哀れなるものたちのレビュー・感想・評価
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自由への成長
とんでもなくクレイジーな映画だが、物語が進むほどに観るものを深淵に誘っていくような重厚感をまとった作品でもある。
まずベラの誕生が衝撃的だ。
冒頭で彼女は橋の上から身を投げるのだが、天才外科医のゴッドウィンによって彼女が身籠っていた胎児の脳を移植され蘇生する。
身体は成人だが心は生まれたままの状態であり、生前の記憶は一切ない。
ゴッドウィンの助手を務めるマックスは彼女の美貌に一目惚れし、やがて結婚を申し込む。
ベラの成長速度は凄まじいものがあるが、彼女は自分の欲求にとても忠実だ。
特に性欲に目覚めた彼女の行動はストレートだ。
ゴッドウィンはそんな純心でもあるベラを守るために、彼女を家の中に閉じ込めている。
しかし彼女は外の自由な世界を見てみたいという衝動を抑えられなくなる。
そして彼女の前に放蕩者であるダンカンという弁護士が現れ、彼の魅力に惹かれたベラはマックスの制止を振り切って駆け落ちをしてしまう。
ダンカンに誘われてベラはリスボンやパリといったヨーロッパの町を冒険していく。
最初は行く先々で自由奔放に振る舞うベラ。
彼女には社交的なルールなど通用しない。
しかし彼女はダンカンを振り回しながらも、様々な経験を通して急成長を遂げる。
初めは奇抜な世界観は面白いものの、この作品は何を語りたいのだろうかと考えさせられた。
彼女が船上でマルサという老婦人と彼女に付き従うハリーという青年に出会ったあたりから、これは純心なベラの姿を通して描かれる人間の愚かさの物語なのだと考えさせられた。
まだ心が子供のままのベラは、人間の様々な機微を察することが出来ずに浮いてしまっている存在だ。
しかし彼女が知識を蓄え、様々な視点で物事を捉えられるようになってからも、彼女の存在は相変わらず浮いたままだ。
そして気付かされる。
おかしいのは彼女ではなく、他の人間たちなのではないかと。
彼女は飢えのために死を待つだけの貧しい人たちの姿を見てショックを受け、彼らに施しをしようとする。
しかし彼女の真心は悪意ある者によって踏みにじられる。
そしてベラに有り金全部を持っていかれたダンカンは、真冬のパリの町で彼女を口汚く罵る。
ベラは自分の力で生きていくために娼婦として稼ぐことを決める。
最初は遊びのつもりでベラを連れ出したダンカンが、完全に彼女の虜になってしまうのも滑稽だ。
これは女性をあたかも自分の所有物であるかのように傲慢に振る舞う男たちの醜さを描いた物語でもある。
ダンカンは自分の意にそぐわないベラを最後は憎しみの目で見るようになる。
自分の知的好奇心を満たすためにベラを生み出したゴッドウィンもまた傲慢な存在だ。
しかしゴッドウィンがいなければベラの自我が芽生えなかったことも確かだ。
そしてベラは最終的には完全にゴッドウィンの手を離れ、自立した女性として生きていく。
ベラの誕生はかなり現実離れしたものではあるものの、彼女の生き方は人間の本質を表しているのではないかと思った。
人は誰もが自由であり、誰かの所有物ではない。
そしてお互いをリスペクトし合うことで人間関係は育まれていくべきものだ。
悪夢のようでもあり、コメディのようでもあり、ファンタジーのようでもある。
ゴッドウィンの屋敷を走り回る胴体と頭がちぐはぐでグロテスクな動物たちの存在も強烈だった。
ベラの成長を通して見せる世界の不条理
予告編から気になっていたのが流れる音楽。ちょっとずれた音程で奏でられるこのメロディだけでも本作の不思議な雰囲気を十分に感じられる。
近未来っぽいのに中世っぽくもあって、ファンタジーな世界。死亡して間もない女性の遺体に、その人の胎児の脳を移植するというトンデモ設定だからこんな雰囲気の世界にしないと受け入れられない(この世界観でも受け入れられない人はいるだろうけど)。
