PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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社会的強者の描く「社会的弱者」映画
主人公が大人の「よつばと!」なのでは、と思い至ったので評価を星3に改めました。
以下、修正前。
正直に言うと何が言いたいのかあまりわからなかった…トイレ清掃の人にも人生があっててとかそういう当たり前の話…?無口で何考えてるかわからない人だって何考えてるかわからないくらいにはいろんなこと考えてるなんて当たり前の話でして…
そんなことより週一場末のスナックで石川さゆりの歌が聴けるなら通うから店教えてほしいなって思いました。
正直あらすじを読んでもよくわかりませんでした…なんでこれが絶賛されてるんでしょうか。もしかしたら、こういう当たり前にエンタメを享受できる生活「しか」知らない人にとっては斬新な物に見えたのかなぁとも思います。小さな事で喜んだりするのは当たり前です。大きな喜びに出会えないんだから。小さな事に喜ぶしかできないんだから。
こういう、社会的弱者にスポットを当てて勝手に「それでも幸せに生きています」系はやっぱり胸糞悪いですね。これを見て泣けるとか言ってるのは社会的強者しか経験したことのない人では?幸せなわけあるかい。そうでもせな生きれんのじゃ。
ラストシーン、平山と同じくらいギリギリな人生を送っていた時に同様の事象を起こした事があるので、ああわかるわかる、と思いました。
趣旨がわかりづらい -1
冗長(それが良さでもある)(日常とは時にそういうものである) -1
胸糞(感動したとか言ってる人間、社会から断絶された未来が今日になれ)-1
女に夢抱きすぎ(神聖視しすぎ)(「好意を持たれているという思い込み」なら良かった)-1
って感じです。低評価つけたいわけではないんですが、見終わった後ただただムカついたので星1です。これまて主演が女なら色々言われてたんだろうなと思ったけど生々しすぎて書けねえわなとも思いました。日本てそういう国だもんな。
まるで樹木のような主人公を定点観測することで気づく映画ならではの「余白」の大切さ
役所広司演じる主人公平山は寡黙で穏やかな「樹木」のような人だ。
仕事は実直。周りに対する暖かさもあり、自分自身に何が必要で何が要らないかを
知っている稀有な人物だ。
彼の視点を通して見えるものは我々にとっての「新鮮」であり、彼自身もまた日々を「新鮮」なものととして生活を営んでいる。
「変わらないものなんてない」
劇中終盤に登場する病に侵された人物に放った励ましのセリフに
思わず涙がこぼれた。
そして、この作品は昨今流行りの「伏線回収」や
平山の過去を穿り返すような無粋なことはしない。
まるで木漏れ日のように「光」を当てすぎない本作は
映画とはやはり「余白」という影の部分があるから素晴らしいのだなと感じる。
文明の発展であらゆるものが「光」に照らさてしまう現代。
スクリーンという木陰で平山の生活を覗きこむことで
ホッと一息できること間違いなしである。
役所広司だけで最後まで飽きないという
・ふだんのじぶんの日常を見せつけられているようで、しみじみとしました。つなぎではないですが、作業服だし、トイレの詰まりには向かいますし、サンドイッチを公園で食べてますし。 ・選曲はさすがです。アニマルズは反則でしょ!w サントラ、かなり売れるんじゃないかな。 ・短編映画ならかなり引き締まった作品にはなるでしょう。しかし、このたゆたうような2時間に身を浸すという快楽があるのかも。 ・小津安二郎というより、ジャンヌ・ディエルマンですね。ふだんの生活動作に何かが宿っているよう。 ・予想以上に楽しく見る事ができました。昭和の日本映画みたいで懐かしい。 ・アナログな生活は、コンピュータやテレビやスマホから離れていれば可能であると。 ・日常を工夫したアングル、明かり、音響が効果を上げています。 ・少年の純粋さと、男の内なる狂気。 何考えてるかわからないギリギリを体現する、 つまりは一挙一動が目を離すことができない、稀有なアクター役所広司は、さすがでした。 ・影踏みで一触即発、殴り合いしたらどうしよう、なんてハラハラしたりして^_^
人は生きて行く
足るを知る
都内で清掃員として働く平山。
朝起きて、コーヒーを飲み、担当している
都内の公衆トイレを黙々と清掃する。
その後、行きつけの居酒屋で食事を摂り、
風呂に入り床につく。
そんなルーティーンを繰り返す彼に
来訪者が訪れる。
淡々とトイレを清掃する姿が描かれていく
