ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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悪くはなかった
•前作の狂気さだったりで、今作楽しみだったが、狂気さはほとんどなかった、、
•今回はジョーカーを演じようとするアーサーの話という感じがした。
•ジョーカーになるフリみたいなのが何箇所かあったがスルーし、がっかりすることもあった、、
•後リーはハーレイクインという立場のキャラなの?ジョーカーが依存しすぎて違和感、、アーサーだからてこと?
•悪いことをしたら報いを受けるということだと思うがジョーカーというDCキャラでする必要はあったのか、、ジョーカーという悪のカリスマも例外ではないということなのかもしれない、、
•ジョーカー役の人の演技はやっぱりすごいなーと思った!!痩せすぎててそこが一番驚いたかも、、
アーサーの物語としてみたら悪くなかったけど、ジョーカーの続編としてみたら物足りないように感じた。
Entertainment
前作から5年、わざわざ続編を作る意味やレディー・ガガの配役から懐疑的な目で見ていましたが、なんというか案の定思っていた通りの展開だらけの作品でした。
刑務所に収監されているアーサーが無罪を主張するために裁判所と刑務所を行ったり来たりするだけの映画なので前作のように目まぐるしく場面が変わらないので絵面的な面白さは感じられず、裁判に行っては奇声をあげてみたり、ピエロのメイクをしてきてエンタメにしたりとやりたい放題のはずなのに乾いた笑いしか出てこない不思議。
ジョーカーとハーレイというどのコンテンツにおいてもベストカップルな2人の描き方が全然魅力的じゃないのも致命的でした。
ジョーカーからの裏切りがあったり、それにすら心酔しているハーレイがキュートだったりと同じ空間にいなくても互いの存在が感じられるのが2人の良いところなのに、今作ではしみったれたキスをしては歌っての繰り返しなので今までの2人の物語とは別としてもなんだかなぁとモヤモヤする展開ばかりでした。
レディー・ガガが出演します!と記事が出た瞬間に咄嗟にミュージカル映画になるやん…と思ったらもう口を開けば歌って、見つめあったら歌って、なんか間ができたら歌ってとセリフと同じかそれ以上に歌を歌いまくるので本筋ってなんだったっけ?となる時間が多すぎて歌うたびにツッコミを入れたくなるくらい歌ってました。
アーサーの妄想の中にハーレイが入り込んでらんららんら歌うばかりなので現実に戻っても特別何も進んでないですし、やけに装飾が豪華なのでこれが現実では?となるのに全然そんな事ないので拍子抜けの連発でした。
アーサーが危機的状況になって聖地の階段へ訪れて2人で見つめあってからなぜか歌い出すハーレイに対してやめてくれ〜とアーサーが訴えかけるところだけは観客とリンクしていたと思います。
爆発オチなんてサイテー、の通り突然の爆発で裁判が終了してアーサーが逃げ惑う(ここの絵面だけハリウッドの大作だな〜ってなったし、後ろのお前が轢かれるんかいとなった)シーンは情けなさもありつつ、悲哀に満ちているホアキンの演技がカラッカラになるまでやり切っていたところは良かったです。
最終的には刑務所内の収監者にジョークを放たれてから思いっきり刺されてTHE・ENDという不甲斐なさはバットマンと相対するジョーカーではない事の裏付けであり、刺した男が後々のジョーカーになっていくのかなという含みを持たせた終わり方は悪くないかなと思いました。
カリスマ性こそあれど戦闘力に関しては武器だよりで怒りっぽいアーサーでは物足りないよなと思っていたので交代性か〜となんだか納得してしまいました。
前作がそこまでハマってないから、今作は意外とハマるかな〜と思ったらそんな事無かったです。
続編を作る理由は無かったですし、絵面的にも安っぽく、話自体面白みのない上にミュージカルで停滞して上映時間の長さに拍車をかけ続けるという燦々たる有様。
役者陣の演技やらビジュアルやらは良かっただけに勿体ないな〜となりました。
鑑賞日 10/11
鑑賞時間 21:10〜23:45
座席 F-26
アーサーがジョーカーになれず破滅するだけの映画
ジョーカーの続編
前作の事件で刑務所に入っているところから始まる
賛否両論ある作品らしいが個人的にダメだった
続編なので前作の内容が頭に入っていないと
話がわからないところが多い
「5人殺した(本当は6人)」とかセリフがあって
誰々だっけ?としばらく考えてしまった
そして、事件の証人として
前作の登場人物もでてくるので
前作を見た人も覚えてない部分があると混乱する可能性があると思う
前作を見ている前提の作品なのに
裁判でアーサーの人格や人生を前作からさらに追い打ちをかけるように否定されたりする
しかし、アーサーは自分はジョーカーでないと認めてしまい
裁判所が爆破されて逃げ出すことができるが刑務所に戻って
最後は「ジョーカー信者」に刺されて殺されてしまい終わる
前作は妄想か現実かわからない部分があったが
今回はミュージカルシーンが多く
これのせいで上映時間は長く感じる
刑務所、裁判所の描写が大半なので
爽快感はほとんどない
アーサーの妄想で裁判所で暴れまわるくらい?
