ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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ガガファン、バットマンシリーズファンは嬉しいけどなんだか単調
ガガの歌&ダンスシーンがてんこ盛りで、体感としては半分くらいガガのミュージックビデオ。
当たり前だけどかっこいい。
その分、話のテンポが悪いので星3。
バットマンシリーズをよく見る人なら、デントとかアーカムの解像度が高くて嬉しいかも。
裁判所爆破されてデントの顔がデントになったとき(笑)
笑ってしまった。
アーサーを見ながら、ものすごく"ジョーカー顔"で笑みを浮かべてた囚人が
ラストシーンで、口裂いてジョーカーになったときも「やっぱそうだよな」とニヤついてしまった。
ここがみんながよく知る大胆不敵でイカれた"ジョーカー"の誕生だと考察。
だれも哀れで弱くて障害を持ったアーサーを愛してくれない。母からさえも「変わった子」と言われていた。
みんなが好きなのは、弱い者が狂いきって怒りを爆発させた"ジョーカー"。
腐りきったゴッサム・シティの代弁者といったところだろう。
まぁー話の内容はよかったけど、ミュージカル部分ちょっと多すぎてくどかったなぁ。
制作側がエンタメとして作っていない、カタルシスのない物語の終わり
自分は、ジョーカー1が、苦痛の多い人生でもなんとか倫理的境界を越えずにいた社会的弱者が、福祉なども届かないまま社会的にむやみに虐げられることによって境界を越えてしまいジョーカー(現代社会でいう無敵の人)に変化してしまうということ、そして彼を虐げていた層こそが、まさにジョーカーを崇拝するという物凄い皮肉を叩き付けていた故に傑作だと思ってたんですよね。
ただ必死に生きていた人が怪物に変わってしまう、現実にもあり得るような薄ら寒さ。そしてそれを生んだ社会はその自覚がない致命的な現代という風刺。
薄暗い演出と主演の締め付けられて崩壊していく演技。そして守るべき倫理の抑圧から解放された主人公のカタルシス。前作は間違いなく星5でした。
でも今回は、見終わった後に…それで?という感想になってしまいました、残念ながら。
ミュージカルの良し悪しは置くにしても、そもそも主人公が苦しんで苦しんで、そこから何もない。1であったはずのカタルシスがない。ただただ、そりゃ現実ならそうなるでしょうね、というエンタメではないリアルを視聴者に叩き付けただけ。
制作陣はジョーカー1で、ジョーカーを肯定して崇拝したり同じような無敵の人になりそうな層が出てきてしまったので、その人たちに向けて現実をわからせるために作ったらしいとかそのようなことをだれかが書いているのを見て(ソース不明なので本当かどうかわかりません。)確かにそれならこの本作の意味が通じるなと思いました。
制作側は1をあくまで社会的風刺・皮肉の文脈で作ったのに、視聴者の中でそれを理解せず悪役(社会的なテロや殺人の象徴)を肯定する者が出始めてしまったので、ジョーカーを模倣するような者を出す前に目を覚まさせたい、ジョーカーの模倣が出たとしても2の人間に戻ったアーサーは君たちの目指すカリスマではない、という制作側の意思を明確にする、そのために2を作ったというなら納得です。
監督はもうこれ以上の続編意欲は無く、DCから撤退といっているようですし、そういうことなんですかね。
エンタメとしての「楽」を考えられていない、見ている人を楽しませようという意識がないと感じたので、自分は星2評価になりました。ただ、映像としての演出と、ホアキンの演技はとても素晴らしいです。そこだけ抜き出して評価するなら星5でした。
エンタメとして視聴するのはお勧めしません。
裏をかくチャレンジャブルな設定は評価したい
ジョーカーはDCのスーパーヴィランであり無慈悲な悪のカリスマという鑑賞者の強い固定観念を真っ向から否定してみせ、賛否覚悟で誰も思いつかなかった新解釈で表現しようとした意欲的な作品。
タイトル通りハーレクインとは妄想を共有する関係になるのだが、ジョーカーが徐々にズレ?を感じはじめ、最後はリアルな自分を見せようとして彼女や熱狂的な信者達に見限られてしまう。
まさにこれってトッド・フィリップスが我々に仕掛けた罠であり、ハーレクインはじめ殺人鬼ジョーカーの支持者達を我々鑑賞者の目線と同じにする事で、我々もがっかりし裏切られたという感情を共有させられる。
予定調和の安心感も良いが、全く想像できなかった展開も刺激があって良いと思う。
ただ歌と長尺なのは緊張感を持続しにくいため、もう少し何とかならなかったのかとは思った。
スタイリッシュな分、ドラマの書き込みが圧倒的に足らない。
疑問!
