関心領域のレビュー・感想・評価
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The Zone of Interest
まさに原題通りの映画でした。最近、アニメやVFX映像を駆使した映画ばかり観ていたので久しぶりに見応えのある作品に出会えました。個人的にアウシュビッツ収容所に興味があるのでアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館に行ってみたいですね。
音響が素晴らしく不気味
オープニングから不気味な音が鳴り響く。いや~引き込まれました。この映画に脱帽です。
強制収容所を扱った映画はけっこうあると思うが、まさか壁で覆われたすぐ隣の一家の物語とはなかなか思い付かないですよ。
所長の家だけと、彼以外の人物は普通の人々、普通の日常を過ごしているだけです。でも普通に考えれば、何年も収容所の隣に住んでいるのは異常だと思うが、そう思わないんだろうね。唯一夫人の母親が泊まりに来ていて、夜なかなか寝付けず、タバコ吹かしたり酒を煽ったりしていたが結局黙って出て行ったけどこの母親が一番普通の感覚を持っていました。
淡々とこの一家の日常を描いていてなんとも気の毒に思えて仕様がなかったです。
カンヌでのグランプリ、アカデミーの国際長編映画賞共に納得です。
これから鑑賞する方覚悟をしてください。音響が本当に不気味ですから。
対比と拡張
音響賞をとるだけあって目新しい音の使い方だった。というか、そういう手法は勿論あるのだけれど、作品一本分に及ぼされる事はなかった。
アウシュビッツを具体的にイメージ出来る人には恐ろしい映画なのだと思う。悪名名高い刑務所が壁一枚隔てた向こうにあって日常的に銃声やらなんの声だか分からぬ声が聞こえてくる。亭主はその刑務所に勤めていて結構な地位の人物だ。
この一家は、全く壁の向こうに関心がない。嫌悪感すら抱かない。故に奥様などは、やっと見つけた理想の場所とか言う。
隣接する其々の場所は天国と地獄なわけで、天国に住まう人間は地獄なんかに興味はなく、地獄に住まう人間は天国がある事もわからないのだろう。
そんな事が「音」で語られる。
カメラは動く事はなく定点で、引き絵が多い。そんなアングルに足されていく環境音が、前出した「地獄からの音」なのである。
全く歯牙にもとめない。
銃声だろうと叫び声だろうと、死体を焼く煙であろうと眉一つ動かない。
と、まあ、普通というか残酷というか…無関心な状態を克明に描いた映画なわけで、さすがA24とこぼしてしまう曲者な作品ではある。
ただ、コレ…アウシュビッツが脳内でそこまで連動してない俺のような人間からすると、転勤するのしないのの話で、ぶっちゃけ内容すらない。
作品のコンセプトとして、この組み合わせはベストであるのは間違いなく…だって、どうでもいいホームドラマをやってる隣で毎日何百人と虐殺されていってんだから。ドラマなんざ薄ければ薄い程いいんじゃないかと思う程だ。
ただ…つまんない。
カメラは動かないは、ドラマは薄いは、台詞は少ないは…視覚的な刺激が極端に乏しい。
観客を選ぶ作品だと思われる。
俺は所々寝た。
違和感はそれなりに散りばめてあって、娘なんかは精神に異常をきたしてるような兆候があったり、夫婦がベッドに寝転がりながら豚の鳴きマネをする夫でゲラゲラ笑ってたりする。あの鳴き声は実は囚人の断末魔の声をマネてたみたいな想像も出来たりする。
音と同じように「想像」が介入して成立する構成に思わなくもない。脳内で情報が拡張されていくわけだ。
そんな事を加味すると、映像で語られる「関心領域」の外側はシャットダウンにも感じるのだけれど、関心領域自体は外側からの情報に侵食され歪に広がっていくようにも思う。
端的に言うと慣れとか麻痺の類いだ。
そしてそれらは日常的に発動する性能でもある。
知らぬ間に陥ってしまう状態だ。
そして、冒頭からしつこいくらいに突きつけられる定点カメラが現在のアウシュビッツを映し出した時にゾワッとする。
なんか、凝縮してる。
目を背けたくなる何かが沈殿して煮詰まって凝縮してるよう見えた。今まで散々無視してたものは「無い」ものではなく「有る」もので、そこで起こった惨劇も膨大な時間も慟哭も全部が存在してた。
人類の負の遺産を突きつけられたような気分だった。
着眼点は出色で色々と意欲的な作品であった。
随分と挑戦的な作風にも思うが、そんな作品を世に問いかけたA24はさすがだと思う。