結局アーサーはジョーカーではなかった
だったら、前作を否定しているとしか見えない
最後アーサーを刺した男が次のジョーカーかもしれないがそれはよくわからない
前作、今作合わせてみると
不遇な男が悪のカリスマになろうとしたがそれができなくて破滅した
というように見えて「ジョーカー」はタイトル詐欺のように思えた
リーはアーサーをたぶらかして
ジョーカーにしようと思ったがジョーカーにならなかったからアーサーを見限ったように感じた
リーはミュージカルシーン以外では、放火騒動を起こしたくらいにしか覚えてない
ジョーカーという妄想を作り上げた悲しい男の物語
賛成派とか反対派とかではなく、悪役ジョーカーの活躍物語を期待してみるのか、一人の悲しい境遇の男の物語としてみるのか。自分はジョーカーの仮面をかぶったアーサーの悲哀が描かれた後者として理解したので凄く没入感があった。彼にとっていいことが続く事は期待できないとはわかってはいたが、とにかく暗く、いいことがない映画、生命力が吸い取られる。悲しい男の物語、あとからジワジワとくる。面会でガガが歌うクロストゥユーの歌が大変良かった。今度はめちゃめちゃ明るい映画を見よう。ところで、アーサーは死んでしまったので、バットマンと闘ったジョーカーはアーサーが装ったジョーカーに陶酔した第2、第3のジョーカーであって、誰にでもその可能性が含まれているといメッセージなのですかね?あと面会に来たのは誰なんだろうと気になるところ
誰にも理解出来なかった
バットマンの宿敵“ジョーカー”の誕生秘話を描いたオリジナル・ストーリー。
コミックをベースにしながら、それを払拭したリアルな犯罪サスペンス。
重く、暗く、救いの無い。バイオレンス描写もあって、年齢制限。にも関わらず、世界中で10億ドル超えのメガヒット。日本でも50億円超えの大ヒット。
ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、アカデミー主演男優賞。
まさしく、2019年を代表する一本となった。
あれから5年。哀笑のピエロによる戦慄のショー、第2幕が開く…。
今秋期待の洋画が、人間怖がらせ屋、哀笑ピエロ、剣闘士。いずれも続編だが。
この中で最もスパンは短いが、やはり気になる。
誰にも理解出来ないさ。社会を混沌させ、収容された精神病院で不敵に笑ったジョーカーことアーサー。
あの後、どうなったのか…?
それほどセンセーショナルでインパクトあった。
前作と同じくヴェネチア国際映画祭で初お披露目。ところが…。
賛否両論。前作も賛否両論だったが、今回はよりくっきりと。
先日、アメリカ公開。ところが…。
前作はOP成績約9300万ドルの大ヒットスタートだったのが、今回は半分以下の約3700万ドルでのスタート。前作の米最終成績約3億3000万ドルどころか、1億ドル超えも厳しそう…。批評(Rotten Tomatoes支持率)も酷評レベルの現33%。ラジー賞警戒!
日本でも公開が始まったばかり。宣伝にするほどの賛否両論。
一体、どうした…!?
まあでも、実際見てみないと分からない。
今回はよりセンセーショナル過ぎて理解出来ないだけ。寧ろ、私はそれを期待している。
ジョーカーが再び、狂ったショーへ誘ってくれる…。
が、私が見たかったジョーカーはそこに居なかった。
アーサーのファーストシーンがそれを物語っていた。
前作以上の病的な身体。ジョークも言わず、あの耳に残る笑い声も発しない。
生気ナシ。廃人。魂の脱け殻。
悪と狂気のカリスマとして権力や社会に抗っているかと思いきや…。
看守や他の囚人にも侮蔑され、前作始まったばかりのアーサーのよう。
一体、彼に何があった…?
5人を殺害。母親も含めれば6人。その罪に押し潰され、目的も生きる意味も無く、どん底へ逆戻りしてしまったのか…?
そんな時出会った一人の女性、リー。
お互い惹かれ合い、愛を歌い踊る。
それは新たな狂気のショーの始まりに思えたが…。
レディー・ガガ参戦。“リー”と呼ばれるが、DC作品を嗜んでいれば分かる。
ハーレイ・クイン!
コミックでもジョーカーの恋人。ジョーカーに関わるのであれば登場の必要性はあり。
マーゴット・ロビーが演じたブッ飛びガールとは印象を一新。この世界観には合っている。
ホアキン・フェニックス×レディー・ガガ。異才の二人によるケミストリーにワクワク。
もう一つの話題が、ミュージカル・テイスト。
これがまた賛否両論となっているが、個人的には悪くはないと思う。
全編がっかりミュージカルではなかったが、結構歌が彩る。ミュージカルは空想シーンとなり、アーサーの心情を描写。
歌い踊り狂って。二人の世界へ。
しかし、もっと突き抜けて欲しかった気がする。
アーサーの裁判が開廷。
アーサーは弁護士を解雇し、ジョーカーとして自らを弁護。
自分を見下したゴッサムのクソ野郎どもを糾弾。お前も、お前も、あのエリート3人も、マレーも、ウェインも!
