逃げきれた夢のレビュー・感想・評価
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【定年間際の教頭止まりの中年男が、忘却していく過去の記憶を人生で関わって来た人達と話す事で一つ一つ確かめていく物語。フライヤーには”希望の物語”と会ったが、そうは思えなかった作品。】
<Caution!内容に触れています。>
■北九州で定時制高校の教頭を務める周平(光石研)。
ある日、いつも昼食を摂る元教え子・平賀(吉本実憂)が働く定食屋で、周平はお会計を忘れてしまう。
記憶が薄れていく症状を感じた周平は、これまで自分の人生に関わった人達との人間関係及び過去の記憶を確認し、今のままの生き方で良いのか自身で振り返ろうとする。
◆感想
・レビュータイトルにも記したが、フライヤーには”ターニングポイントに立つ全ての人にエールを贈る希望の物語”とあるのだが、そして多分監督の意図もそうだと思うのだが、私には希望の物語とは思えなかった作品である。
・周平を演じる三石研さんは、ご存じの通り邦画の名脇役であるが、今作では主演である。そして、今作の魅力は三石研さんの演技を2時間近くタップリと観れる事だと私は思った。(いつもは、こんなに長くは観れないからね。)
・妻(坂井真紀)にはボディタッチを迫るも拒否され(涙)、娘(工藤遥)に必死に語りかけるもセクハラすれすれの発言をしてしまい、気持ち悪がられる(涙)周平。
ー きっと、記憶が薄れていく症状を感じなかったら、あんな言動はしないと思うし、そのまま真面目に働いていたのだろう。
定年前に、ローンを返しきっているという事がそれを証明していると思う。-
・周平がイキナリ、旧友(松重豊)の店を訪ね、夜は久々に行きつけだったと思われる小料理屋に旧友と行くシーンや、元教え子の吉本実憂演じる平賀の店で勘定を忘れてしまうシーンからの、彼女と喫茶店で一方的に昔話をするシーンなど、周平が消えゆく記憶を確かめ、今のままの生き方で良いのか確認しようとしているように見える。
<今作の魅力は、矢張り三石研さんの演技を2時間近くタップリと観れる事だと私は思ったな。
そして、定年間際の中年男が薄れゆく記憶を確かめ、今のままの生き方で良いのか自身で振り返る哀愁漂う映画ではないかな、と思った作品である。>
しゃ〜しぃー
多分、一番記憶に残った台詞であり、キャッチーな方言なのであろう 北九州弁という、およそ関東圏内には馴染みのないその音源は、九州との隔たりを依り一層際立たせる言い回しである
今作に於ける"50代"の男の無責任且つ拗れた実情をこれ程作品化した内容として、同じ世代として同期するプロットである そう、50代は、本当に責任感がない どんな立場、どんな人生を経たとしてもこの年代には背負うリュックは圧倒的に小さい 今作は資本主義経済に於ける"持つモノ"、"持たざるモノ"を明確に表わし、その重なる部分の居心地の悪さを醜悪に演出して魅せた作劇として秀逸である
公務員、もうすぐ退職金受領の男、そして最早男の存在感の不必要を表わしている家族、そして男の無責任さを如実に暴露する元教え子 50代男のこれまで培ってきた人生の事なかれ主義をここまでテーマにした作品はあっただろうか? あるだろうね(苦笑←50代男の無責任w
結局、どうでもいい自己肯定、勘違い、そして何もベットしない日和見、その醜悪な負の側面を映画のプロットとして演出してみせた制作陣に敬意を表したい
今すぐ、50代は洩れなく、エトランゼとしてウクライナに派遣すべきだし、自分は喜んでいく所存です
この日の本に、50代は不必要だしね・・・
いぶし銀
2021年 「いのち知らず 」と言う舞台を
観に行った時(仲野太賀目的w)
光石研のいぶし銀な生演技に感動した時の
記憶がフワッと鮮明に思い出されました。
本作がその舞台と似てるとかではなく
単に光石研の演技のうまさと空気感が好きだなと
思った事を思い出したのです。
北九州を舞台に、博多弁(?)の柔らかさと
おじさんたちの友情と
冷えた夫婦関係、娘との微妙な関係と
校長になれなかった教頭の悲哀を感じる
(まさにサラリーマンの悲哀)
冴えないおじさんの物語で
中高年の一生懸命「家族のため」と思って
(考え方が古い)
家庭を省みず働いている現代のおじさんたちを
見ているようでした。
共感とか感動とかという次元ではなく
全体的によく分からなかったのですが←
ただただ光石研の哀愁漂う疲れオジを見ていると
なんだか切なくなる、優しくならなきゃ。なんて
思ったりした瞬間がありました。
生徒の未来の夢や教師の責任から逃げられた?
