「愛の反対語は無関心です (マザー・テレサ)」関心領域 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
愛の反対語は無関心です (マザー・テレサ)
隣の家のおじいさんが室内で倒れていて、救急車で運ばれた。去年の夏だ。
40℃の猛暑でも、「電気代はつけっぱなしでも月2000円で済むから大丈夫なんですよ」と、どんなに言ってもエアコンをつけなかった生保受給者だった。
あれほど市役所や包括支援センターに出向いて、あの暮らしぶりと現場のゴミ屋敷の有り様を見に来るようにと訴えたのに。
で、「搬送先ほかは個人情報なのでお教え出来ません」と福祉課で突っぱねられてしまった。そうでしょうね。はい、そうでしょうとも。
隣は何をする人ぞ。
人も職員もこんなにいっぱいいても「関心領域」とはこんなものなのだ。
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「アウシュヴィッツ絶滅収容所」の塀の隣にはエリート所長の官舎があった事は「縞模様のパジャマの少年」でも描写されていたし、現にその邸宅は今でもそのまま保存されていて見学コースになっているらしい。
5月8日はドイツの無条件降伏の日。
ドイツ・ヴァイツゼッカー大統領の1985年のその日の演説
「荒野の40年」を読み返してみたいと思う。
「過去に目を閉じる者は現在においても目の見えない者になる」
「若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。われわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい...」と敗戦の記念日に大統領は呼びかけた。
塀を乗り越えようと語りかけたのだ。
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そのドイツには「つまづきの石」というプロジェクトがある。
歩道にわざと邪魔な凸凹を付けて、あれは通行人の足を止めさせるわけで。
銘板には
【○年○月○日、ここに住んでいた なにがしは、ドイツ軍に連合され○○収容所で死んだ】と刻んであるのだと。
「バリアフリー化に逆行する」突起であるし、「素通りと忘却を阻止する」
痛みを伴うプロジェクトだと思う。
「壁」は、
本人次第なのだ。
広くも狭くも好きに出来る。
高くも低くもあなた次第だ。
目をつぶれば壁は簡単にそこに立つのだ。
私の「隣人」とは誰のことでしょうか?
ユダヤ教の指導者が自分を弁護しようとして質問したエピソードは
ルカによる福音書10章25節から37節に。