オオカミの家のレビュー・感想・評価
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心削られるが手間のかかった素敵な作品
この映画を観る前に、コロニア・ディグニダを知っておいた方が良いと聞いたので、少し調べて粗方どんなものかを知ってから観た。すると、主人公の恐怖と孤独で心が疲弊していく過程の理解が深まった。心削られながら、手間暇のかかった作風に感心もしつつ、気持ち的に忙しい映画です。エンドクレジットが流れても終わりではなく、の後に、詩が流れるので最後まで観ることをお勧めする。もうメディアが発売されているが、収録を期待したその詩は未収録でがっかりした。併映の「骨」も未収録。
マーリーアー
閉鎖的な空間の中で、音声もひそひそ声だらけで、
ちょっと子守歌のよう…
コロニア・ディグニダが元ネタと聞いていたので、
もっと色のないものかと思ったけど
こんなにもカラフルでファンタジーとは。
ちょっと寝そうになったけど
「マーリーアー」の声で覚醒(笑)
クレイアニメだとゲロもファンタジー
そしてクレイアニメ独特の
自由自在な描写技法が素晴らしかった。
でも最後は?救いがあるのか。
マリアにとっては救いだったのか?
ざわざわとした質感、ドイツ後とスペイン語の狭間
短編 骨 がまず最初に上映された。フェイクの、人間の骨を使って作られた世界初、最も古いアニメみたいな設定でそのままそれ風にぼろぼろのフィルムという細工で進んでいくので、まんまとハメられる。プリミティブな少女の顔、墓場から掘り起こされた骨たちを操り肉体に戻す。最初はユーモラスで楽しげだがだんだんと固い意志が感じれ遊んでいるのではないなと思う。
一体の骨人間と愛し合っていたのだとわかる、婚姻届にサインをするがその後サインはバックワーズに消えていく。陰謀。
これはよほどチリの歴史、政治の闇の部分に詳しくないと理解できないだろうと、オオカミのパンフレットを見て思ったが、それを知らないとしても権力者であり強者である男たちに人生を破滅もしくは悲哀のものとされた女の物語とわかる。
オオカミの家、ナチス残党が多く住んでいる南米。チリもアルゼンチンも確か多いはず。軍事強権政治、独裁政権であったピノチェトとつるんで、様々な悪事、強制労働、虐待や虐殺、ピノチェトの手先、出先機関としての政治犯の処理などを行ったカルト宗教コロニアディグニタ尊厳のコロニー。
子豚を可愛がりコロニアの規則、労働に従えない少女マリア、子豚を逃げし自らも森の中の家に逃亡。オオカミが、教団が来ることを恐れながら自由を求め、次第に子豚たちを蜜により人間的な肉体に変え知性も知恵もないものにそれを教え込みそうすることで自らも教団コロニアにされたように子豚たちを支配してしまう。子守唄をドイツ語で歌うマリアが悲しかった。
ドイツ語の会話と、スペイン語の会話を聞き分けなければ、真意がわからないと思う。オオカミとの空くうの対話も状況と心理によりスペイン語であったりドイツ語であったりする。その部分がみていてとても疲れる。
逃亡当初、チリ人に助けを求めている。
コロニアの首謀者、元ナチス元ドイツのカルト教団設立者は、やがてコロニアの犯罪が発覚したが、今も宿泊施設などの形で運営が続いているという。
歴史の中の強者→敗者となったものがまた禍々しく強者となり戻ってくる厄災は日本の戦後から今に至る系譜にとあり、チリだけだはなく世界中にあるだろう。人はなぜ自由を求め、そこから道が曲がり人の自由を奪ったり不自由不寛容の選択肢にまた戻ってしまうのか。弱者が強者になれるかもなにか自分より弱いものを支配できるかという幻想妄想を抱かせるシステム。
アニメというより、絵巻物のように、絵画が開いて進行していく独特のディメンションがあり、この連続性がコロニアから逃れ得ないマリアこの世界のシステムから逃れ得ない私たちを閉じ込めていく。次々とあらわれるペイントされた空間、立体物、裁断された素材、、、最初は、これ作っていたら頭おかしくなりそうと思ったが二人組の製作者、ルールを作って楽しく製作されたようでおおらかな二人のインタビューに逆に感銘を受けた。アニメーションの独創性とクオリティだけでも必見。
