PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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こんなふうに生きていけたなら
というコピーで括られたヴィムベンダースの映画。仕事はトイレの清掃員だが、幸せに生きている。という内容の時点で気になっていた。内容は緻密に計算されたエンタメ映画の対局にある。平山はガラケーを使いカセットテープで音楽を聴いていてSpotifyは知らない。古本屋で100円で買った本を読んで、古いフィルムカメラで決まった場所で写真を撮り、安酒場で酒を飲む。他人には分からないレベルで自分の好きな事を深く味わっているのだ。情報が溢れ、忙しく大量の情報を摂取している現代人に向けて、自分の本当に好きな事を解像度を高く味わっていますか?と、聞かれた気がした。
淡々と綺麗にしてくれる人の存在があるから。
役所さんレベルになると、台詞はなくとも雄弁に伝わってくるものがあります。というか台詞が少ないことを感じることが無いというか。起きて仕事をして、食事をして寝て。仕事の日と休みの日のルーティン。家の中でのルーティン。日々、少しの人と関わり、小さな良いこと、小さな嫌なこと、嫌なことかと思ったらそうでもないことに変化したり。同じことの繰り返しのようで、同じではない毎日を感じます。日本のトイレは世界一綺麗とよく言われますが、いつも綺麗にしてくれる人のおかげで綺麗なのです。
一人でも映画を観に行きたいと思うことはほとんどないが、この映画に...
一人でも映画を観に行きたいと思うことはほとんどないが、この映画には呼ばれた。まあ、刺さること刺さること。が、この映画の身もふたもない要約をするとなれば、「役所広司がひたすら便所掃除する話」となる。役所扮する「平山さん」の生活は実に単調だ。近所のばばあの掃き掃除の音で目を覚まし、歯を磨き、オンボロ自動販売機でBOSS買って車に乗り込んで出勤する。最近のアニメやゲームに慣れた身からは「あれ、これタイムリープもの?」と訝しむくらい、「ループ感」は強調されている。平山さんの住まいもたいそう古く、昭和が舞台の話だっけと一瞬思うが、通勤経路で毎朝目にするスカイツリーの存在で、現在のストーリーだとようやく確信できるという有様だ。しかしもう、この通勤経路の描写だけでなんか涙が出そうになるんだよな。昭和の面影濃厚な下町から、アーバンな美的センスが張り巡らされる首都高まで、人の暮らしの生々しい香りにむせかえるし、自分のあれこれの記憶も刺激されまくる。
あまりにシンプルな生活に、「この人はこれを体が動かなくなるまで本気で続けるつもりなのだろうか」と心配になるが、自分の暮らしとその違いはいかばかりなのかという疑いも徐々に浮上してきた。組織の中で「やらされ感」のある毎日を送っていると、平山さんの生活はある意味ひじょうに美しく映る。トイレの清掃に実直に取り組む平山さんを、仕事のパートナーであるクズ男・タカシは「どうせ汚れるんですよ」と揶揄する(柄本時生の演じる「足りないけど憎めないクズ」は素晴らしい)。
しかしながら平山さんは幸せそうだ。節目節目でハンドルを握る平山さんの顔面が大写しになるが、私はほぼそこに多幸感を読み取った。彼は間違いなくperfect daysを過ごしている。平山さんは決して変化のなさに安住しているわけではない。むしろ彼は、「全く同じ日が巡ってくるはずはない」という意味のことを作中で何度も口にしており、「ループ」を拒絶している。平山さんの暮らしぶりには富の蓄積の兆しは全く見えない。なのになぜ、この男はこんなに美しく微笑めるのか。
一つにそれは、こんな平山さんでも「与える」ことができていることだろう。クズ男・タカシに女と遊ぶ金を貸してやる。家出してきた姪っ子に豊かな時間といちご牛乳と本を提供してやる。交わることのない異世界に住まう妹を抱きすくめる。末期がんの男に、缶のハイボールを分け、影踏みを提案してやる。決して「持てる者」でないのに、なんと確かな恵みを与えていることか。
