枯れ葉のレビュー・感想・評価
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観た後はほのぼの
ああ、また、救いのない話なんだろうか、と思いながら観始めた。
虚ろな目をした中年男女の、嫌な雇い主のいる毎日の労働、質素な暮らし。
女性の室内は簡素ながらも、青や赤が抑えられた色調ながらも、素敵な、レトロモダンな感じ。これって70年代やそこらの共産圏が舞台?と勘違いしていたが、ラジオからはロシアのウクライナ攻撃のニュースが途絶えることがない。じゃあ、今の話なのか。フィンランドって北欧=素敵イメージしかなかったが、意外と庶民は質素なんだなと少し驚いた。
そしてどこに行っても、老人しかいない。日本だけでないんだな、老齢化の社会。
カラオケがもう日本語で世界共通なんだな。でも歌下手な人にも、みんな優しい。
カラオケで最後のほうに歌っていた二人組の女性の音楽が良かった。ちょっと懐かしいシンセサイザーだけど、なんか新しい。
これから悲劇が起こる予感しかない。ああ、でも観なくちゃ、と思って、少しハラハラしていたが、確かに悲しいことが次々と起こった。
犬が出てきた頃からほっとした。犬はやっぱり素晴らしい。良き友になってくれる。
最後の場面で、ここで終わってくれと願ってたら、そのまま終わって良かった。
不幸なラストは観たくない。観終わった後はじんわりとした。
いろいろ悲惨なことが起こる世界(背景のラジオがずっと突き付けてくる)、つまらない、どころか、生まれてからもこの先もずっとついていない人生の予感の中に生きている人も、
こんな風に人と交わり、自己変化していくことができる。ささやかな幸せにほっとする映画。
市井の人
アキ・カウリスマキ監督の映画は私の心のなかを温めてくれるだけでなく、彼の映画を数本見ているから彼のユーモア・コメディタッチが(例えば、犬を拾ったり、その名前をつけなかったり、二人の主人公の名前もすぐわからないように設定されている。あと、急に列車事故などの突発的なシーンの導入など)心に残る。数あるカラオケのシーンも、歌詞とストーリーが一致してるし、微笑みの少ないシーンもカウリスマキ監督の作品だと感じさせる。フィンランドという地域性もあるとは思うが、暗いイメージの中にいきる人々の中で、ほんのわずか微笑む二人の主人公。それが特に、印象的で、人生にもっと微笑みを与えてあげたいと思う。これからきっともっとあると思う。
カウリスマキ監督が富豪を描いた映画を見たことがない。社会の端っこでやっと生きている人々が主だ。アルコールに溺れていても、いきていると感じる人の姿に共感するし、そういう人たちを無視しがちになったり、存在すら忘れてしまったりする現実社会の中で、スーパーの守衛やボスには賞味期限の切れた食べ物を捨てるなら必要な人に分け与える心も持って欲しいと思う。守衛の規則の中でがんじがらめになる必要性にも疑問を感じる。私たち、皆が、一生懸命生きているんだ。こんな私たちも社会の一員だから忘れないでほしいというカウリスマキ監督の心いきを感じざるをえない。
アンサ(アルマ・ポウスティ)ホラッパ(ユッシ・バタネン)を通して、我々視聴者に共感を与える。アンサの自立している姿。そして、首になってもなっても立ち上がって行って、自分ができる仕事を見つけていく。そして、犬にも憐憫を与え、面倒を見る。それに、自分の家族の多くはアル中でなくし、その深い苦しみで母親も亡くなったことをホラッパに直接、話す。このシーンは自分を譲らない大切なシーンだと思う。
ホラッパもアンサへの愛のために酒を止める決心をする。アル中で仕事をクビになったり、事故を起こしたりしても、やめられなかったアルコール。それが、四苦八苦し、アルコールを諦めるシーンはとてもいい。
好きな映画だ。
一つ疑問:なぜ、ロシア・ウクライナの問題をニュースにして作品に導入したのか。この相次いで起きていることがラジオニュースに流れているが
歴史的順番は正しいのか疑問に思ってfact check をする必要があるように思えた。それに、2023年にNATOに加入できる前は国民に恐怖感がより募っていたと思うからニュースにして導入したのかもしれないし、より暗い不安定なイメージを増させるための技法かもしれない。しかし、飲み仲間やどこかで民がちょっとでもこの事件を話題にしないとコネクションが悪くなってしまっているように思う。こじつけのように感じる。
噛めば噛むほど系の人間哀歌的映画
映画館にてエメラルドグリーンのシンプルなチラシを観て、気にはなっていたがこれまで観られず。今回、U-NEXTにて鑑賞。
1回目鑑賞時には、「不機嫌そうな男女が淡々と生活する」だけの退屈な映画に見えました。
しかし、2回目鑑賞時には、ゴールが見えておりその中で主人公2人の表情(大半は無表情)や仕草で人間らしい部分が垣間見えます。そして、そこがこの映画の醍醐味であり、だんだんと2人が可愛らしく、人間らしく見えてくるのです。
最終的なオチも素朴ですがほっこりする良作でした。
男は女のために
女、スーパー勤務、
期限切れの廃棄品を持ち帰りチンしたが捨てた。
🧌ウクライナニュース🧌
男、防護服着て汚れ落とし?
