ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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山とは?
前作でアーサー・フリックことジョーカーが5人を殺害した事件についての裁判がメインとなる物語。
賛否両論で盛り上がっている本作だけど、前作『ジョーカー』を振り返ると、今作はかなり誠実な決着だったように思う。
パンフレットにも監督の言葉として「クレイジーでぶっ飛んだ、ジョーカー自身のような映画を作りたかった」とあった。
ただ、それが面白ったかどうかは別!というのが個人的な感想。
理由として一番大きかったのは、レディー・ガガが演じたリー・クインゼルが、この続編で活かしきれていないように思えた。
ミュージカルや歌を口ずさむシーンは抜群にウマいのは言うまでもないのだけど、リーの全てのシーンが本当だったのか?あるいは一部はアーサーの妄想だったのか?
その答え合わせがあるのかと思っていたら特に言及はしていない(だとしたら全部ほんと?独房に入り込んだところも??)
まぁ、そんな種明かしや、わかりやすさが本作にとっては蛇足な気もしなくもないというのは正直なところ。
リーの言う「山」というのもあまりピンとのこなかったなぁ……。
アーサー自身がつまらない、笑えない男だから、妄想(ミュージカル)もつまらないのだ、という感想も見かけるのだけど、うーむ……。
ただ裁判シーンにはけっこう満足している。
その中でも前作の登場人物たちが証言するシーンは見応えがあった。
たぶん皆ジョーカーにはもっと「覚醒」「超越」して欲しかったんだろう思うけど、一人の人間としてのアーサー自身に誠実に向き合った物語だったことは個人的には良かった。
観たかったのとちょっと違った😅
もっとアーサーとリーがめちゃくちゃにやって狂っていく感じを期待していたので、少し違かったかなぁ。
リーが火を着けて二人で脱獄しようとするところまではすごく面白かったんだけど、後半は裁判がメインっぽくなって自分的には失速してしまった。狂気の暴力描写もあるがアーサーの妄想の中での事だし。
だがホアキン・フェニックスとレディ・ガガの二人は素晴らしく、華があり魅入ってしまった。
ジョーカーの続編として良い作品だと思う
観る前からかなり酷評が多いと聞いていたので、期待値は低めにして観に行きましたが自分の中ではかなり良かったです‼︎
まず自分は低評価の人に対して、「この作品を分かってない」とかそういうことは一切思っていません‼︎映画の感想は人それぞれだと思うので。
予告から音楽がメインでミュージカルシーンが多めになる事は分かっていました。
まず良いなと思ったのは、ミュージカルをみせるためにストーリーを進ませていないこと。ミュージカルシーンはジョーカーの妄想の中で起きることで、歌でジョーカーの心情を表しつつ、ちゃんとジョーカーの続編としてのストーリーがしっかりしていました‼︎
前作に登場したキャラクターも結構出てきたのも結構嬉しい。
アーサーと同じアパートに住んでた親子も前作であんまり分からないまま終わってしまったので出てきて殺されていなかったと分かってちょっとスッキリ。
ゲイリーは最後まで良いキャラでした。アーサーの優しい部分を最後に引き出してくれて良い展開でした‼︎
ホアキンフェニックスさんの役作りも前作に引き続き凄かったです‼︎観れてないですが予告で観たボーはおそれているの時の体型と全然違くて役作りの努力が感じられました‼︎
レディーガガさんはやっぱり歌上手い‼︎
演技も良かった‼︎
レディーガガ演じるリーのキャラもレディーガガだから、性格すごい良いキャラにしようってならなかった所がまた良い‼︎
ただジョーカーの暴れ具合が前作に比べて足りなかった所は若干残念でした。
眠くなったり、退屈に感じたりしなく、序盤からどんどん引き込まれていきました‼︎
予想以上に良い作品でした‼︎
ジョーカーというジョーク
今作を観て感じたのは、
人々が祭り上げて神格化した「ジョーカー」をただの人間が「演じる」という構造だ。
しかし前作と今作の違いを探していたら、この構造は前作から存在していた。
そこで前作と今作を一連の流れとして観たら、このシリーズで描いているのは、ジョーカーというキャラクターではなく、ジョーカーという「現象」なのだと思った。
