哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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「抑圧からの解放と世の変革」を夢見ることが許された時代のSFゴシックファンタジー ・・・その後味は最悪!!
19世紀末ヴィクトリア朝時代を舞台としたメアリ・シェリー風SFゴシックロマン?(ま、要するにスチームパンクね)を予感させる冒頭のモノクロシーン。ヴィクトリア朝とくれば「歪なまでに極端に性を抑圧した時代」という認識は私たち日本人にはやや馴染みがうすいかな。何せ、むきだしのままでは余りにセクシュアルだからという理由で椅子やピアノの足にカバーを付けたという時代です。
そんな時代を舞台設定に、母として・妻としての役割に囚われる抑圧から自死という形で解放されようとした女性ヴィクトリア(なるほどヴィクトリアね)が、マッドサイエンティストの手に掛かりベラとして転生、外の世界での様々な経験を経ながら真の解放と世の改革に突き進むことを志す、ざっくり言えばそんなストーリー。
馬鹿な男どもと、あの時代の社会通念の閉塞性を蹴散らしながらのストーリー展開は主演エマ・ストーンの力演、怪演に見事な映像美も相まって爽快、痛快、奇想天外・・・
・・・のはずなのに・・・何だろう、どこか拍手喝采できない感じが付きまとう。
もちろん私も「馬鹿な男」の一人であるが故の居心地の悪さ、気まずさはあります。
けれどそれ以上に私の胸にザワザワしたものをもたらす科学を至上とするストーリー基調。幼いゴッドが父から受けた数々の「実験行為」、それを経て尚も父と同じ道を行くゴッド。無垢な時代のベラも、ゴッドに倣うあまり、死体を刻むことを「学んで」いく・・・更に、ベラは己の転生の秘密を知って尚、最後にはそれをもたらした医学(科学)を我が進む道としてしまう。
そして、ヴィクトリアの夫が現れてからの終盤の展開・・・
はい、ここではっきりしました。僕がこの映画を決定的に相いれないものと思ってしまったワケ。
二人の対決シーン。
傷を負った夫を助けたいとベラが言って、思わせぶりにヤギが映る。
ここで一瞬ですよ、一瞬、僕の心にふと傷ついた夫にヤギの体を与える予感がしたのです。
この男のエキセントリックな性格は、彼自身が本当の愛を受けずに育ったからじゃないか・・・
このサイコパスな男は、実は愛に渇望しているんじゃないか。
だったら、ベラ、彼にはヤギの体を与えて、その無力な動物を愛してやったら・・・
ヴィクトリアが捨てたはずの「母性」で、いや、それ以上に大きな、大げさに言えば「人類愛」のようなもので彼を赦してやったら・・・
やっと安心したように身を寄せてくるヤギの体を優しく撫でてやるベラ・・・
ほんの一瞬、そんな展開を夢見たのです。
甘かった・・・
エンディングで、勝ち誇ったように、美しい庭園でお茶をしながら医学書を読む主人公の傍らに、社会主義に世の変革を展望するあの黒人少女が、そして庭では前夫の体をしたヤギが草を食み・・・。
ベラ、あなたの夫への行いは・・・
転生前の自分への因縁を断ち切る意味で必要だったのかもしれない。それだけの報いを受けるべきゲス野郎かもしれない。けれど・・・ヤギに夫の脳を移植するのではない、夫の体にヤギの脳を移植するというあの仕打ち。科学(医学)のために、死者の蘇生と並んで医術者にとって最大のタブーであるはずの脳の移植にさえ手を付ける。そこに医術の「パンドラの箱」を開けることへの躊躇、葛藤は全く描かれない。
ベラ、あなたは医学の道に進む決心をしたんだよね。あなたはその前にスピノザも読んでいなかった?(僕の見間違いならごめんなさい。一瞬彼女が「エティカ」を読んでいるシーンがあったようなんだけど・・・)
そんなあなたが夫に対して行った行為は、科学でも医術でも「救済」でもない!ただの「復讐」です!!
