白鍵と黒鍵の間にのレビュー・感想・評価
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どこかデタラメな世界観のゆらぎにハマる。
劇中でも重要なキーワードとして使われているノンシャラントという言葉に象徴されているように、すっとぼけて人を食ったような、ロジカルよりもスウィングやノリを優先したような、シュールな迷宮コメディになっている。印象としてはスコセッシの『アフター・アワーズ』が近いかも知れない。
3年の時を隔てた主人公が同じ時空に存在していて、なんだかパズルのような構成になっているが、謎解きをしてもしょうがないというか、なんだか不思議なことが起こっているのに誰も気にしていないこの世界をそのまま受けれて観ればいいように思う。
特にナイーヴな若者を背負うことが多すぎる池松壮亮が、一人二役(いや三役であり、結局は一役でもあるわけだが)で、ナイーヴから引き離されていく役を演じているのもよい。取り囲んでいる世界が歪んでいると、俳優の新しい顔が見えてきて面白いです。
洞口依子映画祭2
同学年の女優洞口依子さんがご自分で企画されている映画祭、本当は前日の「ドレミファ娘の血は騒ぐ」が見たかったのだが予定があり本作を鑑賞。デビュー作である黒沢清監督の「ドレミファ娘」は記憶に残る快作かつ怪作であり、当時当方が監督した自主映画にも影響を受けたシーンもあった。洞口さんは以降ずっと継続的に出演作を重ねられ、今般話題となった真田広之のSHOGUNにも出演されているが、やはり映画祭ポスターにもなっているドレミファ娘のイメージが鮮烈である。
本作の感想としては、面白い構成とストーリーだが快作とまではいかない感。弱点は助演陣か。ヤクザの親分が銀座中が恐れる様には全く見られなかった。また森田剛も親分と顔を合わせると面倒なことになる、と周りが恐る様なムードは全く感じられないし、そこまでの抗争感は全く描かれない。1980年代はバブル期、1950年代の設定なら行けたのかも知れないが映像と時代感覚が合わない。池松壮亮の演奏や美術映像音楽が頑張っているだけに残念。
不条理劇なのかにゃー
ええっ、よくわかんなかった。
池松壮亮、一人二役?と思って観てたけど
実は同一人物で、
森田剛のからみのところだけ時空が歪んでいるとか?
でも南博って名前が演奏でエンドロールに出てたし
実際に南博っていうジャズピアニストが書いた原作があるみたいで。
若かりし頃の思い出を、脚色してアレンジした映画?
「白鍵と黒鍵の間に」って、なんかもっと感情に訴えてくるようなことを
期待しちゃうタイトルだったけど、コメディなのかな?
池松壮亮はよかったゾ。
ノンシャラント
ジャズピアニスト南博の若かりし頃の回想録を基に銀座のライブハウスやキャバレーでの修業時代をSFさながらのタイムリーブで描いた、単純だけど分かり難い風俗ドラマ。
博は高校生の頃師事していたピアノ教師、宅孝二から、演奏が硬い、もっとノンシャラント(滑らかに)にと言われ、身につけるにはクラブで演奏すれば良いと勧められライブハウスに務めることになり、物語の始まり・・。
客は騒いでいるばかりで誰も演奏には耳を貸さないし、ご執心なのはヤクザ連中という設定、自虐的に所詮、俺らは飾り物、そこらに置いてある花瓶と同じと落ち込んでいたが博はジャズの本場アメリカ留学を目指します、この辺が実話っぽい。
水商売が舞台だから会話が下ネタばかりで下品なのは仕方ないが役者がうまいのか地なのか妙にセリフがハマっていて不快になりました。
やくざの揉め事が絡みますがサスペンスでもなくダラダラとキャバレー修業を描くだけ、見どころは演奏シーンかというとそうでもなく文化祭レベル、ピアノ演奏もプロではなく主役の池松壮亮自身だから、偉いなとは思いますが感動するほどではありませんでした。
まあ、ジャズを志す若者には多少、勉強になるのでしょうが普通のおじさんにはどうでもよいエピソードばかりの風俗ドラマでした。
シリアスな感じかと思いきや
意外にコメディ。二人出てきた時点でよく分かんなくなって、あ、海外に行くから影武者になるのかなーと思いきやそうでもなくて、なんかよく分かんないまま終わった笑
