PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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名作の予感 パーフェクトを超えたものを観た
良い脚本、良い監督、良いカメラワーク、そして良い役者が揃うと、こんなにも素晴らしい映画が撮れるのか!それもたった16日で!
カンヌで作品自体の評価が「極めて抑制的に過ぎる」と言われたのも分からないではありません。主人公の平山は誰の問いかけにも言葉すら発しない時のほうが多いのです。目を伏したり、顔をを上げたり、その少しの所作で彼の反応を十二分に読み取ってしまうのは、役所広司の上手さは当たり前として、僕が日本人のメンタリティを持つからでしょうか。監督ヴィム・ヴェンンダースと彼が私淑した小津安二郎の関係性を指摘する評論家の方もいますが、まさにこうしたところに良く出ていると感じます。寡黙という所に主人公の複雑性を宿させるのは出世作「パリ・テキサス」に通じる手法かなとも思います。
平山は朝起きて布団を畳み、そして一連のルーティーンをこなして、そしていつも通り朝日の射す首都高を渋谷区のトイレ清掃に向かいます。彼の几帳面さは徹底した仕事ぶりにも表れ、まさにそれはパーフェクトな毎日です。
しかし、登る朝日は毎日違う朝日なのです。毎日小さな波紋があり、変化があり、小さな喜びと悲しみがある。代々木八幡の木漏れ日の写真を毎日撮り続けるという変わった趣味を持つのもまさにそれであって、その光と影はそこにとどまっていずに常にゆらゆらと動いているから面白いのではないでしょうか。その光と影が交錯するイメージはこの映画のストーリーと映像に反復されながら貫かれていて、映画というエンターテーメントの醍醐味をとことん楽しめる仕掛けになっています。
ラストの役所広司の顔の表情の大写し・長回しは圧巻です。それはただいつも通りの出勤の描写でしかありません。それなのに木漏れ日のようにたゆたう微妙な笑みと悲しみの表情は平山の生きてきたすべてを内包しています。ストーリーはたった10日前後の出来事ですが、描かれていない彼の長い人生のドラマをそこに想像させて涙を誘います。そしてその人生のドラマはそれを見ている「自分」そのものに容易に重ね合わせることができます。この生きづらい日々、毎日起こるちょっとしたハレーション、喜怒哀楽の日常こそ自分が選び取って引き受けてきた「パーフェクトな日々」だと気づかせてくれるのです。
渋谷区のトイレをおしゃれなものにするプロジェクトのPRのための企画からこのような傑作が生まれたのならば、この映画は「パーフェクト」を超越した邦画史上の「奇跡」かもしれません。
劇場に3回足を運びました。
久々に何度も劇場に足を運ぶ作品に出会いました。
10代の方や底の浅い生き方をしてる人には何も響かないかも。自分も深い経験を積んでるとは言いませんが若い頃だとどうだったのかなとは思います。
それでもきっと20代の方でも思慮深い生き方をして来た人なら響くでしょう。
見る度に角度を変えて堪能する事が出来ました。
主人公平山の変化を嫌い毎日を淡々と生きて行く姿。その中にも葛藤があり人間誰もが平凡でありたくとも何かしらアクシデントがありそれに向き合い生きて行く。人生を考えさせられる時間を過ごす事ができる作品でした。
#02 すべてがパーフェクトじゃないけど
『101回目のプロポーズ』みたいに同じ日を何度も繰り返すみたいな映画。
実は普通の人間はそんな日々を送っていて、その中で小さな幸せを見つけるために生きているのかもしれないと気付かされる映画。
役所広司さんのセリフの多さで相手との距離感がわかる。
富山に来て観た映画の中で1番座席が埋まってた映画。
テーマのつかみづらい映画。
スカイツリーを中心とした東京の情景の中に几帳面な清掃員の姿が描かれているのだが、テーマが明確ではない。姪っ子との会話で言わせた、世界は一つではない。。。無数にあり、つながりがない。。。とこだろうとは思う。ちょっと難しいかもね。佳作といったところ。
