PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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これかなり好きだわ
同じような毎日にちょっとだけのゆらぎ。平凡な日常を繰り返し見せられているのに、なんでこんなに時間を忘れて観入っているんだろうな?と不思議な気持ちになる映画でした。
それにしても役所さん演じる平山氏のなんて可愛らしい事。やけ酒チューハイ3缶と吸い慣れないタバコ買う姿にキュンとくるわ。
私は家事のマイルールが強すぎて、「起きてすぐ布団をたたんで重ねると湿気が…」とか「顔拭いたタオルがヨレてるの直したい」とか「畳の掃除の大雑把さ…」と、どうでもいいところで気になってしょうがなくなり集中が欠ける事多々あり。
平山氏も私とはまた違う強いマイルールがあるんだろうな。彼の過去に何があったのか具体的にはなんの説明もなかったけれど、生きづらさを抱えてきた人である事はよくわかる。
今年最後の映画をこの作品で締められたのはとても良かった。
贅沢な余白…静かに残る余韻
これは夜に観たい作品。
これを見て、余韻に浸って、ベットに横になって眠りにつきたい、劇場からの帰り道そんな風に感じた。
ヴィム・ヴェンダース監督はこれまでも東京の風景を作品に収めているが、これまでで一番優しく映しているように感じた。(ここまで東京にスポットをあてた作品が初めてだからかもしれない。)
誰にでも秘密や問題を抱えている…だけどそれを解き明かすのではなく、そっと日常を追う。
それがどこか心地よい所以かもしれない。
日本ではごく普通の初老男性の日々...
想像するに若い人や海外の方々から見るとこの生き方は物珍しく新しく見えるのかも知れない。還暦をとうに過ぎて年金貰いつつそれでも働き続けている身にとってこの主人公の生き方はいわばデフォルト、多少の差があれ似たり寄ったりの生活、文庫本を古本屋やブックオフで買うか図書館で借りるか、カラオケスナックのママなのか食堂のママなのか、毎日のレモンハイか自宅での一合の酒か、皆とは言わないが誰しもが何らかの埋めきれない喪失や敗北感を抱えつつも音楽、世代的にはロック、で鼓舞しながら生きていく。この映画の救いは姪っ子の存在とスナックママとの微かな希望。なんと言っても役所さんだからどう転んでもモテない訳が無い。そこにまだ希望が有る。さて我々一般初老の男達はどうか?と言うと皆さんそれなりにUpgradeしながら満喫されていますよ、大きな喪失をたとえ抱えながらでも。何故ならそれが生き残って居る自分の宿命で有るから。
足るを知る男の日常
都内の公衆便所を清掃する男の日常をただひたすらに切り取った映画。
スクリーンを通して映し出されるこの映画にはドラマチックな脚本や展開などはない。
そういう意味ではこの映画はこれまで鑑賞してきたような映画とは全く一線を画すと強く思った。
なのにも関わらず込み上げてくるこの幸福感は何だろうか。
ただ自分の生活に満ち足りた男の生活の様子を眺めているだけなのに何故だろう心から"羨ましい"と思った。
どこにでもあるようなこの日本人の日常を外国人の監督が見事な芸術作品に昇華させたこと自体に脱帽。
年の瀬にこのような作品に出会えたことに感謝。
また観たいと思う。
平山さん
人生の豊かさ、普通の生活、人との関わり
無口な平山さんは言葉は少ないが目と表情で
表現する。もしかしたら、若い頃何かしらが
あり自分らしく生きる為にトイレの清掃業
を始めたのかもしれない。
朝早く自然の時間で起床し職場への準備をする。
苗木に水をやり、コーヒーを買い車で出発。
今朝の気分で好きなカセットテープで音楽を聴く。空をいつも見上げている。
毎日同じようにしてるが、一瞬一瞬が違うから
大切に生きて感じてるんだろう。
都会で働きながら、彼だけ森の中でゆったり
過ごしている感じもする。
古書店、銭湯、カメラ屋、行きつけの飲み屋
