「廉直の果て」碁盤斬り Uさんさんの映画レビュー(感想・評価)
廉直の果て
◉もう、腹を切らせてやれ
観賞後の情報で「柳田格之進」と言う人情噺があることを知りました。それとちょいと前に、「廉直」と言う言葉の意味=「行いが潔白で正直なこと」を改めて知っていました。
廉直を痛いほど感じさせる武士である格之進と、健気な娘の清貧な暮らしが軸となって、物語は進む。囲碁にも滲み出る(ルールは知らないのですが)格之進の生真面目な人柄が縁となって、萬屋源兵衛との交流が生まれる。
しかし耐え難い二つの憤怒が、廉直の士を襲う。一つは脱藩の原因となった横領の濡れ衣は実は柴田兵庫の策謀であり、更に格之進の妻を辱めていたと言う事実。もう一つは萬屋の50両をくすねたと言う冤罪。憤死に値するような、正に奇跡のような不運。
もはや格之進は腹を切るしかあるまい! と言いたくなる、このシーンまでが話の前段となる。草彅剛の演じる格之進は、硬度は高いけれど脆い金属を感じさせるような「堅物」であり、恥辱には耐えきれそうにはなかったのですが。
◉見た目も気持ち良いサゲ
柴田兵庫の断罪に至る追跡行は、苦しく熱く進められて、終盤は賭碁の鉄火場(市村正親)と置き屋(小泉今日子)での、二つの浪花節を挿入した後に、いよいよ本作の見せ場である首切りのシーンへ。商人の主従が私の首を、いや、私目の首をと争ううちに、段々と首が直線に並ぶ。ならば二つとも頂こうと、一声叫んだ格之進が碁盤を叩き斬る。
ここで私は既に心地良い可笑しさに取り込まれていました。ここまでの格之進に対して、堅物であると同時に、脆さ=優しさみたいなものも感じていたのです。それで決着のつけ方にも信頼感を抱いていました。柴田兵庫の首は落としても、商人二人の首は落とさない。二人の首と重々しい碁盤を一瞬等価値にしたサゲは、見た目も含めて鮮やか。
◉独りよがりの正義と、半端な悪
それで改めて、意地を通した格之進もエラいけど、もっとエラいのは清水の舞台から身を投げ打って、父を動かした健気な娘だよね…と、すっかり感動したのですが、やはり、やや引っ掛かりはありました。
一つは、彦根藩時代の格之進が正義を振るう強権的な人間で、人を苦境に落とすほどあったならば、それを例えば追憶の形とかで表して欲しかったです。藩時代の話は囲碁の勝負と冤罪のみだったと思います。草彅剛と回りを囲む俳優陣の秀逸な演技によって、堅物の醸し出す心惹かれる性格が前面に現れ過ぎて、人たちを苦しめるぐらい融通がきかない人間の感じはしなかったのです。
もう一つは柴田兵庫の中途半端な悪。実は格之進の正義によって苦境に陥った人々を救うために、色々と画策していたとか、格之進の妻との不倫も力づくではなく、成り行きだったとか、それを後出しで言われてもね。
結びは幸せな娘の姿を眼裏に刻みながら出奔する格之進。こう言う話の運びならば、「正義だけが道ではない」ことを身に沁みた格之進が、それを乗り越える姿も見たかったのです。
こんばんは
共感そしてコメントいつもありがとうございます。
Uさん、
前半は難しい漢字のオンパレードで、硬質な文体。
(良いところを挙げておられます)後半は一転して
ざっくばらんな文体で、この映画の足りない部分(欠点や要望)が、
書かれていました。
後半痛いとこを突いてきますね。
やはり娘への労りは不足してますし、復讐に目が曇っていますものね。
Uさんは、可笑しみを感じた・・・と、書かれていますね。
落語は諧謔(かいぎゃく、この字で合ってるかな?)ですものね。
流石ですね。
私は草彅剛さんが、高倉健か三船敏朗に見えました。
目が曇ってるかも(笑)
フォローありがとうございます。
落語が元ネタだから、という訳ではありませんがどこか茶化したくなる部分がある作品です。「忘れてはオランダー!」とか、もっと隅々まで掃除しろ! 年の瀬になる前に! とか。