けど、街や、休憩する神社にある木々の
木漏れ日、凡ゆる空気感がパッケージされてる。
悪態をつく利用者を意に介さず清掃に取り組む姿は、正に仕事における求道者のようだ。
平山の生活は極めて質素なものだが、心にはどこか余裕があり、物事を達観していて悟っている。
資本主義により、人や物やお金に執着して悩んでしまう現代だからこそ、彼の生き方がヒントになるのかもしれない。
渋谷にはデザイナーズトイレが
沢山あるようですね。
訳あって最近、関東圏に越してきたので
行ってみたいと思いました。
おじさんの日常
心酔している人には不快かもしれないレビュー 読まない選択を
平山という人物の日常を描いている、とよく言われるのだけれど、実は日常ではなく非日常。実際の日常は、Perfect Daysに描かれたルーティーンの反復のように、同じ毎日がくり返されたりしない、決して。だから、平山の日常、平山のルーティーンは、それ自体がある意味『事件』。特別な出来事だから映画になる。その静謐に憧れを感じるのは、そのせいだろう。「足るを知る」という言葉が浮かぶ。
でも、静謐は人と関わることで、やぶられる。いろいろな思いが平山の、複雑な涙になる。生きている、ということはそういう事なんだろう。
と思いつつ、「自己犠牲」という言葉も浮かぶ。トイレ掃除という仕事を低賃金で、でも、賃金以上の働きをすることに喜びを感じる。それって、やっぱり自己犠牲のにおいを感じる。トイレという箱モノにはものすごいお金をかけているのに、それを美しく保つ人にはお金をかけない。それに組み込まれた平山の生き方を美しい、と感じるのって、何か、どっかヘンじゃないですか。
多少調べてみると、渋谷トイレ・プロジェクトから、この映画は始まった、とある。製作は柳井康治、脚本は高崎卓馬。
柳井康治は、ユニクロのCEO、資産4.9兆円と言われる柳井正の子息。ファーストリテイリング 取締役の彼が、資金提供したトイレプロジェクト。そこに絡むのは、資産3000億円に迫る日本財団。その一環でこの映画は作られた、らしい。
高崎卓馬は、(株)電通グループの偉い人。親会社、電通の方の社員の平均年収は1500万円。
推測するに、まずトイレの箱モノづくりがあり、その箱モノを使って内外の人を呼び込むための広告を打つ。ビム・ベンダースと役所広司なら世界で見てもらえる。トイレだけではもちろん映画にならないので、清掃員を軸にする。関連動画によると、修行僧のような清掃員。深みを演出するために、彼の過去を織り交ぜる。テレビCMでも、心に響くものがありますよね。そのロングバージョンがこの映画。
そういえば、大阪万博では2億円トイレが話題。ニッチな「クールJapan」「ニッポンすごい!」ねらいです。
足るを知らない人達が作った、足るを知る平山の映画。どうなんでしょう。どんな人が作ろうと、良い作品は良い、とも思うのですが、何か割り切れない。自己犠牲を美しいと思わされるのって、幸せと言えるのでしょうか。
ここまで、考えをまとめるのに1週間。それだけ、わたしにとってインパクトが強い作品だったことは、間違いありません。そして、足るを知るは、ある意味、真実だとも思います。だから、一応、評価は4。ん~、4なんて付けていいのかな?
木漏れ日の様な日々
house of the rising sunはちあきなおみさんの...
巨匠・大ベテランなのに、最近の自主映画以上に自主映画していて、その...
巨匠・大ベテランなのに、最近の自主映画以上に自主映画していて、その若々しさに驚いた。ヴェンダースはずっとヴェンダースだなあと。サイレント映画の様に思えるところに、映画史の重みを感じる。これは誰彼でも撮れるものではない。感服しました。
微笑みの素晴らしさ!
だからなんなの?
親戚の中にいそうな人生をこじらせてしまったおっさん.あるいは,全てをこじらせて開き直るしかないおっさん.でも,側から見るとかなり魅力的である.
平山さんは,1週間をルーチンの中ですごしていく.決して完璧な日々ではなく,きっと同じままであることに忸怩たる思いをもっているのでは.そんな自分を慰めるためにカセットの曲を仕事前に聞いているのかな.
平坦な日常の中にたまに入ってくる雷のような変調を夢の中で追想することで目が醒める.平山さんとホームレスとの違いはどこなのか.どっちがよりパーフェクトなのか.メゾネットの一階に残されたガラクタの多さと二階のミニマルな部屋での暮らしから,自尊心を捨てきれないためにホームレスまでいけない苦しさ.それが麻生祐未さんと別れた後の涙の裏の理由なのかなと勝手に解釈しました.
