PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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幸せになれる・・・・いや、幸せを感じられる
とても哲学的で余白の多い作品という印象。
でも、押しつけがましくはない。
幸せ、人生、お金、人間関係、家族、友人、仕事等々、本当に自分が望んでいるもの・・・・・この映画を見終えて考えて、少しですが整理ができました。(流石に平山さんの域に到達することはできません)
朝目が覚めて、自宅の天井が見える。穏やかな朝。体がちゃんと動く。家族が元気でいてくれている。等々・・・・・・・・思い通りにいかないこと、ストレス大なり小なりありますよ。それでもしみじみと「幸せだ」と感じることが出来ます。特に2024/1/1能登半島地震の報道、それ以前に国外の戦争や紛争の報道を見聞きすると余計に。。。。。
それと、平山さんが何故幸せそうに見えるのかを考えたのですが、「平山さんはしっかりと自分自身で考えたうえで『この生活が良い』と結論を出して、自分の意思で自分の理想とする生活を過ごしている」からなのかなぁと。
ワンシーンでしたが、行きつけのスナックのママさんの歌声が痺れました♪全く想定外のキャスティングでした。
あまり70年代の洋楽がわからないのですが、この映画でカセットテープから流れる音楽が素敵で興味がわきました♪
静かで、劇的な展開はない、地味な映画だけど、凄い映画ですね。本を読むような映画だと感じました。
綺麗なだけでもない
すごく面白い訳ではない淡々とした描写なのに最後まで飽きずに見られました。
あの叙情的な写し方と、平山の生活だけをただただ追うスタイルがドキュメンタリーとファンタジーの間の様で何とも言えない雰囲気で見えるのが海外からの視点ならではなのかなと。
生活をあれだけ丁寧に書き写しているのに、出退勤のシーンがなかったり同僚の姿があまりないせいか仕事というより日々のお役目をひたすらこなす仙人の様な世捨て人的生活に見えて、清貧な生活の空気を感じます。
でもベルリン天使の詩を書いた監督がただこれだけとは思えない。この毎日がパーフェクトって意味がもっとあるのでは?
TTTって渋谷区のプロジェクトで、一般の企業のものじゃないはずなのにあんな1日拘束されて走り回って人にも嫌がられる仕事をあんな低賃金でさせているのかしら?あのトイレの建築としての美しさはあの清潔さと合わせてこそで地域の治安維持にも一役かっているはず。だのにそれを下で支えるために雇用した人たちに風呂洗濯機無しのアパートにしか住めない生活をさせてる様に見える事に雇い主側は怒らなかったんだろうか?
ファンタジーだし、小津安二郎リスペクトだから良いよってこと?それとも疑問さえもっていない?
人は足りない。社員教育もなく掃除の仕方は個人の工夫に任せている。町の人達に仕事の重要性も理解されていない。うんよく見る光景。
主人公が清貧な生活を望んでいて実はお金貯めてるのかとも思ったけど、ガソリン切れても入れる金が無いから大事にしてるテープを売りに行ったっぽいのでやっぱカツカツギリギリで、ほとんど善意で維持されている仕事の様に見える。東京のキレイな街並みも日本人の美徳で維持されているだけで、それが無くなってしまったらどうなるんだろう。
1人だけで何も事件が起こらず繰り返すだけなら完璧な1日を積み上げて行けるけれど、そこに他人が関わる事で崩れてしまうくらいの生活基盤。こりゃパーフェクトデイズから外れちゃいけない。気になる女性ともよろしくされても一緒になれないし、子供だって持てない。良くも悪くも変わらない事を期待するしかないけど変わらないものなんてない。ふ、不安だ。えぐってくる。
台詞も凄く刺さってくる。恐怖と不安は違うもの。影は重なったら濃くならないわけないって笑顔で言うの割とホラーに感じました。日々の温かい善意の木漏れ日も不安の影が重なれば日本人の善性も着々と濃い影に変化していくでしょうよ。
もうなんだか日本の人権意識が小津安二郎の時代から変わってないぞと国の外側から言われてるみたいで恥ずかしい。見た目は近代化した東京も意識の近代化はせず古いままだねと指摘されてる様に思えてならず。
アートや文化的な側面以上に日本について監督は勉強してるから出来た食い込み方だと思います。この映画が実現したのって凄い事だと思います。
もうちょっと素直に見ても良いんだけど、最後の平山の表情を見たら考えちゃって。私も泣き笑いの木漏れ日な毎日を生きてくしかないわ。
★2024年劇場鑑賞09★
振り返ると良質なものを見たことがより一層深く感じることができる一本。
途中のモノクロ表現はその日の出来事を振り返る夢か?
