哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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革新的で芸術的な世界観を追究した傑作!
ある意味ベラの復讐物語のようでした。始まりから一定時間は白黒映画になっており、他の映画との格の違いをみせつけられているようでした。エマ・ストーンのゼンマイ仕掛けのような動きが絶妙でした。
フランケン顔のゴッドウィンは、最後どうなったのか気になります。てっきり手術でベラの夫の体を借りて、生き延びるのかと思っていました。
音楽もインパクトがあり、大変刺激的な作品です。
人生をリセットしたいと思った事のある人には何か刺さるものがあるだろう
内容が興味深かったので公開初日に鑑賞。
結論から言うと、まぁまぁ深く考えさせられて面白い。
人生をリセットしたい、生まれ変わったように生きたいと思った事のある人は刺さるものがある。
最初は人形のように歩き精神年齢も幼児のベラが、成長して心が見た目に追いつくようになる。
そして常識や偏見に囚われず純粋な心で物事を認知し世界を生きていく様は面白い。
まぁ途中、身体の大きい幼児のような言動が耐えられない人もいるかもしれんが実際に存在する頭が子供のまま止まった世間の老害たちと比べると、まだベラは賢く聡明に成長していったから褒めるべきである。
そしてベラ役の女優がまた奇抜で鮮やかなデザインのドレスがよく似合う。顔も実験体2号と比べるとやはりオーラがあって2号の女優さんでは越えられない壁がある。
初老のおじさん達との大人のシーン(若いイケメンならまだしもあまりビジュアル的に見たくない)や、グロいシーンが苦手な人はその部分だけ目を閉じて瞑想する事をおすすめする。
不安な不協和音ややたらうるさい効果音もたまにしつこいので大きな音が苦手な人は耳栓を用意した方がいいかも分からん。
ただ全体としては芸術的な映画でとても良かった。
自分を所有物にしようとしてくる男どもを蹴散らす精神もかっこいい。
個人的には船で出会った教養のある知的な2人(白髪の上品なマダムと黒人の人)が好きだった。
そりゃ、アホな色欲好きの初老のおじさんの時間の無駄のような相手するより、美しい夕陽を見ながらバルコニーで本と共に彼らと知的な会話を楽しむ方がベラにとっては価値のある時間の有効活用だったのは言うまでもない。
ただ一点、覗き穴からベラを観察するような描写は何だったのか?
相変わらず自分の理解力のなさにトホホとなる。後で調べてみようと思う。
自由を求める魂
ベラが既存の価値観へのNOを突きつける。
父権主義も、資本主義の非常さも、暴力も、ありとあらゆる理不尽に対して、無垢な眼差しで「これは認めない」という魂の自由。
男女や人種を超えた平等への強い欲求。
生きる術を学んで前に進もうとする強い意志。
セットや衣装、美術もすごいし、カメラワークも素晴らしかった。
閉じこめられている間はモノクロの世界。
冒険に出て世界に触れるとカラーになり。
納得できない事態に遭遇すると、ベラを取り巻く世界が「歪む」「暗くなる」「視界が狭くなる」のをレンズで表現。
決して奇をてらったわけでなく、ベラの心に合わせた描写を作っているだけなのがわかる、ストレートな作りでもありました。
素晴らしいと同時に、観る人間に心のあり方を問い詰める怖い作品だと思った。
自力でちゃんと解釈したい!
夜勤明けで見に行きました。
…が、ちっとも眠くなんてなりませんでした。
突飛だったり、過激だったり、インパクトのあるシーンや展開が目白押しで、エマ・ストーンの演技も見事だし(すでにフランシス・マクドーマンド レベル?)、見終わった後は頭がヘトヘトになるくらい疲れましたけど、スクリーンから目が離せず、テーマや意図は分かりそうで分からず、でも分かったような気もするんです。
荒唐無稽で摩訶不可思議な映画だけれど、何というか誠実さが感じられるんです。
Don't think, feel ! では済まされない何かがありそう。
そもそもタイトルの『哀れなるものたち』…って誰のこと?
この映画、フランケンシュタインがモチーフ?
ファンタジー映画?
フリークス映画?
コメディ映画?
