PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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日本人役者によるヨーロッパ映画みたい。
と、思っていたら、監督がドイツの方なのですね。
テーマがわかりやすい邦画とも、
どんな内容かわかりやすいハリウッド映画とも違う、
観る人によって響くところが変わる映画だと感じた。
事件らしい事件も起こらず、けれど、何か深いメッセージが込められているストーリー、うん、ヨーロッパ的♪
日本の木々の清々しさ、緑を通した光のはかなさ、公衆トイレのとってつけたようなアート感、日本的だ。
この映画、とてもよい化学変化だった。
前半、平山は無口で、ほとんど声を発せず、同僚のタカシのおしゃべりだけが耳に残った。
後半、転がり込んできた姪と話すようになったことをきっかけに、平山の人となりと感情がくっきりとあぶりだされてくる。
見事。
トイレの清掃という仕事に熱心に取り組む平山に、タカシがいうセリフ。
「どうせ、すぐ汚れるのに、なんでそんなに一生懸命掃除するんですか」
平山は、無視もせず答えもせず、黙々と掃除を続ける。
これこそ答えだというように。
明日から、まじめに仕事しようと反省しました(-_-)
平山さんに会いに行く
自分でもバカかと思うくらいひとりで号泣する事があるが平山の涙は何の涙だったんだろう。
寂しいでもない、悲しいでもない、うれしいや楽しいでもない、だとしたら何か。
寝て目が覚めたらそれはnew day。同じようでも同じ日は一日もないのだな。
淡々とした日常を見ているだけでこんなに心が揺さぶれるなんて。
木漏れ日
【考察】彼が追い求めていたものとは???
まず、二種類の「ツリー」が対比になっている。
スカイツリーと公園の木々だ。
スカイツリーは人工的で何度見てもその姿は変わらないが、木々の揺らめき、木漏れ日は常に変化しており、同じ姿を写真におさめることはできない。
スカイツリーは「日常の変化しない部分=仕事」のメタファーであり、ひと息つくときに見上げる木漏れ日は「些細な日常の変化=安らぎ、楽しさ」のメタファーである。
つまり彼はルーティン化した日常の中に起こる些細な変化を記憶にとどめ(もしくは写真におさめ)、それらが木漏れ日のように再現性のないものであると噛みしめることに人生の喜びを感じている。
彼は朝、家を出た後必ず一度空を見上げて安らぎを得、その後車内からスカイツリーを黙視したあと音楽をかけている。心のスイッチを切り替えていると思われる。
ただ、一日の中に変わった出会いがあればにこやかにその余韻をしばらく感じている。同じ人ともよく出会うが、出会い方はいつも違う(座ってるベンチや場所が違うなど)。それも彼の中では再現性のない、日常を彩る変化なのだ。
そして毎晩白黒の夢を見る(彼にとって日常的に撮る白黒写真が思い出の媒体だから)。
【時計が出てこない】
彼は基本的に時計に頼らず生きている。朝も目覚まし時計を使わず目覚めており、玄関においてある腕時計も休日にしか使わない(コインランドリーの時間を図るためか?)
殆どの時間の流れは肌で感じたい、騒がしい消費社会から降りた彼の郷愁のような波動をそこにも感じられる
【父親とめっちゃ仲悪い】
過去に父親から虐待を受けていた? もしくは巨大な確執があると思わせる会話シーンがある。彼が独身で今の生活を送るに至った理由もそこにあると想像させる演出だが、深くは描写していない。「過去から解放されて今の生活をしている」のか「過去のせいで今こんな生活になっている」のかは謎だ。ただ彼は現状の生活に納得いっていない可能性が高い。理由は妹からまだその仕事しているのかと尋ねられた時の表情、認知症になった父に会ってあげてと言われても頑なに拒否していた様子から。
彼が望んでああいう生き方を選んだわけではないと仮定した場合、不自然なスナック通いも説明がつく。日常の些細な変化を噛み締めるのが生きがいだと考察していたが、もしかしたら彼は大小にかかわらず人との出会いを切望しており、さらにいえば深層心理では現状からの脱出を望んでいるのではないか。実際、家出少女にせよ後輩の自動車乗り込みにせよ他者の干渉をすぐ許す(まあ姪っ子の件は夜だったからしかないにせよ)。
【最後の表情の意味とは?】
ガンにかかった男と影踏みをした翌朝の彼の表情から読み取れるのは、拭えない未来への漠然とした不安、どこかで大きな転機を望んでいながら、一方でこの日々を崩したくないとも感じている自己矛盾の入り乱れか。
いい映画でした。
【不満点】
家に転がり込むのはせめて少年にして欲しい。物語が始まらないのがこの映画(彼の人生)の醍醐味なので、少女が寝泊まりし始めたところから急にファンタジーになって微妙に冷める。それとここだけ「彼が正しい判断をするかどうか」をヒヤヒヤしながら見守るシークエンスに変貌している。
あと個人的に彼は無口キャラという感じがしない。父親との確執でガードが固くなったのかは定かではないが、喋るとなんかめちゃくちゃ普段から喋ってる感じがするので、急に返事をしなくなると「あれ?」ってなる。無口というか意図的に黙ってる感じか。なので後輩が彼を「無口キャラ」と紹介する場面はあとあと微妙な違和感となって付いてまわる。