彼らしい満足の日々に少しずつ色々な人が紛れ込む。その交差具合も絶妙。
役所広司さんと三浦友和さんの影踏みは
ほっこりする。水際の水音も心地良い。
姪っ子ニコが『あの木はおじさんの友達?』
は心優しい豊かなセリフは好きだったなぁ。
平山の『この世界には沢山の世界があるが
繋がっているように見えて繋がってない世界がある』の言葉は深い。
アニマルズ、オーティス・レディング、パティ・スミス、ヴァン・モリソン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニーナ・シモン、ルー・リードの劇中曲は最高であった。最後のフィーリンググッドが流れた時の平山の表情。
目頭が熱くなり目が真っ赤に高揚する演技は
素晴らしかった。このラストシーンがこの作品の
全部を物語っている。
幸せは人其々。比べる物でもなく、選ぶ物ではなくその人が感じる物。
エンディングのルー・リードの歌声とピアノ伴奏もしっくりきたなぁ。
久々に身体の奥底からじわーっと温まる映画でした。
青い海も青い魚も みんな昔手にしたもの 今は私のこの掌の中を 冷たい風だけが通り抜けてゆく
公衆トイレの掃除人、平山。
こざっぱりした部屋には、たった一竿の箪笥と、本棚いっぱいの本と、たくさん揃えたカセットテープと、テーブルに並んだ豆鉢。
朝は、落ち葉を掃く箒の音で起きる。
豆鉢の植物に水をやる。
歯を磨き、髭を整える。
整然と玄関に揃えた小物をポケットにしまう。
外に出ると毎日空を見上げる。
自販機でコーヒーを買う。
仕事車のカーステで、カセットテープをかける。
昼飯は、いつもの神社の境内で食う。
新芽を見つければ持ち帰り、新しい鉢に植え替える。
仕事を終えた夕方、まだ陽の高いうちから銭湯の一番風呂に入る。
浅草駅地下の居酒屋で野球を見ながら酎ハイを飲む。
夜、寝る前に本を読む。
休みの日にはコインランドリー。
古いカメラに収まっていたフィルムを現像に出し、出していた写真を受け取る。
写真は気に入ったものだけ残す。あとは破って捨てる。・・・そんな、ただ繰り返される毎日。(どこを切り抜いても、このままBOSSのCMに使えそうだ)
長逗留している木賃宿のようなミニマムな生活。無用なものを削るソリッドな暮らし。まるで、働きながら人生の旅をしているって感じ。
でもなぜ、淡々としたその姿を見ているだけで、涙が誘われるのだろうか。
劇中歌が懐かしい、古き良き時代のアメリカの曲だからか。アメリカばかりじゃない。金延幸子の「青い魚」は抜群に良かった。居酒屋のママ役の石川さゆりが、常連客役あがた森魚の伴奏で歌う「朝日があたる家」は艶やかだった。垣間見える彼女の人生は、味わいが深そうだった。
本だって、幸田文「木」も、パトリックハイスミス「十一の物語」もどこか示唆的。古本屋の店番オバサンの書評もだ。
姪のニコの存在も、平山の生活の風景にちょっとした風を吹かせてくれた。
神社の参道を、真ん中を避けて歩くことができる彼が疎遠になった家族の物語は、おそらくもう修復はできないのだろう。木漏れ日は、同じようでありながら常に変化していて、その瞬間はもう二度とない。人生もそうだといっているようだった。
そんないくつものシンパシーが、僕を幸せな気持ちにさせる。あ、これ最近どこかで?と思い出してみた。そうだ、終わったばかりのTVドラマ『セクシー田中さん』だ。「小さな喜びをたくさん集めるとそれで人は幸せになれるのかも」と言う言葉に勇気づけられた女性が、前向きに生きる力をもらっていたが、まさにその気分だ。平山の仕事ぶりをみながら思い出す、「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋 を作る人、捨てた草鞋を拾う人」という格言。そうだ、世界はこうしてたくさんの人の営みで成り立っているのだ、と思い知らされる。世の中のひとびとは同じ世界で生きているようでいて、たしかに別の世界で生きている。ただ、空間を共有しているだけに過ぎない。