世間ではジョーカー信奉者が増加。愛するリーも裁判を見守る。
ここまでは良かった。しかし、そこからが…。
一体何の心境変化があったのかはっきりと分からぬが、アーサーが罪を認め、悔やむ。
途端にジョーカーへの信奉熱が冷めていく。
それでもリーは自分を分かってくれると信じていたが…。
リーが愛したのはアーサーではなく、ジョーカーであった。
希望も夢も無いこの世界で、何処までも何処までも二人狂い。
が、アーサーが望んだのは、愛する人との愛と平穏な人生。
ここも意見分かれる。本作はあくまで、孤独な青年アーサーの物語。戦慄の事件を起こしたが、人並みに望むのは…。
アーサーを一人の人間として見るなら悪くないだろう。が、多くの人が見たかったのは、狂人ジョーカー。
悪と狂気に染まり、見る者を震え上がらせるジョーカー。それが物議を巻き起こしても、賛否両論になろうとも。
やはり本作は、我々が知るDC作品のジョーカーとは全く別物。
そして、あのオチ…。呆然。衝撃ではなく、ああ、結局こういうオチなのか…。
トッド・フィリップスがオリジナル・ストーリーと思わぬ才で新しく築いたジョーカー像。
もっともっと、狂気の高みに我々を引き摺り込んでくれるかと思ったら、まるで突き放し、全否定し、自ら築き上げたジョーカーを“殺した”。
それもそれで大胆不敵なアプローチかもしれないが…、何か違う。
バッドエンド。前作もそうだったが、前作はそれでも不謹慎ながら映画としてカタルシスがあった。本作は何と言うか…。
アーサーを一人の人間として描くのもありきたりと言うか、安直。結局こういう着地になるのか…。
先述通りミュージカルはもっと突き抜けて欲しかったし、裁判モノも好きなジャンルだが、本作には醍醐味が無かった。
思い返せば思い返すほど、不満点しか挙がらない。
超期待外れ、がっかり残念、駄作ってほどではないが…。もう本当に、コンナンジャナイ感が…。
今回の続編こそ、誰にも理解出来なかった。
一緒に観た弟の感想。アメリカでの不評や不発を知らずに鑑賞。
この続編、作る意味あったの…?
酷評ですね。前作が良過ぎだから本作にどれだけの期待が集まったのだろ...
酷評ですね。前作が良過ぎだから本作にどれだけの期待が集まったのだろうか。そもそも続編の話を聞いた時から、なぜ作るの?と疑問に思ったわけだけども、とは言え自信があるから作ることにしたんだろう。そして、そんな考えは甘かったようだw
109シネマズのど真ん中の座席をGETして胸躍っていたのだが、映画が始まると雲行きが怪しいw
ミュージカルシーンが多い。このためのレディ・ガガなんだろう。正直、ホアキン・フェニックスの歌唱力には難があったw
アーサーは刑務所に服役中。雨の中外を移動するんだけど、刑務官の持つ傘が鮮やか。実際には黒なんだけど、アーサーを表してるのかな?アーサーにはそう見えたのかもしれない。
レディ・ガガが演じるハーレークインも同じ刑務所に服役中。ハーレークインは実家を放火して、母親に刑務所に送られたそう。
アーサーは模範囚なので合唱に参加することが許されるのだけど、そこでハーレークインと接触していく。ハーレークインにとってアーサー、正確にはジョーカーはヒーローだ。映画の中では分かりにくいんだけど、たぶん大衆の中でジョーカーを盲信している人が多くいるようだ。ハーレークインもその一人だ。
ハーレークインが解放された理由が分からず。刑期満了なのかも。刑務所の放火も気付かれなかった?
本作は刑務所と裁判のシーンがほとんど。裁判はアーサーの殺人がアーサーによるものなのか、別人格のジョーカーによるものなのか。
アーサー自信が多重人格を否定したので、アーサーは有罪になっていく。ジョーカーを否定したので、ハーレークインやジョーカーを信じていたであろう人たちが、裁判所から去っていく。
すると裁判所が何者かに爆破されアーサーは裁判所から逃げ去った。前作で有名になった階段のところに行くと、そこにはハーレークインがいた。
アーサーにとっては嬉しい再会だけど、ハーレークインにはもう心が無かった。
再び捕まったアーサーは刑務所にて服役するのだが、同じ服役囚に腹を刺されアーサーは死ぬ。きっと死んだ。続編が出ないようにw
これで終わり?
今度はどんな悪事をやらかすのかと思ったがただの裁判かよ。こんなのジョーカーじゃ無いよ。裁判所爆破は誰のしわざ?車で連れ去ろうとした奴らでもリーでもなさそうだし。
最後、あれは死んだ?死んだら完結。でも生きてれば続編あるな。
前作を茶番化する作品
DCコミックのジョーカーというのはバッドマンの最大の宿敵、戦闘力は高くないものの、様々な策で翻弄しいつも余裕の態度を崩すことはないゴッサムの犯罪王です。前作はそんなジョーカーの成り上がりの物語、いかにして男は悪のカリスマへとなったのか、と非常に満足でした。今作を見るまでは...
今作はアーサーの獄中での生活と裁判、ハーレイクイーンとの出会いが描かれましたが、蓋を開けてみればひたすらアーサーが虐げられ、あれだけ思わせぶりだったハーレイも最後はアーサーに失望し離れてしまう始末、最後はイかれた囚人にフォークで腹を刺されお陀仏。バットマンとは顔を合わせてもいません。もはやこれジョーカーじゃありませんよね?最後エンディングが流れた時何を見せられたんだ?と思いました。仮にもDCのジョーカーを使うならむかつく看守も何もかもぶち壊してハーレイと一緒に犯罪王として君臨してほしかった。あとミュージカル多すぎ途中で眠くなりました。マジでこんな結末にするなら前作はなんだったの?
