オオカミの家のレビュー・感想・評価
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題材と手法の融合
アニメ史に残る名作。
コロニアに支配され洗脳されてきたマリアは、脱走して自由の身になっても、支配的思考そのものが自身の内面(家)にこびり着いている。マリアはコロニアの権力者と同じ態度で、豚に対して「わたしたちは家族」「お世話してあげますよ」「ここは安全」と言いながら相手を閉じ込め、薬物を使い支配する。
そうした〝得体のしれない〟コロニアという題材と、部屋の細部が絶え間なく変化し観るものの視点や現実感を麻痺させる、〝得体のしれない〟アニメの手法がピタリとハマっていた。
窓枠を形作るシーンで、十字架がナチスのカギ十字に変化していた。コロニアがナチスの残党であることを想像させる。納得。
ラストで豚に食われてしまえ!と思ったところで、私は冒頭シーンを思い出した。本作はコロニア側が制作したプロパガンダを模した作品だ。胸がすくような気持ちにさせてはくれるはずかない。
胸のすくようなことなんてめったにないのが現実。これは決しておとぎ話じゃない。
【”支配する側とされる側。”あるコロニーに住む娘マリアに起きた悪夢のような出来事を描く、ブラック・ダークな極北のストップモーションアニメーション】
ー フライヤーや、今作の最後に収録された今作の制作の背景について語られている、チリに実在した忌まわしきコミューン「コロニア・ディグニダ」と今作の関係性は、作品内で一切触れられていないので、評点3.5は鑑賞した素直な得点である。
但し、途中で少し前に観たチリ映画「名もなき歌」を思い出したり、ピノチェト政権を暗喩したモノではないかと思った事は、敢えて記す。ー
■チリ南部のドイツ人集落で暮らす美しい娘・マリアは、ある日ブタを逃がしてしまう。
厳しい罰に耐えられず脱走した彼女は、逃げ込んだ家で2匹の子ブタに出会い、「ペドロ」「アナ」と名付けて世話をすることになる。
だが、彼女を捜すオオカミの声が聞こえ始める。
◆感想
・独創的で、ブラックダークな世界観が炸裂している作品である。
・ストップモーションアニメは、マアマア観て来たが、今作の独創性は「JUNK HEAD」を思い出すし、気色悪さは比肩するモノが無いと思う。
<実際にチリで有った悍ましき出来事とは、切り離して考えても、この作品は極北のストップモーションアニメーションだと思います。>
三匹目の子豚
とあるコロニーの宣伝映像、という体の作品。
罰を受けた理由やその罰が大したことなくてマリアを応援できないのは、それ故の偏向改変か。
主人公マリアが逃げ込んだ家は、はじめは何もない廃屋だったのに、次々と家具や内装が現れてくる。
ストップモーションアニメという手法が、これをそのまま受け取るべきかを迷わせる。
要するに、現実か妄想かの境界が曖昧なのです。
更に、絵画も含めた様々な造形で描かれ常に変容する人物や家そのものが、幻想的なイメージを増長する。
アナとペドロと名付けた豚が、徐々に人間の形を取り、疑似家族を形成していきます。
支配を嫌ったマリアがいつしか“家”の支配者になっていた、というのは皮肉。
逃げ出したとはいえ、コロニーしか知らなかったマリアの常識はコロニーのそれに侵食されていたのでしょう。
反逆されたマリアは、恐れていた“オオカミ”(コロニーの長)に助けを求め、コロニーに戻ってしまう。
洗脳からの逃れがたさを描いているようにも感じます。
コロニア・ディグニダに着想を得た、ということだが、『骨』に比べて前提知識なくても大筋は理解出来る。
しかしその捉えどころの無さは、常に変容し続ける本作の映像とも重なる。
2匹の豚一つ取っても、本当に豚だったのか、何かのメタファーなのか、いくらでも解釈出来てしまう。
前衛的な芸術性にばかり目を奪われそうになるが、意外と深い作品かも。
『Die Blümelein sie schlafen』と言うドイツの子守唄へと締めくくる。
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲を繋いで『Die Blümelein sie schlafen』と言うドイツの子守唄へと締めくくる。
金色の髪の毛と青い目。そして、窓の枠が描かれる寸前に現れるハーケンクロイツがなんとも不気味。
ほとんど、先入観を持たずに見てみた。
しかし、ファシズムをワグナーやオオカミに例えるのは分かりやすいが、なんか逆ヘイトの様に思えてしまえる。ドイツ語の演説を聞くと、ヒトラーの演説を彷彿する事がある。それが怖い。
日本人にうける理由とは?
個人評価:3.7
本国チリより、日本人の方が本作を見ているとの解説がなんとも興味深い。
何故、アリ・アスター同様にこの手の作品が日本人にうけるのか?