不条理劇、的な??最後はファンタジーで終わりました。。録音時のセッションは素晴らしかったです。
音楽シーンをもう少し期待してたのですが
何となく、雰囲気よさそうで素敵な音楽が聴ける映画と思って観に行きましたが、どちらかというと裏社会のほうにピントが合っていて、結果イマイチでした。
もうちょっと音楽寄りにして、普段聞かないジャンルの音楽を堪能しつつ、映画も楽しみたかったです。
森田剛の演技がよかった。
ストーリーに関しては叙述トリックのようなもので、少し、理解に時間はかかるが、
問題は、演技の方。 森田剛以外の演技が残念だった。
池松壮亮目当てで映画を見たけどうーん。って感じだった、
仲里依紗は、ポスト竹内結子にいけるなぁって印象だった。涙のシーンはよかった。
でも、よくわからないアメリカ風のリアクションって言っていいのか、
肩をすくめるみたいな...あれ、はお笑い芸人にネタにされそうだなぁ...って。
出だしの演技はよかったけど、中盤後半に進むにつれて、
不自然というか...クライマックスノ昭和のキャバレーでジャズを流したとして、
あんな音楽のノリ方するのかなぁ...。 仲里依紗のギロとか笑っちゃった。
言い回しも、昭和のキャバレーの取材不足感が否めなかった。
ヤクザも、昭和のヤクザ感なくて残念。 全体的に取材足らずというか、
小説を実写に置き換えた時の、文章にない部分の補完が残念だった。
いいシーンは、たばこを吸うシーンかな..
博と南のノンシャラント
odessaで鑑賞(odessa EDITION)。
原作は未読です。
池松壮亮演じるふたりの登場人物(あるいはひとり?)の一夜の人生が交錯する。虚実入り乱れているのか、時系列がごちゃまぜになっているのか判然としない不思議な映画でした。
あらすじを読み、博が「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏したことで血まみれ必至の目に遭うのだと思っていましたがそう云うわけでは無く、勝手に肩透かしを喰らいました。
どちらかと云うとそう云う目に遭ったのは逆に大丈夫そうな南の方で、これは意外性があって良かったです。その後の展開はファンタジーみたいで幻惑され、少々面食らいましたが。
ノンシャラント。劇中で日本語にするのは難しい言葉だと言っていましたが、要は自由奔放に、想いのままに奏でよ、と云うことかと…。本作の物語もジャンル分けの難しい奔放さがあって、これこそまさにノンシャラント。逆に言えば散漫であると云う印象にならざるを得ず、すっきりしない後味でした。
[余談]
音響を特別に調整したバージョンと云うことで、ピアノの旋律やクリスタル・ケイの歌声など、音質が良く素晴らしかったです。聴いていて心地良い気分に浸りました。
ジャズとファンタジー
自分が住む地域では公開が遅く、やっとの事で見に行けた作品でした!
主人公はいつの時代の彼なのか?片方がタイムスリップしていて、同じ世界に今いるの?等、何故2人が今一緒にいるのかずっと考えながら見ていました。(結局は別々の時代で同じ世界のように見えていただけ)
分からないなぁと思いつつも、昭和の当時の世界観には憧れもありとても楽しかったし、ゴッドファーザーを弾いてはダメというのも面白かったです。(ヤクザが関わると言えば……という有名な曲なので分かりやすかった)
皆とのジャズセッションは、今までの分からないが吹っ飛ぶくらい心地よい気持ちになり、少しでも当時に浸ることが出来た気がしてウルっときました。
最後あたりのシーンは演劇チックっぽくてある意味面白かったなぁと
キャラも個性的で面白かったです。昭和の時代だからこその、人との関係性の大事さが凄く伝わりました。
「あいつ」の存在が半端なかったです。奥深さまで染みる怖さでした。
最初は難しく感じましたが、ジャズと昭和の世界観とファンタジーって凄く合うんだなと思いました!
時間があっという間でとても楽しかったです!
1988年、年の瀬近い銀座。 昭和で言えば63年、もう昭和も終わろ...
