PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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時間
ラストシーンが秀逸だった。
人は喜怒哀楽を、いつも露わにして生きてはいない。何気ない日常にさざなみがたったとき、ちょっと笑ったり、ちょっと哀しんだり、ちょっと怒ったりするものなのかもしれない。それがないまぜになったりするのかも…。
誰もが何気ない日常を生きていて、そこにさざなみがたつ一瞬がある。その繰り返しなのかも知れない。そこに善や悪はなく、ただ時間が流れている。
「前」も「今」も「今度」も、その流れの中にある。
日常が永遠に続く訳ではない⁈
驚くような事件は何も起こらないのだが、とても心に沁みる作品。やっぱりコロナ禍を経験した後だからこそか? (作品の企画、キッカケは2018年だったようですが…)
役所さんが演じる、淡々とルーチンな日々を送る公衆トイレ清掃員の平山。朝イチの缶コーヒーとカーステのカセットで流すお気に入りの音楽で一日のスイッチを入れ、黙々と清掃作業をこなし、ランチ休憩の境内で木漏れ日を写真に収め、銭湯の一番風呂に感謝し、その後に寄る安居酒屋での一杯に至福の表情を滲ませる。そして、アパートで好きな本を読みながら、せんべい布団で寝落ちする毎日。
そんな日々の中の些細な幸せ。偶然発見したまるバツゲームにちゃめっ気を出し、ホームレスのダンスに感嘆し、木の芽を見つけて大事に持ち帰り慈しむ。
この毎日こそが、パーフェクトデイズだった⁈
ところが、小波のように、同僚の若者が絡んだ小さないざこざがあったり、裕福な実妹の娘が家出して安アパートに訪ねてきたり、休日(休日だけ、腕時計する)のルーチンではあるが平山にはハレの空間の小料理屋の女将と元夫の再会に出くわす、なんて事が起きて…
それらが、平山の日常、そして感情を大きく揺さぶった事を、ラストに役所さんの素晴らしい表情の変化だけで描く。本当に見事なシーンでした。
でも、平山はその後またパーフェクトデイズに帰って行くのでしょう。
女将が常連客のギターに合わせて歌う曲、運転中や休日のアパートでカセットから流れる楽曲がどれも素晴らしかった! あと、浅草やきそば福ちゃん、久々に行きたくなりました!
新年早々に良い作品に出会えて感謝です。
とても味わい深いが、強烈な3D酔いが襲って来た。
iTunesかSpotifyでlou reed の"perfect day"を聴いてみて、好きだったら観ても良いですが、今一つなら観ない方が良いです。
あの曲を映像化したと言っても良い。淡々と始まり抑揚もなく、淡々と終わる。その世界観にしばし意識を浸せるかどうか。
被害者多数の様子でした(笑)。観客のお一人は「役所広司やからもっと面白いと思ったのに」と文句を言ってましたが、役所広司の動の演技を期待してたんでしょう。
敢えて言うと洋楽聴かない人(英語が堪能な人を除く)は楽しめないと思います。歌詞の意味のよく理解できない音楽を楽しめるか、雰囲気を楽しめるかなのかなと。
僕はと言えば楽しめました。この手の山もなければオチも無い映画はそういう楽しみがあるのは分かりますし、功成り名を遂げた巨匠の最新作(最近この手のマスターベーションにうんざりしてるもので…)ですが、映画としてとても丁寧に作られてるのがよく分かる。
個人的にはperfect dayよりもpale blue eyesがグッと来ましたが…。
が、後30分長ければ劇場を出てました。
あの揺らぎを表現した映像は「所謂3D酔い」を引き起こします。半分を過ぎた辺りから気持ち悪くなり出して、前半の単調な展開(後半も大差ないですけど」と相まって一時は限界寸前まで追い込まれました。その意味でも酔いに弱い人は避けた方が良いかなという感想でした。元々の評価は星4ですが、あの拷問のような綺麗な映像で星一つマイナスです(これは僕の完全な体質の話ですけど)。
