オオカミの家のレビュー・感想・評価
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三匹目の子豚
とあるコロニーの宣伝映像、という体の作品。
罰を受けた理由やその罰が大したことなくてマリアを応援できないのは、それ故の偏向改変か。
主人公マリアが逃げ込んだ家は、はじめは何もない廃屋だったのに、次々と家具や内装が現れてくる。
ストップモーションアニメという手法が、これをそのまま受け取るべきかを迷わせる。
要するに、現実か妄想かの境界が曖昧なのです。
更に、絵画も含めた様々な造形で描かれ常に変容する人物や家そのものが、幻想的なイメージを増長する。
アナとペドロと名付けた豚が、徐々に人間の形を取り、疑似家族を形成していきます。
支配を嫌ったマリアがいつしか“家”の支配者になっていた、というのは皮肉。
逃げ出したとはいえ、コロニーしか知らなかったマリアの常識はコロニーのそれに侵食されていたのでしょう。
反逆されたマリアは、恐れていた“オオカミ”(コロニーの長)に助けを求め、コロニーに戻ってしまう。
洗脳からの逃れがたさを描いているようにも感じます。
コロニア・ディグニダに着想を得た、ということだが、『骨』に比べて前提知識なくても大筋は理解出来る。
しかしその捉えどころの無さは、常に変容し続ける本作の映像とも重なる。
2匹の豚一つ取っても、本当に豚だったのか、何かのメタファーなのか、いくらでも解釈出来てしまう。
前衛的な芸術性にばかり目を奪われそうになるが、意外と深い作品かも。
『Die Blümelein sie schlafen』と言うドイツの子守唄へと締めくくる。
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲を繋いで『Die Blümelein sie schlafen』と言うドイツの子守唄へと締めくくる。
金色の髪の毛と青い目。そして、窓の枠が描かれる寸前に現れるハーケンクロイツがなんとも不気味。
ほとんど、先入観を持たずに見てみた。
しかし、ファシズムをワグナーやオオカミに例えるのは分かりやすいが、なんか逆ヘイトの様に思えてしまえる。ドイツ語の演説を聞くと、ヒトラーの演説を彷彿する事がある。それが怖い。
映像は凄かった
どうやって作ったんだ、この映像・・・と、鮮やかな場面展開を夢中で観ていました。
ストーリーはよく理解できませんでしたが、あんなに出たかったコローニャからようやく出ることができて幸せに暮らしてたはずなのに、自分の意志で帰りたいと思うように仕向けられたと考えるとなんだかゾッとします。やや期待しすぎた感。
盛大に寝てしまった
悪夢のような感じで見ていたら睡魔に誘われて派手に寝てしまった。『地獄の黙示録』のラスト、タルコフスキーみたいに見れば必ず寝る映画はある。これもそのような作品だ。寝かせにきている感じすらあるし、どうすれば眠らずに見られるのか見当もつかない。
壁に塗った絵を消してまた描いて動かすため、前の絵が残っていて残像のようだ。家が狼だったということのようだが、眠ってしまったので物語もよく分からない。しかし、とんでもない手間と時間が掛かっている。
もう一度コンディションを整えて見てもまた寝るだろう。配信で寝る前に見て、眠くなったら止めて次の夜もそうしてちょっとずつ見れば、よく眠れるし、最後まで見ることができるだろう。また、夜中に目が覚めて眠れないときにもよさそうだ。
初めての芸術系映画?鑑賞体験でした。
尊敬してる人が、観るって言ってたから、前情報無しで観に行きまして。
「骨」で、ワー!ってショックを受けて、
本編始まって、
うわ凄い。映像系の映画なんだ!
ってなって、
チリの、本当にあったことの抽象映像化作品なのかな???