🧌ウクライナニュース🧌
男、友人とオシャレしてカラオケへ
🎶ナナカマドの秋を歌う友人、
見つめ合う男と女、
女、廃棄物処分せずにクビになる、友達が加勢。
男、遅刻して注意される。勤務中に酒飲み。
🧌ウクライナニュース🧌
女、電気代の督促状、パソコンで仕事探し、
すぐパブの皿洗いの仕事
🎵ヘイマンボイタリアーノ🎶の歌
店の主人、怪しい。
男、うつだと言う。
女、バス停で眠る男発見するが起きないので女バスに乗る。
店の主人捕まる。男、女を誘う。
女が立った隙にコーヒーに酒を入れ飲む男。
映画観た後、男が会いたいと言う。
女、電話番号教える。
男、番号書いたメモ失くす。
🧌ウクライナニュース🧌
男、仕方なく映画館前で待つ。
女、通りかかる。
男、ケガ、飲酒、クビ、友達と酒場へ。
女、溶接や機械部品の工場。
🎵男の心情歌った歌🎶
男、建設現場、また飲む。
やっと二人出会う、
女の家に誘われる、
女、酒小瓶、皿フォークなど買う。
男、花持って、女、赤いドレス。
酒小瓶開けて食前酒と言う女。
食事後、会話、
🧌 ウクライナニュース🧌
酷い戦争‼️
男、酒を催促するが断られ自分のを飲む。
見ていた女、アル中はごめんよ、と言う。
男、怒って帰る。女、皿洗わず直す。
男、酒場へ行って飲み直し。
気持ちを歌う歌。枯れる〜
男、建設現場でクビ。
女、友人と男の愚痴、
男はブタよ、ブタは優しい。
男、飲みつぶれベンチで寝る。
女、犬🐕を飼う、
女の気持ち?????の歌、若い子が。変?
男もいた、酒は飲まない。
ホステルに泊まり酒捨てる、一人何を思うか?
🎵枯れ葉散る〜🎶季節
歳月経ち男から電話、
酒を断ったと言う男、女と会う約束。
マシな上着を借りに行く。
事故❗️
来ない男を可愛いワンピース着て待つ女。
女、ツナギ着て力仕事。
散歩中、男の友人から、トラムに轢かれたと。
名前はホラッパ。
見舞い、気づかせる為横で雑誌を読む。
看護師トーニャから目覚めたと電話。
男、キスしたら目を開けた。😄
退院、男、トーニャから元夫の服を貰う。
待つ女、二人仲良く帰る。
チャップリンという飼い犬。
🎵枯れ葉の歌🎶
何回もラジオからウクライナ🇺🇦のニュースが流れます。監督の思いでしょうか。
また、この男、断酒できましたが、喫煙が増えていそう。友人にも注意されているのに。
Syntynyt suruun ja puettu pettymyksin 悲しみにまみれ失意を纏う?
『ナナカマドの秋』で話が始まる。
『ソプラノダネッ。レコードでも作れよ』と主人公はカラオケ男に話す。
『シューベルト』の『セレナーデ』
が良かったのかなぁ?
酔いつぶれた主人公に会う女性主人公。
Tchaikovsky: Symphony No. 6がバックに流れる。
『男はみんなブタよ。』
『違うわ。ブタは賢くてやさしい。』
『言えてる。ブタに乾杯ね。』
『Syntynyt suruun ja puettu
pettymyksin』
“悲しみに生まれ、失望を身にまとう”
『Maustetytöt』が良かった。この姉妹ディオ♥ハモってる。凄い。
この女性はボロボロの野良犬と、この主人公を同一視している。
すれ違いドラマとメロドラマと大団円。しかも、ウクライナの戦争。
そして、日本人好みの映画ばかり。
ここまで、凝縮されちまうと、演出する者の考えが丸見え。
さて、それを映像の魔術と見るか見ないか。なのだが。
このウマシカ男をロシアにたとえているのかなぁ?
しかし、最後は『モダン・タイムス』をリスペクトしつつ、苦しみは、まだまだ、続くつう事だなぁと思った。
追記 魔術はあった。最初の場面に出てくるカレンダーが2024年の7月以降のカレンダーゆえにこの出来事は未来の出来事だと言う事だと思うが。男がアル中を克服するにしても、時間はかかる。なんか時間が合わない。
今日は2024年7月4日アメリカ独立記念日。
追追記 このカレンダーよく見ると、7月4日が日曜日つまり、2024年のカレンダーじゃないと分かる。調べてみると、1976年7月以降のカレンダーになる。つまり、アメリカ独立200周年の年。日本は昭和51年。この年生まれた子供は就職氷河期。さて、さて、読み好きか?
