PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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no music no life
隙間なく密集した無機質なビル群の隙間の中をグルグルと駆け巡る首都高速と忙しなく先を急ぐクルマたち。
人と車が行き交うどこにでもあるような情景に時折り現れるスカイツリー。
昭和の雰囲気が漂う人情味に溢れる下町の日常。リアルな東京。そして彼の存在。
どんな人間に対してもあんなに優しい表情ができるなんて、自分にはとうてい出来ないな。
彼がこれまでどんな人生を歩んできたのかはわからない。
でも毎朝空を見上げた時に見せるあの優しい笑顔の表情から伝わって来る。
彼は自分で選んだ人生を一人で生きていく時間の流れを穏やかな心で愉しんでいる。
とても穏やかな映画でした。
彼の住んでいる町に行ってみたくなりました。
そこに行けば彼に会えそうな気がして。
彼は毎朝仕事に向かう時、慌てがちに玄関の扉を開け、
外に飛び出したと同時に空を見上げ笑顔を見せる。
朝の澄んだ空気を深呼吸。
体の中が清められるような感覚。
湧き上がる幸せな気持ち。
昨日の出来事やトラブルや悩みは浄化され清々しい気持ちでまた1日が始まる。
そしてあの笑顔。
自分もそんなふうになれたらなぁ…と思いました。
追記
昭和のウイスキーのCM のようなカットがあり役所広司にしか出せないあのシブさ。
あんなふうになれたらなぁ…とまた思ったのでした。
何で高評価?
観賞する前から、特に大したことは起こらない淡々とした内容の作品なのだろうとは予想していましたが、ここまでとは思いませんでした。私の感性がおかしいのだとは思いますが、何も伝わってくるものはありませんでした。
また、ただでさえエピソードが少ないのに、その少ないエピソードから響いてくるものは何もありませんでした。全くやる気のない相棒や売る気もないカセットテープを売りに行く場面、スナックの場面、三浦友和との場面など必要だったでしょうか?かえって無い方が良かったのではと思いました。いったいこの監督は何を撮りたかったのでしょうか?私には日本をよく知らない人が、神社、トイレ、自販機、銭湯、食堂、スナックなど、日本ぽい物を撮りたかっただけにしか見えませんでした。
それと、私の身勝手な憶測ですが、この作品の主人公のような生き方を良く思う方々は、仕事で毎日トイレ掃除をしたことがない人で、結局「隣の芝生は青い」のだと思います。
【"木漏れ日。”東京の公園の公衆トイレ清掃を生業とする男のルーティンな日々の中、小波の様に起こる出来事を静謐なトーンで描いた作品。人生の真なる豊かさとは何であるかを考えさせられる作品でもある。】
ー 今作の主人公である男の苗字は、平山である。
この時点で、今作を製作した小津安二郎監督作品を敬愛する、ヴィム・ベンダース監督の想いが伝わって来る。
そして、今作品の魅力は、”現代の平山”を演じた役所広司さんの抑制しつつも、確かなる演技である事を再認識した作品である。-
■男(役所広司)は、仕事のある日は早朝に近所の住人が箒で道路を掃く音で目覚め、”The Tokyo Toilet”と背中にロゴが入った青いつなぎを着て、玄関脇に置いた車の鍵、小銭(何故か時計はしない。彼は仕事のある日は体内リズムで時を感じるからであろう、と鑑賞中に思う。)を手に取り玄関を出て、空を見上げてから自販機で決まった銘柄の珈琲缶を買い、一口飲んでから気分に合わせて60年代ロックのカセットテープを流しながらミニバンを仕事場に走らせるのである。
◆感想
・冒頭、上記の仕草をした男が車内で掛けたカセットテープから流れる”朝日のあたる家”を聞いた途端に”この映画は面白いぞ!。”と確信する。
・更に別の日には”The Velvet Undergroundの”PALE BLUE EYES"を流しながら、男は公衆トイレに向かうのである。
ー 無茶苦茶、センスの良い選曲である。-
・男は公衆トイレに着くと、手際よく且つ丁寧に仕事をこなして行く。
ー 使用者が来ると、さっと作業を止め、外で待つ。その間に彼は木漏れ日や公園のルンペンの初老の男(田中泯)のゆったりとした踊りを楽し気に見ているのである。-
・男の相棒の若い男(柄本時生)は、スマホで話しながら清掃をしているが、彼はその姿を見ても咎めない。