トンデモ設定だけど、実は一人の女性の成長物語となっている。序盤のベラは脳が幼子なので、残酷で倫理観がなく無礼で本能に忠実だ。とても動物的とも言える。そこからいろんなものを覚えて成長していく過程が面白い。そうだよな、体が大人なんだからセックスを覚えてしまうとあんな感じになってしまうのもわかる。エマ・ストーンの体当たり演技がすごかったし、あんなに見せてるのになぜかエロくはなかった。あの世界観のせいかもしれない。
なかなか不思議でなかなかの冒険物語。ベラという女性を通して見せる世界の不条理はちょっと笑えて結構考えさせられる。予告編を見てイメージしていたよりもはるかに面白い映画だった。
期待度◎鑑賞後の満足度⭐ 最高❗久方ぶりに映画館で👏してしまった。或る意味で映画を変えたと言っても良い傑作。今、この映画に出会えて幸せだ。
※2024.02.04. 2回目の鑑賞【サンシャインシネマ大和郡山】
※2024.02.07. 3回目の鑑賞【ユナイテッド・シネマ橿原】
やはり並外れてユニーク(規格外)でありながら、ほぼ完璧な(フローレスな)映画世界を構築している。
※2024.03.03. 4回目の鑑賞【なんばパークスシネマ】
原作を読んでからの鑑賞。原作も摩訶不思議な小説ながら、そこから本作の様な脚色をしたのも凄いと思う。かなり大胆に手を加えていながらも原作のスピリットは損なわれていない。
どちらが好きかと言われると、私には珍しく映画の方が好き。
①先週投稿したレビューが何故か消えていたので再度投稿しま~す。(意図的に消されたのであれば何故かは何となく分かるので今回はもう少しお上品に…)
②ヨルゴス・ランモンティス監督作品と言えば、
コ、コ、コ、コメディ?!?!
邦題「哀れなるものたち」ってちょっと重くない?
私的には原題の「POOR THINGS」の方がしっくり来た。
公開から少し経ったからか、観客が少なかったので定かではないが。。
私だけずっとクスクスしていた気がして自分の感性を疑った('◉⌓◉’)
へへへ( ̄∇ ̄)
さてさて。
本作についてまずビジュアル面での見所が多い事について触れたい♪
美術や音楽が魅力的で、目も耳も喜んだ!
私が特に目を奪われたのが衣装!
衣装デザイナーのホリー・ワディントンの仕事っぷりがお見事です!
アカデミー賞・衣装デザイナー賞ノミネートも納得!
大げさな程のパフスリーブのショートジャケット、床掃除しまくりの超ロングドレス、ゴージャスなフリンジの付け襟?ケープ?が最高に可愛い。
冒頭のブルーのドレスの青!イエローのミニボトムの黄色!何とも言えぬ美しさ!
その色彩の豊かさ、全てのルックをカラーで見たくなった。
豪華なレースやフリルをふんだんにあしらった数々の衣装!
まるでハイブランドのランウェイを見ているかの様でワクワクした。
男性陣も抜かりなく、中でもゴッドウィンの帽子とコートがレバー色?臓器色?なのがイカしてた٩( ᐛ )و
かなり感激!興奮しました。
そして音楽の使い方も、その時々のベラの心を内を代弁しているかの様で効果的だった。
あのダンスシーンも怒りの感情だけでなく、優雅で不気味で楽しくて激しくて甘くて恐ろしいBGMがとてもマッチしていた。
今後語り継がれる名シーンになるだろう。
冒頭モノクロから始まり、ベラの成長を通して徐々にカラーになっていく演出も奥深〜い!
ベラの世界が広がっていき色付いていく事とシンクロしていて素敵だった。
時折り挟まれる魚眼レンズを通して、世界を歪んで見ているのは誰?と問われている気さえした。
ヴィジュアル面でもかなりのインパクトがあったが、お話しもぶっ飛んでいた。
青いドレスの女性(ヴィクトリア)の人生の終わりから始まる物語。
と、同時に新たな命《ベラ》が始まる物語でもあった。
ヴィクトリアのお腹の傷と共に、ヴィクトリアの人生はベラによって生き直される。
「体は大人、頭脳はベイビー」
無敵ベラちゃん(エマ・ストーン)
その成長過程において「なになに期」
「なぜなぜ期」が訪れる。
(私も子育てで頭を悩ませた)
これは何?あれは何?
なんでなんで?どうしてどうして?
どうして外に出てはいけないの?
なんで性は恥ずかしいの?
結婚って何?