ニーナ・シモンの「feeling good」がかかり、平山のアップが続く。次第に変わっていく平山の表情をどう捉えるべきか。"気分がいい"って曲名のわりには、とてもザワザワする曲だ。この先の平山の人生だけじゃなく、これまで生きてきた平山の人生はけして彼の望んでいた人生ではなかったろう。完全な人生、そんなものだったのではなく、そんなものはそう手にできるものではないと、むしろそうこの映画は言っているようだった。
自由と平凡で平和な日々
いつもトイレを綺麗にしていただいて
ありがとうございます。と…映像を観ながら
感謝の気持ちで一杯になりました。
毎日、決まったルーティーン
ミニマリストの様な
自分の「好き」に囲まれて過ごす
目覚まし時計は無く、境内を掃く音で目覚め
仕事へ。
役所さんがイライラする場面もあるけど
それは仕事を一生懸命している証。
休日は洗濯と撮り溜めたフィルムの現像へ
開店前の行きつけの店で
抱き合う2人が…気まずい為
コンビニで買った酒を外で独りで飲んでいると
さっきの男性(三浦友和さん)が近寄る
独り言?聞いてないのに
自分が余命幾ばくもないと告白。
平和な1日だけど生きていると
同じ日は無く、何かしら起こってしまう。
人は1人で生きてないけど…
家族や親友はいなくても
それなりに穏やかな日々
贅沢しなくても満ち足りた人生って感じでした
映画館で観てください。
何かしら響く映画でした。
日常生活が続く、 あらすじ
役所広司
トイレ清掃 離婚した。娘が家出してくるが 元の嫁に返す。
思いを寄せるスナックの女が 他の男と懇ろだとしり
ヤケ酒。しかし それは 余命宣告を受けた元夫が
最後に会いに来ただけで、元嫁をヨロシクと 託される。
その後は どうなったかは描かれていない。
朝起きて 仕事して 居酒屋 読書 就寝、
週末はコインランドリー スナック、
日常生活は続く。
絵に描いたような
絵に描いたようなストーリーで、展開が予想できてしまった。こうなるだろうな、という期待を裏切らないので、思わず、笑ってしまった。
わざとベタな話にしたのかどうかわからないが、もう少し、どうにかならないものかと思った。意図してそうしたのであれば、逆効果だろう。
主人公は無口だけど、身の回りにおこる出来事に対する反応があまりにストレートすぎて、素直さを通り越して精神年齢低いんじゃないかと思うくらいで、興覚めする。三浦友和と影ふみする場面は、重要な場面のつもりなのだろうが、うそくさくて目をそむけた。
前半で出てくるいい加減な相棒は根性据わってる感じがして、すごくよかった。
でも、公衆便所がみんなきれいすぎることからして、わざわざトイレの清掃場面をメインにする必要があるのか?そこまで清掃場面にこだわるのならば、作業着も汚れるはずなのに、洗う場面もないのは不思議。作業着のままで昼ごはん食べるのはまだしも、家に帰って部屋まではいったりするか?ローアングルはトイレの清掃場面には都合よいので、その点は納得。
おかえり
行こうとしていた劇場が激混みだったので、急遽違う映画館での鑑賞。なんとか左右誰もいないとこを確保してリラックスしながらの鑑賞でした。
恥ずかしながらヴィム・ヴェンダース監督作品初鑑賞です。遅れてやってきた映画ファンならではの楽しみ方をしています。
役所広司萌え映画でした。役所さんはイカつい役で多く観てきましたが、こんなにおっとりした役所さんを観るのが新鮮で新鮮で…!どのシーンを切り取ってもニヤけてしまうくらいに最高でした。
トイレ清掃で生計を立てている平山という男の日常をそのまま映していて、その中で起こる静かな波を強く描いていました。
全くと言っていいくらい同じ日々を過ごす流れは、どこか退屈だとコンテンツ溢れる現代に生きる自分は思ってしまうんですが、その繰り返しでさえも楽しんでいる平山の姿は本当に愛おしかったです。
その日常がたまたま出会った赤の他人との何気ない会話や様子見で彩られたり、姪が来てから日々のスピード感が加速したり、少し変わった生活でさえも楽しんでしまうと、素敵と大好きがたくさん詰め込まれていました。