ってなって、
鑑賞後、実際に存在したコミューンの話を知ってるとより楽しめる、のような情報を目にして、
やっぱりそうなのかぁ。となりました。
ある場所から逃げ出したけど、ある場所で(不適切な環境で)育てられた主人公では、ある場所で育てたような育てかたしか出来ず、生活も立ち行かず、ある場所に戻った。
主人公も、子ブタと同じ存在で、人間じゃなくて動物だった。(と自認した)
って話だったのかな。って思いました。
虐待されて(愛情を感じられない育てられ方で)そだった人が、
愛情のかけ方を知らなくて、
同じように子育てしてしまって、
上手くいかなかった。
って物語と構造は似てるな。って思って悲しくなりました。
最後、主人公が鳥になったところ。
このお話が、主人公から見た世界の印象だとしたら、
「可哀想な子鳥の私」
だし、
自分を人間だって自認できなくて
尊厳を剥ぎ取られて、
動物のように飼い殺し、
だし、
綺麗である程悲しいし苦しい。
もうなんか、堪んない。
悲しいし苦しいし、可哀想で終われるような綺麗な話じゃないよね。
ってなって、頭が痛いです。
人でありたい。って思ったし、
飼い殺しなんてごめんだ。
泥だらけでいいし、幸せじゃなくてもいいから、
自分の力で生きて生きたい。って思いました。
美術に明るくないし、歴史知識の浅い人間なんで、自分のコンプレックスが刺激された分星減らしました。
ざわざわとした質感、ドイツ後とスペイン語の狭間
短編 骨 がまず最初に上映された。フェイクの、人間の骨を使って作られた世界初、最も古いアニメみたいな設定でそのままそれ風にぼろぼろのフィルムという細工で進んでいくので、まんまとハメられる。プリミティブな少女の顔、墓場から掘り起こされた骨たちを操り肉体に戻す。最初はユーモラスで楽しげだがだんだんと固い意志が感じれ遊んでいるのではないなと思う。
一体の骨人間と愛し合っていたのだとわかる、婚姻届にサインをするがその後サインはバックワーズに消えていく。陰謀。
これはよほどチリの歴史、政治の闇の部分に詳しくないと理解できないだろうと、オオカミのパンフレットを見て思ったが、それを知らないとしても権力者であり強者である男たちに人生を破滅もしくは悲哀のものとされた女の物語とわかる。
オオカミの家、ナチス残党が多く住んでいる南米。チリもアルゼンチンも確か多いはず。軍事強権政治、独裁政権であったピノチェトとつるんで、様々な悪事、強制労働、虐待や虐殺、ピノチェトの手先、出先機関としての政治犯の処理などを行ったカルト宗教コロニアディグニタ尊厳のコロニー。
子豚を可愛がりコロニアの規則、労働に従えない少女マリア、子豚を逃げし自らも森の中の家に逃亡。オオカミが、教団が来ることを恐れながら自由を求め、次第に子豚たちを蜜により人間的な肉体に変え知性も知恵もないものにそれを教え込みそうすることで自らも教団コロニアにされたように子豚たちを支配してしまう。子守唄をドイツ語で歌うマリアが悲しかった。
ドイツ語の会話と、スペイン語の会話を聞き分けなければ、真意がわからないと思う。オオカミとの空くうの対話も状況と心理によりスペイン語であったりドイツ語であったりする。その部分がみていてとても疲れる。
逃亡当初、チリ人に助けを求めている。
コロニアの首謀者、元ナチス元ドイツのカルト教団設立者は、やがてコロニアの犯罪が発覚したが、今も宿泊施設などの形で運営が続いているという。
歴史の中の強者→敗者となったものがまた禍々しく強者となり戻ってくる厄災は日本の戦後から今に至る系譜にとあり、チリだけだはなく世界中にあるだろう。人はなぜ自由を求め、そこから道が曲がり人の自由を奪ったり不自由不寛容の選択肢にまた戻ってしまうのか。弱者が強者になれるかもなにか自分より弱いものを支配できるかという幻想妄想を抱かせるシステム。
