墓泥棒と失われた女神のレビュー・感想・評価
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人生も一時的
自分の知見が狭いせいか、よく分からなかった。
吟遊詩人の歌とダイジェストを被せる演出は上手い。
しかし、それ以前にも結構な尺でダイジェストが入っており、序盤は本当にダイジェスト祭り。
それでいてやってることは、盗掘して、騒いで、警察に疑われたり追われたりの繰り返しばかり。
合間にフローラ邸を訪れたりイタリアと親交を深めたりするが、正直退屈です。
スパルタコと揉めた際に、イタリアの言葉に感化されたアーサーが仲間を裏切る流れは分かる。
でも、「盗掘してたなんて、最低」で別れたきりだったイタリアが、帰ってきたアーサーを普通に受け入れたのは何故?
それなのにまた別のチームの盗掘に加わる理由は?
登場人物の気持ちがまったく理解できません。
主人公は恋人だったベニアミーナが忘れられないとのことだが、夢に見るだけでそれがあまり伝わらない。
むしろあっさりイタリアに惹かれてるように見えた。
ベニアミーナが既に亡くなっているような台詞もあるが、アーサーがどう捉えてるのかも不明。
盗掘仲間もフローラの娘たちも、画面がうるさいだけであんなに人数がいる必要性を感じません。
モブを増やさずメインをちゃんと描いてほしい。
画面演出で面白いところがいくつかあったのに、その使い方がややしつこかったのも残念。
終盤のアーサーとイタリアの手話に字幕つけないのも不親切。(サスガに覚えてませんよ…)
最後は死によってベニアミーナと再会した?
そうだとしても全体のストーリーとの繋がりがみえず、やっぱり自分には難しかったです。
邦題が疑問?!
予備知識全くなしに観に行ったのですが、物語世界を理解するのに相当時間が掛かってしまいました。題名の通り主人公が古代のお墓を盗掘し、遺体とともに埋められた副葬品を盗んで売りさばく”墓泥棒”の一味であることは徐々に分かってきましたが、そもそもそんな貴重なお宝が、実際にそこかしこに埋まっているものなのか、それとも物語世界独自の設定なのか、映画にとってはどうでもいいこととは言え、その辺りの疑問が終始頭の片隅に存在したままお話は進んで行きました。
鑑賞後チラシを確認すると、1980年代のイタリア・トスカーナ地方のお話のようで、確かに出て来る車はいずれもクラシックな感じだった訳ですが、半世紀ほど前とは言え、”墓泥棒”が本当に存在したんだろうかという疑問が、いまだに氷解してません。仮に本当にそうしたことがあったのだとすれば、それはそれで凄い話だなというところではありますが。
さらに中々理解できなかったのが、主人公・アーサーの立ち位置。イギリス人らしいけど墓泥棒の一味に加わっている理由は何なのか?物語が進んで行くと、彼が”ダウジング”の名手であることが分かり、なるほどその腕を買われて一味に入っていることが理解出来ました。それにしても両手に棒切れを持ち、それが反応するとそこにお宝が埋まっているという”ダウジング”。てっきり”ツチノコ”を見つけるためのものだと思っていたらさにあらず、古代ギリシアやローマ時代からそれに類するものがあったらしいというから、伝統ある手法のようです。そしてアーサーは本当に墓に埋まったお宝を探し当ててしまうという展開を観るに至り、ようやく本作の姿が分かってきたところでした。
原題にもある”キメラ”の彫像を掘り当てたアーサー。ところがキメラの顔がかつての恋人に似ていることから、最終的にキメラの首を海に捨ててしまう彼は仲間から追放される。その後別の一味に加わったものの、次に探し当てた墓の洞窟が倒壊し、彼はあの世に行ってしまう。そして探していたキメラ似の恋人と再会を果たすという、非常に幻想的な展開となって物語は終わりましたが、やはり終始呑み込めないままのお話ではありました。
イタリアオペラが流れたりして、非常に華やかな一面もありましたが、内容的には夏の日の白昼夢を観ているような気がする作品ではありました。
