「劇中劇という構造」アステロイド・シティ 舌芸さんの映画レビュー(感想・評価)
劇中劇という構造
アステロイド・シティという一世を風靡した演劇をテレビ番組で司会者が紹介する…という構成の映画。いわゆる劇中劇で、テレビ番組の世界は白黒、アステロイド・シティの世界はカラーという演出で明確に区別される。
とはいえ、ほとんど全編アステロイド・シティの世界で、テレビ番組の世界は要所要所に数分放り込まれるだけ。しかし正直に言って、この数分が映画としての没入感を薄めてしまったと思う。
話の展開ごとに白黒のテレビ番組の世界が挟まれるため、大部分を占めるアステロイド・シティの世界で何が起こっても、これはフィクションなんだよなと変に分析的に捉えてしまうのだ。だから、本来コメディとしては一番盛り上がるはずだった宇宙人が出てくるところも、そりゃフィクションなんだからこれくらい大げさになってもおかしくないわな、と思えてイマイチ笑えない。
そのぶん、白黒のテレビ番組の側の世界に、何か重要な意味があるのではないかと期待する。喩えるなら、アステロイド・シティの世界で起こることが、漫才でいうところの「フリ」であり、「オチ」は無意識にテレビ番組の世界の方に求めてしまうのだ。しかし、結論を言ってしまうとテレビ番組の部分では笑える部分があまりなく、かといってアステロイド・シティで起きたことの説明として十分に機能するわけでもなく、宙ぶらりんのまま映画が終わってしまった。
もしかすると、映画として観るべきはアステロイド・シティの世界ですよ、ということを強調するためにテレビ番組の部分を白黒にしたのかもしれない。普通に考えたら時系列的にはアステロイド・シティの世界こそ白黒であるべきだし。けれど、そうなのであれば最後のテレビ番組の世界における「出演者が突如として「目覚めたければ眠れ」を連呼するシーン」は不必要だったような気がする。あの意味不明かつ強烈なシーンのせいで、その後アステロイド・シティの世界で起きたことを冷静に観てしまった。
総じて、劇中劇という構造にする意味がいまいち感じられない映画だった。いっそのことアステロイド・シティを現実の世界として描いてしまうか、劇中劇として描くにしても現実の世界を最初の数分だけにしてしまった方が面白く鑑賞できたと思う。
ウェスアンダーソン監督のオハコである「一つ一つのシーンの視覚的な美しさ」は今作でも健在だったため、それを観る目的であればオススメできないこともない。