アート映画?
哲学映画?
女性の成長と解放と本音を描いた「行きて帰し物語」?
モノクロシーンとカラーシーンの違いは何?
時代設定は19世紀中頃?
パフスリーブに意味はあるの?
作中、意外に2〜3週間くらいしか時間経過してない?
エンドロールのスライドショーにも意味があるの?
主人公はこの後どうなっちゃうの?内面的に急激な成長をしちゃうけど、それなりの寿命をまっとうできる身体なの?
疑問は尽きませんが、今後ネットでは多くの人が検証・考察を発表していくのでしょう。しかしこの映画は自分の力でちゃんと解釈したい!
そんな気持ちにさせる映画でした。
【鑑賞翌日追記】
まずは基本情報のおさらい。
監督:ヨルゴス・ランティモス(1973年生、公開時50歳)
ギリシャ人!
ギリシャ映画なんてあんまり記憶にないし、映画制作の盛んな国という印象もない…。ちょろっと調べたら、カンヌ映画祭で評価された監督さんは何人かいるっぽい。それにこの監督さんも、出世作は2009年のカンヌ映画祭で受賞してるんですね。
代表作は…
『籠の中の乙女』(原題:Κυνόδοντας、英題:Dogtooth)2009
『ロブスター』(原題:The Lobster)2015
『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(原題:The Killing of a Sacred Deer)2017
『女王陛下のお気に入り』(The Favorite)2018
「聖なる鹿殺し」は見たことあります。緊迫感の塊みたいな凄まじい映画でした。ギリシャ人らしく、ギリシャ神話をモチーフにすることが多い監督さんなのかな。ギリシャではギリシャ神話は小学生の頃から必須科目だと聞いたことがあります。日本人はおろか他の欧米人などと比べても、圧倒的にギリシャ神話に関する素養が深く根付いているのでしょう。
脚本:トニー・マクナマラ(1967年生、公開時57歳)
オーストラリア人。
代表作は…
『女王陛下のお気に入り』(原題:The Favourite)2018
『クルエラ』(原題:Cruella)2021
ということで、ランディモス監督や主演のエマ・ストーンとは盟友って感じでしょうか。
そういえばこの映画、ランディモス監督やエマ・ストーンはプロデューサーも兼ねてますね。主要スタッフの力の入れようが察せられます。
原作者:アラスター・グレイ(1934〜2019、享年85歳)
スコットランド人。現代英文学では相応の重要人物であるようです。原作小説『哀れなるものたち』は1992年に刊行。
出演は…
・エマ・ストーン(1988年生、公開時35歳):ベラ(主人公)
・ウィレム・デフォー(1955年生、公開時68歳):ゴドウィン(人格者だけどマッド・サイエンティスト)
・ラミー・ユセフ(1991年生、公開時32歳):マッキャンドレス(ゴドウィンの助手)
・ヴィッキー・ペッパーダイン(1961年生、公開時62歳):プリム夫人(ゴドウィンの家政婦)
・マーク・ラファロ(1967年生、公開時56歳):ダンカン(主人公と駆け落ちする弁護士)
・クリストファー・アボット(1986年生、公開時37歳):アルフィー・ブレシントン(主人公の本来の夫)
・ハンナ・シグラ(1943年生、公開時79歳):マーサ(船で出会った知的な老女)
・ジェロッド・カーマイケル(1987年生、公開時36歳):ハリー(船で出会った知的な黒人青年)
・キャサリン・ハンター(1957年生、公開時66歳):スワイニー(娼館の女主人)
・スージー・ベンバ(2000年生、公開時23歳):トワネット(黒人娼婦)
・マーガレット・クアリー(1994年生、公開時29歳):フェリシティ(2番目の蘇生実験体)
エマ・ストーン、ウィレム・デフォー、マーク・ラファロのお三方は超有名ですが…
マッキャンドレス役のラミー・ユセフさんはアメリカ生まれのアメリカ人だけど、ご両親はエジプト人でムスリムの血筋…なのかな?この映画の無国籍というかエキセントリックなムードをじんわりと醸し出してますね。ちなみにマッキャンドレスなんて名前は初めて聞きましたが何人の名前?「マッ」で始まるからやっぱりアイルランド人とかスコットランド人の名前?
