白鍵と黒鍵の間にのレビュー・感想・評価
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リアリティーに欠ける
主人公や銀座を仕切る会長をはじめ作品全体の印象が軽かった。
テーマや舞台は好みで、俳優たちも演技力があるはずなのだが何故?
私がジャズのイメージに囚われすぎなのかな。
展開も紛らわしくあの世界の喜怒哀楽というか、深みを感じなかった。
そうだね、あ、やはり、
全く響かなかった
ちょっと眠く。。
原作読み終わって映画館へGO。
でも、さすがに近場での上映が終わってしまい、やや遠い初めての映画館へ。
(上映時間より片道移動時間の方が長かったか苦笑)でもとっても素敵な映画館だった。
南博氏の事は全然知らなかった。
音楽高校、音大へ通っていた経歴で、ジャズをやりたい志があった若かりし頃の葛藤を描いた話。
そっか、夜の世界は裏の世界の方々とのしがらみができるのだね。
未来の夢、叶えるまでもがくのはどこで生きてても同じなんだな、なんて思いながらも、ちょっと退屈だったです。
二役の池松君が重なるところとか、んー?って感じで普通に時系列に描かれた方が良かったのでは、と思ったりした。
クリスタル・ケイはさすがプロの歌手。気持ちよく聞けた。ゴッドファーザー愛のテーマが聞けてよかったな。
そうそう、You Tubeでオススメに出てきて見てた「ザ・ラストヒロイン」の中山来未ちゃんが出てたのも、見に行こうと思った一つだった。なかなかいい感じだった。
大ボスと小ボスの間にゴッドファーザー。
映画館で観られなくなる前に…。
一寸お恥ずかしい。この作品のタイトルの読み方を鑑賞チケットを買う時に,定員さんに笑われながら知る羽目に…。
私は観る直前まで「ハッケンとコッケンのアイダに」を「シロカギとクロカギのハザマに」と…。
どうでもいい話をした。 言葉が悪いかもしれない。私から観る限り始まりは良く知らないが,かなり色んな作品の要(カナメ)である主要キャストを急に務(ツト)め出し、大分(ダイブ)大御所(オオゴショ)?風になってきている池松壮亮が自らの努力の末に,ピアノは自分で弾くのを練習した!と云うのも観たい!と思ったのも理由の1つである!し…。
途中,コメディタッチに為(ナ)った所もあったが…⁈
※何かの間違え?かと眼を疑ってしまっちゃったが、佐野史郎が滅茶苦茶素晴らしい手捌(テサバ)きでピアノを弾いて居(イ)なかったかい?, ソイツは今現在の技術を駆使(クシ)して魅(ミ)せていたのならば、私自身はまんまと嵌(ハ)まって騙(ダマ)されたと云う事ならばソレはソレで素晴らしい👍と思えたが…。
渡米するのには母子手帳のワクチン接種記録が必要?
音楽大学に通うジャズピアニスト志望の男・博(池松壮亮)が恩師からキャバレーで修行することを勧められ、1988年から銀座の「みずうみ」という大衆キャバレーの青い安っぽいはっぴを着てお面を被って演奏するヘンテコリンな専属バンドマンになる。宮沢りえと2018年に結婚した元V6の森田剛扮するヤクザからリクエストされたゴッドファーザー愛のテーマを弾いたために、会長と呼ばれる銀座を仕切る大物ヤクザの逆鱗に触れてしまい、トラブルとなったことを期に、高級クラブスウィニーに出演する男闘呼組の高橋和也がバンマスのバンドの一員に入れてもらう。
池松壮亮がひとり2役。博が南という幻のピアニストを追うのか?よくわかんなかった。
暴対法以前の銀座をノスタルジックに描いたファンタジー映画。
リサという名前の本場から来日してきた女性ジャズヴォーカリスト役の Crystal Kay は歌をちっとも聴いていない客におかんむりで、客を張り倒すシーンなどがあり、ちょっと楽しい。バブル期のクラブ内ではホステスたちが大なわ飛びしてた。
ソニーのカセットデッキ。
高橋和也はエレキギターでちょっとだけペンタトニックフレーズを披露。
意外だったのは川瀬陽太がエレキギターの弾きがたりでスタンダードナンバーを歌っていた。
テアトル新宿の odessa上映で、200円の追加料金が必要だった。野暮だなぁ。
ウッドベースやドラムのハイハットにシビれました。
森田剛と高橋和也がカッコ良かったので、★半個オマケ。
何なんだよ!ノンシャランって⁉
私が若い頃、「ノンシャラ〜ンと生きてる」という言い回しを耳にすることがあった。オジサンたち(今の後期高齢者層以上)が使っていた言葉だと思う。
さて、本作はジャズピアニスト南博氏の「回想録」が原作だとのことで、その本が面白いらしい。が、残念ながら未読。
主人公をミナミとヒロシの二人の人格にしたのは、なかなかのアイディアだと思うのだが、奇をてらい過ぎて物語の純粋な面白さが隠れてしまっている気がする。
3年という時間がキーワードなのかと思い、ヒロシの3年後がミナミで、同時進行させているのだろうなと観ていると、そうではなかった。両方ともに関わる人々は同じ時間にいるから、ミナミとヒロシは同じ時間に別人格として存在しているのだ。イヤ、ならサックス奏者の若者も二人いたのか?
