劇場公開日 2023年8月19日

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「圧倒的な労力を割いて描かれる、美しい悪夢の世界」オオカミの家 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 圧倒的な労力を割いて描かれる、美しい悪夢の世界

2025年9月16日
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鑑賞方法:VOD

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《シネフィルWOWOWプラス〈週末限定無料公開〉》にて。
【イントロダクション】
とある宗教団体から逃げ出した1人の少女が、森の中で見つけた一軒家で連れ出した子豚達と共に生活する中で、内なる支配性を発露させていく様子を描くストップモーション・アニメーション。
監督は、チリの映像作家であり現代美術家でもあるクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャ。2人は他に、脚本・美術・撮影・アニメーションも手掛けている。

【ストーリー】
チリ南部にあるとある宗教団体。そこで教育ビデオとして発見されたとある映像があった。

かつて教団からマリアという1人の少女が逃げ出した。マリアは森の中を彷徨うと、一軒家に辿り着く。彼女は、そこで出会った2匹の子豚を育てる事にした。彼女は自身の持つ不思議な力を使って子豚に人間の手足を与え、ペドロとアナと名付ける。

やがて人間となったペドロとアナ。マリアは囁く教祖の声と影に怯えつつも、2人の子供達と幸せな日々を過ごしていたのだが…。

【感想】
監督のクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャが、その殆どを2人で、実に5年もの歳月を掛けて創り上げた世界は、まさに“観る悪夢”という表現が相応しい。
驚くべきは、そんな本作のセットは、一般的なストップモーション・アニメーションで用いられるスタジオにミニチュアを製作して撮影されたものではなく、実物大の部屋のセットの中で製作されたものである。その労力に想像を巡らせながら鑑賞するだけでも、一見の価値があるだろう。

また、本作は“ワンカット風のストップモーション”という一風変わった演出も採用しており、それがまた作品に独特な雰囲気を与えている。
描いては消し、作っては崩しを繰り返しながら紡がれていく物語は、絶えずダークでグロテスク、しかし同時に、儚さと美しさが共存している。

本作の元ネタが、ナチスの残党であるパウル・シェーファーを指導者とした宗教団体“コロニア・ディグニダ”である事は既に多くのレビューで語り尽くされているので、大まかな概要だけに留めておく。

“コロニア・ディグニダ(尊厳のコミューン)”はチリに実在した宗教コミューンで、指導者のパウル・シェーファーによる信者の洗脳、及び強制労働や拷問、武器の密輸、政府との癒着など、様々な犯罪行為を行ってきた宗教団体だ。とりわけ醜悪なのは、シェーファーはミソジニー(女性嫌悪)かつペドフィリア(小児性愛者)だった事から、幼い男子に性的虐待を日常的に加えつつ、女子は強制労働に就かせ酷使していたという事だ。

自由を求めて教団から飛び出してきたはずのマリアが、教団と同じく「豚」という弱き存在を育てる中で、自らの内に根付いている教団と同じ「オオカミ」としての差別思想が見えてくる。やがて、育ててきたペドロとアナに命を脅かされそうになると、逃げてきたはずの教団、教祖に救いを求め、再び教団へと舞い戻っていく姿は何と皮肉な事だろう。洗脳の恐ろしさを痛感させられる。
また、この「豚」というのは、教団が幼い少女達をそう呼称していた事にも繋がる。そう考えると、マリアは幼い子供達を連れて教団を飛び出したという事になる。“蜜”という甘言や庇護を与え、自分好みの美しい姿に生まれ変わらせる様子も、優生思想を掲げたナチスの残党であるパウル・シェーファーが指導者となった教団の持つ誤った思想の発露と捉えられるかもしれない。

そんなマリア、ペドロ、アナの声の出演を務めたアマリア・カッシャイの抑えたトーンの演技が良い。内に秘めた差別意識に無自覚で、ペドロ達の世話をまるで施しであるかのように口にする姿も印象的。

それとは対照的に、オオカミの声優を務めたライナー・クラウゼの優しくも不気味なトーンの演技も耳に残る。「マリ〜ア〜♪」と優しく諭すかのように教団へ連れ戻そうとする姿から、本性が垣間見えるラストの「お前も世話してやろうか?」という台詞の緩急が素晴らしい。

細かな演出だが、窓が描画される際、ナチスを示す鉤十字(ハーケンクロイツ)が描かれる瞬間にゾクッとさせられた。

恐らく、エンドクレジット後に映される、子豚に哺乳瓶でミルクを与える女性が、本作の主人公マリアなのだろう。再び教団に戻った後に、あれほどの笑顔で子豚達の世話をしているのだとすると、洗脳の恐ろしさ、根深さというのは計り知れない。

唯一残念なのは、本作の尺が過去の短編とは違い格段に伸びた事で、中盤以降段々と飽きが来てしまった点だ。それは、ストーリー展開に関しても、描いては消し、作っては崩しな独特のストップモーション演出に関してもである。
物語として描かれている事がシンプルなだけに、60分の尺に収まっていればもっと評価出来たかもしれない。あるいは、ストップモーション演出に更なる工夫があれば、飽きずに鑑賞し終える事も出来ただろう。
そういった点から、個人的には監督達の過去作の短編の方が好みではある。

【総評】
他に類を見ない実物大のセットでの撮影という果てしない労力を注がれて作られた恐ろしくも美しい悪夢の世界。実際の事件を基にしているからこそ、そこには単にファンタジーとして消費出来ない棘がある。

その独特な撮影方法から、すぐには新作を望めない監督達ではあるが、現代ホラーの名手アリ・アスター監督が惚れ込んだように、彼らの次回作を心待ちにしたい。

緋里阿 純