最後の役所さんの顔芸の時間がちょっと長いなぁーと感じました.十分に伝わってきてました.
公衆トイレのイメージはかなり変わりました!お掃除ご苦労様です!
自分なりの良い日々こそ
彼のお金の使い方が、好きだった。
パーフェクトなデイズでした。
彼の
お金の使い方が好きだった。
お金を使うって、こういうことか、みたいな。
彼の生活は、ただただ節約した質素な生活、ではない。
自分が必要だなと思ったことには、潔くお金を払っている。
そこが見てて気持ちよかった。
朝のミルクコーヒー、銭湯、週末のコインランドリー、古書店、カメラの現像、新しいフィルム、行きつけの飲み屋、スナック。
自分にとって必要なこと・もの
自分を喜ばすのに必要なこと・もの
逆に不要なこと・もの。
それらを、自分自身がよくわかってる。
そういう彼の姿を見ていることが、気持ちよくて仕方なかった。
無駄がなく、豊かである。
だから姪っ子は、惹かれるのであろう。そういう大人に。
そういう大人に時に触れることで、何かを取り戻すのであろう。
ピアノの調律のように、自分のここ、という軸に戻れるのだろう。
そういう大人が親戚にいて、彼女はよかったね。
SNSをしてない人の生活(承認欲求の少なめな人の生活)を垣間見たいんだけど、そういう人は自分の生活を発信したいわけじゃないので見られない。
SNSでは、その人の「見てもらいたいもの」を私は見ているのであって...。
でもそうではない、「見せる用」ではないものを見たかった。
傍観するような形で、見てみたかった。
眺めたかった。そういう人の一日を見ていたかった。
そういう気持ちが自分の中にずっとあって、もちろんこの映画もフィクションではあるけれども、そういう、SNSとか無縁な人の生活をたっぷり味わえて、幸せでした。
人の机の引き出しの中を見ているような。
どのシーンも好きだった。
ほんと、どのシーンも。
家の中も、外での生活も。
寝る前の読書。大切に育ててる植物。
部屋にはお気に入りであろうもの(カセット、本)が敷き詰められていて。
自分だけがその魅力をわかればいい、缶に入った写真の記録。
昼休みの神社でサンドウィッチと牛乳。木漏れ日をカメラで撮影。
東京の河川敷、夜景、ハイボール。
三浦友和と役所広司の影踏み。笑
よかったなあ〜、三浦友和ってのもよかった。
役所広司さん、いい〜顔するねえ、、、、
何とも言えない、喜び、哀愁の表情。
セリフが少なくても、彼のシーンはずっと充実していた。
消せない色気・ダンディー感はあったけど。笑
見てよかったなあ。。。
最後の曲も、名曲だけど、あのシーンで流れるのもなーんか良かったなあ。
人を拒絶しているわけではない。愛想はいい方だと思う。
でも無駄に愛想を振りまくわけでもない。
東京ならではの、人間との距離感。
人がたくさんいる中で、一人でいる心地よさ。
これは私も、東京にいて感じる。
人間の生きてる音を聞きながら、家、街、店、にいることが心地いい。
そんな人間関係も腹六分な感じも、心地よかったなあ。
生きる
何も変わらないなんて、そんなはずない!