【生き方が不器用な男女の恋の行方を、アキ・カウリスマキ監督ならではの独特のタッチで描いた作品。「希望のかなた」のプロモーション中に引退宣言をした監督が新作を製作してくれた事が嬉しき作品でもある。】
<Caution!内容に触れています。>
ー フィンランドの名匠、アキ・カウリスマキ監督が描く孤独な男女のラブストーリー。-
■賞味期限切れの食品を持ち帰ろうとして仕事を失ったアンサ(アルマ・ポウスティ)と、酒を呑みながら仕事をしたために鉄工所を馘首されながらもどうにか工事現場で働いているホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)。
ある夜、2人はカラオケバーで出会い、互いの名前も知らないまま惹かれあう。
だが、ホラッパはアンサから貰った電話番号を記した紙を無くし、更には漸くアンサの部屋で夕食を摂るも酒の飲み過ぎで関係は不安定になる。
故に、ホラッパは断酒し、アンサに会いに行こうとするもトラムに撥ねられる。
◆感想
・冒頭から、アンサの家のラジオからはロシアによるウクライナに対する非道な行為の状況が流される。”マリウポリの病院が爆撃された・・、”と。
そして、今作ではロシアによるウクライナ進攻のニュースがアンサの家のラジオから度々流れる。
ー アキ・カウリスマキ監督の現代の世界状況を憂慮した、反戦思想が如実に出ているシーンである。-
・ホラッパがアンサを誘って映画を観るシーン。二人が見ているのはジム・ジャームッシュ監督の「デッド・ドント・ダイ」である。
ー アキ・カウリスマキ監督の「レニングラード・ゴー・アメリカ」にはジム・ジャームッシュ監督が出演していた事を思い出す。親交のある監督の作品をさり気無く挿入するところが粋である。-
・因みにホラッパとアンサと言う名前も、劇中では中盤以降しか出て来ない。故に前半は名は分からないが、男がカラオケ場で女を見初めた事が徐々に分かって来る展開が、嬉しい。
■ホラッパもアンサも、貧しい。これはアキ・カウリスマキ監督の”敗者三部作”でも描かれているように、監督の視線はあくまで弱者に優しいのである。
■今作で新鮮なのは、劇中にエレクトロポップを演奏するガールズ・バンドが出て来ることだろう。ワンシーンだけであるが。ご存じのように北欧はエレクトロポップが盛んであるが、アキ・カウリスマキ監督作品としては、珍しい。
<アンサがホラッパと共にカラオケ屋に行った”カラオケ王”からホラッパが何故にアンサの家に来なかったかを聞いて、アンサはホラッパが入院している病院へ行き、意識不明の彼に雑誌を読んだりしてあげるのである。
そして、目を開けたホラッパは”俺は死んだのか。君と結婚届けを出す夢を見ていた。”と言うのである。
今作は、アキ・カウリスマキ監督ならではの、ノスタルジックな風合の中、時折描かれるユーモアに溢れている。
何より、貧しさに負けない哀愁漂う骨太のキャラクター、アンサとホラッパの姿が印象的な作品である。>
まあまあだ
『レニングラード・カウボーイズ』に出オチ以上の面白さを感じられず、『マッチ工場の少女』も暗くて好きでなく、今回もやたらと評判がいいけど、きっと好きでないだろうと思いつつも見てみたら、やっぱり暗くてつらい。コメディセンスが高く評価されている。短いし特に退屈もしなかったけど、高い評価を見るとそこまでか?と思う。
彼女がゾンビ映画を面白がるところは好きだ。廃棄の食べ物を横領してクビになると同僚が同時に辞職するところもいい。貧困層のつらい現実を描いている。ちょっとぐらい飲みながら仕事したっていいではないかと真面目に思う。
おかえりなさい
二人が最初に自宅で慎ましく食事をするシーンにうっとり見惚れました。
小津安二郎監督は画面構成や俳優の演技の自由度を極度に排除した作り込みで独特の世界観を抽出していると思いますが、カウリスマキ監督も同様に画面構成や俳優の演技を自分のスタイルにあわせて作り込み、独特な語り口と世界観を提示しているように思います。でも、抽出された世界は小津作品とは全く別物で、簡素な画面構成、暖色系と寒色系の色遣いの対照、無表情で無口で無愛想な主人公達が紡いでゆく物語。それらはいつも独特な可笑しさと哀しみと密かな幸福感を湛えているよう思います。
今回はロシアのウクライナ侵攻という殺伐とした雰囲気を作品の要素に組み入れながら、なお一片の希望と余韻を感じさせる構成になっていてそこがまた良かったと思います。
そして音楽。「浮き雲」では空を見上げる主人公たちの眼に映る浮き雲を映さずに、二人の希望を表していて見事でしたが、この作品でも「枯れ葉」の映像はなく、今度はあの名曲に出てくる歌詞と深い旋律が、シーンに溶け込んで、生きることの哀しみと歓びを感じさせて見事でした。