人々の不満からジョーカーという虚像が産まれて、アーサーが実体として現れることで、ジョーカーが顕現する前作。
人々はジョーカーを求めるが、実体はアーサーでしかなく、ジョーカーが虚像であることが分かる今作。
前作はジョーカーの最初で、今作はジョーカーの最後。
一連の物語として時系列が違うだけ。テーマは一貫している。物語の目線もずっとアーサーの目線だ。大した違いは無い。
しかし全く違う映画に見えてしまうのは、視聴者である自分に問題があった。
映画を観ている自分も、ジョーカーの虚像を観に行っていたのだ。
「悪のカリスマ、ジョーカー」「ダークヒーローのジョーカー」「カッコいいジョーカー」
映画を観ていればアーサーには自分の求めるジョーカーの要素が無いことは分かっていたのに、彼がジョーカーであるというだけで、映画の中の民衆と一緒になって、勝手に彼に期待した。
そして当然その期待は裏切られる。
「ジョーカーは居ない。ただのアーサーだ」
「ジョーカーという現象」「ジョーカーという虚構」「ジョーカーというジョーク」
正直期待外れだったが、こちらが勝手に期待しただけであって、物語として素晴らしい出来だ。
ストーリーとして一切ブレる事なく、淡々と「ジョーカーという現象」を描いてある。
こちらが勝手に感情移入して勝手に期待して勝手に裏切られた。
翻弄されてしまった。
翻弄させてくれるエンターテイメントとしては、これほどの完成度の映画はなかなか無いだろう。
きっと次は...
1.前作からバットマンとつながらないと思っていた
2.ガガ様の映画だった
3.最初のアニメは?内容忘れてしまった
4.ガガ様使ったら、ミュージカルにするしかない
5.次回作の中心はガガ様だ
6.ジョーカーあんだけの爆発でも元気だった
7.女は髪切ったら注意しろー(長井秀和風)
8.最後、あんだけ刺されたら死ぬ
9.死んだらバットマンの相手ジョーカーいなくなる?
10.ガガ様が生む子供が帝王学を学んでバットマンの宿敵になる
11.次はガガ様が中心のジョーカー3だ!!
12.ガガ様メイクがジョーカーだった
13.ガガ様が真のジョーカーを作り上げる
14.ジョーカー5秒でい◯てった。
15.子供は看守の可能性もある
16.ジョーカーおでこのシワ多かった。
17.最初のシーン、髭剃りであんなに血出るか?
18.ジョーカーみたいにエビぞってタバコ吸いたい
これは好きだった。傑作だった。
トッド・フィリップス × ( ホアキン・フェニックス + レディー・ガガ )
思えば「バットマン」に悪役として登場したジョーカー。悪のカリスマと化したジョーカーが今作でひとつの終焉を迎えた。
究極のエンターテイナーと崇めジョーカーに心酔する女性を演じたガガ。女性免疫が少なくすぐに恋してしまう早漏なジョーカーが好きだった。二人の恋、そして歌が好きだった。
そう、今作は何とミュージカル仕立て。慣れ親しんできた曲のオンパレードという感じで王道の選曲はまさにグレーテストヒッツ。
ガガ大好きだ。恋の訪れを謳歌する “Close To You”、そして今作のメインテーマといえる “That’s Entertainment” などなどホント素晴らしい。
失速したジョーカーを冷たくあしらうガガに萌えた。チープな終焉が潔かった。我々早漏のクソ野郎は「懐妊」が真実であることを願うのみだ。
作る意義があった作品
この作品そのものが好きか嫌いかは、さほど問題ではないように思う。
ただ作る意義はあったと。
前作は、社会的格差における底辺に位置する男が、狂いに狂い、カウンターを仕掛ける話。
ジョーカーの狂いっぷりに魅力を感じると共に、方法はさておき、底辺からの逆襲にスカッとした人も多いかと。
社会の反響に対するアンサーとして作られたのがこの映画。
ミュージカル劇とか裁判劇とかはさておき。大事なのはジョーカーはいない、って結論。
犯罪者の復活劇は描かず、「ジョーカーなんてフィクションなんだから、落ち着け。いい大人が。地に足つけて真面目に生きろよ」と言われた感じ。
シン・エヴァを身終えた感じにも似てる。
裁判所の外ではしゃぐジョーカーファンは、前作にあてられてホイホイ見に来た我々観客で、リーはその代表。
そんなリーが、ジョーカーはいないと理解して、階段を登っていく。そこがこの作品の救い。
明日からまた真面目に働こう。そんな風に思いましたよ。
娯楽作品としては上出来
ジョーカーのエピソードとしてはイマイチか?
