PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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名作の予感 パーフェクトを超えたものを観た
良い脚本、良い監督、良いカメラワーク、そして良い役者が揃うと、こんなにも素晴らしい映画が撮れるのか!それもたった16日で!
カンヌで作品自体の評価が「極めて抑制的に過ぎる」と言われたのも分からないではありません。主人公の平山は誰の問いかけにも言葉すら発しない時のほうが多いのです。目を伏したり、顔をを上げたり、その少しの所作で彼の反応を十二分に読み取ってしまうのは、役所広司の上手さは当たり前として、僕が日本人のメンタリティを持つからでしょうか。監督ヴィム・ヴェンンダースと彼が私淑した小津安二郎の関係性を指摘する評論家の方もいますが、まさにこうしたところに良く出ていると感じます。寡黙という所に主人公の複雑性を宿させるのは出世作「パリ・テキサス」に通じる手法かなとも思います。
平山は朝起きて布団を畳み、そして一連のルーティーンをこなして、そしていつも通り朝日の射す首都高を渋谷区のトイレ清掃に向かいます。彼の几帳面さは徹底した仕事ぶりにも表れ、まさにそれはパーフェクトな毎日です。
しかし、登る朝日は毎日違う朝日なのです。毎日小さな波紋があり、変化があり、小さな喜びと悲しみがある。代々木八幡の木漏れ日の写真を毎日撮り続けるという変わった趣味を持つのもまさにそれであって、その光と影はそこにとどまっていずに常にゆらゆらと動いているから面白いのではないでしょうか。その光と影が交錯するイメージはこの映画のストーリーと映像に反復されながら貫かれていて、映画というエンターテーメントの醍醐味をとことん楽しめる仕掛けになっています。
ラストの役所広司の顔の表情の大写し・長回しは圧巻です。それはただいつも通りの出勤の描写でしかありません。それなのに木漏れ日のようにたゆたう微妙な笑みと悲しみの表情は平山の生きてきたすべてを内包しています。ストーリーはたった10日前後の出来事ですが、描かれていない彼の長い人生のドラマをそこに想像させて涙を誘います。そしてその人生のドラマはそれを見ている「自分」そのものに容易に重ね合わせることができます。この生きづらい日々、毎日起こるちょっとしたハレーション、喜怒哀楽の日常こそ自分が選び取って引き受けてきた「パーフェクトな日々」だと気づかせてくれるのです。
渋谷区のトイレをおしゃれなものにするプロジェクトのPRのための企画からこのような傑作が生まれたのならば、この映画は「パーフェクト」を超越した邦画史上の「奇跡」かもしれません。
テーマのつかみづらい映画。
スカイツリーを中心とした東京の情景の中に几帳面な清掃員の姿が描かれているのだが、テーマが明確ではない。姪っ子との会話で言わせた、世界は一つではない。。。無数にあり、つながりがない。。。とこだろうとは思う。ちょっと難しいかもね。佳作といったところ。
幸福とは何かを考える映画
主人公は安アパートに住みトイレ掃除を仕事とする寡黙な初老の独身男性。冒頭からその男(平山)の一日の様子が繰り返し映し出される。ほとんどセリフは無く、観客は何を観せられているのかわからない感じがする。
平凡な毎日で事件は起こりそうで結局は起こらない。姪の来訪やスナックのママの元夫の出現だけが変わった出来事。平凡で退屈な映画とも言えるが最後の「木漏れ日」のテロップでこの映画の主題がわかる。
人生は木漏れ日のように光と陰(影)が繰り返しおとずれる。光(幸せ)にも陰(不幸)にも濃淡がある。それは自然なことであり、それが人生なのだとこの映画は教えてくれる。
新旧の対比が面白い。スカイツリーと古いアパート、オシャレなトイレとそれを掃除する初老の男。
男は一人暮らしで孤独だけれども、周囲には知り合いが何人もいて決して辛くはない。古本屋、DPE屋、昔ながらの銭湯、旧式のコインランドリーなど昭和に囲まれている。極め付けはカセットの音楽。その中で暮らすことは平山にとってperfect daysなんだろう。最後の平山の顔を映す長いシーンでそれがわかる。
キャラクターは全然違うが、同じ役所広司が主人公の「素晴らしき世界」とどこか似ている気がした。
