「今も元気なトットちゃんはここから」映画 窓ぎわのトットちゃん 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
今も元気なトットちゃんはここから
日本芸能界の長と言っても過言ではない黒柳徹子。
日本でTV放送が開始したその日からTVに出演。芸能歴は今年で71年。日本芸能界/TV界の生きた証人。
『紅白歌合戦』や『ザ・ベストテン』など数々の名番組を司会。ギネスにも認定された『徹子の部屋』は今も続く。
TVタレントのみならず、女優、著者、ユニセフ親善大使などマルチに活躍。
交遊関係も広く、今は亡き名優や大御所タレント、海外の著名人、若い世代とも交流。YouTubeも開設。
TVタレントとして、日本女性として、一人の人間として、その存在を切り拓いた。…いや、今も切り拓き続けている。
その生い立ちや経歴はさぞかしドラマチック。語っても語り尽くせないほど。
それは知られている。自ら執筆した自伝小説『窓ぎわのトットちゃん』で。国内だけに留まらず世界中でもベストセラー。
故に映像化のオファーは数知れず。黒柳徹子自身冗談交じりで曰く、黒澤明監督以外の監督たちからオファーを頂いた。
エピソードを抜粋したTVドラマはあったが、しかと映像化されるのはこれが初めて。
映像化を断り続けた理由は、どんな名優が演じようとも恩師や同級生のイメージが沸かないから。それほど思い入れがあり、自身にとって大切な思い出。
しかしそんな黒柳徹子の考えを変えたのが、アニメーションでの表現。
アニメーションならファンタスティックに、イマジネーション豊かに、幼い頃の思い出を描けるかもしれない。
『ドラえもん』の映画で手腕を発揮し、映像化を熱望した八鍬新之介監督とシンエイ動画の尽力。イメージボードの画が黒柳徹子の心を動かしたとも。
小説発表から40年以上。アニメ映画の企画も7年。
満を持して語られる、黒柳徹子=トットちゃんの物語。
徹子だけど、トットちゃん。父親が“トット助”と呼ぶ。
黒柳徹子の父親は名高いヴァイオリニストとして知られ、伊福部昭の下、『ゴジラ』第1作目の演奏にも参加。(というのをその昔、伊福部昭が『徹子の部屋』に出演した時黒柳徹子が話していた)
そんな芸術家肌の父親と優しい母親に育てられたトットちゃんは…
お転婆、好奇心旺盛、お喋りの三拍子で、絵に描いたような元気ハツラツ女の子。
もっとよく言うと、元気過ぎる女の子。通っていた小学校の担任が懇願するほど。「別の学校に転校して下さいッ!」
今も圧倒的存在感を放つ黒柳徹子は、子供の頃からもそうであった。
しかし困ったのは、受け入れてくれる学校がある…?
そうして辿り着いたのが、“トモエ学園”。
廃電車を教室にしている変わった学校。
電車に乗れる!…とすっかり気に入ったトットちゃん。「ここに通いたい!」
まずは校長先生とお話。保護者とではなく、校長先生とトットちゃんで直に。
トットちゃんの他愛ないいっぱいいっぱいのお喋りに耳を傾けてくれる校長先生。
そして忘れられない事を言う。
「君は本当は、とってもいい子なんだよ」
無邪気に見えて、転校させられたのはひょっとして自分が悪い子だから?…と内心思っていたトットちゃん。その一言に救われる。
晴れて転入。
新しい学校、新しい先生、新しい友達。
トモエ学園は電車型教室だけじゃなく、校風も風変わり。
子供の自主性を尊重した自由教育。
子供自ら選んで学び、リズミカルに体感する音楽教育の手法=“リトミック教育”を初めて取り入れた学校。
授業らしい授業もあるが、教科に囚われず、子供たちが自分の好きな事、興味ある事、学びたい事を自分で学ぶ。
今となってそういう校風も珍しくはないが、当時としては異例中の異例だったろう。
校長先生自らピアノを弾く。子供たちと直に接する。
この校長先生もタレントがよくTVなんかで言うただの恩師ではなく、非常に有名な人らしい。
小林宗作。日本に於けるリトミック教育の先駆者で、Wikipediaにも載っているほど。教え子には黒柳徹子以外にも著名人が。
黒柳徹子が映像化を断り続けた理由の一つに、この小林先生を演じられる人がいないから。
大切な思い出の中の大恩師で、実在の人物の代わりになれる人なんて確かにいない。が、名優・役所広司は名声優でもあり、さすがなほど魅了させる。
小林先生は子供たちの言う事を頭ごなしに否定しない。ダメもノーも言わない。
学校に新しい教室=廃電車が来る。子供たちはどうやって来るのかを見たい。しかし来るのは夜遅く。普通の学校や先生だったらダメと言う所を、小林先生は、皆で寝間着を持って学校に泊まりに来なさい。来たら起こしてあげるから。