アニメというより、絵巻物のように、絵画が開いて進行していく独特のディメンションがあり、この連続性がコロニアから逃れ得ないマリアこの世界のシステムから逃れ得ない私たちを閉じ込めていく。次々とあらわれるペイントされた空間、立体物、裁断された素材、、、最初は、これ作っていたら頭おかしくなりそうと思ったが二人組の製作者、ルールを作って楽しく製作されたようでおおらかな二人のインタビューに逆に感銘を受けた。アニメーションの独創性とクオリティだけでも必見。
自由を語る言葉
支配する言葉支配される言葉やがて支配する側になる言葉
個としての自分と集団性を持つ自分
孤独 恐怖 親愛 不安 支配。
斬新な映像です。
いもしないオオカミに怯え、自分の殻に閉じこもっているマリア。最終的には自分が作り出した独りぼっちの世界ではにっちもさっちも行かなくなりオオカミに助けを求める。オオカミは社会を現しているのかな。マリアは自分だな。
斬新なのかもしれないけれど、退屈で有害な作品だとしか思えなかった
まず、1901年に制作された作品『骨』が上映されたが、家の中でいすに腰掛けていた女性の人形が失われ、地面から骨が発見されたりの繰り返しで、言いたいことがよくわからなかった。
『オオカミの家』の解説を読んだうえで、ナチスの残党がチリにやってきて、極秘の少年監禁施設をつくったことと関係のあるものだという情報は受けていて、同じ題材での2015年制作の『コロニア』を観ていて、エマ・ワトソン氏演じる航空機客室乗務員が、監禁された恋人を救出する活躍作品の展開を思い浮かべていたが、本作では、やはり女性が主人公で、監禁から逃げてきて、小屋に籠もり、ぶたを人間にみたてて飼い始め、追っ手のはずのオオカミの脅迫を拒絶して、「尊厳」を以てぶたを人間らしく育てようとするのだけれど、上手くいかず、便器に座り込むばかりで、次に色づいていき、言葉を話すようになるのだけれど、食糧探しに出かけることに反対され、自分がベッドに縛りつけられ、食べられる恐怖を感じたところで、自分にとって脅威であったオオカミの力を借りて、世話をしてきたぶたを滅ぼし、元いたコロニアに戻り、冒頭で素晴らしい施設だと宣伝されていたのと同じく、素晴らしい施設がまた存続していく結末になっていて、批判するような解説は全くなく、この恐ろしい監禁施設を肯定する話で終始していたので、アニメーションの制作方法としては斬新なのかもしれないけれど、退屈で有害な作品だとしか思えなかった。
異様なビジュアルに奇異的な着想。よくこんなのを作ったもんだの前に…どうかしてるぜ!w
ミニシアター系で話題となり、「ミッドサマー」の監督、アリ・アスターが絶賛した作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…ストーリーは最後まで観るとあぁなるほどね。となるけど、…あんまりよく分からんと言う感じwだけど、どちらかと言うとこの映像美と言うか、ビジュアルセンスを楽しむ感じの作品かなと。
チリの2人組監督クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャが1970年代にチリに実在したチクアウグスト・ピノチェト軍事政権下のカルト・コミューン「コロニア・ディグニダ」に着想を得て制作したとされるストップモーションアニメで独特な映像センスに何処か奇異に映るビジュアルと雰囲気に加え、カルト・コミューンからの着想を得ているだけに何処かそら恐ろしさを感じる。
ストップモーションアニメとして様々な手法で表現が取り入れられていて、そこに二次元・三次元が組み合わさっていて、クレイアニメもあれば、グラフィティや切り絵、ガラス絵手法と様々な手法での表現演出の要素が取り入れられていて、そこにオドロオドロしい異様なビジュアルで構成されている。
ハマる人はドハマりするだろうけど、観る人を確実に選ぶだろう。
寓話的エピソードにいろんな宗教的エピソードとメッセージ性を漂わせていて、おとぎ話的な感があるけど、まあ、このビジュアルにアカンと拒否する人もいるかと。
何処か可愛らしさも感じながらとリアル感もあるし、ラクガキや本能的直感映像を感じさせるからか、まあ異様ですよねw
特にトイレのシーンと劇中のゴキがリアルでキモい。