なぜ、クライマックスで、アーサーがジョーカーを否定する展開としたのか。
心変わり、きっかけが全く描かれていない。
やっぱり…。
「ジョーカー」が、ガガに乗っ取られてしまった。
アーサーが、リーに乗せられてしまった展開と同じ、。
リーに踊らされて舞い上がってしまい、信者も増え社会現象となり、一大ブームに。
アーサーは、それは「ジョーカー」であって、自分じゃないと考えて、ジョーカーをやめた。
映画自体も、現実に真似した犯罪が起きる恐れがあるから、ジョーカー賛美にしなかったのだろうか。
妄想シーンがユージカルなのはイイ。
どのシーンも良かった。
フェニックスもカッコよかった。
見せ場なので、久々にIMAXフルサイズで堪能できた。
ただ、スーパースターのガガ出演ありきでは、必然的に歌とダンスが増えるのはいいが、その分ドラマの時間が圧倒的に足りていない。
最後は、アーサーが夢をあきらめてしまうから、リーにあっさり捨てられる。
半分はリーがメインだから、彼女を尊重しているのに、アーサーにこだわった理由がわからない。
興味本位と変わらなかったのか。
せっかくガガに忖度しているのに、描写が足りないから、リーが何を考えていたのかわからない。
どこまで本気で「二人で山を作りたかった」のか。
アーサーが夢をあきらめた理由は、ジョーカーではなくあくまでもアーサーでありたかったから。
なぜか、突然正気に戻った。
アーサーをリアルな人間に引き戻して終わらせたかったということだろうとは思う。
あのまま二人で突き進んでいくラストで良かったのに。
それだは単純すぎる、普通過ぎるからやめたのか。
前作で昇華したラストを、すべて帳消しにしてしまうカタルシスを狙ったのか?
本作のラストは酷すぎる。
悲しい。
コレじゃない
俺たちが観たいのはこういうのじゃないんだよ、、笑
前作はすごく良かったから、前々から楽しみにしていたのに、見事に期待を裏切られました笑
なぜミュージカルっぽくしたんだ!?
別にレディーガガは良いんだよ!アリーでも演技上手かったし。でも、本作では歌がしつこく、いちいち話がストップしてテンポ悪くなるんだよ!
場面もずっと変わらず飽きるし、さっさと脱獄でもなんでも外に出ろよ!
その後でジョーカーが悪の権化としてどう活躍するかが観たいんだよ!
一応、なんとなく話の意図は分かった気がします。
カリスマなんて周囲が勝手に持ち上げてるけど、実際の姿は普通の人。むしろ弱々しい冴えないおっさん。ジョーカーの華々しい姿が、全て妄想なのも面白いと思います。
期待していた自分もジョーカーという偶像に踊らされていたんだなと複雑な気分。
ハーレイもただのミーハーだったということ。キスする時、ジョーカーのメイクさせるなんてひどいですね笑
しまいには、冷めたら捨てるとは笑
最後のオチも、え?っとなる終わり方ですが、冷静に考えると前作と対比させた終わり方でした。小人症の彼の言葉に揺らいだところを見ると、結局アーサーは、あれ以上ジョーカーになれなかったんだと思いました。
ジョーカーというのはあくまで役で、誰かに引き継がれていくものなんでしょうね。前作でブルースとの年齢が合わないのも、そういうことかと。劇中だけでなく、人の心にあるもの、バットマンシリーズのジョーカーという役、いろいろな意味で。そういう感想でした。
監督の意図することも、役者の演技もよく出来てます。
悪人をヒーローとして観たいと思う観客へのアンチテーゼでしょうか。決して駄作ではないです。
でも、もう一度言う。コレじゃないんだ!
期待と違った
情報は見聞きせず期待を込めて観に行ったが、期待外れだった。
ミュージカル映画は基本苦手で観ないくちなので、その類の映画の進み方と、物語がどうにも納得できないまま時間だけが過ぎていた。
ガガ演じるリーとの絡みで、脱獄してゴッサムシティを混乱させていくような話かと思たら、胸糞悪いと思った奴を殺してくれたと崇めるリーと、好いて貰える事で日和ってしまうジョーカー(アーサー)に冷めてしまって、殺されちゃう・・・なんという流れ。
ピンポイントで見ると「おおっ」って思うシーンはあったけれど、全編を観ると期待外れとしかいいようがない。
裁判所が爆破された先にリーが立っていて、街へ出て・・・と思ったら、逃げてたどり着いたあの階段で三行半を突きつけられ、あえなく逮捕されて・・・
様々な意見、観方があるだろうから他の方の感想に茶々を入れるつもりはないので、私の感想もそんな一つの感想です。
裏目裏目のソシオパス
人生なんてこんなもんなんだなっていう映画
終始ミュージカル調の音楽が彩っていたが
死ぬ時は無音だった
何かのボタンの掛け違いで犯罪になり
失恋をし成功や希望が近くにあるのに全てうまくいかない
笑わせていると思っていたら笑われていただけで自分の意図とはかけ離れる人生
ジョーカー役のホアキン フェニックスはそんな役柄が最近多いような気がする
レディーガガはあまり好きじゃないけど 役柄にはハマってたと思うそれなりに
そこまで魅力的ではないが裏切り方も凡庸で
、すごい二人なように見せて実はただの弱い男と女なのね
見終わって悔しくもなければ悲しくもない 怒りもなければ面白くもない
見てるこっちとしては無表情になってしまう終わり方だった。
でもそれがアーサーの人生らしくて良かったと思う。
できたらバットマンとホアキンジョーカーの絡みも欲しかったな。
この世界線でバットマンと絡むのはアーサーじゃないジョーカーなんだろうけど。
期待していたのとは…
最初の方で歌唱シーンが長いなと思っていたら、7〜8割くらいジョーカーかリー、もしくは2人で歌っている映画でした。ミュージカル映画が好きな人は大丈夫かも⁉︎
フラットに生きていきたいアーサー。
本国の評価は賛否両論と聞いて、多少身構えて観ましたが、普通に傑作?怪作?