あまりにもつまらなさすぎて途中で寝てた、そりゃ酷評だわ
まぁハッキリ言って失敗でしょう
前作はあのジョーカーがどの様にして生まれたのか、どういう生き方をしてきたのかという興味から始まり、理不尽さややりようのない状況に狂いそれらが全て刺激的で素晴らしい物だったのに対し
今作は良さそうなのは冒頭だけで大半が言葉のやり取りで激しい動きのないシーンばかりでとにかく眠たい、というか寝た
レディーガガが出てきた所あたりから歌ってばっかの映画になるのでこれも話が頭に入って来ず眠い
というかレディーガガ含め、今作自体が要らないと思ってしまった
日本語には余計な事を付け加えたが故に本来の価値を台無しにしてしまう言葉があり「蛇足」こそこの映画に当てはまる
続編が成功するとは限らないというかそもそも成功させる気無いでしょこれ
おそらく大半が期待したのはジョーカーが増えてどんな悪事をやらかしどう巻き込まれていくのかであり、今現在の精神状態や人間関係、ミュージカルを見たいのではない
個人的には配信されるようになっても、見るだけ時間の無駄に感じてしまう様な出来で見る価値なし
結末も、どーすんのこれって感じ
衝撃の類はラストシーンのそこにはなく、途中の精神の中で暴れたり、感化された暴徒によって爆破が起こるところのほうがよっぽど衝撃的
ここまでレディーガガ前面に出したいなら、いっそ主役にしてスピンオフ的な位置付けでやればこんな評価にならなかったのではないかと思う
暗闇に愛という光を。
人を殺害し閉鎖病棟で生活を送るアーサー・フレックことJOKERの話。
ある日、施設内で歌を歌う合唱団のなかにいた独りの女性リー、過去の事件を知るリーはJOKERをリスペクトし…、閉鎖病棟内で恋に落ちるJOKERとリーだったが…。
JOKER1作目が刺さらずで期待はしていなかったけれど面白かった。リー演じたレディー・ガガを上手く使って、合間に入る歌とミュージカルで魅せてくれる。
アーサーの頭に思い浮かぶ空想で“こうして殺りたい、リーとこうなりたい”みたいな空想と現実を絡めながらも歌で見せ、エンタメ性強めな感じの今作が逆に良かったのかも。
悪のカリスマリーダーとなったJOKERだったけれどエンタメJOKERと、気弱で優しいアーサーとの二面性で見せる裁判シーンも面白く、担当弁護士を解任させ「自分の弁護は自分でする」と言った後の、髪をかきあげる姿が何ともカッコ良かったんだよな~。
リーの歌声は勿論のこと良かったけれどJOKERの歌声にも酔いしれたし、愛に飢えてる様にも見えたJOKERとリーの歌う姿は切なくも美しく見えた。
明日1作目をもう一度観てみようと思った。
(吹替版にて鑑賞)
ガガ様降臨‼️
「お前が欠けたら生きていけない」‼️これは「ダークナイト」でジョーカーがバットマンに放ったセリフ‼️今回の「ジョーカー2」なんですが、何かが足りないと思ったら、やっぱりバットマンことブルース・ウェイン‼️バットマンとジョーカーは表裏一体‼️ジョーカーだけだとやはり厳しい‼️特にヴィランが主役の場合、「ヴェノム」のようにアンチヒーロー扱いにして、無理矢理ヒーローにするしかないのかも‼️一作目は一人の心優しきコメディアンの男が悪の権化ジョーカーへ堕ちていく物語だった‼️ "悪への転落" という物語は魅力的なので、それで一作目は成功したと思う‼️今作はジョーカーは初めから悪の権化として認知されているため、物語的にかなり難しかったと思います‼️そこで一作目の事件を審理する裁判劇として展開、ジョーカーの恋人ハーレイ・クインとしてレディー・ガガを登場させてミュージカル仕立てにされてます‼️カーペンターズの「遙かなる影」や映画「バンド・ワゴン」のテーマ曲「ザッツ・エンターテインメント」をガガ様が熱唱するシーンをはじめ、ミュージカルシーン自体は魅力的なんですが、物語に対してマッチしてないように感じました‼️私的にはハーレイの助けを借りて脱獄したジョーカーが、二人して悪事の限りを尽くし、新たな犯罪のシンボルと化すような物語が良かったような気がします‼️ただ妄想と現実がシンクロしたようなジョーカーの最期は印象的でした‼️
ガガ様の映画?
ホアキンの肩甲骨や肩の骨が浮き出るほどに痩せた姿を見た時、本作への期待度が高まりました。
だけど、とっても残念
ミュージカルは普通は歌でストーリーをうまく綴っていくのだけれど、本作は歌でストーリーが分断される感じ。
だんだん鬱陶しささえ感じるくらい…
ジョーカーの暴力的なシーンを求めていた訳ではないので、アーサーの物語ということにも違和感なく…むしろそれを笑いながら泣くホアキンの演技で見せてほしかったなぁ。
歌の部分外して、演技で綴ってくれたらもっと入り込める映画になるのではと感じました。
ただ
アカペラのclose to youは絶品!
あと、煙草の煙を渡す(?)シーンも。
ジョーカーとハーレイ!