いずれにしても、このしっくりこない感じは、邦題に由来するのではないかという結論に達したところです。原題をそのまま使い、単純に”キメラ 墓泥棒と失われた女神”とした方が良かったように思うのですが・・・
そんな訳で、本作の評価は★3.5とします。
〝失われた〟が故に得られること
よかった。
(見方によるけど)〈人生〉という感じがした。
ラストになるにつれ、監督のやりたい事が明確になってくる映画だった。
けれども、その途中で映画を観ることを投げ出すようなことも無かった。
主人公の名前がアーサーということはイギリス人(?)で、話しかけてイタリア語を教えてくれようとするイタリア(そのまま)という女性は歌を習っている…。(きっと色々知っていると見方が深く広くなるんだと思う)
象徴のような女性が主人公に心を開くにつれ、物語が進行する過程は、今思えばヴェルコールの「海の沈黙」ような形式にも思える。
後半になるにつれ、不思議な世界観はそのままに、更なる不思議に突入していった。内田百聞の「冥途」のようなことになっていった。
ネタバレで書いてゆくが、つまるところ、主人公のアーサーは墓泥棒を続けたが為に、天罰が落ちることになる。
死者の魂へ捧げられていた埋葬品を勝手に生前(?)荒らして売った罪による罰だ。
〝あの世〟に繋がる場所を探し当て続けたアーサーは、やがて自分がその身のままにも〝あの世〟とも〝この世〟ともつかない〝現世のような冥途の場所〟で彷徨うこととなる。ただ分かっていることは、墓泥棒をした罰が待ち受けていることである。
ネタバレとは書いたものの、ラストのラストは是非観て欲しいと思う。どう感じるかは一人一人の観客の感じ方がすべてとも思う。
本作を観た限り、自分はテリー・ギリアムの「Dr.パルナサスの鏡」を少し思い起こした。テイストはかなり違うものの、どこか作風が似ているようにも思った。ギリアムがSFやファンタジーを駆使して世界観を構築するならば、今作の監督、アリーチェ・ロルヴァケルはキリスト教と寓話を折り混ぜて世界観を作り出しているように感じた。テンポは違うものの、詩的なところはどこかタルコフスキーも思わせる。ただギリアムと違うのは、ラストに皮肉を置くでもなく、受け止め方を観客に委ねているところがあった。久しぶりに作家らしい若手映画監督の作品を観た気がした。
ラストをどう受け止めるだろう。
愛を手に入れたのか、死を手に入れたのか。
或いはどっにも手に入れたか、又はどっちも失ったのだろうか。
邦題が「墓泥棒と失われた女神」としたところには、アドベンチャーものかとも思えて肩透かしを受ける人もいるかもしれないが、たしかに〝失われた〟という言葉に含まれる考えは深くも感じる。
〝失われた〟が故に得られることもある…。
そう伝えられたような気がした。
かなり微妙、オススメできない
イタリア・フランス・スイス合作というのとレビューの評価が高かったので暑い日に銀座まで見に行きました。
1980年代のイタリアが舞台なので懐かしい雰囲気で始まります。
軽快な犯罪コメディかと思っていたらかなり真面目な人間ドラマでした。
主人公の未知の能力やら悪友たちとの関係や悪の組織やらいろいろ登場人物は出てきますが
全体的には地味な感じで残念な印象でした。
娯楽作品としてはおススメ度は低めです。
赤い糸を信じたい
「幸福なラザロ」の監督ということで鑑賞。タイトルやポスターでもっと軽くて笑える話かと思えばさすがラザロの監督でした。
前半は先の展開が読めず人間関係も掴めないでいましたが、後半になってストンと腑に落ちてきてからが面白かった。
どこまでか現実なのか、幻想なのか。そんな不確かな中で生きている方が幸せなのですね
イタリア幻想文学ですね
実はロルヴァケルははじめて観る。
古い時代のガジェットがたくさんでるが、時代背景も古く、さらにダウジングなんて今どきの子は知らないような古くさく怪しい技を駆使してジョシュオコナーが墓を暴いていく。もちろん古代の墓を。
