「制作系の脳みそには強刺激。」オオカミの家 soleilヾ(´ε`○)さんの映画レビュー(感想・評価)
制作系の脳みそには強刺激。
たしかにアウトプットは禍々しく見えるけど、おとぎ話だった。動く絵本みたいな。
美大や美術系の学校に行ってたり、制作系の人は絶対見るべき。信じられない手法と手間がかかってて空いた口が閉まらない。まばたきも惜しい。
数箇所の美術館で制作風景を展示しながら完成させた、ってもう制作途中からすでに作品としてできあがってるじゃん。ありえない手法で感嘆が止まらない。
そもそも、ストップモーションアニメーションという枠で括るのがちょいと窮屈。
↓監督自らこうルールを決めてるから。
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これはカメラによる絵画である
人形はいない
全てのものは「彫刻」として変化し得る
フェードアウトはしない
この映画はひとつの長回しで撮られる
この映画は普通のものであろうと努める
色は象徴的に使う
カメラはコマとコマの間で決して止まることはない
マリアは美しい
それはワークショップであって、映画セットではない
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作品の大きさもミニチュアじゃなく、1/1の大きさ。
なんで壁に服をかけた状態の上から塗るのか…大変なのをわかった上でのドM体質。
少しずつ塗り替えていく手法から、すこしずつ出来上がっていく彫塑表現、平面から立体、立体の手間には透明の板を使った平面と立体を組み合わせた表現、登場人物の見た目は統一されない。こんな不安定で完成度の高い作品、みたことない。
芸術点は、つまり最高!
その上で物語は、示唆に富んでいる。
チリに存在していた政治家と組んで非人道的な活動をしていたコミューン「コロニア・ディグニタ」をモデルにした作品で、宗教という皮を被った倫理観ゼロのオオカミの洗脳と主従関係、チャイルド・グルーミングを繰り返してはいけない、という激しめな教訓をアートとして昇華して後世に残そうとした作品だと思う。
得てして残っていくのは絵本、しかも怖い方が脳みそには強く刻み込まれる。
マリアは、365日続く無償の強制労働と処罰、性虐待の被害者
オオカミは、コミューンの大人
逃した豚は、戦犯とみなされた人間
家で先にいた豚は、コミューンから逃げ出した人間(黒人や黄色人種)
コミューンでは白人で金髪がよしとされていたぽいので、その見た目ではない戦犯は人間扱いされていなかったのかもしれない=豚として表現して、ペドロとアナを蜜を飲ませて見た目を変えて人間らしい生活をさせたいというマリアの優しさだったのか。
ただ蜜が何を暗喩しているのかがわからなかった。。あれ、なんですか?
寝ると悪夢を見るのは、日常的な虐待・拷問のせいで、産みの親とも引き離されるルールで「家族」という概念が生まれた時からない状態で育つため、ペドロとアナとは家族のような感覚すらなかったのでは。かなし。
でも食べ物がなくなると、ペドロとアナはマリアを食べようとする。
恩を仇で返すような表現だけど、それだけ誰も信用できないし冷静な判断なんてできないくらい虐待・拷問が精神を蝕んでしまうという暗喩なのではなかろうか。
uzさま、コメントありがとうございます!
豚の表現は、「コロニーの教育(思想)」を受け入れるまでは人間としての扱いを受けられない、というメタ?私が教育(思想洗脳)して人間にしてあげなきゃ、て感じでしょうかね…ナチュラル洗脳こわい😭
薬物はコロニーで使われてたのかな…コロニア・ディグニタのドキュメンタリーも見てみようと思います!
今さらコメント失礼します。
“蜜”は、個人的には“教育”と解釈しました。
それも一般的なそれではなく、『コロニー』の思想が滲んだものだった。
それ故に最初は思い通りになったが、マリアの思想も入っていたから反抗にも繋がったのでは、と。
薬物と捉えていた方もいましたし、あくまで一つの説として…