プリム夫人役のヴィッキー・ペッパーダインさんはイギリスの脚本家・女優。
老婦人マーサ役のハンナ・シグラさんはドイツのベテラン女優。
トワネット役のキャサリン・ハンターさんはご両親がギリシャ人で、アメリカ生まれで、イギリス育ちの女優であり舞台演出家。
この辺はもう経歴充分の超実力派。記憶に刻み込まれるような一癖も二癖も深い奥行きもあるキャラ立ちまくりの重要チョイ役。経歴を知ればあまりに贅沢そして納得の布陣です。
美形キャラの人たちも実績を重ねる実力派揃いで配役に無駄がありません。
製作会社は…
・TSGエンターテインメント
・エレメント・ピクチャーズ
・フィルム4・プロダクションズ
TSGはディズニーグループの外郭企業みたいなもの?
エレメント・ピクチャーズはアイルランドの映画製作会社で、フィルム4は確かイギリス国営放送の系列ですよね。
この映画、ハリウッド映画でもアメリカ映画でもありませんよ。アメリカからも出資はされてますが基本的にイギリス映画です。それにアイルランドの資本も入ってるみたいです。
こういう基本情報が欲しくてパンフレット買っちゃったんですが、私の欲しい情報はあんまり乗ってなくて、結局ネットをあちこち回って調べちゃいました。
そして多国籍なスタッフ・キャストの情報を眺めるうち、ベラの冒険旅行は駆け落ちというよりも、むしろグランドツアーだったのではないかと思うようにはなりました。そして黒人青年ハリーも、パトロン女性と共にヨーロッパを巡るグランドツアラーだったのでしょう。マーサとハリーのプラトニックな関係性、実に興味深い!ここはきっとハリーが黒人であることに惑わされてはいけないのでしょう!これは作品に散りばめられた「めくらまし」の一つだと推測。あるいは当時、もしかするとイギリスに黒人貴族や黒人ブルジョワがいたのかもしれない。その辺、詳しくないので分かりませんが…。
【鑑賞10日後追記】
自力で解釈するため、監督さんの過去作『籠の中の乙女』『ロブスター』『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』『女王陛下のお気に入り』の4本をじっくりと鑑賞完了。
それとは全然関係ありませんが、本作のキービジュアル、エマ・ストーンの顔ドアップの写真なんですけど、はみ出たアイシャドウや口紅の中にウィレム・デフォー、ラミー・ユセフ、マーク・ラファロの姿が映し込まれているのを発見!
この10日間、ヨルゴス・ランティモス漬けでした…。
【およそ1ヶ月後の追記】
改めて本作を見直してみました。
監督さんの過去作を見た後だと、散りばめてある目眩しとか、決まりごとが分かったし、その間に本作のあれこれを反芻する時間も確保できたので、面白さが尚よくわかりましたよ。
女性の成長と解放が描かれていると思っていたのですが…まあ確かに女性の成長と解放ではあるんですが、これは女性に限らず、保護者から保護されてる立場の者すべてが対象で、見えなかったものが見えるようになり、知らなかったことを知り、世界の広さとか、善と悪(モラルと欲望?)とか、自然や社会の摂理なんかを理解すると、それが翻って自分自身を理解することにもつながって、真の「自立」に至る…ってことなのでは?
白黒とカラーの違いはすごく象徴的で、主人公が保護者の設けた「箱庭」に閉じ込められている間は「白黒」。箱庭から飛び出した後は「カラー」となっていて、見えなかったものが見える状態な訳ですよ(章ごとのタイトルが白黒なのは目眩し)。でもこれはあくまで主人公の見え方を表していて、もしかすると他のキャラクターたちは見え方が「白黒」のままなのかも…。世界が「カラー」で見えない人たちこそ、すなわち「哀れなるものたち」なんじゃないかなぁ…という自力解釈に至りましたよ!
傑作か?ただのB級カルト映画か?
映画マニア的な人達からは絶賛されるかもしれないが、一般の映画ファンには受け入れられないかもしれないな。
人の尊厳、宗教、貞節、道徳感などを『ブラックジョーク』という鍋にぶち込んでごった煮にした感じ?