スクリーンサイズも入れ替わり、カメラも逆さになったり、コマ落とし的バカっぽさもちょいちょい混ぜ込み、レトロな風合いを現代的にミックスしていく。青いクルマがいい感じのスピードで砂煙あげて走ってキュッキュッと停まるのがいい。音楽はかなり現代的ではある。変な踊りのシーンもよかったな。なんだか最先端のテクニックを見せつけられている感じもあるが、チャレンジャーズもよかったジョシュオコナーは絶好調。で、あのおばさん、イザベラロッセリーニだったのか!は、終わってから気づいた。
お話、というかテーマ的にはやはり「過去」というもの、閉じ込められたもの、というのはあるのだろう。そもそも80年代で、なんだかマジックリアリズムな感じもあり、赤い糸で絡め取られる、いまここにいない何か大事なものが壊され、空気に触れ、壊され、湖の底に沈んだりしながら、新たな帰る場所が見え、と思うと、、確かにイタリアのいにしえの奔放な巨匠たちの血筋は感じた
コメディ……ではないよぉな😂
『自転車泥棒』にしても『ライフ・イズ・ビューティフル』にしてもそーだけど、どーしてイタリアって国はこんなにも社会風刺や政治情勢とかヘビーなテーマを何か別のものに乗せて表現するのが上手なんだろーか。
この映画は完全に『宗教映画』。いや、道徳と倫理観と欲望との間でふりこのように揺れ動く人間の葛藤がよくわかる。
でも、あぁ〜結局そーなっちやうのね……って感じ。
最後の最後で少しだけ救われたけど、嬉しいような悲しいような。
って、この主人公の彼、チャレンジャーズに出てた人!?全然気が付かなかったー😅
そしてイタリアちゃんの脇毛ボーンが刺激的過ぎた…
古代エトルリア
『知力ではギリシア人に劣り、体力ではケルトやゲルマン人に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣るローマ人だけが、なぜ巨大な世界帝国を繁栄させることができたのか?』
エトルリア人と言われても、この紹介文のように、古代ローマの偉大さを語る文脈の中でしか聞いたことがありませんでした。
イタリア本国ではこの古代の国と民族についての専門家、或いは古代エトルリア推しのファンも相応にいるのかもしれませんね。
エトルリア人の文字はまだ完全には解読されていないらしいが、紀元前9世紀には鉄製の工具なども作っていたし、当時の超先進国ギリシャとも対等の通商関係にあった。土木などのインフラ技術もローマはエトルリアからの学びが大きかったようです。
そんな古代エトルリア人の魂に触れることのできる〝ギフテッド〟を持つ男の物語。
亡くなった恋人は古代エトルリアの女神の生まれ変わり?
アーサーは、2800年を経てやっと現れた赤い糸で結ばれた男?
何かの教訓を得るような寓話でもないし、ファンタジーというほどの異世界でもないし、私にはこの映画とどこかで繋がることができるような教養も経験も無いということかもしれません。
考古学者は一種の墓荒らし
イギリスの考古学者崩れの男が、昔の恋人(行方不明?それとも…)が忘れられずに、生活の為に墓荒らしをする話
最後には赤い糸で結ばれたものの、あれは…
死者を冒涜するのはどうか(遺跡発掘も同じようなもの)とは思うが、歴史を紐解く為にはしゃーないのかも
枝ダウジング。
1980年代、不思議な力を使い埋葬された墓から遺品を盗んでは売って日銭を稼ぐアーサーと仲間達の話。
出所後、列車から降り待ち構えてた仲間に捕まり、表向きは動物病院、裏では盗品の買い手スパルタコを絡み…、ある日の夜、海のある墓地で動悸、息切れでその場で倒れこんだアーサーだったがそこに埋まってたのは…。
枝の形は「人」の字と書けば分かりやすいだろうか、そのハラいの部分を左右持って中心部分がクルリと回ったら何か埋まってるって、それを後ろから見てる仲間達も含め「小学生」かと脳内ツッコミ、その遠目からの描写が妙に面白くて。
とりあえず観てて分からなかったのが希少価値の高い女神像発見し、偽警察来た為、脛ぶつけながらも逃げ列車の中…、冒頭の列車で出会った人達から「あれ(盗品)知らないかと」魘され、列車降りるから…年月経ち、イタリアの二人の子供もデカくなってるし…。
それから動悸、息切れ(救心常備しよう)で穴の中に閉じ込められ、光が見え赤い糸たどったら女性に出会い抱きしめ合って終わり、この世界観が分からなくもないけど分からない。
