ぼくたちの哲学教室のレビュー・感想・評価
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【”Think Think Respond。"宗教対立が長く続く、英国ベルファストで哲学的思考に基づき対話する事により、争いを無くそうと努力する小学校の校長先生の姿を描いたドキュメンタリー作品。】
ー ご存じの通り、英国ベルファストはケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」はプロテスタントとカトリック教徒の対立が続く街である。
街中にはIRAの旗や、荒れた落書きが多くゴミも散乱している。
更に、犯罪、麻薬が身近で、ヨーロッパで最も自殺率が高い。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・そんな街にあるホーリークロス男子小学校の校長先生、ケヴィンは「哲学科」(ベルファストの男子小学校では、主要科目だそうである。)で、生徒達に向きあいながら、”何故、相手をぶったのか””どうしたら良かったのか”と言った疑問を与え、生徒達に考えさせるのである。
ー ケヴィンは生徒達に答えを与えない。とにかく考えさせる。”Think Think Respond"を根気強く続けるのである。-
・私の、校長先生のイメージは訓話の場には出てくるが、普段は校長室に閉じこもっていると言うモノだが、ケヴィンは只管に現場に出る。生徒同士が喧嘩した時には、すぐさま駆け付けるのである。考える人でありながら、行動する人でもあるのである。
・生徒達の親には“やられたら、やり返せ!”と子に教えている親もいるが、その結果、北アイルランド紛争では、多数の犠牲者が出た事は衆知の事実である。
ー ケヴィンはそれを知っているからこそ、暴力で問題を解決させないように、子供達の思考を誘う。そして、ここでも”Think Think Respond"なのである。ー
■途中、ケヴィンが生徒を集めて言った言葉。
”この学校を卒業して、今はもうこの世にはいない元生徒が20名いる。”
ケヴィンは、過去の過ちを繰り返さないよう、生徒達に哲学的思考に基づいた対話により、問題解決させる習慣づけをしようとしている理由が明らかになるのである。
<ラスト、ホーリークロス男子小学校前の建物に描かれた、ケヴィンが指導した中で、”最も考え成長した生徒”をモデルにしたロダンの”考える人”が壁一面に描かれた絵を俯瞰して取ったショットは素晴らしい。
今作は分断された街の中で、哲学的思考に基づき対話する事によって、争いを無くそうと努力する一人の校長先生の姿を描いたドキュメンタリーである。
この考えは、現代日本を含む世界に通じるのではないだろうか、と私は思ったのである。>
<2023年7月16日 刈谷日劇にて鑑賞>
正直に
感想を述べると、いやぁ、気持ちの悪い映画。である。
タイトルがぼくたちの哲学教室とあるから
興味本位で鑑賞しに行ったが、詐欺だわ。これ。
まぁ、出演者皆、本当に哲学してるつもりだろうから
へぇ、そうなんですね。で終わらせておくが、
タイトルは、あるカルト宗教の立ち上がりの方が良くね?
と思うような内容だったわ。
哲学って書くから、その気持ち悪さに気づかない方も
多いだろうが、哲学を道徳って変えてみな。と
こう言う感想を堂々と書ける機会をくれた映画🎞️
と言うことで、星は多め⭐️。だが評価は以上の通り◎
哲学カフェに行って、ちょっと難しい話をしたくなった。
昨年観た「ベルファスト」の中で描かれていた、プロテスタントとカソリックの民間人同士のシャレにならない抗争(反社会勢力も真っ青)のその後の物語。
とある小学校で行われる哲学についての授業風景をメインに、10歳くらいの少年たちが自分自身とのコミュニケーションを深めていく様子が映し出される。
日本だと、教育も効率重視で、教師も親も、すぐにたったひとつの正解(らしきもの)を教えて、おしまいにしてしまう。
でも、ここに出てくる先生は、丁寧に子どもの心情に寄り添い、子ども自身が結論に至るまで手を貸し、その歩みを見守る。
与えられた答えではなく、自分が考え、導き出した結論が出てくるまで待つ。
ヨーロッパの人たちの知性のベースは、こういうふうに作られていくのだな。
特段、宗教に帰依していない私からすると、カソリックとプロテスタントの違いは分からない。
でも、間違いなく、両者のガチ抗争に、イエス・キリストは草葉の陰で泣いていると思う。
「汝の隣人を愛せよ」という聖書の言葉を思い出し、まず大人が実践していかなきゃと、しみじみ思った。
でも、こういう血気盛んなあかんとこも、惚れた弱みで好きである。
(原題) Young Plato
哲学は堅苦しいものじゃなくて単純に問うことっていうのが徹底されてて、自分の感情や行動原因を言語化して整理した上でじゃあ何をするかっていう考えることを習慣化する大切さと一種の楽しさを感じた作品!