僕がここまでベラに対して反感を覚えるのは・・・そう数日前、テレビのNewsで、あの
京アニ放火犯の青〇被告の治療に当たったドクターの言葉に胸を打たれたこともあるかな。
「(死刑判決が出た被告には)自分の罪に向き合ってほしかった。どれほど多くの人の命を奪った憎むべき罪を犯した人であれ、医師として治療をしないという選択は私には全くなかった」
感情に流されず、人種、貧困差、宗教の違い・・・あらゆるものに偏見を持たず、ただ目の前で苦しむ命を救うことのみに全力を尽くす、それが医学の道の唯一の真理じゃないの、ベラ?
「哀れなるものたち」鑑賞後のこの後味の悪さ・・・ああ、これに似た後味の映画を思い出しちまった。ブラピ&フリーマンの「セブン」・・・あのラスト、何の救いもない、ただ猟奇殺人犯が勝利しただけのラスト・・・ 「哀れなるものたち」のラストは、或いはそれ以上の嫌悪感をベラに対して抱かせてしまう。
ひょっとしてここまでグロテスクな描写をすることで(それでもどこかに、夫の脳を宿した生物がいるのではと、一応最後の庭園シーンを見つめたんだけど、それらしいものが見つけられなかった・・・)、この主人公にさえ反発を覚えるように、主人公を含めそこにいるすべての者たちを「哀れなるもの」と見下ろす絶望的な視点でこの監督はこの映画を締めくくろうとしているのかしら。もしそれが監督の意図なら、はい、正直にそれを受け入れましょう。
これは、「科学の発展と社会主義」に「抑圧からの解放と世の変革」を無邪気に夢見ることが許された時代のSFゴシックファンタジー。けれど僕は今日、既に、科学技術の発展と社会主義による枠組みがもたらした新たな抑圧された世界を見てしまっている。
医術で「報復」したベラ、あなたの突き進む先には、次の世紀には、「報復」が「報復」を呼ぶ世界が待っている・・・。(今日、様々な国の指導者が「報復」を口にするニュースを何度見せられるんだろう・・・)
この後味の悪さ、2度目に見たら更に苦いものになりそう。だから再鑑賞はないかな。
(スケール感も、ストーリーの派手さも段違いなれど、性のリミッターを外して自らを開放するのに猪突猛進な女性を描いている点でふと似通ったニュアンスを覚えた「春画先生」、こっちの方によっぽど愛おしさを感じてしまう自分って・・・うーんただのキタカナ推し?)
・・・とまあ、総括的にこの映画のネガティブな感想をのべましたが、前時代的な小タイトルをつけた幕間で区切られた各エピソードの中には、ちょっとお気に入りのものも。
それは、あのマーサとハリーの船上エピソード。このカップル、いいですねえ。
性別と、年齢差と、人種の違い、全てを軽々と乗り越えてるこの二人の佇まい。
何度ダンカンに本を捨てられてもスッと次の本を差し出すマーサは「常に学び続けなさい」と教えてくれる、本だけでは世の中は変わらないというシニカルなハリーはそれでも世の中の矛盾、現状から決して目はそらさない。やや超越的な存在として描かれてはいるけれど、「常に学び続けなさい、そして世の中から目をそらさないで」という二人そろってのメッセージが何だかとても胸にきました。(PerfectDaysの平山さんへの当てつけみたいでごめんね)
あと、この監督がこの映画で見せたSFゴシック風の映像センス・・・
ふと、PynchonのGravity’s RainbowやMason & Dixonを映像化させてみたい、と思っちまったよ。
圧倒的ファンタジー
『女王陛下のお気に入り』の映像美が好みでまたコンビを組んだ映画とあらば観てみようかなと、ただエログロだとは聞いていたので気分にそぐわないかもしれないと思いつつ、少々世間に疲れて刺激を欲していたのもあり鑑賞
冒頭から不穏な空気感をまとっているので呑まれそうになったけど、ベラの成長と呼応するように物語に引き込まれて退屈する暇もないという感じ
ベラの純粋?な発言や行動がコメディでもあり、哲学でもあり、打算もなく欲望のままに生きる姿は確かに実験体だ
今作の美術や衣装がまた圧倒的でこの造り物感がファンタジーであることを証明しているようだ
評価が真っ二つに分かれるだろうなとは思うけれど、映像作品として素晴らしい事は間違いないだろう
ラストでがっかり ただのエロいホラーですやん
シュールなSFラブコメディーだって?