買い手スパルタコも小綺麗で金持ってますなお高い感じだったけれど、アーサー達と変わらないですよね。本作観てこういう話かと理解したが疑問だけが残った(笑)
大洋の一滴
イタリアはトスカーナ地方の7人の墓泥棒の1人でキメラ=幻想を追う、特殊能力を持つイギリス人アーサーの話。
キップではなく旅行許可証を検札にみせ、トスカーナで出迎える人たちにはつれない態度でちょっと短気な様子をみせるけど、フローラ夫人には唯一の友人と言わしめるアーサー。
序盤はなかなか判り難い感じだったけれど、特殊能力を持っているんですね。
墓泥棒たちのヒャッハーな話しももちろんあるけれど、なんだか気づけば恋愛映画?更に時々差し込まれる昔の彼女の不思議な出来事に繋がるまさかのファンタジー?…ではなくそれが最後の夢ということですかね。
空気感は嫌いじゃないけれど、長いし少し解り難く掴みどころがない感じだし、色々詰め込み過ぎちゃった感じなのかなと感じた、
聞こえるのは死者の声なのか、遺された物たちのささやきなのか
ネタバレ無しで語るのが難しい、と言うよりネタバレありきで観終わった人ととことん話したくなる。
まずはネタバレ無しで…
公開されてるオルタナティブポスターの雰囲気に惹かれた人なら映画の内容にもきっと惹かれるはず。この映画の魅力が全部凝縮されてる。
そのポスターいいなって感じたら、劇中の演出とかストーリー展開も好きになれると思う。
ちょっと不思議なストーリーなんだけど、ちゃんと筋が通ってて、ミニシアター系にありがちな難解さは無かった。
ここから先はネタバレになるから下げて書いときます。
「死がふたりを分かつまで」ではなく
「死がふたりを引き合わせるまで」
この過程が美しすぎる
主人公アーサーの想い人は既に死者
出所して戻ってから新たに出合った女性と結ばれるかな?と一瞬思わせてから、最後は恋人の下へ。
完全趣味な考察で
劇中、アーサーの存在自体がこの世とあの世の狭間にいるような感じだった。
だから死者が埋葬されている場所が分かる、だって自分も片足を突っ込んでいるから。
オルフェウスの神話をベースにしてるってことだから、死んでしまった恋人への未練から自分も彼岸に近い存在になってしまったのだろう
ベニアミーナへの未練を断ち切って、イタリアと結ばれていたら、アーサーはきっと彼岸に行くことは無かったはず
でも、アーサーはベニアミーナを選んだ、そして、完全に彼岸に両足を付いてしまった。
死によって一度離れた2人が死によって再び巡り合うとても美しいラブ・ストーリー。見方によってはバッドエンド、でも私はハッピーエンドだと思う。
劇中、2人を結ぶのは赤い糸
試写後のアフタートークでは、監督は日本の運命の赤い糸の概念を採用したとの話が聞けたのも良かった
生死と愛の連続性
ロルヴァケルの映画は優しい。大声で叫ばずに大事なことを耳元で囁いてくれる。
アルチュールが海にぶん投げた女神像の頭部の美しさは彼の婚約者ベニアミーナそのもの。彼女も女神像も人の目を喜ばせるために居るのではない。ベニアミーナを夢見るアルチュールは墓泥棒をしながら夢と現実の世界を行き来する。その行き来は能と神話の世界だ。そんなアルチュールをうまく使って金儲けする墓泥棒連中はなぜか憎めない。貧しいから。豊かな者はますます豊かになり貧乏人は置いていかれる世界だからいいんだ。
冬パートは公現祭(1月6日)あたりだから寒いわけだ、クリスマスツリーがちらりと見えたわけだ!その時のアルチュールの服が夏パートになっても殆ど変わっていなくて汚い。可哀相なジョシュ。髭づらで顔も服も汚れていてもアルチュールはピュアだ。ベニアミーナを想う時、女神像の顔をうっとり眺める時の彼の笑みとポッと赤く染まる頬と幸せそうなおちょぼ口がまさにジョシュで嬉しかった💕
いろんな言語が飛び交いながらもテーマは普遍的なものだった。それは死者に対する畏怖の念と敬愛。冒頭、発掘されて空気や日の光が地中に入った途端に色あせていく壁画に少なからずショックを受けた。スパルタコ(女だったんだ!アルバ・ロルヴァケルだったんだ!)がやってるようなアート業(顧客は富裕層)で死者の為の副葬品や絵画が売買され消費されていく。土地も海も山もそこで生まれ採れる幸も本当はみんなのものなのに、特定の人達のものになっていく。だから廃線駅が女と子ども達のものになったシーンはとてもよかった。