あんな温かい大人になりたいし、考えさせる教育を受けたかった。
親が子どもに与える影響力の大きさを感じた。
この映画は「カリスマ教師が落ちこぼれを優秀な生徒に変えていく」という、よくある話ではなく、治安の悪い住宅街にある学校の先生たちが、地道に子どもに向き合い対話しながら仲間の大切さ、暴力は暴力を生むという恐ろしさを伝えていく内容だった。
異なった考えを持つ者同士が、お互いの主張や考えを尊重しあわなければ殺し合いまで発展することを伝え、それを再び繰り返さない大人にならないように願っているのだろう。
仲良くしましょう
頭では分かっていても、
毎日、色々、ある。
違う意見も受け入れる、
自分の感情をコントロールする、
それは大人でも難しく
むしろ苦手な人ばかり、
だけど、このままでいいのか、
子どもたちを「対等」な姿勢で、
相手を真摯に「尊重」しながら
問いかける
自分の頭で、
友達とも、親とも違う、「自分」の頭で、
考えて、考えて、考えよう、と。
学校の周りに広がるのは
工場のような密集した画一的な町並み
公園や緑もなく
狭い歩道で遊ぶ子ども達
途方もなく、遠く感じる
ここで、「のびのび」「健康的に」育つなんて、、
それでも校長先生とカウンセラーの先生は
粘り強く、ユーモアを忘れずに
子ども達と向き合う
「君は優秀だ」「君ならできる」
子どもたちの回答は
真っ直ぐで、みずみずしい
子ども達は何色にでも
染まるから、
願いを込めて。
校長先生は黙々と
ストイックな筋トレにはげむ
生徒の前ではエルビスを口ずさみながら。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
相当な覚悟と情熱がないと
根深い現実には、あがなえない
英語圏の子ども達はネット被害も
深刻だと知った。
子ども達を陥れる罠は至る所にある。
子どもたちを守れる存在になりたい。
哲学も筋トレもStoic
自ら授業、居残り学習を行う行動派な校長先生
ちょくちょく問題行動が起こっていたので、真面目にディスカッションするけど大人しい子達ではない 親も含めて学校ぐるみで解決しようとする、少しの異変も見逃さない姿勢には感心しました しかしドラッグや自殺、まだまだ続いている宗教問題等北アイルランドは闇が深いのですね 感情が激しい国民性なんでしょうか
同じようなお家がずらっと並ぶ街並みにそぐわない分離壁が印象的だった
哲学はお悩みに効く
公平とは何か
とにかく対話、という姿勢について、我が身を振り返させられる。打ち負かしたり理想と思う方向に結論づけようとしたり、そういうことから逃れることはなんと難しいことか。暴力と恐怖で支配しない対話は根気がいる。プレスリーと筋トレが、校長のアンガーやアグレッションの懐柔方法。
手遊びしている子、落書きしてる子もいるのが、存在自体が発話であるという感じでよかった。あと、教師を殴って停学になる子もいるんだけど、ペナルティとしてというよりも(それもあると思うが)、対等な存在と思っているからこそきっちり停学させるということに見えた。万引きの扱いも一緒。
カール・ロジャーズ『鋼鉄のシャッター』なども思い起こさせるが、より普遍的な哲学というものへの信頼が、人類愛へとつながる。そう信じることが大事なのかなと思った。
冒頭からなんだか涙が出た。見終わってSpotifyをランダム再生したら、プレスリーのインタビューが流れた!