ちなみに、最初に使われていた音楽。あれ昔「赤い鳥」が歌ってヒットした日本の民謡「竹田の子守歌」の外国カバーですよね?あれも哀しい歌でしたが、ぶっとびました(^_^)
引退を表明されていたようですが、多分10秒見ればわかるその刻印は今回もしっかりと刻まれていて、おかえりなさいという感じでした。
とても良かった
男の主人公が「やるときはやる」系の男ではなく、ずっとダメ男のままだった。この監督の場合、こっちのパターンになると話が短いのもあり、侘しさが勝ったまま終わってしまうのは昔から変わらない。それも持ち味の一つではあるのだが、前作「希望のかなた」や大昔の「真夜中の虹」のような路線が好きで、今回は物足りなさを感じてしまった。また、アル中への忌避感が終始頭から離れなかった。
あと今回は内輪向けの感じがした。歌をうたい過ぎているというか。
ただ、そんなちょっとした不満を吹き飛ばすほど女の主人公が魅力的で、初対面のシーンでは男の心情に150%シンクロした。
日々の暮らしに恵まれない男女の、出会いから共に生きようと歩き出すまでを描いた人間ドラマです。もの悲しさの中にも光を感じられる作品です。
ポスターに惹かれて、何か良さそうと思って鑑賞することにした
作品です。フィンランドの作品というのも鑑賞のきっかけでした。
今年最初の劇場鑑賞です。
作品紹介で、監督のアキ・カウリスマキという方を名匠と解説され
ていたのですが、不勉強にて全く存じあげませんでした。@_@;;
「労働者3部作に連なる作品」とも紹介されているのですが、当然
どんな作品なのかが分かりません。・_・;;
そんな訳で、" 楽しめるかな? " と不安半分で鑑賞したのですが
根本的に「楽しい」作品では無く、フィンランドの労働者の現状を
描いた話でした。どちらかといえば「薄暗い」雰囲気が漂っている
ように感じました。 @_@;;
◇
主な登場人物は、主人公の男女ふたり。
男の名はホラッパ。
アル中予備軍。溶接工(?)の仕事の途中に隠れて飲酒している
のがバレて、職場をクビに。 …う~ん。これはダメでしょ。
女の名はアーサ。
スーパーで働いていた。消費期限切れの食品(本来は廃棄する)を
持ち帰っていたのがバレて解雇される。 …う~ん。ダメ…なのか?
そんな二人がカラオケバーで出会う。
ささやかな出会いなのだが、互いに心に響くものがあったらしい。
女の家に食事に招かれた男は友人から上着を借り、一輪の花を求め
女の家に向かう。女は客用の食器と、食前酒の小さな瓶を買い求め
男の訪問を待つ。
ぎこちない会話と、たどたどしい雰囲気での食事。
緊張の中、男は酒のおかわりを求める。
だが、最初の一本しか用意は無い。そう答えると
男は自分の持ち込んだ酒瓶を口にし始める。
” ここはパブではないのよ? ” と女。
” 俺は指図されるのがキライだ ” と男。
男は女の家を出て行く。終わった。
客用の食器をごみ箱に放り込む女。 (あの…分別は?)
これで終わり。何もかも元のまま。何も残らない…
…という訳ではなかった。
今のままではダメだ。変わらなければダメだ。
やがて男は酒を断つ決心をする。
酒のボトルをゴミ箱に放り込む。 (あの…分別…)
禁酒。断酒。 …そして
女の電話が鳴る。…誰だろう。 電話に出る。
” 俺だ ”
” … ?”
” 酒は止めた ” しばしの沈黙。そして
” ウチに来る? ”
” いいのか? ”
出会いは偶然。
継続は人の意志と努力。
このままハッピーエンドへと向かうのかと思われたのだが…
◇
この監督の作品全般がそうなのかは全く分からないのですが
・フレームに収めたような構図で (きちっとした感じ)
・静かに落ち着いた場面展開の中に (穏やかな雰囲気)
・ゆったり流れるような場面を撮る (スローテンポ)
そんな特徴のある作風のなのだろうか と感じた次第です。・-・
※ 的外れならゴメンなさい。
反論しません(できません) @_@;; デス
◇あれこれ
■この作品の時代背景
がいつなのだろうかと、まだ悩んでいます。
今から50年くらい前の社会を描いているのかと思って
観始めたのですが、ラジオから流れてくるニュースは
ロシアのウクライナ侵攻でした。@_@;ビックリ
あれ? もしかして現代?
そう思ったのですが、アンサが部屋のラジオを選局する動作
を見ていると、” アナログ ダイヤル式 ” なのです。
日本なら1980年代のラジカセまではそんな感じだったかと
思うのですが、フィンランドでは違うのでしょうか?
う~ん。そんな訳でいつのお話なのかが掴めておりません。
作品の本質とは異なる箇所で悩んでいる気がします… ×_×
■「信仰上の妹」って?
病院に入院したホラッパを見舞うアンサ。
病院の窓口でホラッパの病室を尋ね、患者との関係を聞かれて
「兄です。信仰上の」
信仰上の兄(兄弟姉妹?)とはいったい…??
