オオカミの家のレビュー・感想・評価
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日本人にうける理由とは?
個人評価:3.7
本国チリより、日本人の方が本作を見ているとの解説がなんとも興味深い。
何故、アリ・アスター同様にこの手の作品が日本人にうけるのか?
宗教・政治・民族学などをホラーの枠組みを使い描く作品。
無宗教・政治無関心の日本人にとって、この手のテーマに免疫がなく、否応もなく魅かれている。
平和な国で育った日本人には、異文化として取り入れたい知識が詰まっている。
本国よりも興行として成功しているのは、そんな部分もあるかもしれない。
本作は無防備で見ると、自身の別の扉が開く。
オオカミの誘惑のまま、不安も恐れもないユートピアに身を委ねたい。
まさに見ようによっては、そんな気分に陥ってしまう。
抑圧された資本主義社会からの解放。学生運動時代のインテリな若者が北朝鮮にあこがれた様に。
マスキングテープ
この映画の制作方法や、テーマの社会的背景については色々なところにたくさん情報があるので触れない。
とにかくすごい映画。「アニメ」の意義と創造性の本質に触れるようだ。
立体の人形はおそらくマスキングテープで作っていると思われる。マスキングテープを使っているという関連しかないけど淺井裕介さんの制作方法を想起した。思えば彼もマスキングテープを貼っては絵を描き、剥がし、立体にし、泥で壁に絵を描き、消しながら描き、最後には消す。
淺井さんの制作をコマドリ撮影したら、おそらくそれは「アニメ」(ものに魂が宿る)ように見えるのだろう。人間の根本的でシンプルな創造性と時間、それを錯覚によって生命のあるようにみせるアニメという手法の繋がりをおもった。
映像は凄かった
どうやって作ったんだ、この映像・・・と、鮮やかな場面展開を夢中で観ていました。
ストーリーはよく理解できませんでしたが、あんなに出たかったコローニャからようやく出ることができて幸せに暮らしてたはずなのに、自分の意志で帰りたいと思うように仕向けられたと考えるとなんだかゾッとします。やや期待しすぎた感。
何気に頭良い
子守唄の魔法がかかる
圧倒的な労力にクラクラきてしまう。
ストップモーションアニメなので、視点がちょっと移動していく場面でも、連続した塗り直しを余儀なくされている。おいおい、どんだけ時間かけてるんだよと想像すると、観ているだけで疲労がたまるが、刷毛の筆致や、絵の具が垂れていく跡を生かしたアナログな味わいは、素晴らしいし好み。
今作は、ピノチェト政権下のカルト的なドイツ人コミュニティを題材にしているとのことだが、冒頭の実写部分と、鉤十字から窓枠を描くという象徴的な表現が一回出てくるだけなので、ナチスうんぬんより、「コロニーは蜜の味」と感じてしまう支配層と被支配層の関係を普遍的に描いた作品という感じがした。
コミュニティの中でミスを犯した被支配者のマリアが、罰から逃れるために、他者の家に住み着いて、今度は自分が支配者になって3人だけのコミュニティをつくるという閉じた入れ子構造の連鎖は、案外、ありとあらゆる所で見られるのではないだろうか。
そうした連想を観る者の内側に生じさせるところが、この作品のアートとしての力強さだと思う。
また、この作品の決着が、マリアが自ら望んで被支配に戻るという所も象徴的で、「ソウルの春」に出てくる「人間という動物は、自分より強い誰かに導かれたいと願ってるんだ」というセリフを思い出した。
実は、かつて劇場で鑑賞したのだが、途中から爆睡してしまい、レビューを諦めていた作品。
今回YouTubeで無料公開との話を聞いて、リベンジした(2025.9.15)が、やっぱり眠気を誘われて、何度も見返す羽目になった。決して退屈な訳ではないのに、それこそ劇中の子守唄の歌詞の通り、目に砂をかけられているみたい。
皆さんはどうだったのかとても興味があります。
盛大に寝てしまった
悪夢のような感じで見ていたら睡魔に誘われて派手に寝てしまった。『地獄の黙示録』のラスト、タルコフスキーみたいに見れば必ず寝る映画はある。これもそのような作品だ。寝かせにきている感じすらあるし、どうすれば眠らずに見られるのか見当もつかない。
壁に塗った絵を消してまた描いて動かすため、前の絵が残っていて残像のようだ。家が狼だったということのようだが、眠ってしまったので物語もよく分からない。しかし、とんでもない手間と時間が掛かっている。
もう一度コンディションを整えて見てもまた寝るだろう。配信で寝る前に見て、眠くなったら止めて次の夜もそうしてちょっとずつ見れば、よく眠れるし、最後まで見ることができるだろう。また、夜中に目が覚めて眠れないときにもよさそうだ。
独特で卓越した世界観
初めての芸術系映画?鑑賞体験でした。
尊敬してる人が、観るって言ってたから、前情報無しで観に行きまして。
「骨」で、ワー!ってショックを受けて、
本編始まって、
うわ凄い。映像系の映画なんだ!