もう一つは、彼が音楽を愛し、読書に耽る人間だからなのだろう。彼が車のカセットデッキで聴く音楽も、寝る前に開く本も、トイレ清掃員という仕事の割に異様なハイセンスが覗く。部屋の本棚・カセット棚のラインナップは、それぞれの筋の人が見れば「ほほう」と唸るものだろう。突然変異的なインテリ労働者というのは現実世界にもそれなりに観測されるものだが、こんな平山さんの属性の所以は、ストーリー後半でほんのり説明される。
「人生を豊かにするのは金ではないですよ」とストレートにいってしまえば実につまらないところ、こうして具体的な人間の姿を通してメッセージできることが映像(:広義の文学)の強みということなのでしょう。
あと石川さゆりと田中泯の使い方がずるい。アヤちゃんもニコちゃんも可愛い。
きれいすぎる公衆トイレ
私は「映画は映画館で観るべきである」という持論があるが、本作を観て、やはり映画館で観るべきだと、再度確信した。それは大きく2つの理由がある。ひとつは大きな画面で観ないとホントの感動や迫力は得られない作品が多いって事。MCUの作品や007、トップガン、ワイルド・スピードシリーズなどは少々大きなサイズでもテレビ画面ではもったいない。
そしてふたつめは、自宅のテレビで観たのでは、なかなか映画館ほどは集中出来ないということ・・・である。
この「PERFECT DAYS」は2番目に相当する。普段から娯楽映画、エンタメ映画好きの私はこの手の文芸作品風な映画は苦手である。カンヌ映画祭で主演男優賞を獲得したと聞いていたので、予想通り、エンターテインメントな物語ではなく、正直、125分は淡々と過ぎた。たぶん自宅で録画を観ていたら、寝るか、途中で止めて、最後までは観なかっただろう。
この映画、世間の評価はすこぶる高い。観客もそこそこ入っていた。ただ残念ながら、私の心にはそんなに響く作品ではなかった。トイレの掃除夫さんの日常。本当の日常ではありえないような、きれいすぎる公衆トイレ(まあ、現実的な汚いトイレを見せられるよりはよかったのだが・・・)。「THE TOKYO TOILET プロジェクト」のための作品。小津安二郎のオマージュ満載だというが、その辺も私には響かなかった。評価は★3.5にします。
人々の人生が織りなす木漏れ日が沁みたー
特に面白味のないアート寄りの作品である
なのに!
鑑賞後、席を立てないほど心に溜まるものがある
トイレ清掃員の平山は、人生訳ありぽくて
世間と距離をとりながら、淡々と毎日を過ごしている
それでも、
他人の人生と、木に茂る木の葉のように
風がそよげば、重なったり、離れたりする…
平山の前に現れた姪っ子、迷惑をかけ通しなうえ突然仕事ををやめる後輩、平山の音楽の趣味に好感をもつ若い女、死期が迫る飲み屋のママの元ダンナ…
同じように日々を過ごそうとしても
突然、木漏れ日が差したり、葉が重なって影が
濃くなったりするように日常は変化してゆく…
人生、みんなこうだよね
単調に思える日々の中に、ささやかな楽しみや
予測できなかった出来事が混ざり合う
そうして、人々の人生が織りなす木漏れ日は
風にそよぐたび、こんなに美しいんだよと
この作品に教えられた
たびたび、差し込まれる木漏れ日の映像が
象徴的だった
役所広司の演技は、世界の称賛に値する
素晴らしかった
特に、ラストシーンの音楽に合わせて表情だけで
語るシーンは忘れられない
60年代〜70年代の音楽もとても効果的に挟み込まれていた
映像も芸術的
うーん、
やっぱり、カンヌやアカデミーで話題になるのもうなずける
幸せになれる・・・・いや、幸せを感じられる
とても哲学的で余白の多い作品という印象。
でも、押しつけがましくはない。
幸せ、人生、お金、人間関係、家族、友人、仕事等々、本当に自分が望んでいるもの・・・・・この映画を見終えて考えて、少しですが整理ができました。(流石に平山さんの域に到達することはできません)
