作品で、資料的価値を優先する物なら、こんな物か・・なのだが、オセージ族の連続殺人事件の原作を元にある程度は脚色されたエンタメであるはず。 それを考えると、全く引き込まれず、何度も時計を確認した・・。
好きになれる・あるいは感情移入出来る人物も登場せず、趣向を凝らしたシーンも特にない。
唯一、レオの奥様になる人物が、当初相手を見透かすような慎重な演技で、多少目に留まるが後半はただシンパシーを醸すだけ・・。
ディカプリオは口をへの字に曲げるような、苦悩な演技が重厚だが、いかんせん役自体の性格がいい加減・・。
終盤の裁判でも移り気な態度に、「どっちやねん・・」と心で呟いてしまった。
しかしレオは段々、「ジャック・ニコルソン」に似てきたなと感じるのは私だけだろうか♪
(前頭部が薄くなったら、さらに・・・・)
"善"も"悪"も混在する、弱く浅知恵の主人公では、共感も興味も沸かず、ただ物語がゆったり流れているだけ・・。
スコセッシ監督作品は、「アイリッシュマン」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」「ヒューゴの不思議な発明」
「キング・オブ・コメディ」等、好きな作品も多々あるが、今までで一番、全体がぼんやり感じて、全く引き込まれず・・。
それに3時間半の上映時間も影響してか、土曜でも近所のシネコンでは一日1回しか上映なく、客席もまばら・・。
おそらくかなりの赤字作品になるのでは・・。
アメリカ映画史に残る一本
レオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロのハリウッド二大巨頭俳優を芸術的に映しているのは映画監督の巨匠マーティン・スコセッシの最新作。200分と長ーい映画ですが先住民のインディアンとヨーロッパからやってきた白人系移民の石油ビジネスから生まれた資本と略奪を丁寧に描いたサスペンス映画。
意外だったのがディカプリオがここまでボンクラ男を演じていたことに衝撃を受けました。私が抱いていたディカプリオのイメージは頭のキレるクールな印象でしたが、今作の役は主体性がなく、叔父の言いなりのヒモ男。皆さんのレオ様が崩れ落ちること間違いなし。ただし、ビジネス結婚とはいえインディアンで妻のモリ―との間に生まれた子供達を真剣に愛しており、良き父親になろうと努力している姿勢はスコセッシ監督の人間味をうかがわせられる演出でした。
そして、モリ―役のリリー・グラッドストーンの表情や目くばせが巧みで彼女の思っていることが言葉を使わなくても伝わる演技は派手なアメリカ映画のイメージを覆す印象でした。スコセッシ監督といえば漢クサいダンディズムの印象でしたが女性をフォーカスした演出も最高でした。
今回はたまたまサービスデイだったのでIMAXで観賞しましたが、通常版でも問題ないと感じました。
アメリカ先住民でも、こんな種族があったことを知りました。
長さは感じない、役者と展開。
200分超えを感じない
【注意】ネタバレ❗️退屈で退屈で退屈で
とても退屈だった
とても長くてとても退屈で先読み出来て最悪❗️
長すぎるよ
何よりインディアンと結婚して殺してをずーっと続けるのかと思ったらほんとにそうだった
最後は刑になるのも予測通りだし
何でこんなに口コミレビューが良いのか全然わからなかった
殺しの依頼もやり方も凄く雑な割にはデニーロの罠にはバッチリハマる偶然さもつまらなくしてた感じ
捕まったデニーロとディカプリオの最後も刑期終えて釈放とか至って普通
良かったのは糖尿病の奥さんが殺されずに晴れて離婚出来て寿命で亡くなった所
余談
似たような映画ではスピルバーグのアミスタッドの方が面白かった
やっぱりスピルバーグは凄いのかな❓
悶々としている
確かに上映時間は長いが、それだけ観る甲斐もある一作
本作同様、マーティン・スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロが組んだ『アイリッシュマン』(2019)も、「ドラマシリーズと思えば短いよね…」と思うほどに単体の映画としては長尺(200分超)だったけど、本作もそれに並ぶ上映時間。スコセッシ作品の集大成的な内容である上、周到な構成と隙のない演出により、「体感上映時間は全然短い!」と絶賛が相次いでいますが、これはあくまでスコセッシ作品を摂取する素地のあるファンだからこそ言えること。やはり多くの観客は上映時間なりの長さを実感すると思います。
しかし冗長か、というと全くその反対で、あまりにも重層的な人物描写、焦点となるアメリカ先住民の連続不審死事件の救いようのなさに、むしろよくこの上映時間で描き切ったな、とスコセッシの手腕に感心させられるほどです。
レオナルド・デュカプリオだからこそ画面映えするが、実際のところただのつまらない使いっ走りでしかないアーネストを主人公に据えるという大胆な構成。最初から最後まで全く彼の言動には同意も共感もできないんだけど、それでもこの上映時間を、しかめっ面だけで保ってしまうデュカプリオは見事です。
スコセッシ監督だけに、ドローン撮影も取り入れた映像美、編集術は際立っていて、本作だけでスコセッシ流映像術が一通り学べてしまえるのでは、と思うほどです。さらにロバート・デ・ニーロの、穏やかだけど唖然とさせられる演技など、本作で挙げるべき点は他にも多々あるものの、そこはあえて劇場で確認して欲しいところ。
スコセッシ作品が嫌いでしょうがない、というのならともかく、「観に行きたいけど、上映時間が…」と躊躇している人には、絶対劇場で観た方がいいよ!と強くお勧めしたい一作です。
紛れもないスコセッシ映画!
人の愚かさをここまで正しく映画に落とし込めるのはスコセッシ監督しかいない!
完全に1920年代の空気に取り込まれ3時間20分にも及ぶ壮大なドラマに圧倒されました。
犯罪の実録集、ノンフィクションをアーネストの視点でここまで脚色したのは素晴らしい。
また、ディカプリオのまさにAmerican idiot な愚か者ぶりも素晴らしい。本当にバカ過ぎてイライラするくらい笑 正直でさえいれば救われたものを、その正直ささえも手放した彼の行く末はお先真っ暗。
さすがのApple Movieといった2億ドルという製作費で(ザ ・クリエイター 創造者は8000万ドル)、1920年代アメリカ オクラホマ州オーセージの舞台の作り込みが半端ない。本当にあの時代のあの街が存在するようにしか見えない。そして「ウルフ・オブ・ウォールストリート」、「アイリッシュマン」に引き続き近年のスコセッシ監督作を支える撮影監督ロドリゴ・プリエト。
本作のカメラワークはとてもスリリングで、アカデミー撮影賞も狙えるかもしれない。
物語の終盤で投入されるジェシー・プレモンスタ、ブレンダン・ブレイザーの存在感もバッチリ。こういった俳優の使い方もとても遊び心があり、80歳になるスコセッシ監督まだまだ若い!ラストのスピーチも映画的なジャンプ!スコセッシ監督本人による話の締めくくりにはビックリしました。
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