ネタが古すぎるかもしれないが 『ホーリーマウンテン』をちょっと思い出した。
まぁ、あそこまでめちゃくちゃではないが。
エロ満載でSEXシーンだらけだし、作り物だろうが白黒シーンで男性器が少し映る。
まぁ、社会風刺やメタファー的な映像もあり、深い意味を求めれば、いくらでも考察できるかもしれないが、ただの悪趣味な作品と言われればそれまでな気はする。
監督はその辺りの匙加減ギリギリを狙っているのだろうが。
カルトムービーに興味がある人なら観てみるのも良いかもしれないが、『アカデミーにノミネートされたまともな映画』を期待して観に行くと後悔するかも。
問違ってもカップルがデートで観に行く作品ではないな。
作品の評価は人によって大きく偏るだろうね。
一人の女性の冒険譚、成長譚としてシンプルに観た方が良さそう
19世紀末のヨーロッパなどを舞台にした冒険譚、成長譚である。こういった話の場合、主人公がなるべく無垢で無知な方が面白くなる。この映画では主人公ベラの設定に驚くべき仕掛けを持ち込み成長前と成長後の姿に最大の幅をもたせた。
もちろん彼女の冒険と絡めて昔も今も変わらない男性主体の社会への批判がされていることは読み取れる。でもこの映画で一番楽しいのは、ベラが家を離れ初めて立ち寄ったリスボンの場面。SFチックな乗り物が行き来し光と色が炸裂する魅力的な街並み。ベラとダンカンの奇妙ででも活力あふれるダンス。これはおそらく、ベラの視点で見た世界を表現しているのだろうが驚きと喜びに溢れた素晴らしいシーン群です。
その後、パリ、ロンドンと、ベラが成長していくにつれて、批判性は高まり幸福感は薄れていく。世界の実態を知り改善する意欲を持つというのは現実と折り合いをつけるということだからプリミティブな生命力の輝きは失われていくということなのかな。
気づいたこと。ゴッドウィン・バクスターはベラを救命し作り変えた人で、ベラからはゴッドと呼ばれ慕われているのだけど、一から彼女を創造したわけでもなく彼自身の命にも限りがある。つまり本当の神ではない。一方、この映画ではチャプター毎に魚眼レンズで撮影した不思議なシーンが挟み込まれる。私の考えではあれが神の視点ではないか。例えば足を撃たれた将軍を皆で引きずっているという何気ないシーンばかりなのだが、神はそういった平明な日常もちゃんと見ているっていうことではないか。なぜ神の視点を挟み込んでいるかはきちんと説明できないがなんとなくこの映画では必要な感じがしないではない。
そしてエマ・ストーン。アカデミー賞などは正直どうでも良いが、この複雑な構成の長丁場の映画にほとんど出ずっぱりであのテンションの演技を続ける集中力と体力。凄まじいものである。
ひゃっほぅい。
私はドンピシャ。大好きな漫画の世界だったから。
だってピノコだし。愉快痛快ききかいかいの怪物くんの歌が終始頭の中をリフレイン。
絵も作り込まれていてすごく綺麗。
哀れなるもの、それは男。
いろんなものに囚われて可哀想。
女の方が柔軟だよ。そうじゃなければやってこれなかったんだろうけど。
今の時代男性が中世的な感じになってるのは柔軟性を要求されるから?
そして熱烈ジャンプはスポーツ。
だから娼婦をやることに罪悪感なんてない。
いろんな相手が来ちゃうのは困るけど。
まぁお勉強。好奇心のが勝つ。(笑)
でもね、愛を知ったら全く意味が違ってくるんだけど、そこまで描くのは原作と違っちゃうし、まとめるのは難しくなるからここまでなのかな?その方がアカデミーっぽいけどね。
最後元旦那にゴッドの脳を移植するんだと思ったけど、やはりいろいろ揉め事とか起こりそうだからやめといたのかな。
↑
ベラに恋心起こすとか。
相変わらず日本人俳優に変換される私の脳は市川実日子とエンケンでした。
断トツの優しさ
ヨルゴス・ランティモスの作品の中で断トツ優しくてびっくりした。
今までは箱で囲った世界を観察していたのが、パカっと被せていた箱を持ち上げて
うわぁ〜っと自由に広がっていくような気持ちよさ。
最後が後味いいなんてびっくり。だがこれもまた良し。(多分普通の感覚だと激しい終わり方だけど、過去作との比較だと優しい!ってなるよね?)