てかジョーカー誕生したエピソードが余りにも多すぎて、どれが本当でどれが嘘かわからない。(全部ウソかも)
なので今さら1人の人間ドラマにされてもという印象。ジョーカーは既に虚像でもなく、特にダークナイトでのジョーカーはカリスマ性がありキャラクターとして確立していた。
また、前作のメタ要素の回収がほぼ無いので、バットマンも全部アーサーの妄想でしたとかの考察は何だったのか。
前作のテレビショーの司会者にジョーカーが言うセリフが重要。
人価値観は人それぞれ、人の死すら最高のネタだと思う人もいる。
これは事実。
アーサーの不幸物語に庶民は共感して嫌悪感を持つ。
作中では、ジョーカーは虚像で居ないってことになっているが、製作者サイドは人間にはアーサーとジョーカーの二面性があり本作品の賛否両論を通して、観客を堕落させる試みであったの思う。
これが分断を産む。大統領選も近い。
つまり監督こそがジョーカーであり、観客は皆トゥーフェイスになってしまったのである。だから堕落する前のトゥーフェイスが登場してる。
(本当の狙いは観客のお前だよお前達なんだよ❗️)
いつものジョーカーと何のブレもない。
妄想(陰謀)か現実かは置いといて、楽しもう。
所詮娯楽なんだから自分の人生も他人の人生も。
もう一人の自分は?
理解が足りないので以下のように読み取りました
大衆の代弁者でもある狂気のスターのジョーカーはアーサーがなりたい自分を写したのかそれとも別人格の自分なのか?
法で裁かれるに置いては後者の方が有利だから治療して別人格は殺してます
それでも大衆はジョーカーを求める
初めてできた彼女もジョーカーを求める
だから改めてジョーカーになろうとした
それでも法廷の最後の最後でジョーカーはいないと命乞いをした
不器用で下手くそだから両方から叩かれてそしてみんな離れてった
みたいな、的な
ガガ様がいたからミュージカル調になったのか妄想は歌うように、でミュージカル調になったのかはわからないけどこれがなければもう少し端的にまとめられたのかな?と思う
最後はあまり没頭も感情移入もできない中、尿意との戦いで散漫になりながら見てたから
個人的にはせめてジョーカーなら追い詰められた時にやってくる暴力性は出して欲しかった
あんな感じではなくジョーカーらしい切り抜け方と殺戮でもってヘイトと賞賛を溜める展開であってほしかった
とにかく冗長でモヤモヤした面白いか?と言われると面白いわけでもなく、誰かに獎めたいか?とあればそのうちテレ東の昼まで流すのを待っても遅くないぐらいのクオリティなお話
予告編のちょうどいいとこの切り抜きは大したもんだと思う
前作同様ホアキン・フェニックスのガリガリな身体作りであの背中は役者の鑑
ところでガガ様は何を目的にホアキン・フェニックスに近づいたのだろう?ただの被験者をこねくるお医者さんだったのかな?
