哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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哀しき世界
まず、自殺した女性のお腹の中にいた子の脳を
自殺した女性に移植して物語が始まると言うありそうで
なさそうな設定に、おっ!と思いました。
その手術を行うゴッドのビジュアルも素晴らしかった。監督ティムバートンだっけ?と思う世界観で
ワクワクしました。
マッドサイエンティストかと思ってたゴッドは
とても父性に溢れてて、
ベラの奇想天外な冒険モノかと思ったら、
ファンタジーな世界で現実の社会の問題を見せたり、
女性が独り立ちして生きる難しさをベラの冒険で見せる
手腕は素晴らしかった。
ところどころ倫理と道徳を超えちゃってて、
笑っていいのか分からないところもありましたが
見応えありました。
ゾンビランドのエマストーンがこんなに素晴らしい女優さんになられるとは思いもしなかったけど、
エマストーンだから出来た魅力的なベラだと思いました。
売春婦になる理由として、
20分で事がすんで残りの時間で世界を知ると言う
発想は、目からウロコと言うか、
スゴくカッコよかったです。
面白い!!
前提として
・3回目(1回目は映画館)。
・ヨルゴス・ランティモス監督の他作品は未視聴。
・原作は未読。
面白い!!
ベラという女性の半生を、圧倒的な成長速度で描いている。半生となると回想とか時系列が飛んだりするものだが、ベラという特殊な存在のおかげで2時間の感覚で納めている。共感と感心を抱かせながら、すばらしい演技力で進んでいくので、空想上の人物・物語とは思えない。
ベラみたいな女性、めっちゃいいよね。ダンカンとの考え方の違いとか結構好き。自由の捉え方とか、恋人とかセフレで終わる男女の関係性とか妙にリアル。
ハリー&マーサと会話しているときの楽しそうな表情とか、マックス&ゴッドとの家族てきな落ち着いた雰囲気とか……ベラという存在を応援したくなる。
世界観は奇天烈、奇妙、だけどどこか美しい。そして時に残酷な一面を見せる。"現実"という概念を具現化したような空間。
音楽も不思議。曲というよりもBGMだろうか。クラシックの一面も感じる。奇妙で奇天烈、だけど温かい。
この作品だからこそ、合う世界観および美術と、音楽。かなり吟味しかつ大胆に創ってある。これだけも一見の価値がある。
曖昧と言えば曖昧だが、そのおかげでベラたち人間の言動が際立って見える。
映像がモノクロとカラーで変化するのも好き。ベラの心情や知識の増加によって広がる世界を、カラーで描いているようにも見える。劇的な感情の変化ともとれる。
後半でゴッドの家が「こんな色していたのか!」と分かるのも楽しい。赤子は生まれた後に色覚が発達していく、と聞いたことがあるがその暗喩もあるのだろう。
セリフはちょこちょこ名言じみたものが出てくるので、会話シーンも楽しい。人生の捉え方とか男女や社会の見方とか、なにかしら変化を与えてくれそう。
知的好奇心も刺激してくれる。
作品のテーマ的な部分として、女性と男性の人間性を描いているように感じた。
ベラを通して赤子・少女・青年・成人の女性像を、マーサで老齢となった女性を、スワイニーで別の道筋を通った老齢女性を。
逆に、ゴッドで父性、ダンカンで性への渇望と支配欲、マックスで誠実さ、ハリーで少年のような幼さ、アルフィー将軍で暴力性、というように複数の男性で一つの男性を描いていいるように感じた。
ベラはもちろんだけど、ゴッドとマックス、ハリーが推し。クリストファー・アボットさんのヤギには笑った。再現度が高すぎる。というか全体的にキャストの面々が演技力高すぎる。
欠点を上げるとすれば、結婚式のあとの展開で少しダレるぐらいだろうか……でもあれは必要なダレ方だと思う。終わり方も良い。