それと、平山の生活は不可能でしょ…と日本居住者として思いました。あの立地で駐車場代幾らするのよと。実はあの付近の土地は平山の物だったりして…なんて変なことを考えてしまった。ファンタジーなのに、野暮な話ごめんなさい(笑)。
そして生活はつづく
東京のど真ん中。スカイツリーのそばで暮らすトイレ清掃員のおっちゃんの日常を覗き見る話。
派手な出来事もなく淡々と日常を繰り返す。
朝起きていつものルーティン、植物の水やり、仕事に行く車内のカセットテープ。そして仕事中にある自然の機微やちょっとしたユーモア。
おっちゃんの好むものは、人から見ればどうでもいいことかもしれない。
ただそれこそ住む世界が違うだけの話。人に踏み込まず一定の距離だけど、相手の好きを尊重するおっちゃんは超イケおじ。日常系リアル充実おっちゃん。
正直、見ていて単調だなーと思いました笑
全然会話しないし、流れる景色だけのシーンが大半。
でも本当の日常ってこんなものだ。なんてことない日が一番なんてことあるもんだ。
映画終わりにZORNや田我流、星野源さんの曲が聴きたくなりました。
「日々をかみしめ生きてゆく」芸術的一作
カンヌ映画祭で賞をとったようですね。
あまり邦画は見ないのですが、賞賛のレビュー多く今年の1本目として拝見。
初めのボロアパートシーンは古いながらも、主のこだわりや趣向が十二分に表現されており、貧しいけれど暮らしに満足している事がすぐに伝わりますね。植物を小さく育てている、玄関の鍵をキレイに並べている等、日々を丁寧に過ごしているのが伝わります。
作中の出来事も淡々と過ぎてゆきますが、主のほんの少しの表情の変化を通して心の機微が伝わります(迷子の子供が手を振ってくれたシーンの役所浩司の微笑みは、この映画の中でもトップクラスに好きです。
この映画、室内や自然、夜景が美しいんですよね。それも、本作の品の高さを支えていますよね。
起承転結がかなり薄いですが、解釈を観る側に委ねている芸術作品を拝見出来ました。
恐るべしは柳井さん
日々、同じルーチンをこなすように生きていくことは、実は、今もやっているのかも知れないけど、朝起きて空を見上げる。食事に際して、木漏れ日を眺める。そして、その一瞬をカメラで切り取る。こういう風に丁寧には生活していないかも知れない。日々、完璧な日と思えるように生活していくことが重要かも知れない。ただ、なかなか難しい…。
だから、多くの人が、この物語?に感動するのかも知れない。
この映画の主人公の平山のような人は、実はいないのかも知れないけど、そういう人がいることでキレイなトイレがあり続けることを願って、私財を投じてトイレを創った柳井さんは、恐れるべしか…。
そこに一番感動したかも?
平穏な日常の美しさに気付かされる一方、『海外の反応』みてるみたいだなと客観視する自分も。
役所広司がトイレの清掃員として日々の日常を送るという、ストーリーの概要を説明すればただそれだけの映画。日常の中の何気ない感動や美しさを切り取るのがうまい。たとえばふと空を見上げた時の木漏れ日だったり、見ず知らずの人とのちょっとした交流だったり、些細な幸せにフォーカスがあたる。無表情の役所広司が少し顔を緩ませるのをだけでなんかこっちまで幸せな気持ちになってくる!
「あなたにとっての幸せってなんですか」と聞かれた時に、「朝起きて布団を整え、着替えをして歯を磨く…そんな些細な日常が私の幸せです」という返答って一定数あると思うけど、その日常の幸せみたいなのが上手く映像化されていたなぁと思った!
仕事仲間が飛んで遅くまで残業してイライラしても次の日にはちゃんと補填の人がやってきて平穏へ戻る…
姪がやってきて、2人で暮らすという変化がらあっても2日後には母が迎えにきてまたいつもの日常へ戻る…
何か劇的な展開があるのかも!?と思ってもあくまでも日常に戻るというのがちょっとツボだった。笑
あと、最後の方の初対面のおじさん同士で影踏みするシーン、「では私から、いきますよ」とか敬語でちょっと気を遣いながらも笑い合って楽しそうにしてるのが微笑ましくて可愛かった!
