「どんな時代と背景があっても、必ず残る良心」関心領域 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
どんな時代と背景があっても、必ず残る良心
世界史に残る大事件
それを題材にした作品
それ故、知識を必要とすると同時に当時の価値観との対比を考慮せざるを得ず、評価そのものは非常に難しい。
ドイツ国民が今でも抱えている集団意識
それは、自分たちの血に流れる「あのこと」への慚愧の念
そしてまたこのような作品によって、「そのこと」を掘り返さえるのだ。
それに加えてこの作品は、単に当時の日常が描かれている点が悩ましい気がする。
さらにそこに足された「象徴」
その意味するのは解らないではないが、現実と非現実的という壁が理解を難しくさせている。
2度差し込まれた暗視スコープ的映像
少女が土手にリンゴを産める行為
少女が舟にリンゴを入れ、スコップ置き場にもリンゴをばらまくシーン
その際少女はケースを拾うが、おそらくその中にあったのが「太陽の光」という代名の歌詞だろう。
これはユダヤ人の希望 届かなくても持つべき希望を象徴している。
当然少女がばらまいたリンゴは希望の象徴で、彼らに届いてほしい願い。
逆に、そんなことは物理的にはできない。
そして、
少女はヘスの家の使用人のマルタ
彼女は危険を冒してまでユダヤ人に一縷の望みを届けている。
そこに差し込まれるのがヘスが娘を寝かしつけるために語るお話。
この対比
タイトルには、生きる上での関心ごとがドイツ人とユダヤ人とでは全く領域が異なることを示しているようだ。
ヘスの妻はそこが楽園だと考える。
夫の転勤でその場所を離れることを断固拒否するほどだ。
息子たちは男だからか、自分たちの住む場所に違和感を持ってはいない。
しかし娘たちは日々不眠症となっているのがわかる。
それは、
ずっと聞こえ続ける銃声と怒号 悲鳴のような声によって影響されているのだろう。
妻へディの母がやってきたがある日突然去っていった。
彼女の置手紙は明らかにされていないが、見た目には楽園に見えても絶え間なく聞こえてくる地獄の叫び声に精神状態がおかしくなると思ったからだろう。
娘へディの関心ごとが裕福な生活であるのと同時に、絶えず聞こえてくる怒号に無関心でいられることが、母にはどうしてもできなかったのだろう。
ヘスは最後に最新式のガス室の構想を思いつく。
深夜 妻へ電話する
階段を下りる時に吐いたのは、彼にも愛する家族がいることで自分たちが何をしているのかを頭の隅で出来ている理解と両親の呵責、または罪悪感の様なものがわずかでもあったからだろう。
それが、
現代 アウシュビッツ強制収容所が資料館となり、そこを掃除する日常の画に切り替わる。
当時誰もが思ってもいなかったことなのだろう。
掃除する彼らに笑顔はない。
ドイツ人全体の贖罪感が漂っている。
たった一人暗い階段を下りていくヘス。
それは紛れもなく地獄へと続いている階段だったのだろう。
『ミルグラムの電気ショック実験』を思い出しながら見ました。
別名『アイヒマン実験』。
自分もこの映画の人物たちの人間性と残酷さは持ち合わせていて、他者から見るとグロテスクに思える事でしょう。
共感ありがとうございます!
重たいテーマですよね。。。
私の勝手な解釈ですが、妻は、収容施設で何が行われているか分かった上で、異動を嫌がっているのでは?と思っていました。
そこにいれば、「こ◯すことだけが仕事で、◯ろされる心配がない」、と割り切っている鉄の意志を内包していると。
断末魔の叫び以外に、煙や汚水の映像は、映画で伝えきれない「匂い」を暗示していたかなと。深読みしすぎの可能性あります(笑)。
あくまで、我流解釈なので気を悪くされないようお願いしますm(__)m