宗教・政治・民族学などをホラーの枠組みを使い描く作品。
無宗教・政治無関心の日本人にとって、この手のテーマに免疫がなく、否応もなく魅かれている。
平和な国で育った日本人には、異文化として取り入れたい知識が詰まっている。
本国よりも興行として成功しているのは、そんな部分もあるかもしれない。
本作は無防備で見ると、自身の別の扉が開く。
オオカミの誘惑のまま、不安も恐れもないユートピアに身を委ねたい。
まさに見ようによっては、そんな気分に陥ってしまう。
抑圧された資本主義社会からの解放。学生運動時代のインテリな若者が北朝鮮にあこがれた様に。
マスキングテープ
この映画の制作方法や、テーマの社会的背景については色々なところにたくさん情報があるので触れない。
とにかくすごい映画。「アニメ」の意義と創造性の本質に触れるようだ。
立体の人形はおそらくマスキングテープで作っていると思われる。マスキングテープを使っているという関連しかないけど淺井裕介さんの制作方法を想起した。思えば彼もマスキングテープを貼っては絵を描き、剥がし、立体にし、泥で壁に絵を描き、消しながら描き、最後には消す。
淺井さんの制作をコマドリ撮影したら、おそらくそれは「アニメ」(ものに魂が宿る)ように見えるのだろう。人間の根本的でシンプルな創造性と時間、それを錯覚によって生命のあるようにみせるアニメという手法の繋がりをおもった。
映像は凄かった
どうやって作ったんだ、この映像・・・と、鮮やかな場面展開を夢中で観ていました。
ストーリーはよく理解できませんでしたが、あんなに出たかったコローニャからようやく出ることができて幸せに暮らしてたはずなのに、自分の意志で帰りたいと思うように仕向けられたと考えるとなんだかゾッとします。やや期待しすぎた感。
何気に頭良い
子守唄の魔法がかかる
圧倒的な労力にクラクラきてしまう。
ストップモーションアニメなので、視点がちょっと移動していく場面でも、連続した塗り直しを余儀なくされている。おいおい、どんだけ時間かけてるんだよと想像すると、観ているだけで疲労がたまるが、刷毛の筆致や、絵の具が垂れていく跡を生かしたアナログな味わいは、素晴らしいし好み。
今作は、ピノチェト政権下のカルト的なドイツ人コミュニティを題材にしているとのことだが、冒頭の実写部分と、鉤十字から窓枠を描くという象徴的な表現が一回出てくるだけなので、ナチスうんぬんより、「コロニーは蜜の味」と感じてしまう支配層と被支配層の関係を普遍的に描いた作品という感じがした。
コミュニティの中でミスを犯した被支配者のマリアが、罰から逃れるために、他者の家に住み着いて、今度は自分が支配者になって3人だけのコミュニティをつくるという閉じた入れ子構造の連鎖は、案外、ありとあらゆる所で見られるのではないだろうか。
そうした連想を観る者の内側に生じさせるところが、この作品のアートとしての力強さだと思う。
また、この作品の決着が、マリアが自ら望んで被支配に戻るという所も象徴的で、「ソウルの春」に出てくる「人間という動物は、自分より強い誰かに導かれたいと願ってるんだ」というセリフを思い出した。
実は、かつて劇場で鑑賞したのだが、途中から爆睡してしまい、レビューを諦めていた作品。
今回YouTubeで無料公開との話を聞いて、リベンジした(2025.9.15)が、やっぱり眠気を誘われて、何度も見返す羽目になった。決して退屈な訳ではないのに、それこそ劇中の子守唄の歌詞の通り、目に砂をかけられているみたい。
皆さんはどうだったのかとても興味があります。
盛大に寝てしまった
悪夢のような感じで見ていたら睡魔に誘われて派手に寝てしまった。『地獄の黙示録』のラスト、タルコフスキーみたいに見れば必ず寝る映画はある。これもそのような作品だ。寝かせにきている感じすらあるし、どうすれば眠らずに見られるのか見当もつかない。
壁に塗った絵を消してまた描いて動かすため、前の絵が残っていて残像のようだ。家が狼だったということのようだが、眠ってしまったので物語もよく分からない。しかし、とんでもない手間と時間が掛かっている。
もう一度コンディションを整えて見てもまた寝るだろう。配信で寝る前に見て、眠くなったら止めて次の夜もそうしてちょっとずつ見れば、よく眠れるし、最後まで見ることができるだろう。また、夜中に目が覚めて眠れないときにもよさそうだ。
独特で卓越した世界観
初めての芸術系映画?鑑賞体験でした。
尊敬してる人が、観るって言ってたから、前情報無しで観に行きまして。
「骨」で、ワー!ってショックを受けて、
本編始まって、
うわ凄い。映像系の映画なんだ!
ってなって、
チリの、本当にあったことの抽象映像化作品なのかな???