生理的に受け付けない人もいるかと。
あと、劇中で「マ~リ~ア~」と響き渡る声が怖いんですよね~。
元となったコロニア・ディグニダは長きに渡って拷問や性的虐待、殺害をもって運営を続けたカルト団体らしく、治外法権と存在し、「国家の中の異国」「法律が及ぶのはコロニアの玄関まで」と様々な曰くがあり、そんなカルト団体から着想を得て、こんな作品を作り上げるとはなかなかなクレイジーっぷりw
アリ・アスターが絶賛と言うのも“ああ、アリ・アスターなら喜びそう♪”と納得w
終始気味の悪い雰囲気が漂い、結末はコミューンでの様々な切り口での結末と教訓が組み込まれていて「普通に生きるのだって、なんらかのコミューンの中」と考えると道徳的とも言える。
まあメッセージ性は後付けにしても、ビジュアルで好き嫌いは分かれるけど、観ないことには始まらない訳で観た上で嫌いと言う判断もある意味正解w
個人的には同時上映された短編作品の「骨」の方が気になる。100年以上前の作品として発見され修復されての上映とは言え、よくこんな作品を作ったもんだと感心。
勿論、それはこのオオカミの家にも言える事ではありますが、“まぁ、よくこんな作品を作り上げたもんだ”と感心しきりw。
興味があれば是非観てみては如何でしょうか。
不気味かつクリエイティブ
あえて映画の元ネタになった事件の予備知識を入れずに鑑賞したが、なんとなくどんな事件なのかがわかるような気がする。
古びた部屋の壁に描かれるアニメーション、少しずつ浮かび上がる登場人物、不規則な動き、歪な大きさ、閉塞感とざわざわした不安を感じさせる。
「黒い目は獣の目。知性がなくてかわいそう」などという強烈な差別意識と独善的思考。マリアの目を通して見えている豚。豚は本当に豚なのか。自分たちの言語が理解できない、自分たちの生活様式と同じではない者を人間としてみていない。
ただあくまでもマリアは心優しいマリアとして描かれているところ、終盤のペトロとアナの目が黒目に変わっていることを考えると、これはプロパガンダのパロディ映画なのでは?スターシップトゥルーパーズ的な。「黒い目はやはり獣」であると製作者は肯定していることになる。あまりにもインパクトが大きすぎるアニメーションなので冒頭をつい忘れてしまったが、まず始めにコロニーのイメージビデオが映し出され、その後にマリアが主人公のアニメーションが始まる。コロニーで作られた物語と、実際の事件を混ぜ合わせたような映画だとわたしは思う。
とにかく悪夢のようなアニメーションだと、いろんな方々が表現しているが、わたしもその言葉が一番この映画を表す言葉だと思う。
斬新な表現方法だしテーマも興味深い映画でしたが、少し酔いました。
ストップモーションアニメの可能性
チリにあるナチスの残党が創り上げたカルト団体、コロニアディグニタを皮肉った作品。作品冒頭ではいかにも現地のチリで友好的に受け入れられているとアピールするが、実際は拷問、性的虐待、人体実験とまさにナチスの専売特許をこれでもかと行ってきたような恐ろしいコミュニティ。
同じドイツ系のアーミッシュとはえらい違いである。ちなみにエマ・ワトソン主演の「コロニア」でもこのカルト団体が描かれている。
本作はこのような恐ろしいカルト団体から脱走した少女が見た悪夢を映像化した作品。オオカミとはまさしくこのコロニアディグニタのことを指すのだろう。
逃げ出して自由になったと思われた少女も結局このカルト団体で受けた精神的束縛から逃れられず、空き家での生活も悪夢にさいなまれ続ける。そして最後には引き戻されるという絶望的な結末で終わる。
下手上手漫画というのがあるけど、本作はまさに下手上手アニメーション。あえて雑に作ることでそれが逆に味わいのある作風になっていて、また不気味な雰囲気も醸し出している。
ただ、正直言って予告編で受けたインパクトがピークだったかな。本編はちょっと退屈と感じてしまった。
それでも、作り手のイマジネーション次第でストップモーションアニメの可能性はまだまだ広がるということを知らしめた作品ではある。
貰った分しか与えられない