どういう気持ちで見たらいいのか・・
両親が観てとっても良かった!というので映画館へ、
60代70代の方が多く観に来てた印象。
日常淡々と系と聞いて、パターソンみたいな感じかな?と思ってたらそれともちょっと違う。
(パターソンは超綺麗な奥さんがいたしね)
夜寝る時の白黒の映像が、なんだか不穏。
これが幸せ、なのだろうか・・・諦めも感じる・・・
仕事をして、繰り返しの中で少し嬉しいことがあって、お金はあまり無いけど、毎朝缶コーヒーを買ったり銭湯に行ったり100円の古本を買ったりすることが幸せ・・
姪っ子と妹さんが帰っていったあとの孤独感がたまらない・・・
これ好きだったわよね、と渡されてたのは紅谷の紙袋じゃないだろうか、くるみっこで有名な・・・
だとしたら、鎌倉の山の上の豪邸だろうか・・・
行きつけのお店で顔見知りはいるようだけど、親しく交流してる人はいなそうで、やっぱりそれは寂しいんじゃないかなぁ・・・
最後の表情は、笑っているような、泣いているような、やっぱり諦めているような・・・
追記:やっぱりこれが幸せ、とは言ってないかな、曲を考えても。60代70代の方がこれを観て癒される、というのは、何かを諦めてたどり着いた年齢的なことがあって、私はまだそこへ辿り着いて無いので、うーんというところがあるのか、外国人監督が描く日本の、みたいなところでモヤモヤしてしまうのか。
こんなふうに生きていけたなら
東京の公衆トイレ清掃員として生活するヒラサワの日常を描く。
全体の構成はアダムドライバーのパターソンを彷彿とさせる展開だが最終的な着地点は大きく異なる。
前半では日々の中でささやかな楽しみや小さな変化を謳歌する人生賛美のような描写が続くが、終盤に近づくにつれて少しずつヒラサワの変化への願望が見えてくる。
子供に手を振ってもらったり、顔も知らぬ人と丸罰ゲームをしたり、同僚の思わぬ良い面を見たり、スナックでちょっとした優遇を受けたり、日々の刹那的な喜びは確かにある。
一方でお金がなければ恋愛も難しく、熟年で家庭が離散したり、突然自身の命が長くないことをしったり、普遍的な苦しみが共存する。
刹那の喜びが続き、普遍の苦しみから解放されることをどこかで望む中で、「今は今、今度は今度」の台詞がずっしりと心に響く。
違和感と好きな世界
役者人が有名な俳優さんばかり。
妖精のような綺麗なホームレス。
高級な公衆トイレ。
ボロアパートに実は高級な照明。
ボロアパートに運転手付きで高級車がやってくる。
貧富の差に小さな小石を投げたようにも感じる。
古いアパートで清貧にかつ美意識高く暮らす主人公。
仕事終わりに行く銭湯と行きつけのお店。眠る前に本を読む生活。好きな音楽。蘖を盆栽にして育てる嬉しみ、彼のルーティンあれこれが好きです。
姪の髪の結び方も可愛い。説明は最少でそこが又良いが、彼が裕福な家で育ったのは伝わる。
だから綺麗すぎて。
万引き家族とは真逆の目線で貧富の差をみている。是枝監督が貧からみた世界だとしたら、こちらは富からみた世界。
確かに、裕福な方々によってプロデュースされている映画だ。
だからこそ、カンヌ映画祭のオープニングを飾ったのは何かしらの違和感を持たずにはいられない。
違和感を持たせる事がねらいのひとつかもしれないな。
ただ足るを知る
昔、学校の教科書に出ていたかも、、と思うのですが、我唯足知という言葉。
日々、色々なことに感謝をしながら、自分に与えられた役割を果たして生きていたら、毎日が心満たされる幸せな日々になる、、、あの言葉ってそんな意味だったかなあ、、どうだったかしらん、、この映画を見て、そんなことを考えました(本当の意味は違うかもしれないけれど笑)
映画は、主人公の平山の日常を描いていますが、
繰り返す毎日の中で、時には気分が上がるような瞬間があったり、逆に怒りの暴風が吹いたり、過去との対面で心が波立つ時もありますが(人間、生きていれば色々、ありますからね!)、悲しい話ではありません。
全体としては穏やかで満ち足りた、パーフェクトな日々が描かれています。
人の幸せって、お金、地位や名誉があるかどうかとは別のことなのよね、、と改めて気付かされた気がしました。