この映画を見て立て続けに思いだしたイタリア映画が3本あった:「アッカトーネ」(1961;パゾリーニ)、「赤い砂漠」(1964;アントニオーニ)、「テオレマ」(1968;パゾリーニ)。資本主義、搾取する側とされる側。搾取する側がどんどん精神に異常をきたしていったり、搾取される側は捨て置かれるままだったり。
ギターとトライアングルをバックに歌われるアルチュール物語は狂言回しの役割を担っていてなかなか良かった。早回しのシーンがあったり、逆さま映しなど映像面もとても面白くてはっとする所が多かった。
やや映画としては見にくいが、イタリア映画は数が少ないから。
今年261本目(合計1,353本目/今月(2024年7月度)24本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「越境者たち」→この作品「墓泥棒と失われた女神」→次の作品「エス」)
こちらの作品です。シネマートでイタリア映画って珍しいですね…。
まぁ形式的にいえば「墓泥棒」なのでしょうが、その背景にある事項は映画で描かれている通りで、実際に現在でもリアルでもイタリアの各地ではこうしたものが見つかることがあるので盗掘者が一定数いるようです。それを描いた映画ということになりますね。これに対する法規制も国によってまちまちです(この点後述)。
タイトルからすると「墓泥棒するちょっとマナーの悪い人たちかな」というイメージですが、そのシーンはありつつも、重要文化財などを勝手に持って行ったりとまぁやりたい放題ですね。この辺は国によって考え方が違います(日本のように宗教感情がある程度存在する国では墓荒らしのほうが印象が悪いということもありうる)。ここは文化の違いにすぎませんので減点なしの扱いです。
ただ、他の方も書かれていた通り、映画の撮影(本番の撮影部分)方法が特殊なのか、いきなり画面が回転するように見えたり、ライト(盗掘するシーンがあるため)のライトが厳しかったりと、やや画面が「ぐるぐる」で「光耐性」がないと厳しいかなといったところです。
ただこの点は公式サイトなどで見ることができますので確認の上いかれることをお勧めします。日本や韓国など似た文化の国と、まるで違うイタリアのそれの文化の違いの差など論点としてあって教養としてもよかったです。
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(減点0.3/光の点滅が厳しい部分がある)
一応、自信がない方は後ろ側の席推奨といったところです(とはいえ、この映画もミニシアター中心なのであまり選ぶ余地がなかったりする…)。
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(減点なし/参考/日本における盗掘行為)
日本でも犯罪になるレベルの盗掘はあまりみませんが、例えばネタとして徳川埋蔵金だの何だのと言った話は出ますが、これらは文化財にあたるため、発見者(と、土地所有者)が民法通りに独り占めしたり折半できるものではなく、特別法にあたる文化財保護法が優先適用されます。
この場合でも発見者に対して一定の報酬が支払われうる(価値があると認められた場合に限る)ことは一緒ですが、価値の高いものは美術館博物館等に展示して国民(ここでは広いい意味で合法に適法する外国人等含む)に見てもらうという部分も否定できないため、個人の所有物になる民法通りの適用とは異なります。
この点、日本では徳川埋蔵金はまぁ特殊すぎるとしても、毎年ままこうしたニュースは流れるところ、扱いがイタリアのそれ(映画の描写)と違いますので注意が必要です(見つけて勝手に隠匿などしていると今度はそっちで処罰されます)。
生と死と愛の話
エトルリア考古学学者なのか、墓泥棒なのか?
浮遊者のように盗掘に彷徨い歩くアーサーはどんな人物なのか?
