「富裕層が想像する間違った底辺社会」PERFECT DAYS テニーさんの映画レビュー(感想・評価)
富裕層が想像する間違った底辺社会
やけに評価が高いが本当に名作なのだろうか?
私には富裕層が想像している底辺社会を間違った形で
フィルムに残した歪な作品だと思えた
公衆トイレ掃除を仕事としてパーフェクトデイズって
アイディアとして普通は却下する退屈さだ
でもこの監督と有名俳優はそれが面白いと思ったようで
そこにまず腹が立つ
いくら底辺な仕事でもきちんと働いているなら
もっとましなアパートに住めるはずなのに
風呂なし設定にするのもまた腹が立つ
そして実際にトイレ掃除などした事もなければ
撮影前に視察などもしなかったと思わせるシーンが
随所にありそこでも腹が立つ
要するにこの作品は雰囲気映画であり
まるで上流階級で生まれ育ち何の苦労もなく
議員になった坊ちゃんが国民の為にと選挙前だけ
頭を下げて声を上げて演説するのと同じで
絶賛する人は底辺層のおだやかな日常が過ぎていく日々を
優しいだの心が温まると上辺だけ見て酔いしれる
なら実際にトイレ掃除をやってみろ
トイレ掃除を一度でも経験があれば
あの臭いは強烈でとてもじゃないが
落ちる可能性があるタオルを首に巻いたりしないし
便器に顔を近付けて念入りに洗ったり
手を洗わずに食事したり
カメラ撮影などする気が起きない
仕事終わりの作業着を洗わずに部屋に干したり
若い女が作業車など臭くてまず乗らない
そしてダメ押しなのが随所で流れる
往年のロック全集のような名曲オンパレードだが
ルーリード、エリックバードン、パティスミスは確か
中流階級以上の出身で当時としては裕福な暮らしをしていたはず
そんな形だけのアーティストをこれでもかと拘りのカセットで流すが
軽バンとは思えない音質の良さにまたまた腹が立つ
これ以外にも金がないのに酒だけは飲んだり
それも会話嫌いな変人という設定なのに飲み屋を好んだりと
普通は自炊か半額弁当を購入だろう
出かける時は玄関の鍵をしないなど一体何を考えて
この作品を作ったのか理解に苦しむし
周囲のスタッフは意見をしなかったのか
映画世界で成功すると細部は気にせず
東京貧困ライフをそれっぽく作れば
映画オタクが絶賛すると高を括っているのだろう
そして実際に悔しいが日本では大勢が絶賛するが
果たして
海外での評価はどうなのだろうか?
裕福な日本でも貧しい生活の人がいるのだと
先進国などの一部映画ファンは気に入るかも知れないが
それこそ本当に貧しい途上国で暮らす庶民は
こんな映画に感動もしなければ力をもらえたりしない
それこそハリウッド大作映画の方がまだ何倍もマシ
エンディングでニーナシモンの名曲が流れ
良い気分と歌われるのが唯一の救いだが
これは客に向けてなのかそれとも監督や役者陣に対してなのか
理解できない自分にも腹が立った
『パリ、テキサス』は私の好きな映画の一つです。今回、この映画を見てヴェンダーズ監督はモーロクしたと思ってしまいました。大絶賛の嵐(上流社会の勝ち組の評価)のなかで胸糞の悪い映画としか思えない自分は、社会の底辺を生きてるのでしょうか。なんだか凹みました。
この主人公が暮らしているのは”底辺社会“なんでしょうか?
勿論、多分、収入は少なくボロアパートに住んではいますが…。
彼の中では、富裕や貧困といった区別ではなく、姪に言ってるように”あっち側“と”こっち側“という概念。
彼とは違う側で生きている私にとっては、まるで違う価値観を見せられたと思っています。
しみじみと良い映画だなぁ、と、感じましまた。
“ミニマムな”“シンプルな”と言うと陳腐になってしまいそうですが、ささやかな幸せを日々重ねる慎ましい生活。
この生活に至る背景は、鑑賞者が各々感じとることで、様々な意味が生まれるのだと感じました。
少し残念だったことは、最後までこの慎ましく、ささやかな幸せを役所広司さんの演技で魅せて頂きたかったのですが、国民的有名演歌歌手があの歌唱力で唄って、はッと目が覚めた瞬間があったり(外国人は目覚めないかも)、主人公の今に至る理由付けが微妙に、“取ってつけたように”挿入されていたことでした。蛇足では無かったかなと。
決して“底辺”の暮らしを描いた作品ではなく、日々を質素に、丁寧に、ゆったりと幸せを感じて生きる…に対する共感を得る映画だと感じました。
二度と鑑賞し、まだ、あたたかな余韻があります。