映画の中におさめられた景色や音声などは、「こういう音、大好きだなぁ」とか「こういう景色だったら、自分も同じように空を見上げるだろうなぁ」と感じるものばかりで、ドイツ人の監督が撮ったものであることに驚きました(自分の中では、ベルリン•天使の詩のイメージが強かったので。本作は聴覚、視覚が日本的というか、日本映画的というか、、うまく説明できないのですが)。
家に帰ってこの映画のHPを見て、映画製作の背景を知り、スタッフの方々のお名前を見て、日本人スタッフの方々がかなり中心となって製作されたことを知って納得した部分はありましたが、それでもやはり、監督が映像化した東京の音や景色は、日々日本人の自分が感じている音や景色そのものでしたので、こんなふうに国を越えて感性を共有できるのは素敵だな、と感じました。
また、映画とは別に、映画のHPも見させて頂きましたが、とても素敵でした!(自分はちょうど1年程前に仕事を辞めたので、その後ウェブサイト作りの勉強をしたりしていたのですが、こういうウェブサイトを作れたら素敵!とドキドキしました)。
役所広司さんは、平山を演じるにあたって「自分は平山ではないから」とおっしゃっていたみたいですが(奥様へのインタビューで、奥様が話されたお話)、内面的には、役所さんと平山は結構近いところも多いのかな、、と感じるくらい、平山役が自然でした (最近だとTHE DAYS や VIVANT 等のドラマを拝見しましたが、どんな役でも自然に見えてしまうのが役所さんのすごいところなのだろうとは思いますが笑)。
その中でも、以前観た「関ヶ原」の家康役はすごくギラギラした役だったので、ああいう役の時はどうやって役作りをされるのか、とても興味が湧きました。
エンドロールの後に“なるほど”がありました🌱
一瞬とて同じ光を生まない…でしたっけ?
“木漏れ日”かぁ!!
どんな小さな世界にも幸せはある。
日常のルーチンの中に一つ一つ楽しみがあって、仕事に責任と誇りを持っていれば、たいてい人は幸せかもしれない。独り者であっても、決して寂しくはない。
職場のポンコツな後輩が追いかけるそれほどポンコツではない彼女は、本能的に彼の本質を見抜いて一瞬でも己を晒し出す…
きっと沢山の素敵なコメントがあるだろうからこの位にしておくけど、役所広司やっぱりカッコいいなぁ〜
トイレ掃除する姿がなんでこんなに美しいの?
(お掃除する人はそもそも尊いけど!)
淡々とした一日の行動なのに何故か飽きずに見られちゃう。
ラストのシーンも沁みました。
一日の終わりなど誰も見ていない時にふと、哀しいとも嬉しいとも判断のつかない色々な想いが交じった感情に涙が溢れてしまう…こんな私でも何度も経験したものなぁ〜
少しは成長してるのかなぁ〜
そしてもっと本を読みたくなりました!
木の葉の揺らぎに心を留め、新たに芽吹いた木の若葉に目を細める。そんな一人の労働者の日常生活を、暖かく優しい眼差しで切り取り描き出した作品です。
トイレ清掃員が主人公のお話ということは知っていたので
着想・話題性だけが一人歩きしている作品なのでは? と
観るのを躊躇っていた作品です。(バリバリの先入観 ・_・;)
# 主演が役所広司。 うーん。どうしよう。
# 監督は? ビム・ベンダース…って え 日本人じゃないの?
# ドイツ人? が撮った日本トイレ清掃物語って どんな内容?
# これは観なきゃダメだよね。 @∀@;
…との脳内会議の結果、俄然観る気になって鑑賞しました。
◇ストーリー(もしくは「ある日の平山さん」・∇・)
主人公の平山は、トイレ清掃員。年齢不詳(50代~60代?)
渋谷区内の公衆トイレを、車で巡回して清掃している。
もちろんボランティアではない。仕事だ。
ユニフォームの背中には「 TOKYO TOILET 」の文字。
東京都からの委託なのだろう。(…多分)
一箇所のトイレを一人で綺麗にするのかと思えば、そうとも
限らないようだ。ある場所ではスクーターでタカシが合流する。
タカシは若い。彼女が欲しくてたまらないお年頃だ。
まじめに清掃の仕事をしている と思っていたのだが…あ~あ
貸したお金は返してもらったのやら。 はて?
平山は公園(寺の境内か?)のベンチで昼食をとる。
木の葉の間から光が漏れてくるのを眺め、カメラで撮影したり
しながら、サンドイッチを食べるのだ。
時折、隣のベンチのOLと目が合ってしまう。…どうする?