古代ローマ前のエトルリア文明だけに興味深い。
ローマの街角には、ジプシーを時々見かける。
彼らのようにギター片手に吟遊詩人がアーサーの人生を寸劇風に2回ほど語り部されるのだ。
そこでは、人生には生と死と愛があるというが、彼のこれからの死と愛とは?
その姿が見え隠れするが、最後にその全てが一瞬に届く。
イタリアンチネマらしい素晴らしいFINEだった。
ブラボー…
( ・∇・)
墓泥棒と失われた女神
「幸福なラザロ」「夏をゆく人々」などで高く評価されるイタリアのアリーチェ・ロルバケルが監督・脚本を手がけ、
愛の幻想にとらわれた墓泥棒の数奇な運命を描いたドラマ。
1980年代、イタリア・トスカーナ地方の田舎町。
忘れられない恋人の影を追う考古学愛好家の青年アーサーには、紀元前に繁栄した古代エトルリア人の遺跡を発見できるという不思議な力があった。
アーサーはその能力を利用して墓泥棒の仲間たちと埋葬品を掘り起こしては売りさばいて日銭を稼いでいる。
そんなある日、アーサーたちは希少価値を持つ美しい女神像を発見するが、事態は闇のアート市場をも巻き込んだ騒動へと発展していく。
「ゴッズ・オウン・カントリー」のジョシュ・オコナーがアーサー役で主演を務め、
「ブルーベルベット」のイザベラ・ロッセリーニ、「ハングリー・ハーツ」のアルバ・ロルバケルが共演。
2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。
墓泥棒と失われた女神
劇場公開日:2024年7月19日 131分
配給元はビターエンド
時系列が前後することや夢の中と思われるシーンもしばしば挿入されること等も相まって、やや難解な展開の見ごたえある作品となっている。
主人公の過去や現状を歌で説明するシーンや、ダウジングが成功するシーンで画面の上下が入れ替わるなど、おしゃれな表現がいくつも組み込まれている。
終盤、価値観が合わない仕事仲間との悪縁が切れ、恋人と新しい生活を送ると思いきや、主人公は再び墓泥棒に戻ってしまう。配給元の社名通り、ビターな終わり方になっている。
星はいつも三つです。
ハリーポッターみたいなタイトルですが。
A.ロルヴァケルのように現実と幻想を自由に行き来する作風。
カンヌ映画祭とかヨーロッパが好きそうな作風です。
1980年代のイタリア・トスカーナの貧村。なにやらコンビナートみたいな巨大な工事現場が林立しているすぐ隣には、ローマ帝国よりずっと古いエトルリアの墓地群の遺跡がある、というところ。
こういうところは掘れば何かが出てくるらしく、墓泥棒たちがあちこちを掘り返しては副葬品の土器やら金属器やらを売りさばいていたそうです。
主人公はイギリス人で地中に埋蔵されているものをみつけるダウジングの能力の持ち主。地元の墓泥棒のグループで小金を稼いでいます。
昔のトスカーナの貧村の暮ら
しぶりや、欲が深いくせにけっこうお間抜けな墓泥棒たちの活動が綴られていきます。
面白いのですが、これらのスケッチからさて、どんなふうに展開するのかな、と思っていましたが映画の三分の二くらいを過ぎたところで「ああ、そうか」と腑に落ちました。
「豊かな生活とは」を描いた映画です。
「伏線の回収」という表現は私が割と嫌いな、というか辟易とする表現なのですが、本作品では廃駅や赤い糸が、穏やかで充足感に満ちた映画世界に大きな役割を果たしています。
映画を見るときにはネットはもちろん、新聞雑誌の映画評や公式HPも見ないようにしています。なんか、いろいろ撮り方が変わるなあ……と思っていたら、公式HPによるとカメラは35mmと16mmとあとスペシャルな16mmと三台を使い分けていたそうです。もっと注意深く見ればよかった。
また冒頭の客車の場面に使われる朗々としたファンファーレ、モンテヴェルディ作曲『オルフェオ』の序曲なのですが、これもあとから「ああ……オルフェオといえば冥界行きだ……この映画のモチーフではないか……」と気づいたのでした。
こういう読み解きを楽しませてくれるところもヨーロッパ的。
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