逃げきれた夢という題名。謎でした。予告編で光石研演ずる主役の定時制高校の教頭は認知症になって定年を待たないで退職する決意を家族に話したということはわかるのですが、誰の夢?なにから逃げた?執拗に追いかけられる夢を見て、逃げきれたということ?
二ノ宮隆太郎監督の映画を観たのは、萩原みのり主演作「お嬢ちゃん」に続き2作目。
ヒューマンドラマですが、テレビやラジオでは放送事故になりかねないスローな間の長いセリフ。
この映画に対するわたしの一方的な感想としては、定時制高校の教師は大変だなぁとリスペクトを感じつつも、教え子の人生に対する責任を全うすることが出来ず、自分の家庭も思い描くような未来を作れなかった男がアルツハイマー病になったことから記憶も曖昧になり、現実逃避の言い訳ができて、教え子の夢から逃げきれたと安堵しているんじゃないかな?といったちょっとイジワルな感想を持ってしまいました。お金を払い忘れ、お金持っているのに、また財布に戻してすぐに払わない。教え子の彼女が立て替え、お礼しなきゃねの一言に期待してしまった彼女の複雑な思いの吐露にビビる周平。
若い二ノ宮監督の視線はとても鋭いとおもおますが、同時に人生に対する虚無感、無常感がつよくて、かなりつらい映画でした。
役者さんの演技はベテランも若手も完璧でよくまとまっていました。
博多(小倉)弁がよくわからなくて、蕎麦屋のアルバイトの彼女のセリフがかなり重要なのに肝腎なセリフの意味がよくわからず。そのへんは字幕で解説を入れたほうが親切じやないかと思いました。視聴覚教室にポツンとひとりだけいた女の子が自分の本心を正直に言ったら、先生はどこまでも親身になってくれる?見たいなセリフがあって、それが一番ひっかかりました。教師に対する猜疑心や諦めが強くて、同じ定時制高校を描いた作品として、坂上二郎の学校の先生とは対極に位置する虚無感が全体を被う映画かと。
さらに、定年を目前にした周平とまだ40代と思われるチャーミングな妻(坂井真紀)のリアルな演技はかなりショックでした。パート先の社長とセフレになっているとしか思えない開き直った態度に周平がたじろぎながらも、家族を続けようとする。
このへんの若い二ノ宮監督の視線はとても残酷で、ダンサーインザダークのラースフォントリアー監督に近いものを感じでしまいました。ある意味老成していて怖い。
火曜日の武蔵野館で鑑賞しましたが、同列のE-5に二の腕にタトゥーを入れたスレンダー美女がいて、前半は大きなあくびを何度もしていましたが、松重豊が出現するとガハハーと笑っていました。終わってみると、彼女の鑑賞態度が正解だったような気がしてしまいました。
お先真っ暗なのに、新たな人生の出発を応援するみたいな予告編にもかなり違和感を感じました。配役などから若い人が好んで見る映画ではないので、ターゲットとなる中高年には一定の幸せな人を除いてかなり身につまされる映画だと思います。
エンドロールに曽我部恵一の名前。音楽(劇伴)なかったから、最後の単音ピアノのみ。うーん、ロックギタリストもこうするしかなかったのはよくわかる。曽我部恵一、すっかり活動拠点を映画にシフトしています。
いやあ参った。どうしようかねえ、これから。
末永は、認知症にさえならなければ、あと1年で定年というこのタイミングで立ち止まることはなかった。普通に家庭に居場所がなくても、少なくともこれまでは間違って生きてきたとは露とも思わなかった。
それが、やはりこのタイミングで、わが身を振り返る。
家庭ではどうだったか。病気のことを話せない気まずさのある関係。不倫されてても強く出れない関係。触れることさえも毛嫌いされてしまっている関係。面と向かって話もしてくれない関係。それは、これまでの自分に原因があるのだという自覚がある。いまさら戻せないとわかっている。