前作観たヤツら、目ぇ覚ませ
ジョーカー・シリーズ第2作。
ドルビーシネマで鑑賞(字幕)。
原作コミックは未読。
前作によって巻き起こしたムーブメントを盛り上げるどころか、逆に「ジョーカーなんていねぇんだよ」とひっくり返し、「いい加減目を覚ませ、お前ら」と訴える続編なんて未だかつて聞いたことがない。なんと斬新な続編のつくり方なのだろうと思った。評判が賛否両論になるのも分かる気がする。前作で救われたと思った人もいただろうし、それを否定されたように感じたかもしれないからだ。個人的には、このアプローチはとても面白いなと思った。現実に日本で、ジョーカーに影響されたと供述する犯人が電車内で凶行に及んだ事件が起きていたりするし、自ら火消しを行おうとした、と云うところだろうか。
それにしても救いが無い。アーサー・フレックが罪を認めたことで、「ジョーカー」と云う拠りどころを失くした弱者はもうどん底から這い上がることは出来ないとでも言うように、一気呵成に悲劇的且つ衝撃のラストへと導かれていく。
本作をつくる意味ってあったのだろうかと、ふと考えたくなってしまうほどに本当に救いが無くて、観終わった後は心にずんと重石を乗せられたような陰鬱な気分になった。
ミュージカルとは聞いていたが、結構歌のシーンが多くて驚いた。ホアキン・フェニックスの抜群の演技(笑いながら泣く演技が出来る俳優は、彼以外に考えられないだろう)に歌が加わると、さらに凄まじい訴求力がスクリーンから溢れ出して来るように感じられた。さらに、レディー・ガガの圧巻の歌唱力が、ミュージカルとしての屋台骨を強固に補強していて、このキャスティングは見事に成功していると思った。
「室井慎次」と続けて観るべし
前作でしっかり完結している作品の続きをどう描くのか?
やはり、同じ事はしたくはないだろう。ジョーカー自身をアーサーに戻す事をしている。
裁判劇で、狂気の部分に妄想のミュージカルを入れ込んでいる。面白いのが、この妄想の中で、既にジョーカーがリーの手で殺されている事だ。
そして、アーサーがジョーカーを否定する事で物語は完結する。裁判所の爆破からはエピローグの様なものに感じた。
充分面白かったが、前作の衝撃は無いのは仕方ない。
そして、前作のようなジョーカーによる現実の破壊を期待していた観客は肩透かしを喰らう。こんなジョーカーを観たい訳ではないと思う。観客が見たいのは、監獄の中から社会を破壊していくジョーカーの姿だ。観客の心理は、まるで裁判所を取り囲む信者の様だ。
それが、この映画の評価が悪い原因か?
この映画を観て、「逆襲のシャア」を観た公開当時の自分を思い出した。
余談だが、「室井慎次 敗れざる者」と続けて観たけど、この2本、対になってる気がする。
期せず教祖になってしまう犯罪者。
既に完結している作品の続編。
何者にもなれなかった、とらわれの身の主人公とその外側で起こる事件。
観客の見たい姿じゃない主人公。
それをどういう切り口で映画化したのか?