いや、違うでしょう
笑うとこなんてないですよね
ラブでもないし
面白かったし、エマ・ストーンも良かったけれど、ストーリーはオーソドックス
それに、長すぎる
コレでアカデミー賞候補だって?
映像や演技とかファッション関連ならわからないでもない
作品賞はありえないと言いたいけれど、アカデミー賞なんて単純思考のアメリカ人のきめる賞だからありえるかもしれない
ストーリーは伝統的なホラー
作りもあえて古臭く作っているのかな
身体が大人の子供が世界を学んでいくわけだが、命の大切さを知り、飢餓を知り、男を女を知り成長していくんだけど、一つ一つは浅いし、目新しい所がないばかりか、結末はなんの学習も無しに、同じことをくりかえす
老人を生き返らせるかと思いきや、最も稚拙な結末のおかげで、作品の目的が既視感のあるただのホラーだった事に気付かされる
老人の死を尊重したとも言えるし、彼のような怪物はもう死ぬべきだと結論づけたのかもしれない
なら、同じ過ちを繰り返すヒロインも死ぬべきなんだよな
でも何も考えない結末に、はっきりいってガッカリでした
昔からよくある、奇をてらったエロいホラーですよ
わざわざ局部見せる必要も無いし、ヘアヌードもいるかね
エマ・ストーンは役者としてはそそる役柄だから、うまくはめられた
アラーキーに丸め込まれてヌード写真集を作られた菅野美穂みたいにね
ゴッド医師の大きな愛
始まりはモノクロ、いつの間にかカラフルな色彩を帯びた世界になっているのは、ベラの脳内世界の反映なのだろう。
美術や衣装が独特で、グロさもエロも相当なものなのでそちらに目を奪われるが、内容は割りとシンプル。
男性優位社会で、女性に求められる社会的態度を一切知らず、破竹の勢いで内面を成長させていく女性が、「オンナは男の所有物」と考える男たちを知らず知らずに破滅に追い込む、ある意味痛快なお話。
ベラには「社会性」がないが、それが故に卑屈になったり他人を羨んだり陥れたりという、周囲から身を守るために身につける様々な処世術や感情がない。女性のみに期待される態度なんて知りようがない。
余計な思慮がない分考えと行動が合理的でストレートなので、お金がなければ稼げば良い。そこで娼婦をするが卑屈じゃないので悲惨さもなく、「仕事」として積極的にカイゼンを提案したりで、むしろ気高い感じがする。
彼女がまっすぐに育ったのは、ゴドウィン医師の育て方にあるだろう。
医師は自身、毒親(というよりキチ親)の科学的(医学的?)興味の実験台にされ凄惨な虐待を受けてきたが、彼はそれを虐待と思っていないようだ。父に恨みを抱いているわけでもなく、事実として淡々と受け入れている。医師自身の興味も行動も異様だが、純粋に科学的・医学的興味からのもので、ヒトとしての性質は全然歪んでいない。(もしかするとヒトらしく負の感情を持つ機会もない育ち方だったかも。)
なのでベラを、どろどろした感情のはけ口ではなく、純粋に科学的興味から蘇生させて育てており、彼女の成長の過程を、できる限り抑圧を排除し彼女が自ら育つままにして、目を細めて見守っている。明らかにヤバい男と出ていこうとするのを敢えて止めないのも、彼女の意志を尊重するから。
これは愛だ。彼は気づいていないだろうが。
二代目クリーチャーに素っ気なくするのも、彼女に思い入れないようにしたいから、というゴッド医師が、何だか可愛そう。
リスボンのあたりまで退屈で早く終わらないかと思っていたが、船の上でマーサ、ハリーと親密になるあたりから盛り返した。ただし、やっぱり長い。
エマ・ストーンの潔い脱ぎっぷり、それどころか組みっぷりが凄い。これだけ経験したらベラの冒険心も満足したんじゃないかと思う。間違いなく18禁です。
マーサは、ハンナ・シグラだったか!