友達はいる。会えば、その夜に都合をつけてくれる気のいい奴だ(松重豊の成りきり振りに感服するしかない)。だけど、本人は気付いていない。結局大事なことを話すことができなかったことを。
学校では問題なかっただろう、、と、本人は思ってる。中間管理職として頼りにされてきたと思ってるし、生徒の良き理解者と自負もある。ところが、実は「生徒に嫌われる先生の条件」をすべて満たしていることに気づいていない。それを、今の生徒にも見透かされている。「わかった。信じる。信じるけん、逃げんでね、先生。」のやり取りのあとの回収がないのがその証拠だ。卒業生の平賀(この子も定時制だったとしたら家庭か何かに問題を抱えた子だったのかもしれないので、感情の機微に敏感だろう)だって、病気じゃしょうがないという同情が、いつのまにかズルい大人を見る目に変わってしまっている。そして最後のあの無言の別れだ。あの長回しは意味深だなあ。平賀が何も言わないこと自体が、まるで何かを語っているようだった。
末永にとって、おそらく「定年」を一つのゴールだと生きてきたのだろう。それは家族にお疲れさまと言ってもらえる晴れ舞台であったろうし、その後の人生を平穏に過ごす、そう想像してきた未来こそが、彼にとって「夢」だったのかもしれない。だけどいま彼は、その夢の場所まで逃げきれそうもない。
断定的でないのは、この物語がまだ進行中だから。大したこともないようでいて、だからこそどこにである悲劇の物語の行きつく先が。
※同時上映中の「波紋」の光石研とキャラが被るせいで、2つの映画が脳内で若干シンクロしてしまうのは如何なものか。
しゃ〜し〜!多め♡
やっと観れた!! 時間がなかったので久々の渋谷でしたが、宮益坂をBダッシュで往復しただけ帰宅。だけど良いのだ。もう、、、みつけんさんが好き過ぎて好きなので♡♡
「全裸監督」「新聞記者」「ヤクザと家族」ヤクザ−財務省職員−ヤクザ でお馴染み(?!)の二ノ宮氏。私はプレイヤーとしてのイメージが強かったのですが監督としても活躍されているんですね。本作はそんな監督の商業映画デビュー作になるそうです。
ストーリーは、北九州を舞台にどこにでもいる普通のおじさんの日常を描いたお話しです。特別悪い人も出てこないし、主人公に都合よく動いてくれる人も出てきません。物語は淡々と流れる。。
みんな多くは語らないぜ! 演者1人1人の表情や「間」で魅せられます。こちらもその空気感や背景を想像し、受け取る楽しみがありました。
人生のターニングポイントを迎え、自身の「これまで」を振り返る周平(光石さん)
働く男としての側面は、40年近く働いてお金を家に入れ、ローンも終わっている。立派だ。同僚との関係も良さそう、生徒思いの教頭にみえる。が、問題のある生徒に積極的に深く関わる事はしない。自身も「校長になりたかった」と言うが、だからといって何かを努力してきたわけでもなさそう。
夫、父親としての側面も、妻と娘との関係もどこかギクシャクしている。深く関わる事を避けていたのか、コミニケーションのとり方がわかっていない。
友人石田(松重さん)との時間も大切にしていない。周平側からみれば関係は良好と思っているのだろうが、石田から「お前、自分勝手や」と言われてしまう。
《いや〜♡松重さんとのシーンは全て心の保存版入り決定♡どんだけ可愛いかっ!!》
周平のこれまでの人生は、人と対峙して真剣に向き合ってこなかったその場しのぎの態度の連続が積み重なっての今なのだ、と読みとれる。
そして、病気と向き合い「これから」と向き合いはじめる周平。しかし妻娘に支離滅裂発言→自己完結w 自滅。。ww
《もうみつけんさんがぁ〜♡♡最&高!!