R-18なのはセックスシーンとか性的な描写がモロに出てくるからだけれど、それだけでこの映画を敬遠するのは勿体ない。非常に面白くて考えさせられる。
高校生でも観てほしい。
人間として生きてく上で、少しだけ心を強く聡くしてくれる。そんな作品。
現代版フランケンシュタイン
成人の身体に胎児の脳。
フランケンシュタインの現代版といった趣の話。
テリーギリアムのような魚眼でベラバクスター(エマストーン)の成長をつづっていく序盤、ベラが夢中になるのは、最初は食べ物、つぎは(身体は大人なので)性欲。
身体は大人だけど頭は新生児という描写と、屋敷内を闊歩するキメラ生物。前半は絵として映画的ではあるけれどそれがどうしたというような話だった。
しかしダンカン(ラファロ)と享楽的な旅行に行き、放蕩しながらも社会構造や人間関係を知り、アイデンティティに目覚めていくと、じょじょに歪んだ世界が見えてきて、言ってみればギレルモデルトロからランティモスへ変わっていく感じがあった。
とりわけアレクサンドリアの城塞の高みから地上の賤民を見下ろした時から映画の様相が変わる。それはベラが世界の不平等に憐憫を感じて社会主義的な思想へ傾向した瞬間でもある。
子供の頃「社会主義とか共産主義とはどんな思想なの?」という質問を親にしなかっただろうか。親は「それはみんな平等にするという思想だよ」と答えるので、(子供の)わたしは「それなら社会主義や共産主義のほうがいい思想なんだね」と言う。この会話は子供時代の定番で、そこまでがセットになっている。
実際の社会はそう単純なことではなく富国や自由には資本主義のほうが適しており、そもそもベラが美食と情交三昧の冒険ができたのはダンカンが裕福であったからであり、不平等に突発的な憐憫を感じたのは彼女が世間知らずだったからである。
だが文無しになって娼婦に落ちてもベラの好奇心と生命力は衰えない。ベラの無知はしたたかさであり、生まれたばかりの脳と成人の肉体がもたらす吸収力の速さによってベラはいちじるしい成長をとげる。結果ベラは次第に周りの人間たちを凌駕していく。
映画哀れなるものたちを見ながら考えるのは誰のことを、あるいはどっちのサイドを哀れなるものたちと称しているのか──ということだが、当初は人体実験で生まれたベラが哀れで、つぎに寝取られた婚約者マックスが哀れになり、つぎにベラのデタラメぶりに嫌気がさしたダンカンが哀れになり、やがて死にゆく創造主ゴドウィンが哀れになり、結局映画は出てくる全員が哀れになって「たち」がついている理由を知るのだが、ベラはたくましさを身につけ、やがてじぶんが乗り回している女の肉体の記憶に決着をつける。
というのもベラバクスターに生まれ変わる前のヴィクトリアブレシントンは虐待と恐怖で女を支配するDV夫アルフィーから解放されるために自殺を選んだ──わけである。
川に身投げしたヴィクトリアの溺死体を拾ったのが外科医ゴドウィン(デフォー)。妊娠していた彼女の胎児の脳を移植してベラバクスターを創り上げた。
ベラは世界を回って知識や知恵をつけ、娼館で渡世術とタフさを身につけ、山羊の脳をDV夫のアルフィーに移植して、哀れなヴィクトリアのかたきを討つという輪廻転生、因果応報の復讐劇でもあった。
ただし映画は風刺でもありコミカルでもあり、リアリズムもファンタジーもあるが、ひとつの明らかな主張/命題というよりはそれぞれの見え方に委ねるという話だったと思う。
個人的には回帰を感じた。ランティモスの原点は籠の中の乙女(2009)(Dogtooth、Kynodontas)だと思うのだが、それへ回帰するのを感じた。なんとなく。
籠の中の乙女はArturo Ripstein監督のメキシコ映画El castillo de la pureza(純潔の城、1972)という映画から着想したそうだ。
1972年の映画のプロットはとある夫が外界が家族に害を及ぼすと確信し、妻と3人の子供たちを「純粋さ」を保つために18年間家に閉じ込めている。──という実際にあった事件からつくった映画で、その脆い状況が、子供たちが思春期を迎えていることに気づくと更にグロテスクに歪んでいく・・・。籠の中の乙女もまさにそういう映画だった。