幸せの教科書。最高の映画
今まで観てきた映画の中で一番心に響いた。幸せの教科書だと思う。こんなに恵まれた現代社会において自分の心が満たされてない人は多いと思う。自分自身もこんなに簡単に人と繋がれる時代において、孤独を感じることがある。幸せを常に追い求めるが何か心が満たされない。それは求めすぎなんだろうと頭では分かっていても実際行動に移せていない自分がいる。
そんな時、この映画を観て、こうすればいいのか!と腑に落ちた。よくある幸せとは何かという問いに答えを出すとしたら、この映画の平山のように生きることなのかもしれない。
平山の生き方は一見するとしんどそうだ。トイレ掃除の仕事(公共のトイレを一日中掃除する。大変そう。)、おそらく風呂無し、洗濯機なし?の古い家。中年おじさんの一人暮らし。これだけの情報だとさぞしんどい生活に見えるが、平山は笑顔の絶えない日々を送っている。
そう考えると、自分が多くを求めすぎなことに気付かされる。多くの人がやりたがらないキツい仕事だってやりがいもあるし、真剣に取り組む姿はかっこいい。風呂がなくたって銭湯がある。洗濯機が無くたってコインランドリーがある。中年おじさん一人暮らしだって一歩外に出れば常連の店などの居場所がある。個人的には平山の生活には少し孤独を感じるがそれも工夫次第でどうにかなるのかもしれない。
自分は幸せという視点からレビューをしてみたが、他の視点からこの映画を考えてみるのも面白そうだ。例えば木漏れ日など。
いろんな角度から思考ができ、いつまでも余韻に浸れる最高の映画だった。まだ観てない人は絶対観た方がいいと強くお勧めできる最高の映画だった。
まだ24歳の自分はまだまだ多くのものを求めているし、挑戦し続ける人生にしたいと考えているが、失敗して何もかも失って、なんだ幸せはこんな身近にあるし、考え方次第で誰でも手にできるものだと強く勇気づけられた。
優れた作品だとは思うけれど……
完成度の高い、優れた作品だと思います。
以前にも何かのレビューで書きましたが、主人公に明確な目的(たとえば、「逃げる」「捕まえる」「勝つ」など)がないストーリーを退屈させずに最後まで見せるのは、なかなか難しい。
本作もとくに何が起こるということもないお話。事前にだいたいの内容は知っていたので、寝不足で出かけたし、眠たくなるかなぁと少し心配していたのですが、そんなことはまったくなくて、きゅう~っと映画の中に引き込まれていった。「何なんだろう? この力は」と思いながら。
禅の修行や、茶の湯の作法のように、平山の動きには無駄がない。そんな彼の淡々とした生活をとおして、とても大切なことが表現されている。この作品には、人間という存在とその営みの本質がしっかりと描かれているのではないか。だからこそ退屈せずに最後まで緊張感を持って鑑賞できたのだろう。――そう思いました。
でも、その一方で「これがPERFECT DAYSか?」と、他者とのやりとりが極端に少ない平山の日常にどこか物足りなさや違和感をおぼえたし、それから作為的というか、少しわざとらしさのようなものを感じた場面もありました。そういったところに意識をフォーカスすると、この作品をどうも手放しで賞賛できなくなってくるのです。
そして、本作の背景を知ると、さらに見え方が変わってきた。脚本にたずさわった方のことです。日本を代表する大手企業 D社に属するエリートが、(柳井氏と組んで)トイレ清掃員の日常をネタに「いい話」をでっちあげたんじゃないかという気がしてきた。そんなふうに見ると、この映画のリアリティーが急に失われていくような感じがしたのです。あるいは、さっき書いたような「わざとらしさ」を感じたのは、そういったこの映画の成り立ちを無意識のうちに嗅ぎ取っていたからかもしれません。いや、ダメだな。いくらD社に(それから柳井氏の会社にも)いいイメージを持っていないとはいえ、こんな穿った見方をしたらいけませんね。ごめんなさい。
さて、……上記のほかに印象的だったのは、脇役の使い方が贅沢だということ。とくに女性の使い方がうまいなと感心しました。
著名な外国人監督が撮ったという先入観があるからか、東京の街もどことなく違って見えた。
平山の穏やかな日常。それに反するように時折挿入されるモノクロの不穏な描写は迫りくる老いや死のイメージか。そして「光」と「影」の対比もこころに残る。
市井の人々の、また、日々の繰り返しの中の「静かなすごみ」を巧みに描き出しているのは、小津の精神を受け継いだ成果なのでしょう。
「感じること」に長けた平山さん、ステキです。
というわけで、『PERFECT DAYS』。最初に書いたように優れた作品だとは思いますが、いささか引っかかるところもある、好きか嫌いかと問われれば、ちょっと考えてしまう映画です。
それにしても、東京にはユニークなトイレがたくさんあるんですねぇ(「THE TOKYO TOILET」の取り組みじたいに文句をつけるつもりはさらさらありません)😊
淡々とした日々の繰り返しが描かれますが・・なぜか飽きないし 退屈も...