哲学の原点
宗教対立による抗争が長年続いたアイルランドで、次の世代への憎しみの連鎖を断とうと、小学校に哲学の授業を取り入れた校長のケヴィン・マカリービー先生と、その教え子たちに密着したドキュメンタリー。
教育の力の素晴らしさを改めて実感させられる。
「やられたらやり返せ」と親から教え込まれてきた子供たちに、ケヴィン先生は暴力による復讐がなぜいけないかを、子供たちが自分の言葉で語り出すまで辛抱強く対話を繰り返す。
ソクラテスの昔から哲学の基本が対話であることを思い出せてくれる。
今こそ僕も哲学を始めなければ
このドキュメンタリーの舞台は、北アイルランド ベルファストの Holy Cross Boys' Primary School。この地域は、5 歳から男女別学なんだそうで、同じ地域に同じ名前の girls' school もちょっとだけ(でも重要な場面で)出て来ます。主人公は、男子小学校の校長、ケヴィンです。彼は 5 歳児クラスを含む全学年に哲学を教えています。
5 歳と哲学って、繋がりますか? 僕は、この映画を観るまで、不思議でした。でも、納得しました。この映画を観れば、あなたも納得できます。
映画を観て気付いたんですが、不安や怒りを言葉で表すと、それらの感情を引き起こした物事から距離を置いて見られます。客観的に自分や周囲を理解する上で、素直でしがらみのない子どもこそ、哲学の力が効果を持ちやすいのだと感じました。
彼の地は、政治的に難しい所です。映画『ベルファスト』では、半世紀前の武力闘争下、故郷を離れる幼い主人公一家が監督の自伝として描かれました。現在でも、プロテスタントとカトリックを隔てる「平和の壁」が残り、双方が勢力を拡大しようと若者をリクルートし、小競り合いが起きているそうです。そして、暴力の記憶は親から子に伝わります。そうした記憶の連鎖を哲学の力で止めようとしているのがケヴィン先生なのです。ここに希望があります。
北アイルランドの暴力はまだ終わっていませんでした。世界も僕も、2016 年の Brexit で思い出しました。
一方、現代の日本には、武装蜂起はありません。これが続いてくれることを願っていますが、社会に危うさを感じます。去年 2022 年に安倍晋三が殺害される前から、大阪・北新地の心療内科や京都アニメーションの火災とか津久井やまゆり園の連続殺人がありました。先週、自衛隊では訓練中に上官を射殺する者も現れました。時間を掛けて壊れた社会は、直すのにも時間が掛かりそうです。哲学は、その時の有力な手段になりそうです。社会がここで踏み止まれるように、僕も哲学を始めなければと思わされました。
哲学入門
いや、面白い! マカリービー校長、ファンタスティック!
こんな先生に出会いたかった!
北アイルランドの教育システムがいかなるものか、寡聞にして知らず。小学校で男子校ってあるんだね。それも哲学の授業が正課だなんて。
校長の運転する車の窓から、北アイルランドの厳しい現実が垣間見える。壁に描かれたアジテーション。50年前に燃え盛った対立の火種が未だ燻り続けている、象徴としての平和の壁。貧困、麻薬、暴力。それら負の連鎖を鵜呑みにせず、自分の頭で考えろ、大人たちになぜと尋ね続けろと説くこの人。めっちゃチャーミング。
ドキュメンタリーってよほどの根気がないと作れないと思う。2年間密着したそうだけど、よく撮れたなと思うエピソードが次から次へ。
それにしても子供たちがかわいい。どこの国にもこんな澄んだ瞳の子供たちがいるんよね。ロシア人も子どもたちを愛しているって歌が昔あったけど、ちょっと想像すればわかること。哲学的に考えるべきは、我々大人たちなんだ。
教えられるのは考えさせる事だけ
不条理・不合理・不公平の蔓延るこの社会で問題を解決して正気を保つには思索と対話(←まさに哲学)が不可欠だが、それを小学生に身につけさせるよう取り組み、成功しているところにヨーロッパの哲学の伝統を感じる。
ややとっ散らかった印象はあるが、ドキュメンタリーゆえ許容範囲か。
どんな意見にも価値はあるのか
「価値がない意見もある」という意見をどうすればよいのか。
映画「ベルファスト」の舞台ベルファストの小学校の話。魅力的な校長先生といろいろやらかす子どもたち。
教室の窓という窓にはシャッターがつけてあり、親の世代は紛争のまっただ中で育った。
IRAというと爆弾をつい連想してしまうが、実際はそう単純なものではないのだろう。