全ての台詞をニヤニヤしながら作った監督まで浮かぶわw》
南(吉本美憂ちゃん)と対峙してみても「中洲で働こうと思う」と言われ沈黙。。。南のあの表情。答えを待つ長い間。。(私も考えたよ。そりゃ、止めるべきだが、何と言おう。。けど上手く言葉に出来なかった。)
周平も言うべき言葉が出てこない(°▽°)
結果、人と向き合ってみたけれど何も言えなかった。人間なんてそうは変わらない、そんなもんだと思う。ラストの周平の笑顔が印象的だ。
おじさん達のお話しかな?って思っていたけど、ケータイ娘と正直女子のお二人が良いアクセントになっていて効いていましたね♪大きな演出のついた芝居ではなかったけど、とてもリアルで良かったです!!
みつけんさんのお父様も出演しておられましたね♪台詞を期待しましたがなかったですねぇ〜お声を聞きたかったです^ ^
そういえばエンドロールで気づく。あれ?音楽、曽我部さん!!あれ?劇中でのBGMなかったなぁ。音楽で盛り上げる演出もいらなかったあの空気感を楽しむべき作品でした。
「ずっと恵まれとうのに、、なんなんやろうな」が全てを物語っていると思う。余韻がすごい。。みつけんさんが最高でした♡♡
「あぜ道のダンディ」も久々に見直します🎵
身につまされるが何かよい
自分も似たようなポジションでわかるわかると苦笑しながら見入ってしまった。家族との関係だと悲哀を感じるが友人や元教え子とのやり取りとかみているとほんわかするし、まあこんな感じでもよいではないかとも思われてくる。
月50万稼げる仕事
役者さんの演技際立つ映画
ほとんど、というか、全く劇中音楽ない
ワンシーンの中でも、光石研さんの微妙な表情の変化が素晴らしい
病気で記憶を無くしていく主人公
職場の定時制高校では快活な教頭で、本当にこの人病気なの?と疑いながら観ていた
家族関係は上手くいっていない
病気になり、古い友人に会ったり、家族から愛されたいと思う
役者皆さん言葉にならない事を全て表情で伝えているので、観ているこちらは想像するしかない
水炊き屋のシーンも叔母さんとの関係よくなさげ。帰る時の叔母さんの表情。
定時制高校生徒の告白はなんだったのか、月50万稼げる商売とは、、、
この後、主人公は家族に病気の事話せたかな、、、
哀愁を漂わせた主人公が上手く演じられている
定年間際の教師の公私にわたる哀愁を漂わせた主人公が上手く演じられている。結構わが身につまされる。難病に直面し、愛する異性や家族に支えられて立ち向かっていく物語は結構あるが、この主人公はあえて家族には言わないまま過ごしてしまう。松重豊氏演じる幼なじみの台詞には、同県出身者として、凄く親しみを感じる。二人の酒飲み場面は、『東京家族』での橋爪功氏と小林稔侍氏との雰囲気を連想する。題名に関わる場面は、途中の女子生徒からの反問に何か答えるのかと思ったが、何もなく、最後の卒業生からの問いかけには、当たり障りはないけれど、一応の答えができたので一安心した。じっと静止して答えを待つ演技も大変だろうと思った。そこで形をつけて「逃げきれた」ということになるのかもしれないと思った。途中の川縁を歩く場面は、違いがわからないので、使い回しかもしれないと思った。パンフレットにロケ地マップがあるので、機会があれば訪ねてみたい。
どうせ言わんっちゃろう
あたたかみと、おかしみと、そして物寂しさが通底する。
自然光そのままといった画面に、BGMもなく、自然体の演技が、劇的な物事もなく続く。
娯楽性はなく一人の男の姿を追う。
終盤、光石研が老いた陣内智則に見えた。笑
主人公は、定年を間近にして周囲との接し方を問い直す。いや、問い直される。
声は掛けるが親身にはならない、そんな浅薄さをことごとく見抜かれ、今さらに自覚する。
戸惑い、焦り、途方に暮れ、家族に「好かれたい」と訴える。
そのために本来どうすべきだったのか。
平賀との会話の中で、彼は糸口を見つけたのだと思う。
石田に指摘された通り、病気のことはほとんど打ち明けない。家族にすら。