エンディングの映像がまた気持ちいいの。
ほんとに大好き。映画観るために生きててよかった。
スクリーンを出たあと、地面に膝ついてガッツポーズしたかったし、周りの人によかったですね!面白かったですね!って話かけたくなった。不審者になるのでやらなかったけど。
フランケンシュタイン女版とゆう感じだけど
基本的にフランケンシュタイン側にしか感情移入できない人間としては、この映画の空間は
空気が美味しく、温度もちょうど良く、湿度も最高な空間でまったりしているような気持ち良さがあった。
ほんとに変な映画で最高。
マーク・ラファロの演技が良すぎて大好きになっちゃった。髪むしりながらキレてることで思わず声出して笑っちゃった。それに対してのベラの返事が「国に帰りなさい」なのも爆笑。
ヨルゴス・ランティモスの映画はシリアスに見えてこうゆう瞬間風速的な笑いどころあるのもすき。
女王陛下に引き続き最高なダンスシーンもあったな。
この作品を見る前にフランケンシュタイン(1931)とミツバチのささやき観ててよかった。
生まれ変わるものたち
ヴェネチア国際映画祭金獅子賞。他、多数。
先日発表されたアカデミー賞ノミネートでも11部門。
奇才ヨルゴス・ランティモスが『女王陛下のお気に入り』で組んだエマ・ストーンを今度は主演に迎えて。
そう、ランティモス作品。一筋縄ではいかないのは見る前から想像付く。
今回もまた。概要はズバリ、女版“フランケンシュタインの怪物”。
作風もビジュアルも期待通りの。つまりそれは、好きな人には好きでダメな人には全く。今回もはっきり分かるだろう。
確かにまたまた異色作だが、描かれている事自体は意外やシンプル。これまでのような難解さナシ。
元々『フランケンシュタイン』が好きな事もあり興味も惹かれ、ランティモス監督作の中ではお気に入りになった。
ダーク・ファンタジーでもあり寓話でもある。
入水自殺した若い女性、ベラ。
マッド・サイエンティスト、ゴドウィンによって蘇生。命を絶った時身籠っていた胎児の脳を移植されて…。
ゴドウィンの屋敷には頭と身体は元々別の繋ぎ合わされた珍妙な動物たちが…。衝撃とキワモノ感しかしないが、不思議と我々はベラと一緒になって、ベラが知っていく感情や世界や冒険や成長を体験していく。
蘇生したばかりのベラ。胎児の脳を移植されたので、日本で超人気の名探偵の逆バージョン。
言葉も喋れない。おぼつかない足取り。排泄も一人では出来ない。感情を伝えるには赤子のように声を上げるだけ。
食欲はある。好き嫌いはあるようだが、“食べる”という欲は人間が生まれながらに持つ本能。
次第に人間らしく。人間らしくというのもアレだが、言葉も喋れるようになり、喜怒哀楽もはっきりと。でもこの喜怒哀楽もその意味への理解はまだで、ただその時の感情を表す手段として。例えば、馬車から降りて外に出たいのにダメと言われ、子供のように泣き喚く。
少々、残酷さもあり。小動物を殺す。他への興味も人間の本能。
食べる。寝る。そしてベラはまた一つ新たに見つけた。
感じる。
感受性…ではなく、性欲。一度死んだ身体にも伝わる気持ち良さ。
その先に種の存続もあるが、性欲だって恥じらう事ない人間本来の本能。そうやって私たち人間は遥か昔から存続してきた。
ゴドウィンを“父/ゴッド”とし、助手マックスと婚約し、ベラは屋敷という鳥籠の中で、ツギハギだらけの小鳥として生きていく筈だったが、思わぬ急変。
放蕩の弁護士ダンカンと出会い、彼に誘われるまま、駆け落ち。
世界を見、自分探しの旅へ。
ここから白黒からカラーへ。映像の切り替わりもただ単に過去/現在ではなく、外の世界や自由や広がりもあるようだ。
どうやらダンカンの狙いはただの性欲満たしなだけのようで。
ヤリまくり、ヤリまくり、ヤリまくり…。