美しいものは絶望を遠ざける
15年以上前に読んだ子育ての本に「美しいものは絶望を遠ざける」という言葉があり、ずっと覚えていたのだが、まさにそれを体現したような作品であった。心に染みる音楽を聴き、空を見上げ木漏れ日に目を細め、生きる力を回復させる。作品に映画らしいスペクタクルはないが、ないことに徹するのもまた映画であろうと思った。
物語の舞台として東京の最新鋭の公共トイレが次々と登場し、これはトイレの宣伝なのかと思いながら観ていたが、本当に東京の公共トイレを刷新するプロジェクトが発端となっているとのことで、その意外な繋がりがまた面白いと思った。主人公が日々掃除するトイレがこれほどスタイリッシュでなければ、物語はこうも美しくはならなかったはずで、綺麗な公共トイレは世界を救ってくれる気がした。
時に涙ぐみ、薄笑いもある日常、それと背景、孤独
不思議と退屈せずに淡々と観れる映画でした。60〜70年代の洋楽ファンならさらに楽しめるでしょう。キャストも端々まで豪華な布陣です。
あと、日本の衛生的な面や治安の良さなどが外国人ならではの視点でクローズアップされているとも思いました。
内容としては、これが幸せなのか不幸なのか観ていても考えてもわからない感じですが、一人でもなにかに繋ぎ止められて生きている様は「パーフェクトデイズ」なのかもしれません。
You're going to reap just what you sow
自分で蒔いたものを君は収穫するだろう
幸福とは何かを考える映画
主人公は安アパートに住みトイレ掃除を仕事とする寡黙な初老の独身男性。冒頭からその男(平山)の一日の様子が繰り返し映し出される。ほとんどセリフは無く、観客は何を観せられているのかわからない感じがする。
平凡な毎日で事件は起こりそうで結局は起こらない。姪の来訪やスナックのママの元夫の出現だけが変わった出来事。平凡で退屈な映画とも言えるが最後の「木漏れ日」のテロップでこの映画の主題がわかる。
人生は木漏れ日のように光と陰(影)が繰り返しおとずれる。光(幸せ)にも陰(不幸)にも濃淡がある。それは自然なことであり、それが人生なのだとこの映画は教えてくれる。
新旧の対比が面白い。スカイツリーと古いアパート、オシャレなトイレとそれを掃除する初老の男。
男は一人暮らしで孤独だけれども、周囲には知り合いが何人もいて決して辛くはない。古本屋、DPE屋、昔ながらの銭湯、旧式のコインランドリーなど昭和に囲まれている。極め付けはカセットの音楽。その中で暮らすことは平山にとってperfect daysなんだろう。最後の平山の顔を映す長いシーンでそれがわかる。
キャラクターは全然違うが、同じ役所広司が主人公の「素晴らしき世界」とどこか似ている気がした。
どういう気持ちで見たらいいのか・・
両親が観てとっても良かった!というので映画館へ、
60代70代の方が多く観に来てた印象。
日常淡々と系と聞いて、パターソンみたいな感じかな?と思ってたらそれともちょっと違う。
(パターソンは超綺麗な奥さんがいたしね)
夜寝る時の白黒の映像が、なんだか不穏。
これが幸せ、なのだろうか・・・諦めも感じる・・・
仕事をして、繰り返しの中で少し嬉しいことがあって、お金はあまり無いけど、毎朝缶コーヒーを買ったり銭湯に行ったり100円の古本を買ったりすることが幸せ・・
姪っ子と妹さんが帰っていったあとの孤独感がたまらない・・・
これ好きだったわよね、と渡されてたのは紅谷の紙袋じゃないだろうか、くるみっこで有名な・・・
だとしたら、鎌倉の山の上の豪邸だろうか・・・
行きつけのお店で顔見知りはいるようだけど、親しく交流してる人はいなそうで、やっぱりそれは寂しいんじゃないかなぁ・・・
最後の表情は、笑っているような、泣いているような、やっぱり諦めているような・・・