朝目が覚めて、自宅の天井が見える。穏やかな朝。体がちゃんと動く。家族が元気でいてくれている。等々・・・・・・・・思い通りにいかないこと、ストレス大なり小なりありますよ。それでもしみじみと「幸せだ」と感じることが出来ます。特に2024/1/1能登半島地震の報道、それ以前に国外の戦争や紛争の報道を見聞きすると余計に。。。。。
それと、平山さんが何故幸せそうに見えるのかを考えたのですが、「平山さんはしっかりと自分自身で考えたうえで『この生活が良い』と結論を出して、自分の意思で自分の理想とする生活を過ごしている」からなのかなぁと。
ワンシーンでしたが、行きつけのスナックのママさんの歌声が痺れました♪全く想定外のキャスティングでした。
あまり70年代の洋楽がわからないのですが、この映画でカセットテープから流れる音楽が素敵で興味がわきました♪
静かで、劇的な展開はない、地味な映画だけど、凄い映画ですね。本を読むような映画だと感じました。
綺麗なだけでもない
すごく面白い訳ではない淡々とした描写なのに最後まで飽きずに見られました。
あの叙情的な写し方と、平山の生活だけをただただ追うスタイルがドキュメンタリーとファンタジーの間の様で何とも言えない雰囲気で見えるのが海外からの視点ならではなのかなと。
生活をあれだけ丁寧に書き写しているのに、出退勤のシーンがなかったり同僚の姿があまりないせいか仕事というより日々のお役目をひたすらこなす仙人の様な世捨て人的生活に見えて、清貧な生活の空気を感じます。
でもベルリン天使の詩を書いた監督がただこれだけとは思えない。この毎日がパーフェクトって意味がもっとあるのでは?
TTTって渋谷区のプロジェクトで、一般の企業のものじゃないはずなのにあんな1日拘束されて走り回って人にも嫌がられる仕事をあんな低賃金でさせているのかしら?あのトイレの建築としての美しさはあの清潔さと合わせてこそで地域の治安維持にも一役かっているはず。だのにそれを下で支えるために雇用した人たちに風呂洗濯機無しのアパートにしか住めない生活をさせてる様に見える事に雇い主側は怒らなかったんだろうか?
ファンタジーだし、小津安二郎リスペクトだから良いよってこと?それとも疑問さえもっていない?
人は足りない。社員教育もなく掃除の仕方は個人の工夫に任せている。町の人達に仕事の重要性も理解されていない。うんよく見る光景。
主人公が清貧な生活を望んでいて実はお金貯めてるのかとも思ったけど、ガソリン切れても入れる金が無いから大事にしてるテープを売りに行ったっぽいのでやっぱカツカツギリギリで、ほとんど善意で維持されている仕事の様に見える。東京のキレイな街並みも日本人の美徳で維持されているだけで、それが無くなってしまったらどうなるんだろう。
1人だけで何も事件が起こらず繰り返すだけなら完璧な1日を積み上げて行けるけれど、そこに他人が関わる事で崩れてしまうくらいの生活基盤。こりゃパーフェクトデイズから外れちゃいけない。気になる女性ともよろしくされても一緒になれないし、子供だって持てない。良くも悪くも変わらない事を期待するしかないけど変わらないものなんてない。ふ、不安だ。えぐってくる。
台詞も凄く刺さってくる。恐怖と不安は違うもの。影は重なったら濃くならないわけないって笑顔で言うの割とホラーに感じました。日々の温かい善意の木漏れ日も不安の影が重なれば日本人の善性も着々と濃い影に変化していくでしょうよ。
もうなんだか日本の人権意識が小津安二郎の時代から変わってないぞと国の外側から言われてるみたいで恥ずかしい。見た目は近代化した東京も意識の近代化はせず古いままだねと指摘されてる様に思えてならず。
アートや文化的な側面以上に日本について監督は勉強してるから出来た食い込み方だと思います。この映画が実現したのって凄い事だと思います。
もうちょっと素直に見ても良いんだけど、最後の平山の表情を見たら考えちゃって。私も泣き笑いの木漏れ日な毎日を生きてくしかないわ。
★2024年劇場鑑賞09★
振り返ると良質なものを見たことがより一層深く感じることができる一本。
途中のモノクロ表現はその日の出来事を振り返る夢か?