前作は、かなり狂気な作品だったが…続編の今作は、ガガのハーレイの共演・ミュージカル的な作品のため狂気が和らいでいる。観やすい作品だった。ジョーカーというよりアーサーがメインだったため、バットマン要素は皆無で…最終面でハーレイとの別れ、アーサーが◯◯な最期?奇想天外な内容?観てよかった作品です。
意図的な失望
前作の最後で社会不適合だけど優しいアーサーがストレスで爆発し、悪のカリスマとして目覚めたのかと思ったのだが…。
人は簡単に変わらないよね、という話。生放送での殺人、さらに再現ドラマが流され、社会現象となり、信奉者が増え、中には積極的に迫ってる女性も出てくる。その期待に応えようとするアーサーだったが、法廷でかつての友人と再会し…。
終盤にアーサーの信奉者達が失望を露わにする場面があるけど、観ながら自分が同じ失望を味わっているのに気づいた。最後に大逆転でその失望が払拭されるのではという僅かな期待も裏切られる。
ダークナイトとかのジョーカーに繋がるストーリーを期待するとガッカリするけど、そのガッカリも珍しい経験だったなと。
楽しむには難易度の高すぎる作品
あのJOKER伝説が再びということで、IMAXにて鑑賞。
映像美、音響、演技ともに文句のつけどころがなく、良いカットもたくさんありました。
ただ、10分に一度のミュージカルと留置所・精神病棟・裁判所の往復で緩急がなく、見慣れたシーンの連続。
ストーリーに関してもハーレークインとの化学反応、JOKERの再来とも行かず。
帰って来なかった腹いせに自分がやったことの報いを受けるという感じで、1を期待していた人ほど落胆させられる内容になっていました。
ミュージカルと自己矛盾要素がマッチしていなかったように感じるため、上記の点を含めてもこの評価にしています。
ジョーカーはいない・・・感応精神病その物語。
アーサー・フレック / ジョーカー(怪演:ホアキン・フェニックスさん)
ハーレイ・“リー”・クインゼル(歌演:レディー・ガガさん)
とにかくガガ、 ガガですよ。ガガが ガガガガ~と
この作品の持ち味だった狂気・狂宴を丸潰しに。
6割~7割ほど 詰らないテンション。
歌って踊って ありゃりゃミュ-ジカル風に。
出だしのアニメから コケた!
何かが違が---う。
元々 虐げられた育ち異怪の運命、道化として生きてきた男が
狂気のジョ-カーへ変貌していく姿を描いたのが前作。(世界的大ヒット!)
今作はその後の姿を描く。殺人を起訴されて裁判に。拘置所病院を介して近づいて来る女リ-。彼の内に秘めた狂気ジョ-カ-の名声を我が物にしようと。また利用し自分への名声を手に入れようと自分を偽り彼に近づく。
こんな女 観ていて無性に腹が立つ。芝居でもリアルでも。
あの狂気の男を弄んでヘナヘナに。そこがメッチャ気にくわない。
お前らのイチャイチャなんかミタカネ-よ、ってのが本音。
子供が出来た?その時の彼の顔が やっぱり人なんだと思ったわ。
そこは流石のホアキン様。
最終裁判で大事件が・・・・・・・・・・・・・・
おおおおおお・・・・スゲ-ぇ。
中盤過ぎまで カスみたいな展開であったが この大事件以降展開が
慌ただしくて ちょっと面白くなってきたね。
結局、あの長い長い階段で 最後の別れをリーとする。
彼の中に狂気が居なかったからである。
彼はやはり 一人の虐げられた淋しい人であったと描かれている。
またもや警察に捕まって拘置所へ戻される彼。
ここで 全裸にされて暴行受けたと思うのだが、日本版はカットに成っていると思われる。見ていて絵が跳んでいるのが分かる。
彼が夢見た、彼女との仲、子供、幸せの想い全てが
跡形も無く 消え去って行く・・・・
彼の空虚な悲哀だけが 高笑いも無くそこに残されていた。
銀幕にも客席にも。
興味ある方は
是非劇場へ。(星3.5程かな)
アーサー!
評判が悪いとの情報が流れ始めたので、これ以上、リークが目に入らない内に本日朝イチで行って来ました!
タイトルがフォリ•ア•ドゥなのでハーレイと二人の大暴れを期待しちゃいますよね〜
それなのに『ジョーカー!』はいなかったって結末では、見方も厳しくなりますよね?
けど酷評される様な映画では無いと思います。
(ただし、ミュージックが嫌いな人はダメかもしれません。)
ドウモ~~~ッ!!お~o(⌒0⌒)oは~♪ハジメマシテ~~~ッ☆☆(*⌒ヮ⌒*)
私はメンヘラで入院てるのぉ~~~っ♪(#⌒〇⌒#)キャハ
うーんとー、ジョーカーさんにすっごくすっごく会いたくてー、\(⌒∇⌒)/
探してたら(◎_◎)なんとっ!☆彡(ノ^^)ノ☆彡ヘ(^^ヘ)☆彡(ノ^^)ノ☆彡
潜入したアーカム精神病院でジョーカーさんを発見!!!!(^o^)//""" パチパチパチ
あやしい所とか…{{ (>_<;) }} ブルブルすごい数の独居房がありますけど、
これ全部1人の方が管理しているんですか?(@@;)すごすぎ …
てなわけで、ついついジョーカーさんにお近づきになったのらー(o^v^o) エヘヘφ(`∇´)φカキコカキコ♪
ズッ友になってくれるよねっ。(*^-^*) お・ね・が・い♪(* ̄・ ̄)ちゅ♪ッ
え?くれないのぉ~?(;¬_¬)そんなのいやいや~~、ガ━━━(゚ロ゚)━━━ン
なってくれなかったら、( `_)乂(_´ ) 勝負! \(^o^)/
☆○(゜ο゜)o ぱ~んち、☆(゜o(○=(゜ο゜)o バコ~ン!!( ゚▽゚)=◯)`ν゚)・;'パーンチ
(>_<) いてっ!ダメ!! ゛o(≧◇≦*)oo(*≧◇≦)o″ダメ!!
(☆o☆)きゃ~~(@_@;)やられた~~(o_ _)o ドテッ ガ━━(゚Д゚;)━━ン!
(+_+) 気絶中。。。。・゚゚・o(iДi)o・゚゚・。うぇぇん <(゜ロ゜;)>ノォオオオオオ!! ??゚□゚;ハウッ!
