「「経験」よりも「教育」が大切だと考える自分は、社会的な常識や既成概念に囚われているのだろうか?」哀れなるものたち tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「経験」よりも「教育」が大切だと考える自分は、社会的な常識や既成概念に囚われているのだろうか?
確かに、人間の成長には「経験」が必要だし、だからこそ、父親代わりのゴッドは、娘のようなベラを、世界を知るための旅に送り出したのだろう。
実際、ベラは、リスボンで性欲に溺れ、船上で知性と理性を身につけ、アレクサンドリアで慈愛の心に目覚め、バリで勤労と対価を理解し、ロンドンに戻って自分の過去と対峙することによって、自立した女性へと成長していくのである。
だが、ベラの脳が新生児のものであるならば、「経験」よりも「教育」の方が先なのではないかとも思ってしまう。
確かに、自由奔放な彼女の言動には、世の中の常識や既成概念に風穴を開けるような破壊力があり、そこが、本作の面白さにもなっているのだが、それでも、彼女に必要だったのは、「観察者」や「記録者」ではなく、赤ん坊を育てるような「教育者」だったのではないかと思えてしまうのである。
ただ、こういった感想そのものが、常識や既成概念に凝り固まっている証左なのかもしれないが・・・
それから、いくら本能的で根源的な欲求だからといっても、新生児の脳を持つ女性が、強烈な性的欲求を持っているということにも違和感を覚えざるを得なかった。
ただ、これについては、終盤で、蘇生する前のベラが相当に淫乱であった(らしい)ことが明らかになり、蘇生後も、そうした性分が残っていたのだと解釈すれば、なんとなく納得することができた。
それでも、性的な描写が不必要に多かったという印象は拭えないのだが・・・
ラストの、将軍の顛末についても、あれをハッピーエンドとして片付けてしまうことには抵抗感がある。「殺していない」という事実のためだけに、人間としてではなく、ヤギとして「生かし続ける」ことは、単なる「偽善」なのではないかと思えるのである。
その一方で、父親に人体実験の材料にされたという生い立ちを持つゴッドが、人生の最後に、愛する者たちに囲まれながら息を引き取る姿には、素直に胸が熱くなった。エンディングは、このシーンだけで十分だったのではないだろうか?
いずれにしても、いかにもこの監督らしい奇妙奇天烈な物語で、VFXや魚眼レンズを駆使したビジュアルも楽しめるのだが、それでも、話としては、「ロブスター」や「聖なる鹿殺し」の方が面白かったと思えるのである。
強烈な特殊メイクと相まって、ウィレム・デフォーは、さすがの存在感でしたね。
最初は、悪人なのかと思いましたが、そのうち、ベラのことを自分の娘のように愛していることが分かり、一気に親近感が増しました。
決して愉快な人生ではなかったと思いますが、幸せに満ちた最期を迎えることができ、本当に良かったと思います。