クラブゼロのレビュー・感想・評価
全54件中、1~20件目を表示
カルト先生と孤独な生徒と間抜けな大人たち
いやいや、やばいでしょこの先生……早く何とかしないと……とモヤモヤし続けるこちらの気持ちがラストまで報われない、決して退屈ではないし考えさせられるがしんどい映画。作品紹介にはブラックユーモアを交えて描いたスリラーとあるが、ユーモアというより皮肉のような描写で、おかしくて笑える要素はほぼない。
制服やインテリア、建築物のセンスや色遣いの美しさ、それとワンコにどうにか助けられた。(ただ、終盤のリバースしたものをフォークで……はほんと勘弁……)
人が洗脳にはまる理由とは、また洗脳する側の動機とは何なのか考えさせられた。
序盤、ノヴァクの授業に集まった7人の生徒の中で、授業選択の理由に意識高い動機をあげず奨学金目当てと公言したベンが、あの空気感を打ち破ってくれる立ち位置なのかと思っていた。それがあっさり転向して、軽く絶望。
ベン以外の生徒のような裕福で意識高い系の人間が、極端なSDGs的教えに取り込まれるのかな、というこちらの先入観を早速打ち砕かれる。
そしてノヴァクの教えが「全く食べない」域に達した時点で2人脱落するものの、残り5人に刷り込まれたクラブゼロの思想は、ノヴァクがいなくなっても彼らの心から消えなかった。
そうした刷り込みが強固なのは、その根底に自分の存在を認めてほしいという欲求、連帯感への渇望があるからだという気がする。みんな寂しいのだ。
糖尿病を抱えたフレッドの両親は弟を連れて仕事で遠方にいる。周囲が裕福な家の子ばかりの中、ベンは母子家庭で奨学金を希望している。エルサやラグナの家庭も描写されたが、どちらも金銭的には贅沢な暮らしであるものの、成金趣味だったり意識高い系だったりしてなんだか息苦しい。
ラグナが密かに自販機の菓子を食べつつノヴァクに傾倒する態度を続けたのも、教えに共鳴したからではなく、あのクラスで優秀な生徒になれば先生や仲間に認めてもらえる、その絆に執着したからではないか。
ノヴァクの洗脳の方法は古典的とも言えるものだ。
生徒たちが従来当たり前にしてきたこと(食べること)に、一見もっともそうに見える極論で罪悪感を植え付ける(環境破壊などの罪)。その上で、今までの「罪」は「周囲の人間にさせられたこと」と責任を転嫁し、食べないことで「周囲の嘘に騙されず、自らが選択した正しい行ないをしている」という気持ちにさせる。こうすることで食事を摂らせようとする親は彼らの敵になり、クラスの絆が強まり、選民意識的なものが芽生える。
カルト教祖のようなノヴァクの気持ちは理解しづらいが、彼女もまた寂しさを抱え、洗脳が作り出す絆に依存していたのかもしれない。
カルトに取り込まれる人たちを愚か者と見なすのは簡単だが、愚かだから取り込まれるのではなく、寂しさが生んだ心の隙に忍び込まれるのではないか。それは誰にでも生じ得る隙間で、そこに現れたカルトの言葉が自尊心を満たし、孤独を埋めてくれるとしたら……宗教に限らず、現代ではネット上の言説などにもカルト的な影響を及ぼすものがある。そう考えると、とても身近で現実的な恐怖だ。
意識が高いはずの彼らの親たちや校長だが、ベンの母親を除き最後までノヴァクの真の危険性に気づかなかったのはある意味滑稽で、皮肉たっぷりの描写。
ジェシカ・ハウスナー監督は、ベンの母親も真実がわかっているのにそれを押し出して行けないところが滑稽だという。ベンの母親はちゃんと校長に直訴したし、あの父母たちに強く出られない気持ちも個人的にはわかるので、そこはあまり共感できない感覚だが、監督にとっては「カルトもクソ、それを止められない周囲の大人も全員クソ」ということなのだろうか。
最後のシーンが絵画「最後の晩餐」に似ていることを問われても監督は「そうでした? 『最後の晩餐』って何人いるんでしたっけ?」という反応。作品も監督も、なかなかの曲者だ。
地獄への道は善意で舗装されている
ジェシカ・ハウスナー監督の前作「リトル・ジョー」は、女性科学者が開発した幸福感をもたらす香りを放つ植物によって、周囲の人々に奇妙な変化が広がっていく話。今作「クラブゼロ」も、熱心な栄養学の教師ノヴァク(ミア・ワシコウスカ)が説く極端な食事法に、疑うことを知らない純粋な生徒たちがのめり込んでいく。どちらの主人公も人を幸せにする目的のため真摯に取り組む理想家だが、彼女らの善意がかえって人々を悪い状況に導いていく皮肉は、「地獄への道は善意で舗装されている」という欧州の古い格言そのものだ。
