PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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自分なりの良い日々こそ
見始めから中盤、ラストと感じ方が移ろっていく映画でした。自分なりの充実感ある日々の繰り返しの中で、ほんの小さな変化や気づきに心動かされ、笑みを浮かべたり顰めっ面になったり。そんな日常が手に取るようにわかる映画で、監督すごいな、と思った。自分も些細なことに心を動かされる人でありたいと思う。そんな日々に時たま大きめの出来事が入り込み、繰り返しに変化が起きるけど、紙に染みた水の跡が乾いて消えるように元の日常が戻ってくる。でも一度染みた水滴も彼はきちんと吸収していると思う。すごく良かった。観て10日以上経った今でも、まだ新しい見方が出てくるような映画でした。
彼のお金の使い方が、好きだった。
パーフェクトなデイズでした。
彼の
お金の使い方が好きだった。
お金を使うって、こういうことか、みたいな。
彼の生活は、ただただ節約した質素な生活、ではない。
自分が必要だなと思ったことには、潔くお金を払っている。
そこが見てて気持ちよかった。
朝のミルクコーヒー、銭湯、週末のコインランドリー、古書店、カメラの現像、新しいフィルム、行きつけの飲み屋、スナック。
自分にとって必要なこと・もの
自分を喜ばすのに必要なこと・もの
逆に不要なこと・もの。
それらを、自分自身がよくわかってる。
そういう彼の姿を見ていることが、気持ちよくて仕方なかった。
無駄がなく、豊かである。
だから姪っ子は、惹かれるのであろう。そういう大人に。
そういう大人に時に触れることで、何かを取り戻すのであろう。
ピアノの調律のように、自分のここ、という軸に戻れるのだろう。
そういう大人が親戚にいて、彼女はよかったね。
SNSをしてない人の生活(承認欲求の少なめな人の生活)を垣間見たいんだけど、そういう人は自分の生活を発信したいわけじゃないので見られない。
SNSでは、その人の「見てもらいたいもの」を私は見ているのであって...。
でもそうではない、「見せる用」ではないものを見たかった。
傍観するような形で、見てみたかった。
眺めたかった。そういう人の一日を見ていたかった。
そういう気持ちが自分の中にずっとあって、もちろんこの映画もフィクションではあるけれども、そういう、SNSとか無縁な人の生活をたっぷり味わえて、幸せでした。
人の机の引き出しの中を見ているような。
どのシーンも好きだった。
ほんと、どのシーンも。
家の中も、外での生活も。
寝る前の読書。大切に育ててる植物。
部屋にはお気に入りであろうもの(カセット、本)が敷き詰められていて。
自分だけがその魅力をわかればいい、缶に入った写真の記録。
昼休みの神社でサンドウィッチと牛乳。木漏れ日をカメラで撮影。
東京の河川敷、夜景、ハイボール。
三浦友和と役所広司の影踏み。笑
よかったなあ〜、三浦友和ってのもよかった。
役所広司さん、いい〜顔するねえ、、、、
何とも言えない、喜び、哀愁の表情。
セリフが少なくても、彼のシーンはずっと充実していた。
消せない色気・ダンディー感はあったけど。笑
見てよかったなあ。。。
最後の曲も、名曲だけど、あのシーンで流れるのもなーんか良かったなあ。
人を拒絶しているわけではない。愛想はいい方だと思う。
でも無駄に愛想を振りまくわけでもない。
東京ならではの、人間との距離感。
人がたくさんいる中で、一人でいる心地よさ。
これは私も、東京にいて感じる。
人間の生きてる音を聞きながら、家、街、店、にいることが心地いい。
そんな人間関係も腹六分な感じも、心地よかったなあ。
生きる
何も変わらないなんて、そんなはずない!