私たち日本では、けんかが即ち戦争になることは考えにくい。しかし、ここベルファストでは、けんかが直接、戦争につながることは皆無ではないだろう。
そんな地域の小学校で相手の意見を聞くことの大切さは、私たちの想像以上のものなのだろう。
今日もエルビスを口ずさみながら、軽やかに階段を駆け上がる
北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス男子小学校。ここでは「哲学」が主要科目になっている。エルヴィス・プレスリーを愛し、威厳と愛嬌を兼ね備えたケヴィン校長は言う。「どんな意見にも価値がある」と。彼の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら、自らの思考を整理し、言葉にしていく(公式サイトより)。
ムキムキマッチョなスキンヘッドのケヴィン校長が、他の先生やスクールカウンセラーと共に、心と頭と身体がまだ一致していない子どもたちと向き合い、ひとつひとつのテーマについて、丁寧に思索を重ねていくドキュメンタリー。
本作は、アイデンティティ形成期の少年たちが、校長やかつての哲学者たちの力を借りながら、少しずつ言葉や思考を獲得していくほほえましい記録であり、観ているわたしたちにもそんな年齢の時が確かにあったと振り返らせてくれるノスタルジックな作品、というだけではもちろんない。
実は当地は長きにわたりカトリックとプロテスタント(イギリスとアイルランド)の領土問題が根深い。
「北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が長く続いたベルファストの街には「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在する。1998年のベルファスト合意以降、大まかには平和が維持されているが、一部の武装化した組織が今なお存在し、若者の勧誘に余念がない」(公式サイトより)。
哲学教室で無垢な少年たちが思索を深めるシーンと対比する形で、いまなお至るところに残る紛争の爪痕、薄暗い路地に見え隠れする怪しい人影、組織に勧誘する看板、壁面に描かれた「ドラッグ追放!」の強い色彩の映像が要所要所に織り込まれる。
実体験と授業を通して、ケヴィン校長が子どもたちに暴力の無意味さを丹念に教えても、家に帰れば父親から「やられたらやり返せ」と上書きされる。子どもころは感情がうまくコントロールできなかったよなーと回顧に浸りそうになる瞬間、感情に突き動かされたたくさんの大人達が映し出され、やるせなくなる。
これだけ念入りに接しても、生徒たちは数年で卒業する。大きくなった卒業生の中には不正にまみれ、親に弔われる結末を迎える者もいる。相変わらず街には暴力とドラッグと疑心暗鬼が溢れ、親世代の復讐心が消えることはない。それでもケヴィン校長は、この連鎖を断ち切る力は子どもたちにあるという信念のもと、今日もエルビスを口ずさみながら、軽やかに階段を駆け上がる。
教育は生死を分けるライフスキルだ。
私はこの春まで長らく現場の教員を務めた。最後はかなりぐだぐだになり、打ちのめされて消えて行った。教育現場は理想と現実の狭間で、理不尽と戦う。
ケヴィン先生も私も目指していた事は同じだ。子どもたちに自分の人生を歩み幸せになってほしい。地域社会の人財としてその地域の課題と向き合い次代を担って欲しい。
哲学は私の中では物理学と似ていて、『人間や物事の根本原理を探求をする学問』だ。
『なぜそうなのか』と問い続けるケヴィン先生の授業は確かに哲学教室だと思う。
その上で、ケヴィン先生は子どもたちに考えさせ、本当はどうしたかったのか、どうすべきだったのかと、善悪の判断や人間社会での正しいあり方を思索させる。待つ時間を保証し、答えは決して言わない。
子どもたちはトライ&エラーを繰り返しながらより良い振る舞い方を学んでいく。
ホワイトボードを使って自己と状況を客観視させたり、アンガーコントロールに指の又をなぞらさせたり、そういった手法は私と変わらない。
先日、娘とダイバシティ東京に行って遊んで来た。多様性の大切さが言われて久しいが、同調圧力が強いこの国に違う価値観の相手と妥協点を探る、そうした対話の文化があるとはとても思えない。我が国の地理的環境は天然の壁なのだ…
価値観の相違に基づく対立、憎しみや殺し合いの負の連鎖はどーしたら断ち切れるのか?
