「スコセッシだからこそ魅せられた作品」キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン 狩人の曙さんの映画レビュー(感想・評価)
スコセッシだからこそ魅せられた作品
この作品は2017年の「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」という本が原作であることを踏まえてレヴューしたい。
始まりは1897年、映画の冒頭にもあるようにオセージインディアン居留地にて石油が発見された。後にオセージ族は内務省から生産量に基づくロイヤリティを得ることになり、莫大な財産を手にした。
しかし1921年に祖先の血が半分以上を占めているオセージ族は裁判所の制定する後見人を任命せねばならないという法律が定められた。この法律により財産はオセージ族と結婚した地元の白人によって大半が管理され、オセージ族は資産の自由を奪われてしまう。
やがてオセージ族の財産の受益権を求めて、凄惨な争いが起こることになる。
コレが本作の解説である。
この作品は白人とインディアンの長年に渡る確執と当時の白人の限界の無い強欲さを見事に描き出してくれた。
主人公たるアーネストは簡単に言えば欲の強い傍観者だ。周りに流され強い意見に流され、自身がとてつもない悪事を働いているとは微塵も思わず、罪を重ねていく姿は現代のネット社会と似た様子でもある。しかしアーネストをアーネストたらしめるのはオセージ族の妻モリーへの歪んだ愛だ。この歪んだ愛があるからこそ彼は現代のネット社会とは違って見えるようになっている。
この作品にはもう一人の主人公と読んで差し支えない存在がいる。主人公の伯父にして元凶たるウィリアム"キング"ヘイルだ。
彼は一見親切さと慈悲深さに富んだ聖人かのように思える。しかし実際の彼は強欲で強権的かつ大変腹の黒い人物だ。彼は時に優しさをもってオセージに接し時にその冷酷な本性を持って富のためオセージを殺させる。しかし彼が行ったこと総てが誤ちだったわけでは無い、後半本人の語る通り店を与え家を与え治安を守り道路を与え文明的な世界へと足を踏み入れさせた。この点に関しては何事にも良い点と悪い点があるという本質的な話になる。
またこの2人の関係は社会の縮図と言っていい形になっている。時に飴を時に鞭を与え労働力を離さない政府(キング)自己の思考を放棄し、政府に流されるがままの働き手(アーネスト、オセージ)このように当てはめるとどこか胸の梳くような感覚を得られるのでは無いだろうか。
だからこそこのような形にしてスコセッシは言わばこの流されるがままの世界に警鐘を鳴らしているのである。