一種の義兄弟みたいなモノなのか
それともキリスト教的な特殊な関係なのか
(もしくはアンサの冗談なのか…)
こんなところも頭に引っかかって悩んでいます。@_@
◇最後に
この作品が「薄暗い」印象とレビュー冒頭に書いたのですが
ラストシーンから感じたのは「希望」でした。
男と女,そして女が飼い始めた犬。
その二人と一匹が、広々とした通りを歩いていくシーン。
ただそれだけの場面なのに、二人の行く末に希望を感じさせる
終わり方のように思えました。不思議です。
それが、この監督の思惑通りだったのなら 脱帽です。・_・;
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
寒そうな空気感でした
久しぶりのアキ・カウリスマキ監督映画。「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」以来、大ファンになっていました。81分という短さもいいですよね。
登場人物がみんな無表情なのが可笑しいし、カラオケバーのMCが老婦人だったり、美声自慢の友達がめっちゃ歌下手だったり、ずっと可笑しかったです。
でも、アルコールガバガバとタバコプカプカ、これって20年くらい前?と思ったら、ウクライナ戦争を伝えるラジオに「えっ⁉︎令和?」となりました。工事現場でタバコ吸ったりアルコール入れて重機操作は絶対ダメでしょうと、安全管理の仕事をしていたから、ここは笑えなかったな。
それに、食事に呼ばれて「お酒はこれだけ?」「ベッドが狭い」くらいしか発語せず、アルコール依存を指摘されると黙って出て行くなんてなぁ。少ないセリフでも、もっと可愛いげのあることを言ってくれないと応援する気にはなれなかったです。女友達の意見には大いに同意しました。
でも、映画館(名画座?)のポスター、デートで観た映画、電話番号を書いたメモを失くすエピソード、ロッカー室の綺麗な色のコート、レトロ感満載のラジオ、ラジオから流れる音楽、めっちゃ可愛いワンコ、路面電車など、寒そうな空気感含めて好きでした。
ラストシーンは、チャップリンの遺作(?)と同じだったような(遠い曖昧な記憶で確かすみません)。
ほんのり良い
初カウリスマキでフィンランド映画はほぼ初見。
ヘルシンキの労働階級ってこんなに貧しいのかとひたすら驚き。建物やら機械やらカラオケバーやらやたら古びている。
情報ソースがラジオで、アンサはパソコンもスマホも持ってないとは。ウクライナ紛争のニュースがなければ完全に昭和の時代?と思ってしまう。
ホラッパもその日暮らしでお金ないのにタバコと酒の消費はすごい。吸い殻バカスカ捨てる姿も気になってしまう細かい日本人…
アンサとホラッパはお互い気になるけど、名前も知らず、スマホもお互い使わないので無駄にすれ違い激しく、「君の名は」(佐田啓二岸恵子)か!と叫んでしまいそうな昭和感。
登場人物はみんな無表情だが、ときおりボソッと吐く冗談に一寸笑う。ホラッパの友人のセリフがいちいち可笑しかった。
アンサが野良犬を引き取って暮らし始めてから、彼女の優しさが垣間見えて、ストーリーに血が通ってきたような印象。
(ところで使ったお皿をキッチンの下の袋扉みたいな所に突っ込んでたがあれはどうなるの?)
ホラッパは踏んだり蹴ったりの人生だがエンディングには少しだけ明るい未来が見えてきて、応援したくなった。
無表情+寡黙な登場人物と、ある種淡白なストーリーの合間を縫って奏でられる音楽は多種多様且つ雄弁で、豊かな彩りを添えている。竹田の子守唄が、流れてきたのには驚いた。
全体としてすごく心を動かされるわけでもないが、観て良かったとほんのり思わせる作品だった。
落ちて踏みつけられてるというよりは、枯れても枝にしがみついている感じがする
2024.1.3 字幕 京都シネマ
2023年のフィンランド&ドイツ合作の映画(81分、G)
理不尽な理由で解雇された女性とアル中の板金工の邂逅とすれ違いを描いた恋愛映画
監督&脚本はアキ・カウリスマキ
原題は『Kuollet Lehdet』で「枯れ葉」、英題は『Fallen Leaves』で「落ち葉」という意味
物語の舞台は、フィンランドのヘルシンキ
スーパーで働くアンサ(アルマ・ポウスティ)は、廃棄食品をホームレスにあげたり、自身で持ち帰っていることに目をつけられていた
警備員から店長に報告が上がり解雇となったアンサだったが、その方針に意を唱える友人のリーサ(ヌップ・コイブ)も一緒にやめることになった
一方その頃、板金工場で働くホラッパ(ユッシ・バタネン)は、アル中に悩まされ、仕事中にも隠し持っている酒を浴びていた
ホラッパは同僚でカラオケ好きのフオタリ(ヤンネ・フーティアイネン)に強引に誘われたカラオケパブにて、アンサと出会う
その時は会話すら交わさなかった二人だったが、偶然の再会を機に、映画館に行ったりするようになる
だが、アンサから渡された電話番号のメモを失くし、それによって関係は中断してしまった
ホラッパは彼女と行った映画館の前で出待ちをするようになり、アンサは夥しい数の吸い殻を見て、彼がここで待っていることを知る