ある初老の清掃員のルーティンを淡々と映し出す。
寡黙で、質素で、几帳面な男。
毎朝、近所の竹ぼうきの掃除の音と共に目覚め、自分が決めたであろう朝の営みを律儀にこなして家を出る。帰宅後も、必ず本を読んでから眠りにつく。そして、抽象的な夢を見るのだ。
仕事は公衆トイレの清掃メンテナンスたが、道具や消耗品を積んだミニバンは自宅アパートの駐車場に駐められていて、現場直行直帰の勤務形態のようだ。
出かける時に必要な小物は玄関の小さな棚に並べて置いてあり、それを端から順に取って家を出る。これだと忘れ物をしなくて良いと思うが、帰宅時にまたそこにきちんと戻すことなど私には到底無理なことだ。
なぜか、その棚にある腕時計だけはいつも置いて行く。
そしてある日、その腕時計を左手首にはめて家を出た。いつものようにタオルは持たず、車ではなく自転車に乗った。休日なのだ。
休日には休日のルーティンがある。
時に同じ映像を繰り返しているのかと見紛うほど、この映画はそんな男の日々を繰り返し見せる。
役所広司が演じる平山というこの男は、変化を好まない男のように見える。
しかし、世の中は変わる、物事は変わる、人は変わることができる…と、信じている男でもあることが物語の後半で判ってくる。ここがこの映画の深いところ。
毎日同じことを繰り返していても、当然ながらほんの少しずつ違うことが起きる。
いい加減な若い同僚(柄本時生)が惚れているガールズバーの店員(アオイヤマダ)。突然家出してきた姪(中野有紗)と、妹であるその子の母(麻生祐未)。行きつけのバーのママ(石川さゆり)の元夫(三浦友和)。
ルーティンには登場しない彼等を平然と受け入れる懐の深い平山は、彼等の心に何かを目覚めさせ、それによって自分自身の内面の何かを解放させてもらったようだった。
日々判で押したように同じことを淡々と繰り返す生活を軽視していた私は、だからと言って劇的な毎日を送っているのかと、自問自答した。単に規則正しく生活できない怠け者じゃないかと。
役所広司の微かな笑みや微かな涙が、実直に生きることの尊さを私の胸に熱く突きつけた。
この映画には劇伴がなく、平山が聴くカセットテープの音楽だけが流れる。アニマルズの「朝日のあたる家」、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」など、60年代のヒットソングだ。(平山のライブラリにビートルズはない…ローリング・ストーンズはあったが)
これに二人の若い女性がハマるというのも、嬉しい演出だ。
気になったのは、平山が掃除する公衆トイレはどれもオシャレでキレイなことだ。平山の清掃の仕方もホテルやデパートのトイレかと思うほど丁寧なのだ。
平山の作業着に「The Tokyo Toilet」とプリントされていたので、調べてみた。
THE TOKYO TOILET の特設Webサイトを見ると、映画に登場する公衆トイレが写真付きで紹介されている。渋谷区内に17箇所の公衆トイレを設置し、現在は区に譲渡しているらしい。
名のあるデザイナーが設計し、大和ハウスとTOTOの協力によるこれらのオシャレな公衆トイレは実在した。
たが、これらを作るのも運営するのも資金が相当かかるだろう。毎日3回清掃をしてあの綺麗さを維持しているようだ。このプロジェクトの運営主体である「日本財団」とはいったい何かと思ったら、前身は「日本船舶振興会」だった。“一日一善”の「ドン」の落し子だったか…。
財政が安定している渋谷区なら、このトイレの美しさを維持できるかもしれないが、このプロジェクトを都心の裕福な区以外に広げていくのは難しい気がする…。
我が町にもあんな公衆トイレがあったら嬉しいが。
ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースの不思議な作品
始まりから静かに、そして淡々と同じ日常の繰返しが描かれる。小津安二郎を心底敬愛するヴェンダース監督が描く光と影とトイレ清掃を生業とする言葉少ない平山の日常。毎日毎日が同じことの繰り返しでこのまま終わるの?と思って観ていると、平山の姪と妹が現れるところから空気が一瞬に変わったように感じた。平山はまるで僧侶の修行のように、罪人が贖罪のためのように黙々とトイレ清掃に没頭し体を動かし続ける。もともとがインテリで上層の暮らしをしていた人で、何が有ったのかはわからない。「ただ、その何か」を拭い去るために、わざわざ職種としてトイレ清掃を選んだのではないか?と疑ってみたら、何故かそこから急に気分が下がってしまった。とても私にはきれいな話としては観られなかった。どうして平山をトイレ清掃員と設定したの監督に聞いてみたい気持ちになってしまった。
ストーリーとは別に、主人公平山のほとんど言葉を発しない演技と顔の表情の細やかさが素晴らしくって、それだけでも観ごたえが有った。さすがカンヌ国際映画祭で男優賞を獲った役所さん。
禅僧の修行
無駄のない所作で黙々と便器を磨く。
トイレ(東司)掃除というのは、禅僧の修行を思い起こさせる。
こういう所からしてヴェンダース好みだったんだろうな。
平山が無口な分、サントラ曲の歌詞が気持ちを代弁している気がする。
朝日の当たる部屋、ドック・オブ・ザ・ベイ。親との確執や人生への諦観。
うん、そんな感じするぞ。
ペイル・ブルー・アイズ。他人の彼女を思う歌。
少し無理があるかな。
レドンド・ビーチ。喧嘩した彼女が自殺しちゃう歌。
平山を不意打ちのキスで惑わせて去っていくアヤが気に入って口ずさんでいた歌。
ん?歌詞はあまり関係ないのか?