開始数分で鳥肌が立ちました。
私はストップモーションアニメを片手で足りる程しか観たことがなかったので、このような観せ方があるのかと。
公式HPも一切観ず、YouTubeの予告動画から予想していたテーマは三匹の子豚のみだったので観終わった後コロニア・ディグニダについて調べると、映画そのまま。事前知識があればより一層楽しめたのではないのか…否、後に視聴者がテーマの存在に気付き調べる事で知らなかった歴史や世界に触れる事は大事な良い機会だと思うのでNetflixのドラマなどを今後観る予定です。
まずコロニア・ディグニダ(WWII後にナチス残党がチリに作ったドイツ移民農場)について、これは先程述べたように観賞後に存在を知りました。
"尊厳のコロニー"まず名前がとても良い。
そのコロニーで崇めてる神の次に偉いのが少年に性的暴行を行うペドファイルであり、この作品内でマリアを探すオオカミ。
登場人物達の名前は監督お二人がカトリックのミッションスクール卒というのを考慮すると、
マリアはそのままイエスキリストの母。
ペドロは新約聖書の使徒ペトロ、岩の意、彼は天の国の鍵を持つ。
アナは悩んだけど内容を考えるとアナパブティスト(再洗礼)が由来なのかと。
マリア(イエスキリストの母)が新しく手に入れた家族/コミュニティが"天の国の鍵"と成人洗礼="自分の意思で決めた信仰"で成り立つとすると話は分かりやすい。
マリアはずっと閉鎖的コミュニティ/自分の意思を持てないコロニーで生活してきたので、外に出て新しい家を見つけ家族やコミュニティとなる豚達と出逢おうが"対等のコミニュケーション"は取れない。
生まれながらにしてコロニーで受けた経験が彼女に刷り込まれているから結局、支配されるかするかの二択。所謂、白雪姫症候群。
作中でもマリアは林檎食べてたし、少なからず意図してしているとは思う。
人間は経験した事しか出来ないし、他者からされた/貰った事(愛情や憎悪などの感情を伴う行為や言動)しかその他の誰かに与える/施す事は出来ない。
だからマリアは外(オオカミ)への恐怖心を煽りペドロとアナを支配し、家に閉じ込め、時に蜜(薬物)を使用し自分に従わせた。
コロニーでマリアがオオカミにされたこと、そっくりそのまま。
"愛"とは"親"とはなんなのか分からない。彼女は支配しかされた事がないから支配しか出来ない。
豚達の親になりたいけれども"無償の愛"というモノを知らないので言葉や所作を教えても一切身にならない事に、見た目に、行動一つ一つに、マリアは次第に苛立ちを募らせる。
全て真似事でしかないけれど、マリアはそうされた事しかないから仕方ない。
"天の国の鍵=マリアが作る新しいコロニー/居場所"であり"自分で選んだ信仰=マリア自身が教祖/親"となるはずだった1人と2匹の生活はそう上手いようには行かない。
だってペドロとアナはヘンゼルとグレーテルだったんだもん。
だからこそ後半で豚達の明らかな反発反抗に対しマリアのなんとも言えない反応は観ていて面白かった。経験した事ないことに遭遇すると唖然とするしかないよね、分かる。
声を振り絞りオオカミさんにドイツ語で助けを求めるマリア…なんて滑稽!まあでもこれが貴女の"再洗礼"ですね。自分で選んでるし。
オオカミさんはその点、沢山経験されているでしょうからマリアを最後の最後まで助けてくれるし超優しい〜!
一回脱走してても再び迎入れる懐の深さ、宗教やカルトの長の有るべき姿をしていて理想of理想。愛とは赦すことですからね。
あと作中に散りばめられた不安を煽る要素、最初から飛ばし過ぎでは?
・ナチスを表す十字
・マリア自身の姿→精神的な不安が本人の身体の形に現れる=ずっと定まらない、
・壁に映されるオオカミの目、声のトーン、話す内容など
・家の形の鳥籠、黄色の鳥
・読み聞かせの本の内容
・蜜→コロニー在籍時の洗脳のために使用されていた薬物
・蜜を塗ったり飲ませた後の豚達の容姿の変化→自分の思い描いた通りになる=洗脳成功の具現化?
・トイレに座るマリアに手が触れてくる→コロニー在籍時の性的虐待?