主人公同様吐き気を催す
とても不気味で、気分が悪くなる映画だ。
というか、これは映画なのだろうか。
個人的には映画というよりもビデオアートもしくはインスタレーションに近いと感じた。
全編不気味で気持ちが悪い。
死の工場、アウシュビッツ強制収容所の所長ルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)が主人公。
ヘス一家は収容所の壁を隔てた一角の邸宅で暮らしている。
そこは妻のヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー)が作った花が咲き乱れる庭園が自慢。
子供達に飼い犬も幸せそうに暮らしている。
休日は周辺の田園にピクニックや魚釣りを楽しむ。
映画はその何気ない平和な日常を延々と描く。
赤ちゃんだけが終始泣き声をあげている。そう、赤ちゃんはまだこのおかしな日常に慣れていないのだ。
何もストーリー的な展開は無い。
ところがそこに事あるごとに不気味なカットや音が挿入される。
牧歌的な庭のショットには鉄条網が付いた高い壁とその後ろには収容所と煙突から常に出ている黒い煙。
日常的な会話の後ろには銃声や罵声、悲鳴のようなものが微かに聞こえている。
所長はかなり使い込まれた大量の紙幣を数えている。
所長は仕事帰りに靴を履いて家に入らない。召使がその靴を洗うと血のようなものが流されている。
そうしたカットが積み重ねられていく・・
家族はあくまでも収容所に無関心。
あれだけ人を焼く煙が近くで出ているのだから、匂いは相当だというのに。
映画の主題はその無関心さに他ならない。
ある日夫の転勤が告げられるが、妻は気に入った場所を離れたくないと、単身赴任を願う。
夫はしぶしぶ単身赴任を受け入れる。
これはそのまま現代の家族の日常と同様なことに気がつく。
言わずもがな監督は今現在の世界情勢、ウクライナやガザのニュースを見てこんな事があっていいのかと憤りながら、チャンネルを変えれば日常に戻ってしまう私たちに、平穏な日常と地続きで権力の暴走が今現在もあることを見せつける。
それは充分わかった。
しかし、気持ち悪いシーンを2時間近く見続けるのは正直辛い。
個人的に映画の本質とは違うのではないかという思いで星は3.5にした。
次グレーテルに背中を押されるのは一体誰なのか。
壁の向こうから聞こえてくる悲鳴や銃声、煙突から立ちのぼる煙は何を焼いているのか、闇に光る少女は何者なのか、そして終始鳴り止まない地鳴りの正体を、私達は知っている。
壁1枚隔てた豪邸で優雅に暮らす一家。父親がどれほど恐ろしい蛮行に加担しているか、母親が全て知った上で尚、その暮らしに執着するのは何故なのか、そしてそんな日常の中で静かに病んでゆく子供たち。
その残虐を描かずともここまでホロコーストの恐怖を感じさせる映画を初めて観た。本当にリアルで、むしろものすごく現実味があった。あのコートの本来の持ち主は誰なのか、川には何が流れていたのか、美しく花を咲かせる灰はただの肥料なのか、想像すればするほど気が遠くなる。
今もあちこちで勃発する戦争。ジェノサイド、人種差別、故郷を追われ行き場のなくなった多くの難民。今、世界で起こっていることを、私達は知っている。次グレーテルに背中を押されるのは私達かもしれない。
お、音が・・、音が恐ろしい・・。
収容所について、少しでも歴史を知っておくと、より怖さが分かる映画。
知らない場合でも、歴史に興味があれば、あとから色々調べてゾッとする映画。
映画の中では一切、説明はないので、その点は注意を。
とにかく、音です。
音響が凄い。冒頭から心がザワザワザワする、不快な音。
何を表現しているのか、どのような意味があるのか、一切、説明なし。
ただただ、その音は耳に入ってくる。
観る人、聞く人によっては、この時点でアウトかもしれない。
気分が悪くなる人もきっといるだろう。
A24 らしいといえば、らしいが、
ここまで、音にこだわった戦争映画はないかもしれない。
賛否が分かれる映画だと思うが、多くの人に聞いてほしい。観てほしい作品。
あの煙突、あの煙、あの音、あの庭園、赤外線カメラの映像。
作品を見た後、しばらく頭を離れない人もいるのではないだろうか。
そして、映画ポスターの表現。個人的に、一番これが凄いと思った。
「サスペリア」の様式で撮った「この世界の片隅に」?ユダヤ人からの...