面白いがいくつか不満が残る
この映画が全米で大コケしたと聞きほとんど期待せずに観に行ったが意外と面白く、前編には到底及ばないがそこそこ満足ではある。
良かった点は、前作と同様にアーサーの心情を演じ切ったホアキン・フェニックスのみごとな演技や「ジョーカー」と言う偶像に対するアーサーを含めた周囲の心情がよく描かれていたところである。また、冒頭のアニメシーンもよかった。
不満だった点はミュージカルとアーサーの心情の変化の描かれ方である。ミュージカル仕立てなので元々長い上演時間の本作がより冗長に感じられる。ミュージカルシーンにはアーサーの心中と現実を区別しやすくするためでもあったがそれでもレディー・ガガのためにとってつけた感じが否めない。また一番の不満としてはアーサーがジョーカーを無理に演じ続けることをやめるまでの重要なシーンが少ししか描かれなかった事である。ゲイリーによって少し心を動かされたシーンと看守による暴行のシーンのみで本作において最重要とも呼べるポイントなので、丁寧に描いて欲っかった。
概ね面白かったがいくつか不満が残る作品だった。しかし2作ともにホアキン・フェニックスの怪演の賜物であるので彼には賛美を送りたい。
ケジメ
賛否両論別れているようですが、その理由はこの続編が「"ジョーカー"という存在を否定(断罪)する映画」だったからだと考えています。
前作が公開された後、トッド・フィリップス監督はインタビューで続編を製作する可能性について聞かれて、『考えていない。ジョーカーで語るべきストーリーが見つかればあるかもしれない』と答えていたと記憶しているのですが、それが「ジョーカーを否定する物語」だったのだと感じています。
「否定する」というよりむしろ「否定しなければならない」と言った方が正しいかもしれません。
富裕層と貧困層の格差やマイノリティといった現代社会の闇をバットマンの"ジョーカー"という題材で暴力的に描き、ジョーカーという存在が独り歩きして大きくなり過ぎてしまいました。日本でも"ジョーカー"を自称する男性が電車の中で粗暴行為に及ぶ事件が発生しましたよね。
そういった社会現象を引き起こした責任に対する一つの「ケジメ」として、製作者は"ジョーカー"という存在を否定する必要に迫られてしまったのではないでしょうか。
アーサー・フレックは"アーサー"と"ジョーカー"の間で揺れ続けますが、最後に彼は"ジョーカー"であることを否定し、"アーサー"であることを選びます。そして自分の罪を認めます。
その結果リーは去り、期待外れの烙印を押されたアーサーはアーカムで腹部を刺されてしまいます。
腹部を刺されたのは恐らく、アーサーが「自分の後を継ぐ子供が欲しかった」という旨の発言していたので、「真のジョーカーはオレだ」と言い出す狂人は現れるけれど、「ジョーカーを継ぐ者」は現れませんよ。
そう否定するためだったのではないかと考えています。
アーサーを刺した男性は自分の口を裂いてピエロのように赤く染めていました。
アーサーは"ジョーカー"となる可能性が非常に高い人物でしたが、その寸前で踏み留まりました。
その代わりにアーサーを刺した男性が次のジョーカー候補ということなんでしょうか。
その男性が後にバットマンと戦う「本物のジョーカー」になるのかどうかは分かりませんが。
ジョーカーを肯定する映画を求めていた観客と、ジョーカーを否定しなくてはならなかった製作者。
その差がこの作品を賛否両論にしてしまったのではないかと感じました。
この作品の世の中の反応も含めての今作だと感じる
今作の評価があまり良くないということも含め、映画の枠を超えた作品が今回のジョーカーだと感じた。
前作の暴力的、破壊的な行動も含めてジョーカーという存在を楽しんでいた人(私もそうだが)からすると少し物足りなさを感じてしまうのではと思った。
それは劇中ハーレイクイーンがアーサーに愛想を尽かすこととかなりリンクしていると感じた。
期待に添えないと途端に手のひらを返す世の中。正義から外れた人を必要以上に叩く現実社会の風潮に対してのメッセージでもあると受け取った。
白塗りおじさんのザッツ・ライフはこちら
お笑い賞レースとかでたまに2本目のネタをやらかすことあるじゃないですか。その2本目を観た気分ですね。
「え?なんでそっち系のネタやるの?幅を見せたいとかいらないよ。これはこれで面白いけど、笑いを取るなら1本目の流れでいいのに。ほら、逆転された。優勝逃した。もったいない。」
いや、すごく緻密で凄まじい出来の映画だと思います。
でも、これを観たかったんじゃない。
いや、こういう言い方すると「迎合しろ」って捉えられるかもしれませんが、そういうことじゃなくて、えーっと、なんというか、普通じゃん!そりゃそうだろうよ!ただの人生じゃん!末路じゃん!ってなりました。