エマ・ストーンが初とも言えるフルヌード&激しい濡れ場。喘ぎ声に悶絶。18禁も頷ける。
が、ただのエロ映画ではない。旅の最初の地、リスボン。
ここでベラが知ったのは…
外の世界の美しさ。この後他にも世界の街に赴くが、ベラが初めて見た外の世界という事でその美しさは出色。リアルというより、不思議の国に迷い込んだアリスのようなファンタスティックさ。
映像、美術、エマが着こなす衣装…ビジュアルは秀逸。
街中で聞いた歌声。それに魅了される。
物事の認識、話の受け答えなど徐々にはっきりと。ディナーの席でまだまだマナーはなっていないが、何だか痛快でもあった。
ダンスも踊る。身体を駆け巡るこの躍動。
豪華客船にて。
老婦人と哲学者と出会う。
二人との会話の中で…。
見る/知るだけじゃなく、学ぶ/考える。
二人とのやり取りもなかなかのもの。皮肉屋の哲学者とも。
別れ際の言葉は皮肉屋のこの哲学者を感心させるほど。
赤子のようだった頃とは大変な違い。学び、成長していくも人間の欲する本能だ。
パリ。
この頃、ダンカンとの仲は険悪。
ダンカンは金を無くし、言動も荒れ、ベラに当たる。
ここでベラは驚きの行動。ダンカンに見切りを付け、一人で旅を続けるという。
今までは誰かがいて、従ってきた。もう必要ない。一人で出来る。その機会、挑戦。
決断するという事を知る。
自立するという事を知る。
まあその方法が、若い女性ならばのアレだが、自由や解放、お金を稼ぐ、一人で生きるという事を知る。
その“館”で、他の女たちとも交流を育む。
帰ってきたベラ。
ゴドウィンは病が…。マックスと結婚を。
『フランケンシュタイン』な話で、ハッピーエンド…?
その時、“意義を唱える者”。
元夫だという。ベラ…元の名前はヴィクトリア。死ぬ前結婚していた正真正銘の元夫だった。
ちなみにこれは執念深いダンカンの差し金。
ベラは一旦結婚を中止し、元夫の元へ。
人は時に、過去と向き合わなければならない。
自分に何があったのか。
それを乗り越えずして、新たな幸せは手に入れられない。
すぐ分かる元夫の本性。軍人で、暴力的で支配的。
逃げたって捕まる。逃れるには、もう命を絶つしかない。
それが私の終わりであり、始まり。
以前の私はか弱く、無理だったのだろう。
しかし、今は違う。見て、知って、感じて、学んで、考え、広めて、決断して、自立して、臆する事なく向き合って。
私はもうか弱いヴィクトリアじゃない。
ベラだ!
140分強、エマ・ストーン劇場。
大胆シーンも含め、キワモノ的難しい役所を見事に。
赤子のような序盤から自我と自立した女性を、もうただただ圧巻…!
さあ、2度目のオスカーなるか…!? 『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』リリー・グラッドストーンと一騎討ち状態だが、果たして…?
助演陣もインパクト。見る前はウィレム・デフォーがサイコで、マーク・ラファロがサポート役と思ったが、その逆。デフォーは常人離れも含みつつ、生みの親/父としての眼差し。ラファロの愚かさぶりもさすがの巧さ。
一番我々寄りのラミー・ユセフも好助演。
憎々しい元夫。コイツの最後の姿は本作一番の笑い所だった。
下手すりゃヤベー作品になりそうなものを、唯一無二の世界観と演出で陶酔すらさせられる作品へと昇華させたランティモスの手腕。
賛否両論は必至。もうこれもこの奇才の醍醐味だ。
“哀れなるものたち”とは死から蘇生したベラの事と思っていたが、ただそれだけじゃない。
“ものたち”。ベラ以上に、愚かで哀れな周り。
またはその世界。ベラは旅先で、ある惨たらしく悲しい様を見る。
人生を謳歌する者もいれば、その下の下で、這いずり回る者、苦しむ者、夢も希望も自由もない者…。
歪んだ世界、不条理な世界。
これが求めた自由な世界の本当の姿なのか…?