なあんて(#⌒▽⌒#)こんな私っ!σ(^_^)だけど、(///▽///)
ズッ友になってm(_ _)mくださいませませ♪('-'*)フフ ドガ━━━Σ(ll◎д◎ll)━━━━━ン
ということで。(^-^)vじゃあね~~~♪(⌒0⌒)/~~ ほんじゃo(゜▽゜ヽ)(/゜▽゜)o レッツゴー♪
それでは、今から他の独居房も色々見てきまーすC= C= C= C=┌(^ .^)┘
(*^-^*)ノ~~マタネー☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★
字幕版の感想でした!まる!
と、いうわけで同じ日に吹き替え版を連チャンで鑑賞。
この映画が賛否両論で評価もかなり低いという前情報があったので、聞き捨てならん!と思い初日、字幕版を見た後すぐに吹き替え版を見に行きました。
前作のジョーカーは映画館で3回、当然Blu-rayも買って何回も見直すくらい大好きな作品です。
この映画が評判悪い理由を考えてみたが、映画冒頭のアニメがふざけているところ、
俺は自然だと思ったけどミュージカルが嫌いな人にとっては不自然に思えるかもしれないミュージカルのシーン。
このミュージカルシーンが何故あるのか理解できない人が多いけど、例の長階段でレディ・ガガが歌うのをやめないシーン。
歌を歌う事が大好きなレディ・ガガ。歌を歌う事が大嫌いなジョーカーが、レディ・ガガに合わせて嫌々歌っていた事が分かる。初めて彼女ができて浮かれていたwせいもあるけど。
ディズニー狂いの嫁さんに、嫌々付き合う旦那さんみたいなもんだな?一回、行けば充分だろ?本当、ディズニーランドってしょうもないよな。
前作のジョーカーでは、カウンセリングをする女性が前半と後半で同じだった( ?)ので、あの映画でのジョーカーの殺人行為は全て妄想という説があって、んなワケねーだろ?と思っていたが、本作では殺人は全てあった事で、ジョーカーはアーカム精神病院に収容されている。
そこに、レディ・ガガが、東京ガガガ。ジョーカー目当てにアーカム精神病院に入所してくる。童貞こじらせたジョーカーはレディ・ガガと短い貫通を遂げ、ジョーカーはガガにメロメロになる。
映画の後半は法廷劇になります。ここでは、ジョーカーの殺害理由を追求されて、証言者達がジョーカーについて、証言をします。
ジョーカーがしでかした事は無差別殺人なのだが、それでもジョーカーの信者がいて、屋外でも法廷内でも支持者がジョーカーの発言にいちいち反応する。
隣人のシングルマーザーや、小人の人が証言をします。特にこの小人の人の演技が神演技で吹き替え版でもその演技力が伝わって泣きそうになりました。やっぱ、俳優は演技力があってなんぼだね。
裁判だから、犯行時の心境や、ジョーカーの生い立ちについて、聞かれたくない事まで答えなければならなくて、ジョーカーが記していた日記の内容にまで言及されてジョーカーは追い詰められていく。
唯一、ジョーカーがもうやめてくれと懇願したのが、自分のスタンダップコメディのネタについて聞かれた時でした。
プライドをずたずたに傷つけられても、芸について指摘されるのは嫌だったようで。
幼少期に母親が交際していた男から、暴力を受けて脳に障害を持って理性が壊れていたのが理由とはいえ、殺害方法の残虐さは到底許されるものではなくジョーカーの有罪が確定する。
さぁ、どうするジョーカー?
この後の展開は、見てのお楽しみだが、貴方が想像している以上の鬱展開が待っている。
前作のThat's Life はフランク・シナトラ歌唱だったが、今作はレディ・ガガ歌唱。何故、レディ・ガガ歌唱かは見てのお楽しみ。
前作のジョーカーでは、収録されているボーカル曲のCDはなくSpotifyで聴くしかなかったんだけど、今作ジョーカーのサントラはホアキンとガガの歌唱曲が収録されています。Applemusicでも無料で聞けるけど、サントラは歌詞カードがついているのだよ。
今だったら、劇場限定でクリアファイル付きで、販売しているのでこの機会にぜひご購入をお勧めします。
芸能人の吹き替えはそんなに気にならなかったのし、小人の人の吹き替えが良かったので、吹き替え版をお勧めします。
この映画は満足度が低い事で有名だけど、そんなの気にしないでください。最高の映画です!
俺はあと2回くらい見に行く予定だYO!!
それ・は・どぉ?