意図的に世界から遮断されて生きているきょうだいが出てくる。その者らは人間社会を知らないのでめちゃめちゃな規範で生きている。そういうプロットや着想が哀れなるものに重なるところがあったのでランティモスが原点回帰した──と思った次第。
imdb7.9、RottenTomatoes92%と79%
映画はヴェネチアで金獅子賞をとりアカデミー賞ではエマストーンの主演女優賞を含む4部門をとったほか多数のアワードや協会で賞をとった。
ストーンは巧いし、眦(まなじり)だけでいろいろ語ってしまうし、だんだん賢くなっていく感じがよく出ているが作品自体が女優賞を獲れるタイプの作品であり役であったとも思う。
つまり俳優というものはみんな巧いわけだから(巧くないなら俳優やっていないわけだから)ストーンがとくべつに巧いというよりは、獲れる作品に出ることや、獲れる作品をつくるランティモスのような才人に好かれることが重要だと思った──のだった。
言いたいのは、本作のストーンは素っ裸になってとんでもない熱演をするが、とんでもない熱演をどうでもいい映画でやってはいけないという話である。
例によって全く無関係のものを引き合いにするがたとえばStrangeCircus奇妙なサーカスでスパゲッティをわしづかみで食べた女優はその熱演が報われただろうか──という話である。日本のうんこみたいな映画で素っ裸の熱演が報われた人がいましたか──という話である。たとえばヘルタースケルターの主演女優にも言えるし日本映画全体に言えることだがクオリティの低い作品で脱いではいけない──と言いたいのと、日本映画での熱演はことごとく徒労に帰するわけだから、俳優に罪はないにしてもかれらを哀れなるものたちと言うことはできるような気がしたという話。
共感しづらく、いまいち響かず
展開としては嫌いではないが…、ベラがいくら脳味噌子供でもここまでモンスター級の破壊行動や破廉恥な行動をするか?とちょっとどん引き。
オーガズムに溺れる描写がやたら長かったのに、貧富の格差に触れたとたん覚醒するのが急すぎて唖然。直前までレストランでうるさい子供を殴って黙らせるとか言っていた割に…。そう、ベラの心情を追体験できないから、共感しづらいのですよね。
父親の実験台になっていた過去を持ちながらも、父親を非難せず愛に飢えた外科医を演じる、ウィレム・デフォーの姿は哀愁を誘う。
ステレオタイプな女性への偏見、男性優位社会への批判、女性の職業の選択肢の少なさ、抑圧、独り善がりな愛を追い求める人間の悲しさ、色々と内包してるけれども、どこか型通りでいまいち響かず。最後のDV男への逆襲はすかっとしました。
人生を味わい尽くす
主人公ベラが、身体的にも精神的にも成長していく様に、釘付けになりました。
いわゆる"エログロ"な部分もありますが、それすらもベラの成長過程の一部に過ぎず、
「あー、今脳の発達レベル幼児位かな?じゃぁこんなことやっちゃうよね」という印象でした。
そんなことより、ベラの『分からないから、行ってみたいし、やってみたい』という純粋な欲求に、なんだか、羨ましさすら感じていました。
もういい歳だから、社会人だから、人の親だから、、
都合のいい言い訳を並べて、どれだけ自分の欲求や好奇心に蓋をしてきただろう、と思わずにはいられませんでした。
人生は楽しむもので、味わい尽くさないと損だ!とベラが教えてくれた気がします。
面白さより不気味さが勝ってしまった
胎児の脳を移植された母親が冒険に出る話。
過去か未来かよく分からない世界観で
お洒落な衣装をまとったエマストーンの
抜群の演技力を見るだけで価値のある作品です。
劇中に出てくる男たちの哀れな姿や落ちぶれようが
面白いのですが、個人的には面白さより
作品全体がもたらす不気味さが勝ちました。
