碁盤斬りのレビュー・感想・評価
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期待度○鑑賞後の満足度△ 囲碁の好きな人は分からないが、映画としては何だかなぁという出来である。良い部分も有るのだか全体として不細工。演出や脚本にも問題があるが最大の戦犯は草彅剛のミスキャスト。
①草彅剛は大部分の出演作品では好演である。しかし、本作では侍役が全く似合わない。表情も台詞も違和感だらけである。
だから、柳田格之進が結局どういう人物なのか全く見えてこない。
ついでに言うと、斎藤工も現代性が前面に出過ぎて全く侍に見えない。殺陣も下手(一応剣道をしていたので分かる)。
もし、演出の意図が新しい侍像を描くことにあったのなら、申し訳ないが全くの失敗。
②後付けで知ったが、元々は落語の話との事。そう言えば、クライマックスで源兵衛と弥吉とが互いに「自分の首を切ってくれ」と掛け合うシーンはそれらしい味が出ていたが、突然そういう流れになったような演出でチグハグ感が目立つ。
お絹を吉原に迎えに行ったところから弥吉との祝言のシーンで、“ああ、人情話だったんだ”と思ったら最後は「木枯し紋次郎」みたいで、余韻を残したかったのかも知れないが、蛇足みたいにしか感じられなかった。
③万事こんな感じ。
映画にいろいろな要素を盛り込むのはよろしい。コミカルなシーン、心暖まるシーン、緊張感あるシーン、悲劇的なシーン、怖いシーン、静かなシーン、アクションシーン等々、それらの要素が、ジグソーパズルのように全てのピースがピタッと嵌まって一つの絵が完成されるように、一つ一つの要素が個々の役割を際立てつつお互いを引き立て合いながらハーモニーとなり、全体として均衡が取れてかつ豊潤な映画となれば言うことがない。
それが、本作は未完成なジグソーパズルみたいな感じ。
④最初は裏長屋に住む何か曰くありげな浪人(柳田格之進)と、その世話をしつつ反物の繕いなどで生活を支える健気な娘(お絹)。
時代劇にはよくある設定で始まる。まあ、導入部として無難。
よくある設定ではあるが、明るく健気な娘という在り来りな人物設定ながら、清原果耶の佇まい・存在感は父親役の草彅剛の違和感を補って余りある。
武士の娘らしい凛としたところ、ちょっとしたことでは揺るがない芯の強さを持ちながら明るく心がキレイで誰からも好かれる、守ってあげたいと思わせる健気さを同時に表現して、相変わらずその人物造形の上手さに唸らされる。
最後まで安定感のある演技と存在感で映画を支えている。
贔屓し過ぎかも知れないが、この映画を救っている三大要因の一つは彼女である。
やがて、
柳田の「真っ直ぐさ加減」
「碁敵(ごがたき)は憎さも憎し懐かしし」という川柳があります。
「笠碁」という落語の枕によく使われますけれども。
普段は好敵手だけに、いったんケンカ状態になると収拾がつかなくなるが、そこは同好の士の間柄のこと、蟠(わだかま)りが解ければ、また元の鞘(さや)に戻ることのできる間柄でもあるのですけれども。
相手側の荒唐無稽な言いがかりも、無視して相手にしないことではなく、(どんなに困難であっても)相手の言い分を是として受け止めたうえで、その言い分が「言いがかり」だった場合のペナルティを厳しく設定する―。
それが本作の柳田の「真っ直ぐさ加減」というものだったのでしょうか。
本作の主演の草彅剛といえば、評論子的には、どうしてもミッドナイトスワンの凪紗の印象を拭えないのですけれども。
しかし、本作は、草彅剛にとっても(初演ではないようですけれども)時代劇俳優としての新境地といえるのかも知れません。
そして、これまた時代劇では新境地を拓いたという白石和彌監督が、「武士の体面」やその土壌となっている「武家社会」など、相変わらず鋭い視点で(そろそろ時代から浮きつつある?)世相を捉えている点は、『日本で一番悪い奴ら』などの現代ものの作品と変わらない一本でもあったと思います。
つまり、50両の冤罪をかけられた時、「やっていないものはやっていない」と突っぱねるのがふつうの感覚なのだろうと思われます。
(別作品「シャイロックの子供たち」で、横領の嫌疑をかけられた女性行員に、その上司の係長は「やっていないなら、もう泣くな。胸を張っていろ。」とも声をかけています。)
しかし、「嫌疑をかけられただけでも、末代までの恥さらし」と受け止める武士道は、もう既に、この当時においても、世間の感覚との間にははズレが生じてきていたのかも知れません。
そこにも思いを致すと、本作は、充分に佳作としての評価に価する一本だったとも思います。
(追記)
柳田から50両を受け取ったときの弥吉の約束どおり源兵衛・弥吉の首を刎(は)ねる代わりに(源兵衛自慢の)碁盤を切ったのは、単に武士として、いくら約束とはいえ、身分違いの町人に過ぎない)源兵衛・弥吉の首を刎ねることが躊躇(ためら)われた故でしょうか。それとも、源兵衛・弥吉の庇(かば)い合いの心根の美しさに、思わず手元が狂ったものなのか。