古き良きが多く詰め込まれていて、カセットテープならではの音楽の良さだったり、ボロアパートの佇まいだったり、1発勝負のカメラだったり、まさにな見た目な銭湯だったり、おかえり〜と言ってくれる居酒屋の店主だったりと日本ならではを体験していない世代の自分にとってはどれも新鮮で、どれも愛おしく思えました。
見知らぬ人との○×ゲームだったり、おっさん同士の影踏みとか、なんだかキュートでした。
石川さゆりさんが演じるママなんてそりゃもう美声轟かせるでしょーと思って観ていたら、本当に感じの良いママで、話す会話も軽くも重くもない絶妙なバランスで素晴らしく、ポテトサラダこそ至高!と言わんばかりに盛り盛りのポテサラにワクワクさせられました。
東京の公共トイレはオシャレなものが多いというのは噂で聞いていましたが、本当に個性的な外見をしており、ドアの開閉でスケスケな扉がバンっと全部隠してくれたりと、進化してるんだなーと東京の街の凄さを日本人ながら改めて体感することができました。
映画内で流れる楽曲も本当に心地の良いものが多く、邦ロックをメインに聴く人間なので、こういった優しい音楽も良いなと思えました。
役者陣はもう最高すぎました。役所さんの表情がどれも微笑ましくて、ボソッと呟くセリフはどれもどこかに刺さるものばかり。監督がこれでもかと魅力を引き出していて、監督の力すげ〜と痛感させられました。
何気ない日常、どこか退屈に思える繰り返しの生活の中で生まれる変化の葛藤や幸せをスクリーンいっぱいに堪能できます。
色々抱えながら生きている現代人にそっと寄り添ってくれてほっこりしました。
今年の映画納めにもピッタリだと思います。どうぞ劇場で。
鑑賞日 12/26
鑑賞時間 16:55〜19:10
座席 B-9
おひとり様天国
生きてく上で、必要なものを教えてくれる。
信念を持てる仕事と趣味と恋心と。
多少の諦めもあるのかもしれない。
全ての事が1人で完結してて…人は死んでいく時は1人だもんなぁと。それなのに右向け右でコミュニティを拡げる事にやっきにならんでもいいよなぁと、そんな事を思う。
作品を観ながら思うのは「退屈な日常だなぁ」って事だった。そして、その退屈がもたらす弊害を考える。
ああ、そうか、と。
平穏と変化は裏表で、変化を求めれば対価を支払わなければならない。時間だったり、プライドだったり、金銭だったり。
その変化こそを生きる命題にしてる現代では、ある種「世捨て人」のようにも映るのだろう。
だけど、彼の日常は「完璧な日々」なのだ。
完璧だからこそ変化を求めない。
言い訳だと切り捨てる人はいるとは思う。
けれども、そういう生き方や価値観はあっていい。
そして、幸も不幸も人が運んでくる。
それは変化ではなく起伏であり、退屈な日常に見えても平坦なわけではない。
彼は人が嫌いなわけではない。彼の世界から他の世界への干渉の仕方が臆病なだけなのだろう。
適切な距離で、人と関わる。
踊るホームレスは自分よりも完璧な日々を送っているのかもしれない。リスペクトが見える。
家にも時間にも縛られない。自分の人生のみを謳歌してるようにも映るのだろうか?
自分はそこまで欲を捨てきれないとでも言わんばかりだ。
と、ここまで主人公にフォーカスして書いてはみたが、ラストカットは街並みの俯瞰で朝日が昇る。
新しい1日が始まる。
そこで、ふと思う。
完璧な日々は、全ての人に訪れる。
考え方や、視点を変えればそういう環境も訪れるという事なのかもなんて事を思う。
びっくりする程、台詞がないのは、そんな視点を提示しているのだろうと思う。
そして、その沈黙を埋めてしまえる役所さんは、やはり名優なのだろうと思う。
卑下するなと言う事かもしれない。
多様性が叫ばれる以前の社会は、提唱される幸せの形はほぼ一種類だけだった。
結婚して子供を持ち、家と車があって、多忙な仕事を抱えながらも家庭に帰れば一息つける、みたいな。
でも、現実はそんな事ないよねー。
理想だけを押し付けられても苦しいだけじゃない?