決して悪い意味ではないのですが、
面白かった!という人たちとは感じ方が違うかも。
音楽、カメラワークも世界観にマッチしていて
芸術作品としても素敵な作品でした。
にしても裸多かったなあ、、、
ちゃんとコメディで、そして映像美
最初は破天荒でめちゃくちゃな主人公が成長し、結果的には周りの男性たちが振り回されて狂っていく映画。
最初は彼女を利用しようとしていたり、都合よく解釈していた男たちが自分の固定概念ぶち壊されて崩れ去っていくのがめちゃくちゃ痛快だった。
そして、色彩・映像・音楽すべてが素晴らしかった。
めちゃくちゃ印象に残る映画。
最高傑作
ヨルゴス監督のスーパーノヴァな才能を余すところなく見せつけられた傑作でした。
私はヨルゴス監督に尊敬と共に畏れを禁じ得ない。
このまま健康でアクシデントがなく映画制作を続ければ、
スタンブリー・キューブリックに匹敵する鬼才になり、
このまま進化すれば我々は更なる頂きを見る事になるだろう。
過去作「籠の中の乙女」「ロブスター」「聖なる鹿殺し」
「女王陛下のお気に入り」
その複雑な形態に不穏、不快、不条理などを感じたが、
この「哀れなるものたち」にも一筋縄ではいかない複雑な余韻を感じた。
ヨルゴスが「女王陛下のお気に入り」の成功により、
豊かな資金力と各階の才能を結集して、
エマ・ストーンという勇敢で才能ある女優の協力を得て、
現段階での「哀れなるものたち」という最高芸術が生み出された。
しかしこの映画は単なる女性賛歌ではあり得ない。
ラストのシーン。
自由を得たベラは、ゴッドの後継者たる解剖医になり、
ゴッドがベラに試したような人間改造を進めようとしている。
元夫の暴君のアルフィー将軍は犬のように4足歩行をして、舌で水を飲む
犬人間に成り下がっている。
この結末を喜べますか?
犬にされた人間は「あなたであり、私です」
題名の「哀れなるものたち」
諸説ありそうですが、人間という愚か者たち・・・
①ベラに生きていた胎児を脳に移植手術を施すゴッド(ウィレム・デフォー〕も、
②ベラに金と自由を与えて、進化を手助けしたものの、見事に捨てられる
………………ダンカン(マーク・ラファロ)も、
③ベラ(身投げする前はヴィクトリア)も幼児期から成人して娼館で身を売る経験を
…………………積むエマ・ストーンも。
④ヴィクトリア(身投げする元妻)を束縛・精神的に虐待したアルフィー将軍も、
アルフィー(クリストファー・アボット)は連れ戻したベラの
快楽器官をを切除しろと命じるサイコな男性。
人間は存在そのものが「哀れなるものたち」
そう告げているように私には思えるのです。
蛙とヤギが酷い目に遭う
本編にセックスシーンが必要なのはわかる。だがいちいち女優のプライベートゾーンや表情を写すあたり、どうも演出が男性向けポルノのように感じてしまう。
ストーリーは面白いけどまだ精神の幼いベラをグルーミングする大人ばかりでエグい。
女性が自分の意思で不特定多数の男と関係を持つのも娼婦になるのもダメというわけではないが、性病とか望まぬ妊娠とか諸々のリスクについて誰かちゃんと教えてあげてとハラハラしてしまって、ベラをグルーミングしようとした男がしっぺ返しを喰らうのは痛快だがあまり爽快感はない。
馬車がある近世の話に見えて、独特の衣装や街並みがどこか近未来的なのが魅力的だったな。
一番かわいそうなのは蛙とヤギ、多分。
いやあ、凄かったです。
端から端まで歩いて30分かかる、街ごと全部作ったセット凄かったです。CGで処理する事も出来るのに、敢えて実物のセットが最高でした。
ヨルゴス・ランティモス監督お得意の魚眼レンズ多用のカメラワークもベスの頭の中から見た世界のようで面白かったです。
エマ・ストーンの覚悟の演技、自らプロデューサーもしているので、監督に言われたからではなく自分の意思であの演技を演じきったのだと思います。あっぱれでした。
マーク・ラファエロのグズグズの演技も良かったです。ハンクー!