ハウスナー監督は同じオーストリア出身のミヒャエル・ハネケ監督に師事し、登場人物らが不条理な状況にじわじわと追い込まれるさまをブラックユーモアも交えつつ冷ややかに観察するように描く作風は、確かに師匠の影響を感じさせる。
一方で、「リトル・ジョー」での香り(嗅覚)や本作でのダイエット(味覚)という題材の選択、特徴的な建築を背景にした巧みな構図と服装などの印象的な色使い(視覚)、前作での雅楽のBGMや本作のマントラのような唱和(聴覚)といった五感の鋭さと繊細さからは、独自の作家性を確立しようとする意志がうかがえる。
ただし前作と比較するなら、非現実的な話を観客が受け入れやすくなるような“フィクション=嘘”の提示が弱いのが難点。「リトル・ジョー」では、脳に影響を及ぼす花粉を放出する新種の花を、視覚効果を用いてリアルに描いていた。だが「クラブゼロ」では、絶食が多幸感や高揚感をもたらすと説かれるものの、実践した生徒たちはまったく痩せないし(若い俳優たちの健康に配慮し、メイクだけで表現した)、スポーツやピアノ演奏などでパフォーマンスが落ちることもない。身体と脳の日常的な活動でもカロリーを消費していることが一般常識な昨今、「食べずに健康を維持できる」という大嘘をもっともらしく見せるようなSF的な設定や超自然的な力の存在を描いていたら、納得感が高まった気がする。
メシ喰うな!
妙にお洒落でテンポの悪い寓話。
支配と服従を語る上で、ノヴァクの威を借る思春期連中の描写はわかりやすく丁度良いのだが、いかんせん映画としての驚きに欠ける。
ハイセンス画角にこだわり過ぎて狂気が無い様に思えた。
信仰や依存は、今までの自分を捨てて何者かになれたかの様な高揚感を生む。人間は多幸感の前では余りにも無力。
俺の存在を頭から否定してくれ!
良薬?口に苦し
周囲の無理解への怒り、
批判されると反発してさらに信じ込み、
最後は憐みの優しい眼差しになる、
という洗脳の過程が完璧に辿られます。
また、インテリアや服装など統一された配色、
旋律の希薄な単調なリズムだけの原始的な音楽など、
人間らしさの一部でもある雑然とした感じやムダを排除しつつ、
皮肉な視点の画面構成、グロい食事風景、
もう気持ち悪さ、不快感がすごかったです。
とはいえ、ここまで徹底した描写は、表現の境界を攻められる映画ならではで、
メンタル、生理的にネガティブな揺さぶりをかけられるのも
偶には貴重な鑑賞体験なのかもしれません。
過剰な正しさの追求の弊害、宗教的な幸福とは何か、
人間の生物としての存在意義、とか
いろいろと社会批判的なメッセージを考察したくなる暗示が
単なるブラックホラーに留まらず、映画を魅力的な印象深いものにしていると感じました。
「オートファジー」
今年289本目。
新宿武蔵野館で。オートファジーの作品。空腹だと細胞が活性化する。2016年に大隅良典さんがノーベル生理学、医学賞を受賞した分野。本でよく16時間のプチ断食を推奨していますが普通の人には無理、10時間位ならブラックコーヒーだけで試した事があります。エンドロールどう撮っているんだろう、☆0.5プラスになりました。
典型的な北欧作品
まさに北欧映画らしい作品。終始気味の悪さ不快感を与え続け結局最後もバッドエンドの胸糞悪いストーリー。
洗脳をテーマにした作品だが、巧みに導く姿を描くというより子供たちが洗脳された状況でどうする事もできずただただ悪い方向に一直進していく姿を淡々と見せつけられる。
鑑賞者も少しは洗脳されるような巧みに破滅に導くストーリーみたいなのを期待してたがその辺りは全くなかったのは少し期待はずれ。
まぁ洗脳にはいろんな形があるけど、結局の所環境下が大切な事を強く思い知らされ、いつで誰しもが被害者になり得ることを知らされる。
雰囲気としてはA24っぽい作品ではあるが内容は典型的な北欧作品。
北欧作品が好きな人には勧めたくなる作品であり個人的にもまずまず楽しめた作品であった。
ポップコーンは持ち込まない方が…
意識的な食事を指導し生徒達を心酔させて行く栄養学の教師を演じるミア・ワシコウスカ
シュールさ満開なハマり過ぎの表情と演技に意識が集中!