自由を語る言葉
支配する言葉支配される言葉やがて支配する側になる言葉
個としての自分と集団性を持つ自分
孤独 恐怖 親愛 不安 支配。
斬新な映像です。
いもしないオオカミに怯え、自分の殻に閉じこもっているマリア。最終的には自分が作り出した独りぼっちの世界ではにっちもさっちも行かなくなりオオカミに助けを求める。オオカミは社会を現しているのかな。マリアは自分だな。
映像の寓意
退屈するところなんて一瞬もなかったですね。
映像に目を奪われ続けました。
ストーリーの細かいところはこれから知識を得ようと思いますが、暴力の影を読み取れれば、あとは心象と恐怖が図像化されているという視点で見ることができると思います。
マリ〜ア〜〜 マリ〜〜〜ア〜〜〜
チリ南部のドイツ人が作ったコロニーに暮らす美しい娘マリア。
彼女は大切にしていた豚を逃してしまい、厳しい罰を受ける。
耐えきれなくなった彼女はコロニーを抜け出し、森の中の廃墟に迷い込む。
するとそこには2匹の豚がいて、マリアは「アナ」と「ペドロ」と名前をつけ自分の子供のように可愛がるのだが……
ナチスの残党がチリに作ったコロニア・ディグニダをモデルに描いたストップモーションアニメ。
コロニア・ディグニダについては『コロニアの子供たち』とWikiで簡単に予習済み。
『コロニアの子どもたち』ではコロニアの内情や実態を客観的に取り上げていたのに対し、本作ではコロニアに収容されていた人たちの精神的な悪夢を主観的に描いている。
マリアが逃げ込んだ廃墟での生活はほとんどがマリアの精神世界。
「眠るのは嫌い 夢を見るから」というフレーズがシニカルに効いている。
直接的な描写はないのだが、独特のグロを感じる。
『骨』同様裏に隠されたとてつもない恐怖をふんわりと感じる居心地の悪い恐怖だった。
恐怖度に関しては予習しない方が良かったのかもしれない。
「よく分かんないけどなんかヤバくない?」
これがこの監督コンビの味なのだと。
コロニアを知った上で不穏て平穏なこの意味不明な世界観を観せ続けられると、正直少し退屈にも感じた。
さらに子守唄で睡眠誘導してくるので、夢と現実の間を漂うことに。
「眠るのは嫌い 夢を見るから」の言葉の如く、鑑賞後に友達との予定をすっぽかすという悪夢を観たのはまた別の話。
ともかく、不穏な空気は味わえるが個人的には変に期待し過ぎてしまったという印象。
ただ、次々と姿を変えるアニメーション技術は唯一無二で素晴らしく、アニメーション作品としては絶対に観ておく価値のあるものであった。
悪夢的、しかし文字通り「厚みのありすぎる」映像が強い印象を残す一作
予告編からその不穏かつ想像を超えた映像美によって、「怖そう、でも観たい」という期待を振りまいた本作。
実際の作品は、同時上映の短編『骨』と共に、クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ両監督の、まさに奇想天外な映像感覚と、それを実現するために投じた膨大な時間と労力にただただ圧倒される70分間でした。
予告編でも強く感じられた悪夢的世界観は、予想通りどころか上映時間全てが同じ熱量を持った映像であると言ってもよく、もはや終盤は感覚が麻痺するほど。忘れてはならないのは、本作の世界観はチリの歴史や政治的暗黒面を強く反映したものであるということ。だからこそ、マリアを追いかけるオオカミの不気味な声の恐ろしさが最終盤になってさらに際立ちます。
本作では、キャラクターを構成する主要な素材である、細長い紙などを、動作のたびに解きほぐし、また結びつける、という手法で多くの動きを表現しています。そのため、ほんの数フレームの映像でも、それらを撮影するためにどれだけの時間と手間を要したのか、想像できないほど。
モーションストップアニメに関心のある人には特に、『JUNK HEAD』(2017)、『マッドゴッド』(2021)に並んで、必見の作品と言って良いでしょう
。極めて優れたアート作品として見ることも可能だけど、映像とオオカミの声は間違いなく脳裏に刻み込まれることになるので、この点だけ心して鑑賞に臨みたいところ!