ベラを「創った」天才医師ゴドウィンはマッド・サイエンティストかもだが、大きな愛で彼女を包み、ゴッドの助手でベラの婚約者マックスも、彼女を自身の所有物にする気がなくヒトとして彼女を愛している。彼に目をつけたゴッドは慧眼だ。
幸せの決め手は「愛」だと思った。
時々出てくる、魚眼レンズの目を通してみたようなショットは何なのだろう。
もしかして神(ゴッド)の目!?
カップルで見ちゃダメ
なんか凄いものを見てしまった感。
自殺した女性(エマ・ストーン) マッド・サイエンティストによって自分の胎児の脳を移植され、かくして赤ん坊の脳を持った美女の出来上がり。というとんでもない設定から始まるこの女性の成長物語…なんだけど…。
圧倒的なビジュアル。暴走するストーリー。
絶賛の声も多いけどダメな人も多いだろうな。
傑作であることは認めつつ僕は後者でした。
ゴールデングローブ賞コメディ ミュージカル部門最優秀作品賞。って、断じてどっちでもないけどどういう基準ですか?
人間は哀れなのか
印象的な絵柄の綺麗な映画で、ちょうど良い長さの142分でした。
腰の座った演技のエマ・ストーンが、グイグイと周りを薙ぎ倒しながら最後まで、私を魅了してくれました。
怪優ウイリアム・デフォー、溶けかけたバーターの様なマーク・ラファエロと見応え十分です。
R-18映画の枠いっぱいを使ったビターな映画で、セリフもスムーズでユニークでした。
「性病検査、、、、?」は、そこは気にするんだと笑いました。
エンドロールの映像に見惚れました。
どの様な美術様式なんでしょう。
「クルエラ」の脚本家が担当されたんですね。
さすがでした。
これはもう傑作としか言いようがありませんね
少しばかりの不安を携えて観てまいりました。
結果は大満足、退屈する暇なぞ微塵もなく満喫いたしました。久方ぶりの傑作でございましたね。
言うなれば、『本当は残酷なおとぎ話』みたいなことでした。美しくてグロテスクで、温かくて冷酷な、哀しくもユーモラス、つまり、あらゆる要素を編み込みながら決して破綻することなく息を呑むような見事な織物を仕上げたようなことでした。
広角レンズを多用したりモノクロとカラーを使いこなす手練れは美術をも駆使し、その映像は飽きることがなく、いつまでも浸っていたくなります。
とりわけ、船旅での海のうねりと空の色彩は眼福の極みです。
俳優陣の力量もふくめ、総合芸術たる映画ならではの嬉しい体験でございました。
これだから映画はやめられませんね。
無双のエマ・ストーン
予告編を見てひょっとしたら苦手かも知れないと思ったのですが、予想以上に楽しめました。
とりあえず本作の考察はこれから様々なメディアに溢れる事でしょうから省略しますが、まずは圧倒的な世界観の作り込みや、主演エマ・ストーンの存在感だけでも見る価値があるように思えました。
テーマはまた(まだ)フェミニズムかと思わせながらも昨年見た『バービー』と同様に、更にその先を行くような結末で面白かったです。
でも、どちらも知的エンタメの部類なので観客(大衆)には伝わり辛いかも知れません。
個人的には単純に世界観の個人的な嗜好として『バービー』よりも本作の方が好きです。
作品の印象としては(1900年代が舞台でしたが)個人的には昔のSF小説を読んだ時の楽しさを思い出しました。例えば日本の作家で言うと小松左京ではなく、星新一のショートショートを(一話ではなく)一冊全部読み終えた直ぐ後の頭の中のような、混沌としながらも脳ミソが喜んでいる感覚が甦りました。
しかし本作を見て、アカデミー賞にはまるで興味が無い私でも今回の主演女優賞だけはちょっと気になります。
何の為に生まれて、何をして生きるのか
見た目は大人、頭脳は子ども。逆コナンの主人公が、欲を知り、溺れ、理解するまでの様を描いた人生ロードムービー。客層はカップル、老夫婦の男女2人組が8割を占めていたが、グロいと思っちゃうほど性描写がキツイので気まずくなること間違いなし。ここまで真正面からぶつけてくる映画は中々ないため魅力的だと思う一方で、テーマが若い人向けだからR15+くらいに留めて欲しかったなぁとも思ったり。