・男の昼食はほぼ決まっていて、ある神社の境内のベンチで食を摂る。サンドイッチと飲み物。そして、男は胸ポケットに入れてある小型カメラで境内の木の葉の間からの”木漏れ日”を写真に撮り、時には木の根の近くに生えて来た小さな枝を、新聞紙で作った小箱に神社の宮司とアイコンタクトで許可を貰ってから移し替え、家に戻り育てている。
・男は仕事を陽が高いうちに終え、銭湯が開いた途端に暖簾を潜り、一番湯に浸かるのである。年輩の常連客に軽く会釈をする男。そして、行きつけの酒場でレモンチューハイを飲み、家に帰りフォークナーの小説を読みながら、寝落ちしていくのである。
ー 実に、豊饒な時間を過ごす男であると思う。-
・休日には、男は、”Lou Reed"の”Perfect Day"を部屋で寛ぎながら聞き、水に濡らした千切った新聞紙を部屋に撒き、埃を吸わせ手際よく掃除をする。
そして、平日には着けない時計を手首に嵌め、外に出る。
つなぎを始め洗濯物をコインランドリーで洗い、古本屋で幸田文の「木」の文庫本を購入し、行きつけの小料理屋でレモンチューハイを呷る。女将(石川さゆり)は何だか、男に好意を持っているらしい気配である。
ー 男が、自由な生活を楽しんでいる事が良く分かるシーンの数々である。-
■男のルーティン生活の中で起こる小波
1.相方の若い男が気にしているアヤ(アオイヤマダ)にパティ・スミスのカセットを気に入られ、車内で流す。アヤはそのカセットテープをそっと、袋に落として去る。
その後、若い男からアヤの店に行くため金をせびられ、一緒に中古レコード屋に行く。若い男は、男の所持品である60年代ロックのカセットテープを店の男に見せると、高額金額を提示され驚くが、男はカセットテープは売らず(そりゃそーだ!)、若い男に金を貸してやるのである。
そして、車で家に帰る途中にガス欠になり、男はカセットテープを持ち、橋の上を走って行く。彼がそのカセットテープを、中古レコード屋で売ったシーンは描かれない。
ー 観る側に、解釈を委ねるシーンである。男がどのカセットを手にしたのかが、妙に気になる・・。-
2.ある日、男がアパートに戻ると階段に女子中学生位の女の子が座っている。男は”ニコか!大きくなったな。”と嬉しそうに言い、彼女を家の中に入れるのである。
ー 最初は、ニコが男の娘かと思っていたが、妹(麻生祐未)の娘である事が、後のシーンで分かる。
序でにニコという名は”The Velvet Underground” のファーストアルバム”The Velvet Underground and Nico"から取ったのだろうと勝手に推測する。-
ニコは男の妹であり彼女の母と何か揉めて家出したらしいが、男は何も聞かない。ニコは男の所有するパトリシア・ハイスミスの”11の物語”を読み耽り、男と一緒に銭湯に行ったり(男はコッソリ、彼女の母に公衆電話から電話している。)男の仕事にも付いてくる。
或る晩、彼女の母が運転手付きの高級車で彼女を迎えに来る。ニコは”11の物語”を未だ読み切って居ない。特に”掌編すっぽん”の主人公の少年は私だよ!”と多少抵抗するが、素直に車に乗る。
そして、男の妹は”お父さんがもう・・。逢いに行ってあげて。”と言うが男は答えずに、涙を流し妹を抱きしめるのである・・。
3.休みの日、行きつけの小料理屋の扉が開いていて、男が覗くと女将と見知らぬ男(三浦友和)が抱き合っている。
男は慌てて自転車を漕いで店を離れ、コンビニでハイボール三本と煙草を買い、夜の川沿いで独り呑んでいると、女将と抱き合っていた男が現れる。
そしてその男は自分は癌であり、女将の元夫だと言って男から煙草を貰い、咽びながらハイボールも一缶貰い(元夫は、最初は固辞するが。)二人で影踏みをして遊ぶのである。
ー 女将の元夫が男に頭を下げて言った言葉。
”アイツを宜しくお願いいたします。”男は、”いや、そんな関係ではないんです。”と答える。
役所広司と三浦友和という邦画の名優二人の演技が光るシーンである。-
<今作は、ラストシーンも素晴らしい。
男は早朝、朝日が差す中、ミニバンを仕事場に向けて運転している。
男の顔は、笑顔でありながら涙が目尻に湧き、徐々に上記の色々な小波を思い出したのか、泣き笑いの表情になって行くのである。
正に役所広司さんの畢生の演技である。