1988年、年の瀬近い銀座。
昭和で言えば63年、もう昭和も終わろうとしている頃。
銀座のキャバレーで法被にお面姿でピアノを弾いていた博(池松壮亮)は、謎の男(森田剛)から「ゴッドファーザー 愛のテーマ」のリクエストを受ける。
これまで銀座で働いたことのなかった博はその曲をリクエストしていいのは界隈を牛耳るヤクザの会長だけで、弾くことが許されているのも、会長お気に入りのピアニスト・南(池松壮亮(二役))だけということを知らなかった。
ので、博がくだんの曲を弾いてしまったがために銀座界隈は大混乱・・・
といった物語。
ポスターデザインや予告編から「かなり格好つけたジャズ映画」といった先入観があるのだけれど、映画が進むうち、「ありゃりゃ、これ、そんな格好つけ映画じゃないんじゃない?」「というか、むしろコメディ?」と思い始めました。
まぁ、昭和63年、昭和天皇が病臥に伏していた頃で、そんなときに法被にお面のキャバレーでもなかろうに・・・と思ったのは鑑賞後だとしても、バブルは弾ける前、とはいえ先述の理由で明るくすることもできないという、いま思えば、まことに厄介な時のことで、そんな時代のエアポケットに入ったかのように、劇中の時間軸は歪んで交差する。
お面のピアニスト博は、まだ師匠(佐野史郎)に付いて修行中の身。
ジャズピアニストになりたいという博に対して、「この国にはジャズのズの字もありません。ノンシャラントに弾かねばなりません」といって「ノンシャラント(=平然と無頓着に、のほほんと)」にピアノを弾き、最後は「チャンチャカチャンのチャンチャン」と弾いてオチを付ける。
そして、「ジャズが知りたければキャバレーです。キャバレーでお弾きなさい」と言われたのを真に受けたのが3年前。
で、一夜の騒動があって、南となったわけで、銀座のバンドマンになった南だがジャズピアニストになる夢は捨てきれず・・・と。
いやぁ、後半になればなるほど映画の猥雑さは増し、「ズンドコ節」が出るころには、完全に狂乱状態(あ、このズンドコ節、その後の伏線・暗喩ね)。
この時点では、もう大笑い必至・・・なわけなんだけど、他の観客のみなさんは引いちゃったみたいで、笑い声ひとつ聞こえず。
先に挙げた役者さんたち、いずれもいいが、バンマス役の高橋和也が、ノンシャラントな感じたっぷりでとりわけいい。
観終わって思い出したのは、マーティン・スコセッシ監督『アフター・アワーズ』『救命士』、スタンリー・キューブリック監督『アイズ・ワイド・シャット』。
一夜の混乱、まぁ、これもジャズよ。
題名、ポスター、予告編のイメージと違いジャズや音楽に比重を置いた話ではない。
題名が「白鍵と黒鍵の間に」。ポスターにはピアノをを弾く池松壮亮とサックスを吹く松丸契。コピーが、「人生の隙間を音楽が埋める」と「人生が交わる”一夜”のジャズ・セッション」。
予告編はジャズ調でおしゃれな雰囲気。
しかしポスターと予告編の印象と違いジャズ、音楽に重きを置いた作品ではなかった。
それでも後半会長が歌いだすまではいい雰囲気だった。
だけど、そこからビルの谷間の話まではまさにノンシャラントって感じだ。
1988年(昭和63年)のある1日に、3年前の南博と現在の南博がいるひねった設定が分かりずらく回想でもいいと思った。
鑑賞する前に予備知識としてレビューと公式サイトの解説動画を見たが、それがなかったら混乱して分からなくってたと思う。
予備知識がなくても集中して見てれば気が付くように作ってあるようにも思えたが、多くの人が途中でこの設定に気付くかどうかは分からない。僕はきっと気付かなかったと思う。
最後の池松壮亮、高橋和也、クリスタル・ケイ、松丸契のセッションは良かったけれど、デモテープ作るために忘年会早めただけなので、物語絡みのセッションで盛り上がって感動という感じではなかった。
「白鍵と黒鍵の間に」 を隠喩と見るなら、白鍵と黒鍵は、未来に夢を見る博と現在の夢を見失った南で、その間には銀座でバンドマンとして過ごすうちに流れた3年の月日が有ると言えるかもしれない。暗喩とするなら、そのほかにも色々いえるかもしれない。