柳田の真意を推測させるようなシーンもなく、その点は(本作の構成上は)不明ということにはなっているのではありますけれども。
もし、前者であるとするならば、いかに碁打ち仲間として気心を通じた仲であっても、柳田は源兵衛を、その程度の身分としか見ていなかったことにもなりそうです。
(評論子としては、柳田の真意は前者であって、本作としては、そこに士農工商という当時の身分制社会を暗喩したと受け止める印象がより強いようにも思われます。)
(追記)
柳田が梶木に申し入れた仇討ち(決闘)が、囲碁の勝負だったことは、面白いと思いました。評論子は。
もちろん、それは囲碁をモチーフに展開してきた本作のストーリーとしては「展開上の都合」という、オトナ的な理由もあったのだとは思いますけれども。
しかし、梶木は足が不自由で歩行は杖に頼っている身。
「いざ尋常に勝負、勝負」ということでお互いに抜刀するなら、柳田が圧倒的に有利なことは明らかで、それで梶木の首を討ち取っても、本当の意味では仇討ちを果たしたことにはならないというのが、柳田の本意だったのだと思いました。評論子は。
むしろ彦根藩に無双の打ち手としての誉れ高い梶木には、彼の得手の囲碁での勝負を挑む―。
柳田の正義感の「真っ直ぐさ加減」というものは、そんなところからも窺い知ることができるのでしょう。
時代劇はまだまだ描ける
白石和彌監督が撮る初の時代劇と言う事で俄然注目していた作品が愈々公開。濡れ衣を着せられて藩を追われ、娘と二人暮らしの浪人が、得意の囲碁をきっかけに復讐に立ち上がる物語です。
久しぶりに「楷書の映画」を観たと感じました。メリハリの効いた物語、固定カメラでしっかり見せる映像、チャンバラ場面は抑制的な演出、草彅剛さん・清原果耶さん・國村準さん・そして斎藤工さんそれぞれの個性が際立つ俳優陣。特に、斎藤工さんのクズな男が見せるクズなりの道理が魅力を放ちました。そうした舞台には時代劇が最適だったんでしょうね。21世紀にだって描ける、描くべき時代劇はまだまだあるのです。
ただ、格之進の葛藤をもう少し丁寧に見せて欲しいという場面が幾つかあったのが残念でした。でも、現行で129分の作品では仕方ないかな。
碁に魅せられた人々の物語
今、最も脂が乗った監督の一人、白石和彌監督による初時代劇ゆえに、細部に至るまで神経が行き届いた本格時代劇に仕上がっています。
時代劇は現代のファンタジーです。その時代に生きた人はいないので、自由に創作できる一方、観客に如何にもそれらしい空気感を感じさせる設えと人情の機微が無ければ、却って違和感ばかりが浮き上がり、訳の分からない白けた寸劇になってしまいます。
本作は、昼間でも明るさを抑えた光の加減が作品を通じて絶妙でした。室内シーンが多いために全体に仄暗い中での明と暗、光と陰、それぞれの微妙なコントラストが、ドラマの雰囲気と共に主人公と娘の倹しい日常を漂わせていました。
薄汚れて狭苦しい江戸の長屋、整然として広々とした大店、艶めかしく賑やかな遊郭、大勢の出入りの出来る怪しい侠客の屋敷が、美術・装飾スタッフによってリアルに再現され、観客を自然に時代の中に誘ってくれます。
元々は落語が原作ですが、映画では話を膨らませ、タイトルにある“碁盤斬り”は生かしつつも、草彅剛扮する柳田格之進とその娘役の清原果那による復讐劇を核に置き換えた建付けにしています。前半は親子の住む江戸長屋での平穏な、一面では退屈な日常が淡々と進み、BGMもややユーモラスで軽妙な曲調でしたが、過去の事実の真相が分かった後は短調の物悲しい曲調となり、舞台が広がりストーリーが急展開していく後半は、重苦しい曲調のままにドラマの空気を覆い尽くしていました。
前半は会話が主体だけに人物の寄せアップのカットがやたらと多く、やや閉口します。主人公が無表情無感情、ひたすら冷静な理性の人としての日々の暮らしを送りアクションもないため、引いて撮ると何ら面白みのない映像になるからでしょう。その反動で一気にドラマが動く後半は、柳田格之進の表情は怒りと悲しみに満ち、常に動き回ります。
前半の平穏さがあったゆえに、この感情と言動の落差は大いに観客を惹き付けます。
悪が際立てば際立つほどに、この憎悪への共感は増すのですが、斎藤工扮する悪役には嫌悪感を催すほどの非道ぶりは見えず、寧ろ本来の優男からのしなやかさすら感じられ不完全燃焼感が残ります。ただ殺陣には及第点をあげられそうです。
“碁”が本作を一貫するテーマであり、碁に魅せられた人々による、可笑しくも哀しい物語となっていますが、とはいえ碁が何らかの伏線や布石にはならず、碁の棋譜がドラマのキーになるわけでもありません。
個人的には、仇敵との最終決着を碁で決めるというのは、二人は真剣でしたが、嘗ての熱血少年マンガでの決着シーンとオーバーラップして思わず苦笑してしまいました。
草彅さんに惹かれました!