他にも沢山あったはずだけど思い出せないのがもどかしい。
最後に
「お前」って急に言ってくるオオカミさん。
そうでした、貴方がコロニーのお偉いさんでしたね。一応、プロパガンダのていで作ってる映像のラストでお前とか言っちゃうあたり最高です。
マリアを絶対に見捨てない、最後まで誠心誠意探し見つけ彼女に見合う労働も与えた旨、またペドロもアナも木になった=信者に迎え入れた意味だと思うので、そちらも重ねてとても素敵です。信者は多ければ多い程、良いですからね。
監督であるレオン&コシーニャのお二人は今作で初めて知りましたが、とても好きなテーマや世界観だったので過去作も、これからの作品も追えるよう常にアンテナを張りたいと思います。
円盤の発売が楽しみです。
インスタレーション・アート
現代芸術には社会問題や政治問題を積極的に表現する手法も大事な特徴である
それさえも内包する美の恐ろしさを体現できる作品であった
チリと言えばコンビニ等で販売してるチリワイン『アルパカ』、そしてサッカー強豪国 世界でも特異な国境の形を成している処として、文化や思想も実は深い闇が見え隠れしていることだろう それは歴史的にみても、世界中に存在し続ける『独裁者』の一人が君臨していた場所であることから容易に想像出来る
そして、同じ狢の一味が逃げ込んだ場所も又同国 それは搾取の上に成り立つ地獄という名の"コロニア・ディグニア" 少年少女に多大なる傷を負わせたこの団体も又現存していることの不思議さ そんな団体のフェイクPRの形式を取った皮肉さにも又アイデアの素晴らしさを感じる
クレイアニメ(紙粘土)、壁画等をストップモーションアニメでぐいぐい推進していくストーリーテリングが、強力な劇判と異様な効果音とも影響し合い、異形な映像へと変貌する様は、畏怖の念すら感じざるを得ない 気の遠くなるような画像数の編集、延々と繰広げられるストーリーには関係無い、アニメ制作上生まれる作業音、時折みせる性的な姿態の印象の植え付け そんな数多くのエフェクトや印象シーンをワンカット映像の体で、休み無くスクリーンを暴れまくる様は、脳の酷使が甚だしく、途中何回か意識が遠のいた程である それは寝る前に歌われる呪われた子守歌の仕業かもしれない 観客にさえも洗脳を施しかねない危険な芸術作品、十二分に堪能させて貰った
予習必須の映画
予備知識なしにみたらワケがわからないが、「コロニア・ディグニダ」事件をアタマに入れてみると、そのものズバリ。
ナチスの残党がチリに逃げて作られたコミュニティー、独裁者パウル・シェーファーの支配のもと、洗脳、強制労働、密輸、拷問、殺人、性的虐待、児童虐待などが行われていたカルト教団、「コロニア・ディグニダ」。
ここから逃亡した子どもたちの証言で、この集団の内情が明るみに出たらしい。
「世間から誤解されやすいドイツ人コミュニティー」の美しい教えに反発して逃亡した怠け者でわがままな少女マリア。
3匹の子豚(子供)に逃げられた(手を貸した?)ことで「お仕置き」されて自らも逃亡を図り、潜伏する隠れ家を探してそこに隠れていた子供二人と合流、ちょっとの間幸せ気分で暮らしていたが、浅はかな彼らは食糧不足で内輪もめして、食われそうになったマリアは結局、偉大で心が広い「オオカミ」パウルに助けを求めてコミュニティーに戻り、戻った彼女はその後、反省して従順で積極的なコミュニティー協力者になるという、コミュニティーの寓話風「プロバガンダ映画」の体。
不穏でおどろおどろしい画は、プロバガンダ側が作ったマリアの心象風景、(当然彼らの精神的異常性ダダ漏れ)と解釈していたら寝落ちしないで済んだかもしれません。
同時上映の『骨』よりも長い分、見やすくわかりやすい(何かを感じ考え...