音楽、ベラちゃんの発音しっかり聞いて下さい。
不協和音から最後のエンディングのオーケストラまでの変化が物語にぴったりでした。エマ・ストーンのしゃべり方もベラの成長に合わせて変わっていきます。
「POOR THINGS」「哀れなるものたち」 「Poor」どうも...
「POOR THINGS」「哀れなるものたち」
「Poor」どうも、物理的に貧しいという意味で捉えてしまう事が多いけど・・精神的というか・・形而上的に「貧しい、可哀想、哀れ」という意味の方が大きいかも。で、原作者は「THINGS」に人か、人を哀れにさせている「事」を投影しているのかは・・わからないけど・・。ベラを通して「哀れな人」がいっぱい出てくる感じ?
で、凄いね・・人の創造力は・・こんな映画も創っちゃう。
フランケンシュタインの女性版かなぁ・・
良くまぁ・・エマ・ストーンは、この役を引き受けた。
成長の過程での微妙な変化を表現する演技力には脱帽・・。同じ映画をオファーされて演じられる日本人の女優はいるかしらん???
最後、なるほど、将軍をアーして、ゴドを・・コーするんだと思っていたら、ヤギだった(笑)
思ったのが・・これ男性バージョンだったら、ただの性犯罪者に育ってしまうのではないかなぁ・・と。
松本人志氏あたりは、もしかして、こんな感じで脳が成長したのかも・と・・・。
評価の高さにびっくり
アカデミーがらみなので観ました。
自分的にはいまいち。
話と言うか言わんとしてるところは
素晴らしさを感じるけど
見せ方はこれしかなかったのかな?
なんかずーっとセックス。
でも、合間に響くような言葉が出てきたり・・・
でもやっぱりそんなにセックスしなきゃいけないの?
って方が先にきてしまう。
観る人を選ぶ作品だなー。
邦題が素晴らしい
成人女性の身体をもつ、純真無垢な少女のロードムービー。
社会の常識を持たず、己が心に正直に世の中を歩いてみると歪んだ世界が待っていた。
少しづつ社会を学んでいく様を、足の運びで表現するなんてみたことない。
Poor Thingsを「哀れなるものたち」と訳した方のセンスが素晴らしい。
そう、この世は哀れなるものたちの世界だから。
現代版「フランケンシュタインの怪物」
Disney+で鑑賞。
ヨルゴス・ランティモス監督の作品は本作が初めましてだけど、「ロブスター」「聖なる鹿殺し 」「女王陛下のお気に入り」のタイトルは知っているし、監督の評判は噂には聞いていた。
本作に限れば、寓話的というか“作り物的”な世界観や色使いは、ウェス・アンダーソンっぽみを感じ?
本作の原作となる1992年に発表されたアラスター・グレイの同名小説は未読なんだけど、橋から投身自殺をしたエマ・ストーン演じる女性の遺体を手に入れた天才外科医ゴッドが、彼女のお腹の子供の脳を彼女の肉体に移植。ベラと名付けて育てつつ経過を観察しているという物語は「フランケンシュタインの怪物」の再構築というか、現代版アップデートという印象だった。
本作の主軸は、主に様々な男たちとのセックスを通してベラが“セカイ”を知り、やがて自己を確立するわけだけど、そこに悲壮感がないのは、それらが常にベラ自身の選択であるからなんだと思う。
逆に、父親に虐待され他の愛し方を知らないゴッドや、無知なベラを思い通りにしようと駆け落ちするも結局ベラに依存していくダンカンなど、本作に登場しする男たちは常に何かに縛られ、不自由な思いをする「哀れなるものたち」だという事が物語を通して明らかになっていく。
そういう意味では哲学的だし、フェミニズム的な物語とも言えるけど、ポップで軽やかな映像世界がそうした思想を上手く包み込んで、観やすくしていると思った。
苦手系かと思いきや。。。
話題作だったので鑑賞。
芸術作品系にありがちなエロとグロとキ○ガイ系のクソおもんない映画かなぁと思いきや。
ベラの成長っぷりがすごくてなかなか面白い✨✨
そんで映像はめっちゃ綺麗😍
マークラファロの情けなっぷりも見もの😂
ベラの成長が色彩として現れていた。
ヴィクトリアは失われ・胎児になり何も知らない・そして外に出たい好奇心を抑えられる鬱憤→モノクロ
やっと外に出れた!・美しさや刺激がいっぱい!→まるで現実をかけ離れたドリームコアのような不思議な色彩
たくさんの知見を得た本当に大人になったベラ→現実世界の色彩