人によっては眠気を誘うであろう静かな映画が、ここまで評価されているということに驚いた!キャッチコピーにもある通りに、「こんなふうに生きていけたなら」と多くの人が思っているんだろうなと感慨深くなった。
色々と考えながら観られるような余白が多い作品だと思ってて、鑑賞中も色々「どんな幼少期を送ってきたのだろう」とか、「あのママへの気持ちはどんなものなのだろう」とか、色々考えている中でふと客観視して観る時間も多かったので、
日本の日常が美しく映っているシーンを、『海外の反応まとめ』に書いてある美しい『ザ・日本』そのものみたいだなと思ったりしてしまった。笑(批判しているわけでも皮肉っているわけでもない)
日本好きの海外の人が観たら、「ZEN!!」と喜びそうだな〜なんて思いました!笑
日本の日常がここまで美しく描けるのは、海外の監督がつくってるからだよなぁ〜と。
役所広司で成り立っている映画
映画をエンタメとして楽しみたいのであればこの作品はお勧めできない。アートっぽい作品とか好きな人はいいかもね。もう冒頭喋り出すまでが長すぎる。テンポも悪い。
結局なんなのかわからないオチ。そもそもオチもついてない。姪関連のシーンは良かったけど、最後のスナックの元旦那も出す必要あった??どうせだったらもっとあの人の過去とか家族関係をクローズアップして取り扱った方が面白かった。匂わすだけ匂わしといて出さないんかい父親。
役者たちの芝居は流石素晴らしかった。
演出も良かったけど、やはり脚本が私は気に入りませんでした。流石に過大評価かなー
巡りくる朝へのときめきと感謝を胸に生きていく
こんなにも透明感のある静謐な時間を体感できる映画は初めてです。ヴィム・ヴェンダースは、公衆トイレの清掃人である初老の男のつつましくも穏やかな毎日の繰り返しを淡々と描いていて、劇中では事件らしい事件も起きません。主人公の家は築50年くらいのアパート、趣味はカセットテープの音楽とフィルム式カメラ、1冊100円の古本の読書で、携帯はガラケーとアナログなライフスタイル。それでいて、彼の隠者のような毎日から目を離せず強く惹かれるのは、細くても他人とのつながりを持ちつつ決して争わず、平凡な日常の中にささやかな喜びをみいだす穏やかさが、現代の生活では得難いものだからだと思います。同じような毎日、でも少しの変化を感じ、今日も無事に朝を迎えることに喜びを感じる主人公の謙虚さ、清々しさが心に残ります。タイトルの意味がそこにあると気づき、とても満ち足りた気持ちになります。役者では、役所広司の自然な演技が胸に沁み入るようで、彼自身の代表作と言えます。他の出演者の皆さんも出番が少ないながらも、いい味を出していました。
不思議と眠たくならない
ただ淡々と…
平山(役所広司 )のなんの変哲もなく
過ぎ行く1日1日を
見て、感じて、溶け込み同化する感覚
流れる洋楽
mama(石川さゆり )の哀愁漂う歌
ラスト、平山の表情に物語の全てが
込められているようでグッと惹き込まれます。
冒頭2箇所めのトイレがとても印象的
聖地巡礼したくなります🚽🧻
とても美しいフィクション
とてもとても美しい映画だった。
「静謐」とはこういうことなんだろうな。
これが外国映画だったら、私は大感動しただろう。
でも、現代の日本は、少し近すぎる。
しみじみするには、現実が近すぎるみたいだ。
同僚の子が突然辞めてしまい、
1人で全部のトイレをこなさなければならなくなった平山が、やっと仕事を終え(随分暗くなっている)派遣会社に「こんなのは毎日はできないですからね」と声を荒らげて電話し、銭湯にも行かず、いつもの飲み屋にもよらず、本も読まないで疲れて布団に倒れ込む。
これがきっと現実だ。
私たちの毎日は「こんなの毎日は無理」な仕事量を、日々こなさなければならない毎日なんだ。
映画では、翌日には新しい代わりの人が派遣される。
ああ、これはおとぎ話なんだなって、思った。
しみじみ映画は、自分の日常・文化からある程度離れてないとダメなんだな、と思った。
私自身、他人から見たら、随分と平山寄りの世界に生きているように見えるかもしれない。
でも、自分の静謐を守りつつ、他人とのささやかな関係を築くなんて、めちゃめちゃ高度なダンスステップを踏むようなものなのだ。自分を守りすぎると、他人との関係は消えてしまう。
そんな村上春樹に小説の主人公のようなこと、現実に生きる不器用な自分には到底無理なんだ。
近すぎて届かない蜃気楼のような映画だった。
この年齢だからこその共感