そんな小林先生が語気を強めた場面が。担任の先生がついつい、生徒を傷付けてしまうような事を。この時も何より子供の事を思って。担任の先生も猛省し、ある場面でその生徒の奮闘を称える。小林先生は温かく、優しく見守る。
「君は本当はとってもいい子なんだよ」
そのたった一言。その存在。
もし、こんな先生と出会っていたら…と、ついつい思ってしまう。
私の子供時代にもいい先生いたけどね。
学友たちも実名で登場。
中でもやはり特別な存在になっているのが、泰明ちゃん。
田園調布に住むいいとこのお坊ちゃんで、とっても穏やかで大人しい。でも…
小児麻痺で身体が弱い。片腕片足にもあまり力入らないほど。
子供は時に残酷。こういう子がいたらいじめの対象になる事も…。
トットちゃんは一切色眼鏡で見る事なく、普通に接する。
身体が弱い泰明ちゃんを木登りに誘う。オイオイ!…と異論もあるだろうが、泰明ちゃんだって本当は木登りして遊びたいのだ。
二人で頑張った木登り。忘れる事はないだろう。
泰明ちゃんの母親は我が子をずっと案じていた。木登りした事、汚れた服を見て、ひっそりと涙を流す…。
さすがに相撲は取れないが、腕相撲。が、トットちゃんがわざと負けた。大人しい泰明ちゃんが珍しく怒った。差別されるのが嫌。
黒人奴隷の本を貸してくれた。“テレビジョン”というのを教えてくれた。
今の黒柳徹子があるのも、この出会いがあったからだろう。TVの世界に入ったのも、恵まれぬ子供たちの為にユニセフ親善大使になったのも。
今もこう話し掛けているに違いない。
泰明ちゃん、私、泰明ちゃんが教えてくれたテレビジョンの世界にいるんだよ。
泰明ちゃん、私、泰明ちゃんみたいに身体の弱い子たちの為に頑張ってるんだよ。
その泰明ちゃんはほどなくして…。
原作小説は黒柳徹子が大切な大切な今は亡き友達に捧げた思いでもあるのだ。
学校、先生、友達…。
両親との事も。
ヴァイオリン演奏が上手なパパと、綺麗なお弁当を作ってくれるママ。愛犬ロッキーも。
トットちゃんもいいとこのお嬢ちゃん。素敵な赤い屋根のお家に住んで、当時で言う所のブルジョア階級。
何不自由ない暮らしだが、両親もただ優しく甘やかして育てている訳じゃない。
お祭りでヒヨコを飼いたいと言った時、反対。世話云々じゃなく、死んだ時、トットちゃんが悲しむのが分かっているから。
こちらも子供に出来る/出来ないじゃなく、子供の気持ちを考えて。
だから、優しい。
実生活で親でもある小栗旬と杏が体現。
終始子供目線。
エピソードの一つ一つも特別なものではなく、他愛ないエピソードばかり。
見た事、聞いた事、感じた事、楽しかった事、嬉しい事、悲しい事…。
でもそれらがトットちゃんたちにとっては特別なもの。
悪ガキたちが「トモエ学園はヘンな学校~」と嫌がらせしてくる。トットちゃんたちは喧嘩で立ち向かうんじゃなくて、「トモエ学園はいい学校~」と言い返す。暴力反対。自由な教えからそれを学んでいた。それを見ていた校長先生。背中が泣いていた…。
現実からファンタジーにだってなる。
ファンタスティックなシーンのイマジネーション豊かさは、本当に子供の視点。
現実世界はリアル。
トットちゃん=大野りりあなちゃんのナチュラルな演技。
丁寧な演出、美しい映像、温かい作風…アニメーションで映像化されて良かったと思うほど魅せられる。
のびのびと成長。やがて子供の視点だから見えてくる。
大人のエゴ、世の中の不条理…。
戦争の影が子供心でも分かるほど身近に。
生活が苦しくなっていく。
お弁当がどんどん質素に。
ママはお洒落な格好をしただけでお巡りさんに注意される。
パパは軍歌の為のヴァイオリンを弾きたくない。
英語だから“パパ”“ママ”とも言ってはいけない。(そんなに厳しかったのかと驚かされたシーンの一つ)
大人は皆、国や偉い人に従う。お国の為に命を捧げる。
それって立派な事なの…?
トットちゃんの友達は、病気で子供のまま死んだんだよ。
納得いかない事ばかり。分からない事ばかり。難しい事ばかり。
素敵なお家も壊されて、遠い田舎に引っ越す事になって、何もかも変わって…。
だけど私はトットちゃん。元気だけは失わないよ。
トモエ学園も焼失。校長先生もめげない。次はどんな学校を作ろうか?
子供時代のほんのちょっとのエピソード。
これからたくさん。女性初や誰にも経験出来ない事を。
生涯全てを語るなら、後10作は作らないと。
でも、見てみたい
本当に映画のような、それほど魅せられるのだ。
トットちゃんに。