ここがアート表現すぎてわからなかった。
特に大きな出来事や大事件は起きないのに、ずっと見てられるし、次の日が気になっていく映画体験。
すごいなぁ、しかも寡黙な男性が主人公だからめちゃめちゃ引き込まれるんだよなぁ。余計に集中して些細な幸せがいかに大事なことかをわからせてくれた☺️
シンプルで整った暮らしは美しい
渋谷区の公共トイレ清掃を担当する平山さんの日常を淡々と綴った、ただそれだけの作品。
けれど2時間、ちっとも退屈には感じなかった。
平山さんの毎日は、規則正しい。
毎朝、道を掃くホウキの音。
苗木たちに水をやり、いつもの自販機で甘い缶コーヒーを買って飲む。
音楽はいつも車に積んでいるカセットテープ。時々替える。
仕事場の公衆トイレで掃除をして、駆け込んで来る人が用を足す間、空を見上げる。
トイレ掃除というのは、見下され屈辱的な事も多いだろうと思うけれど、
煩わしい人間と対するよりも、シンプルに美しく整えていく作業は無心で美しい。
掃除というのは修行に近いものだと言われているからか、
平山さんの整った暮らしは、本当に修行僧のような印象。
雲の変化や木漏れ日に目を細め、100円の文庫本を吟味する。
昭和感漂う、シンプルで美しい暮らし。
(音楽が洋楽が多いというのがオシャレすぎるけど…)
平山さんは今の暮らしに十分安らぎを感じているように見える。
そして、人によって持っている世界はそれぞれ違うもの。
何を大切にして生きていくかは、自分で決めて良いんだよ、とニコに言っている気がした。
※余談ながら、平山さんが家を出る時、鍵をかけている描写がないぞ…
そう感じてすぐに思い出した。
古いタイプのドアによくあった。
ドアノブの真ん中のポッチを押して扉を閉めれば施錠完了なタイプですね。
嫌いではないが、やっぱり外国人監督。
お掃除するトイレはモダン。住んでる和式の古いアパートは整頓されててミニマル。しかもミニ盆栽を育てている。 役所広司の無言の演技はハマり役だけど、飲み屋のママが石川さゆりで、歌いだした時は笑いそうになった。外国人がみたら好きだろうなって映画。
平山さんのまなざし
平山さんは、ほころぶような眼差しでその時々の木漏れ日をみつめる。
そしておなじ眼差しで向き合う人の後ろにある景色を感じ〝おもんぱかる〟。
報われなさや理不尽さにでくわしても、ゆるやかに舵を切り自分を整えていくことができる彼の言動をみるにつけ、さらりとおとしこまれたその様子はこの言葉がぴったりだと思った。
そんな平山さんが大切にしてるルーティンがまわらぬ程の限界に来たとき、初めて怒りの感情をみせたので少し驚いた。
でもそれは必要な対処を求めるためのものだとすぐわかったし、みえた一面の人間らしさに妙に安心もした。
それに、きっと彼は個人を怨んだりせず、尾をひいたりもしないと信じることができた。
どうしてもしまえない尾がただひとつゆらゆらと惑わすことがあったのを知るまでは。
いつの間にか建物がとり壊されていた町の一角。
そこを通る老人のある言葉を耳にした平山さんの一瞬の表情の変化を思い出す。
あの時の平山さんは、人はいつか忘れていくことで終われることがあると感じたのではないだろうか。
その一方で、我が身の老いも感じつつ、まだ暫くの間はそこまで辿りつけずに付き合っていく時間のことも。
彼にとって、更地をぴんぴんに覆う新しいブルーシートの冷たい硬さは、二度と港に戻らないと決めた小舟が漂う海原の孤独の厳しさに似ていたかもしれない。