いやいや。 どうもしない。目が合っただけのこと。
木の根元に若葉を見つけた。 新しい命の発見だ。よしよし。
そっと周囲の土ごと掘り返し、折り紙細工の皿に収める。
持ち帰って、水を毎日あげよう。部屋には仲間がいっぱいだ。
寂しいことなど無いからね。
※育った苗木(?)はどこかに植えるのだろうか? はて
さあ 一日の仕事も無事に終わった。家に帰ろう。
スカイツリーの麓近くのアパートが住処だ。
二階もある。メゾネットという奴だ。古いけど広い。
他の住人は見かけないが、誰かいるのだろうか。
さあ着替えたら、自転車に乗って銭湯だ。
一日の汚れを落とし、疲れを癒すにはお風呂が一番。
銭湯の広い湯船に浸かるのは最高に気持ちが良い。¥_¥
他に客は2~3人。少ないが、経営は大丈夫か?
まあ、それは余計なこと。
営業開始すぐ後の時間だから空いているのだろう。きっと。
風呂の後は夕食だ。浅草の地下鉄駅に連なる飲食店。
いつもの場所に座る。すると
店主が ” お疲れさま ” と声をかけてくる。そして
何も言わずとも出てくる、いつものお酒と食事。うん
疲れを癒したあとの食事と一杯の酒。最高だ。
#今日も良い一日だった。
#明日も元気に頑張れそうだ。
家に帰り、寝床で文庫本を読みながらそう考える。
やがて心地よい眠りへと落ちていく。
平山の一日が、今日も無事に終わる。
◇
とまあ、平山の日常の生活ぶりが淡々と描かれていきます。
後半、平山の姪がアパートにやってきたりとか(家出)
タカシが突然「仕事辞めます」電話を入れてきて、二人分
働くハメになったりとか。
穏やかな水面に、ゆらぎ程度のさざ波が立ちますが
平山の生活は、基本変わらずに続いていきます。
変わらない、そして変化の少ない暮らし。
その中にこそ、穏やかで平和な日常がある。
それが実は、幸せなこと。
そう思わせる作品です。
エンターテイメント作品ではないですが、共感できる部分を多く
感じることのできる作品でした。
見て良かった。
満足です。
#外国人監督ならではの撮影場面やカットかな? と思える
#箇所も多く、派手なシーンは無いのに飽きませんでした。
#スカイツリーの映り込むシーンが多かったのが印象的。
◇あれこれ
◆平山さんの趣味
アナログ製品の愛好家と思われます。
自宅でも車の中でも、音源はカセットテープ。
そしてカメラはフィルムカメラです。
デジカメと違い、撮影枚数が極端に少なく、写真屋に現像に出さ
ないと、どんな写真が撮れたのかもその場では分かりません。
すぐに見られないからこそ、写真を受け取りに行きプリントされた
写真を見るまでのドキドキ感がたまりません。・-・
※アナログ写真の方が、フィルム代・現像代・プリント代と
デジタル写真よりずっとお金がかかります。
これは、平山さんのこだわりの趣味なのでしょう。・_・
■平山さん、それはダメでは? … @_@
と、気になった場面が実はありまして…。
トイレの個室の扉を開けたら男の子が隠れていた というシーン。
近くに保護者も見当たらないので、置いていくワケにも と
その子を伴ってその場から移動しようとする平山さん。 …あっ
#ゴミ拾いをしていた手で、子供の手を握ったらダメでしょ
と思ったのでした。
平山さん、何故かトイレのゴミを拾う時にはノー手袋なのです。
※便器拭きはゴム手袋を着用していたので、これはセーフ ・∀・
■平山さん対戦す
トイレの壁の隙間に挟んであったメモ用紙。
最初ゴミかとと捨てようとしますが、中を見て手が止まります。
そして何かを書いて、メモを元の場所に戻すのです。
次にこのトイレに来た際にも、同じ場所にメモはありました。
取り出して中を除き、嬉しそうな平山さん。
また何かを書いてメモを元の場所に。
後の方で、メモの中が明らかになります。
紙に書いたマス目に○印をつけていく対人ゲーム(…多分)
一日に一手ずつしか進まない、超スロー対戦です。
こういう時間の使い方ができる平山さん
こういう遊びを楽しみにできる平山さん
とてもいいなぁ そう思います。しみじみ。
◇最後に
” 平山 ”という名前について、もしかして
「富士山」に対して「平山」なのかな?
などと考えてしまいました。…・_・
「日本一の山」に対して、普通の「平らな山」の主人公。
この主人公は、ごく普通の平凡な日本人なだよ と
カントクが匂わせたかったのかなぁ。 …などと。
深読みしすぎかもしれませんが…。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
人生を戦う兵士の話
ノワール
経験を武器に市街地のインフラのトイレを守っている
一見穏やかに見える戦場にも歴史があり、戦況は刻一刻と変わっていく
景色は立派になっていっているようだが
皆が皆消耗し、状況を必死に維持しようとしている
最前線のトイレこそこの男の戦場
歌と共に移動する
泣いてでも生きている強い兵士
一人でも映画を観に行きたいと思うことはほとんどないが、この映画に...