どれも美しい世界観でした。
ドリームコアな世界観は、ベラにとっても「待望の夢のような光景」に見えたからなのかな。
でも一見モリュートコアのような、病みと狂気に満ちた世界観でもあり、さまざまな美学を見せつけられた気がします。
ドリームコアな美学が好きな私にとっては見ていて楽しい映像でした。(音楽もドリームコアっぽい)
お洋服も可愛かったですね♡
………
ベラの成長にフェミニズムとか今の社会現象がとか、無理矢理現代社会の問題を入れ込むレビューを何個も見かけたけど、そんな難しく考える必要もないのかな。と私は思います。
なぜならベラはまっさらな純粋な心で世界を見たいと思い、無知な故の良き悪きはあれども自身の心の赴くままに冒険を続け、純粋な心で惹かれた学問を追求していった。
ただそれだけ。ただ普通の1人の女性の生き様、なのです。
そこに小難しいややこしい“大人の事情”は入らないのではと思います。
その証拠に、ベラは確かに博識になり、賢い思考を持ち合わせました。
だけど、最初から最後まで芯は変わってません。
「知りたいから」「行ってみたいから」「ゴットに会いたいから」
その理由は、子供ながらの好奇心と、家族を愛だけなのではないでしょうか?
………
誰1人まともな人がおらんし、上半身ブルドッグ下半身ニワトリとかの動物もかわいいけど最高にクレイジーだし、最後なんか幸せな日常だね♪みたいな雰囲気出しておいてヤギ人間おるし、シュールだけど
毎秒、毎秒、美しい。
そんな惹かれる世界観でした。
観てよかったです。
人間全てが哀れに感じる映画
まぁ賛否両論あるとは思うけど、素直に面白かったよマ王は😁
てっきり「フランケンシュタイン」の亜種映画だと思って観たら全然見当違いでソコだけかなと(流石は前情報を調べないマ王)
でR18だったけどコレで成人指定は映倫厳しくないか?
エマ・ストーンのSEXシーンをエロティックに感じながら鑑賞する輩も無くは無いと思うけど、マ王は普通に観れたぞ←オカシイのかな?
ていうかこの映画で欲情する人間は哀れだ🤣←エマ・ストーンがそんなに美しくないのかもしれない
グロシーンも思ってたのとは違ったし、つくづく映倫の基準に疑問符だらけなマ王です🌀
内容は一人の女性の成長記であり一人の女性がどれだけ虐げられてるのか(現代でもね)というテーマだと感じたけど、原作読んでないからなぁ😅←感想文だからね
登場人物のほぼ全てが何らかの欠点があり、映画では殊の他に大きく誇張して描かれている😶
その姿に違和感が無いのは転じて自分自身にも存在する部分なんだろうと思ったマ王だったので、自己啓発セミナー的な映画なのかもしれない😵💫
兎に角、エログロを期待して観に行くと肩透かしに合い、内容が理解できたのならハンマーで殴られたような衝撃を受ける映画ではあります✨
でもココの舞台って地球ではないよね😳←コレも見当違いかも
最後までオチを解らせない作りはマ王的には満足でした😁
映画館での鑑賞オススメ度★★★★☆
エログロ度★☆☆☆☆
エマ・ストーンのセクシー度(★は個人に任せます)
ラストが最高。美しいカタルシスがあった。
世界観は、微ファンタジー。(犬アヒルとかいる)
主人公は、お母さんの体に脳みそを移植された赤ちゃん。(可哀想)
その設定すごい可哀想じゃない!???って思ったけど、それが判明するタイミングが良くて、あぁ〜主人公が奇妙な行動してるのは赤ちゃんだったからか〜!と、逆に安心しちゃう妙義。
父に家に閉じ込められてた主人公が、冒険に出かけ、外界に出て、世界は色付き始める。
最初は根源的な快・不快で行動していた主人公が、人と出会いの中、思考を獲得していく様は、まさに人の成長の姿。
セックスが、この映画において重要なモチーフなんだと思うんですけど、
・自慰(快との出会い)
・最初に出会った人との性交(快のあるスポーツ)
・不特定多数の男性への奉仕(仕事)
・恋人との情交(愛情のある性交)
と、描き分けがなされていて、表現が素晴らしい。
R18+の名に恥じぬ描きっぷり。
照れちゃう人は照れちゃうと思うので、御家族と見ると気まずいかも。ご注意を。
んで、恋人が同性なんですが、
男性への奉仕的な娼婦という仕事との対比的な意味もあったのかな?とも思ったんですが、
個人的には、その女の子が恋人なんだ!