そして、姪っ子との会話にある軽さの分だけ裏側に潜む重み。実父について語る妹を別れ際にあんなふうに抱きしめた意味。迎えの車内で姪っ子が感じとったはずのその夜の闇より深いもの。
再びで最後になろう決意が伝わり、みえてきた翳りで不安が増すと淡々と繰り返す実直な日常に身近な喜びを見出せる彼の暮らしぶりとは真逆の内なるものが、大小の波に打ち寄せられ辿り着く流木のようにあらわれた。
まばゆい朝焼けを真正面から浴びる運転席でのシーンだ。
余程の悲哀を味わいつくし余程の精神で越えてきたであろう姿がまだその最中(さなか)をたったひとりのまま生きようとしていた。
描かれてこなかった人生やまつわる覚悟、なぜ平山さんがそうあるのかが手にしたカードが埋めていくように私を捕えていく。
そして、真逆の内なるものも平山さんのまさに一部であることを痛感し、〝おもんぱかる〟あのまなざしを思い出した。
思えば誰しもが違う立場でなにかを抱えていた。
無常のなかを揺れ動く人の心でもがきながら生きていた。
平山さんはきっと今夜も読書をしながらうとうとと残像に追われ浅い眠りにつき、箒が道を擦る音で目覚める明日のはじまりにも空を見上げ柔らかに微笑んで一歩を踏み出す。
それから玄関で握りしめた小銭で買う缶コーヒーを啜り、お気に入りのカセットテープの粗くあたたかい音を味わいながら、スマートにそびえる無機質なスカイツリーを右横に流して朝一の持ち場へと向かう。
いつかその時がくるまで彼らしいそんなPERFECTDAYSを重ね続けるのだろう。
物質的なものでは決して満たされないことを嫌というほど知っている彼が折り合うと決めた生き様が映るまなざし。
それが、羨望と敬意が混在する小さな染みをはっきりとこの胸にのこしていった理由をみつめている。
修正.追加済み
起きて半畳
舞台は東京だけど、監督が外国人で、外国で賞を取ったという情報が先行して、外国人の眼で見てしまう。寝具を毎日たたむんだ!とか、共同浴場に知らない同士で入るんだ!とか。何ならかかる曲もほぼ洋楽だし。
主人公はアキ・カウリスマキの登場人物以上に無口だ。「サムライ」のアラン・ドロンに似た印象も受けた。あちらは殺し屋で、こちらは清掃員だが、仕事を終えてひとりの部屋に帰ってくると、あちらは小鳥の世話をし、こちらは鉢植えの世話をする。
淡々とした生活を描写するのは悪くはないが、随所に置かれた背景があまりにステレオタイプに思える。居酒屋の客や公園の女、舞踏家などなど。影踏みのくだりもわざとらしい。斬新なトイレを紹介するのはいいけど、一応劇映画なのだから。たびたび挿入されるモノクロのインサートは最後までよくわからなかった。このプロットで「PERFECT DAYS」のタイトルは、狙いすぎ。
端正な作品とは思うが、かと言って積極的に面白いとも言えなかった。
能の世界のような
いい映画だった。欧州で受けるのもわかる。
映像は美しい、東京の様々な表情をとらえている。時々、主人公の夢か脳内か、抽象的な映像が出る。
音楽は60年代等のものが流れて時代を感じる。
役者は豪華。主演の役所の笑顔が素晴らしい。表情の変化もある。その他、贅沢に実力派を配している。
トイレ掃除という地味な仕事、カセットやフィルムカメラ、銭湯という昔のもの、小さな植物、ちいさな日常を描く。誰にも、家族や悩みがあることも描かれる。読書の知性が人生のスパイスのよう。