生まれた時から隔離され、社会の異端のベラ。一般的な価値観という概念が無い無垢なベラ。
既存のルールに対する疑問が湧き上がる。
そして、自分で考え純粋に
「こっちの方が良いのでは??」と提案する。
何にも囚われていないベラだからこそ、偏見や差別など無しに行動して行く様が危なっかしいのだが、爽快でもある。
そして「なになぜ期」は型にはまった人間
(私)にとっては実に面倒臭く、時に鬱陶しい。
本作でもベラの問いに「そういうものだから」「ルールだから」と答えベラを型にはめようとする男たち。
男たちの都合よく解釈されたその
「世界のルール」を押し付ける。
男たちはベラを型に押し込めようとするのに、そこから飛び出しているベラに惹かれて行くのも滑稽だ。
ダンカン(マーク・ラファロ)が
最高ww
「なになぜ期」を経て「自分でやってみたい期」のベラは更にパワーアップして正に体も頭も全部使って冒険を続ける。
そこで、男女や貧富の差、偏見、慈愛、束縛、支配、幸せ、解放、様々な事を体験する。
偏見から解き放たれたベラは解放の喜びを知り驚く程に成長していく。
ベラの善意から無一文になった2人はパリに辿り着く。
「良識なんて知るか!」と豪語していたモテ弁護士ダンカンは何も出来ず文句と泣き言ばかりなのに対し、ベラは逞しい。
敢えて批判を恐れずに書こう。
(いや、やっぱり。ゆきはおそれている)
ベラはお金を得るために売春宿で働く。女って。。。すごいな。。って思いました。
男だったらあの状況下でこんなにスムーズにお金を得る手段はあるだろうか。。
しかし、気に食わないダンカンはベラに屈辱的な言葉をぶつける。
「自分で働いて、稼いでいるのよ」
ぐぅの音も出ねぇ〜(°▽°)
正論だ。誰も何か言う権利はないのだ。
雪玉を投げるしか出来ないダンカン。。
チーーーン(°▽°)(°▽°)
そしてベラはゴッドウィンの元へ。
自分の生まれた意味を知り、そのアイデンティティを受け入れる。
(ヴィクトリア)
それが出来たのはゴッドウィン(ウィレム・デフォー)の愛が伝わったからだと思った。
色々アウトなのは確かだが、結局父性に溢れていたんだと思った。
ウィレム・デフォーはその存在がもう実在するゴッドウィンだった!
ずっとベラを心配しながら待っていた、婚約者なのかも不安だったマックス(ラミー・ユセフ)ww
彼の大きな愛は、どんなベラでも受け入れる覚悟を見せた。
きっとベラは本当にマックスを愛する事になるんじゃないかな〜と思った。
ラストは皆んな幸せそうで(アルフィー(クリストファー・アボット)もあの方がきっと幸せw)で、ハッピーエンドかな??
とは言え、
ベラを通して自分の欲求を満たしたい
4人の男(andハリー)
(ジェロッド・カーマイケル)
哀れなるものたちは男だね( ̄∇ ̄)
久々にかなりのインパクトがある新作でした。多くのメッセージが見てとれ風刺も効いていた。
エマちゃんのセックスシーン多い問題は、私は気になりませんでした(^。^)
だってそここそがかなりのテーマ性を含んでいますもん。
船上で出会ったご婦人
(ハンナ・シグラ)存在が神!
私も彼女の様な、成熟した大人の人間になれる歳の重ね方をしていきたいな〜と思いました
٩( ᐛ )و
確実に。映画館で観るべき作品です。
ただの存在として
ジェンダー、女性の生きにくさを描いた作品は昨今、とても多い。
バービーはまだ見ていないが、幾つか見てきた中で本作が一番バランスよく鮮やかだったと絶賛したい。
だいたいグロ、悲惨、痛い、鬱々していただけに、いけいけベラ、どこまでも!