同時上映の『骨』よりも長い分、見やすくわかりやすい(何かを感じ考えやすい)。
外からやってくるオオカミが、内から食い破るものとして反転する様が面白かった。常に内/外がゆらぎ続ける感じ。
痛みがここに存在すること、ストップモーションでしか描くことのできない痛み
本作に関する背景知識を持たずに映画を鑑賞。
はじめ映像の迫力に圧倒され、映画の世界観に釘付けに。
繰り返される印象的なモチーフ、トイレ、マリアの横で床に置かれた裸の男性の絵画などが引っかかりつつ、み進める。
中盤ほどから、胃のあたりから込み上げてきて、吐きそうな感覚になりつつ、時々目をつぶってなんとかやり過ごす。
気分が悪いのに、映画を観たい気持ちの方がまさる。
帰宅後、映画について調べてるうちに、この映画のテーマを知って、今回の映画体験を理解した。
元々画面が揺れ続ける作品を見ると酔ってしまう体質なので、鑑賞中はストップモーションの細かい揺れに酔っているのかと思っていた。
ただ、それ以上に、この映画のテーマを頭で理解できない状態であっても、身体はここで描かれるテーマを体感していたように思う。
鑑賞中、疑問に感じていたことのひとつに、絵や人形たちがなぜこれほどまで膨大な時間をかけて、描き直され、延々と作り直され続けるのか、と思っていた。
壁に描かれた絵が少しずつ動くが、描き進むだけでなく、描き進んだ分の絵が潰され、気が遠くなるほどの作業量が費やされる。
アニメーション自体時間のかかる作業だが普通もっと描くサイズは小さい。
これほど大きな壁を描くために使われた時間を考えると、気絶しそうになる。
どうしてこれほど膨大な作業量が必要だったのかという疑問は、映画のテーマを知り腑に落ちる。
映画のテーマである、ある"家"の人々が感じていたであろう時間の感覚が、一つの壁に何層も何層も塗り重ねられる絵の具と、散り散りに壊れ続け組み立ち切らない人形の欠片たちによって現されていた。
ここには、一度描かれた線が次の瞬間に綺麗さっぱり消えて滑らかに動くようなCGアニメーションでも、ある一人の演者が表情をつくることでも描くことのできない、この映画でしか描くことのできないものがあった。
ここで起きていたことがずっと残り続ける感覚と、無数の人びとの痛みが確かにここに存在すること。
そして、本作のテーマも、「チリという国で昔あった遠くの出来事」というテーマにとどまらないとも感じた。
ジャニーズ事務所という小さなコミュニティで起こり続けてきた性暴力。
そして統一教会というカルト宗教と政治の繋がり。
痛みに触れて、、、
悪夢的アニメーション表現
人形を使ったストップモーションアニメ、というだけではなく、絵画表現も用いて部屋全体をキャンバスのようにしている、ヤン・シュヴァンクマイエルをイメージさせる、という記事を読んで興味を持ち観に行ったものです。
実在したカルト教団施設をモチーフにしているという部分も気になりました。
アニメーションは二次元と三次元が入り混じった不思議な感覚のもので、壁や家具や人間が奇妙に変容してゆくさまは、とても見応えがありました。
全体の構成も皮肉めいたもので、主人公のめくるめく悪夢が展開されてゆくような物語も不安感が拭えません。
オオカミの家から逃げ出してきたと思われる主人公が、オオカミのやり方を踏襲しているのではないかと感じる部分があり、主人公が作っているこの家が「オオカミの家」ということなのか、逃げ出しても主人公の家=精神世界はオオカミに支配されている「オオカミの家」ということなのか、などと考えましたが。
ラストの展開も合わせ、なんともやるせない複雑な気持ちになります。
悪夢的な物語と異様に変容するアニメーション表現はとてもよく合っていて、インパクトのある面白い作品でした。
不気味…だけど面白い
人形が苦手なので時々固唾を飲みながらの鑑賞でしたが見る価値はあります!
実写→2D→建物全体…と表現方法が変わっていくのも面白いところでした。
前知識も入れてから見に行ったのですが、ところどころ難しいところはありました。
初見で見てもいいとは思いますが、少し内容調べてから行っても問題なく鑑賞できると思います。
特に見に行ってからはコロニア•ディグニダついては検索してしまいましたね…こんな恐ろしいことが世の中にあったとは知らなかったです。
それにしても同時上映の『骨』も不気味なこと…サイコーでした!