それでも、劇中ずっと目が離せなかったのはアカデミーノミネートも納得の絵ヂカラ。絵の具で描かれたような背景と魚眼レンズで捉えられた街並み。その作り込まれた世界観にはずっと酔っていたくなる。生まれた時は希望に満ち溢れ、次第に現実を知り、世界に絶望して、そして新たな希望を抱く。エマ・ストーンの体当たりな怪演と共に、この映画に込められたメッセージは一生忘れられない。
少しでも体調が悪かったら見るのやめた方がいいよ。めちゃくちゃいい映画なんだけど、そんな状態だったら悪化するから。自分みたいに。
生≒性への渇望
モノトーンとカラー、ゴシック調の中世と幻想が混じり合ったような世界観。場面のどこを切り取っても絵画のような作品。
観た後明確には説明出来ない、でも何となく心がスっと整うような感覚がしました。私が女性だったからでしょうか。
一見すると稚拙で奇っ怪で大袈裟で奔放な彼女の言動の中に、残虐で、滑稽で、でも愛らしく、変化と向上心にひたむきな、人の生への渇望が覗き「あー人間って、なんて…」と思う作品です。
最後の「ヤギ」だけは不要な気がしましたが笑
オススメです。
フェミニズム的傑作
矢鱈に魚眼レンズで撮影したり、衣装もセットもなんなら背景も奇妙に美しい映画ながら、そのメッセージは明確かつ現代的。つまり人間の、特に女性の解放とは?!ってこと。新たなフェミニズム的傑作。
そのルックに引きずられがちだが、メッセージはセリフにビックリするほどストレートに込められてるから…
エマ・ストーンがあり得ないくらいに体当たりの芝居を魅せてるし、マーク・ラファロは嬉々としてクソ野郎を演じてるが、ウィレム・デフォーの慈愛に満ちた父親造形には参った。
まぁ女性の解放があんなに性的なもの一辺倒なのか?とは思うが、終盤はかなり知的なものにも振られて行くから良しとする?そういう意味では「アルジャーノンに花束を」的でもあるな。
ベラがもし男性だったら
ベラが男性だったら、つまり大人の男性の肉体に男の胎児の脳を移植していたらどうだろう? ベラのような行動をしても、そんな男もまあいるよねと、あまり違和感は抱かなかったかもしれない。それは女性は簡単に身体を許すべきでないという、女性への偏見があるからなのだろうか? あるいは、男性と違って、いったん妊娠すると1年近く次の子を作れないため、より慎重に相手を選ぶべき、あるいはそういう女性が代々子孫を残す可能性が高いという生物的合理性によるものなのか? 男女は社会的に平等であるべきだと思うが、生物学的にはやはり異なるものであるから生物学的に合理的な行動は男女で異なってしかるべきだと思う。
スチームパンク味の「フランケンシュタイン」
この監督はお初です。だからどんな映画を撮る監督かは何も知らない状態での鑑賞です。
何といってもR18です。もう成人映画の扱いですね。
兎に角、映画館で男性器を見たのは初めてですよ。ダメな方は見るのをやめましょう。と言って見ないのは大変勿体無いほど中々の傑作でした。但し人を選ぶ類いの映画ですけどね。
映画全体から溢れ出る変な感じは懐かしいというか久しぶりに感じたものだ。
ちょっと古い時代のようで異世界感があり、御伽噺のような感じと言えば理解しやすいかな。
そう、あのテリー・ギリアム監督作品の雰囲気が漂っている。
フランケンシュタインへのリブート作品かもしれないな、生まれ変わった脳が0歳児の大人の女性の成長物語をスチームパンクで味付けした感じだ。
天才外科医(解剖学者)が偶然拾った投身自殺した妊婦を実験のため脳死した妊婦に胎児の脳を移植する。彼の屋敷内には豚顔のニワトリ、アヒル顔の犬などを合体させていたが、初めて人間を使った実験をしたのが、主人公のベラ(妖怪人間ベムの仲間のベラ似)です。
産まれたばかりだけど、身体は大人なので当然破壊力抜群の駄々っ子ぶり。ある時、駆け落ちという名の外世界探訪と自分探しに出かけて・・・。
色々経験を積み、世間を知るには結局、風俗かよ!とツッコミたくなりますが。そらそうだよなー。
しかし、経験を積んで人間(大人)らしさを得て戻ってからもひと騒動あります。
エマ・ストーンが頑張ってます。
ガンガン濡れ場もこなしてます。
主演女優賞取れるとイイな。
生々しく清々しい
あまり前情報入れずに見ましたが、とても面白かった!
