「ある意味無関心領域であることの絶望」関心領域 ジョーさんの映画レビュー(感想・評価)
ある意味無関心領域であることの絶望
アウシュビッツ収容所の周囲40平方キロメートル。ナチ親衛隊は、この地域を「関心領域」と呼んだ。
炎の轟音と人々の叫び声。収容所のすぐ隣に住んでいる所長一家は、毎日その音を聞いて暮らしている。
この一家は、その絶え間ない音に対して一切語ろうとしない。夜になって隣でゆらめく赤い炎を、けっして凝視しない。彼らにとって隣りは、表面上は完全に「無関心領域」なのだ。そこに底知れぬ絶望がある。
豪邸に住む所長の妻は毛皮のコートを洋服タンスに掛けている。しかし、そのコートが、実は隣の人々から身ぐるみはがしたものだと気づいた時、背中に戦慄が走った。
おそらく、彼ら一家はこの「関心領域」から一歩出ると、こんな贅沢はできないのだ。彼らの豊かさが隣の人々の遺品から成り立っていると認識した時、さらなる戦慄が走る。
妻はここを出たくないと言う。戦争が終わったら、この美しい自然に囲まれて農業がしたいと言う。
もしかしたら彼女は、この豪邸を、戦争が終わるまでの一時避難所と思っていたのだろうか。その間は豪邸に住む幸せな家族の幻想に浸っていたかったのだろうか。
夫は、実は明るい未来を描けていたのだろうか。ラストの彼の嘔吐は、絶望にさいなまれた嘔吐ではなかったのだろうか。子供たちの未来は、絶え間ない重低音と叫びのトラウマによってかき消されることはないのだろうか。
そんな疑問のさなかに突如映像が真っ白になる。時が止まり、耳ざわりな音楽と炎の轟音と人々の叫び声だけが聞こえてくる。
この空間に残された自分は、いつまでも無力に疑問に立ち向かうしか術がない。
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