自分の手に届かないものを人生かけて追い求めるよりも、自分の手の届く範囲を少しづつ広げていく方が幸せじゃないのかな?
「夢」とかがあると別の話だけれど。
本作の主人公は、その拡げる手に満足したのだと思う。
だからこその「完璧な日々」なのだろう。
それは勿論、彼にとっての、である。あんな人ばっかりだったら人類は死滅する。
きっと「欲」を整理すればいいのだろうと思う。
影
こんなにも飽きずに一人の人物を観ていられる映画あったかな
なんてことない日常を
観ているだけなのに
やはり役所さんというのも
あるんだけど
監督の力かもしれないけど
そしてこれが日本人が撮っていないということが悔しい
ヒラヤマという
男の生活の映画
カセット、本
アナログな人間を漂わせて
Spotifyをお店だと勘違いする
終始、愛らしく無口な男を演じている
良い人さが滲み出ている
朝起きて、空を見上げて、笑顔になれる生活
そんな
現代人いるかな
羨ましい
そんな心で生きたいと思う
過去に色々家族感で、なにかあり
この清掃業をしているヒラヤマ
恐らく最低限のお金しか使ってない
多分低収入
ママ役の石川さゆりさんはめっちゃハマり役
あがた森魚さんのギターで
朝日楼は痺れた!!
そんなお店あるんなら行きたい笑
ママに恋心があったヒラヤマのヤケ酒とタバコが面白い
ママの元旦那、三浦さんとの影踏み楽しかった笑
下北沢のカセット屋さんが松居大悟監督でびっくり笑
キャスト豪華だったなぁ
最期のシーン
あんな表情出来るの
役所さんしかいないじゃん
あの表情でカンヌの方々が虜になったんじゃないかな
寂しさ、悲しみ、優しさ、愛らしい、孤独なんか全部感じた
もう一回映画館で観たい🎥✨
パンフはこれから読みます✨
浅草のミニマリストかと思いきや
毎日決まった時間に起きて、歯磨きをして、髭整えて、霧吹きをして、着替えて、缶コーヒー買って、仕事に行って、神社で昼飯、終わったら銭湯、居酒屋に行く。
朝起きてすぐ動けるの偉すぎる。
銭湯で顔半分まで浸かってしまうおじさん。
休みの日はコインランドリー、フィルムカメラの現像、古本屋で100円の本を買って、ご飯を食べに行く。
無口でも仕事は丁寧に。雨と木漏れ日と影。
部屋には布団とカセットと本と植物だけ、、、
かと思いきや1階はものが沢山あった。
迷子の子供を助けても親にはばい菌扱いされる。
同僚の若造には大事なカセットを売られそうになる。
それでも悪い顔をしない。
無口だけど、優しい顔を持っている。
感情が読めない。
流石に若造がとんだ時は怒っていたけど。そりゃ当然だ。
姪とはいい関係。
妹とは違う世界を持っている。
みんな違う世界を生きている。
妹とも絶妙な距離感。何があったかは描かれていない。
それでも何かがありそうだった。
木造風呂無しアパートと運転手付き高級車に至るまで。
無邪気に影踏みをするおじさんたち。
繰り返しの毎日でも乱されることもある。
東京の公衆トイレは綺麗だった。
妹に怒鳴られたり、最後死んだりしなくてよかった。
役所広司、渋い。
笑顔が素敵すぎる。可愛すぎる。
自分も繰り返しの毎日でも笑えたらいいな。
妙に共感してしまった 60代です
生きていくのに少しの笑みがあればそれはそれで幸せなのかもしれない、特別な何かは必要ない。他人とも少しの関わりでよく、だからといって拒否してるわけでもない。
最後のシーンで、色々な感情が浮かんで来て泣いてるような笑っているような、さすがは役所広司さんだと感心しました。
追加で書きたいことが、一階で寝てる時、周りの荷物に大きなカバンがあったような、海外に留学とか仕事で行っていたのかな、だからトイレの使い方を英語で聞かれてもすぐに答えていたのかな、それからあの部屋で布団を毎日畳む様子を見ると、なにか罪を犯して刑務所に入ってたと思いました、そう考えると実家にも帰れず、妹にも迷惑かけていて申し訳ない気持ちもあってハグしたのも何となくわかります。