ちょっと判らなくなってきました。
誰か教えてください。
音楽も良かったけど、アパートと職場の車移動が初期のロードムービーを思い起こさせて懐かしい気になりました。
雨ニモマケズ
平山の世界にじんわりと浸り、彼の人生を楽しむひととき。いつもと違う東京をドライブし、公園(のトイレ)を巡り、下町の生活に浸る。
いつもは忙しなく感じる東京だが、映像も音楽も実にビムベンダースらしい、穏やかで古くさくて、ゆったりした気が流れている。
映画館でじっくり観れてよかった。
平山のシンプルで豊かな生活。完璧なルーティンだ。
それでも四季や天気やハプニングがあり。少しの驚きと、少しの切なさと、時には大きな悲しみや、時には大きな喜びも。
同じ1日は二度とない。そうやって人生は続いてゆく。
汗をかいて、丁寧に仕事をして、銭湯で汗を流して、いつもの場所でお気に入りのご飯を食べて、好きな音楽と文学を合間に楽しんで。
平山の笑顔を見ているとわかる。彼は人の幸せを喜べる余裕があり、困ってる人に手を差し出すことができ、美しき世界に微笑むことができる。
そうか、これこそが完璧な人生なんだ。これでいいんだ。
宮沢賢治の雨ニモマケズ の現代版のような。
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシ「モ」ナリタイ
心に静かに染み入る作品
この映画の中で印象的なものは、主人公が好んで聴く60~70年代のロックとそれを再生するカセットテープや古本の文庫本である。
過去は捨て去るものでは無く、本質として良いものは良いという価値観。時代の最先端を行く大都会に於いても、時代に無理に追いつこうとせず、自分の価値観を大切にして生きる主人公に次第に共感さえ覚え、平凡にくりかえし生きる生活の意味や何気ないものから見出す美意識に気付かされる。それらは物質主義や大量消費社会へのアンチテーゼかもしないが、決して声高に叫ぶのではなく、静かに語るヴェンダース監督の世界に引き込まれていく。
今、この繁栄する現代社会にあって、色々なことに亀裂や矛盾、天変地異や不穏な動きが世界中で広がりつつある中、この映画の視点は何か大切な事を見る者に伝えている気がする。
今の社会につかれた気分の時に、この映画はそっと和ませてくれる、そんな作品である。
平山氏の贅沢な日常
平山氏の日常は朝起きてから夜寝るまできっちりとルーティーン化されている。とはいえ、人と関われば、そのルーティーンに横槍が入れられることもある。しかし、平山氏は特に不愉快に思っているわけではなく、ちょっぴり歓迎しているようにも見える。毎日同じことの繰り返しの中では、ほんの小さな差異、たとえば神社の木漏れ日の違いさえも、高い感度で感知することができ、毎晩夢の中で反芻する。静寂の中でこそ、微弱な音まで聞こえる。
平山氏は21世紀の物質主義からはほとんど隔絶されたところで生きている。昭和のバブル期以前から時間が止まったようなアパートには、電話もテレビもない。洗濯はコインランドリーで済ませる。自転車はロッドブレーキだし、ラジカセはソニーのCF-1980。愛用のカメラはオリンパスのフィルムカメラ。日本製品がまだ高品質で頑丈だった時代の製品だ。スマートホンはもちろん所持しておらず、携帯電話は会社から支給されたものがあるだけ。軽自動車の中で聞くのは70年代のロックのカセットテープ。
しかし、平山氏はお金に困っているわけではない。毎日銭湯で一番風呂に入るし、毎週のように現像に出すフィルム代もプリント代も金がかかる。大事にしている「エモい」カセットテープには思いもよらずプレミアがついている。
毎日サブスクで少しずつお金をむしり取られながら、否応なく流し込まれる大量の情報の中で、肩までどっぷりどころか、底に足がつかなくなっている我々からするとむしろ平山氏の生活は羨ましい。しかし、その平山氏の生活は、東京という物質主義の権化のような余裕のある大都市の隅っこでしか成り立たないというのもまた事実である。彼が毎日清掃している酔狂なトイレはその象徴だし、この映画の企画自体がその産物である。映画はよかったけれど、我々を情報に溺れさせているのが、まさにこの映画の作り手の側だということにある種の皮肉やあざとさを感じて、ちょっと冷めてしまった。