確かに、近すぎない相手の方が話しやすいこともあるだろう。
でも、いつまでもそのままには出来ない。
ラストシーンの先、主人公は、そして自分はどれだけ向き合っていけるだろうか。
あらすじには「一歩を踏み出すまでの日々をつづった」とあるが、方向を定めただけに見える。
個人的には、しっかり一歩を踏み締めたところまで描いてほしかった。
50代という時代
光石研主演というのと、50代の男性の悲哀がテーマの一つのようで、観てみた。
この頃の男性って更年期になって若さの勢いはなくなってくるし、もぅ人生も一般寿命からしてあと20、30年とか見えてくるし、人生振り返りたくなる年頃。
ふと何かがきっかけで、自分の人生何だったんだろう、あのときああしていればとか、いやこれでよかったとか思うのは自然かなと。
最後に主人公が、後悔しないようにやることだ、と言い切りながら、後悔しても!とかあいまいなのは、結局、何やっても後悔するし、後悔しないし、その時々で変わってゆくもの。
そんな経験をしてきたからこそ、決められない年頃でもあるんですよ。
映画としては、ワンカットで長回しが多くて、沈黙もそのまま残して。バックミュージックもほぼないから、沈黙が効く。
事件やストーリーはほとんどない。人間、そのものを観察するような視線を感じる。
この映画には答えは求めてはいけないし、そんな期待もしないで、ただ、こんな風に自分の人生を愚直なまでに振り返ってる50代をみつめて共感できれば十分だ。
こんなひときっとたくさんいるはずだし、人生80年としたら、半分くらいを過ぎて、ふと立ち止まり、あのときのあのひとどうしてるんだろうって何十年経ってから思い起こす。
人生100年時代、人間に記憶がある限り、全部忘れて生きていけない。立ち止まってしまう時間が来る。そんなときどんな時間が経っていたとして、会いたいって気持ち。それを受け止めるひとたちが多くいてほしい。
そんな時代ですよね。
教頭として、父として、男として
「男とは…」カッコつけたい生き物である。
捨て切れない、捨てられない男の見苦しいプライドが病気という一つのきっかけを通して露呈されていく姿をリアルに感じた。
少年時代の自由さにいつまでも憧れ、武勇伝となっている。教師として向き合おうとする姿と経験から分かっている子どもの姿。しかし、本質まで突っ込んでいく気力はもう見えない。
当たり障りもない「都合のいい人」を演じるようにいつのまにかなってしまったのだろうか。
授業中の見回りで聞こえる夏目漱石の「こころ」の一節。これから周平が追い詰められていく無意識の描写に聞こえる。
妻との関係は冷えている。娘との関係はきっと自分が勝手に冷えていると思い込んでいる。
自分自身にきっと自信がないのだろう。教師としても父としても自分を出さずにここまできたのだろう。
弱さを隠してきた蓄積が今のリアクションにつながる。
妻へのプロポーズの言葉や娘の喜んだ幼少期は鮮明に覚えているのに。
無意識の苦しさが吐き出されている。
溢れ出した苦しさは旧友に会うことで紛らわそうとする。でも、結局出せるのは昔の武勇伝。そして旧友には見透かされる小さなプライド。
卒業生には教師であった姿と身内には見せられない小さなプライドを披露する。旧友にも家族にも見せられない小さな小さなカッコつけだ。それも卒業生に見透かされ、最後、やっと等身大の嘘のない素直な言葉で終わりを告げる。
人間には立場や場所によって顔が違う。どれも本当の自分なのにどれも少しずつ違和感がある。その違和感の積み重ねがバレてしまった。見つめざるを得なくなってしまった。
自分はどうだろうか。子供には、妻にはどこまで見せていいのだろうか。見せなくてはならないのだろうか。明日も同じように責任を背負って生きていく。その中での違和感はどうしたら良いのか。
自分の残りの人生を考えさせられるお話しでした。
次の作品にも期待しています。
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