淡々とした日々の繰り返しが描かれますが・・なぜか飽きないし 退屈もしない・・不思議な映画。
外国人の視点で描かれる日本は、時に????と感じることが多いが、この映画は、そういう違和感が全くない・・。小津安二郎を連想させるビム・ベンダースの深い「日本」理解が描き出されていると思う。
好んでいる音楽や、書籍・・規則正しい生活パターンから、只者ではない過去があるのでは・・・と役所広司演じるところの平山さんに対する興味を湧き立たせられる・・、生い立ちはこうだったのかな?、どんなことに傷つき挫折してきたのだろう?など・・。最後まで、平山さんの正体があかされる事はないが。
なんとなく、ぼんやりとした人物像が浮かび上がらせて・・映画は終わる。
喜びと悲しみは表裏・・嬉しい事が悲しい事を思い出させてしまうのか・・平山さんの最後の表情がとても印象に残る・・。
トイレ清掃でなくても、今の日本で表舞台には出てこないエッセンシャルワーカー、例えば「ノマドランド」の物流ワーカーなどが設定であっても面白かったと思う。
仕事に行く時には、腕時計をしないけど、休みの日には時計を身に付ける、平山さん。これは、どんな意味があるのかしらん・・。仕事は判で押したように過ごすから時計は必要ないが・・休みの日は、行動が流動的になるからなのかしらん? どういう意味を持たせたのかしらん? 気になる・・。
こういう風に、細かいことが気になってしまうがクセなのですが・・。
なんで、出かける時に 部屋のドアに鍵をかけないのだろう??当然、帰宅時にも鍵を開けない・・
キチンとした性格の平山さんは鍵をかけると思うのだけど・・。見た目の演出の問題?
でも、姪が尋ねてきた時には、鍵を開けて部屋に入るし・・。
役所広司がカンヌでの男優賞受賞も肯ける、役所広司は偉大な俳優だなぁ。
再発見
2023年カンヌ映画祭主演男優賞、役所広司。
へえー、すごい。監督は黒沢清? え、ヴィム・ヴェンダースなの? どんな作品? 東京のトイレ清掃員? なにそれ。
おかしくないか?このパッケージ。ヴェンダースがそんな映画を撮るか、普通? 役所広司を起用するのも意外だし、ヴェンダースがトイレ清掃員の映画って、想像の埒外だし。
永瀬正敏に庭師をやらせる、ならすごいよくわかる。
まあ、なにはともあれ、役所広司が主演男優賞なのは祝福すべきことだ。ヴェンダースだし、観に行かない理由はない。
ヴィム・ヴェンダースを再発見した。
サウンドトラックがすごい。
溝口健二を想起させる。
この作品が企画された経緯がどうあれ、その資金がどこから出たものであれ、だ。
優れた作家が、優れたスタッフと、優れた役者で、しかるべき場所でしかるべく撮られると、僥倖となる。
平山は、そうなっていたかもしれないオレだ、と思い入れる中年男性のひとりです。
完璧な一日はきっとどこまでも小さな光が見えるそんな日
この前予約した日を勘違いしてしまって行けなかったので今日は間違えずに行ってきましたw
ヴィム・ヴェンダース作品をロードショー期間中に映画館で見るのは初。
前評判なども気にしつつ映画館に入る。
ドキドキしながら映画が始まる。
冒頭数分でなんだかわからない気持ちになり泣き出してしまった。
この気分は一体なんなんでしょう?