と爽快だった。
色々な現実の側面をいい具合に寓話化。
ンなあほな的SF、ファンタジー要素で美しくかわしつつ直球勝負が見事だった。
ゴッドがベラを実験対象としてのみ期待していた、
女として、子供としてはなく、ただの存在、肉塊として、
それがベラの自己肯定感を爆上げしたような気がしている。
気負わない、縛られることのないベラ、あるがまま、飾り、飾られないベラ、最強。
おかげで巷にありがちな男女の立場の逆転はちりばめられると、
特に船旅パートなど、痛快も一周回ってコメディーでさえあった。
R18だが、かつてなくいやらしさはない。
内へとジクジク掘るではなく、外へ外へ、全てを飲み込むエネルギーに満ちていた本作、エマがとにかくカッコいい。
惚れた。
飲み込んで来た側の人にはきっと、不快だと思うけれど。
とにもかくにも絵面が強い。どこの魔界でロケしたの?というくらい摩...
エマストーンの怪演に酔え!!
原作は読んでおらず、あまり前情報もなく観ました。
『女王陛下のお気に入り』と『籠の中の乙女』の純文学的描写が大好きで、エマストーン主演ということもあり、久しぶりに映画館へ。
この作品は18+ですが、個人的に、エログロ描写は必要十分だった思うので、友人・恋人・家族とも気まずくならないと思います。
ホラーで難解ですが、たまにクスッと笑うこともあります。私は、ブラックジョークに笑うこともところどころありましたが、あまり笑えない人もいたように思います。(「思います」というのも、映画館では誰が笑っていたかも分からないので。)
さて、作品の中身ですが、冒頭から引き込まれる映像でした。
特に音楽、ファンタジー要素もある背景、絵画的色彩が、自分の表現欲を駆り立てました。この良さを他の人に伝えたい、でもどう伝えれば良いのか、自分にはまだ言語化できません。ただ、圧倒的天才が描いた世界がそこにある、という感じです。
この絵画的描写と純文学のようなストーリー、脚本が刺さる人には刺さるはずです。
そして何よりも、エマストーンの息を呑むほどの美しさと演技力に釘付けになり、物語にのめり込んでいくことでしょう。
あらすじは予告でも書かれているので省きますが、この映画は、純粋無垢かつ自由奔放な女性(主人公)が、精神的に成長する中で体験したこと、見たことを時系列に沿って、赤裸々に映していくだけです。ただし、主人公や彼女を取り巻く人物たちは、自分の内面を、自分が気づいている限りは包み隠さずありのまま語っています。行間の読み方、読むか読まないかすら、鑑賞者に委ねらていると思いました。
そういった映画はたくさんあるでしょうが、この作品は特に、セリフが少ない分、そして主人公が白痴な(状態から始まる)分、よりそういった要素が強いです。
「女性であること」、「女性の自由の解放」といったことを主題と置くには、ちょっと物足りなさがあるかもしれません。主人公の女性は、体を売ることになるので。
これは「女性」の解放ではなく、「誰のものでもない自分」の解放です。
前知識が欲しいのであれば、監督の作品を観るよりも、『フランケンシュタイン』を読む、もしくはその映像化作品を観てから行くことをお勧めします。
3〜4日病みました
芸術性とエマストーンの怪演はおそらく誰が観てもほぼ文句無し。だからと言って素晴らしいかというと、細かく考察すればするほど胸焼けして陰鬱になる作品。
リビドー→自我の目覚め→人格形成は誰もがゆっくりと通ってきたはずの道。
ベラは短期間で急速に大人になる必要があったから、むき出しで勢いがあるけど非常に未成熟且つ不安定な状態で、結局社会主義のフェミニストに収まってしまったのが残念。自由を賛美しながら安全地帯に戻り、他者とヤギの自由は奪ってしまうんだから。
女性の権利と自由の獲得という観点だけで言えばひと時代前の今さらなテーマだけど、お金をかけてメジャーなファッション作品に仕上げてアカデミーまで押し上げたようなパッケージ。
幼児から大人に変化していく過程をエマストーンの演技に頼らずもう少し丁寧に描いてもよかったのではないか。ベラを魅力的に見せたいのか、浅薄なフェミニストとして哀れなるものに見せたいのかよくわからなかった。
あとエログロ好きだけど、これは脳内が汚染されました。どうしてくれるんだ!( ´Д`)と怒りの気持ちw