一人でも映画を観に行きたいと思うことはほとんどないが、この映画には呼ばれた。まあ、刺さること刺さること。が、この映画の身もふたもない要約をするとなれば、「役所広司がひたすら便所掃除する話」となる。役所扮する「平山さん」の生活は実に単調だ。近所のばばあの掃き掃除の音で目を覚まし、歯を磨き、オンボロ自動販売機でBOSS買って車に乗り込んで出勤する。最近のアニメやゲームに慣れた身からは「あれ、これタイムリープもの?」と訝しむくらい、「ループ感」は強調されている。平山さんの住まいもたいそう古く、昭和が舞台の話だっけと一瞬思うが、通勤経路で毎朝目にするスカイツリーの存在で、現在のストーリーだとようやく確信できるという有様だ。しかしもう、この通勤経路の描写だけでなんか涙が出そうになるんだよな。昭和の面影濃厚な下町から、アーバンな美的センスが張り巡らされる首都高まで、人の暮らしの生々しい香りにむせかえるし、自分のあれこれの記憶も刺激されまくる。
あまりにシンプルな生活に、「この人はこれを体が動かなくなるまで本気で続けるつもりなのだろうか」と心配になるが、自分の暮らしとその違いはいかばかりなのかという疑いも徐々に浮上してきた。組織の中で「やらされ感」のある毎日を送っていると、平山さんの生活はある意味ひじょうに美しく映る。トイレの清掃に実直に取り組む平山さんを、仕事のパートナーであるクズ男・タカシは「どうせ汚れるんですよ」と揶揄する(柄本時生の演じる「足りないけど憎めないクズ」は素晴らしい)。
しかしながら平山さんは幸せそうだ。節目節目でハンドルを握る平山さんの顔面が大写しになるが、私はほぼそこに多幸感を読み取った。彼は間違いなくperfect daysを過ごしている。平山さんは決して変化のなさに安住しているわけではない。むしろ彼は、「全く同じ日が巡ってくるはずはない」という意味のことを作中で何度も口にしており、「ループ」を拒絶している。平山さんの暮らしぶりには富の蓄積の兆しは全く見えない。なのになぜ、この男はこんなに美しく微笑めるのか。
一つにそれは、こんな平山さんでも「与える」ことができていることだろう。クズ男・タカシに女と遊ぶ金を貸してやる。家出してきた姪っ子に豊かな時間といちご牛乳と本を提供してやる。交わることのない異世界に住まう妹を抱きすくめる。末期がんの男に、缶のハイボールを分け、影踏みを提案してやる。決して「持てる者」でないのに、なんと確かな恵みを与えていることか。
もう一つは、彼が音楽を愛し、読書に耽る人間だからなのだろう。彼が車のカセットデッキで聴く音楽も、寝る前に開く本も、トイレ清掃員という仕事の割に異様なハイセンスが覗く。部屋の本棚・カセット棚のラインナップは、それぞれの筋の人が見れば「ほほう」と唸るものだろう。突然変異的なインテリ労働者というのは現実世界にもそれなりに観測されるものだが、こんな平山さんの属性の所以は、ストーリー後半でほんのり説明される。
「人生を豊かにするのは金ではないですよ」とストレートにいってしまえば実につまらないところ、こうして具体的な人間の姿を通してメッセージできることが映像(:広義の文学)の強みということなのでしょう。
あと石川さゆりと田中泯の使い方がずるい。アヤちゃんもニコちゃんも可愛い。
綺麗なだけでもない
すごく面白い訳ではない淡々とした描写なのに最後まで飽きずに見られました。
あの叙情的な写し方と、平山の生活だけをただただ追うスタイルがドキュメンタリーとファンタジーの間の様で何とも言えない雰囲気で見えるのが海外からの視点ならではなのかなと。
生活をあれだけ丁寧に書き写しているのに、出退勤のシーンがなかったり同僚の姿があまりないせいか仕事というより日々のお役目をひたすらこなす仙人の様な世捨て人的生活に見えて、清貧な生活の空気を感じます。
でもベルリン天使の詩を書いた監督がただこれだけとは思えない。この毎日がパーフェクトって意味がもっとあるのでは?
TTTって渋谷区のプロジェクトで、一般の企業のものじゃないはずなのにあんな1日拘束されて走り回って人にも嫌がられる仕事をあんな低賃金でさせているのかしら?あのトイレの建築としての美しさはあの清潔さと合わせてこそで地域の治安維持にも一役かっているはず。だのにそれを下で支えるために雇用した人たちに風呂洗濯機無しのアパートにしか住めない生活をさせてる様に見える事に雇い主側は怒らなかったんだろうか?
