「世俗権力の台頭、弱体化する一方の教会権力」エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命 talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
世俗権力の台頭、弱体化する一方の教会権力
すごく面白かった。映像と音楽が素晴らしく美しく、映像のカットがよく練られていた。エドガルドがとても可愛い。ママとの静かな面会後、きょうだい(自分を入れて9人きょうだい!)にもママにもパパにも会いたいと泣き叫びながら連れ去られる様子が可哀想でならなかった。ユダヤ社会とキリスト教徒社会が緩やかに共存していた時代。エドガルドが生まれ育ったボローニャの家は裕福でイタリアの地方出身の女性を女中として雇っていた。方言を話されたら意志疎通ができなかった。
誘拐後も、エドガルドはママに言われた通り眠るときはユダヤ教のお祈りをちゃんとする。修道院ではエドガルドと同じ年齢層の男の子達と生活を共にし、ラテン語やカトリック・キリスト教の教えを学ぶ。賢いエドガルドは目覚ましく教義を習得していく。
青年になったエドガルド、自分を可愛がってくれた教皇が教会の祭壇に向かう中、いきなり教皇を手で押し倒す。その時、私は驚いたが嬉しかった。でもそれも束の間、エドガルドは教皇に謝罪を求められた。床にキスを、更に床に十字架を3つ、舌で描けと言われその通りにする。教皇の死後、ローマの街では暴動が起き、教皇の遺体をテーヴェレ川に投げこめ!の声が怒涛のように燃え上がる。初めは「もう亡くなった方です!」と教皇を守っていたエドガルドも「こんな教皇は川に投げ捨てればいいんだ!」と叫ぶ。危篤の母のもとに駆けつけたエドガルドがしようとしたことにはショックを受けたが、青年エドガルドの怒りと従順と信仰と理性の混乱は私の想像を超える。それとも教皇への反発はエドカルドの妄想か?
イエスの磔刑像を見上げながら、手足を貫く杭はユダヤ人によって打たれたものと修道女に教わった子どものエドガルド。彼は夢を見る;自分が磔刑像によじ登って両手、両足の杭を抜く。するとイエスは生き返り十字架から降りてすたすたと歩いて外へ行った。イエスもユダヤ人であることをエドガルドはその後、学んだはずだ。この夢はイエスの痛みと悲しみを自分のものとして生きていくエドガルドの決断の端緒になったのだろうか。
ナポレオンは教会で行われた戴冠式(1804)で市民に支持されて王になったことを示すため教皇からでなく自ら王冠を自分の頭にのせた。それを待たずとも教皇の力は中世以降弱体化に向かっていた。フリードリヒ2世(シチリア国王で神聖ローマ皇帝)は教皇から二度破門された。教皇からせっつかれて仕方なく実施した十字軍派遣(1229)は無血でやり遂げた。これも教皇は気にくわない、なぜならキリスト教徒の血を流してこその十字軍だからだ。早く生まれすぎたフリードリヒ2世、外国語能力高くアラビア語で当時のイスラムトップと書簡交換し無血でエルサレムの期限付き返還を成し遂げた。1517年はルターによる宗教改革、イングランド王ヘンリー8世は離婚したくてカトリックから離脱し1538年に教皇から破門される。
「誘拐」から3年後の1861年(エドガルド10歳)、イタリアが統一した。世俗権力が強大になりリベラルな空気が市民の中に満ちる世界の中で、教皇の精神的支柱としてのオーラも権威も財力も低下するばかり。ドイツ統一はイタリアに遅れること10年、1871年。フランス革命(1789)後の暴動と保守反動、急進的にことが進む際に避けられない暴力に恐怖を覚える。それは長く鎖国状態だった島国が開国し西欧化を推し進め習慣・言語・人種・思想弾圧を経て昭和の敗戦を経験した日本にも当てはまる。「むかしむかし、あるところに・・・」で始まるお話でなく、いつでもどこにでもある権力の揺らぎに伴う理不尽に信仰の存在意義を加えてベロッキオ監督は今の問題として提示した。
おまけ
1)青年期のエドガルド役は『蟻の王』(アメリオ監督)で主人公と恋に落ちるエットレ!この映画でも美しく素晴らしい演技だった。名前はレオナルド・マルテーゼ、銘記!
2)スピルバーグも映画化したかったが断念した。もし彼が撮っていたら、視点も描き方も全く異なっていただろう
コメントありがとうございます。実はこの映画にはかなりショックを受けてしまいまだ立ち直れないのです。特に最後にエドガルドが母親を洗礼しようとするところ。宗教というものはそんなに人を見境なくさせるものなのでしょうか?
『悪は存在しない』へのコメントありがとうございます。
監督がどういう了見でああいうラストにしたのか、それを想像するだけでも結構楽しめました。
意外と適当な思い付きだったのに、賞をもらっちゃった、どうしよう😅
なんて感じでも面白いなぁ、とか。
この映画、GODZILLAの後に見ようと思ってます。