選りすぐりのキ◯メンAVシーンの数々、日本だとこの手のAVあるけどあちらでは無いのかな?敢えてえげつない描写して、どうだキショいやろ!すごいやろ!と言わんばかりの奇をてらった演出に見えた。いや、そのシーンいる?ベラの世界観を理解するには、相手の男の姿はややぼやかすくらいの方がリアルになった気がする。
やっぱりミニシアター系B級実験エログロホラー、この辺りはチープ感があるくらいがちょうどいいとつくづく思った。本気の描写はひたすら気持ち悪い。
この映画を観て、風刺と捉える人と人間讃歌と捉える人がいるようだが、観ている側の自我やイデオロギーを浮き彫りにして認識させるような作品だった。素晴らしい芸術的な映画が観られると期待したけど、自分にはあまりにも価値観が合わなすぎた。
数日考察してたら具合が悪くなったので、ビジュアル的思想的にいろいろ気持ち悪い部分は完無視して、話題の美術展にでも行ってきたくらいのテンションにしてもう忘れたいです。
独創的な世界観に圧倒
主人公のベラは妊婦であったが、橋から身を投げ自殺をするという選択をするのだが、たまたま浮き上がってきた遺体を天才外科医のバクスターによって発見、生まれるべきだった赤子の脳をベラに移植することにより、ベラは奇跡的に蘇生する。
が、身体は大人であれど中身は赤子のために見た目とは裏腹に、大人げないと思われる言動や行動が暫し見られるものの覚える内容は格段に増えていくに連れ、放蕩者の弁護士の誘いを受け、世界旅行の旅に出掛ける。
リスボンではじめてのエッグタルトに感動、アレクサンドラで貧困層の子供達の死を目の当たりにし、パリで娼婦として稼ぎ始める。バクスターの死を目前にしていることを知り、ベラはロンドンへ帰国し晴れて婚約者の外科医と結婚式を挙げるのだが、そこにかつての夫が現れてしまう…。
最初から最後まで、哀れなるものたちのタイトルの意味がわかるぐらい、哀れだなあと思うキャストの連続で、ベラを自殺に追いやった夫も哀れなるものたちの仲間入りを果たすのだが、ベラは記憶を取り戻したことにより改めて復讐を果たしたのだろう。
独創的な世界観も非常に面白く、最後まで見ていて飽きなかった。
セットと衣装とエマ・ストーンの「成長」を楽しむ映画
重い
素晴らしい映画ではあったのですが……
いや、面白かったんですよ。評価も嘘じゃないんです。
役者陣はもちろん、異常に作り込まれた世界観と絵作り、女性の成長譚としての物語にも唸らされました。不協和音気味の音楽は、予告編の時から苦手でしたが、作品にはあってましたし、エグい設定の中で画面を彩るギリギリ不快感を抱かないクリーチャーたちや改造人間たちもいいバランスだったと思います。2時間半あっという間でした。
ただ、心には全然響かなかったです。面白かった、という感情とともに、どこかでクールに突き放して見てる自分もいました。
何とも不思議な映画体験でした。
エンドロールまで最低=最高
「にんげんよ!スバラシイぞおおッ!!」って神視点で抱きしめたくなった。
ニカニカ笑いながら劇場出たら...清水崇がパンフに同じこと書いてやがって悔しっw。
こんな作品の背景美術に『パディントン2』のスタッフ引っ張ってくんの狂気!(褒)
アヒル犬、ブタ鶏が好きすぎる。ブリューゲル!
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あのね。あのですね。
母の体に入れられた娘脳が、カラダ的にタブーなことやり狂う展開がゲキ快感なのよ。
この「けへへへ~ざまあみろお」感、わかる?私はわかる!そしてわかってほしくない!
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ほんでさほんでさ!
オトコが見せたがる景色の!
アラジン気取りで連れてく世界の!
んまぁ~あああ退屈なコト!
退ぁい屈ぅなコトおおおお!
クルーズ!シャレオツなショーパブ!
バイク!競馬!横浜の夜景!(←これ私の)
あるあるぅうううわぁあああ!!!!!(叫)
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「私は非常識で冒険家。受け入れてくれる器が欲しい」テキな台詞があって、脳に直接書き留めたい。
イタリア以降のベラのセリフは一字一句書き留めたい。
字幕の松浦美奈さんが、本作もキレッキレ!