停車した汽車の暗闇で 彼らはその現実に居た
長い暗闇と音。
そこにあるものを〝見る〟ために聞く。
皆、神経を集中させ不穏な闇に入っていく。
アウシュビッツを見学した時にそれと似た感覚になったのを思い出す。
感情が血の巡りにのり駆け出しぎゅうぎゅうと心を絞めるようで、ガイドの横で歩きながらずっと鼻水がたれるほど泣いていた。
汽車がもうもうと煙をたなびかせるカットは、その夜もアウシュビッツに到着した人々がいることを示した。
あの暗闇と音のなかで彼らはその〝現実〟に置かれたのだ。
その心情は私のこのくらいの想像では全く追いつかない恐怖だろう。
ぎゅうぎゅう詰めの「荷」にされた彼らも、セス一家となんら変わりない家族たち。
それなのに彼らだけは、人間による人間の「差別」と「選別」を逃れることもできず、即抹消されたり使い捨てにされた。
ホロコーストが今まさに行われている隣地との境は高い壁一枚。
そこで営まれるヘス一家の贅沢と活気に満ちた毎日。
すでに異常が漂うフライヤーに呑み込まれてからみる映像は嫌なくらいに淡々と違和感をみせる。
幼児の際どい独り言。
あのベンチで仲睦まじくできる若いカップル。
何かを感じ寝つけず外へ出てすをみている子。
泣く赤ちゃんにかまわず酒をあおるシッター。
搾取に慣れ「平気」を着て、塗る妻。
整った寝室で赤い火の粉をバックにけたたましく笑う女王。
「荷」の効率の良い片付け方について勇ましく指揮を取る家族思いのやさしき父。
緊張する背筋の内側に胃液が何度も押し上げられるのに、この家族たちは全く気にも止めずにいる。
この普通に慣れているのか、そうあろうとしているというのか。
よく手入れされた美しい家や庭を褒められ、咲き誇る花のように満足そうにみせた妻の一瞬の優しい顔。
そんな時その天国は隣りの地獄がつくってることを本当に忘れさせたのかもしれない。
ヘス家には「選別」で労働力にされた使用人がたくさんいた。
映画「ソフィーの選択」にもあったが、彼らには生き延びた苦悩もつきまとってしまう。
隣接するヘス家の状況下ではストレスもひどかっただろう。
眼差しの無感情さは生きながら失ったものを覗かせた。
またその作品の回想シーンで、収容所幹部の男性のもとに(性的搾取として)送り込まれていた捕虜の存在もヘスと重ねて思い出した。
職務のなかで彼も確かに体に不調をきたしていた。
壁の向こうで人間性を自分から切り離す日々に我が身を蝕むストレスがあったように、壁のこちら側にも平凡化した異常性とストレスがあったということをみせつけらながら戦争や迫害の愚かさを思った。
そして、現代のアウシュビッツの博物館で掃除するスタッフのカットが映ったとき、私は鏡を覗き込んだのだ。
痛ましさの痕跡を前にあれだけうちひしがれた体験があったとしても、繰り返されている理不尽な死と人類の懲りない愚かさをたくさんの情報で得ていても、悲劇の証拠を横で何ら変わりなく暮らしのルーティンをこなしていく、あれは自分だ。
自分自身を認識することがもしかしたら一番の怖さだった「関心領域」。
鑑賞後に知った、実在したりんごを差し入れる少女の命懸けの正義に心を動かされながら複雑な思いを感じている。
分かったフリしてレビューするのも…
作品を観て、作り手が意図したことを自分がちゃんと受け止め切れている気がしない。
物知らずな私は、後から作品や歴史的事実に関する解説や考察などを見聞きして、疑問点を補完する。
それはそれで特有な映画体験ということにはなるんだろうし、それを踏まえて2度目3度目の観賞があればまた感慨も変わるんだろうけど、やはり劇場での満足感としては…。
とは言え、これがしっかり伝わらない自分は、作中この家で富を享受して生活を続けるあの奥さんと同じなのかも、とドキッとしていたりする。
今となっては、もちろん伝えたいことはわかる。
虐殺や迫害は、壁一枚を隔てた場所で、今現在も行われている。
我々は、また何も知らない顔をして、映画を観た後も同じ生活に戻っていく。
虐殺に荷担した者が、すべて平常な心情であったかは分からない。
ラストは『アクト・オブ・キリング』を思い出したし、「任務」である以上、背くワケにもいかないのもわかる。
そういう直接的な加害者ではなく、問題はいつも「傍観者もまた加害者」ということ。そして、その数の方が圧倒的に多いということ。
ユダヤ人に触れるのも嫌なクセに、収容された人々から奪った金品にたかり、躊躇なくその口紅をつけたりする厚顔。
24時間続く悲鳴や銃声、収容者を焼く音に囲まれても「ここにいたい」と願う人々。