ここがアート表現すぎてわからなかった。
特に大きな出来事や大事件は起きないのに、ずっと見てられるし、次の日が気になっていく映画体験。
すごいなぁ、しかも寡黙な男性が主人公だからめちゃめちゃ引き込まれるんだよなぁ。余計に集中して些細な幸せがいかに大事なことかをわからせてくれた☺️
シンプルで整った暮らしは美しい
渋谷区の公共トイレ清掃を担当する平山さんの日常を淡々と綴った、ただそれだけの作品。
けれど2時間、ちっとも退屈には感じなかった。
平山さんの毎日は、規則正しい。
毎朝、道を掃くホウキの音。
苗木たちに水をやり、いつもの自販機で甘い缶コーヒーを買って飲む。
音楽はいつも車に積んでいるカセットテープ。時々替える。
仕事場の公衆トイレで掃除をして、駆け込んで来る人が用を足す間、空を見上げる。
トイレ掃除というのは、見下され屈辱的な事も多いだろうと思うけれど、
煩わしい人間と対するよりも、シンプルに美しく整えていく作業は無心で美しい。
掃除というのは修行に近いものだと言われているからか、
平山さんの整った暮らしは、本当に修行僧のような印象。
雲の変化や木漏れ日に目を細め、100円の文庫本を吟味する。
昭和感漂う、シンプルで美しい暮らし。
(音楽が洋楽が多いというのがオシャレすぎるけど…)
平山さんは今の暮らしに十分安らぎを感じているように見える。
そして、人によって持っている世界はそれぞれ違うもの。
何を大切にして生きていくかは、自分で決めて良いんだよ、とニコに言っている気がした。
※余談ながら、平山さんが家を出る時、鍵をかけている描写がないぞ…
そう感じてすぐに思い出した。
古いタイプのドアによくあった。
ドアノブの真ん中のポッチを押して扉を閉めれば施錠完了なタイプですね。
嫌いではないが、やっぱり外国人監督。
お掃除するトイレはモダン。住んでる和式の古いアパートは整頓されててミニマル。しかもミニ盆栽を育てている。 役所広司の無言の演技はハマり役だけど、飲み屋のママが石川さゆりで、歌いだした時は笑いそうになった。外国人がみたら好きだろうなって映画。
平山さんのまなざし
平山さんは、ほころぶような眼差しでその時々の木漏れ日をみつめる。
そしておなじ眼差しで向き合う人の後ろにある景色を感じ〝おもんぱかる〟。
報われなさや理不尽さにでくわしても、ゆるやかに舵を切り自分を整えていくことができる彼の言動をみるにつけ、さらりとおとしこまれたその様子はこの言葉がぴったりだと思った。
そんな平山さんが大切にしてるルーティンがまわらぬ程の限界に来たとき、初めて怒りの感情をみせたので少し驚いた。
でもそれは必要な対処を求めるためのものだとすぐわかったし、みえた一面の人間らしさに妙に安心もした。
それに、きっと彼は個人を怨んだりせず、尾をひいたりもしないと信じることができた。
どうしてもしまえない尾がただひとつゆらゆらと惑わすことがあったのを知るまでは。
いつの間にか建物がとり壊されていた町の一角。
そこを通る老人のある言葉を耳にした平山さんの一瞬の表情の変化を思い出す。
あの時の平山さんは、人はいつか忘れていくことで終われることがあると感じたのではないだろうか。
その一方で、我が身の老いも感じつつ、まだ暫くの間はそこまで辿りつけずに付き合っていく時間のことも。
彼にとって、更地をぴんぴんに覆う新しいブルーシートの冷たい硬さは、二度と港に戻らないと決めた小舟が漂う海原の孤独の厳しさに似ていたかもしれない。
そして、姪っ子との会話にある軽さの分だけ裏側に潜む重み。実父について語る妹を別れ際にあんなふうに抱きしめた意味。迎えの車内で姪っ子が感じとったはずのその夜の闇より深いもの。
再びで最後になろう決意が伝わり、みえてきた翳りで不安が増すと淡々と繰り返す実直な日常に身近な喜びを見出せる彼の暮らしぶりとは真逆の内なるものが、大小の波に打ち寄せられ辿り着く流木のようにあらわれた。
