二つの季節しかない村のレビュー・感想・評価
全25件中、1~20件目を表示
感動や衝撃とは一味違う不可解な人間模様に引き込まれる
かつてヌリ・ビルゲ・ジェイランの映画に魅了されてトルコを旅した経験のある筆者にとって、今回の新作はアナトリア東部の村に広がる雪景色にどっぷり身を浸しつつ、そこに立ち現れるクセの強い嫌なキャラクターに絶えず心をかき乱される3時間18分だった。面白いもので、その嫌なやつぶりが定着すると、徐々に自分の中の印象が「彼が」ではなく「人間ってやつは」に変わる。どんな場所でも、状況でも不満タラタラ。こんな人はどこにでもいるし、ある意味、私の内部にも確実に彼は存在する。そんな普遍的な写し鏡のようにすら思える状況がそこには刻まれ、主人公の身勝手さが上書きされるたび、対比的に壮絶な過去を持つヒロインの、後ろ向きではない生き様が際立っていく。決して感動や衝撃といったカタルシスではなく、それとは別次元のなんとも不思議で不可解な心模様に連れ込まれる異色作。後半でふと差し挟まれるちょっと思いがけない描写も楽しみたい。
厳しくも美しい大自然に対比させられた主人公の卑小さに魂が震える
映画のあちこちにアンバランスな二項対立が散りばめられている。自然と人間、教師と生徒、男と女、管理・監督する側とされる側、理想と現実、善と悪、個人と集団、若さと老い、夢と挫折感。そうした対立する要素が複雑にからみ合い、ストーリーに緊張感と推進力をもたらしている。
トルコの名匠と称されるヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の直近3作品は、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「雪の轍」、「読まれなかった小説」、そしてこの「二つの季節しかない村」と、いずれも3時間超の重厚なヒューマンドラマ。主要人物らによる現実的な話題や問題についての対話や論争から、「人間とは何か」「生きるとはどういうことか」といった哲学的・観念的なテーマが浮かび上がってくるのも共通点で、大長編の文芸作品を読み進めるのにも似た鑑賞体験と言える。
主人公の中年男性教師サメットは、自尊心が強くて村人を見下したようなところがあり、卑しくてずるい部分もある。ジェイラン監督は屈折したインテリの嫌なところをこれでもかと徹底して描き、観客の多くはサメットを好きになれないはずだが、隠しているつもりの自分の醜い内面を見透かされたようで、精神の深いところ、あるいは魂が震えているのではないかという気さえしてくる。本質的に近しい部分がいやおうなしに共振してしまうというか。
本編の約2時間半過ぎ、サメットとヌライの長い対話のあとで、構築された映画の世界を崩すような意表を突く演出がある。さまざまな解釈が可能な仕掛けだが、映画世界の虚構を見せることによって、自分から見えている世界に絶対的な真理はない(見えない裏側がある)ということ、言い換えるなら“主観の世界の相対性”を象徴しているではないかと個人的には感じた。
諦念なのか擦り切れた希望なのか
『雪の轍』『読まれなかった小説』と、「こんな重苦しくドロドロした映画をなぜ3時間も観続けねばならないんだ」と窒息しそうになりながらも、強い印象がいつまでも尾を引くイランのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の新しい作品です。今回もやはり、イランの地方都市を舞台に村社会の因襲・人間の狡猾さ・経済的閉塞感にがんじがらめになって身動きできない人々のお話で、198分の長編です。