気味の悪い、でも美しい世界観も良かったし、ベラが見せる変化・色んな表情に見入ってしまった。
どの登場人物も魅力的で、それぞれ「哀れなるもの」なのかなと感じた。
ウィレム・デフォー、好きです!
また「女はイノセンス/男は醜悪」系映画ですか
去年『バービー』でも思ったことだけど、この手のいわゆる"フェミニズム映画"に出てくる女性ってみんな善玉で、一方的に搾取したり束縛したり型にはめようとする悪玉はいつも男性な気がします。でもそれって本来、性別に依存する問題じゃないと思うんです。
もちろん、男性が女性に強いてきた事例の方が多いのは事実だと思うんですけど、やはりあそこまで悪玉が男性に偏ると、どうしても「男はみんなろくでなし」のように受け止めてしまいます。
この極端な構図は、20年前なら「これくらい言わないと分かんないもんな!」と僕も思えたと思います。だけど、例えば去年『TAR/ター』では「結局お前おじさんと一緒やないか」というケイト・ブランシェットを見せられました。搾取構造は性別に起因するものではないと思うのです。
また、一昨年『ドント・ウォーリー・ダーリン』では「女は家にいろ」という男の理想をホラーとして描いていましたが、進んで専業主婦になる女性もいれば搾取構造を支える女性もいました。「男vs女」という単純な構図から脱却した時代になったのだと思いました。
だからこそ『バービー』での「男ってこういうところあるよね」という挑発的な描かれ方や、今作における「男にしか出現しない独占欲とプライド」には「未だに個人の問題を性別に起因しているような描き方をするのか」と辛い気持ちになりました。
女性版アルジャーノンか
「アルジャーノンに花束を」がもし女性主人公だったら、と想像した。
奇妙で毒も多いけれど社会的な課題がしっかり描かれていて、魅力的で目が離せない映像と音楽。チャーリーとチョコレート工場が好きだった人はきっと好きになる映画だと思う。
胸焼けするダークファンタジー
色々なテーマが次々に浮いては、ある時は不気味な音楽やファンタジックな背景に、またある時はエマの景気のいい脱ぎっぷりにケムにまかれて、最終的に綺麗なのか投げっぱなしなのかよく分からない着地を披露。
序盤のベラに魅力を全く感じなかったので、彼女に惚れ込む男性陣にも感情移入できず、どうにも話に入り込みにくかったのですが、これって狙ってやってたのかなぁ…
最初から最後までインパクト絶大な展開が続く、「なんかすごい」としか表現出来ない怪作でした。
エマ・ストーンの体当たりの演技で良しとしよう
何とも不思議な映画です。
綺麗な色使いや景色など映像は観ていて楽しくなります。
内容はR18になっているとおりです。
そこまで激しくしないといけないものかと思いますが
エマ・ストーンの体当たりの演技で良しとしましょう。
人間が進歩・成長していくためには
乗り越えていかなければならないことが多くあります。
主人公のベラは言葉通り体当たりで進歩・成長していきました。
それを見守る天才外科医ゴッドがまさに父親のようでした。
エマ・ストーンはこの演技でアカデミー賞を獲らないとツラいですね。
倫理がぶっ飛んでる 常軌を逸している その枠に収めること自体が烏滸...