追記:やっぱりこれが幸せ、とは言ってないかな、曲を考えても。60代70代の方がこれを観て癒される、というのは、何かを諦めてたどり着いた年齢的なことがあって、私はまだそこへ辿り着いて無いので、うーんというところがあるのか、外国人監督が描く日本の、みたいなところでモヤモヤしてしまうのか。
ヴェンダース著「孤独のすすめ」
ヴェンダース著「孤独のすすめ」と言った印象。
ほぼ何のドラマもなく台詞もほとんど無いただ老年の男のルーティンが丁寧に描かれる
必要最低限の事以外何も語られず音楽も無駄に足さない
しかしスタンダード画格の映像の画の切り取りだけが抜群に美しく雄弁に物語る映画
男は木の葉の光と影を見続けているのだ、誰にも知られずに…
時代と逆行する様でありながらも現代の本質をついてる気がしましたとてもいい映画です。
ロールで退席しない様に…
日々訪れる小さな喜びを積み重ねる幸福
あんなにセリフが少ない映像の中でも、表情や動きで表現出来る役所広司さんが何とも素敵です。淡々とした日常の繰り返しの中で、自分の仕事であるトイレの清掃を黙々と丁寧に務める平山さん。そんな何の面白味も無いような日常でも、小さな喜びはいくつも存在します。木々を眺め写真に収めたり、迷子の少年との一瞬の出会い。同僚の幼なじみや女友達との出来事。仕事終わりの一杯。なじみの飲み屋のママの元旦那さまとの会話など。そして姪っ子ニコが家出したことからの日々と、ニコの母である自分の妹との再会。何でもないような出来事の中にも小さな喜びはたくさん有る。そして辛く悲しい出来事の中にだって隙間から射し込む光がきっと有る。そんなささやかな喜びを見い出し日々を生きる事の幸せ。それが今の最高の日々の送り方。そんなことをこの作品から感じ、教えてもらいました。麻生祐未さんの妹との会話で「ホントにトイレの掃除やってるの?」。きっと平山さんはそれまでとは全く違う生き方を今はしているのだろうな?そして今の日々がきっと大好きなんだろうな?そんなことを考えました。別れ際妹を抱きしめた後の平山さんの涙は、心ならずも疎遠になってしまった家族への溢れる想いだったかな。素敵な映画でした。
静かな時間
白みゆく空、缶コーヒー、磨かれるトイレ、
木漏れ陽、銭湯、古本、フィルムカメラ、
密やかな○✕、首都高、都会のあらゆる時間、
関わる人々、心持ち一つで余りに美しい。
過去とは完全に別世界に住みながら、心は対峙も忘却もしない。自然に任せている。
一つの生き方のサンプルのようだった。
そのやり方はとても尊かった。
こんなふうに生きていけたなら
東京の公衆トイレ清掃員として生活するヒラサワの日常を描く。
全体の構成はアダムドライバーのパターソンを彷彿とさせる展開だが最終的な着地点は大きく異なる。
前半では日々の中でささやかな楽しみや小さな変化を謳歌する人生賛美のような描写が続くが、終盤に近づくにつれて少しずつヒラサワの変化への願望が見えてくる。
子供に手を振ってもらったり、顔も知らぬ人と丸罰ゲームをしたり、同僚の思わぬ良い面を見たり、スナックでちょっとした優遇を受けたり、日々の刹那的な喜びは確かにある。
一方でお金がなければ恋愛も難しく、熟年で家庭が離散したり、突然自身の命が長くないことをしったり、普遍的な苦しみが共存する。
刹那の喜びが続き、普遍の苦しみから解放されることをどこかで望む中で、「今は今、今度は今度」の台詞がずっしりと心に響く。
違和感と好きな世界
役者人が有名な俳優さんばかり。
妖精のような綺麗なホームレス。
高級な公衆トイレ。
ボロアパートに実は高級な照明。
ボロアパートに運転手付きで高級車がやってくる。
貧富の差に小さな小石を投げたようにも感じる。
古いアパートで清貧にかつ美意識高く暮らす主人公。
仕事終わりに行く銭湯と行きつけのお店。眠る前に本を読む生活。好きな音楽。蘖を盆栽にして育てる嬉しみ、彼のルーティンあれこれが好きです。
姪の髪の結び方も可愛い。説明は最少でそこが又良いが、彼が裕福な家で育ったのは伝わる。
だから綺麗すぎて。