こんな田舎は早く出て都会に赴任したいと願う美術教師が、もがけばもがくほど地方の泥沼にはまって行く物語。その泥沼の泥一粒一粒を顕微鏡で観るように微細に描いて行くのが監督の手腕です。この教師の心象風景と同じく、この村も荒涼としているのですが、それが荒涼ゆえに美しいというのも皮肉です。
重い絶望に押し潰されそうになって絞り出される「諦念」をも「擦り切れた希望」と呼び変えようとする男が他人とは思えなくなって来るのでした。
嫌な人間鑑賞映画
美術教師の冴えなさと大自然の広大さ
冬が長く雪深いトルコ・東アナトリア地方の村に、プライドの高い美術教師サメットが赴任してきた。しかし、最初は村人たちから尊敬され、女生徒セヴィムからも慕われていた。なのに、田舎は嫌いだとか、置かれた環境などに文句を言い、不満タラタラで生徒に当たり散らし、早く去ろうと思うばかりの生活をしていた。そんなある日、サメットは同僚ケナンとともに、女子生徒のセヴィムたちから身に覚えのない、不適切な接触、を告発され、また、美しい義足の英語教師ヌライとも知り合った。さてどうなる、という話。
とにかく主人公である美術教師のサメットが嫌なやつ。人をバカにした発言はするし、生徒を怒鳴し、物を投げるし、美少女のセヴィムをエコ贔屓したり、告発されたら罰を与えたり、同僚は裏切るし、とても教師には見えない、ろくでもない奴だった。こんなやつを主人公にして撮った作品で何を伝えたかったのだろう、あの白銀の大自然の中で、こんなちっぽけな男が居た、と言う事なのか?そうだとしたら、ここまで長く尺を取る必要はなかったように思った。
サメット役のデニズ・ジェリオウルはもう顔も見たくない、と思ったから狙い通りだったのかも。
ヌライとベッドに入る前のセットから出るシーン、あれは何を意図して入れたんだろう?必要性を感じなかったが。
ヌライ役のメルベ・ディズダルは真面目で言ってる事に頷けたし義足を外す所とか美しかった。
日本版のポスターになっているセヴィム役のエジェ・パージは大人びた演技で可愛かった。あの雪がチラつくシーン、美しかった。
確かに絵になる、と思った。
東アナトリア地方には標高5,137mのアララト山もあり、一度訪れてみたい、と思わせる美しい山の自然が観れた。
サメットは自分&疑問点
告発されたことの腹いせに生徒に当たり散らし、最初は女性は紹介してもらわなくていいと言いながら、いざその女性が同僚と仲良くなっているのを目にすると、抜け駆けしてその女性(の両親)の家に押しかけ、同僚との信頼関係を壊すようなことを平気でする。教育熱心というわけでもなく、任地を離れることしか頭になく、自由が好きという割には自由を守るために何かしらの行動をするわけでもなく、その言い訳だけは屁理屈こねて言う。自分が気に入っている美少女生徒に自分は好かれていると勘違いする。他の人も指摘しているが、サメットは他人ではなく、自分のことだと思った。言わゆるどこにでもいる俗物だ。3時間18分という長い上映時間だったが、なぜか席を立たずに最後まで見続けたのは鏡のなかの自分から目をそらすことが出来なかったせいからか。
ひとつだけ疑問がある。新車でサメットとケナンの宿舎を訪ねて帰ろうとするヌライが、雪が深いので送ってくれと言った時、なぜ3人同じ車で出かけたのか?ケナンの車とヌライの車2台で、ヌライの家に行くのなら分かるが、1台だけだとヌライを送り届けて2人が帰るなら、ヌライの車は宿舎に置いたままなので、また取りに来ないといけない。3人が1台の車に乗っているシーンを撮りたいという監督の気持ちは分かるが、普通はそんなことしないと思う。疑問だった。
トルコ東部の、雪深い村の中。 小学校の先生や生徒たち、村のご近所さ...