個人的には正直ヤマなしオチなし意味無しの
やっちまった系ジャンルか…な印象でしたし
一週間近く経ってもあの不気味な「むぅ〜むむぅ〜む🎶」が頭から離れないのでございます
ゲ◯シーンは不快感がマックスに押し寄せるわぁだし💧
子供達の不審な変化にすぐに気付かず
心も身体も健康でいられない子供達を育ててしまった親達も胸糞だし
ただ裕福な家庭の子供達の住む家は全てがキチンと整いカラフルな色彩の家具や何だかよく分からないけど😆興味をそそる手の込んだ食事…
肌にフィットする鮮色やパステルカラーのミアの装いや生徒達の制服のオシャレ偏差値は抜群にいい!男子のハイソックスがめちゃキュート!
途中退場されていた方もいらっしゃいましたが
奇妙な感情ががひと回りして蘇ってくる様な
クセ強で異色なスリラーでございました
…ただこんな作品の後でもしっかりお腹は空いてデッカいドーナツを美味しく頬張りました!
いろんな角度から見られて面白い
カルトの怖さや滑稽さが描かれている点で「ミッドサマー」やランティモス諸作のようでもあり、
食べないことが体制へのプロテストに結びつく点でハン・ガン「菜食主義者」のようでもあり。
「食事への過度なこだわり、金持ちの道楽としての」を笑っているかと思うと、最後「信心」ということばが出て来てエンドクレジットが「最後の晩餐」の構図になってたりして、ひとすじ縄ではいかない、なかなか知的な映画です。
音楽が個性的で面白い。ピアノ発表会で女の子が弾く変な曲、最高!
終盤、食事に関して思わず目を背けるほどグロいシーンがあり要注意。
ハリウッドを離れたミア・ワシコウスカが素晴らしく、彼女がカルトリーダーなら若者が付いていくのも仕方ないと思わせる。
これ、どうやって撮ったの?
めっちゃありそうな話。
カルトにはまっていくんだけど、その過程が思春期にありがちな、コンプレックスやプレッシャーや孤独、からのー、摂食障害(本人たちは多幸感)
最初から最後まで気持ち悪い。たしかにブラックユーモアの現代ホラー(摂食障害の女の子の母親がダイエットしてるとかね)
それはそうと。
痩せていく少年たち、どうやって撮ったのか途中からそれが気になって。明らかに初めと顔つき違う。メイク?CG?
Eat Me
飯を食べない事が健康の第一歩的な触れ込みで、まずそんな訳ないじゃんと思いながら観ましたが、想像以上にカルト的な方向へ進んでいったので困惑しながらの鑑賞になりました。
食事に何やら悩みを抱えている生徒たちが赴任してきた教師に倣って意識的な食事をしようとしていたのにだんだん不穏な雰囲気になっていく…といった感じでまさにハマるとヤバいクラブのキャッチコピーに嘘偽り無しでした。
ただそれが好みの面白さになっていたかというと微妙なラインで、生徒たちが少食な理由を親に話さないからどうしてもトラブルが起きてしまうし、親もそれに対して気付けないのかともなってしまいましたし、どちらもコミュニケーションが不器用なのが祟ってしまっていて、その弱みに漬け込んだ教師の戦略勝ちでズルズル洗脳していくもんですからある種家族ものの成れの果てなのかなと思いました。
摂食障害の描写は中々にキツく、少しの食事でも嘔吐してしまう、一度リバースしたものをまた口にする、食事が好きだからこそ嫌悪してしまう部分もありつつ、こういう症状を持つ人も実際にはいるんだよなと関心を寄せるきっかけにもなったのは良かったです。
最初から最後まで先生の計画通りに進んでいくので、物語的な起伏は薄く、大人たちの滑稽さが際立ってしまったがゆえに個人的には歯痒い感じ止まりでした。
金無しですが美味いもん食って生きたいタチなので、あのポテトは山盛りいただきます。
そして今日の晩飯はツナマヨうどんなので腹が空いてます。
鑑賞日 12/11
鑑賞時間 12:00〜13:55
座席 F-1
BRAINWASHER‼️
キモキモグログロ🤮キモキモゲロゲロ🤮🤮🤮
(初めて観るタイプのグロに目を背けるほかなかった……)
映画鑑賞直後の印象は、★3.4。
自分もEXTREMEな食生活に走った経験があるから気持ちはわかる。でも今の学生たちはあたしの頃と比べて情報過多というかフェイクも含まれる過剰情報の世の中で何が正しく、何が誤りで 、また何が自分に合うのか合わないのかを判別するのが難しくなってると思うから生きるのが大変だと思う。