そして、ようやく再会を果たした二人は、今度はアンサの家で食事をしようと約束を取り付けることになった
映画は、パッと見では時代を感じさせるものの、劇中で流れるラジオの内容は「まさに今」という感じで、ウクライナ戦争の余波を受けていることがわかる
二人の年齢ははっきりしないが、印象的には30歳前後で、身を固めてもおかしくない年のように思える
ホラッパはフオタリに「昨日、結婚するところだった」というように、彼の中にはその後が頭の中に入っている
だが、アンサは「アル中とは結婚できない」ときっぱりと言い放ってしまう
物語の動きはさほどなく、二人がいかにしてすれ違うかをコミカルに描いていく
だが、後半のトラム(路面電車)に轢かれるあたりから急展開を迎え、ホラッパは生死の境目を彷徨い始める
フオタリを見つけてホラッパに辿り着くアンサだったが、彼の枕元で何をするのかと思えば、クロスワードパズルを解き始めたりする
そうして奇跡は起こり、という内容になっていた
映画は、すれ違いの妙を描き、ほんわかとした雰囲気の背景は大ごとになっている感じで、戦争で景気が悪いのか、元々悪いのかはなんとも言えない感じになっていた
現代劇だが古さを感じる内容になっていて、ラジオの音声を変えれば1980年代にも見えてくるから不思議である
原題のタイトルは「枯れ葉」だが、英題では「落ち葉」になっていて、このニュアンスの違いは結構大きいと思う
普通の人生から「落ちてしまった」のか、普通の人生に「枯れてもしがみついているのか」という違いがあり、本編を見た感じでは「しがみついている」ように思える
なので、印象的には「枯れ葉」のイメージがあるのだが、「枯れ葉」を英語にすると「Dead Leaves」「Dry Leaves」になってしまうので、これまたイメージとは異なってしまう
個人的なイメージでは、なんとか仕事に就こうとしているし、アル中を直そうとしているので、「枯れているけどまだ木にしがみついている葉」という印象がある
枯れた葉はいずれ朽ちて落ちてしまうと思うが、その時まで懸命に生きていこうとしている
また、二人は「隣あっている落ちそうな枯れ葉」というイメージがあって、ともに落ちてしまっても、朽ち果てるまでは添い遂げていけるのではないだろうか
いずれにせよ、枯れている原因が本人たちよりも国の情勢や政治にあるようにも見えるので、それを暗に批判しているのかなと思う
フィンランドのNATO加盟が4月で、本作の本国公開は12月
なので、NATO加盟後に公開されているが、それだけでは変わらない国内情勢というものがあるのだろう
そんな中でも健気に生きる人々がいて、普通の生活から降りざるを得なくても何とか風雪を凌いで生きている
それを考えると、ラストで起きた奇跡は神様からのギフトなのだろうか
いつの時代にも抗えない時代の波というものがあるので、そんな中でも太陽を浴び続けようとする姿は微笑ましく思えるのではないだろうか
ラストシーンは定番かも。静かで穏やかな恋。すれ違いがあってヤキモキする。
◆時系列無視してのっけからラストシーンの話。恋愛ドラマの最後の場面で、まあそれまで色々あったけど、結局ハッピーエンドで2人が後ろ姿で去っていくってのは定番かもしれない。僕も含めて観客の多くが、どこかで見たことが有るような場面だとか、むかし見たあの映画のオマージュまたはパクリだなんて思ったのではなかろうか。犬の名前がチャップリンだからチャップリン映画でもあったような気がした。ちなみに悲恋だと1人で後ろ姿で去っていくのが有ったような無かったような。
あと、ハッピーエンドなのにエンドロールで流れる「枯れ葉」ってたしか失恋の歌だった気がするが、歌詞の日本語字幕ちゃんと見てなかったのでよく分からないが。
◆静かで穏やかな恋、とはいえ2人はドキドキワクワク盛り上がってる。ここで言う ” 静かで穏やか ”というのは、ハリウッド映画やフランス・イタリア映画と比べてという意味だ。ハリウッド・フランス・イタリア映画、或いは日本のトレンディドラマに毒されてるのかもしれない。
例えばカラオケバーでの最初の出会いの場面。ハリウッド映画だと、「ハイ、わたしアンサ、ハイ僕はホラッパ」なんて感じで、見てる僕は、 「いきなりナンパかよ!」 とか思うわけだが、アンサとホラッパは何となく意識してチラ見して目があう程度だ。 これはこれで逆に「おまえら中高生か!」とか思うわけだが、実際は日本も欧米もこちらのほうが実状に近いかもしれない。
ところが、そんなに親しくなったとも思えないのに、いきなり一人住まいの女子が男子を自宅にご招待。ここで僕は40過ぎたアンサ(アルマ・ポウスティさん)に「パパはお前をそんな娘に育てた覚えはない」とか突っ込んだ。女は食器とワインを、男は花なんか買って2人ともルンルンウキウキ気分。
そしてこれがフランス・イタリア映画なら食事後、2人は確実にベッドインだ。なんなら濃厚なセックスシーンがあって、オッパイ出るわボカシは出るわで朝を迎える。ところが、食後2人はソファに座ってなんかぎこちない。しかも間がヒト1人分ある。ここで僕は再び、「おまえら中高生か?何で家にお呼ばれしたんだ !」と突っ込むわけである。