まばゆい朝焼けを真正面から浴びる運転席でのシーンだ。
余程の悲哀を味わいつくし余程の精神で越えてきたであろう姿がまだその最中(さなか)をたったひとりのまま生きようとしていた。
描かれてこなかった人生やまつわる覚悟、なぜ平山さんがそうあるのかが手にしたカードが埋めていくように私を捕えていく。
そして、真逆の内なるものも平山さんのまさに一部であることを痛感し、〝おもんぱかる〟あのまなざしを思い出した。
思えば誰しもが違う立場でなにかを抱えていた。
無常のなかを揺れ動く人の心でもがきながら生きていた。
平山さんはきっと今夜も読書をしながらうとうとと残像に追われ浅い眠りにつき、箒が道を擦る音で目覚める明日のはじまりにも空を見上げ柔らかに微笑んで一歩を踏み出す。
それから玄関で握りしめた小銭で買う缶コーヒーを啜り、お気に入りのカセットテープの粗くあたたかい音を味わいながら、スマートにそびえる無機質なスカイツリーを右横に流して朝一の持ち場へと向かう。
いつかその時がくるまで彼らしいそんなPERFECTDAYSを重ね続けるのだろう。
物質的なものでは決して満たされないことを嫌というほど知っている彼が折り合うと決めた生き様が映るまなざし。
それが、羨望と敬意が混在する小さな染みをはっきりとこの胸にのこしていった理由をみつめている。
修正.追加済み
起きて半畳
舞台は東京だけど、監督が外国人で、外国で賞を取ったという情報が先行して、外国人の眼で見てしまう。寝具を毎日たたむんだ!とか、共同浴場に知らない同士で入るんだ!とか。何ならかかる曲もほぼ洋楽だし。
主人公はアキ・カウリスマキの登場人物以上に無口だ。「サムライ」のアラン・ドロンに似た印象も受けた。あちらは殺し屋で、こちらは清掃員だが、仕事を終えてひとりの部屋に帰ってくると、あちらは小鳥の世話をし、こちらは鉢植えの世話をする。
淡々とした生活を描写するのは悪くはないが、随所に置かれた背景があまりにステレオタイプに思える。居酒屋の客や公園の女、舞踏家などなど。影踏みのくだりもわざとらしい。斬新なトイレを紹介するのはいいけど、一応劇映画なのだから。たびたび挿入されるモノクロのインサートは最後までよくわからなかった。このプロットで「PERFECT DAYS」のタイトルは、狙いすぎ。
端正な作品とは思うが、かと言って積極的に面白いとも言えなかった。
能の世界のような
いい映画だった。欧州で受けるのもわかる。
映像は美しい、東京の様々な表情をとらえている。時々、主人公の夢か脳内か、抽象的な映像が出る。
音楽は60年代等のものが流れて時代を感じる。
役者は豪華。主演の役所の笑顔が素晴らしい。表情の変化もある。その他、贅沢に実力派を配している。
トイレ掃除という地味な仕事、カセットやフィルムカメラ、銭湯という昔のもの、小さな植物、ちいさな日常を描く。誰にも、家族や悩みがあることも描かれる。読書の知性が人生のスパイスのよう。
そうだ、表現が能に通じるものがある。セリフも少なく、余分なものをそぎ落とし、観客のイマジネーションに委ねる。ただ、能のストーリーは劇的なものだが、この映画は小さな日常のストーリーだ。
若い時に観てもわからなかったかもしれないと思った。
自転車乗りとしては、自転車の飲酒運転はいただけないなあ、苦笑
何度も見返したくなる
説明過多な作品が多い中で必要最小限の情報提示で充分に想像できる演出が心地良い。平山というひとりの人間のドキュメンタリーのようでもあるしロードムービーのような趣きもある。
特に大きな何かが起こる訳でもない。でもずっと同じ日々が続くこともない。変わらなければいいのにと思っても変わっていく。その変化は些細なものであっても、光と影のようにゆらめきながら反射角を変えながら人生を照らす。木々のこもれびのように感情の機微がそこにはある。