ファンタジーだし、小津安二郎リスペクトだから良いよってこと?それとも疑問さえもっていない?
人は足りない。社員教育もなく掃除の仕方は個人の工夫に任せている。町の人達に仕事の重要性も理解されていない。うんよく見る光景。
主人公が清貧な生活を望んでいて実はお金貯めてるのかとも思ったけど、ガソリン切れても入れる金が無いから大事にしてるテープを売りに行ったっぽいのでやっぱカツカツギリギリで、ほとんど善意で維持されている仕事の様に見える。東京のキレイな街並みも日本人の美徳で維持されているだけで、それが無くなってしまったらどうなるんだろう。
1人だけで何も事件が起こらず繰り返すだけなら完璧な1日を積み上げて行けるけれど、そこに他人が関わる事で崩れてしまうくらいの生活基盤。こりゃパーフェクトデイズから外れちゃいけない。気になる女性ともよろしくされても一緒になれないし、子供だって持てない。良くも悪くも変わらない事を期待するしかないけど変わらないものなんてない。ふ、不安だ。えぐってくる。
台詞も凄く刺さってくる。恐怖と不安は違うもの。影は重なったら濃くならないわけないって笑顔で言うの割とホラーに感じました。日々の温かい善意の木漏れ日も不安の影が重なれば日本人の善性も着々と濃い影に変化していくでしょうよ。
もうなんだか日本の人権意識が小津安二郎の時代から変わってないぞと国の外側から言われてるみたいで恥ずかしい。見た目は近代化した東京も意識の近代化はせず古いままだねと指摘されてる様に思えてならず。
アートや文化的な側面以上に日本について監督は勉強してるから出来た食い込み方だと思います。この映画が実現したのって凄い事だと思います。
もうちょっと素直に見ても良いんだけど、最後の平山の表情を見たら考えちゃって。私も泣き笑いの木漏れ日な毎日を生きてくしかないわ。
平山さんのまなざし
平山さんは、ほころぶような眼差しでその時々の木漏れ日をみつめる。
そしておなじ眼差しで向き合う人の後ろにある景色を感じ〝おもんぱかる〟。
報われなさや理不尽さにでくわしても、ゆるやかに舵を切り自分を整えていくことができる彼の言動をみるにつけ、さらりとおとしこまれたその様子はこの言葉がぴったりだと思った。
そんな平山さんが大切にしてるルーティンがまわらぬ程の限界に来たとき、初めて怒りの感情をみせたので少し驚いた。
でもそれは必要な対処を求めるためのものだとすぐわかったし、みえた一面の人間らしさに妙に安心もした。
それに、きっと彼は個人を怨んだりせず、尾をひいたりもしないと信じることができた。
どうしてもしまえない尾がただひとつゆらゆらと惑わすことがあったのを知るまでは。
いつの間にか建物がとり壊されていた町の一角。
そこを通る老人のある言葉を耳にした平山さんの一瞬の表情の変化を思い出す。
あの時の平山さんは、人はいつか忘れていくことで終われることがあると感じたのではないだろうか。
その一方で、我が身の老いも感じつつ、まだ暫くの間はそこまで辿りつけずに付き合っていく時間のことも。
彼にとって、更地をぴんぴんに覆う新しいブルーシートの冷たい硬さは、二度と港に戻らないと決めた小舟が漂う海原の孤独の厳しさに似ていたかもしれない。
そして、姪っ子との会話にある軽さの分だけ裏側に潜む重み。実父について語る妹を別れ際にあんなふうに抱きしめた意味。迎えの車内で姪っ子が感じとったはずのその夜の闇より深いもの。
再びで最後になろう決意が伝わり、みえてきた翳りで不安が増すと淡々と繰り返す実直な日常に身近な喜びを見出せる彼の暮らしぶりとは真逆の内なるものが、大小の波に打ち寄せられ辿り着く流木のようにあらわれた。
まばゆい朝焼けを真正面から浴びる運転席でのシーンだ。
余程の悲哀を味わいつくし余程の精神で越えてきたであろう姿がまだその最中(さなか)をたったひとりのまま生きようとしていた。
描かれてこなかった人生やまつわる覚悟、なぜ平山さんがそうあるのかが手にしたカードが埋めていくように私を捕えていく。
そして、真逆の内なるものも平山さんのまさに一部であることを痛感し、〝おもんぱかる〟あのまなざしを思い出した。
思えば誰しもが違う立場でなにかを抱えていた。
無常のなかを揺れ動く人の心でもがきながら生きていた。