それから口喧嘩も特にハリウッド映画に比べて静かだ。アンサ「アル中はゴメンよ」、ホラッパ「指図はゴメンだ」とか言い合うが、少し口調が強いだけで大声で怒鳴り合うわけではない。ハリウッド映画では、ケンカの場面が大声でうるさくて、耳をふさいで字幕だけ読んでることがあるから余計に静かだと想ったのかもしれない。
◆ラブコメも含めて恋愛ドラマと言ったら ”すれ違い” である。僕も古今東西の恋愛物に精通してるわけではないが、これがない恋愛物なんてないんじゃないか? ドラマの中の2人は知らないのに見てるほうは分かってるから「あーもう違うのに何でこうなっちゃうんだ」とかヤキモキする。
考えてみると、知り合いでもない、しかもフィクションの2人のスレ違いに勝手にヤキモキして悶えてるなんてアホな話だが、まあヤキモキが面白くって見てるのだから良しとする。
今回は「ああ、本命じゃないやつと何で寝ちゃうかな、ホントにもう」ってのがない分だけ助かっている。
最初にホラッパが電話のメモを失くしてスレ違う。だから2度目のメモは財布にしまいチャック付きのポッケにしまいしっかり閉める。これでスレ違うこともなく万全かと思ったら最後にトラム事故だ。見てたときは「あー何てこったい。何でこーなる」と思ったが、今考えると「恋愛スレ違い物で事故・病気って定番じゃね?事故るって当然じゃん」とか思ったりもする。フムフムよくぞ(?)事故った。見てるときは事故が定番なんてことは思いもよらず、消えた男、悲しむ女ってことでこっちも意気消沈。
話は前後するが、男が以前2人で見た映画館前で、女が現れはしないかと何時間も待つが諦めて去ったあと、女が現れてタバコの吸い殻を見つける場面。 今まで様々なドラマで何度同じような場面を見てきたんだろうと思うぐらい定番だがヤッパシ面白い。「あー、もう少しで会えたのにー」と知らない他人に思うわけである。
◆印象に残ったセリフに場面
・アンサが女友達とソーダを飲む場面でのセリフ。多少違うかもだが。
「男なんて同じ型の鋳型、ブタと同じ」
「違う、ブタは賢くて優しい」
「ブタに乾杯」
ちなみにソーダの色は赤と青で、とてもきれいで印象に残った。
・何の場面か忘れた
「家でゴロゴロしてるが、理由もなく出かけない」
・ホラッパが上着を友達に借りる場面
「上着を貸してくれ、大事な会合がある」
「女か、お前でいいとはな」
女だと察するのと、おちょくるのがいい。
◆時々出る歌が2人の心情を歌っているところが良いと思った。
◆2人で最初に見る映画がゾンビ映画なのが笑えた。最初はコメディとかロマンチックなのが良くねとは思うが、実際に有りそうな気がする。
このゾンビ映画、作品名は忘れたがアダム・ドライバーが出てるやつで何年か前にやっていた。監督は「パターソン」の監督。こちらも監督名忘れたが有名な人。
不器用な恋
チャップリンや小津安二郎が好きで
未来よりも過去を敬愛するアキ・カウリスマキ監督の作品。
不器用な中年男女の恋。滋味だが味わいが
ある役者の方々の演技。
不当解雇やアルコール依存性からから生活
の日常。その中で戦争のニュースがラジオから
ながれてくる。カウリスマキ監督らしい。
音響の使い方も良かった。メモ書きを無くす
シーンも。然り気無くクスッと笑う表情も
じわじわくる。携帯が出てこないのも良いよね。あと、監督の愛犬も可愛いかった。
ミニマルな環境下で過ごす彼らの現実。
今の時代に問いてくる映画なのでは。
忙しい最中、少し落ち着いた時に
観ても良い映画。
素敵なラストシーンでした。
どん底でも愛があれば幸せになれる
スーパーで働くアンサと建設現場で働くアル中のホラッパ。
決して豊かとはいえない生活を送っている二人は、ある夜カラオケバーで知り合いお互いに惹かれるものを感じる。
しかし二人は視線を交わすだけだ。
その後、アンサは廃棄予定の食料品を持ち帰ろうとしたところを見咎められ、理不尽にも解雇を言い渡される。
新しく始めた皿洗いの仕事も、店主が違法薬物の売買によって逮捕されてしまったことであっという間に失ってしまう。
そんな彼女をたまたま現場に居合わせたホラッパはカフェに誘う。
彼はコーヒーをご馳走した後に、彼女を映画館に連れて行く。
作品はジャームッシュの『デッドドントダイ』。
映画館から出てきた二人組の男は「ロベッソンの『田舎司祭の日記』を思わせる」「いや、ゴダールの『はなればなれに』だ」と謎の言葉を交わす。
アンサはホラッパに電話番号を書いたメモを渡す。
しかしホラッパはそのメモをすぐに失くしてしまう。
お互いに名前も仕事も住んでいる場所も知らない。
ホラッパは映画館でアンサを待ち続けるが、お互いにニアミスをするばかりで出会えない。
そうこうしているうちに、ホラッパは現場で怪我をした際にアルコール検査で引っかかってしまい解雇を言い渡される。
それでも映画館で粘り強く待ち続けたホラッパはアンサと感動的な再会を果たす。アンサはホラッパをディナーに招待するが、彼がアル中だと分かった途端に二人の関係は途絶えてしまう。
