「大人のための動く絵本です、ダリの絵画のよう」哀れなるものたち クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
大人のための動く絵本です、ダリの絵画のよう
まごうかたなき「変態」ヨルゴス・ランティモスの傑作です。豊満な若き女の肉体にベビーの脳を持つ主人公が対峙するのは、ことごとく世の「常識」。カオスな状態から、いったいどちらが変態なのか? が怪しくなるのが本作の妙味。この奇怪なシチュエーションを創造するためにフランケンシュタインの設定を取り入れ。あわせて家父長的ゴッドに対するフェニミズムが芯として作品を支える。これらを圧巻のスペキュタキュラーな映像世界で描き出す、これを傑作と呼ばずしてなんと呼びましょう。
常識を揺るがすために描かれるのは性の悦びで、これが本作の大半を占める変態ぶり。もとより変態と言えば性的嗜好がアベレージを超えた時に使われる言葉。スッポンポンが画面を占めるのはもはや必然でした。ひと昔前の映倫による無謀なるボカシ権力行使も世界の潮流を認識したのか、ブラブラもそのままなのは当然とは言え、有難い。最初は完全に幼児の振る舞いも、成長著しく自らを慰める術を知り、ダンカンと旅に出たら公然と性の悦びを開花させる。この状態は変態で何でもない、当たり前の大人へのステップなわけで。しかし、これをパブリックの場で吐露してしまう辺りが、ベラはまだ幼稚ってわけ。よって軋轢が生じ、セックスにメロメロなのに常識側のダンカンは、ベラをたしなめ防戦一方の情けなさ。
文無しとなりパリにたどり着いたベラとダンカンだが、何も生産出来ないダンカンに替わり。ベラは自ら1人で「生産性」を目指し実践する。アッパレなベラに感動ですね。ここでシークエンスで一挙に変態度をギアアップ、これでもかと観客の常識を揺さぶって来る。この変態釣瓶打ちに何か意味をなんてのは浅はかそのもの、世の男どもの情けなさを笑えばよろし、にもかかわらずベラは一層賢く成長してゆくのですから。
挙句、ロンドンに戻ったところでマックスと予定通り結ばれると思わせて、とんでもない奴がここで登場のどんでん返し。ベラとても、とんでもない行動が選択できる賢さまで備え、父ゴッドのポジションに収まるとは、まるでお伽話。そう、すべては大人のための動く絵本なのでした。
それにしても、めくるめく豊穣なイマジネーションの展開が見所で、ロンドンでのゴッドの家のインテリアから、リスボン、アレキサンドリアそしてパリと、まるで「ダリ」の絵画の世界が怒涛のように画面を埋め尽くす。馬の頭を掲げて薪を炊いて動く蒸気自動馬車なんて、頭がアヒルで胴体が犬って、いったい誰が発想するの? アレキサンドリアのホテルの全景なんて見事、パリの娼館のインテリアなんて、まさに巣窟。女主人の全身タトゥーにはのけぞってしまった。船も海も街並みもなにもかもCGですが、もとより本作は絵本なんですから。
アカデミー賞女優であるエマ・ストーンがオスカー魂で体当たり演技で炸裂です。そしてベテラン個性派ウィレム・デフォーが大胆メイクでフランケンシュタイン役にそれこそピタリとはまる。そして色気ただ漏れのマーク・ラファロが女殺し役にこれまたピタリ、見事なアンサンブルを披露する。本編セリフにもダンカンは男前と言われ、その通りのマークですが、ちょいと歳が行きすぎかと。ヨルゴス監督作の常連であるコリン・ファレルなら、色気ありまだ40代でベターかと。
「Poor Things」、所詮人間なんてpoorなものです。