平山さんはきっと今夜も読書をしながらうとうとと残像に追われ浅い眠りにつき、箒が道を擦る音で目覚める明日のはじまりにも空を見上げ柔らかに微笑んで一歩を踏み出す。
それから玄関で握りしめた小銭で買う缶コーヒーを啜り、お気に入りのカセットテープの粗くあたたかい音を味わいながら、スマートにそびえる無機質なスカイツリーを右横に流して朝一の持ち場へと向かう。
いつかその時がくるまで彼らしいそんなPERFECTDAYSを重ね続けるのだろう。
物質的なものでは決して満たされないことを嫌というほど知っている彼が折り合うと決めた生き様が映るまなざし。
それが、羨望と敬意が混在する小さな染みをはっきりとこの胸にのこしていった理由をみつめている。
修正.追加済み
日常を見る
やっと見る事ができました。役所さん含め全ての登場人物の過去や理由を語られる事なく、ただ、日常を切取り、良いこともあれば、悪いこともあり、時々ドラマティックな日常を丁寧に描かれていた。不思議と2時間飽きずに見れた。最後の涙の意味は僕にはわからないが、芝居に釣られ感動させられる。
良くできた日常映像化作品とは思うが…。
人生の広大な山や深い谷、豊穣の地も荒れ野も歩いてきた(っぽい)静かに前向きな男の、平坦かつ深イイ毎日をほぼそのまま(と言うか監督の見せたい部分の繰り返しとその僅かな変調幅)映し出した定点ロードムービー‥
あれ?俺凄いな、高遠な映像詩作品を説明し切ってしまったぞ。でも決して単純とか浅いと言いたいわけでなく、本作は極めて静かながら均整の取れた映像進行と物語進行が美しく?、昨夜寝不足にも関わらず見ていて全然眠くなりませんでした。役所さんの演技所作は(台詞あんまり無い中で)自然で、助演の皆さんも上手いです。さゆりちゃん(子供の頃ファンだったので、すみません)が出てきて歌い出したのにはビックリしましたが、上手くまとめてました。
でも、よく知る東京の市井の風景と入ったこともある公衆トイレをかのWim Wenders監督が話の舞台として撮ったのだから、芸術的な特別感と親しみとが混じって映画を超楽しめるかと期待していましたが、やはりそうでもなかった。新しいと古いが混在の東京風景にしろ時代最新のトイレや面白いがフツーの日本人たちの詩的映像にしろ、監督の狙い通りに楽しめるのは、専ら日本(人・文化)をちょっと〜かなり知っている知的外国人さん達であり、本作品はそんな方達(だけ)向けの「平凡だが美しく深い日常描写映画」ではないでしょうか。私などには日常過ぎ・普通過ぎ・深すぎであまり味わえませんでした。
きっと、場所に特異的な映画はそういったものなのでしょう。私は昔、Sofia Coppola監督の「Lost in Translation」を観て退屈かつなんか東京が馬鹿にされてるだけの映画のように感じ極低評価でした。
今改めて考えると、そんな私が本作監督の「Paris,Texas」をなんか良く分からないが高評価していたのは私が日本人であり、東京は物珍しくなくとも米国テキサス州の未知の風景は新奇で楽しめたという部分が大半(あとは主演女優の美しさ→好みの違い)だったのかな〜
などと本作と全く関係ない思索をしてしまった次第です。
まあそんな訳?で本作は良く出来てはいるので、芸術的感受性や哲人度が高い方(皮肉ではありません自虐です)、海外または日本国内でも東京を異境の地と感じている方には良作たり得ると思います。些か支離滅裂失礼しました。
良い視点
東京のトイレに注目することと、
光と影の影のほうに注目することが
印象的だった。
最初はわかりやすいはなしだなって
あまり響かなかったけど、
姪との再会とか、
癌の男などのシーンで、
すごく涙溢れてしまった。
平凡な日々でも、
1人でも愉しくても、やはり感情を揺さぶらしてくれるのは、
人と人との関わり、繋がり、コミュニケーションなのではないか。
としみじみと。
ルーリードの"パーフェクトデイ"の曲が流れたタイミングが、女の子にチュウされたあとだったところも、すきだったな。浮き足立ってる主人公を彷彿させた。
この映画に感動するのって、つまりは禅とかBuddhaの精神が自分に流れてるからかなと思う。
美しすぎて胸いっぱい
観たい気持ち半分、観て悲しい気持ちになったら嫌だなぁと避ける気持ち半分で、遅れて今頃観た。後悔しかない。もっと早く観ればよかった!