どれだけ正確にルーティンをこなす日々を送っても、完璧な日なんてない。いろんな変化が訪れる。その陰影を噛み締めながら、泣いたり笑ったりしながら過ごしていく。むしろそんな起伏ある人生こそがパーフェクトデイ。
それにしても監督はよほど役所広司が好きなんだろうなぁ。愛が溢れている。それにしっかり応えている演技もさすが。
この先、何度も見返したくなる映画。
朴訥なトイレ清掃人を描いた木偏の映画
カセットテープを取り出すから『これはどれぐらい昔の話だろう?』と思っているところに、スカイツリーが楔(くさび)を打ち込んできて、『そうきましたか、それも想定内』と踏ん張っていましたが、激渋銭湯に古めかしい雨合羽と追い打ちは激しい。
しかし時代遅れの古い物に囲まれているからといって古風な人というわけではありません。朴訥な人です。そう「朴訥」という言葉がぴったりです。
そういえば朴という字は木偏。
調べてみますと(ChatGPTのコピペです)
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「朴訥(ぼくとつ)」の「朴」は、木の一種である「ボク」または「クス」を指します。この木は比較的地味で質素な印象があります。そのため、「朴訥」は、物事や性格が飾り気がなく、素朴で質素な様子を表現する言葉となっています。
朴訥な性格は、装飾がなく控えめで真摯な態度を指し、無駄な飾りがない、素朴で地道な性格を表す言葉として使われています。この言葉は、単に地味であるだけでなく、その素朴さや真摯さに美点を見出すという意味合いも含まれています。
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ですって。
平山さんの生活をみて、このように過ごしていたら日々なにが変わるだろうかと考えたら、部屋に並べているあの鉢の木の成長と、古本の冊数と写真の缶ぐらい。静止物の代名詞みたいものが逆に変化の焦点となっている妙が、いつしか思考の沼にはまっている自身を自覚させられて、『一日を生きた中身は、なにから作られて、なにに宿り、なにに刻まれるのでしょうか』と、途方もないところへと誘(いざな)われます。
便器を磨いていても、すなわち自身の日々を磨いているようで、「何をするか」ではなく「どう迎え入れるか」、自身の内側が大切なんだとルーチンなシーンごとに反芻しました。
幸田文の「木 (新潮文庫)」、読んでみようかなと図書館を当たりましたら、蔵書100万を超す図書館でも蔵書してませんでした。日の当たってないところに目をつけてくれました。さすがです。
そう見えるだけ。
完璧な日々を過ごしている。
丁寧な暮らし、草木を大切にし、仕事は真面目に、人にはできるだけ優しく、少しの楽しみを持つ。
でも、完璧なわけはないよな‥
そうゆう風に努めているだけ。
とりあえず、俺も掃除して整理整頓してベットを布団に変えたくなった笑
役所広司の演技みたら他の俳優さんはどない思うんやろう笑
孤独は自分には合わないかも
孤独でも幸せでは、ありそうだった。
日々の日常でも写真撮ったり温泉行ったり、読書してと、、、
ただ自分がこのようになりたいかと思ったらそうは思わなかった。
やっぱり好きな人と一緒に過ごしたり、
たまに友達と遊んだりと、けど孤独の時間も好きだから、自分に合った生き方をすればいいのかなと思った。
日常を見る
やっと見る事ができました。役所さん含め全ての登場人物の過去や理由を語られる事なく、ただ、日常を切取り、良いこともあれば、悪いこともあり、時々ドラマティックな日常を丁寧に描かれていた。不思議と2時間飽きずに見れた。最後の涙の意味は僕にはわからないが、芝居に釣られ感動させられる。
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