結局この映画があれこれ考える触媒となってるからただの気持ち悪いスリラーではない問題提起作だったんだなー、と考え改め、★3.8に。
『食べ方の異常』を大人たちがアレコレ言うけど、ベンのお母さんが外出する時は黄色を身にまとう『謎のこだわり』とか先生と生徒が一緒にいるところをみたという事実が一人歩きして『風評被害の温床』となっていたり、世の中にはよくわからないけど何かおかしいが溢れてるのに自分に都合の悪いことには蓋をする。
表向きはconsious eatingの必要性を謳ったヤバいクラブの話。
でもよくよく考えると、クラブの内部と取り巻く外部環境は一般的な政治/社会の縮図のようなものに思える。
いずれにせよ気持ち悪っ😅
分かるけどねえ
ストーリーはわかるんだけどねえ、といった感じ。
初期設定で生徒の皆さん痩せてるし、先生はがりがりじゃないし。
絶食って、リアルにきついしぼっとするしで、そこは表現してもらわないとね。
それでも、これ日本のホラーでとったらすごく面白くなったんだろうなあとか思った。
カルト宗教団体
ノヴァク先生のどこかヤバそうな人という異質感が終始気味悪かった。
生徒達がだんだんと洗脳されていく様が、見ていていたたまれない。
最初は食事法なんかに全く興味も無さそうだったベンですらあっさりと染まっていく絶望感。
最後、生徒達は集団自殺でもしたのか、もしくは先生と一緒にクラブゼロの施設に移っていったのかな?
ノヴァク先生の目的や、自宅の祭壇で「母よ」と祈っている対象の正体が最後まで意味不明で、そこがまた不気味だった。
先生はあくまでクラブゼロの会員だから、組織の中には幹部とかもいて、
作中に描かれていないもっと壮大な宗教的思想があるんだろうな。
カルト集団の怖さを描いていると思った。
クラブゼロの内部を描く続編があれば観てみたい。
クラブゼロの笛吹き女
まさかのクリスマスムービーでした。
導入段階でのノヴァクの教えは何の問題もない。
必要以上の摂取を控え、身体に悪いものを避けることで、環境にも自己の心身にも良い影響がある。
断食についても、期間や手順など正しいやり方であれば本当に効果的だと聞いた。
しかしこれを段階的に極端な方へ、しかも悪意なく導いていくところが非常に厄介。
まぁ実際、“餓死”という無数の前例を意志の力ひとつで覆せるハズはなく。
親たちは頭ごなしに否定せず、放置した上で管理下に置いておけばよかっただけだとは思う。
(ぶっ倒れたところで栄養点滴ぶち込んで、説得)
親として難しいとしても、全家庭あれはちょっとなぁ。
この辺は宗教よりは簡単に感じもするが、盲信相手には無力というのは共通したところか。
シュールな笑いも嫌いじゃないが、後半よく分からない要素が増えてきた。
グレンがチョコバー食べてた件はほぼ触れられない。
そのグレンとキス寸前までいったフレッドは、何事もなかったようにノヴァクとキスするし。
教えを拡大解釈して「母親をガンにも出来るし午後に雨を降らせることも出来る」とか言うエルサが怖い。
ベンの急転換は逆にリアルなのかなぁ。
フェードアウトしたと思ったヘレンがラストカットで重要な役割を担うのは上手かった。
エンドロール中まったく身じろぎしないのも凄い。
(合成かと思ったら、まばたきはしてた)
構図は最後の晩餐っぽかったけど、そしたら2人足りないし、意味深にずっと映して役者さん大変だなぁ。
食事シーンはなかったけど、ノヴァクは本当に食べてないの?
後味の悪さが堪らない魅力
持続可能な社会を目指し、健康的な生活をするためにも、食生活を変えなければいけないというのはある意味で事実。しかし、それも突き詰めすぎれば、健康的な生活を阻害するし、生きていくことの喜びもおかしな方向に行ってしまう。
寮で暮らす子供たちに、「意識的に食べる」ことを推奨し、やがて「食べないこと」にエスカレートさせ、社会や家族から引きはがし、現代社会や親こそが間違っていると刷り込むことで、生徒から信者に変えていきます。
この物語に明確な解決はありません。正しいことと正しくないことのグラデーションの中で生きていく人間にとって、どこで立ち止まるべきか判断することはなかなか難しい。
本作でノヴァク先生が主張する内容を嘲笑することも可能でしょう。しかし、その態度がまた地球や子供たちの将来をより悲惨なことに繋げかねないわけで、我々は決して目をそらしてはいけない作品の一つだと思います。
全54件中、1~20件目を表示