あの台詞は観客に向けて…?
初見は事前情報なし、2度目はパンフと考察サイトを見て鑑賞しました。
美しく不気味にうつろうアニメーションと随所に散りばめられた不穏な音が異様な雰囲気を盛り上げていて、それだけでこの作品が好きになりました。
ストーリーは初見はカオスで、特に一体誰がオオカミなんだー???状態でした。情報を仕入れると登場人物の関係性が入れ子構造になっていたとは。(共同体の指導者→少女↔子ども達)
内面化された価値観から逃げられなかった少女が痛ましく、また国や家族など、所属している集団の価値観を多かれ少なかれ内面化している自分も他人事ではないと思うとホラーです。ラストの台詞はそういうことなのかなと感じました。
コロニアル・ディグニダ・・?
予告編を見て、その不気味な映像に驚き、調べたら県内で上映中だったので早速、観に行きました。
この映像を作るのに、どれだけの労力が費やされたか。
製作に思いをはせながらも正直、途中で飽きた。
だって単調なんだもん。
ただ発想の原点らしい実在のコミューン「コロニアル・ディグニダ」ついて調べたら、けっこう興味深かった。
映画からは「チリにあるアーミッシュのようなコミュニティ」といった印象を受けたけど、ネットで得た情報が正しければ全然違う、怖ろしいコミューンらしい。
不謹慎かも知れないが、映画のネタとして面白そう・・。
制作十か条にどんな映画か集約される
これはカメラによる絵画である
人形はいない
全てのものは彫刻として変化し得る
フェードアウトはしない
この映画はひとつの長回しで撮られる
この映画は普通のものであろうと努める
色は象徴的に使う
カメラはコマとコマの間で決して止まることはない
マリアは美しい
それはワークショップであって、映画セットではない
上記がこの映画の全てであり、これは正確に遂行されている
映画館で観て欲しい映画、絵画、彫刻である
悪夢のような世界を追体験
家の壁にドローイングされた絵と、紙や粘土で造られた人形などを組み合わせながら、悪夢のような映像世界を追求したストップモーションアニメ。
二次元の絵と三次元の人形をシームレスにつないで見せたテクニカルな表現が白眉の出来栄えで、これまでに見たことがない斬新さに圧倒されてしまった。
こうした映像体験はストップモーションアニメの大家フィル・ティペット作の「マッドゴッド」以来である。両作品のテイストは全く異なるが、刺激度というレベルでは甲乙つけがたい毒とアクの強さで、まったくもって前代未聞の”映像作品”である。
ただし、純粋にアニメーションの動き自体のクオリティは決して繊細とは言い難い。絵や造形物も雑然としていて、何となく前衛っぽさが漂う作りだと思った。
逆に言うと、この洗練さに欠ける作りが、全体の異様な作風に繋がっているとも言え、結果的に他では見たことがないような唯一無二な怪作になっている。
物語自体はシンプルながら、様々なメタファーが込められているため観る人によって如何様にも解釈できそうである。
鑑賞後に調べて分かったが、マリアが脱走した集落はピノチェト軍事独裁政権下に実在した”コロニア・ディグニダ”を元にしているということである。これはある種のカルト集団だったようであるが、当時の政権とも裏では繋がっていたと言われている。
本作は物語の構成も少し変わっていて、その”コロニア”が対外的な宣伝を目的に作った映像作品…という体になっている。ただのダークな御伽噺というより、政治的なプロパガンダになっているあたりが面白い。もちろんそこには皮肉も込めているのだろう。
製作、監督、脚本はチリのアート作家クリスタバル・レオンとホアキン・コシーニャというコンビである。本作が初の長編作品と言うことだが、こんな”ぶっ飛んだ”作品を作ってしまうとは、一体どういう思考をしているのだろうか?常人には全く想像もつかない。