そうだ、表現が能に通じるものがある。セリフも少なく、余分なものをそぎ落とし、観客のイマジネーションに委ねる。ただ、能のストーリーは劇的なものだが、この映画は小さな日常のストーリーだ。
若い時に観てもわからなかったかもしれないと思った。
自転車乗りとしては、自転車の飲酒運転はいただけないなあ、苦笑
何度も見返したくなる
説明過多な作品が多い中で必要最小限の情報提示で充分に想像できる演出が心地良い。平山というひとりの人間のドキュメンタリーのようでもあるしロードムービーのような趣きもある。
特に大きな何かが起こる訳でもない。でもずっと同じ日々が続くこともない。変わらなければいいのにと思っても変わっていく。その変化は些細なものであっても、光と影のようにゆらめきながら反射角を変えながら人生を照らす。木々のこもれびのように感情の機微がそこにはある。
どれだけ正確にルーティンをこなす日々を送っても、完璧な日なんてない。いろんな変化が訪れる。その陰影を噛み締めながら、泣いたり笑ったりしながら過ごしていく。むしろそんな起伏ある人生こそがパーフェクトデイ。
それにしても監督はよほど役所広司が好きなんだろうなぁ。愛が溢れている。それにしっかり応えている演技もさすが。
この先、何度も見返したくなる映画。
朴訥なトイレ清掃人を描いた木偏の映画
カセットテープを取り出すから『これはどれぐらい昔の話だろう?』と思っているところに、スカイツリーが楔(くさび)を打ち込んできて、『そうきましたか、それも想定内』と踏ん張っていましたが、激渋銭湯に古めかしい雨合羽と追い打ちは激しい。
しかし時代遅れの古い物に囲まれているからといって古風な人というわけではありません。朴訥な人です。そう「朴訥」という言葉がぴったりです。
そういえば朴という字は木偏。
調べてみますと(ChatGPTのコピペです)
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「朴訥(ぼくとつ)」の「朴」は、木の一種である「ボク」または「クス」を指します。この木は比較的地味で質素な印象があります。そのため、「朴訥」は、物事や性格が飾り気がなく、素朴で質素な様子を表現する言葉となっています。
朴訥な性格は、装飾がなく控えめで真摯な態度を指し、無駄な飾りがない、素朴で地道な性格を表す言葉として使われています。この言葉は、単に地味であるだけでなく、その素朴さや真摯さに美点を見出すという意味合いも含まれています。
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ですって。
平山さんの生活をみて、このように過ごしていたら日々なにが変わるだろうかと考えたら、部屋に並べているあの鉢の木の成長と、古本の冊数と写真の缶ぐらい。静止物の代名詞みたいものが逆に変化の焦点となっている妙が、いつしか思考の沼にはまっている自身を自覚させられて、『一日を生きた中身は、なにから作られて、なにに宿り、なにに刻まれるのでしょうか』と、途方もないところへと誘(いざな)われます。
便器を磨いていても、すなわち自身の日々を磨いているようで、「何をするか」ではなく「どう迎え入れるか」、自身の内側が大切なんだとルーチンなシーンごとに反芻しました。
