「ゲームのクオリティとチーム日産の発想が融合して生まれたシンデレラストーリー」グランツーリスモ ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
ゲームのクオリティとチーム日産の発想が融合して生まれたシンデレラストーリー
本作の中心にあるのはゲームではなく、本物のカーレースと師弟の絆の話なので、ゲームそのものがどうすごいのか、という細かい説明はさらっと流される程度だ。
それでも、ゲームをやり込んだ感覚がリアルドライビングで通用すること(それはゲームがそこまで緻密に作り込んであることを意味する)、本物のレーサーとしてのセンスを判別するフィルターになり得ていることで、私のようなプレイ経験のない人間にも「グランツーリスモすごい」と思わせてくれる。
ゲーマーが本物のレーサーになるという夢のような、フィクションだったらなろう系に分類されそうな話が実話だというのだからぐうの音も出ない。元をたどれば、ソニーのゲームのクオリティとチーム日産の柔軟な発想から生まれた物語だとも言える。日本人としてちょっと誇らしい(と、全くの部外者だが言ってみる)。東京ロケもそこそこあるし、平岳大も出てくるし、思ったより親近感の湧く要素が多い映画だ。
ゲームをしている時に陥る実車を運転しているような感覚、本物のレースの最中にゲームのコントローラーを操っているように感じるイメージを、ちょっと戦隊モノっぽくも見えるCGでうまく表しているのも面白い。レース中の順位をゲーム画面のように車の上に表示したりする表現は、実際ゲーム繋がりの話なので違和感がなく、かつレース展開が分かりやすくてよかった。
白眉は、レースや事故のシーンの迫力(実際の事故の動画を見たが、そっくり映画の通りだった)と、ル・マンの場面で終盤に向けて緊迫したレース展開とともに高まってゆく高揚感だ。
人間ドラマの面は、師匠であるジャック・ソルターとの絆にかなり重点をおいた描写がなされている。
ル・マンに悔いを残した元レーサーが若い才能に夢を託す。この構造はつい最近「春に散る」でも見たが、師弟愛というのはやはり普遍的なテーマなのだろう。ソルターがもうひとりの主人公という見方もできそうだ。それくらい、彼に関しては丁寧に描かれていた。
当初はシムレーサーがリアルレーサーとして通用するかかなり懐疑的だったソルターが、ヤンの才能と努力を見て考えを改め、彼の味方になってゆくさまは見ていて熱い気持ちになれる。
また、ヤンの真面目な父親の、不器用な愛情も印象的だ。親の気持ちもよく分かる。ゲーム漬けの息子が突然本当のレーシングカーに乗るとか言い出したら、まあ普通の親御さんは止めますよ。
しかし、プロサッカー選手だった父の、何かひとつのことを突き詰めるという気質をヤンが尊敬し、受け継いでいたからこそ、レーサーとして結果を出せたのかもしれない。
一方で、ソルターと父親以外の登場人物は相当描写をはしょった感がある。
クライマックスのル・マン24時間レースよりも前のパートは、かなりちょいちょいかいつまんだ感じで進む。特にGTアカデミーに入ってから選抜されるまでは、10人のメンバーが揃ったと思ったら、あれよあれよという間に減っていき、ヤンとの人間関係はほぼ描かれずモブに近い扱いだった。
ヤンの彼女(名前を忘れた、作品サイトにもパンフにもキャスト紹介がない)はヤンとの血の通った絡みがあまりなく、憧れの女の子がレーサーになったら寄ってきてくれた、程度の扱いで、まるで90年代くらいの映画のトロフィーワイフならぬトロフィー彼女のような扱いだ。この子はぶっちゃけいなくても物語に支障ないのでは?
リアルレーサーのライバルであるキャパも、怒りやすくて、レース中に嫌がらせをしてくる、ただそれだけの人物で描写が浅い。
これはおそらく、最も重要なレースシーンと師弟の絆の描写に尺を取った結果で仕方がないとは思うが、工夫の余地も感じた。
物語と実話の違いをひとつだけ書いておきたい。映画ではレースでヤンが事故を起こし、観客の死に打ちひしがれるがソルターの励ましで立ち直り、その後ル・マンで一念発起、トラウマに打ち勝って結果を出すという流れになっているが、実際の事故はル・マンでの3位入賞の2年後に起こっている。この点が、観客の死に関わる事故を作品の感動のために再構成しているとして、一部批評家から批判されているようだ(Gamingdeputy Japanの記事より)。
このアレンジをどう評価するかは見る側の解釈次第だが、現実に観客が亡くなっている事案かつ物語の要の部分なので、事実との違いは知っておいたほうがよいように思う。
ちょっと批判めいたことを書いてしまったが、映画館で見る価値のある作品であることは間違いない。ゲームのプレイ経験があれば、この夢物語をさらに身近に感じられそうだ。
実際の話は全く知りませんでした。
「ボヘミアン・ラプソディー」でも、時期の前後はあったようですが、こちらは「映画」として見ているので、あまり何も思いませんでした。ただ、言われる通り、人の死が関係しているので、遺族などは、自分の大切な人の死が映画を盛り上げているために使われているようで、いい気持ちはしないのかもしれませんね。