観賞後、あらためて振り返って、いろいろな思いが去来する映画。
この映画の評価について言うと、意識が高く、知識のある、こういう映画の咀嚼の仕方をよく分かっている方々の評価の高さが先行してしまうと、私の様な人間は卑屈になってしまう。
「けっ。よく分からなくてすいませんね!」
もちろん前述のとおり、後から補完することでいろいろ腑に落ちることも多い。
でも、理解力や想像力に乏しい私の様なタイプが観て、その場で心を動かされるタイプの映画ではないのは、やはり残念だな。
※その割に、公開規模や回数とバランスの合わないコメントの数の多さ。
みんな何か感じてるのね。
私の様なのは少数派です。
安心して皆さん観てね。
こんな映画体験は初めてだった。
観る前にレビューをいくつか読んでしまい、
観なくても内容が判った気がして観に行くのを躊躇していた。
それでも気にかかって、「観なくて後悔するより観て後悔する方がよい」とのあるレビュアーさんの言葉を思い出して思い切って観に行った。
観なければ解らない映画だった。
これほど心を揺すぶられるとは思わなかった。
なんていう言葉で表したらいいのか、観ている間中、ずっと胸が押し潰されるというか、吐き気を我慢しているというか、苦しい。
非日常の中で進んでいく日常。
この上映時間を長いと感じるかどうか。これ以上続けば、映画の中の母親のように逃げ出したくなる。本当に吐いてしまう。心が壊れてしまう。そしてこの映画の家族のように慣れてしまうだろうか。
大なり小なり私たちは今もこの家族と同じことをして暮らしているのではないか。
この映画の監督は私たちに突きつけてくる。
音が、音楽が、エンドロールを観ながら震えた。
こんな映画体験は初めてだった。
しんどい
私は昨今の何でも台詞で説明する映画はつまらないと考えており、難解で分かりにくいと低評価レビューの多い映画でもわりかし平気な人間だが、この映画はやりすぎ。
虐殺が行われている隣で平然と生活する異常性を描こうという意図は理解するが、監督の自己満足のような退屈なロングショットに、常に不快な音がかぶさり、人物説明も状況説明もなさすぎて(説明台詞がないという意味ではなく、演出による説明すらない)誰が何をしているのかよく分からないシーンを延々と見せられる。
観客に深く考えさせることと、観客を不快にさせることは違うと思う。
わかりやすい悲劇的なストーリーに劇的な音楽で泣かせる安直な映画がいいとは思わないが、それでも最低限、観客に分からせる努力は必要ではないだろうか。
とにかく最後まで観るのがしんどかった。観に行く人は覚悟を。
事前解説とおり
悲鳴を無視して執着する、美しい生活。
人を生きたまま焼くような虐殺が進行する横で、ユダヤ人の悲鳴を積極的に無視し、ユダヤ人からの収奪で成り立つ美しい生活に執着する主人公の一家。
転勤を命じられても、そこでの「天国」のような暮らしに留まろうとする様子は、彼らが単に上からの命令に歯車として従っただけでは無く、積極的に悪に加担していたということを示す。
後半、さすがにこの異常さに慣れきることは出来ず、ヘートヴィヒ・ヘス以外の人物に歪みがでてきたのには、むしろ人間性を感じてホッとしたくらい、救いがなかった。
実証に基づいた悲鳴の聞こえ方をシミュレートした音響、節目になる悲鳴を取り入れた重すぎる音楽もすさまじかった。
他にも、悲鳴をないものとして、鳥の声をよく聞けという狩のシーンには怖気立つものがあった。
世界のあらゆる場所で起きている差別と収奪の普遍的な構造をあきらかにし、現在進行形で人を焼く虐殺が行われている、今現在のわたしたちに向けて作られている映画。
またそれはパレスチナやシリアやミャンマーなどでの虐殺に限らず、例えば外国人労働者からの収奪で生活を成り立たせながら、彼らの苦境には耳を貸さず、彼らを使い捨てるような法案を通そうとしてる、日本の現状をも突き刺している。
どこまでも洗練された画面と演出だが
事前に解説とレビューを見て補完しながら見た。往時とは思えない住環境と家族、エリート軍人であるが恐妻家というところで意外感があった。映像・演出・内容につき社会的にも評価の高い映画であろうことはわかったが、自分には今一つはまらなかった。最後の清掃シーンも洗練されているが、衝撃的なカットがあった。収容所も最後まできれいで、どこまでも婉曲的表現のところがすごかった。
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