幸田文の「木 (新潮文庫)」、読んでみようかなと図書館を当たりましたら、蔵書100万を超す図書館でも蔵書してませんでした。日の当たってないところに目をつけてくれました。さすがです。
そう見えるだけ。
完璧な日々を過ごしている。
丁寧な暮らし、草木を大切にし、仕事は真面目に、人にはできるだけ優しく、少しの楽しみを持つ。
でも、完璧なわけはないよな‥
そうゆう風に努めているだけ。
とりあえず、俺も掃除して整理整頓してベットを布団に変えたくなった笑
役所広司の演技みたら他の俳優さんはどない思うんやろう笑
孤独は自分には合わないかも
孤独でも幸せでは、ありそうだった。
日々の日常でも写真撮ったり温泉行ったり、読書してと、、、
ただ自分がこのようになりたいかと思ったらそうは思わなかった。
やっぱり好きな人と一緒に過ごしたり、
たまに友達と遊んだりと、けど孤独の時間も好きだから、自分に合った生き方をすればいいのかなと思った。
日常を見る
やっと見る事ができました。役所さん含め全ての登場人物の過去や理由を語られる事なく、ただ、日常を切取り、良いこともあれば、悪いこともあり、時々ドラマティックな日常を丁寧に描かれていた。不思議と2時間飽きずに見れた。最後の涙の意味は僕にはわからないが、芝居に釣られ感動させられる。
静かな日々
静かな日常が繰り返されるのだが、彼はまるで修行僧のようだ。修行僧は夢をみないか、経文が夢に出るのかもしれないが、彼は昼の場面が夢に出てくるようだ。簡素でまっとうな暮らしが繰り返されるが、修行僧と違うところは布施によって生きるのではなく、便所掃除でくらしの糧を得ている点か。言葉の少ない男だが、よいことがあると少し微笑む。悩み多き現代人と違い、多くを求めずシンプルにいきるひとだ。少し人生に波風はたつのだが、静かに波紋となって収まっていく。穏やかな仏像を見ているような映画だった。ドイツ人のヴィム・ベンダー監督の映画が、さてアメリカ人にわかるかな......。
boring days
役所広司や三浦友和、柄本時生などが出ているので何とか観ていられた。
何回歯磨きするんだろう、何回缶コーヒー買うんだろう。
フィルムの現像にあんなにしょっちゅう支払うならデジカメやスマホが買える。
コスパもダイパも悪い暮らしが延々と繰り返されて。
朝日のあたる家など、時おりかかるカセットテープの曲だけが変化を呼び起こすような似たような毎日。
本人が満足しているので悪くは無いんだけど、いらちな関西人には倍速どころか3倍速でちょうどいい。
久しぶりに長く感じた映画だった。
日本の生活は丁寧に描けていて違和感はなかったが、姪っ子や妹の麻生祐未とハグするシーンは違和感を感じた。
日本人はあの状況でハグしないけどなあ。
姪っ子が海に行こうって言ったらいつかはいつか今日は今日、じゃなくて今すぐ海に行けよ!たった今だよ。
そういうパッションのある映画が観たいよ。
海で姪っ子と水の掛け合いするよ。それが人生じゃないの?なんて退屈なんだろうか。
俳優の演技の上手さだけが印象に残った。
同じトイレを扱うなら、黒木華と池松壮亮のせかいのおきくは、排泄物の汚いところもとことん描いた上で、人々の様々な感情が楽しめたなあと思いながら鑑賞していた。
あと、田中泯さん出すならもっと見せ場を。曲に合わせて踊らせてあげて!もったいない。
死にゆく他人さんの三浦友和にハイボールやピース奢って影踏みする暇があったら、もうボケてしまった父親の見舞いぐらい行け!