トルコ東部の、雪深い村の中。
小学校の先生や生徒たち、村のご近所さん。
長い期間を雪に閉ざされて、行動半径も範囲が限定的になりがちな。
感じ方次第で、受け入れて楽しもうという人もいたり
または、閉塞や孤独を感じて、出て行きたいと言い続ける人もいたり。
景色といい人々といい、おらの郷里(日本の東北の豪雪地帯)に近い感じがします。
特に、普段みている世界の範囲の、狭さ/広さ。
良い悪いではなく、
冬は、限られた、その範囲を謳歌しよう、という人もいますし
外にあこがれる人もいますし。
慕われる先生、気に入られる生徒、もいれば
その逆もいたり。
慕われている人が、人格者とは限らなかったり。
崇高な志を持つ人が、別の事情で色眼鏡で見られていたりも。
見かた次第で、他人の印象はどうとでも変わるんだねと
気づきの場面も多数でした。
人々の会話が凄く多い映画、
意見がぶつかるのは普段当たり前にあり、それでも、険悪になることはあまりなく。
セリフの多さには、(いち鑑賞者として)体力をかなり持っていかれました。
不勉強ですいません、トルコって雪降るのね。
始まる直前に3時間!!と気付いた。
しかしそれほど長くは感じなかったよ。
田舎の教育問題、教員制度、コンプライアンス、ハラスメント的な話かと思ったらそれはどうやら表面的な事象でテーマはもう少し深い所にありそうだ。
並行して進む義足の教師と友人との三角関係とか、人との繋がり、関係の不確実さを二つの方向から描いてるって事かな?知らんけど。
トルコの田舎教師も大変だ。コンプライアンスに関しては日本なんかより進んでいるかも知れない。
ほぼトラップかよ案件、しかし力関係がはっきりしてる教師と生徒、男と女の世界だから昨今慎重にならないといけない訳だよ!という教訓として観た。
でまあ後半の方にある例の表現、するっと滑り込ませて上手い事やりやがってと思ったけど、何かの効果があったのかは疑問。「関心領域」の赤外線カメラと同じなくてもいんじゃね?という感想だった。
赤外線カメラより演劇的表現かな。
長尺だけど、個人的には良かったです❕小学校の先生三人(男2 女1)...
考えさせられる映画。一度観ただけでは理解出来ない。
トルコが舞台でも主軸は普遍的な人生そのもの
24-109
65~70点ぐらい。釈然としなかったけど…
あらすじ読まずに、タイトルとポスターと、巨匠が作った映画って事、是枝監督が絶賛した事、それだけの情報で観ました。
真っ白な雪景色の中に止まる1台の車、どこへ向かうのか雪の中を歩き始める男…
このオープニングで引き込まれました。
ポスターの女の子が主役かと思ったら、この男性サメットが主役です。
とにかく、トルコ東部の自然が美しくて、それが強く印象に残ります。
この美しい村自体も、この映画の主役でしょう。
この村の住人や自然を写した写真が差し込まれる演出、激しい議論のあと入る斬新な演出、も良かった。
最後が意味深で、もしやサメットは…と思ったんだけど、ネットで調べてみると、やっぱ同じ事を思った方が他にもいました。
観たあと釈然とせずモヤモヤして消化不良、妄想だったのか?とか、とんでもない事まで考えてしまったけど、いろいろ調べてるうちに概ね理解できました。
198分の長尺ですが、体感では実際の時間ほど長く感じなかったです。
それどころか、もう1回観たい(笑)
この映画でヌライという女性を演じた事で、2023年のカンヌ国際映画祭で最優秀女優賞を獲得したメルヴェ・ディズダルが良いです。
その年の最優秀男優賞は『PERFECT DAYS』の役所広司さんですが、その縁でツーショットの写真も存在し、この2人は交流があるらしいです。
チャイでも飲みましょう
傲慢、偏見、色眼鏡
トルコにこんな場所があったとは
冬が長く閉鎖的なトルコの村で日々退屈に暮らす美術教師を中心としたストーリー。
人としての器はお猪口以下であろう主人公のサメットはヌワイが指摘したように屁理屈と文句ばかりで常に他の何かのせいにしてる。イスタンブールに行ったとしてもきっと同じなんだろうなと思う。
それぞれのシーンが長尺で特にサメットとヌワイの会話のやり取りはとても文学的というか、印象に残りました。最初にサメットとヌワイが「合う」って言ったの誰だ?笑
それでも彼の言い分が共感とまでは行かなくても分からないわけでもなく、あそこまで迷わず自分の意見言えるならむしろあっぱれだとも感じました。
3時間に及びますが大自然は美しく、人間の粗が浮き彫りになって、学ぶことが多いと感じた作品です。
全25件中、1~20件目を表示