妄想部分のミュージカルテイストなところは好きです。ただ、こういう映画にしたのはガガをキャスティングした前なのか後なのかが気になるところ。
ホアキンの声が好きです。吹替版で観ましたが、歌唱部分は元音声で字幕です。しゃがれてくたびれてるけど強く響くような声だと思います。
いろんなところで考察にあがってるラストの部分、刺したサイコパスが後ろでゴソゴソしてるのが本当に真・ジョーカーということなら、それをはっきりすれば作品として成り立った気がします。今作も前作も実はバットマンと戦ったジョーカーのことではなかったんだ、という筋立てなら納得できます。でもはっきりしてませんし、ホアキンの目は開いたままですし、後ろで何やってるのかはちゃんとわかりませんし。惨たらしい人生を生きたアーサーの目は閉じて、安らかに眠らせてほしかったです。
なんか「自分の思ったとおりになってない!」みたいなみっともない感想になったような気もしますが、前作の衝撃を忘れられなかったからなのかなぁ…
ジョーカーはひとりじゃない
本国で社会現象化するほど大ヒットした前作の人気を受けて製作された続編。
高い評価を受けた前作だが、個人的には不満がいくつか。なので、まずはそちらから。
一つ目は「このタイミングでこれ作ってる場合?」という不満。
2000年前後に日本でも放送され、評価が高かったアニメシリーズの人気を受けて企画が持ち上がった実写版『ジャスティス・リーグ』。
監督の降板などの混乱で大幅に立ち遅れるうちにマーベルに先を越され、『アベンジャー』シリーズから大きく水をあけられる羽目に。
『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)を経て『ジャスティス・リーグ』が公開されたのが2017年。結局、シリーズ化は頓挫。
その翌々年に、過去のどのDC作品とも関連しない前作が公開されて、「今やることか?」と当時思ったのは自分だけ?!
もう一つは設定上の不満。
狂人でありながら化学工学の知識に長け、武器や毒物をみずから開発するほどの天才でもある原作コミックのジョーカーの基本設定と、アーサー・フレックのキャラクターに乖離が有り過ぎ。
一方、どの関連映像からも独立しているとしながらも、ウェイン家の関係者は登場するが、ブルースの見た目年齢は10歳前後。
40手前の年齢設定のアーサーとの歳の差は、バットマンに成長したブルースとの対決が描かれないと分かっていても違和感が残る。
それら前作からの不満に加え、本作にもあらたな不満が。
独自の世界観で他のDC作品と無関係という同じ設定の下、前作の2年後が描かれる本作品。
当然、前作のブルース君はまだ少年。バットマンの登場は有り得ない。
なのに、ハービー・デントやハーレイ・クインといった原作シリーズのキャラクターをあらたに投入。一体、何がしたいの?
一方で前作とは異なり、ミュージカルの要素が採用された本作品。
監獄内で上映されているのはMGMのミュージカル映画『バンドワゴン』。
レディー・ガガ演じるリーがたびたび口ずさむ『ザッツ・エンターテインメント』は同作のオリジナルナンバーで、のちに同名のアンソロジー映画が大ヒットし、日本でエンターテインメントという言葉が広く認知されるきっかけに。
ほかにも多くの有名曲が劇中で使用されるが、冒頭の古いカートゥーンショー風のアニメーションの中で、かなり暴力的なシーンのBGMとして使われているのはバート・バカラックの楽曲。
自分も大好きなアーティストだが、バカラックは昨年他界したばかりの現代アメリカが誇る歴史的偉人(バッハ、ビートルズと併せて3Bと称されていたことも)。誰か止める人間はいなかったのだろうか。
そもそも、「何ゆえミュージカル仕立て?」との疑問は残るし、冒頭のアニメシーンも不要だったと自分は思う。
本来は善人ながら、精神疾患の影響と強い疎外感から自我が崩壊するアーサーが罪を重ねるうち、意図せずアンチヒーローに祭りあげられる過程が描かれた前作。
続編の本作では、獄中生活や法廷闘争を経たアーサーがさらに脱皮を重ねてあらたなジョーカーの完成形が見られるかが焦点…のはずが、作品は想像のつかない衝撃の結末に。
このラストシーンは次なる続編の拒絶であるとともに、アーサーは実はジョーカーになれなかったという元も子もない宣告をも意味する。
作品の副題「フォリ・ア・ドゥ」は、解説によればフランス語で「二人狂い」という意味なんだそう。
そのうちの一人は多分リー(ハーレイ・クイン)。
でも、アーサーが本当のジョーカーではないとすると、もう一人は?