いや、違う。だったらそこから何かをする。動く。変える。
フェミニズム、差別偏見、格差、多様性…。
私自身も世界も、新たな命を持って生まれ変わる事が出来る。
ラストシーンも人によってはハッピーエンドでもあり、衝撃でもあるが、私個人まさかランティモス作品でこんなにもポジティブにさせられるとは…!
エマ・ストーンの怪演は◎だがタイトルの解釈が自信ない
不気味だけど綺麗な映像とエマ・ストーン
女性版のフランケンシュタインという感じのお話でした。エマ・ストーン演じる主人公ベラ・バクスターは、外科医であるゴドウィン・バクスターの手で胎児の脳の移植を受けて”生まれ変わり”、そのままゴドウィンに育てられる訳ですが、ゴドウィン自身も父親から様々な人体実験を受けていて見た目はまさにフランケンシュタイン。そんなゴドウィン=フランケンシュタインが生み出したのがベラなので、まさに女性版フランケンシュタインでした。
メアリー・シェリーの小説に出て来るフランケンシュタイン同様、ベラが色々なことを学ぶことで名実ともに大人になっていく成長物語と言えば聞こえはいいですが、中盤からベラが放蕩者の弁護士であるダンカンとともに家を出て海外を旅するようになり、さらには生活の糧を得るために娼婦になるに至ってはセックスシーンの連続で、R18+指定もむべなるかなという展開に。ただ胎児から母体への脳移植というショッキングな前提だけでなく、ゴドウィンらによる解剖シーンも多々出て来るので、セクシーというよりうすら寒い不気味さを絶えず感じる作品でした。
ベラが娼婦になることを通じて社会性を身に着け、自我を形成していくというストーリーは(勿論ベラの成長過程には、貧しい者に対する慈愛を育む場面があるなど、他の要素も多々ありましたが)、個人的にあまりピンと来ませんでした。ただ19世紀っぽい雰囲気の中にもSFチックで幻想的な雰囲気の映像は非常に素晴らしく、また緩急を付けた音楽もストーリーや映像にピッタリとマッチしていました。
勿論女性版フランケンシュタインを演じたエマ・ストーンの演技は素晴らしく、表面的に狂気じみていた前半から、様々な経験を通じて知性を身に着け、内面的な美しさを得て行くベラの成長を、実に上手く演じていたと思います。
そんな訳で、今年のアカデミー賞でも有力候補である本作の評価は、★4.5とします。
ピカソの絵画
不協和音
見る側を試す映画
字幕版を鑑賞。1992 年に英国で発表された小説が原作の映画で、2023 年ヴェネツィア国際映画祭最高賞の金獅子賞、2024 年ゴールデングローブ賞の作品賞と主演女優賞など、数多くの受賞で話題となり、アカデミー賞でも3部門でノミネートされた。映画の話題に乗り遅れまいとして原作小説の日本語翻訳本が 2023 年に発売されるという珍しい経過を辿っている。原作は未読である。見た側が試されるような内容を持っている。
世を儚んで川に身を投げた臨月の妊婦の遺体が天才外科医によって拾われ、母親の身体に胎児の脳を移植して蘇らせるという離れ技によって、成人女性に幼児の頭脳を持たせた新たな生命体が誕生したことが話の発端である。脳移植は未だに実現の目処が立っていない医療技術であり、他の臓器に比べて繋がなければならない血管の数などが桁違いであり、一部でも血液の流通が滞ると数分で酸欠死を起こしてしまう。また、移植が成功して蘇ったと仮定して、それは脳の持ち主の人格と見るのか、身体の持ち主の人格と見るのかなど、法律的にも越えるべき大きな問題がある。
脳移植を扱った映画には、「ゲット・アウト」という傑作ホラーもあったが、いずれもフランケンシュタイン級のゲテモノ話になるのが避けられない。本作も決してその流れから逃れることはできていないが、物語の切り口が斬新で、ただのエログロに堕するのを辛うじて避けていた。R18+ というのは、簡単にいうと「成人映画」という意味であり、ボカシのない局部が映っていたりするが、必ずしも嬉しい見せ物ではなかった。