今作は、”人生の真なる豊かさとは何であるか。”を観る側に考えさせる作品でもあるのである。>
<2023年12月22日 劇場で鑑賞>
<2023年12月29日 別劇場で再鑑賞:レビューも少し追記する。>
■依って、勝手ではあるが、評点を4.5から5.0に変更させて頂きます。
<2023年12月31日
あるレビュアーさんから御指摘を受け、一部修正しました。有難い事です。>
渋谷のアーティストデザイン公衆トイレのステルスマーケティング。
鑑賞のキーワード。ルー・リード。納戸のキャディバッグ。石川さゆり。木漏れ日。主人公が『平山』。パトリシア・ハイスミス。
小津安二郎をリスペクトするジム・ジャームッシュらしく、主人公を「平山」としているあたりで(小津の小市民映画の主人公は「平山」が定番)、そうとうな目配せしています。一番気になったのは「平山」がなぜ、この生活になったのか。という行間の読み取り。姪が家出して、妹が引き取りに来た時の会話で「父親との確執」が暗示される。さらに、住居の納戸にキャディバッグが置いてある(処分されていない)というカットで、かつてはゴルフをたしなんでいたという描かれ方をされている。「平山」が何故このウルトラシンプルなルーティンライフに至ったかを理解したいのだが、そういったパーツを繋げて想像するにしても、悩みますね。結論として、このシンプルライフを主人公が、最初から意図して始めたのか、それともリア充なプチブル生活を捨てて、世捨て人のように生きるように人生をリセットする事件の結果として始めたのか、という二つの解釈があるのですが、キャディバッグのカットで、後者であると断じます。
描かれている、凛とした、簡素な生活を淡々と描写しているのを見て「ああいう生活にあこがれる」という観客が多いでしょうが、僕は「ああなることを決断させられる現実の諦観するきっかけがあった」という主人公の<過去の悲劇>に思いをはせてしまいます。
視点とは発見だ
見事に何も起きない日常を描き、感動させてくれた。
その作劇の秘密は視点だと思う。些細なことが絶妙なドラマとなって日々が綴られる。そこに人生の豊かさを感じる事ができる。
透明トイレのやりとり。いいかげんな若者。大の大人のくだらない影踏み。
ラストの主人公の表情が全ての要素を昇華していく。
まさにPERFECT DAYSだった。
たまにウトウトする。鑑賞後、とても満ち足りた気持ちになる。【追記】長井短さんが長井短さんぽくって良かった。
たまにウトウトしたけど、鑑賞後とても満ち足りた気持ちになる。
平山の日常は平凡だが人生は満ち足りて充実してる。仕事は公共トイレの巡回そうじ。趣味は読書、音楽鑑賞(洋楽)、カメラ(木もれ日)。酒とタバコはたしなむ程度。一人暮しでパートナーはいない。
仕事の移動中に車で洋楽のカセットを聞き、休憩中に木もれ日の美しさを写真に撮る。仕事帰りに一杯やって、家で文庫を読んで寝る。
毎日こんな感じの平山の日常が、2時間何度も繰り返される。
休日の定番は、洗濯、写真の受け取りと依頼、古本屋で100円の文庫を一冊買う、行きつけの飲み屋に行く。
エンタメ性が高い大きな事件や事故は起きないが、木もれ日のささやき程度のざわめきは起こる。
同僚のタカシが急に辞めたのでそのカバーを1日だけしたり、タカシの彼女が平山のホホにキスしたり、行きつけのバーのママが知らない男と抱き合ってたり、家出した姪を泊めたり。
TOHOシネマズ日比谷で、10/24(火)~10/30(月)の1週間、特別先行上映。
最終日に2回鑑賞。 満員に近かった。いつも観客がすごく少ない地元周辺の映画館なので両隣に人がいるだけで疲れた。
【追記】12/22(金)再鑑賞
淡々とした平山の日常生活を見てるだけなのに、なぜか心が満たされる。ヤッパシ途中で少しうとうとした。改めて平山がていねいに仕事をしていると思った。
仕事中にトイレで泣いていた迷子のママを探したり、知らない誰かと○✕のやり取りしたり、いつものベンチで昼を食べてると最近同じOL(死語?あるいは差別的?)が隣のベンチにいることに気付いたり、木の若葉を持ち帰ったり、その他もろもろホント些細なことを通して平山の輪郭が見えてくる。
長井短さんが長井短さんぽくって良かった。僕はいつも長井タンさんと言ってる。
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