公園のトイレ清掃員をする主人公の何気ない「完璧な」毎日を淡々と描いていく。平凡な毎日が故に、ほんの些細な出来事に、大きく心を揺さぶられていく。
この年齢(59歳)だからこそ共感出来るのかもしれない、静かに時が過ぎていく、素敵な作品でした。
熟れイケ爺主演の東京プロモーションムービー
公衆便所掃除をする爺さんの映画で、主演の役所広司さんがカンヌで主演男優賞を獲得した映画、という前情報のみで鑑賞。
もっと社会派の映画なのかと思いきや、便所掃除は有名建築家によってデザインされた粋なもので綺麗なところしか見せず、主人公の生活も寡黙ながら行きつけの店に知り合いがいたりなど、それなりに充実した日々を送っている感じ。その点は期待外れでした。
ただ、元々渋谷のオシャレな公衆便所のプロモーションから始まった映画という事を思うと(ネット情報、パンフは売り切れで買えず)
大したストーリーも見せ場もないのに2時間の1本の映画として魅せられるものになっているのは凄い思うし、そこには主演、役所広司の役者力にかなり頼っているな、と思います。
ビジュアル的な面に絞りますが、御年67歳となってもスクリーンいっぱいに顔面ドアップでも惚れ惚れとしてしまうイケ顔、
度々挿入される銭湯での入浴シーンで魅せる裸体も年齢を考えればかなり締まっており、一緒に写るモブ爺さんとは一線を画しており、その点も個人的に眼福でした。
意味を求めず、ひたすら感じる(劣情も含め)映画だと思います。
缶コーヒーはBOSS
ネットどころかテレビもラジオも持たず裸電球と電気スタンド、タンスと布団と本とカセットテープ(70〜80年代の主に洋楽)、趣味のモミジの鉢植えくらいしか部屋にないミニマリストな主人公。外の箒の音で目覚め歯磨きと髭剃りをして専用車で仕事に行き林のある神社でコンビニのサンドイッチと牛乳の昼食、仕事が終わったら銭湯と行きつけの居酒屋に行き1日の終わりは読書。休日は濡らしてちぎった新聞紙(新聞を取っているようでもなかったが)を畳に撒いて箒で掃除しコインランドリーと古本屋とフィルムの現像を頼んでお気に入りの小料理屋に行く。我々の多くはこの真反対の生活をしていると思うが日本人は静謐な暮らしを送っているイメージなのかなと思いつつ。
頭の悪い同僚の若者に振り回されて金を貸すハメになったり、長年会っていなかった妹の娘が突然訪ねてきてしばらく同居したり、小料理屋のママが男性(元夫)と抱き合っているのを見てショックを受けたりといったハプニングがあるし、渋谷区内の公衆便所の清掃とは大変な仕事だと思うが、彼の平和な生活は続いていく。
姪とは明るく会話しているものの若者が片思いしている女の子とは殆ど口をきかないくらい無口。娘を引き取りに来た妹は運転手付きの生活をしている金持ちのようだし、彼自身知的なタイプだし、姪がいる時に寝ていた使っていない台所?のダンボールも過去に何かあったのだということを示しているが何かは明かされぬまま。
古いアパートで暮らすトイレ掃除の1人の生活は不幸せか幸せか、人が決めることではない。主人公は幸せそうだが、ラストの泣き笑いは、心のどこかに孤独を感じていたのではないか。
彼の慎ましい生活には、ルーティーンになっている自販機の缶コーヒー、コンビニのサンドイッチといった、別に彼のためにあるわけではないものにもよっている。いくらでも代わりはありそうな平凡なものでも、無くなってしまうと彼の幸せは狂ってくるかもしれないと思うと、こんなつましい生活からビジネス上の理由だけで彼のルーティーンを奪わないで欲しいものだと思った。
色んな役者が出てきたが、古本屋の犬山イヌコが良かったな。
それにしてもどの公衆便所もオシャレ。大昔に『東京トイレガイド』みたいな本がロッキンオンあたりから出版されていたのを思い出した。またクレジットでShibuya city となっており、23区はcity扱いなのだな。
何気ない日常が愛おしい
主人公を演じた役所さんがカンヌ国際映画祭で主演男優賞をとったと知って観に行きました。
物語は東京の公園の公共トイレの清掃員の日常とエピソード。
一人暮らしの主人公の毎日のルーティーンの中の細やかな幸せだったり、突然の出来事だったりが映し出され、そして映像では表現されない人生の奥行までも感じることができる、そんな映画かな。
セリフの少ない映画だけれど、役所さんを観ていると心の機微まで伝わってきて、一寸泣けました。
「木漏れ日」って日本独特の表現なのだと知りました。
音楽も良かったです。
白黒の映像表現も面白かった。
光と影