ってなって、
チリの、本当にあったことの抽象映像化作品なのかな???
ってなって、
鑑賞後、実際に存在したコミューンの話を知ってるとより楽しめる、のような情報を目にして、
やっぱりそうなのかぁ。となりました。
ある場所から逃げ出したけど、ある場所で(不適切な環境で)育てられた主人公では、ある場所で育てたような育てかたしか出来ず、生活も立ち行かず、ある場所に戻った。
主人公も、子ブタと同じ存在で、人間じゃなくて動物だった。(と自認した)
って話だったのかな。って思いました。
虐待されて(愛情を感じられない育てられ方で)そだった人が、
愛情のかけ方を知らなくて、
同じように子育てしてしまって、
上手くいかなかった。
って物語と構造は似てるな。って思って悲しくなりました。
最後、主人公が鳥になったところ。
このお話が、主人公から見た世界の印象だとしたら、
「可哀想な子鳥の私」
だし、
自分を人間だって自認できなくて
尊厳を剥ぎ取られて、
動物のように飼い殺し、
だし、
綺麗である程悲しいし苦しい。
もうなんか、堪んない。
悲しいし苦しいし、可哀想で終われるような綺麗な話じゃないよね。
ってなって、頭が痛いです。
人でありたい。って思ったし、
飼い殺しなんてごめんだ。
泥だらけでいいし、幸せじゃなくてもいいから、
自分の力で生きて生きたい。って思いました。
心削られるが手間のかかった素敵な作品
マーリーアー
ざわざわとした質感、ドイツ後とスペイン語の狭間
短編 骨 がまず最初に上映された。フェイクの、人間の骨を使って作られた世界初、最も古いアニメみたいな設定でそのままそれ風にぼろぼろのフィルムという細工で進んでいくので、まんまとハメられる。プリミティブな少女の顔、墓場から掘り起こされた骨たちを操り肉体に戻す。最初はユーモラスで楽しげだがだんだんと固い意志が感じれ遊んでいるのではないなと思う。
一体の骨人間と愛し合っていたのだとわかる、婚姻届にサインをするがその後サインはバックワーズに消えていく。陰謀。
これはよほどチリの歴史、政治の闇の部分に詳しくないと理解できないだろうと、オオカミのパンフレットを見て思ったが、それを知らないとしても権力者であり強者である男たちに人生を破滅もしくは悲哀のものとされた女の物語とわかる。
オオカミの家、ナチス残党が多く住んでいる南米。チリもアルゼンチンも確か多いはず。軍事強権政治、独裁政権であったピノチェトとつるんで、様々な悪事、強制労働、虐待や虐殺、ピノチェトの手先、出先機関としての政治犯の処理などを行ったカルト宗教コロニアディグニタ尊厳のコロニー。
子豚を可愛がりコロニアの規則、労働に従えない少女マリア、子豚を逃げし自らも森の中の家に逃亡。オオカミが、教団が来ることを恐れながら自由を求め、次第に子豚たちを蜜により人間的な肉体に変え知性も知恵もないものにそれを教え込みそうすることで自らも教団コロニアにされたように子豚たちを支配してしまう。子守唄をドイツ語で歌うマリアが悲しかった。
ドイツ語の会話と、スペイン語の会話を聞き分けなければ、真意がわからないと思う。オオカミとの空くうの対話も状況と心理によりスペイン語であったりドイツ語であったりする。その部分がみていてとても疲れる。
逃亡当初、チリ人に助けを求めている。
コロニアの首謀者、元ナチス元ドイツのカルト教団設立者は、やがてコロニアの犯罪が発覚したが、今も宿泊施設などの形で運営が続いているという。
歴史の中の強者→敗者となったものがまた禍々しく強者となり戻ってくる厄災は日本の戦後から今に至る系譜にとあり、チリだけだはなく世界中にあるだろう。人はなぜ自由を求め、そこから道が曲がり人の自由を奪ったり不自由不寛容の選択肢にまた戻ってしまうのか。弱者が強者になれるかもなにか自分より弱いものを支配できるかという幻想妄想を抱かせるシステム。
アニメというより、絵巻物のように、絵画が開いて進行していく独特のディメンションがあり、この連続性がコロニアから逃れ得ないマリアこの世界のシステムから逃れ得ない私たちを閉じ込めていく。次々とあらわれるペイントされた空間、立体物、裁断された素材、、、最初は、これ作っていたら頭おかしくなりそうと思ったが二人組の製作者、ルールを作って楽しく製作されたようでおおらかな二人のインタビューに逆に感銘を受けた。アニメーションの独創性とクオリティだけでも必見。
自由を語る言葉
支配する言葉支配される言葉やがて支配する側になる言葉
個としての自分と集団性を持つ自分