尚、本作は元々は、各地の美術館やギャラリーでインスタレーションとして製作された作品ということである。企画から完成まで5年の歳月を費やしたということであるが、それも納得の力作である。
また、映画上映の際には同監督作の「骨」という短編が同時上映されるが、こちらも中々の怪作である。
斬新なのかもしれないけれど、退屈で有害な作品だとしか思えなかった
まず、1901年に制作された作品『骨』が上映されたが、家の中でいすに腰掛けていた女性の人形が失われ、地面から骨が発見されたりの繰り返しで、言いたいことがよくわからなかった。
『オオカミの家』の解説を読んだうえで、ナチスの残党がチリにやってきて、極秘の少年監禁施設をつくったことと関係のあるものだという情報は受けていて、同じ題材での2015年制作の『コロニア』を観ていて、エマ・ワトソン氏演じる航空機客室乗務員が、監禁された恋人を救出する活躍作品の展開を思い浮かべていたが、本作では、やはり女性が主人公で、監禁から逃げてきて、小屋に籠もり、ぶたを人間にみたてて飼い始め、追っ手のはずのオオカミの脅迫を拒絶して、「尊厳」を以てぶたを人間らしく育てようとするのだけれど、上手くいかず、便器に座り込むばかりで、次に色づいていき、言葉を話すようになるのだけれど、食糧探しに出かけることに反対され、自分がベッドに縛りつけられ、食べられる恐怖を感じたところで、自分にとって脅威であったオオカミの力を借りて、世話をしてきたぶたを滅ぼし、元いたコロニアに戻り、冒頭で素晴らしい施設だと宣伝されていたのと同じく、素晴らしい施設がまた存続していく結末になっていて、批判するような解説は全くなく、この恐ろしい監禁施設を肯定する話で終始していたので、アニメーションの制作方法としては斬新なのかもしれないけれど、退屈で有害な作品だとしか思えなかった。
一体お金を払って何を見せられているのか…
あれ?ルーム間違えた?と前説的な短編があった後(これもよくわからん😵🌀)本編に
ドイツからチリに移住してきたドイツのコミューンでの話
このコミューンから脱走した娘の話
娘は森で迷子になって、空き家を見つける そこにコブタが二匹いて、何故かコブタが人間の様相を呈して、人間化していく 回りにはオオカミがいて外に出ることができず、食料が尽き果て、しまいには可愛がって育てた豚に食べられそうに…
因果応報というか、コミューンのなかで皆と協調しながら生活しなさいと言いたかったのかどうか…
皆の感想を読んでみます
事前情報なしだとさすがにわからない
とあるコミュニティの宣伝映像という形で作られた、ということですがこれを見て、そのコミュニティに参加したいと思える人間いるのでしょうか?隠喩暗喩だらけなんだろうと感じることはできても、どう見ても不気味なおかしなコミュニティに洗脳もしくは縋り付くしかない極限状態というのが伝わってくる。これがある程度コミュニティに染まった状態なら、より理解と共感できるのかもしれない。
そもそもが不気味な映像としか言いようがなく、心理的抵抗というか染まってたまるかという反抗心が始めから芽生えるのでこれはプロパガンダ映像としてはダメダメのダメなんだけど、こんな映像ですら素晴らしいと感じるイカれた感性に染まったコミュニティというのは伝わって来た。何回か見ると印象変わるかも。変わりたくないが。
マリア。
予告編が素晴らしすぎたので、本編は途中、ちょっぴり寝てしまいました、、
とは言え、この世界観、、芸術です。
二次元アニメーションと、三次元クレイアニメ、時々パペット、、。どんな撮影現場だったのか、覗いてみたくなりました。
いゃー、もう一度、観たい。
全97件中、21~40件目を表示