これまでも複数の俳優が演じてきたジョーカー。本作でも多数のジョーカー・ワナビーが登場する。
ロビンがそうであったように、ジョーカーも一人でなくてよいのではと思う。
アーサーと最後に対峙する囚人は自分のジョークを披露する以外、それまでの作中、目立った登場シーンもなければ、特別な演出も施されてはいない。
でも、もし彼にジョーカーの交代劇を予感させるだけの個性が与えられていればあらたな続編への暗示となっただろうし、アーサーの原作コミックからの乖離やブルースとの年齢差、ハービー・デントらの投入に感じる矛盾も一拠に解決できたのにと考えると、さらに残念。
作品全体の印象を簡潔に述べると、J・フェニックスやガガらの演技に甘えすぎ。
前作からの時間もかかり過ぎたし、フットワークが悪いのでは?!
映画が大衆文化である以上、社会的メッセージを込めておけばいいってものでもない。
ザッツ・エンターテインメント。
ごめんなさい。
刑務所と裁判所のシーンが行ったり来たりで見どころが…正直無かった。
ミュージカルぽい映画は嫌いじゃないはずなのに、ハッピー感ないので何で歌ってるんだろう…となりました。
もうジョーカー逃げ切るのには裁判所破壊されるしかないだろう、と思ったら破壊された…けど逃げきれなかった。
ワンが良かっただけに消化不良感が半端じゃない。
「何者でもない自分」を生き続けられるか
ハリウッドのリソースでミニシアター映画のような物語をしたから、大衆の支持は得られないだろう。
ただ、人生を描いた感情を揺さぶる良い作品だったと私は思う。
前作の最後で一躍ヒーロー(時の人)になったジョーカー。
何者でもない人生に苦しみ、唯一の救いの手も閉ざされ、孤独に追い詰められた末の飛翔だった。
今作では、時の人になったことで周囲に人は増えるものの、求められるのは偶像としてのジョーカーである。本当の自分に寄り添ってくれる者は居らず、アーサーの孤独は続き救いはなかった。
リーとの関係は、彼の逃避と孤独を増強したのではないか。歌が切なさを感じさせる。
「何者でもない自分」を生き続けることは難しく、SNS時代には余計だろう。だからこそ1作目は共感を呼んでヒットしたのだと思う。
今作は「何者でもない自分を生きる“現実”」を観客に叩きつけるものだった。ウケはしないかもしれないが、これこそ映画だと私は思う。
DCファンとしては、これほどに深い孤独を持つジョーカーを、決して殺すことなく追い続ける者(バットマン)がいたとしたら、2人は躍り続けるだろうなと思った。
喜劇の終焉
1作目の社会の居場所がなく狂気に満ちたジョーカーとしてのキャラクターが確立していたので、2作目は消化不良でした。
個人的にミュージカル要素は嫌いではありませんが、取り入れ方が中途半端かなと思いました。
ミュージカル映画的な方向にするのであれば、
ジョーカーの妄想で実現したい世界・ハーレークイーンとの現実逃避などの場面があれば良いかもしれませんね。
誰でもジョーカーになり得る世界というような終わり方でしたが、あれだけ警備が厳しい環境の囚人がなぜ凶器を調達するのも難しいと思いました。
エンドロール後もなにもない腑に落ちない終わり方でした。
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