「残る名作になるポテンシャルはあった」映画 窓ぎわのトットちゃん フレンチクローラーさんの映画レビュー(感想・評価)
残る名作になるポテンシャルはあった
トットちゃんの可愛らしさを表現することには成功している本作ですが、ビジュアル、物語の進行、演出のいずれにおいても一貫性に欠けているように感じてしまいました。
【序盤~教育編】
序盤部分。ADHD的な個性を持つトットちゃんの豊かな発想力と突飛な言動、そして校長先生の温かい心遣いについては原作に忠実に描かれており、素晴らしい出来です。トットちゃんは一見してわかり辛い困難を抱えている児童です。そのため本人にとって悪意のない振る舞いでも周囲から誤解され、咎められてしまいやすい。だからこそ校長先生は鋭い洞察によって「君は本当は良い子なんだよ」と微笑みかける。この言葉は生涯を通じてトットちゃんの心の支えになります。このパートは原作の魅力を見事に映像化しています
【中盤~泰明君と反戦描写】
しかし中盤から泰明君と反戦描写がメインになるにつれ、本作は紋切り型のアプローチが目立つようになります。泰明君のケア描写にせよ、トモエ学園を差別する軍国主義児童に反撃するシーンにせよ、トットちゃんが善なる少女という「ストーリー上のステロタイプ」を演じているように見えてしまう。泰明君の死に関しては、障害児の死を利用しているという批判が刺さるまであと一歩のレベルです。死因と直接関係がないにも関わらず反戦と接続しようとする演出、そして感動を誘うための過度の強調、どちらも如何なものかと思います
【社会階層の描写について】
本作は教養のあるトットちゃんの周囲の大人=反戦思想、対比される一般国民=軍国主義者の差別主義者、という構図に終始しており、いささかバランス感覚に疑問を感じました。現実にそういった傾向があったにせよ、あまりにも一辺倒過ぎる。鑑賞者を「軍国主義に染まる日本が怖い」という感想に誘導するために、軍国主義者の顔を描かない等の手法で非人間化して恐怖心を煽るのは「子供の視点だから」で言い訳出来る範囲を超えています。格差に自覚的なら敵対的と受け取られかねない演出プランは採用しなかった筈です。それこそ高畑勲であれば厳しく戒めたのではないでしょうか
また泰明君~軍国主義日本パートは過剰に演出される一方で、トットちゃんの家族のその後は「明確には語らないが察してください」方式になっており、このバランスも不統一に感じました
(一応フォローすると、中盤以降でも駅員さんの顛末や「尻尾」の話の配置等、優れた部分は結構ある)
画作りについて。背景美術は大変素晴らしいです。キャラデザについても、戦中~戦後の児童漫画のような赤い唇は結構好きなセンスです(ただし子供の顔が歪むシーンだけはやり過ぎ。デフォルメ絵に口紅を入れたからと言ってリアル調と地続きにはならない)。また数回挟まる幻想演出はシーンごとに画風が変わるのですが、オムニバス的で一貫したものを感じられません。幻想演出を入れたいというプランありきで唐突に感じる場面もままあったと思います(どれもシーン単体で見れば素晴らしい出来です)
【まとめ】
原作がエッセイであることや、監督がドラえもん出身である事を考慮すると、作品にストーリー性を与える為に泰明君の準主役化と反戦テーマが盛り込まれたのは理解出来ます。しかしその調理があまり上手ではなかった・・・というか原作の実話ベースの強度と含蓄に比べ、脚色が紋切り型で浅いんですよ。特に反戦描写は原作から逸脱し、児童視点の中立性を損ねてしまっている点で残念です
もっとトットちゃんの個性と子供視点の中立性を大事にしてほしかったかな