PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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おっさん理想の日々
平山の日常の所作を繰り返すショットが誠に映画的で、さすがにベンダースは上手いと今さらながら唸る。
なぜか主人公は「底辺の仕事をする貧乏な老人」であるという勘違いをよく目にするが、そんなことはない。裕福な家庭に育つも親と絶縁し、まともな仕事でそこそこ稼ぎ結構浪費家でもある50代後半くらいの設定。
寡黙ではあるものの表情は豊かで趣味は豊富。女の子にチューされればにやけるし、バイトがバックレたらプンスカ怒る。惚れた女性(石川さゆり)の前ではめちゃくちゃ饒舌だし、初対面の男(三浦友和)に積極的に絡んでいったりもする。
寡黙だがよく笑う主人公。これを役所広司はアンミカの「白は200色あんねん」を地で行くように、繊細に笑いの機微を表現する。本当に素晴らしい演技。
平山が車内のカセットデッキで聴く音楽はいかにもベンダース。金延幸子「青い魚」がかかったのは嬉しい驚き。同僚の友達の女の子がパティ・スミスを好きになるのはありきたりなシーケンスかもしれないが、オッサン的には何か嬉しい。カセットを鉛筆でクルクル回したり、フィルムを現像したり、毎日居酒屋で一杯だけ飲んだり、おっさんが落ち着くショットは数多い。
とにかく、多くのおっさんにとっては理想的な日常が描かれたファンタジックな映画。公共トイレを掃除しているだけで社会問題をテーマにしていると思い込む諸兄はご注意を。
あと、役所広司と三浦友和の絡みは最高ですね。今撮ってくれてよかった。
絵になる役所広司と存在感が凄いトイレたち
役所さんは朝起きて毎日ルーティンを淡々とこなし、仕事に行って帰って来たらまたルーティンをこなして寝るだけ。なのにずっと観ていられます。
恐らく様々な挫折を繰り返した末に、あるいは深く傷ついて全てを捨ててトイレ清掃員になった平山。俗世間のしがらみとは一線を画す生き方は格好よく見えます。
余計なものは持たず、他人とも必要以上に関わらずに暮らしていても、さざ波のようにちょっとした変化は起こります。それを静かに傍観する平山。でも世間を完全に見捨てたわけではない彼の眼差しは温かいです。
監督は以前日本に滞在した事があるのでしょうか。居酒屋や銭湯の雰囲気がとても良かったです。ただ多分想像で作り上げたであろう部分はちょっと違うかなとも思いました。平山のような人物、というか年配の男がハグとか影踏みとか「今はいまー」「今度はこんどー」とかやらないですから。
あと、欧米ではホワイトカラーは決して清掃員などやらないのでしょうが、日本では、リタイアした人がやるのは珍しくないので、そこはもしかしたら誤解があるのかも、と思いました。
公共トイレの清掃員を生業としている中年男性の平山。 平山の毎日はだ...
公共トイレの清掃員を生業としている中年男性の平山。
平山の毎日はだいたいがパターン化されているが、それでも毎朝、新しい気持ちで生活を営んでいる。
人によっては、取るに足りない人生に思うだろうし、トイレの清掃員という仕事は社会の底辺の仕事と思う人も居るだろう。
全く世界を意に介さず、独自の世界を形成する平山の生き様に、少し重なる部分があって、少ない台詞や少ない他人との関わりが愛おしくて、ラストに流れる『Feeling Good』で泣きそうになった。
私も業種は違うが、低所得なエッセンシャルワークに就いている。
たとえコロナで世界が激震していても、仕事を休めず社会で働いていたが、今だに、同じ仕事を、どこかで誰かと繋がることもあろうと思いながら続けている。
私も平山の言う、沢山の世界の1つなんだ…と思ったら、まるで人生を肯定されているようで、嬉しいことも辛いことも起こるけど、それでもこれからも生きることを続けていこうと思えました。
こんな、センスの良い、素敵な作品を世に送り出してくれたヴィム・ヴェンダース監督に感謝します。
淡々とした日を過ごしていく、同じ暮らしの繰り返し
人生を美しく生きるのは自分次第
古く汚いアパートのきれいに片付いた部屋に住む平山の日常を描く。何の事件も起きない。それだけなのになぜ引き込まれるのだろう。
まさに人間は内面で勝負だ。いい家に住んでいてもSNSで人を攻撃しているだけの人もいるだろうし。
役所さんのヘアスタイルが素敵なのでアデランスかと思ったら銭湯で洗髪していた。髪が豊かでうらやましい。
三浦友和。なんでいつまでも声が若いんだ。二人のシーンは近年まれに見る優れものではないでしょうか。