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でも、どことなく監督が、(たぶん)自身の男性的経験を振り返って、テレの自虐と[調子こいてた時に甘えさせてくれた相手]に感謝してる気がして、チャーミングだわ~って感じたお年頃の私です。
娼館のヴードゥーオババ(脱いだらスゴいのw)には私も打ちのめされた。確かに幼かった。反省。
フェミもミソジニーもなく、全員しっちゃかめっちゃか活き活きしてて、ポジティブヴァイブスで、私もすごく救われたし、楽しかった(^O^♪)
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義父のげっぷに耐える養子よ(感涙)。
枯れ専の私的にはベストデフォーでした。下あごの縫い跡に熱烈ジャンプ。
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で、
結末も痛快ながら、
エンドロールがさらに極上で。
観客を神視点に持ち上げたあと、
「...見えんべ?」「...想像すんべ?」
って写真カマしてきて、しっかり地に叩き堕としてくれるからw、打撲に呻きながらおうちまで這って帰れましたとさ。
はい。私もきっぱり、哀れなるものサ。痛つつ(┌;^”^)┐
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(これは相応しくないけど、どうしても書きたい)
エマ・ストーン素晴らしいですけど、見ながらな~んか『岬の兄妹』の真理子を超えないなって...やっぱ常軌を逸した名演でした。
和田光沙さん神!日本の役者ってスゴイとこ到達してるよほんと。
手塚治虫📖ブラック・ジャックへのオマージュ。2024/3/15再見(夢売劇場 サロンシネマ)。初見と全く話だった・・・( ̄▽ ̄;)
🎥ラビレンス、🎥ミツバチのささやき、もちろん🎥フランケンシュタイン、🎥ヒステリア、などのゴシックロマン映画へのオマージュをベースに、手塚治虫の作品賛歌の素晴らしい映画作品となっている
またあらゆる場面や撮影手法に、絵画から写真を経て映画へと進化する様がシンクロしててまさに映像のビルドゥングス・ロマン。セザンヌ、マネ、ルノワール、レンブラント、ゴヤ、エッシャーなどの名画の画面がそこここに散りばめられてるほかに、カメラ・オブスキュラから覗いたかのような画角が何とも言えないセンス・オブ・ワンダ―に誘う。
内容的には手塚先生作家活動30周年記念で始まった📖ブラック・ジャックのスピンオフで、ピノコのその後の物語をベースにしたエマ・ストーン版📖リボンの騎士に扮したピノコの成長譚であると同時に、傑作📖メトロポリスをベースにしたリスボンなどの未来都市を駆け抜ける完全有る手塚漫画へのオマージュとなっている。なんとヨルゴス・ランティモス監督はかように手塚ファンであったのかぁ~思わせる作品。手塚マニアには超お薦め。
と書いたのだが・・、映画仲間から本編の2/3を爆睡しており、全く内容を把握していないとの強い批判があり再見。全く違う話であった・・・手塚の影響は皆無。これは恐らく舞台となった20世紀初頭のヨーロッパにおける女性を取り囲む環境をテーマに国家、宗教、戦争、経済(資本主義)、倫理、科学の持つ支配性、誤謬性などを炙り出し、またその権威によって支配してきた女性の生理や性の目覚め、自由と権利の獲得をテーマに映画いた作品で、🎦ヒステリアや🎦ドリームに通じるテーマを内包する。従来女性の性的抑圧をテーマにした作品は魔女狩りに端を発する歴史を持つヨーロッパでは長い間宗教的に支配する事でオカルトチックもしくは超常現象的な現象として描かれることが多かった。🎦キャリーなどがその典型であろう。しかし本作品における主人公ベラはその生い立ちの設定の奇異さから従来の通説に捉われることなく、歴史上の女性とはかなり違ってまず自由が与えられている。それは神(創造者・父・)によってである。その父もまた時代の背景の中で特殊な生い立ちを持つ。神から与えられた自由を謳歌しつつも、ベラは徐々にその奔放さの中に芽生える知性と如何なる事象に対してもフィルタリングしない奔放さと自由さで人格を形成していく。その様はまるで当時の社会を解剖し検証し再構築しようとするかのように、一切のタブーのない世界から社会の心理と本質を見極めようとする。ベラという一人の女性の経験した二度の人生を通じて、女性が当時置かれていた環境から一度の死を経て再生し、様々な快楽を経験しつつもそこから真の人格を形成する壮大なるビルドゥングスロマン。エマ・ストーンのすべてをさらけ出した演技も相まって圧巻の作品となっている。様々な歴史的絵画やイメージを取り込みながら映像的にも実に実験的なチャレンジをしてそれだけで論文が一つ行けそうな作品でありパフスリーブにスカートやコルセットを合わせない独特のファッションの推移で女性の自立への道が引喩されている仕掛けも注目に値するであろう。まごう事なき傑作。
サイエンスホラーか背徳の狂気か
「抑圧からの解放と世の変革」を夢見ることが許された時代のSFゴシックファンタジー ・・・その後味は最悪!!