倫理がぶっ飛んでる
常軌を逸している
その枠に収めること自体が烏滸がましいような…
でも、そこには100%の圧倒的で純粋な優しさと愛があって、素敵な映画だと思えた。
最初から最後まで倫理はぶっ飛んでるけど
衝撃! 色々な意味で
映画賞でも話題の本作だが、エマ・ストーンが数いるハリウッド女優の中でもお気に入りなので、それだけで楽しみにしていた。
【物語】
ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)は外科医。医学の探求のためには子供をも実験台に使う外科医の父親に育てられ、バクスター自身も何よりも探求を優先する医者となった。結果、天才的な技術と知識を修得したのだった。
バクスターは遺体を引き取り、自宅で解剖して医学探求することが日常だった。あるとき街で美しく若い女性の自殺に遭遇する。遺体を前にしたバクスターは命を失いながらもほとんど損傷していない新鮮な肉体に興奮して持ち帰る。 臨月と思える女性のお腹を見てベクスターあることを思いつく。胎児を取り出し、胎児の脳を女性の脳として移植する。その上で蘇生を試み、奇跡的に成功する。
ベクスターは生き返った女性をベラ(エマ・ストーン)と名付ける。ベラは大人の体でありながら、新生児の脳というアンバランスな人間だったが、言語・歩行・知識等を急速に習得して行った。 バクスターは彼女の成長を研究材料として医学生に日々記録させていた。
あるとき、バクスター邸を訪れた放蕩(ほうとう)者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)は美しいベラに魅せられ、一緒に世界を旅して周ろうと誘う。それまで家の外へ出ることを許されていなかったベラには「世界を自分の目で見たい」という強い欲求が生まれており、バクスターの下から出て行ってしまう。
ベラは、旅の中で常識や偏見の無い少女の目線で、人間の欲求、社会的格差、差別、利己等、人・社会が抱える課題・問題を貪欲に学んでいく。
【感想】
いろいろビックりなのだが、一番はエマ・ストーン。
「大胆なシーン」という記事の見出しは目にしていたが、ここまではとは想像していなかった。どんなかは観て確かめて欲しい。
作品の内容的には観方によっては相当深いものなんだと思う。
思考の浅い俺にも感じられたことは、常識や先入観の無い子供の目線で大人社会に入っていった時に見える大人社会の滑稽さ、矛盾、課題といったところ。
まず性を人間の根源的欲求として捉えているかと思う。確かに動物は種を残し、増やすことこそが最大のミッションだと考えればそうかも知れない。
ベラは性を仕事にして生活に必要な金を稼ぐことに何の罪悪感も嫌悪感も無い。「それが何か?」って感じだ。 それも作者が強く言いたいことだったのか? 良く分からないが。
人の身勝手さや社会格差も浮き彫りにされる。
そう思って観れば、様々なシーンに様々な問題提起がありそう。そういう(シーン1つ1つに作者の意図を探す)見方がお好きな方は答え探しをしながら観るのも良いかも。
俺はそういう見方は得意じゃないので、具体例をあまり挙げられないけど。
そしてラストにはぞっとするような怖さも。
原題はPoor thing
今回の邦題は的確なんだと思う。改めて調べてみるとpoorの意味は「貧しい」が最初に浮かぶが「可哀そうな」という意味があるし、thing には「人」の意味で使うこともあるらしい、知らなかった。
「一番哀れな人はて誰?」というのが、観客への問いかけなのかな?
いずれにしても、「ピュアな目で世の中を眺めたら」を作品にするのに、ベラ誕生の設定を考え付いた作者は凄い。凡人にはとても思いつかない発想。
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