…この次元の錯綜が、アイディア倒れになってしまった感がある。
理想を追い求めるヒロシと理想を見失ったミナミ、という対比構造の着想は良い。たが、映画ではそれが合せ鏡の関係になっていない。なっていたのかもしれないが、空騒ぎと混沌が勝っていて見えにくいのだ。
ヒロシが「あの曲」を演奏したことで一体どんな禍に見舞われたのか…キャバレーを辞めたのは自分の意志だし、すぐに次の仕事にありつけている。結局、銀座の夜の人々が騒ぐだけ騒いで、何もないという…。
高橋和也演じるバンマスにはその事件の後始末をする責任があったようだが、偶然出合ったヒロシ(池松壮亮)にあの曲を注文していい人と演奏していい人が決まっていると告げただけだ。
謎のヤクザ森田剛と会長と呼ばれる親分松尾貴史の関係を説明する必要はないが、森田があの曲にこだわる理由が松尾との対面で分かるのかと思うと、それも分からない。
舞台となる夜の銀座は描かれる範囲が狭いので、銀座のほんの一角の騒ぎのようだった。
終盤に至っては、もう観客の意表を突くことしか考えていないような描写が続く。
ゴミタメに捨てられてからはファンタジーの域を超えて意味不明の混迷ぶり。ミナミがそこで遭遇したのは更に3年後の自分か?
テーマを忘れていたことに気づいて、慌てて主人公に語らせたような締めくくりには呆れるしかない。
池松壮亮、仲里依紗、森田剛、高橋和也の4人のキャストはとても良かったが。
池松壮亮の挑戦 観客は置いてけぼり・・・かな
キャバレーのピアニストという特殊なシチュエーションの話なので、あまり共感は出来ないですよ
疑似体験にも限界がありすからね
原作は読んでいませんが、もっとシンプルな自伝的な話のようなのに、池松壮亮の二役でややこしいし、観念的で一般受けしない演出です
そう、まるで観客を選ぶインディーズ映画のよう
と調べてみると、やっぱりインディーズ出身
”ローリング”でちょっと評判になりましたね
それにしても、あの映画以上に尖って前衛的
悪く言えば、自己満
ごみ溜めで3人つっ立っての舞台的な演出は、もう学芸会
どうしようもなくて、目に花くっつけたり
どこぞのお笑い芸人のギャグみたいだった
あ、松尾貴史は元芸人かあ
森田剛はジャニーズだし
こんなのロードショーするかねえ
昔、こういう映画が増えて映画が廃れたんだよ
なので
作るなとは言いません
ミニシアターで、コアなファンだけ観ればいい
じっさい今回も貸し切りかと思いましたが、池松壮亮ファンとおぼしき女性が3人だけ入ってきましたよ
池松壮亮はピアノを練習して自分で弾いたそうです
頑張りましたね、えらいです、とても上手いです
でも、そんなの観客には関係ない
”斬、”で殺陣を頑張ったのとはわけが違う
ピアノはプロにまかせて、演技を頑張って欲しかった
もっとオーバーな演技でもいいんやで
こういう映画は
母親役のオバサン、だれ?
と思ったら、な、な、なんと洞口依子だった
あの色っぽかった洞口依子の成れの果てとは
これこそ、わが青春残酷物語
JAZZ映画?ヤクザ映画?
なにやってんだ、おれ
2023年。冨永昌敬監督。バブル真っただ中の1988年。修行のために銀座のキャバレーに入り込んだピアニスト志望の若者は、ある晩、出所したばかりのやくざから受けたリクエスト曲を機にトラブルに巻き込まれる。3年後に銀座のクラブでピアノを弾いている自分自身とすれ違いながら、人生に理想を求めてもがくピアニストの物語。「なにやってんだ、おれ!」が口癖。
実際には、1988年は主人公が銀座に来て3年後ということであり、周囲の世界は3年後の世界なので、冒頭、銀座に初めて足を踏みいれる主人公は1985年のはずであり、それが3年後の世界に迷い込んだ(しかし自分自身とだけは対面しない。すれ違うけど)という形になるようだ。「いつになっても理想を追い求めつつ現実に縛られることへの苦悩」というテーマからすれば、時間設定を綿密にたどっても仕方がないのだが。
描きたいことはわかる。この人生でもっとマシなことができるはずだと思いながら悶々として生きる出口のない息苦しさはよくわかる。出口を見つけて走り出す気持ちも。そうだとするなら、デモテープの場面と走り出す場面はもうちょっと輝いていてもいいのにな、とも思う。でもいい映画だった。
悪くなかった
ジャズな映画
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