住んでいるのが下町なのに、掃除するのが渋谷の特殊なおしゃれトイレだったり、実は富裕層の勘当された息子っぽかったり、思春期の姪が信じられないほどいい子だったり、多少の嘘くささは漂う。しかし見ていて気持ちのよい、人生を大切にしよう、美しく生きたいと素直に思える映画だった。
あんまり好きではない。
好きか嫌いかで言うと嫌いだけど、
ヴィムベンダースがナチュラルに東京と撮ってるのがすごいと思う。
小津安二郎へのオマージュが言及されていている今作。
小津映画数本しか観れていないけれど、ものすごい完成度の映像だと思う同時に日本的家族感やお節介的人情味や男の身勝手さがやや苦手な私としては、
日本の日本家父長制的な家族を良いものとしては撮ってないと思うと言っていた黒澤清の言葉を思い出すまで(たぶん東京映画祭)、だーいぶモヤモヤしながら居心地の悪い気分で観てたが
この映画ストーリー、人物を“良いもの”として観なくてもいいと思ってから安心して観ることができた。
主人公のトイレ掃除のおじさんは
質素な生活をしているけど、結局まぁまぁ裕福な実家をもつ人がやっている選択的貧乏であって
きっとこの人のお父さんが死んだら死ぬまで困らない金額が口座に入るんだろうな。と思った。
食うや食わずの切迫した人とは違うから、
あの若者が飛んでシフトパンパンになったとたんイラつき出すのは自分の優雅な質素生活が乱された怒りだと思う。
同じく役所広司主演の「すばらしき世界」は、ほんとうの本当にぎりぎりの生活に追い詰められたおじさんを描いていて、同じ質素な部屋に住む日本人のおじさん同じ役者を使って撮った作品としては、話は雲泥の差があると思う。
結局この映画はおじさんが気持ちよくなる作品なんじゃないかなーっと思ってしまったのが私の感想です。
そう思うと、オタールイオセリアーニ監督の作品は
満ち足りたように見える裕福な人物と何も持たず貧乏ではあるがある種の優雅さがあるような人物がグラデーションでクロスしていく描写が多いけど、嫌味がなくとても美しいのはなんでだろう。ただの好みの問題もあると思うけど、違いはなんだろうと思った。
「素敵な歌と舟はゆく」はけっこうそこが主題な気がするのでまた見直してたい。
人生はPerfectでなくても、 Perfectな日々を送ろうと思った。
いつトミー・リー・ジョーンズが出てくるのかと思って観てた。エンドロールの後に、あの自販機の中から出てきたら面白かったのになぁ。(冗談です)
ひとつひとつのエピソードや登場人物、時々インサートされるモノクロームの夢、どれもがつながっていくわけでない。なのにどうしてこんなに惹きつけられるんだろう。
いっそもっと何も起こらなくてもよかったと思うくらいいつまでも観ていられる。(若い人たちには物足りないのかな)
役所広司演じる平山という男のバックグラウンドは想像するしかないけれども、観ている自分も平山と同じ気持ちになって微笑んだり、ちょっと嬉しくなったり、泣いたりしてしまう。
役所広司さんは唯一無二の俳優だなぁ。
例えばこの役を、三浦友和が演じてたら。
中井貴一だったら、佐藤浩一だったら、真田広之、渡辺謙、小林薫、、。過去に遡って、笠智衆、志村喬、三船敏郎、渥美清、高倉健、、、。
いろいろ想像しても役所広司さん以外に考えられない。(高倉健、いいかな。いや洋楽似合わないな。)
大谷効果で日本の人気が上がってるということでなくても、作品も含めてアカデミー賞は間違いない。
と期待したい。
帰りに幸田文の「木」とパトリシア・ハイスミスの「11の物語」買ってきた。持ってるのに。
もちろんBOSSも。
非常に単調ながら、何故か観ていられる。
主役 役所広司
青緑の世界
冒頭から感じるのは撮影や色が素晴らしいということ。実際そうではないだろうけど、なんだか全体的に青緑色のフィルターが掛かっている様に感じた。
几帳面で無口な平山が淡々と朝のルーティンをこなす姿がとても自然で良い。トイレ清掃の動きもかなりの手際の良さを見ることができて、平山の人物像の描写にリアリティを感じられる。
音楽を聴いて、写真を撮って、少しのお酒を飲んで、読書をする。という日常の繰り返しはインパクトは無いものの映像の美しさと自然な所作が良くて、見ることができる。
そんな淡々と繰り返す日常に小さな出来事が彼の日常を彩る。そのどれもが、嬉しいことでもあれば辛いことでもある。
迷子の子供を助けるが、母親に無碍にされる。でも子供が手を振ってくれた。
無責任な同僚に振り回されて、泣く泣くカセットを売ることになるが、美女からキスされる。
その同僚にも彼を慕う友人との素晴らしい関係性があった。
家出した姪っ子がやってきて、慕ってくれるが母親(妹)からは暗に軽蔑されている。(家族関係が気になる。あの涙はなんだ。)
