「スコセッシ論も兼ねて」キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
スコセッシ論も兼ねて
本作は見ようかどうか結構迷いました。
数年前なら即行で見に行く作品だったのですが、ここ数年の自分の体調を考えると3時間半近くある作品を劇場で見る自信がなく、現状では途中で確実に寝落ちしてしまうだろうという確信の方が強くなっているので、この様な作品はDVDになるのを待って家で見る方が安心なんです。
それと、半世紀以上も映画を見ていると、映画を見る目的がただ娯楽の為だけではなく、好奇心・勉強・後学の為に見たいという作品も多くなり、特にマーティン・スコセッシ監督作品などはそちらの方の目的が強くなり、見た後に好き嫌いだとか面白い面白くないだとか楽しい楽しくないなんてあまり関係なく、とりあえず見ておかねば的なある種の義務感の様な気持ちも働かされる(監督)作品なのです。
なので今の私の年齢だと、見る前からしんどいだろうなという気持ちにさせられ、積極的に見たいと思わないのですが非常に気にはなるという作品の類です。
それと、私が見たスコセッシ作品を俯瞰しても、強く印象に残る作品は多いのですが、好きだとかお気に入りの作品とは別の棚に入る作品ばかりなのです。
それでも気になって頑張って見てきましたが、やはりかなり睡魔に邪魔されましたよ(苦笑)
で、本作を見ながらスコセッシの中でも『ギャング・オブ・ニューヨーク』を少し思い浮かべましたが、こちらは1840年代のニューヨーク、本作は1920年代のオクラホマ州と、アメリカ映画を見ていても地域によって時代感覚が全く分らないです。
最近まとめて西部劇を見たのだが、アメリカって国は東部、南部、西部と地域によってまるで別の国の様であり、当然同じ国であっても住む地域により人々の教育・文化的な意識差が著しく違っていたのだと想像できます。
スコセッシ作品は、そうした様々なアメリカとアメリカ人の歴史の断面を切り取り垣間見せてくれるのが興味深いのです。
更には、歴史的にも近代への狭間期に生きていた人間を生々しく描いているのが面白いのでしょうね。
例えば本作は『ジャイアンツ』や『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』などと同時代の石油成金が生まれた時代であり、本作でのロバート・デ・ニーロ演じたウィリアムの様な人間性に欠けていてもハッタリとズル賢さだけでも成り上がれる時代であり、そういう種類の人間が跋扈していた時代だったのでしょうね。
その時代に於いて本作の主人公のアーネストというキャラをダメ男と評する人を多く目にしますが、私はダメ男というよりこれが当時のベーシックというか一番多いタイプの人間だったと思っています。ただ、妻のモーリーが優秀過ぎて人間の格としても上等の人間だったので、ある意味それに憧れてしまったのだと思います。
そして、アーネストにとってウィリアムは自分よりは優秀で頭の上がらない人間であっても、決して上等の人間ではなかったということを理解するまでの作品であって、それが当時のアメリカという国であり、時代であったということを描いた作品の様に思えました。