JAM
東京での上映では満席が続出し、誰もがSNSでもレビューサイトでもヤバいを連呼しており、クレイジーな作品が大好きなので否が応でも期待が高まり、劇場へ突撃しました。
思っていた以上にアート系の作風で、70分台と短いはずなのに長く感じてしまいました。フィールドが家の中のみというのも退屈さを加速させてしまったのかなと思ってしまいました。
ヤバいと噂の映像たちは本当にヤバかったです。実写での人形と壁画のようなアニメを交互に映して、良い意味での違和感を生み出しており、不思議な気分にさせられました。立体的に登場せず、壁にマリアが映されてそこで口をパクパクさせる構図はかなり不気味でした。
大きく音量が変わるジャンプスケアな演出は皆無なんですが、ほんのちょっと音量を上げてマリーィアと呼ぶ声にはそのシーン毎にゾクっとさせられました。
元々いた場所が嫌になり飛び出して、自分より弱いものを支配下に置いたけれど、その支配したものたちに反発されて、元いた場所へ再び戻り苦悩する…というのを描きたかったんだろうなと思いますが、そのシンプルなテーマを伸ばし伸ばしで70分にした結果ダレたなって感じでした。中編アニメーションだったらまだ絵面のインパクトと物語の濃さがマッチしていたのかもしれませんが、そこのバランスはイマイチだったかなと思いました。
時代背景やコミュニティを知らないのもあってストーリー的には乗れませんでしたが、独特な表現から繰り出されるアニメーションは唯一無二のものだと思います。「骨」然り今作然り、次回作が既に楽しみなコンビです。アニメも作って欲しいですし、実写映画を撮ったらどんな世界観を広げていくのか、そういう意味でも今後が楽しみです。一応今作が5年前の作品なので、日本でのスマッシュヒットをきっかけに関連作が流れてくればなと思っています。
鑑賞日 9/5
鑑賞時間 19:00〜20:35(骨と併映)
座席 B-13
※ネタバレあり 骨 オオカミの家 感想
短編映画、「骨」との併映です。
※ネタバレあり 「骨」感想
骨は、なんか私が感覚おかしいって思われそうですが、大爆笑してしまいました。
だって人骨をバスケットに入れて森の中をルンルンお散歩とか、人骨でドンドコ叩いて召還とか、もうなんか不謹慎なんですけどシュールで面白くて。でも頭蓋骨が人の顔に変わったところあたりから笑いが止まって、逆になんか泣けてきました。この女の子は人の死体を操ってまで叶えたい願いだとか愛情があるんだなって思って勝手に泣けてしまいました。映像は人の呻くような声とかキーキーする音と相まってすごく怖いんですが。ちなみになんかチリのある歴史背景があって(ネットの監督インタビューに載ってました。)それを知るとちょっとだけ理解できるそうです。
個人的には感情を揺さぶられたって点で本編より好きでした。
※ネタバレあり「オオカミの家」感想
「骨」のインパクトがすごかったせいか、こっちは初めちょっと眠く感じました。ああ、変な映像だなあ、ぬるぬる動くなあ、すごく手間かかってるんだろうなあ、マリアきれいだなあ、みたいな。
アナとペドロについては、火事の時に焼いちゃって、それをマリアが食べたんだと思いました。(腕と足が生えて人になったのはマリアの妄想なのかなって思ってました。)
でもその事実をマリアは認めたくなくて、火事で生き残ったってことに頭の中で書き換えて、ついでに自分なりの「白人はきれい」って考え方でアナとペドロを理想化して、でもアナとペドロの残りを食べきっちゃってお腹がすいて、自分がアナとペドロを食べたのだって事実に直面しそうになって、それで、「アナとペドロが自分を食べようとしている」って主体と客体を反転させてオオカミに助けを求めたのかなって思いました。
少なくとも私は、自分が相手に対して悪いことを考えているのに、「相手が自分に対して悪いことを考えている」って反転させがちなことがあるので、そういうことなのかなって思いました。
そうやって主体と客体を反転させるのは、自分が悪いことを考えているという事実の無意識の罪悪感から逃れたいっていうのもあるのかもしれません。
そして無意識の罪悪感につけこんで洗脳は行われるのかなと思いました。そして一度洗脳を受けた人は同じように他の人を洗脳してしまう。人を洗脳するならその人の一生に責任を持てよ、閉じこめるなり殺すなりしてさ、ムリだろ、じゃあするな、っていうテーマに思えました。
なんにしても洗脳されないためには、私たちが自分自身の悪意を認める、ってことが必要なのかなって勝手に思いました。
映画から脱線しましたが、映像は評判通りすごかったです。こんな風に感想を話すと人間性を露呈しかねないので、なかなか感想を話し合う人を選ぶ映画だなって思いました。
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