19世紀末ヴィクトリア朝時代を舞台としたメアリ・シェリー風SFゴシックロマン?(ま、要するにスチームパンクね)を予感させる冒頭のモノクロシーン。ヴィクトリア朝とくれば「歪なまでに極端に性を抑圧した時代」という認識は私たち日本人にはやや馴染みがうすいかな。何せ、むきだしのままでは余りにセクシュアルだからという理由で椅子やピアノの足にカバーを付けたという時代です。
そんな時代を舞台設定に、母として・妻としての役割に囚われる抑圧から自死という形で解放されようとした女性ヴィクトリア(なるほどヴィクトリアね)が、マッドサイエンティストの手に掛かりベラとして転生、外の世界での様々な経験を経ながら真の解放と世の改革に突き進むことを志す、ざっくり言えばそんなストーリー。
馬鹿な男どもと、あの時代の社会通念の閉塞性を蹴散らしながらのストーリー展開は主演エマ・ストーンの力演、怪演に見事な映像美も相まって爽快、痛快、奇想天外・・・
・・・のはずなのに・・・何だろう、どこか拍手喝采できない感じが付きまとう。
もちろん私も「馬鹿な男」の一人であるが故の居心地の悪さ、気まずさはあります。
けれどそれ以上に私の胸にザワザワしたものをもたらす科学を至上とするストーリー基調。幼いゴッドが父から受けた数々の「実験行為」、それを経て尚も父と同じ道を行くゴッド。無垢な時代のベラも、ゴッドに倣うあまり、死体を刻むことを「学んで」いく・・・更に、ベラは己の転生の秘密を知って尚、最後にはそれをもたらした医学(科学)を我が進む道としてしまう。
そして、ヴィクトリアの夫が現れてからの終盤の展開・・・
はい、ここではっきりしました。僕がこの映画を決定的に相いれないものと思ってしまったワケ。
二人の対決シーン。
傷を負った夫を助けたいとベラが言って、思わせぶりにヤギが映る。
ここで一瞬ですよ、一瞬、僕の心にふと傷ついた夫にヤギの体を与える予感がしたのです。
この男のエキセントリックな性格は、彼自身が本当の愛を受けずに育ったからじゃないか・・・
このサイコパスな男は、実は愛に渇望しているんじゃないか。
だったら、ベラ、彼にはヤギの体を与えて、その無力な動物を愛してやったら・・・
ヴィクトリアが捨てたはずの「母性」で、いや、それ以上に大きな、大げさに言えば「人類愛」のようなもので彼を赦してやったら・・・
やっと安心したように身を寄せてくるヤギの体を優しく撫でてやるベラ・・・
ほんの一瞬、そんな展開を夢見たのです。
甘かった・・・
エンディングで、勝ち誇ったように、美しい庭園でお茶をしながら医学書を読む主人公の傍らに、社会主義に世の変革を展望するあの黒人少女が、そして庭では前夫の体をしたヤギが草を食み・・・。
ベラ、あなたの夫への行いは・・・
転生前の自分への因縁を断ち切る意味で必要だったのかもしれない。それだけの報いを受けるべきゲス野郎かもしれない。けれど・・・ヤギに夫の脳を移植するのではない、夫の体にヤギの脳を移植するというあの仕打ち。科学(医学)のために、死者の蘇生と並んで医術者にとって最大のタブーであるはずの脳の移植にさえ手を付ける。そこに医術の「パンドラの箱」を開けることへの躊躇、葛藤は全く描かれない。
ベラ、あなたは医学の道に進む決心をしたんだよね。あなたはその前にスピノザも読んでいなかった?(僕の見間違いならごめんなさい。一瞬彼女が「エティカ」を読んでいるシーンがあったようなんだけど・・・)
そんなあなたが夫に対して行った行為は、科学でも医術でも「救済」でもない!ただの「復讐」です!!