運転しながら泣き笑いしてる場合じゃねーぞ。父親死んじゃうぞ、過去に何があったか知らないが。
まあ、君の生き方、10点満点で言ったら1点ですかね。
良くできた日常映像化作品とは思うが…。
人生の広大な山や深い谷、豊穣の地も荒れ野も歩いてきた(っぽい)静かに前向きな男の、平坦かつ深イイ毎日をほぼそのまま(と言うか監督の見せたい部分の繰り返しとその僅かな変調幅)映し出した定点ロードムービー‥
あれ?俺凄いな、高遠な映像詩作品を説明し切ってしまったぞ。でも決して単純とか浅いと言いたいわけでなく、本作は極めて静かながら均整の取れた映像進行と物語進行が美しく?、昨夜寝不足にも関わらず見ていて全然眠くなりませんでした。役所さんの演技所作は(台詞あんまり無い中で)自然で、助演の皆さんも上手いです。さゆりちゃん(子供の頃ファンだったので、すみません)が出てきて歌い出したのにはビックリしましたが、上手くまとめてました。
でも、よく知る東京の市井の風景と入ったこともある公衆トイレをかのWim Wenders監督が話の舞台として撮ったのだから、芸術的な特別感と親しみとが混じって映画を超楽しめるかと期待していましたが、やはりそうでもなかった。新しいと古いが混在の東京風景にしろ時代最新のトイレや面白いがフツーの日本人たちの詩的映像にしろ、監督の狙い通りに楽しめるのは、専ら日本(人・文化)をちょっと〜かなり知っている知的外国人さん達であり、本作品はそんな方達(だけ)向けの「平凡だが美しく深い日常描写映画」ではないでしょうか。私などには日常過ぎ・普通過ぎ・深すぎであまり味わえませんでした。
きっと、場所に特異的な映画はそういったものなのでしょう。私は昔、Sofia Coppola監督の「Lost in Translation」を観て退屈かつなんか東京が馬鹿にされてるだけの映画のように感じ極低評価でした。
今改めて考えると、そんな私が本作監督の「Paris,Texas」をなんか良く分からないが高評価していたのは私が日本人であり、東京は物珍しくなくとも米国テキサス州の未知の風景は新奇で楽しめたという部分が大半(あとは主演女優の美しさ→好みの違い)だったのかな〜
などと本作と全く関係ない思索をしてしまった次第です。
まあそんな訳?で本作は良く出来てはいるので、芸術的感受性や哲人度が高い方(皮肉ではありません自虐です)、海外または日本国内でも東京を異境の地と感じている方には良作たり得ると思います。些か支離滅裂失礼しました。
良い視点
東京のトイレに注目することと、
光と影の影のほうに注目することが
印象的だった。
最初はわかりやすいはなしだなって
あまり響かなかったけど、
姪との再会とか、
癌の男などのシーンで、
すごく涙溢れてしまった。
平凡な日々でも、
1人でも愉しくても、やはり感情を揺さぶらしてくれるのは、
人と人との関わり、繋がり、コミュニケーションなのではないか。
としみじみと。
ルーリードの"パーフェクトデイ"の曲が流れたタイミングが、女の子にチュウされたあとだったところも、すきだったな。浮き足立ってる主人公を彷彿させた。
この映画に感動するのって、つまりは禅とかBuddhaの精神が自分に流れてるからかなと思う。
上流側が何となく日本の下流はこんな感じかな?で作った感じ 全てが綺...
上流側が何となく日本の下流はこんな感じかな?で作った感じ
全てが綺麗綺麗しすぎて気持ち悪かった。
現代日本の経済格差、途上国移民との低賃金競争。
現実はもっと殺伐としてる。
そいえばproレビュアーが、この映画をベタ褒めしてる割には重要な設定を理解しておらず他の人から指摘を受けてたな〜
睡魔と戦った自分の方がまだ理解してた。
権威主義思考が集う映画だなという印象。
救われました
若い頃から、どんなに酷い状況でも孤独よりはマシだと思っていました。また、人間はただ生きるためには生きられず、どうしても付加価値を求めてしまうのだという一種の諦念を持っていました。
歳を取って孤独であることには賛否両論あると思いますが、この映画はそれだけに収まりません。朝、玄関を出て空を見上げる主人公の嬉しそうな表情がそんな議論を吹き飛ばしてくれます。
自分が今、生きていることへの感謝の気持ち、それを絶えず感じて一日一日を生きている主人公の様が、孤独の淋しさや強がり、どうしても付加価値を抱いてしまう悲しい素性を綺麗に掃除してくれます。
何故ならそれは、人間が己の想像力で獲得した他の誰のものでもない、己自身の叡智だからです。
歳をとり、こころも錆びつき、未来に恐怖しかなかった私の感覚もまた、きっちり掃除してもらいました。感謝しかないです。
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