主人公が住んでいる場所が家の近所という事もあったかもしれないです。
そういった親近感にホロッときたのかもしれません。
でもそれだけじゃない。音楽が好きな音楽だったということもあるかもしれない。それもあるでしょう。けれど、本当にそれだけじゃない。あそこにいる役所広司さんのいる部屋。あれはうちの部屋なんじゃないかと錯覚させるような。あの車に乗った自分が本当は自分なんじゃないかと思ってしまうような錯覚を与えるようなそんな寡黙な主人公に寄ったカメラワーク。映画全体を決めるその景色の佇まい。
本当に完璧でした。
オープニングだけでご飯が100杯くらい食べられそうです。
この映画はストーリーとしては何もない映画です。
ネタバレということもないでしょう。
おじいさんがトイレの清掃を毎日やっているというだけの映画です。
ただ、主人公のおじいちゃんの所作をずっと丁寧に見るだけの映画です。
そのためにこの映画は存在していると言っていい。
そんなやついるかよ。って思うかもしれないけれど、世の中にはいるんだよ。
ちゃんとこういうおじいちゃんいるんだよ。
そんなことを思いました。
この映画で色んな人が色んなことを考えるでしょう。
本当にいい映画です。ありがとうございました。
他人は違う世界の住人
平日、休日問わず、ルーティン通りの生活を送る主人公。傍から見ると単調な生活に見えるものの、主人公は生活の中の何気ない変化に気づき、それを楽しむようにして生きている。
作中前半はこのことを説明するためか展開に大きな変化はない。作中後半に、主人公を取り巻く人物達にそれぞれ変化が起こり、主人公のルーティンもその影響を受けていく。
作中のセリフにあるように、本作は、人はそれぞれ違う世界に住んでいる前提でつくられている。影を重なると重なった部分が濃くなるように、それぞれの世界が交錯することによって互いに影響を与えていく。また、木漏日が同じ模様にならないように、交錯する世界の組み合わせや比率も常に変化する。
主人公は一見すると自分の世界を確立して揺るがないように見える。しかし、終盤の車を運転する主人公の表情が長時間写し出されるシーンでは、主人公も他の世界から影響を受けていることが描かれているように感じた。
清掃員の日常
知足按分
平山の寡黙
平山が意識的にコミュニケーションを拒絶しているわけではないでしょう。
トイレの中で迷子の子供を見つけた時に、「どうした?」と声をかけます。手を引いて出ると子供の母親は清掃員の姿に子供が繋いでいた手を拭き、一言の礼も言わずに立ち去ります。コミュニケーションを拒絶しているのは平山ではなく、明らかに清掃員を見下した母親の方です。子供は平山に手を振り、平山も子供に手を振ります。二人の間には言葉を交さなくてもコミュニケーションが成立しています。
無駄口を叩いて仕事がおろそかなタカシに対して質問には答えませんが、仕事をしている時は「やれば出来るじやないか」と平山から声をかけます。
サンドウィッチを食べる時、隣で食べているOLに対して平山の眼は笑っています。OLから挨拶されれば、平山は返すと思います。拒絶する目つきではありません。お互いに恥ずかしいので言葉は交わしませんが、拒絶している訳ではありません。
宮司に対しても眼で断ってから新芽を持ち帰ります。暗黙の了解があります。
平山が言葉を発していなくても、コミュニケーションを拒絶している訳ではありません。
あくまで私の考えで、映画を観て感じる事はそれぞれなので自由ですけど。
カミさんが「PERFECT DAYS」を観たいと言うので一緒に日比谷シヤンテへ。私は暮れに観ているので2回目。
❢2回目で気付いた事❢
◯隣の部屋の植物育成用のランプは夜中も仕事で出かける時も点けたまま。
◯アパートの前の自販機は100円自販機。平山はコイン1枚しか入れない。
◯自販機は上段がペプシやCCレモンで、下段がBOSS。一番左がコーヒーで次がカフェオレ(缶の色)。ダイハツの運転席のカップホルダーに入れる時に見える缶の色がカフェオレの色。いつもカフェオレ買っている(ように見える)。平山の生活パターンからもいつも同じ缶。
◯猫を抱いている研ナオコの出番は1秒弱!?
◯姪のニコが乗っている自転車はどうした?
(TVでスカイツリー周辺には自転車のレンタル店が多いと言う情報有り。借りたか)
◯いつも缶を1つしか買わない平山が、思い直したように2つ目を買う。代わりにシフトに入った佐藤(安藤玉恵)に渡すためか?(渡すカットは無いが、自分で飲むカットもない)
◯銭湯が3時に開場なら平山は銭湯に1時間以上いる。相撲を観ている(取組は阿武咲)。
◯平山が酒とピースを買うのはLAWSON。
◯平山の見るモノクロの夢(?)はその日の出来事。
❢気付いた訳ではなく、1回目の後で知った事❢
◯パトリシア・ハイスミス「11の物語」ビクターは母親を殺す。(ニコのセリフに「私、このままじやビクターになっちゃうよ」)
◯パトリシア・ハイスミスは「太陽がいっぱい」の原作者。
◯平山が乗っているダイハツ・ハイゼットカーゴは2004年まで純正オーディオにカセットデッキ搭載。
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