孤独 恐怖 親愛 不安 支配。
斬新な映像です。
いもしないオオカミに怯え、自分の殻に閉じこもっているマリア。最終的には自分が作り出した独りぼっちの世界ではにっちもさっちも行かなくなりオオカミに助けを求める。オオカミは社会を現しているのかな。マリアは自分だな。
映像の寓意
マリ〜ア〜〜 マリ〜〜〜ア〜〜〜
チリ南部のドイツ人が作ったコロニーに暮らす美しい娘マリア。
彼女は大切にしていた豚を逃してしまい、厳しい罰を受ける。
耐えきれなくなった彼女はコロニーを抜け出し、森の中の廃墟に迷い込む。
するとそこには2匹の豚がいて、マリアは「アナ」と「ペドロ」と名前をつけ自分の子供のように可愛がるのだが……
ナチスの残党がチリに作ったコロニア・ディグニダをモデルに描いたストップモーションアニメ。
コロニア・ディグニダについては『コロニアの子供たち』とWikiで簡単に予習済み。
『コロニアの子どもたち』ではコロニアの内情や実態を客観的に取り上げていたのに対し、本作ではコロニアに収容されていた人たちの精神的な悪夢を主観的に描いている。
マリアが逃げ込んだ廃墟での生活はほとんどがマリアの精神世界。
「眠るのは嫌い 夢を見るから」というフレーズがシニカルに効いている。
直接的な描写はないのだが、独特のグロを感じる。
『骨』同様裏に隠されたとてつもない恐怖をふんわりと感じる居心地の悪い恐怖だった。
恐怖度に関しては予習しない方が良かったのかもしれない。
「よく分かんないけどなんかヤバくない?」
これがこの監督コンビの味なのだと。
コロニアを知った上で不穏て平穏なこの意味不明な世界観を観せ続けられると、正直少し退屈にも感じた。
さらに子守唄で睡眠誘導してくるので、夢と現実の間を漂うことに。
「眠るのは嫌い 夢を見るから」の言葉の如く、鑑賞後に友達との予定をすっぽかすという悪夢を観たのはまた別の話。
ともかく、不穏な空気は味わえるが個人的には変に期待し過ぎてしまったという印象。
ただ、次々と姿を変えるアニメーション技術は唯一無二で素晴らしく、アニメーション作品としては絶対に観ておく価値のあるものであった。
悪夢的、しかし文字通り「厚みのありすぎる」映像が強い印象を残す一作
予告編からその不穏かつ想像を超えた映像美によって、「怖そう、でも観たい」という期待を振りまいた本作。
実際の作品は、同時上映の短編『骨』と共に、クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ両監督の、まさに奇想天外な映像感覚と、それを実現するために投じた膨大な時間と労力にただただ圧倒される70分間でした。
予告編でも強く感じられた悪夢的世界観は、予想通りどころか上映時間全てが同じ熱量を持った映像であると言ってもよく、もはや終盤は感覚が麻痺するほど。忘れてはならないのは、本作の世界観はチリの歴史や政治的暗黒面を強く反映したものであるということ。だからこそ、マリアを追いかけるオオカミの不気味な声の恐ろしさが最終盤になってさらに際立ちます。
本作では、キャラクターを構成する主要な素材である、細長い紙などを、動作のたびに解きほぐし、また結びつける、という手法で多くの動きを表現しています。そのため、ほんの数フレームの映像でも、それらを撮影するためにどれだけの時間と手間を要したのか、想像できないほど。
モーションストップアニメに関心のある人には特に、『JUNK HEAD』(2017)、『マッドゴッド』(2021)に並んで、必見の作品と言って良いでしょう
。極めて優れたアート作品として見ることも可能だけど、映像とオオカミの声は間違いなく脳裏に刻み込まれることになるので、この点だけ心して鑑賞に臨みたいところ!
あの台詞は観客に向けて…?
初見は事前情報なし、2度目はパンフと考察サイトを見て鑑賞しました。
美しく不気味にうつろうアニメーションと随所に散りばめられた不穏な音が異様な雰囲気を盛り上げていて、それだけでこの作品が好きになりました。
ストーリーは初見はカオスで、特に一体誰がオオカミなんだー???状態でした。情報を仕入れると登場人物の関係性が入れ子構造になっていたとは。(共同体の指導者→少女↔子ども達)
内面化された価値観から逃げられなかった少女が痛ましく、また国や家族など、所属している集団の価値観を多かれ少なかれ内面化している自分も他人事ではないと思うとホラーです。ラストの台詞はそういうことなのかなと感じました。
全106件中、21~40件目を表示