「シャドウボクシングは見世物?」セフレの品格(プライド) 決意 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
シャドウボクシングは見世物?
題名のシーンは、今作一番の露悪な演出であり、何故これだけだったのだろうと、訝しみさえ漂わす・・・
原作は未読なのだが、この連作の後半パートは漫画でも同じ設定なのだろうか?
原作をご存じの方はご教授願いたい
打って変わって、前半パートに対して、新登場人物達が主人公カップルを引っかき回すという筋立てでストーリー展開していく作品である もう後半パートは観ないと決めていたのだが、やはり気になってしまい、一縷の望みを託して観賞 そして賭に惨敗といった感想である
確かに、原作に則った内容にした場合は、倫理上大変問題なシークエンスが設定されており、あくまでフィクションだと断ったとしてもそれで逃げおおせるレベルではない生命倫理であり、そのリスクは抱えられないだろうことは容易に想像出来る なので、新たな設定を設けたのだろうが、この作品名そのものに対するテーマ性を制作側はどう社会的に観客に提示したのだろうか?
もし、そのままのテーゼとしたら、『セックスフレンド』というのは、純粋に男女がその個々の性質上、理性では抑えられない持て余した性欲を、巧くリスクヘッジするために、同様のレベルの相手を求め合うことで、成り立つ関係性であろう しかし、その同列のレベルなんて科学的に推し量る事等不可能であり、もしそれとは違い、ある程度恋愛感情も動物的生殖本能に割合として溶け込ませたとき、それは料理のレシピの如く、塩と醤油の割合を計量スプーンで量る事なども不可能であり、先ず以て喩え話としての料理レシピを引合いに出すことすらお門違いである<失礼しました
今作品のテーマは、セフレの話なんかではなく、過去に手痛い倫理感欠如に巻き込まれた素直な男がダークサイドに反転してしまい、一切恋愛感情を封印するだけに飽きたらず、世間一般の女性に対しての復讐の如く、己のちっぽけな自尊心を保とうと金を使い、認知の歪みを発動させている愚かな上級国民に対し、学生時代の淡い恋心が忘れられない、しかし良く言えば無垢であり、悪く言えば主体性に乏しい女性が、同窓会で偶然出会ってしまい、果してこの結末は。。。というプロットであろう そして、それが2部に於いて、お互いの間違っている部分に気付き、元鞘に戻るという流れが使い古された帰結である
今作品に於いての問題は、男側の強烈なトラウマを凌駕する未成年女の過酷な履歴と中絶に対しての葛藤の、深いストーリーテリングを放棄したこと もう一つは、女の方の性欲と身体の乖離が如実に自覚していく最中に、若い男の猿のような行為とそれを愛と勘違いしているアスリートへの持て余し感を、濡れ場に於いてきちんと表現、又は演出できなかったこと
その全てが消化不良の儘、観客に解釈を委ねる悪手に染まったことに著しい不満を覚えるのだ 男は今迄の罪滅ぼしの為に、未成年の女の親に大金を払い身請けする事の意味 女は今迄の夫達の未成熟さ故の暴力に甘受していたことへの過ちを、若さだけが取り柄のアスリートを通して何を感じたのか? 男は未成年の女を抱くべきだったし、女は性欲の強さが減退していく中でアスリートに身体的に傷付けられて取り返しの付かない所まで追込まれるべきだし、兎に角、本当に作劇としての"浅瀬でチャプチャプ"感が払拭できない内容なのである
かなり熱くなってしまいお恥ずかしいレビューに成り下がってしまったが、1.2部と分けての上映条件なんて、ハリウッドの大作しかないチャンスであり、それだけ今作のテーマや意義にもっと哲学的や倫理観を織り交ぜた見応えのある構造にできなかったかと残念である ソフトストーリーに徹するならば分ける必要は無いし、ハイコンテクストにするのならば、表現の行間をもっと演出すべきである
それこそ、ラストの「ホテルいこう」は、日活ロマンポルノの手垢の付いたオチであるなら、露悪性又は人間性の両面を大胆に脚色して欲しいと願うのは間違っているのか?
だから、あのオチは響かないのだ・・・