とにかく役所広司の演技を観るための映画
タイトルなし(ネタバレ)
観賞直後のメモ
・「無言」は時に言葉よりも意味を持つ
・日常をルーティン化して固定化するからこそ、ささやかな変化に気付ける
・経済的には恵まれているものの、不自由で抑圧されていると思われるニコ。彼女がおじさんと過ごした数日間はありふれた日常の数日間よりもずっと深く彼女の中に刻まれる時間だっただろう。日常に戻り、目の前に延びるレールに載ったその後を辿るとしても、きっと初めての家出を忘れることはないのだろう。
・「今度は今度、今は今」という言葉も、その今度が来ないと悟っているようにも見えた。別れ際の涙は何を表していたのだろう。ニコともう会えないことを意味しているのか、妹親子とは生きている世界が違うことへの想いか。
・彼は、他人を毛嫌いしたり煙たがったりしない。大半の人がそういった目を向ける人に対してフラットだ。優越意識から来る腫れ物に触るような態度は取らない。
・自分=ルーティンを、他人が壊していく
名作みたいな2時間のCM
全て良いのがパーフェクトでは無い
のですね。
若者も老人も
良い事も悪い事も
新しい事も古い事も
明るい場所も暗い場所も
金持ちもそうで無い人も
光と影の両方が共存してパーフェクトな日になる
いつもと違う事がいつもの毎日で起きても
我思う故我あり
自分がどうしたいのか、自分がどう見えているのか
周りの評価より大切にしたいと思いました。
明日からがどう生きようか楽しみになる映画でした。
一期一会
名脇役は1/fゆらぎ
前半はいつもの見慣れた都内の景色がカーステレオから流れる音楽にのって、おしゃれに感じました。
先に見た方が木漏れ日が愛おしくなるよと言っていましたがその通りでした。
名脇役は1/fゆらぎ。
木漏れ日、木々の緑、葉擦れの音、鳥のさえずり、虫の音、水面のゆらめき、道をはく竹ぼうきの音さえも。
映画のシーンの多くに緑の木々が配置されています。
私事ですが足を骨折し、同時期に身内を失うという心折れた時期がありました。
リハビリを兼ねて大木が重なりあうように植えられた近所の公園に行きベンチに座り上を見上げた時、まさに映画のあのシーンが目に飛び込んできました。
折からの強い風に揺れる木の葉たち、葉擦れの音、私はそれを浴びて癒やされたことを思い出し、泣きそうになりました。幸せに満ちた瞬間でした。
真に人の心を満たすものは巨万の富でもお金で手に入る物でもない。
だから平山さんが木漏れ日や木々の緑に向ける満足そうな笑顔に激しく共感して「わかる!わかるよ!」と思いながら見ていました。
映画の冒頭で平山さんの部屋が質素できちんと整えられているなと思いましたが、それもそのはず、平山さん、掃除の達人でした。
出かける前のルーティンも必要なものだけをきちんと並べる。
掃除道具は手作り。
腰でシャラシャラ鳴っているのは全て違う仕様の各トイレの鍵たち。仕様が違えば掃除の手順も、使う道具や洗剤も違う。
それを手際よく作業していく平山さん。
掃除の匠、達人、一流のプロです。
匠は無口なのです。
でも、平山さんならどんな仕事に就いても極める事ができる人だと思います。
スカイツリーが必ず背景に出てきます。平山さんの質素な暮らしを見ていると、ここが東京であることを忘れるので、「ここは大都会東京ですよ。でも、自分次第でささやかだけど満ち足りた時間を過ごすことができるんですよ。」というメッセージのような気がしました。
余談ですが、平山さんのアパートのドアの鍵、閉めないで出かけるシーンがあり、オートロックではなさそうだしと心配になりましたが、最後までシンプルに心が満たされ続けたので星5です。
これは、映画館でぜひ見てほしいです。
1/fゆらぎ音、高く低く全身に浴びてみてください。
いい映画です
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