ある初老の清掃員のルーティンを淡々と映し出す。
寡黙で、質素で、几帳面な男。
毎朝、近所の竹ぼうきの掃除の音と共に目覚め、自分が決めたであろう朝の営みを律儀にこなして家を出る。帰宅後も、必ず本を読んでから眠りにつく。そして、抽象的な夢を見るのだ。
仕事は公衆トイレの清掃メンテナンスたが、道具や消耗品を積んだミニバンは自宅アパートの駐車場に駐められていて、現場直行直帰の勤務形態のようだ。
出かける時に必要な小物は玄関の小さな棚に並べて置いてあり、それを端から順に取って家を出る。これだと忘れ物をしなくて良いと思うが、帰宅時にまたそこにきちんと戻すことなど私には到底無理なことだ。
なぜか、その棚にある腕時計だけはいつも置いて行く。
そしてある日、その腕時計を左手首にはめて家を出た。いつものようにタオルは持たず、車ではなく自転車に乗った。休日なのだ。
休日には休日のルーティンがある。
時に同じ映像を繰り返しているのかと見紛うほど、この映画はそんな男の日々を繰り返し見せる。
役所広司が演じる平山というこの男は、変化を好まない男のように見える。
しかし、世の中は変わる、物事は変わる、人は変わることができる…と、信じている男でもあることが物語の後半で判ってくる。ここがこの映画の深いところ。
毎日同じことを繰り返していても、当然ながらほんの少しずつ違うことが起きる。
いい加減な若い同僚(柄本時生)が惚れているガールズバーの店員(アオイヤマダ)。突然家出してきた姪(中野有紗)と、妹であるその子の母(麻生祐未)。行きつけのバーのママ(石川さゆり)の元夫(三浦友和)。
ルーティンには登場しない彼等を平然と受け入れる懐の深い平山は、彼等の心に何かを目覚めさせ、それによって自分自身の内面の何かを解放させてもらったようだった。
日々判で押したように同じことを淡々と繰り返す生活を軽視していた私は、だからと言って劇的な毎日を送っているのかと、自問自答した。単に規則正しく生活できない怠け者じゃないかと。
役所広司の微かな笑みや微かな涙が、実直に生きることの尊さを私の胸に熱く突きつけた。
この映画には劇伴がなく、平山が聴くカセットテープの音楽だけが流れる。アニマルズの「朝日のあたる家」、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」など、60年代のヒットソングだ。(平山のライブラリにビートルズはない…ローリング・ストーンズはあったが)
これに二人の若い女性がハマるというのも、嬉しい演出だ。
気になったのは、平山が掃除する公衆トイレはどれもオシャレでキレイなことだ。平山の清掃の仕方もホテルやデパートのトイレかと思うほど丁寧なのだ。
平山の作業着に「The Tokyo Toilet」とプリントされていたので、調べてみた。
THE TOKYO TOILET の特設Webサイトを見ると、映画に登場する公衆トイレが写真付きで紹介されている。渋谷区内に17箇所の公衆トイレを設置し、現在は区に譲渡しているらしい。
名のあるデザイナーが設計し、大和ハウスとTOTOの協力によるこれらのオシャレな公衆トイレは実在した。
たが、これらを作るのも運営するのも資金が相当かかるだろう。毎日3回清掃をしてあの綺麗さを維持しているようだ。このプロジェクトの運営主体である「日本財団」とはいったい何かと思ったら、前身は「日本船舶振興会」だった。“一日一善”の「ドン」の落し子だったか…。
財政が安定している渋谷区なら、このトイレの美しさを維持できるかもしれないが、このプロジェクトを都心の裕福な区以外に広げていくのは難しい気がする…。
我が町にもあんな公衆トイレがあったら嬉しいが。
ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースの不思議な作品
始まりから静かに、そして淡々と同じ日常の繰返しが描かれる。小津安二郎を心底敬愛するヴェンダース監督が描く光と影とトイレ清掃を生業とする言葉少ない平山の日常。毎日毎日が同じことの繰り返しでこのまま終わるの?と思って観ていると、平山の姪と妹が現れるところから空気が一瞬に変わったように感じた。平山はまるで僧侶の修行のように、罪人が贖罪のためのように黙々とトイレ清掃に没頭し体を動かし続ける。もともとがインテリで上層の暮らしをしていた人で、何が有ったのかはわからない。「ただ、その何か」を拭い去るために、わざわざ職種としてトイレ清掃を選んだのではないか?と疑ってみたら、何故かそこから急に気分が下がってしまった。とても私にはきれいな話としては観られなかった。どうして平山をトイレ清掃員と設定したの監督に聞いてみたい気持ちになってしまった。
ストーリーとは別に、主人公平山のほとんど言葉を発しない演技と顔の表情の細やかさが素晴らしくって、それだけでも観ごたえが有った。さすがカンヌ国際映画祭で男優賞を獲った役所さん。
禅僧の修行
無駄のない所作で黙々と便器を磨く。
トイレ(東司)掃除というのは、禅僧の修行を思い起こさせる。
こういう所からしてヴェンダース好みだったんだろうな。
平山が無口な分、サントラ曲の歌詞が気持ちを代弁している気がする。
朝日の当たる部屋、ドック・オブ・ザ・ベイ。親との確執や人生への諦観。
うん、そんな感じするぞ。
ペイル・ブルー・アイズ。他人の彼女を思う歌。
少し無理があるかな。
レドンド・ビーチ。喧嘩した彼女が自殺しちゃう歌。
平山を不意打ちのキスで惑わせて去っていくアヤが気に入って口ずさんでいた歌。
ん?歌詞はあまり関係ないのか?
ちょっと判らなくなってきました。
誰か教えてください。
音楽も良かったけど、アパートと職場の車移動が初期のロードムービーを思い起こさせて懐かしい気になりました。
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