nonchalant
ウッドベースの重低音から始るオープニングは、ラスト前の銀座の"奈落"と対を成すゴミ捨て場の暗い、そしてハードボイルドなノワール映像である
今作も又変化球な構成であり、原作の描いている年数をギュッと夜から朝に掛けての話に凝縮し、主人公の登場と退場を別に分けつつしかし時間軸を同時に進行して演じられるかなりのトリッキーな構造を用いる
紹介文では、池松壮亮一人二役という文言だが、これが却って観客に混乱を来たす元凶になっていると思う あくまで一人分の役(オルターエゴというらしい)なのだ 銀座で未だ燻っていた頃、そして銀座から足を洗い本格的に海外に飛び立つ決意を持った日、それが昭和63年の暮れも押し迫った一夜に交差する設定なのである しかし、その他の登場人物はそれぞれの主人公を切り分けて対応しているという摩訶不思議な交わりになっているため、回想シーンとは違う、強烈な惑いの演出として進行していくのだ
主役の姉弟子の各対応は、多分その時代をシームレスに描いているのであろう かなり混乱したのだが、しかし段々と終盤になるにつれ、観方のコツを掴んできた
自分が成人の年の銀座界隈はバブルで酔っていた時代であり、とはいえ、昔のような雑多さは落ち着き、シックでモダンなクラブが沢山軒を並べていたのだろう ビルの地下から最上階迄ビッシリと収まっていた飲み屋はそのクラス分けによってピンキリである 勿論、自分が暖簾を潜った事も無いので伝聞だ
前半の『バード』の台詞と、呼応するように『チャーリーパーカー』のジャズ話 物語のキーワードは題名の通り"ノンシャラント"の謎の用語 これを会得しなければ師匠から指摘された"足りないモノ"を埋められない そんなマスターピースを探す為の"銀座"なのである
出演者がどれだけ楽器や歌を実際やっているのかは不明だが、池松のピアノ、クリスタル・ケイや川瀬陽太の歌等は実際奏でていたであろう 折角、男闘呼組でギターやっていたのだから、高橋和也は弾いていたのか何方か教えて欲しい
さて、話の筋はどんどんカオス化していくし、ジャズなのか、歌謡曲なのか、はたまたヤンキー車のサイレンの代名詞『ゴッドファーザーのテーマ』なのか、そんな坩堝が渦を巻いて登場人物達を翻弄していくシナリオも、それこそ主人公の口癖じゃないけど「一体何を観せられているのだ・・・」的なクエスチョンの渦が脳を支配し始める 勿論、今作の白眉である、デモテープ作成のスタンダードジャズ『Nobody Knows You When You're Down And Out』のアンサンブル演奏は、あのバブル期に"花瓶"だった自分達の存在が初めて檜舞台に登ったシーンだ そしてそこから怒濤の困惑の流れと堕とされる そして凶器のカセットレコーダーと死体と共に奈落へ突き落とされる主人公 マジックリアリズム的演出は観客を二分する 自分はこの混沌が大好物だがw 死体まで説教され、その奈落から外に這い上がれない主人公は、そこで未来を掴めなかった側の自分と対峙する そして乞食である自分が藻掻きながらブレイクスルーする先は母親とワクチン証明書代わりの母子健康手帳 晴れて喫茶店ではない"ボストン"バークリーに留学に挑む主人公の手にはデモテープ
次の日の、もう1人の自分は銀座でキャバレーからクラブへ戦場を替えてスタートを挑む姿が晴れ晴れしく銀幕を彩る
奇妙でしかし挑戦的、まさにアート作品と称賛したい作品であった
PS.別批評で、ギャグの間が悪いということが指摘されていたが、コントではなく映画なので、ポンポンとリズミカルに演出しないよう敢えて"ノンシャラント"の様でのスピードの緩急を恣意的に色付けしたのだろう それも立派な個性である
Smorzando
音響の良い劇場で鑑賞。3連休最終日とはいえ、まさかのお客さん0のところに自分が飛び込むという初週では珍しいなと思いながら鑑賞。
いやー…絶望的に合わなかったです。演奏&歌唱シーンは良かったんですが、それ以外はもう本当にダメダメ