僕がここまでベラに対して反感を覚えるのは・・・そう数日前、テレビのNewsで、あの
京アニ放火犯の青〇被告の治療に当たったドクターの言葉に胸を打たれたこともあるかな。
「(死刑判決が出た被告には)自分の罪に向き合ってほしかった。どれほど多くの人の命を奪った憎むべき罪を犯した人であれ、医師として治療をしないという選択は私には全くなかった」
感情に流されず、人種、貧困差、宗教の違い・・・あらゆるものに偏見を持たず、ただ目の前で苦しむ命を救うことのみに全力を尽くす、それが医学の道の唯一の真理じゃないの、ベラ?
「哀れなるものたち」鑑賞後のこの後味の悪さ・・・ああ、これに似た後味の映画を思い出しちまった。ブラピ&フリーマンの「セブン」・・・あのラスト、何の救いもない、ただ猟奇殺人犯が勝利しただけのラスト・・・ 「哀れなるものたち」のラストは、或いはそれ以上の嫌悪感をベラに対して抱かせてしまう。
ひょっとしてここまでグロテスクな描写をすることで(それでもどこかに、夫の脳を宿した生物がいるのではと、一応最後の庭園シーンを見つめたんだけど、それらしいものが見つけられなかった・・・)、この主人公にさえ反発を覚えるように、主人公を含めそこにいるすべての者たちを「哀れなるもの」と見下ろす絶望的な視点でこの監督はこの映画を締めくくろうとしているのかしら。もしそれが監督の意図なら、はい、正直にそれを受け入れましょう。
これは、「科学の発展と社会主義」に「抑圧からの解放と世の変革」を無邪気に夢見ることが許された時代のSFゴシックファンタジー。けれど僕は今日、既に、科学技術の発展と社会主義による枠組みがもたらした新たな抑圧された世界を見てしまっている。
医術で「報復」したベラ、あなたの突き進む先には、次の世紀には、「報復」が「報復」を呼ぶ世界が待っている・・・。(今日、様々な国の指導者が「報復」を口にするニュースを何度見せられるんだろう・・・)
この後味の悪さ、2度目に見たら更に苦いものになりそう。だから再鑑賞はないかな。
(スケール感も、ストーリーの派手さも段違いなれど、性のリミッターを外して自らを開放するのに猪突猛進な女性を描いている点でふと似通ったニュアンスを覚えた「春画先生」、こっちの方によっぽど愛おしさを感じてしまう自分って・・・うーんただのキタカナ推し?)
・・・とまあ、総括的にこの映画のネガティブな感想をのべましたが、前時代的な小タイトルをつけた幕間で区切られた各エピソードの中には、ちょっとお気に入りのものも。
それは、あのマーサとハリーの船上エピソード。このカップル、いいですねえ。
性別と、年齢差と、人種の違い、全てを軽々と乗り越えてるこの二人の佇まい。
何度ダンカンに本を捨てられてもスッと次の本を差し出すマーサは「常に学び続けなさい」と教えてくれる、本だけでは世の中は変わらないというシニカルなハリーはそれでも世の中の矛盾、現状から決して目はそらさない。やや超越的な存在として描かれてはいるけれど、「常に学び続けなさい、そして世の中から目をそらさないで」という二人そろってのメッセージが何だかとても胸にきました。(PerfectDaysの平山さんへの当てつけみたいでごめんね)
あと、この監督がこの映画で見せたSFゴシック風の映像センス・・・
ふと、PynchonのGravity’s RainbowやMason & Dixonを映像化させてみたい、と思っちまったよ。
圧倒的ファンタジー
『女王陛下のお気に入り』の映像美が好みでまたコンビを組んだ映画とあらば観てみようかなと、ただエログロだとは聞いていたので気分にそぐわないかもしれないと思いつつ、少々世間に疲れて刺激を欲していたのもあり鑑賞
冒頭から不穏な空気感をまとっているので呑まれそうになったけど、ベラの成長と呼応するように物語に引き込まれて退屈する暇もないという感じ
ベラの純粋?な発言や行動がコメディでもあり、哲学でもあり、打算もなく欲望のままに生きる姿は確かに実験体だ
今作の美術や衣装がまた圧倒的でこの造り物感がファンタジーであることを証明しているようだ
評価が真っ二つに分かれるだろうなとは思うけれど、映像作品として素晴らしい事は間違いないだろう
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