万引き家族とは真逆の目線で貧富の差をみている。是枝監督が貧からみた世界だとしたら、こちらは富からみた世界。
確かに、裕福な方々によってプロデュースされている映画だ。
だからこそ、カンヌ映画祭のオープニングを飾ったのは何かしらの違和感を持たずにはいられない。
違和感を持たせる事がねらいのひとつかもしれないな。
満ち足りた日々、満ち足りた時。我々は一本の木。
作品を鑑賞中、私自身がとても満ち足りた気持ちになった。それは主人公の日々の生活を見ていてそう感じ取れたから。
主人公平山は一日に数億円の金を動かすトレーダーでもなければ、社員数千人を抱える企業の経営者でもない、ただの公衆トイレの清掃員である。
それはけして誰からも尊敬されないし、むしろ蔑まれるような仕事、いやそれどころか彼の存在すら人々は気にも留めないだろう。
彼はもはや人々の目には周りの風景と同化した存在であるのかもしれない。その証拠に子供を保護した彼に会釈さえしない母親。
彼は風景の一部なのだ。それは風景になじむように作られた多種多様なデザインの公衆トイレの様に。あるいは公園に当たり前のように植えられている木々のように。誰もが気にも留めない存在。
しかしそれは彼にとっても居心地の良いものだった。彼の世界とそれ以外の世界とはけして交わることはない。彼にとっても周りは風景でしかないのだ。無用な干渉をすることもない心地よい距離感を保って彼は自分だけの世界で生きている。
日が昇る前の早朝、木々の葉が風でゆれる音、竹ぼうきが路面をこする音で目が覚める。植木に霧吹きで水をやり、缶コーヒーを飲む。現場へ行くまでの車内で音楽を聞き、仕事は完ぺきにこなす。昼休みはお気に入りの場所で木々の枝や葉が風にゆれる瞬間をカメラに収める。銭湯が開くまでには仕事をきっちり終えて湯船につかる。行きつけの地下街の店で晩酌、そして寝床で読書をしつつ就寝。
同じことをただ繰り返すだけの毎日、判で押したような生活、それはまるで日が昇り日が沈むような自然の営みを思わせる。
他人から見れば単調でつまらないように見える彼の生活は充実していた。音楽や読書、そして自然の営み、木々の葉が風に揺れる時のささやき、虫たちの声、生きとし生けるものを毎日のように堪能する彼の日々。忙しさの中で我々がともすれば見過ごしてしまっているものを彼はひとつひとつ感じ取っていた。
周りには気にもかけられないホームレスの姿をしたダンスをする木の精霊も彼の目には見えていたし、誰も気に留めないメモ書きを見つけては相手も知れない丸罰ゲームに興じる。それはとても充実した日々。
彼はけして世捨て人というわけではない。彼にも年齢を重ねた分だけ過去があった。時にはその過去が突然絡みついてくる。
思わぬ姪との再会から過去との邂逅。再会した彼の妹は兄の今の生活を見てただ憐みの目で見つめる。彼女にとっては兄は負け組の哀れな人間にしか見えないのだろう。別の世界の人間からはそう見えても仕方がない。
思えば我々はそれぞれが一本の木なのだ。けしてそばにいる木とは交わることはない。そこにのみ立つ一本の木。それぞれが自分の世界で生きている。だからほかの木の世界はわからない。
だが、そばにいる木同士が交わる瞬間がある。互いの葉を重なり合わせ風に揺られて木漏れ日を作る。その木漏れ日はけして同じものはない、唯一無二のもの。まさに一期一会。
たまたま出会った平山と友山はお互いの影を重ね合わせる。そして影踏みをする。お互い同じ年齢を重ねてきた者同士の木漏れ日のような一瞬の交わり。
けして交わらない者同士が一瞬だけの木漏れ日を作る、これを繰り返すのが人生なのかもしれない。
きっと平山は自分のいた世界から逃げ出したのではなかった、自分の世界を見つけたのだ、唯一無二の世界を。彼をうらやましく思った。日々生活に追われて蟻のように生きてる自分と重ね合わせてなんと人間らしい生活なんだろう。ほどほどに稼ぎほどほどに食べていければいい、日々自然の息吹、町の息遣いを感じつつ、音楽や文学に浸る、これこそ人間らしい生き方と思えた。