珠玉の時代劇
良質なヒューマンドラマ
シナリオよくお芝居も皆々よく、地味ですが見ごたえのあるよい作品です。
素直にいいものを観たなぁと思えました。
あまり話題にされていないのが不思議なくらいです。
物語は前半と後半で大きく転換します。
前半では柳田格之進(草なぎ剛)と萬屋源兵衛(國村隼)の囲碁を通した心の交流が描かれています。
浮世離れしたところのある柳田の佇まいに少し違和感を覚えつつも、前半部分だけでも良質なヒューマンドラマになっています。
後半ではそこから大きく転換し、妖精のようだった柳田が人間らしい表情をみせます。
柳田の激しさ清らかさ、娘のお絹(清原果耶)の健気さ、弥吉(中川大志)の青さ。
脇を固めるベテランも若い方も、心の入ったよいお芝居をみせてくれます。
人にお勧めできるよい作品でした。
江戸を見事に表現した映画
碁盤斬り
ちょっと厳しい事言う 十五(夜)の夜
盗んだ反物売り飛ばす
行く先も分からぬまま
暗い夜の帷の中へ
誰にも知られたくないと
逃げ込んだ江戸吉原
自由になれた気がした十五(夜)の夜
んーイマイチですねー🤣
クオリティ低い替え歌でごめんなさい🙏
白石監督、草彅剛と、
間違いないだろう顔触れで、
期待値は高かったが、
やや期待外れかな。
全体の雰囲気は好きです。
浪人が長屋で貧乏暮らし、そこにはドケチで有名な庄屋が居て、場所は吉原なので置屋のやり手ババアが幅を利かす。もう少し吉原っぽさも、要は艶っぽいシーンも、欲しい所でした。
時代劇て、台詞が大事です。
イントネーションとか、アクセントとかテンポ、
言葉尻でその時代を感じられる所は大きいです。
國村隼と小泉今日子は、中々堂に入って如何にも江戸時代劇を醸し出してますが、
草彅、斎藤工他若手役者陣は、普段やってるドラマでの役と同じ様な喋り方をするのが少し残念🫤
プロットとしても、そこまでハラハラしないし、
敵役柴田兵庫も憎さを彼自身の台詞で半減し、
殺陣であんなに無敵なのも根拠無く、
武士の情けと望み通りなのも疑問かな🫤
詰まらなくは無かったけど、
面白いかと言うとそうでもなかったです。
自分が時代劇に免疫無いからかな❓
草彅はもうちょっと笑顔があっても良かったのでは。
源兵衛とっておきの碁盤で打つ時くらいはね。
TVの宣伝につい乗せられてしまい、しまった!と思った時には遅い。
草薙剛が出演している番組を見ていて誰だかは忘れたけれど、草薙剛にインタビューをしていて、タモリが彼を絶賛している話しだった。向上心が無いところがいい!と褒められた…と奥目もなく言い放っている彼。じゃ、見てみるとしようと思った。
ホントは「ドノバン」を観るつもりだった。しかし、昨日調べた時間と今日の開始時間が違ってるのに気がついた。そんな偶然もまあ、いいかとこの映画がピタリの時間だった。しかしまあ驚きまくった。向上心のなさもここまでだとは思わず観ているのが辛くなった。しかしながら小泉今日子の凄みに惹きつけられ最後まで観てしまった。
それにしても、落語を馬鹿にしてはいけない。仇打ちを入れ込んだお陰で人情咄は見事に雪崩れに遭った山小屋。小学校の道徳教室のように静まりかえってしまった。
囲碁は読み合いを競うゲーム。読み切って罠を仕掛けたりその仕掛けにハマった振りをしたりで人の良さでは勝てるはずはない。でも、やはり最後は人柄なんだ。だから、囲碁に強い奴はこの映画の格之進の様な状況には陥らないと思うんだ。そんなトンマな役を草薙剛はすごく力一杯に演じてる。今の十分の一ぐらいの頑張りで結構いい映画に仕上がったと思うのだが…しかし彼の身体の硬さは尋常じゃない。
つい、凪なんたらって映画と比べてしまった。
ごめんなさい。
白石監督にしては
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