「石原さとみが体当たりの演技、それは、まさに激情‼ 髪を振り乱し、泣き叫ぶ母親の姿は、リアルそのものです。」ミッシング 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
石原さとみが体当たりの演技、それは、まさに激情‼ 髪を振り乱し、泣き叫ぶ母親の姿は、リアルそのものです。
本作は8年前に石原さとみが女優としての行き詰まりのを感じて、吉田恵輔監督に直訴したことから始まった企画です。脚本から吉田監督が石原さとみの限界を超える展開を想定して書き起こしたもので、映画を見た人も「石原さとみ」像が別次元に変わる筋書きとなっています。
その物語とは、娘の失踪事件をきっかけに、情報の荒波に巻き込まれ、翻弄されていく母親とその家族たちの姿が描かれるという内容です。
●ストーリー
ある日、街で幼女失踪事件が発生します。母親の沙織里(石原さとみ)はあらゆる手段で娘・美羽(有田麗未)を捜しますが、有力な手がかりも見つからないまま3カ月が経ってしまうのです。
娘・美羽の帰りを待ち続けるも、少しずつ世間の関心も薄れていき、止まった時とよどんだ空気の中、地獄のような焦燥に焼かれてしまう日々を過ごしていました。その結果、献身的な夫・豊(青木崇高)にもいら立ちをぶつけ、感情の温度差からケンカが絶えなくなっていきます。
そんななか、地元テレビ局の記者砂田(中村倫也)だけは誠実に取材を続け、家族とも寄り添う姿勢を見せてくれており、沙織里が何かと頼りにしていました。
そんな中、娘の失踪時に沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことがSNSで知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまうのです。
世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで、沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていくのでした。
一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまいます。
それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続けるのです。その先にある、光にむかって。
●石原さとみの転機となる作品
石原さとみがテレビの番宣に出演したとき、こう語りました。「これから何年たっても『転機は?』と聞かれたら『この作品です』と答えます。たとえ映画が公開されなかったとしても。私を、私の人生を、変えました」と。それくらい、彼女にとっても転機となるインパクトを残した作品となったのです。おそらく彼女の代表作のひとつになることでしょう。
8年前、石原さとみは、分かりやすくて華やかな役柄が多く、このままだと世の中の人が自分に飽きてしまうことにつよい危機感を感じていたそうです。だから『私を変えて欲しい』と吉田恵輔監督に直訴したのでした。
当時の吉田監督といえば、「ヒメアノ~ル」(16年)で連続殺人鬼を演じた森田剛の鮮やかな戮然ぶりが強烈な印象を残していました。そんな吉田監督に、石原さとみが期待したのも自然な成り行きだったのでしょう。
3年後、監督から石原へ本作の脚本が届きます。「余白が多くて、考えさせて、深く探りたくなる。こういう作品がやりたかった」と石原は直感するものの、当時の石原はまだ独身でした。なので母親の気持ちは当時の石原には想像するしかなかったなかったのです。しかしその直後の20年に結婚、出産と育児を経験し再び脚本に向き合うことに。すると石原は「ページをめくるのが苦しくて、この役をやったら心が壊れてしまうかも、とすごく怖かった。」と主人公の沙織里に深く感情移入するあまりに、ためらいも感じたようなのです。
ただ自分も母親として経験を積んでいく中で、沙織里の心を落ち着いて理解できるように変わったいったようです。石原にとって本作との出会いは、不思議な巡り合わせですが、本人にとってみれば、このタイミングでよかったのだと思います。
●解説
幼い娘が失踪し、両親はビラを配り、テレビの取材を受け、情報提供を呼びかけます。最愛の子を失った母親その人が乗り移ったかのように、石原さとみが体当たりの演技で、怒りと悲しみを表現するのです。
それは、まさに激情‼
髪を振り乱し、泣き叫ぶ母親の姿は、リアルそのものです。子供のことを心配して、じっとしていられる親などいないだろうから、ああなるのは当然のこと。むしろ、そばで見つめる、青木崇高演じる父親の冷静な態度が、母親には傍観者的に見えて、腹が立つのも当然ながら、石原はそれを尋常ではない凄まじさで演じきるのです。髪はパサつき、肌はくすみ、唇はかさかさ。そんな石原が演じる沙織里の涙と叫びには、すっかりのみ込まれてしまいます。それはまるで、輝きを消しても引力は増す、ブラックホールのようです。 それくらい見ている方も、夫同様に唖然呆然となりました。
家族の姿と並行して、メディアの動きが描かれます。実は、母親を精神的に追い詰めていくのがインターネットの言説やテレビ報道なのです。ネット上には、子供がいなくなった時にライブを見に行っていた母親を責める言葉が飛び交います。一方、母親はテレビ局の砂田にすがり、取材に応じます。でも誠実に被害者に向き合うことをモットーにしている砂田にも、局の組織としての重圧がかかり、取材内容を報道部の上層部が不本意にゆがめていくことになっていくのです。
一連の描写は、被害者や容疑をかけられた者とその周りの世間、そして報道機関など当事者たちのせめぎ合いを生々しく映し、真に迫ります。
「神は見返りを求める」「空白」などの吉田監督は、本作でもメディアの問題に果敢に取り組んでいます。様々な議論を呼ぶ問題作には違いありません。
●感想
本作のストーリー面ではあくまでシリアスに、現実はこうだと突きつける内容です。報道やドキュメンタリーならまだしも、幼児失踪事件に、ひたすら駅頭でビラまきする姿を追うだけで、容易に解決しない展開を観客にも強いるのは、酷なことではないでしょうか。ドラマチックなむ展開を期待している観客としてはとてもじれったい!
エンターテイメントとして、劇映画を作る難しさがそのあたりにあるように思えました。
ところで本作は石原の演技ばかり注目されそうですが、本作のサブテーマであるマスコミの負の部分を浮き上がらせる軸となる砂田記者役の中村倫也の気骨と人情味溢れる縁起もよかったです。砂田は沙織里たちの取材を誠実に続けるなかで、局上層部の意向は視聴率獲得のためなら、沙織里たち被害者まで出汁にしてしまおうと、世間の関心を煽るような取材の指示に抵抗するのです。そんな中で、局上層部の意向にそってスクープを当てた同僚がキー局に注目されて、引き抜かれることになったことには、複雑な表情を見せます。本作で砂田の存在は、今のマスコミが抱えている矛楯の象徴だと思います。その微妙なところを中村倫也が絶妙に好演していました。