それから掃除をするとき、手袋をつけたり外したりすると手間なので、トイレ周りのゴミを素手で拾ったりするのはリアルだなとも思いました。
大都会での田舎暮らし的美しさ
大都会東京って、案外自然が豊か〜❤️🩹
で、必要なものだけでの生き方に興味❤️🩹
パーフェクトデイズというタイトルで、完全な日々って?と思いながら鑑賞
必要な音楽・ものだけに囲まれ、思いのままに行動できて、スカイツリーをいつでも見れて、そして何より完璧を超えた木漏れ日、自然があって
そりゃー、ニヤニヤだよ〜❤️🩹
絵になる役所広司と存在感が凄いトイレたち
役所さんは朝起きて毎日ルーティンを淡々とこなし、仕事に行って帰って来たらまたルーティンをこなして寝るだけ。なのにずっと観ていられます。
恐らく様々な挫折を繰り返した末に、あるいは深く傷ついて全てを捨ててトイレ清掃員になった平山。俗世間のしがらみとは一線を画す生き方は格好よく見えます。
余計なものは持たず、他人とも必要以上に関わらずに暮らしていても、さざ波のようにちょっとした変化は起こります。それを静かに傍観する平山。でも世間を完全に見捨てたわけではない彼の眼差しは温かいです。
監督は以前日本に滞在した事があるのでしょうか。居酒屋や銭湯の雰囲気がとても良かったです。ただ多分想像で作り上げたであろう部分はちょっと違うかなとも思いました。平山のような人物、というか年配の男がハグとか影踏みとか「今はいまー」「今度はこんどー」とかやらないですから。
あと、欧米ではホワイトカラーは決して清掃員などやらないのでしょうが、日本では、リタイアした人がやるのは珍しくないので、そこはもしかしたら誤解があるのかも、と思いました。
青緑の世界
冒頭から感じるのは撮影や色が素晴らしいということ。実際そうではないだろうけど、なんだか全体的に青緑色のフィルターが掛かっている様に感じた。
几帳面で無口な平山が淡々と朝のルーティンをこなす姿がとても自然で良い。トイレ清掃の動きもかなりの手際の良さを見ることができて、平山の人物像の描写にリアリティを感じられる。
音楽を聴いて、写真を撮って、少しのお酒を飲んで、読書をする。という日常の繰り返しはインパクトは無いものの映像の美しさと自然な所作が良くて、見ることができる。
そんな淡々と繰り返す日常に小さな出来事が彼の日常を彩る。そのどれもが、嬉しいことでもあれば辛いことでもある。
迷子の子供を助けるが、母親に無碍にされる。でも子供が手を振ってくれた。
無責任な同僚に振り回されて、泣く泣くカセットを売ることになるが、美女からキスされる。
その同僚にも彼を慕う友人との素晴らしい関係性があった。
家出した姪っ子がやってきて、慕ってくれるが母親(妹)からは暗に軽蔑されている。(家族関係が気になる。あの涙はなんだ。)
同僚が辞めてシフトが自分に降り掛かったが、新しくきた人は真面目そうだ。
好意を寄せていたスナックのママに実は恋人がいた。と思ったが、別れた元夫だった。でもその人は病に犯されていた。。
ルーティンの中で、見ている側もだんだん退屈になってきたな。というところで、これらが差し込まれるのと、冒頭のように美しい景色が入るので、脱落せずに見れた。
また、個人的に好きだったのは、昼休憩の時に隣のベンチに座っているOLや公園のホームレスなど、何度か顔を合わせただけで、会釈するだけの、とても薄くだけど関係性が築かれていくところ。なんだかとても嬉しくなった。
あと、ニコ(姪)との生活のシーンもとても良かった。彼女が登場したお陰で、ルーティンが華やかになって、平山が無口で生真面目な性格というだけでない人間的な魅力を見ることができた。
このシークエンスによってラストの友山(三浦氏)との重なった影論争でも違和感無く、平山の言葉が響くのである。「何にも変わらないなんて、そんなわけない」だったか。またいつものルーティンに戻る生活だが、そんな人生だって必ず何かが変わっているはずである。