ラストの役所広司さんの笑い泣きには痺れた。男優賞も納得。映画館で映画を見る楽しみを味合わせてくれた作品。
と同時に映画館で映画を見る弊害も。隣の席の高齢夫婦、とにかくマナーの悪さに集中力をそがれた。定期的にスマホを見る、私語の多さ、高齢なのにポップコーンガサゴソ食い、流石に途中で注意しようと思ったが楽しい映画デートが台無しになるだろうからと飲み込んだ。年齢を重ねてるぶん他人の迷惑を少しは気にかけてもらいたい。自分たちの世界しか見えてないのも困りものだ。
沁みるいい作品でした。
役所さん演じるトイレ清掃員、平山の1日を
淡々と描いているけど、光の捉え方、朝陽や木漏れ日、
建物の明かり、玄関灯など日常のありふれた風景が
とても美しく撮影されていて、素晴らしかったです。
あまり喋らない、平山の言葉、とても心に残りました。
特にお互いの影を合わせるシーンで、平山が発する言葉が、
すごく心に響きました。
ラストシーンも良く、何も抱えていない人はいないのではないかと
思わせるようで。
いい作品を観られると、とてもいい気持ちになれますね。
数は少ないけど。
ちなみに私が鑑賞した時は、ほぼ満席でした。
幸せとはどんな状態を言うのだろうか
THE TOKYO TOILETというプロジェクトは世界で活躍する16人のクリエイターが渋谷区の17ヶ所の公共トイレを設計するプロジェクトだ。
そのプロジェクトを主宰しているのはユニクロの柳井社長の次男である同社取締役の柳井康治氏である。
この映画もこのプロジェクの一環でトイレを映像に残す発想から始まっている。
柳井氏とクリエイティブディレクターの高崎卓馬氏がセミドキュメンタリーの構想を考え、監督としてヴィム・ヴェンダースに声をかけたことが今作に繋がった。
長い前置きだが、柳井氏と高崎氏がいたからこそ、この傑作が生まれたので紹介する。
両氏は今作のプロデューサーでもあり、高崎氏は脚本も執筆している。
主演の役所広司をキャスティングしたのも両氏だ。
この作品は柳井氏、高崎氏、ヴィム・ヴェンダースの3人による化学反応により傑作となった作品なのだ。
そしてパーフェクト・デイズは日本映画だ。
ヴィム・ヴェンダースが監督しているのにしっかりと日本映画になっているところに驚く。
監督は日本映画好きだし、小津安二郎をリスペクトしている。
ただ、日本人を使い日本語で作られている事を考えると奇跡と思える。
主人公平山(役所広司)はスカイツリーの見える下町の木造2階建てのアパートで一人で生活し、渋谷区のTHE TOKYO TOILETの清掃をする仕事をしている。
カセットテープで古い音楽を聴き、夜は古本屋で探した好きな本を読みながら眠る。
公園で見つける木の芽などを見つけては、家で鉢植えにし育ててもいる。
仕事終わりには銭湯に行き、酒場で飲み食いするのが日課だ。
彼はこの日常を規則正しく繰り返し生活を送っている。
彼のこれまでの人生、なぜこの仕事をしているのかの説明は一切無いが、規則正しい日常を乱す存在として、家族とうまくいかない姪のニコ(中野有沙)が平山のアパートに転がり込んでくるところからドラマが動き出す。
平山の生い立ちやどんな人生を歩んできたのか、回想やセリフではなく映画のシーンでそれを想像させる監督の手腕に唸る。
時折平山の生活とオーバーラップする木漏れ日の映像が象徴的。
平山がフィルムカメラで毎日撮る大木の木漏れ日のモノクロ写真など、同じ葉っぱの重なり具合や時間、光で全く違う表情を見せる木漏れ日を愛でる日本人の生活美。
毎日、同じ所作を繰り返しても生き物は育ち、微妙な変化を感じながら変わらず生活できる幸せを表現しているようにも見える。
田中泯、石川さゆり、三浦友和らが演じる平山を取り巻く人々の印象が、少ないシーンながら強烈に残る。
そして思う。平山は一人で静かに暮らしているがたくさんの周りの人との関係性は豊かだ。
三浦友和とのエピソードは強烈な余韻を残す。
そして、最後の平山の顔は人の人生をワンシーンで表現した映画史に残る名シーンだ。