予告でも少し流れていた演奏シーンは本当に素晴らしくて、池松さんのピアノの手捌きは凄いですし、Crystal keyさんの伸びやかな美しい歌もとても心地良く、それまでの微妙な雰囲気をガラッと変えてくれました。これが聴きたかったんだよなというのが詰まっていました。
ただその後会長が歌い出して一気に萎えました。きっとピアニストもシンガーも客も全員萎えてたと思うので、このシーンの共感性は抜群だと思います。
突っ込んだら終わりだと思いますが、ゴッドファーザーをリクエストしたら殺されるってどんな界隈のヤクザなんだ?と疑問を持ってしまったのが最後でした。
会長と出所直後のヤクザがリクエストの有無で揉めるしょうもないシーンでのガチガチしながら刺して叩いて刺して叩いての構図はもはやギャグであってほしいと思うぐらい滑稽でした。
ラストでファンタジーな世界にしたのもこれまた意味不明で、良い方向には一切傾かず、悪い方悪い方へと進んでいってしまい、目から花が咲いてもこっちからしたら困るだけでした。地面に突き落として蘇りが何だか分からないシーンもほんとノイズでした。
池松さんが一人二役を演じる必要性も全く感じられず、むしろ物語をややこしくしてしまっていて頭の中はグチャグチャでした。
東京テアトルの作品とはどうもここ一年相性が悪く、今作も例に漏れずって感じでした。音響を売りにするにはとても拙いです。残念でした。
鑑賞日 10/9
鑑賞時間 20:55〜22:35
座席 A-8
青春と旅立ちの狭間
1988年代銀座のキャバレーとクラブの3年間
ジャズピアニストを目指す南博。
時空をかなり織り混ぜている演出。
上京仕立ての3年前の博、明日からアメリカに
旅立つ前夜の南のミックス。
途中で分からなくなるが、頭で整理。
当時クラシックからジャズを学びたい博は
銀座のキャバレーで不思議な服装とお面で
ピアノの弾く。演奏者の曲なんて誰も聴いてない有り様。歌謡曲を弾くように言われ、仕方なく弾く。ヤクザの親分登場と退場の時もゴッドファーザー~愛のテーマも弾かされる。
キャバレーでは絵描き、他ジャンルの演奏家など
様々な事情で働いている。
理想の働き口と現実と葛藤、アメリカへの憧れ。
博も南も『俺は一体何をやってるんだ、ここから抜け出し、もっと良い所に行く』ずっと呟いてたね。
出発前の3年間の錯綜されたドタバタ感の真情
が効果音と共に伝わってくる。
色々な間に挟まれ、目の前にある扉を出入り
しなくてはならない状態。
森田剛さんの渋い声と不気味な怖さと松丸契の
サックスは好かった。クリスタル・ケイさんの
歌声はずっと聴きたくなるよね。
アメリカに渡り、少し硬かった南博さんは
ノンシャランな演奏と気持ちを学んだ事でしょう。
夜の銀座に響く鍵盤の音にちょっとノンシャラントが過ぎた感じがしなくもない作品です。
ジャズが好きなので楽しみにしていた作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…ちょっと思ってたのと違うかな。
惜しいと言えば、惜しい。
池松壮亮さんが一人二役で時間軸の違うそれぞれの役を演じてますがちょっとややこしいので、鑑賞前に前情報が無いと頭が追い付かなくなる。
変化球でもあるし、ファンタジーテイストがある不条理劇でもあるのでそこをどう受け止めるかによるかと。
個人的には予備知識無しのポスタービジュアルだけのイメージだけで鑑賞して、結構ハードルを上げて観たからなんですが、もっとハードボイルドな感じで、1986年に公開された角川映画の「キャバレー」のようなイメージかなと思っていたら全然違いましたw
銀座らしからぬ場末感漂うキャバレーでの懐メロの生演奏から始まるスタートは期待感満載で自身が求める演奏のチャンスをひたむきに求める博と夜の銀座界隈でピアニストとして顔になりつつある南。それぞれのジャズの入り口と出口が夜の街、銀座に垣間見得る。良い感じで進んでいくんですよね。
銀座と言えば高級クラブが軒を連ねる街でジャズのスポットも沢山ありますし、近くには「コットンクラブ」なんかもありますが、どちらかと言うと銀座より西側の方が東京はジャズ色が強く感じて、銀座はジャズに関しては些か「硬い」イメージ。