からの、自分を理解してくれる男性との結婚へ〜の流れで、
え!?あの子はどうなっちゃうの!???
ってヤキモキしてたんで、ラストが凄く良かったです。
理解者も恋人も(旦那と友人かも?)手に入れて、親との円満な別離を果たし、己の力で外敵を排除し、後続の似た境遇の女の子も成長が見られ、未来への希望を感じる。
外敵って書いたけど、お母さんの旦那さんな訳だから、DV身内ですよね。
銃を突き付けるシーン本当に嫌だった。
「自分の望む回答以外は受け入れないし、場合によっては殺す」って態度は、本当にDVだな。って思いました。
兄さんや、姉さんの旦那さんが、僕が彼らの望まない発言をすると、「ちょっと黙って」って凄い目で言ってくるのを思い出して吐きそうだった。
ラストは強くてしなやかで賢い主人公の明るい未来を感じさせる一枚絵。といった風情でとても良かったです。
満足出来る映画でした。
様々な弊害が待っているかもしれない、でも自由に生きろ
この映画がフェミニズム的だとかそうじゃないとかいう議論があるみたいですけど、そうじゃない気がする。
そういう議論とか昨今の生きづらさとかそういうものからの解放というか、なんかそういうことじゃないのかなと思う。
それは痛い。いろんな嫌なことをほったらかしてしまうかもしれない。
けれどもそれでも自由の方が何倍もいいんだという映画だった気がする。
途中のダンスシーンは踊ってるだけなのに迫力があって泣けた。
映像、衣装、カメラワークなどとても好みでゆめゆめしい映画だった。
嫌な印象持つ人も多そうだけど、よかったです
至福の時間
この辛そうなタイトル
長い上映時間
と避けて通る気まんまんでしたが
尊敬する先輩から勧められて鑑賞
で、観たんですか
いやー楽しかったなあ。
なんといっても
主要登場人物四人全員に感情移入ができてしまうという快挙
ヒロインと駆け落ち犯が不協和音になってゆくところなど双方の感情か伝わってくきて、さらに感情移住が双方に出来るという理想的映画体験。
老婦人と若者カップルや
娼館従業員の皆さんも
みんな素敵に魅力的で
悪い奴って元夫くらいじゃないかしら。
この作品一本背負う悪者ぶりで
(まあ、他に小悪党がいることはいますが)
ラストの
「みんな楽しくハッピーエンド」
の中
まあ駆け落ち犯は出てきませんが
元夫の扱いがあまりといえばあんまりで
これを「笑い」に昇華させるためには極悪ぶりが必要だったのではないか
と、テーマそっちのけで思ってしまいます。
また、このハッピーエンドで一番うれしかつたのは
ヒロインと折合いが悪かった使用人女子が、次の人造人間とは折合いがいい事です。
いやー
こんなに居心地のよい作品と思いませんでした。
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