ヴェンダース監督が78歳にして新たな代表作を作ったことに敬意を表す。
そして、カンヌ国際映画祭で役所広司に贈られた男優賞は納得。
ただ足るを知る
昔、学校の教科書に出ていたかも、、と思うのですが、我唯足知という言葉。
日々、色々なことに感謝をしながら、自分に与えられた役割を果たして生きていたら、毎日が心満たされる幸せな日々になる、、、あの言葉ってそんな意味だったかなあ、、どうだったかしらん、、この映画を見て、そんなことを考えました(本当の意味は違うかもしれないけれど笑)
映画は、主人公の平山の日常を描いていますが、
繰り返す毎日の中で、時には気分が上がるような瞬間があったり、逆に怒りの暴風が吹いたり、過去との対面で心が波立つ時もありますが(人間、生きていれば色々、ありますからね!)、悲しい話ではありません。
全体としては穏やかで満ち足りた、パーフェクトな日々が描かれています。
人の幸せって、お金、地位や名誉があるかどうかとは別のことなのよね、、と改めて気付かされた気がしました。
映画の中におさめられた景色や音声などは、「こういう音、大好きだなぁ」とか「こういう景色だったら、自分も同じように空を見上げるだろうなぁ」と感じるものばかりで、ドイツ人の監督が撮ったものであることに驚きました(自分の中では、ベルリン•天使の詩のイメージが強かったので。本作は聴覚、視覚が日本的というか、日本映画的というか、、うまく説明できないのですが)。
家に帰ってこの映画のHPを見て、映画製作の背景を知り、スタッフの方々のお名前を見て、日本人スタッフの方々がかなり中心となって製作されたことを知って納得した部分はありましたが、それでもやはり、監督が映像化した東京の音や景色は、日々日本人の自分が感じている音や景色そのものでしたので、こんなふうに国を越えて感性を共有できるのは素敵だな、と感じました。
また、映画とは別に、映画のHPも見させて頂きましたが、とても素敵でした!(自分はちょうど1年程前に仕事を辞めたので、その後ウェブサイト作りの勉強をしたりしていたのですが、こういうウェブサイトを作れたら素敵!とドキドキしました)。
役所広司さんは、平山を演じるにあたって「自分は平山ではないから」とおっしゃっていたみたいですが(奥様へのインタビューで、奥様が話されたお話)、内面的には、役所さんと平山は結構近いところも多いのかな、、と感じるくらい、平山役が自然でした (最近だとTHE DAYS や VIVANT 等のドラマを拝見しましたが、どんな役でも自然に見えてしまうのが役所さんのすごいところなのだろうとは思いますが笑)。
その中でも、以前観た「関ヶ原」の家康役はすごくギラギラした役だったので、ああいう役の時はどうやって役作りをされるのか、とても興味が湧きました。
エンドロールの後に“なるほど”がありました🌱
一瞬とて同じ光を生まない…でしたっけ?
“木漏れ日”かぁ!!
どんな小さな世界にも幸せはある。
日常のルーチンの中に一つ一つ楽しみがあって、仕事に責任と誇りを持っていれば、たいてい人は幸せかもしれない。独り者であっても、決して寂しくはない。
職場のポンコツな後輩が追いかけるそれほどポンコツではない彼女は、本能的に彼の本質を見抜いて一瞬でも己を晒し出す…
きっと沢山の素敵なコメントがあるだろうからこの位にしておくけど、役所広司やっぱりカッコいいなぁ〜
トイレ掃除する姿がなんでこんなに美しいの?
(お掃除する人はそもそも尊いけど!)
淡々とした一日の行動なのに何故か飽きずに見られちゃう。
ラストのシーンも沁みました。
一日の終わりなど誰も見ていない時にふと、哀しいとも嬉しいとも判断のつかない色々な想いが交じった感情に涙が溢れてしまう…こんな私でも何度も経験したものなぁ〜
少しは成長してるのかなぁ〜
そしてもっと本を読みたくなりました!
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