ただ、東京を代表する夜の街で屈指の高級繁華街。様々な権力者が闊歩し、ジャズの色を変えられていくには相応しい街でもあるかと。
様々な癖のありつつも味のある面子が織り成す銀座のジャズナイトは時間を追うごとに深みに入っていくんですが中盤辺りからコミカル要素も入りつつ、まあこれもジャズとしてはアリアリと思いながら、だんだん脱線していく感じ。
途中から“…これって脚本は三谷幸喜さんじゃないよね…”と思ってしまうくらいに群像劇にコミカル要素が強く感じていくんですよね。
もちろん、締めるところは確りと締めているので完全コメディにはならないんですが、それが逆に中途半端にも映ってしまう。
もう少し、ジャズの持つビシッとしたイメージを醸し出しても個人的には良かったのではないかと。
そうしないと森田剛さん演じる“あいつ”がコメディリリーフになってしまうんですよね。
様々な個性豊かな顔ぶれの中でも個人的には三木役の高橋和也さんが良い感じ♪
あと、クリスタル・ケイさんが出演していだけでジャズの薫りが漂うのは流石です。
中盤からのコメディ感はまだ良いとしても個人的には劇中でキーとなる「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を許可なく演奏したと言うことで南が銀座の顔役、熊野に詰められるところから、どうも終わり所を間違えた気がするんですよね。
変にいろんな意味や意図を孕んで伸ばした感があり、ちょっと欲張り過ぎたのでは?と。
例えて、言うと煮込み過ぎたカレーに必要以上に隠し味を足してしまったと言うんでしょうか。
これをノンシャラントと言えば、そうなんだけど、ここにノンシャラントを詰め込み過ぎたかな…
日本ではジャズは大人なイメージが強いんですが、アメリカなんかだともっとアバウトと言うか、悪く言うと胡散臭いと言うイメージなんだとか。
なので、劇中で何度か出た「ノンシャラント」は「無頓着」と言う意味だけど、他にもいろんな意味があって、「落ち着いて」や「動じないで」と言う意味も孕んでいて、作品の本筋での意味や意図は無頓着と言うイメージだったらしいんですが、仲里依紗さん演じる千香子が南に何度も発したノンシャラントは「落ち着いて。それでいて拘らないで行こう」と言う意味も含まれていると思うんですよね。
ジャズは本来、自由と言うか即興性を重要視されるんですが、ただ単に自由なのではなく、決められた枠の中で最大限に自由に行こうと言うのがジャズのルールであり、そこが面白さかと。
そう考えると監督とこちら側(少なくとも自分には)に枠のズレがあったような感じがして、そこにノンシャラントが入ってしまったかとw
観る側の思い違いと言えばそれまでなんですが、もう少しジャズの心地好さと少し背伸びをしたような雰囲気を醸し出しても良かったかなと。
だから、冒頭の「二人でお酒を」は良いとしても、他にもいろんな渋い曲があるのに、酔っ払ったからといって何故顔役が「アキラのズンドコ節」なんすかとw どうもアレもアカンのですよね。
ちょっとノンシャラントが過ぎた感じがすると言うのが個人的な一意見として捉えて頂ければ幸いです。
フリージャズ・ムービー
予備知識なく鑑賞したので最初は時間軸に混乱。
夢を追いはじめた三年前と現実を受け入れた三年後を行ったり来たりしているのかと最初は思いましたが、三年前と三年後が一晩で同じ世界で同時に進行しているという構造がわかってからはその不思議な世界観を楽しみました。
クリスタル・ケイさんの唄声、ジャズ演奏シーンも楽しめました。それに個人的にキャバレーとかクラブとかの華やかな夜の世界って惹かれるのです 笑。
コメディでもありカタルシスも得られて、型にはまらないフリージャズのような作品で面白かったです。
タララ タララララ〜♪
池松君のピアノ演奏が見たくて鑑賞。
予告から想像していた作品とはかなり違いましたが、私の知らない世界、銀座のキャバレーという場所とジャズが合っていて素敵な作品でした。
限られた大人の夜の遊び場。
毎晩賑わったであろうその場所も、