毎日、ルーティンをこなしながら、丁寧に生活を送るヒラヤマ。でも、木漏れ日がそうであるように、一つとして同じものはなく、日々、少しずつ変化していく。ささやかな人と人との繋がりも、明らかに互いに影響を及ぼし合って行く。何気なく、でも貴重な、一日、それから人生を感じる映画でした。
スタンダードサイズの画面に、いきなりのタイトルクレジット。「朝日のあたる家」が流れた時点で、掴みは100%OK、もうやばい、一気にヴィムベンダースの世界へ。最後のヒラヤマの表情も良かったですね‥
年の初めに素敵な映画を観ることがてきて、感謝です。
久しぶりの一人映画で号泣
子育ても終わり、独身以来の久しぶりのぼっち鑑賞でした。
この年になったからこそ共感出来たシーンが多数あり、自分のこれまでを振り返りました。
若い同僚への想いとか職場での微妙な立ち位置とか、淡々とした毎日にも変化はあり、、、
私より少し年上であろう平山さんのPERFECT DAYSの小さな幸せと自分が求める小さな幸せが重なり、何故か号泣でした。
職場の20代は退屈だったとの感想でしたが、ある年齢を堺に共感を得られる名画だと感じました。
心が動く時間をありがとうございました。
初老の男性の生活を神話的な構造で描く
これはよかった。
初老の男の平凡な日常を神話的な構造で描くというアイデアに驚いた。
内容としては主人公の平山が公共トイレの掃除という仕事に従事する日々を淡々と描く。それだけだと退屈になりそうだが、本作ではジョゼフ・キャンベルの英雄譚のプロットをそのまま使っている。
朝、老婆が竹ぼうきで掃除をする音で平山は目覚める。これは冒険譚において主人公がミッションを命じられる過程にあたる。
身支度をととのえて、車で出発する。
日中はトイレ掃除をする。これがミッションに該当する。
一日働くと、帰宅して、浴場にいき、飲み屋で一杯やって帰る。ここはミッションを達成して報酬を獲得するパートになる。
本を読んで寝る。
寝た後に夢を見る。これはその日の出来事が反映された、あいまいなものが多い。走馬灯のような夢だ。
翌朝、竹ぼうきの音で目覚める。
基本的にはこの生活が繰り返される。
おもしろいのは、平山の動作が細かく描写されるのに、アパートの鍵はかけないところだ。車の鍵などはちゃんとかけるので、意図的に演出しているのだろう。
平山が住んでいるアパートは現実の場所ではなくて、抽象的な母胎に近い場なのではないか。そう考えると、鍵をかける必要はなくなってくる。
平山の動作についてつけくわえると、なにかを見上げるという動作が頻繁に出てくる。これは彼が底にいる人間だから見上げるのだろう。見上げるのはスカイツリーであったり、木であったりする。
本作は植物がよく出てくる。生命の象徴として扱われているだと思う。スカイツリーもその名の通り、ツリーとして扱われているのだろう。特にスカイツリーは世界の中心のような扱いで、平山の生活圏のどこからでも見える。
公共トイレが舞台になるのは、本作がユニクロの取締役が発案した「THE TOKYO TOILET」プロジェクトが発端となってできた映画だからだ。なぜ公共トイレを発案したかというと、トイレは誰もが使う場所であり、多様性にも通じるからだ。
トイレ掃除をしている時の平山は黒子に徹している。利用者が入ってくることもあるが、平山はほとんど存在しないものとして扱われる。多様性を維持するために身をささげる、というのが平山のミッションだともいえる。
そして、トイレ掃除といえば禅的な行為でもあり、彼の質素な生活を印象づける効果もある。
おもしろいのは、平山の生活というか動作のひとつひとつが細かく描写されるのに、彼はトイレにいかないのだ。排泄をしないわけはないので、彼が奉仕をする立場に徹しているという演出意図なのだろう。
本作はポール・オースターの小説「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」すなわち映画「スモーク」で、ハーヴェイ・カイテルが毎朝同じ時間に同じ場所で撮り続けた写真をアルバムにして、「同じ写真に見えるが、一枚一枚全然違うんだ」と語るエピソードを思い出させる。
人生は同じことの繰り返しのように見えるが、実際には日々違うのだ、というのが本作にも共通するメッセージだと思う。
製作費は不明。興行収入は2023年11月29日の段階で2億8千万円。あまり売れているとは言えないが、言うまでもなく批評家受けは良い。なにも考えずに楽しめる娯楽映画もよいが、本作のようなさまざまな解釈が成り立つ作品が作り続けられることを願っている。
全895件中、481~500件目を表示