ってなって、
鑑賞後、実際に存在したコミューンの話を知ってるとより楽しめる、のような情報を目にして、
やっぱりそうなのかぁ。となりました。
ある場所から逃げ出したけど、ある場所で(不適切な環境で)育てられた主人公では、ある場所で育てたような育てかたしか出来ず、生活も立ち行かず、ある場所に戻った。
主人公も、子ブタと同じ存在で、人間じゃなくて動物だった。(と自認した)
って話だったのかな。って思いました。
虐待されて(愛情を感じられない育てられ方で)そだった人が、
愛情のかけ方を知らなくて、
同じように子育てしてしまって、
上手くいかなかった。
って物語と構造は似てるな。って思って悲しくなりました。
最後、主人公が鳥になったところ。
このお話が、主人公から見た世界の印象だとしたら、
「可哀想な子鳥の私」
だし、
自分を人間だって自認できなくて
尊厳を剥ぎ取られて、
動物のように飼い殺し、
だし、
綺麗である程悲しいし苦しい。
もうなんか、堪んない。
悲しいし苦しいし、可哀想で終われるような綺麗な話じゃないよね。
ってなって、頭が痛いです。
人でありたい。って思ったし、
飼い殺しなんてごめんだ。
泥だらけでいいし、幸せじゃなくてもいいから、
自分の力で生きて生きたい。って思いました。
心削られるが手間のかかった素敵な作品
マーリーアー
ざわざわとした質感、ドイツ後とスペイン語の狭間
短編 骨 がまず最初に上映された。フェイクの、人間の骨を使って作られた世界初、最も古いアニメみたいな設定でそのままそれ風にぼろぼろのフィルムという細工で進んでいくので、まんまとハメられる。プリミティブな少女の顔、墓場から掘り起こされた骨たちを操り肉体に戻す。最初はユーモラスで楽しげだがだんだんと固い意志が感じれ遊んでいるのではないなと思う。
一体の骨人間と愛し合っていたのだとわかる、婚姻届にサインをするがその後サインはバックワーズに消えていく。陰謀。
これはよほどチリの歴史、政治の闇の部分に詳しくないと理解できないだろうと、オオカミのパンフレットを見て思ったが、それを知らないとしても権力者であり強者である男たちに人生を破滅もしくは悲哀のものとされた女の物語とわかる。
オオカミの家、ナチス残党が多く住んでいる南米。チリもアルゼンチンも確か多いはず。軍事強権政治、独裁政権であったピノチェトとつるんで、様々な悪事、強制労働、虐待や虐殺、ピノチェトの手先、出先機関としての政治犯の処理などを行ったカルト宗教コロニアディグニタ尊厳のコロニー。
子豚を可愛がりコロニアの規則、労働に従えない少女マリア、子豚を逃げし自らも森の中の家に逃亡。オオカミが、教団が来ることを恐れながら自由を求め、次第に子豚たちを蜜により人間的な肉体に変え知性も知恵もないものにそれを教え込みそうすることで自らも教団コロニアにされたように子豚たちを支配してしまう。子守唄をドイツ語で歌うマリアが悲しかった。
ドイツ語の会話と、スペイン語の会話を聞き分けなければ、真意がわからないと思う。オオカミとの空くうの対話も状況と心理によりスペイン語であったりドイツ語であったりする。その部分がみていてとても疲れる。
逃亡当初、チリ人に助けを求めている。
コロニアの首謀者、元ナチス元ドイツのカルト教団設立者は、やがてコロニアの犯罪が発覚したが、今も宿泊施設などの形で運営が続いているという。
歴史の中の強者→敗者となったものがまた禍々しく強者となり戻ってくる厄災は日本の戦後から今に至る系譜にとあり、チリだけだはなく世界中にあるだろう。人はなぜ自由を求め、そこから道が曲がり人の自由を奪ったり不自由不寛容の選択肢にまた戻ってしまうのか。弱者が強者になれるかもなにか自分より弱いものを支配できるかという幻想妄想を抱かせるシステム。
アニメというより、絵巻物のように、絵画が開いて進行していく独特のディメンションがあり、この連続性がコロニアから逃れ得ないマリアこの世界のシステムから逃れ得ない私たちを閉じ込めていく。次々とあらわれるペイントされた空間、立体物、裁断された素材、、、最初は、これ作っていたら頭おかしくなりそうと思ったが二人組の製作者、ルールを作って楽しく製作されたようでおおらかな二人のインタビューに逆に感銘を受けた。アニメーションの独創性とクオリティだけでも必見。
自由を語る言葉
支配する言葉支配される言葉やがて支配する側になる言葉
個としての自分と集団性を持つ自分
孤独 恐怖 親愛 不安 支配。
全114件中、21~40件目を表示