気になった点は、1日が終わる毎に挟まる夢?の情景がしつこいと感じてしまったこと。毎回10秒程度、不穏なよく分からない映像を見せられ、しんどかった。別に主人公が夢に何か影響を受けているわけでもなく、毎度見せられる意味が分からなかった。
明らかにママの歌が上手すぎる。当然本気は出してない感じだし、あくまで歌の上手い女性を演じているのは分かるが、表現力といいプロが溢れ出ている。
上映時間が120分あるが、作風と繰り返す日常に、さらに長さを感じる。
上映が終わって、客が席を立ってゾロゾロと出て行く時、自分も含め、自然と譲り合いが起きたように思えたのがなんだか良かった。
脱目的の自由な時間が流れる
<ただその日を過ごす>
ただその日を過ごす、という生き方に憧れます。
それは、未来でも、過去でもなく、現在を生きるということなのでしょう。
未来に目標や目的を定めて時間を使うのに慣れてしまっている私には難しいことですが、そこに生き方のヒントが隠されていると感じます。
そこでは、どのように時間が使われているのか想像できません。
受動的で変化が少ない日常なのか。そこに喜びはあるのか。
そもそも変化は訪れるのか。そこで生きている実感は得られるのか。。
<時間は使わない、時間が流れる>
PERFECT DAYSは、そんな生き方を描いています。
トイレ清掃員の平山は、神社の杜の掃き掃除の音で目覚め、歯を磨き、缶コーヒーを買い、仕事に行き、薄い布団のなかで文庫本を閉じて眠りに落ちる、といった決まったルーティーンの日常を過ごしています。
しかし、判を押したような決まった日常かというと、そうではありません。
そこには微かな変化がみられます。
仕事の同僚の彼女が尋ねてきたり、同僚が辞めたり、突然姪が尋ねてきて同居生活が始まったり、行きつけスナックのママの元旦那と出会ったり。
変化は、必ず自分をとりまく周り(他人)からもたらされます。
もし周りから影響されなければ、平山は変わらない日常を過ごし続けるでしょう。
自らが自分の時間の使い方を変えることはありません。
しかし、変化は次々ともたらされます。そして平山はその変化をそのまま受け入れていきます。
そこでは、平山が能動的に時間を使うというより、揺れ動く時間が平山の身体に流れている、といった表現の方が当てはまりがよいでしょう。
流れる時間をそのまま受け入れる。そのことで、かえって過去の縛りや未来の目的から解放されて自由になる。そして、生きている実感が得られる。
現在を生きるとは、そんな時間のあり方なのだと感じさせてくれます。
<別設定で観てみたい>
ところで、この映画をまったく別の設定で観たかった、と密かに思うのは私だけでしょうか。
一つは、トイレです。
平山がトイレ掃除の仕事に出かけるのは、THE TOKYO TOILET プロジェクトで著名な建築家やクリエイターが改修した渋谷区内にある新しくクールな公共トイレです。もしこれが、まだ各所に残る汚い不潔な公共便所だったら、我々はこの映画をどのように見るのでしょうか。
同じことは、役者・役所広司にもいえます。
流れる時間をただただ受け入れる平山役にしては、役所広司は生きる力が外向きに溢れすぎているように思えます。(さらに同じことは田中泯にも。)
もし廃人を演じられるような役者、あるいは役者以外の人物が平山を演じたとしたら、この映画はどんな印象になるのでしょうか。
ひとことReview!
変わらない日常が、人によっては劇的に変化しているように見える。見方次第で良くも悪くもなるのかな。普通に生きているだけでも「パーフェクト・デイ」になるのか。そんな平山の生き方に、特にキツい過去を経験した人にとっては、本当に救われる。物凄く余韻が残る大傑作。本編に出てきた「サントリー角ハイボール」を、「響」や「山崎」などの高級品をストレートでじっくり味わうくらいな感じかな。
全211件中、161~180件目を表示