映画は木漏れ日を愛する男、ヒラヤマの部屋の朝から始まる。
修行僧の部屋か、監獄か、と思うほど禁欲的な何もない部屋。手狭な和室にあるのは必要最低限の家具と本とカセットテープレコーダーだけ。
暗い中、ボロボロのアパートで黙々と仕事の準備をするヒラヤマ。トイレ掃除の道具を満載した軽自動車に乗り込み、カセットテープ(!)をかけ100円の缶コーヒーを飲む。でも不思議と悲壮感がない。
彼は黙々とトイレを掃除する、一生懸命に。やけでもなく、逃げ込む風でもなく、絶望感もなく。
日々巡りあう人々や出来事、天気、空、緑、風を味わい、心から幸せを感じる。彼の周りには不思議な空気が漂う。
個性的な人々が現れ、何か展開するのか?と思うとそうでもない。彼がこの仕事についた経緯も明かされるのかと思いきや、触れられない。伏線のようで伏線でもない。彼の生活の様々なシーンが、カレイドスコープのように散りばめられている。
同僚の彼女は、行きがかりでヒラヤマの車に乗り、彼の音楽テープを気に入り盗んでしまう。そして返しにきたという名目で車に乗り込み、頬にキスして去る。せつない。。
音楽の趣味は、意外に人の本質や心のひだまで写したりする。あの見た目、仕事、車、なのにあのテープ!惚れる気持ちもわかる。
そういえば学生時代、男子が好きな曲を集めたテープを渡してくれたりすると、告白されたくらいの起爆力があった(趣味があった時限定)
突然訪ねてきた年頃の姪に、ヒラヤマは、
「家出するなら叔父さんちって決めていた」と言われる。
大人として最高の賛辞ではないか。
ヒラヤマの周りにはいい女が集まってくる。いい香りの花に集まる蝶のように。
繊細でピュアな精神を持つ彼女たちは、もがきながら物質的な世界に生きている。
そんな苦悩はとっくに超越したヒラヤマの潔さ、繊細さ、慈愛の心に女達は打たれる。
地味で、オシャレの片鱗もなく、いわゆる負け組的仕事・住まい、ややコミュ障?
そんな世間のカテゴリーも評価も知りながら、ヒラヤマはその中に生きない、絶望していない。
ヒラヤマは、木漏れ日をモノクロのフィルムカメラでファインダーも覗かず撮るのが趣味。現像後出来を確かめ、NGと思えば破って捨てる。その日の光と風と葉とシャッターの気まぐれによる一期一会。モダンアート⁈ただものではない感が滲み出る。
ヒラヤマのポケットにはいつも古本の文庫本が入っている。TVのない部屋には本がぎっしり。彼の精神性、哲学は静かなあの部屋で本達と培われたのかもしれない。
感情をみせないヒラヤマが、ただ一度あつくなったことがある。姪を迎えに妹が来た時だ。
センスのない社長車の後部座席に座り乗り付ける妹、ヒラヤマの感性と違いすぎる。支配階級の家の出だとわかる。ヒラヤマと父との確執もチラリ。別れの時、ヒラヤマは万感の思いで妹をハグをする。愛していたけど、自ら家族から距離をおいたのだろう。
圧巻は、石川さゆり扮するスナックのママの元旦那(ガンで余命わずか)との川辺のシーン。
「影って重なると濃くなるんですかね」「何もかもわからないまま終わっていくんだなぁ」「あいつをよろしく(×2)」
のしんみりセリフからの、
二人で体の影を重ねてみたり、影ふみしたりのクレイジーなおじさん二人に、涙腺崩壊。
夜明けに仕事に向かうヒラヤマは、いつものようにテープをかけ車を走らせる。
世界を肯定するように一人笑顔をつくる。その目には、おさえてもおさえても涙が溢れる。目だけで語れる役所こうじ、さすが。
静かな映像、ストーリーなのになぜこんなに力強いのか。心を別次元に連れて行かれた。日々溜まっていたモヤモヤやストレスもどこかに吹き飛んでしまった。
2023年の映画のマイベストです!
平山さんに会いに行く
自分でもバカかと思うくらいひとりで号泣する事があるが平山の涙は何の涙だったんだろう。
寂しいでもない、悲しいでもない、うれしいや楽しいでもない、だとしたら何か。
寝て目が覚めたらそれはnew day。同じようでも同じ日は一日もないのだな。
淡々とした日常を見ているだけでこんなに心が揺さぶれるなんて。
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