そしてアルコールを断つことの出来ないホラッパは新しく始めた仕事も失ってしまうのだった。
これもカウリスマキ監督の敗者三部作の延長線上に位置する作品なのだろうか。
美男美女は出ないし、エネルギッシュな若さもないし、相変わらず登場人物はポーカーフェイスばかり。
労働者に対して無慈悲な社会を描いた辛辣な作品でもあり、決して明るい内容ではないのだが、ユーモラスな会話のセンスもあり、観ていて思わず心がほぐされてしまう映画でもあった。
カウリスマキ監督のコメディセンスはより研ぎ澄まされたようにも感じる。
どうしてもアンサを忘れられないホラッパはついに断酒を決意する。
そんな簡単にアルコールは断てないだろうが、とにかく彼は電話でその決意をアンサに伝える。
ホラッパを忘れられないのはアンサも同じで、彼女はすぐに会いに来てと彼に返事をする。
しかし彼女の家に向かう途中で、ホラッパはトラムに轢かれて意識不明状態になってしまう。
病院のベッドで眠り続ける彼の隣で、一方的に喋り続けるアンサの姿が、シリアスな状況ながらとても滑稽だ。
やがてホラッパは目を覚ます。
ラストに公園を歩くアンサとホラッパ、そして彼女が殺処分寸前で救った愛犬のチャップリンの姿に心が暖まった。
ここで描かれるドラマは決して明るくはない。
しかしそれでも彼らはハッピーエンドを迎えることが出来た。
一方、劇中で何度もラジオが伝えるロシアとウクライナの戦争は未だに続いている。
どれだけ生活が苦しくても、人と人とが殺し合う戦争に比べればきっとずっと幸せなことなのだろう。
相変わらず劇中に流れる音楽のセンスも素晴らしかった。
人恋しくなる季節、孤独を抱えた男と女
セリフでなく、カメラに喋らせる展開
まるで、絵画のようなショット。
まずは、対象物にカメラをあてる。
しばしの沈黙。
その後にセリフが続く。
このパターンで、物語はながれてゆく。
まるで、ゆったりとした川の流れのように。
沈黙のショットは、まるで行間の想像力をかきたてるように。
計算された表現だろうか。
この連続が、どくとくの映像美と展開を生む。
フィンランドという、極東の私達には、縁遠い世界を見せてくれる。
下層階級に生きる、中年男女
男は、肉体労働者。
高等教育は、受けていないようで。
肉体労働に。
アルコール中毒。
酒なしでは、生きて行けない、仕事中だろうと。
それが原因で、失業したりもする。
本人は、酒をあおるのは、うつのせいだと。
多分本当なのだろな。
起用でもなく、社会の底辺でうごめきながら、なんとか日々を過ごしている。
そんな感じが、伝わってくる。
女は、非正規労働者。
スーパーを些細なことで解雇になったり。
その後は、肉体労働で、つつましく生きる。
生きる歓び
この映画のテーマだろうか。
大げさな言い方だけど。
物語は、至ってシンプルで。
二人共、人生の野望とか無縁にみえる。
そんなことより日々の生活を送ることで、手一杯。
もう、夢を追いかけるには、二人共歳を取りすぎたのか。
そのあたりは、よくわからない。
ただ、ひたむきに生きる二人の姿は、けなげだ。
そう、人生は生きるだけでも大変。
そんな言葉が聞こえてきそうな作品。
そんな二人の恋は実るのだろうか。
映画館でお確かめください。
年末の忙しさ、新年をどう迎えようか。
そんな時期にピッタリの作品。
フィンランドの首都ヘルシンキ。 大型スーパーマーケットで働くアンサ...
フィンランドの首都ヘルシンキ。
大型スーパーマーケットで働くアンサ(アルマ・ポウスティ)。
賞味期限切れの商品を持ち帰ったことが原因で解雇されてしまう。
一方、廃品工場で粉塵にまみれて働くホラッパ(ユッシ・バタネン)は、度重なる遅刻や職場での飲酒が原因で、これまた解雇されてしまう。
ホラッパは工場の年配の同僚(ヤンネ・フーティアイネン)が誘ったカラオケバーで出逢い、名も知らぬままに惹かれ合う。
その後、ふたたび偶然再会し、一度映画を一緒に観たものの、残念なことから連絡が途切れてしまう。
失業が蔓延して、どことなくやるせないモダンタイムスなヘルシンキのラジオから繰り返し流れるはウクライナでの戦闘の様子で、やるせなさは高まっていく・・・
といった内容で、近作では移民問題が前面に出た社会派的な作品が多かったアキ・カウリスマキ監督だが、監督復帰に選んだ題材は『パラダイスの夕暮れ』など初期作品に近い労働者の物語。
ウクライナ情勢を背景にしているので、社会のやるせなさ、厭世的気分は強調されることになるが、それでも最終的には「愛ある未来」に決着する。
全編を、日本の「竹田の子守歌」をはじめとする歌曲が彩っているが、マイナーコードの曲は画面のカラフルさとは対比的。
太陽の日差しの乏しい北欧では、目には鮮やか、耳には寂しさ、というのが王道なのだろう。
「愛ある未来」を示すラストショットは、往年の名画へのオマージュ。
いつものカウリスマキ映画、変わらぬカウリスマキ映画。
社会は変わるが、カウリスマキの映画は変わらない。
変わらない良さというものある。
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