「校長先生の教育は、全体主義への単なるアンチテーゼに過ぎないのだろうか」映画 窓ぎわのトットちゃん Immanuelさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0校長先生の教育は、全体主義への単なるアンチテーゼに過ぎないのだろうか

2023年12月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

楽しい

知的

難しい

原作未読です。
なので、原作を読めば作者の真の意図が理解できる可能性があるので、僕の勘違いであった場合は申し訳ありませんが、幾つか気になった点がありましたのでレビューします。

まず、①果たしてともえ学園の教育(校長先生の教育といっても良いかもしれません)は、その当時の時代背景を考慮しても手放しで賞賛するべきものでしょうか。

一人一人の子供の「個性を活かす教育」「誰一人置いてゆかない」は、実はなかなか実現できない難しいものなのです。不可能ではないにしてもそのような教育は、とにかく手間とお金(環境ともいえますが)がかかります。

子供が大勢いた戦後から団塊の世代などの時代は、ともかく子供が社会に適応して生きていくように社会に送り出すことを最優先にしなければならない時代でした。いわば溢れかえるひな鳥のような子供たちを養鶏の「ブロイラー」のようにギチギチに「檻」に閉じ込めて、とりあえず社会に最低限適応できるように、次々と送り出さなければならない。

先生たちも人間ですから、そのような状況にもちろん疑問を持ち悩みながら、でもそうせざるを得ない時代背景があったのです。よくないと誰もがわかっていながらも、「効率」を第一にするしかなかった不幸な時代が長かった。もしかしたら、今もその名残が残っているかもしれません。

そういう時代であったので「檻の狭さに収まりきれなかった」とっとちゃんは、公立の尋常小学校という「ギチギチの養鶏場」から弾き出されてしまったので、私立の学校に行くしか選択肢がなかったのです。
ともえ学園の校長先生は、とっとちゃんの取り留めの無いを4時間興味深く聞きました。確かに素晴らしいことですが、公立の先生にそれができる余裕があるでしょうか。

最先端の外国の教育理論も取り入れて、素晴らしい教育環境も実現できて(電車の教室とか)、人格的にも素晴らしい校長先生は、理想を実現した素晴らしい方であることは確かです。国民的スターなどを生み出したことは確かに賞賛に値することですし、素晴らしいことであることに間違いありません。

しかし「貧弱な」公立教育であったとしても、無数の名もない教師たちが大勢の市井の人々をなんとか生活できるように社会に送り出す仕事を担ったおかげで、このともえ学園と言う「恵まれた囲いの羊たちの奇跡的な教育」が存在できたということは、見落としてはならないポイントだと思います。

そういう視点がないと、「ともえ学園・校長先生は素晴らしい。それに比べてウチの子の学校は・先生は」という勘違いの批判・不満を持ってしまうのではないかと危惧しました。

それから、ともえ学園の校長先生の言葉に引っかかった部分がありました。

「とっとちゃんは、本当はいい子なんだよ。」という、言葉です。
自分を卑下することなく、自分に自信を持って良い、という意味で言われているのだと思いますが、それまでの経緯を考えると、またともえ学園の役割から考えると、果たして適切な言葉なのだろうかと思いました。

「いい子」とは何でしょうか?それは、「大人にとって都合のいい子供」です。
尋常小学校で求められるのは、そういう子供です。限られた時間・限られたリソースで、効率よく子供を社会に最低限適応できるように「仕上げる」のに「都合のいい子」です。そこに、きらめくような個性・感性は必要ない…むしろ押し殺すもの・捨て去るべきもの、であるはずです。

僕ならとっとちゃんにこのように言ってあげたい。
「君はとっとちゃん。他の誰でもない。ここでは、君はそのままでいて良いんだよ。大人にとって都合のいい子になる必要はないんだ。君は君のやりたいことを君のできる範囲でやって大丈夫だよ。」と。

そして、②「戦争」に対する自虐史観的な全体主義への通り一遍の批判めいたものに違和感を感じました。

映画の中では「ともえ学園の「個人(尊重)主義」」と対立する図式で「戦争・全体主義」が対比されていたように感じました。

これも、あの当時の時代背景を考えなくてはならないと思うのです。
この映画を見ると、校長先生の言うように「見ても・聞いても、理解しない。自分の頭で考えない。」ことが戦争を引き起こし、ひいては戦争協力へと人々を駆り立てていった。と言うふうに描かれているように思えます。自虐史観的な。

しかし異論は認めますが、あの当時の日本は外国の圧力のもとで、いやでも戦争をせざるを得なかった状況にあったし、もし日本国民の全てが「私は人を殺したくないので戦争に参加しません」と兵役を拒否したら、すぐさま日本は植民地になっていたでしょう。

今の日本を礎いたのは誰でしょうか。国民のうちごく少数は無批判に妙な愛国心に燃えた「自分の頭で考えない人」であったのかもしれませんが、大多数はただただ日本の国の将来を思い、家族を思い、自分を捨てて命をかけて戦った大多数の名もない人たちだったと言うことを忘れてはならないと思います。

私達はいつも目立ったスターを賞賛します。
TVの向こうには、そういう人たちがいつも輝かしく映し出されています。
とっとちゃんも、もちろんご自分の弛まぬ努力の故にだと思いますが、日本でもナンバーワンのTVのスターになりました。ご両親や、ともえ学園の素晴らしい環境、ともえ学園の校長先生、その他、いろいろなことに恵まれて、「困った子」がスターになりました。

しかし、僕たちのような平凡な市井の人々は、TVに写ることのないのこちら側の人、です。
TVに輝かしく映し出され・賞賛される「スター」と比べて、恵まれない自分を惨めになったりします。

しかし、社会は「スター」だけで成り立っているわけではありません。
社会の大部分は、恵まれた環境で生まれることがなく、教育にお金をかけることもできず、チャンスにも恵まれず、いい仕事にも就けなかった、その他大勢の人によって成り立っているのです。TVに惑わされず、そのことに心から気づいた時、人はありのままの自分を受け入れることができる。そう思います。

子供も楽しめる楽しくて明るい作品かと思ってみましたが、後半は暗い雰囲気かつダークな内容で(ホラー的要素はありませんが)、子供はあまり楽しめない作品ではないでしょうか。しかし、大人は教育論について考える良い機会になると思いました。むしろ大人に観ていただきたい作品です。美麗な映像と、人物の独特のアニメ表現(唇が明るい)は、良いと思いました。

Immanuel