成人女性の体に幼児の脳を入れたために、様々な異様なシーンが続出する。一見すれば狂人に見えてしまうのは、その幼児脳が社会性といったものを一切持ち合わせていないためであろう。モラルがないということは社会的な束縛から逃れられるという意味なのだろうが、それは褒められた自由ではなく、世の中の狡猾な男性の搾取を受けてしまうことにもなりかねない。苦界に身を落とすのに躊躇いがないといったところも、ある意味自由な発想なのだろうが、人間の尊厳という価値観を持たないだけの幼稚さでしかないようにも見える。経済的な価値観の欠如も甚だしく、可哀想な子供に他人の金で施しをするなどというのは滑稽の極みである。
幼児脳の成長は著しく速く、哲学書を読んで難易度の高い用語を駆使して話せるようになるような描写もあるが、本で読んだことが身に付くのは、実体験が価値観のベースにあるからであって、文字情報だけで思想が形成できるというのは、まず絶対にありえない描写であった。こうした現実的でない細々としたことが気になって物語の世界に入り込むのが邪魔された。
一見よく出来た女性解放の話のように見えるが、出来の悪い SF ホラーのようにも見えた。「ゴジラ -1.0」や「ゴールデンカムイ」のように素直に他人に薦めたくなる映画とは同列には語れない映画である。「パラサイト」に最優秀作品賞を与えるような昨今のアカデミー賞のトレンドは、私には全く気に入らないのだが、そういう連中には評価が高そうだというのは察せられた。
音楽は冒頭からチューニングができていない弦楽器の演奏が流れて来て、非常に腹が立った。映画のシーンをなぞるように不快な曲が続き、本当に何度も途中で帰ろうかと思ったほどである。幼児から次第に自己を作り上げていく女性を演じたエマ・ストーンは、プロデュースも兼ねるほど本気で仕事をしていて、その能力は高く評価されるだろうが、初めの頃の野獣のような粗暴な振る舞いは、47 丁を彷彿とさせて不快極まった。他人に薦めたくなるような映画ではない。
(映像4+脚本3+役者5+音楽0+演出2)×4= 56 点。
スチームパンクとゴシックと成長譚
これはホラー?奇想天外過ぎて
フランケンシュタイン博士?アヒル犬?ブタ鳥?
いったい何を見せられているのか???
戸惑いがしばらく続いたモノクロ映像。
どうやら思っていたモノとは違うらしい。
そのうちR18所以の映像のオンパレードに転じたあたりから様相が変わっていく。エマ・ストーンの文字どおりの体当たり演技だが不思議と全くセクシーではない。キテレツ過ぎて色気どころではない。
終盤にはシリアスな展開が待っているのかと思ったが
〆がヤギ人間ではコメディホラーと認定せざるを得ない。私的にエマ・ストーンファンだっただけに複雑な気持ちで映画館を後にした。
気晴らしにゴルフの打ちっぱなし🏌️♀️へ直行⛳️
アカデミーノミネート作品の奇々怪界は今年も続くのでしょうか?😭
08
文句なし!エマ・ストーンの演技からこの作品で伝えたい思いが伝わる。
予告編から楽しみにしていた本作品だが、文句なしこの作品のメッセージが
伝わった。
本作品はとにかくエマ・ストーンの演技が素晴らしかった。何より演技から
強い意志がスクリーンから伝わった。
ヨルゴス・ランデイモス監督作品は女王陛下のお気に入りに続き2作目だが
独創性は監督らしいし、今回はしっかり本作品で伝えたいことがはっきりしていた。
意外と考えさせられる内容。学ぶことによって成長する。唸らされた。脱帽。
ちょっと性描写がきついなと思う場面もあるが、これを吹き飛ばすエマ・ストーンの
怪演に脱帽。
2024年ベスト作品候補にあげたい作品。おすすめします。
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