歴史、文化、宗教に根ざす価値観の違いを乗越えてお互いを尊重し、協調した行動が取れるようにするにはどーしたら良いのか。それは普遍的、かつ、実に今日的なテーマだと思う。
『壁』は対立と分断、異なる価値観の排除、内側への締付けの象徴だ。ベルファストの平和の壁、ガザ地区、メキシコ国境、ベルリンの壁。
分割統治は古代ローマ帝国からの鉄則であり、分断を煽り、ポピュリズムで権力を掴むには異なる価値観を持つものを生贄にするのが手っ取り早い。幼い子どもたちに思想教育を施し、堅固な心の壁を築かせる。そうすると暴力は連鎖し狂気が支配する。
AI やバーチャルな世界が日常的になりつつある今だからこそ、物事の真偽を見抜く『哲学』や『批判的思考』が必須なのだ。
映画のラスト近く、ケヴィン先生が授業をしている時、1人でノートに絵を描いている子どもが居た。その子の活動を認め、排除したり参加を強要したりしない寛容さが印象的だった。
また、コロナ禍を凌ぎ、ここを卒業した生徒が中学校への入学式の前に立ち寄り、僕はホーリークロスの出身なんだと胸を張って言う姿が眩しかった。
子育ては、大人(親)が子供と言葉で語り合うこと!
子供には、自由に育って欲しいと、育ててる
この、自由って?なんだろう
と、この映画で、問われた。
争いやいざこざの国、街
そこでの子育ての信念、信条を
この映画では、語っている。
親は、信念や価値観を押し付け
鵜呑みにする子供に
育てがちだ。
子供の思い、考えていることを
肯定的に、聞く。ことの大切さ。
"聞く"と"受け入れる"は
違う。
"聞いて" "問う"
そして、また"聞く"
難しい!
無知という最高の知。謙虚さと他人へのリスペクト。
イギリスとアイルランド、カトリックとプロテスタントの紛争地帯。ベルファストの近くにある男子小学校。
そこでは校長先生が小学生相手に哲学の授業をしている。
実際映画を見てみると哲学というより「色んなものを見聞きし、行動する前に自分で良く考える」習慣つくりって事なんだなと思った。まあ子供にソクラテスガー、、と話しても全く理解できるわけもないよね。
しかし10数年前に同胞を殺し合い今もなお燻っている土地柄だからこそ、人と人が話し合い、違いを認め許し合う状況を作る草の根運動としての教育の責任は大きい。
地元出身で主人公のスキンヘッドでプレスリーマニアの校長自身もその時代を生き荒れた子供時代の体験があるから、その重要性を感じているんだと思う。
日本だと「道徳」という、こうあるべき、こうなるべきっていう頭ごなしな硬直したやり方しかできないのだろう。私立じゃなきゃこんな授業は出来ない。
もっと子供の考えを、時代や環境、現実を教材として興味を誘導してあげるような教育はできない物だろうか?
仕事がキツすぎて教師の数もたりない。
高度成長期の効率優先教育の弊害なんだと思う。
文句なし!これぞ考えさせられたドキュメント。
文句なし!大変、素晴らしいドキュメントだった。北アイルランドのホーリクロス小学校のケヴィン校長の哲学の授業が素晴らしく衝撃を受けた。教育とはこれだと思い知らされた。校長先生が授業をするシーンは私の記憶だと小説窓際のトットちゃんを読んで小説の中のイメージでしかなかったがまさか北アイルランドで行われているとは。ケヴィン先生の哲学の授業は一テーマ毎に大切。もちろん子供の教育、指導も然り。喧嘩の解決から学校嫌いの解決法まで。教育の教科書かと思わせてくれた。上映館が少なすぎる。映画館へリクエストしてまで必見の作品。小学生の両親、日本の学校関係者、教育関係者、教育委員会関係者必見です。おすすめします。ケヴィン先生のエルビスプレスリー愛もユニーク。先生はこうでなくちゃ!
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