今はほぼ消えてしまいましたね。
景気が良かった日本、その裏にしっかりと存在していたヤ○ザの雰囲気も感じ取れました。
=昭和63年の年の瀬=
夜の銀座でジャズピアニスト志願の
博(池松君)が場末のキャバレーでピアノを弾いていた。
そこに、ジャズを愛する出所したてのヤクザ・あいつ(森田君)が現れ、リクエストされた
「ゴッドファーザー 愛のテーマ」
を演奏する。
しかしこの曲は、銀座を牛耳る熊野会長
(松尾さん)が自分のテーマ曲と決めており、演奏を許されるのは会長のお気に入りの南
(池松君)だけであった。
そのルールを博が破ってしまった事がきっかけとなり、南と博の運命が狂い出していく。。というお話し。
本作は、ジャズミュージシャンで
エッセイストでもある
南博先生の青春の回想録
「白鍵と黒鍵の間に ジャズピアニスト・エレジー銀座編」を元に、冨永監督が大胆にアレンジをした作品だそうです。
若き日の先生の3年間の青春を、年の瀬の銀座の一夜の物語として作り変えているそうで、主人公の南博先生を
「南」と「博」という2人の人物に置き換えているとのこと。
しかし、この2人は同一人物で?
彼の?3年前と現在を?
時間軸の操作により?
地続きで?時間が戻ったり進んだり?
交わったりしていて?
"一夜"として描いている??
と理解したのだが、、さて??
理解不十分かも知れません( ; ; )
時空を超えて一つに繋がっているような不思議な作品でした。
銀座に来たばかりで希望に胸を膨らませ、夢を叶えたい初々しい博。
演奏なんて聞かない客を前に、自分の本意ではない演奏を繰り返し続け、会長の機嫌取りをし、夜の街に取り込まれていく南。
2人の対比と、ループする過去、現在、そして未来。
私には難解な演出だった為、戸惑ったのだが、南と博の人生の焦燥感、混乱を表現していたのかなと思い、体感できた気がしました。
ラストはややファンタジーであり、又また難解な演出だったが、未来へ向かう「彼」には明るい光が待っているように見えました。
池松君のピアノ演奏は素晴らしかったです。せっかく本人が弾いているのだから、個人的にはもっとそれが分かるようなカットが欲しかったです。
サックス奏者の松丸契さん!
素敵でしたね。
デモテープを撮っている時の飛び入り参加。降りて来て欲しいよぉと思っていましたが、演奏後に池松君から松丸さんへの投げキッス!
ヤラレました♡
あの場面はジャズっぽい即興感が心地よかったです。
そしてあの場の雰囲気をグッと盛り上げたのはクリスタルケイちゃんの歌声!
彼女も、松丸さんも、本物の存在感はやはり違いますね♪
洞口さんお久しぶり。とても貫禄が出ておられ、お着物姿、艶っぽかったです。
里依紗ちゃんファンですが、演技も良かったですが、本作のあの役所は何故かミスマッチ?に感じてしまいました。
なぜだろーーー(棒)
私自身が読み取る力不足の為、本作のメッセージの受け取りが不十分だと自覚していますが、それでも雰囲気が好みで楽しめた作品でした。
正にジャズ!!ジャズな映画!
みなさんのレビューで補完したいです。
#38 池松壮亮クン好きなんだけど
これは心に響かなかったな〜。
実際1人二役だったのかどうかもわからないし。
終わりから考えると最初から二役しなきゃいけない意味もわからなかったし。
1988年は、一万円札のチップがガンガンもらえる良い時代だったということだけ思い出した。
景気が良い分、今のジャニーズ事務所みたいなひどいセクハラやパワハラもいっぱいあったけど、世の中そういうもんだと思ってた。
それを自分の才能と掛け合わせた主人公。
銀座のビルの合間から抜け出せたなら良いけど。
3年
と言う時間差で、一人二役をしているし、主要メンバーが変わらないのもあるので、最初は混乱しますね。そのうちに慣れてきますけど。笑いも入れながら、淡々と時間が流れますが、最後の忘年会のシーンからは急に引き込まれます。最後は少し支離滅裂になってしまいますが。
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