同僚が辞めてシフトが自分に降り掛かったが、新しくきた人は真面目そうだ。
好意を寄せていたスナックのママに実は恋人がいた。と思ったが、別れた元夫だった。でもその人は病に犯されていた。。
ルーティンの中で、見ている側もだんだん退屈になってきたな。というところで、これらが差し込まれるのと、冒頭のように美しい景色が入るので、脱落せずに見れた。
また、個人的に好きだったのは、昼休憩の時に隣のベンチに座っているOLや公園のホームレスなど、何度か顔を合わせただけで、会釈するだけの、とても薄くだけど関係性が築かれていくところ。なんだかとても嬉しくなった。
あと、ニコ(姪)との生活のシーンもとても良かった。彼女が登場したお陰で、ルーティンが華やかになって、平山が無口で生真面目な性格というだけでない人間的な魅力を見ることができた。
このシークエンスによってラストの友山(三浦氏)との重なった影論争でも違和感無く、平山の言葉が響くのである。「何にも変わらないなんて、そんなわけない」だったか。またいつものルーティンに戻る生活だが、そんな人生だって必ず何かが変わっているはずである。
気になった点は、1日が終わる毎に挟まる夢?の情景がしつこいと感じてしまったこと。毎回10秒程度、不穏なよく分からない映像を見せられ、しんどかった。別に主人公が夢に何か影響を受けているわけでもなく、毎度見せられる意味が分からなかった。
明らかにママの歌が上手すぎる。当然本気は出してない感じだし、あくまで歌の上手い女性を演じているのは分かるが、表現力といいプロが溢れ出ている。
上映時間が120分あるが、作風と繰り返す日常に、さらに長さを感じる。
上映が終わって、客が席を立ってゾロゾロと出て行く時、自分も含め、自然と譲り合いが起きたように思えたのがなんだか良かった。
脱目的の自由な時間が流れる
<ただその日を過ごす>
ただその日を過ごす、という生き方に憧れます。
それは、未来でも、過去でもなく、現在を生きるということなのでしょう。
未来に目標や目的を定めて時間を使うのに慣れてしまっている私には難しいことですが、そこに生き方のヒントが隠されていると感じます。
そこでは、どのように時間が使われているのか想像できません。
受動的で変化が少ない日常なのか。そこに喜びはあるのか。
そもそも変化は訪れるのか。そこで生きている実感は得られるのか。。
<時間は使わない、時間が流れる>
PERFECT DAYSは、そんな生き方を描いています。
トイレ清掃員の平山は、神社の杜の掃き掃除の音で目覚め、歯を磨き、缶コーヒーを買い、仕事に行き、薄い布団のなかで文庫本を閉じて眠りに落ちる、といった決まったルーティーンの日常を過ごしています。
しかし、判を押したような決まった日常かというと、そうではありません。
そこには微かな変化がみられます。
仕事の同僚の彼女が尋ねてきたり、同僚が辞めたり、突然姪が尋ねてきて同居生活が始まったり、行きつけスナックのママの元旦那と出会ったり。
変化は、必ず自分をとりまく周り(他人)からもたらされます。
もし周りから影響されなければ、平山は変わらない日常を過ごし続けるでしょう。
自らが自分の時間の使い方を変えることはありません。
しかし、変化は次々ともたらされます。そして平山はその変化をそのまま受け入れていきます。
そこでは、平山が能動的に時間を使うというより、揺れ動く時間が平山の身体に流れている、といった表現の方が当てはまりがよいでしょう。
流れる時間をそのまま受け入れる。そのことで、かえって過去の縛りや未来の目的から解放されて自由になる。そして、生きている実感が得られる。
現在を生きるとは、そんな時間のあり方なのだと感じさせてくれます。
<別設定で観てみたい>
ところで、この映画をまったく別の設定で観たかった、と密かに思うのは私だけでしょうか。
一つは、トイレです。
平山がトイレ掃除の仕事に出かけるのは、THE TOKYO TOILET プロジェクトで著名な建築家やクリエイターが改修した渋谷区内にある新しくクールな公共トイレです。もしこれが、まだ各所に残る汚い不潔な公共便所だったら、我々はこの映画をどのように見るのでしょうか。
同じことは、役者・役所広司にもいえます。
流れる時間をただただ受け入れる平山役にしては、役所広司は生きる力が外向きに溢れすぎているように思えます。(さらに同じことは田中泯にも。)
もし廃人を演じられるような役者、あるいは役者以外の人物が平山を演じたとしたら、この映画はどんな印象になるのでしょうか。
ヴィム・ヴェンダースによる東京映像詩
今の私には合わなかったですね
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