予告編で1、2を争う印象的なシーンが本編には出てこない点だけはどーよと思った。そのお陰でストーリーが予想付かなかったけど。逆に予告編を観ていなかったら、さらに言うとDCユニバースの知識がなかったら、予想は裏切らない鉄板な構成だと思った
我々が求めたのはアーサーなのか、ジョーカーなのか。
制作側が誠実さを持って前作とそれが社会に与えた影響に向き合った【正しく存在すべき続編】、そして【前作と対を成すからこそ、“2作で1作”として完成する(した)物語】であったように思う。但し、それが作品としての「面白さ」を担保するものであったとは決して思わないし、「面白さ」という評価軸のみで本作を見るならば、私自身のスコアでお察しといったところ。
2019年に公開され、『バットマン』に登場する世界有数のヴィランである〈ジョーカー〉の生い立ちに大胆なアプローチで挑んだ衝撃作『ジョーカー』。アカデミー賞主要11部門ノミネート2部門受賞(主演男優賞・作曲賞)、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞受賞という快挙を成し遂げ、全世界が「悲痛な生い立ちから犯罪に手を染め、悪のカリスマとして覚醒する哀れな中年男性」に共感し、熱狂した。「これは俺(私)の物語だ」と感じた人も少なくないだろう。私自身、そう感じた一人である。
しかし、それは同時に、現実世界でもこの『ジョーカー』に影響を受けたとされる模倣犯を生み出した。
日本でも「京王線無差別襲撃事件」として、ジョーカーのコスプレをして犯行に及んだ犯人が話題となった。しかし、私自身はこの犯人、そして世界中に存在する『ジョーカー』に影響を受けたと唱える犯罪者は、フィクションに自らの犯行の責任転嫁をして逃げている幼稚で身勝手な存在以外の何者でもないと思っている。京王線のジョーカーも、犯行こそ『ジョーカー』に登場するジョーカー(ホアキンジョーカー)に近いが、出で立ちは『ダークナイト』に登場する故・ヒース・レジャーが演じたジョーカー(ヒースジョーカー)の物であるし、そうしたチグハグさも稚拙さを感じさせる。
本来、映画や小説、漫画やゲームといった全ての表現・芸術作品は、私達の日常を時に豊かに、時に励まし寄り添ってくれるエンターテイメントとして存在しているのであって、決して一線を超えた犯罪行為の免罪符として存在しているのではない。だからこそ、暴力的な作品を模倣して犯罪を犯す事は、それ自体が芸術作品に対する裏切り、冒涜に他ならないと思う。
それに対して、制作側が世間に対して謝罪する必要も、本作のような「誤った熱狂に冷や水を掛けて目を覚まさせる」作品を作る必要もないはずなのだ。
巨匠スタンリー・キューブリック監督も《芸術家は、作品の芸術性にだけ責任を持てばいい》《映画やテレビが無垢な善人を犯罪者に変えかねないなんてのは、あまりにも安楽的な発想である》と残している。
しかし、トッド・フィリップス監督や主演のホアキン・フェニックスは、前作が世間に与えた影響に真摯に向き合い、より分かりやすく、より悲惨な末路をアーサー・フレックというキャラクターに与え、我々観客に「目を覚ませ」と問い掛けるのだ。
だからこそだろう。ロッテントマトでは、批評家支持率33%、観客支持率32%(10月12日現在)という酷評ぶりで、これはアメコミ原作映画の最低記録だという。現地のリポートでは、途中退席する観客も少なくないそう。その光景は、本作の終盤でアーサーが「全てをぶち壊して新しい自分になりたかった。でも、もう無理だ。〈ジョーカー〉はいない。僕だけがいる。」と観念した瞬間に法廷を去って行った、ジョーカーに熱狂した傍聴者と重なる。
批評家も観客も、皆が求めていたのは“悪のカリスマ”である〈ジョーカー〉であって、アーサーという個人ではなかったのだ。前作を鑑賞して「あの悪のカリスマであるジョーカーに、哀れな動機など与えてほしくなかった」と落胆した一部の観客も、求めていたのは高い知能と自らの美学に基づいて犯罪を犯すジョーカーを期待していたのだから。
それは、本作における多くの立場の人物達に共通している。
ようやく作品の内容に触れていくが、カートゥーン調のアニメーションによるアーサーとジョーカーの影がせめぎ合う物語が、本作のテーマを象徴している。
開けて冒頭、前作のラストで高揚感に包まれて大悪を成した姿とは打って変わって、すっかり刑務所での生活に馴染み、無感情に過ごすガリガリに痩せ細ったアーサー。看守達からも揶揄われ、すっかり元の状態に戻っている。
そんな中、弁護士との面談で訪れた軽犯罪者用の病棟で、アーサーは合唱部の練習風景を目の当たりにし、運命の女性リーと出会う。ジョーカーの犯行に心酔し、彼を英雄視するリーは、すぐさま自らも似た境遇の持ち主だとしてアーサーと親しくなる。生まれて初めて他者から必要とされた喜びから、すぐさまアーサーはリーに恋心を抱き、彼女への愛を妄想の中で歌にする。
夜の映画鑑賞回にて再び出会ったアーサーに、リーは「ここを抜け出しましょう」と機転を効かせて火事を起こし、アーサーを連れ出す。「2人なら何処へでも行ける!」と確信したアーサーは、かつてない幸福感で刑務所の柵にしがみ付き、マスコミにアピールする。
やがて、マスコミはアーサーとリーの関係を“世紀のカップル”と囃し立てながら、アーサーの裁判が始まる。前作でアーサーが起こした凄惨な事件について、前代未聞の裁判風景の生中継という処置の下、有罪か無罪かを巡る長い戦いが始まる。
裁判を通じて、アーサーは弁護士を解雇し、自らが弁護をするという暴挙に出る。ジョーカーのメイクを施して裁判に参加するという、これまた前代未聞な出で立ちで、再び無敵の悪のカリスマとしての高揚感・全能感を取り戻してゆく。しかし、自らの過激な発言が引き金となって、ジャッキー達から凄惨な暴行を受け、自らを信仰していた囚人仲間がジャッキーの手で殺害された事、裁判を通じて自らの妄想を綴った日記や証言者らの発言によって、次第に画面が剥がれ落ちてゆく。
遂には、「ここにジョーカーは居ない。」と、自らの責任能力と裁判での敗北を認める発言をし、愛されていたと思っていたリーすらも去ってしまう。
自らの判決を言い渡される直前、過激派による自動車爆弾が裁判所に突っ込んだ事で裁判は中止され、運良く生き残ったアーサーはジョーカーのコスプレをした若者達の手助けによって、リーの待つかつての住居だったアパートを目指す。
かつて高揚感を胸に踊った長い階段の先、失意から長かった髪を切ったリーの姿がそこにはあった。
「これで自由だ。どこへでも行ける。」と語るアーサーに対し、リーは「どこへも行けやしない。全ての夢があったのに、あなたがそれを諦めた。」と言い残し、その場から去って行く。
再び、刑務所に連れ戻され、英雄視されていたここ数日から、元の無感情な日常へと戻っていたアーサー。面会だと言われ案内された彼を囚人仲間が呼び止め、「ジョークを聞いてくれ」と言う。バーで憧れの道化師が飲んでいる姿を目の当たりにし、落ちぶれた彼の姿に失望した男が「報いを受けろクソ野郎!」と放つ話。それと同時に、囚人仲間は隠し持っていたナイフでアーサーの腹部を滅多刺しにした。
高揚感で笑い狂う囚人仲間を背後に、最期にリーとショーをするジョーカーの姿を妄想しながら、アーサーは息を引き取る。
本作でアーサーは愛に触れ、愛を求め、それ故に狂い、やがて全てを失った。愛を知らなかった哀れな男は、愛を知ったが故に破滅したのだ。
ところで、我々はアーサーという人物が自らの内にある〈ジョーカー〉を否定し、破滅した事でこの混沌が終わったかのように感じてしまう。しかし、作中のゴッサム・シティの未来を考えると、アーサーの死は更なる混乱の時代の幕開けのように思えるのだ。裁判の生中継で敗北を認めたとはいえ、その姿を目の当たりにして目が覚めるのは「健全な精神を持ちながら、抑圧された社会に憤りを感じ、信仰する対象を求める人々」に過ぎないのだ。熱狂的なファンは存在し続けている。
何より、アーサーを刺した囚人仲間は、更なる狂気に飲まれていたように思う。実を言うと、私は彼こそが作中世界における後の〈ジョーカー〉なのではないか?と考えている。本作の副題は“フォリ・ア・ドゥ(FOLIE A DEUX)”、妄想の伝播共有を指すこのワードは、アーサーとリーの間柄を示すだけではなく、彼の凶行を目の当たりにして熱狂した多くのゴッサム市民にも通じる事だろう。アーサーの敗北により、そこから目覚める人々も居るだろうが、一度伝播した悪が、自らの中で絶えず増幅し、膨張していく者も少なからずいるはずだ。そして、それこそが、この先我々のよく知る真の〈ジョーカー〉を生み出すかもしれないのだ。
何より、司法による正しい裁きを受けずに息を引き取ってしまった犯罪者は、しばしば伝説になってしまう。映画はアーサーの死によって終わったかのように思えるが、実はこれこそが始まりなのだ。
そう考えると、前作でチラッと登場した幼いブルース・ウェインの未来は前途多難だと思う。頑張れ、バットマン!
主演のホアキン・フェニックスの演技は、本作でも抜群の存在感とエネルギーに満ち溢れていた。本シリーズのジョーカーを、正しくジョーカーと定義すべきかは未だ意見が分かれるだろうが、彼の演じたアーサー・フレックというキャラクターの不遇さ、狂気、何より人間的な脆さによる魅力は疑いようのない事実だろう。
特に本作では、表情による演技に更なる説得力があったように思う。また、度々タバコを吸う仕草と、その吸い方による彼の心の内の表現の違いが見事。
また、前作から更に絞ったガリガリのアーサーを演じる肉体改造ぶりや、妄想シーンで披露されるタップダンスも見事としか言いようがない。監督曰く、「何でも出来る努力家」らしいが、これらの姿はそれを雄弁に物語っている。
本作を語る上で1番の争点になるであろう歌唱パートの多さについて。監督も演者も「ミュージカルではない」と語るように、本作の過剰なまでの歌唱パートは、ミュージカル映画のそれではない。ミュージカル映画は、歌い踊りながら人物の心情や物語が進行していくのに対し、本作の音楽はあくまで「アーサーの妄想世界への逃避行動」として描かれているからだ。
個人的に、この選択は理解出来るし、必要性も感じる。だが、もう少し歌唱パートを抑えても良かったのではないかと感じているのも事実で、物語の流れを止めてしまう歌唱パートの多さは、正しくノイズとなってしまっていたようにも思う。
前作を観て、「これは俺(私)の物語だ」と共感し、だからこそ本作を楽しめなった人々に対して。そう感じた多くの人々にとって、前作はカタルシスとして大きな役割を果たし、フィクションに触れながら現実を生きていくという正しい姿勢を貫いてきた人々にとって、それに冷や水を掛けるかの如き本作は無用の長物に映る事だろう。しかし、本作は前作を誤って認識した人々の目を覚まさせる役割だけではなく、前作をカタルシスとして正しく消費し、受け止めた人々を称賛する作品でもあったように思えるのだ。
私は、「いつでも一線なんて越えてやる!」と思いながらも、その線の内側で今日も拳を握って耐えながら、正しく生きる人々をこそ真に尊く美しいと感じるし、本作はそういった人々に対して「前作を正しく認識してくれてありがとう。そんなあなたが今作を楽しめなかったとして、それは間違いではないし、どうかあなたはそのまま正しく生きて下さい。」と言っているようにすら感じるのだ。
実際、人が犯罪行為に走るには幼少期からの環境的要因や遺伝子による所が大きく、前作を鑑賞して「誰もがジョーカーになりうる!」と盛り上がっていた一部のネット民の認識は間違いではあるのだが。また、本作の作りは映画として決して出来の良い部類でなかった事は冒頭に記した通りなのだが…。
というか、そんな事よりもっと気になる点があるではないか。
「「「 コレノ 何処ニ 2億ドルモ制作費ヲ掛ケル トコロ ガ アッタノ?????」」」
どうやら私には、“このジョークは理解出来そうにない”。
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