丘や山は要らない。そんなアーサーに山を作りたいと言う、リー。
もう合わない(笑)
アーサーの発作が出ている時は、感情をならす為に出ているような気がしてならなかった。
リーといる時は、ほとんど出ていなかった。そうする必要がなかったのかもしれない。
リーはアーサーの完全な理解者ではなかったのかもしれないが、アーサーは、リーにすがるしかなかった。
だって死刑囚だもん。藁にだってすがるでしょ。たぶん山だって作るぜ?何なのかわからんけど。
自分の正義が、この世の不条理だけでなく、自分(アーサー)をよく思ってくれてる人達を傷つけてしまっていると思って、ジョーカーをやめたアーサー。
きっとリーもそんな人だと思って、そうなる前にやめたとも思えてくる。
でもリーは、『ジョーカー』が、好き?目的?だったみたい。
ラストは、なるほどこれは賛否別れるなと、、、
そして面会に来てた人は誰?
リーだったらまだ救いはあるけど。
エンドロールの曲がまるで、アーサーからの観客へのエールみたいで。。
つまらなくはないが期待とは違ってた
決してつまらなくはなかったが、見たかったジョーカーかと言うとだいぶ異なっていた。
レディガガ扮するハーレイクインとせっかくの共演なわけだから、思いっきり2人でゴッサムシティを暴れまわる様を見たかったのだが、残念ながらそれを堪能する事は出来なかった。
物語のラストにハーレイクインや刑務所内の囚人等がジョーカーに対して失望したように自分も同様にガッカリしたのはいなめない。
製作者サイドが本作のような暴動が現実に起きるのを恐れたのかは不明だが物語の結末は明らかにそうした事を助長する事のないような方向にもっていったのではと勘繰ってしまう。
逆に言えばあまりアメコミ感を出さない本シリーズの方向性としてはエンターテイメント性を出さずに、本作の演出やオチが正解と言えば正解なのだろうとは思うが…
よかった部分としては、レディガガの起用のしかたは最大限に生かされていた事だ。
彼女の演じるハーレイクインがマーゴットロビー版とは異なる独自のスタイルであったのには共感でき、とても良かった。
元々ミュージカル風にするつもりだったのかはさだかではないが、レディガガの歌唱力や表現力を最大限に生かされていた部分は見応えありだった。彼女の歌に関して言えば「アリー/スター誕生」よりも胸にささる程だった。
そんなミュージカル演出と対をなす法廷ドラマもそれなりに見応えはあった。
ただ全体的に重厚なドラマ路線であったがゆえにどんよりとした流れがわりと長めに続くのは若干のテンポの悪さを感じずにはいられなかった。
ゆえに続編というよりは前作を深掘りした番外編という印象が強く、正直これなら前作のみでも良かったかなと思わずにはいられなかった。
改めて前作は非常に良く出来た名作であったと再確認させられた。
「ジョーカー」を見に来るには物足りないだろう
今回の映画の一つ根幹となっているのは、「ジョーカー信者」だと思う
いわゆる「無敵の人」であり、上流階級に一矢報いる時代の寵児。(劇中の人々にとって)
ジョーカーはこんな感じだろう。「ジョーカー信者」(我々観客)の人々も(ジョーカーの過去も知っているけど)それを求めているのだと思う。
しかし、今回の主人公は「アーサー」である。弱くて、障害を持っていて、才能も友人もない男が主人公だ。
そしてこの作品を通して感じることは、みんな「ジョーカー」ばかりに目が向いているということである。
ラストに刑務所のアーサーを殺した男も、ハーレーも、民衆も、「ジョーカー」を見にこの映画をみた人々も、みんな「アーサー」なんて見ようとしない。
勝手に祭り上げて、反逆のマスコットにして、自分達を肯定するジョーカーを信じ続けている。
別に貧しくなくても、悲しい過去がなくても、生まれが良くても、前作を見た普通の生まれの観客たちやハーレーは勝手にジョーカーを信仰している。アーサーの気も知らないで。
その挙げ句に「アーサー」=「ジョーカー」じゃないと分かればアーサーを見捨てる。いや、別の人格はまだジョーカーなんだろうとずっと聞いてくる。そりゃあアーサーは嫌になるだろうな。
多分、この映画に低評価をつけ、「こんなのジョーカーじゃない!」と怒っている方々に向けて、監督はこの映画を作ったんじゃないだろうか。まあ、本人たちに届いてないんだけどね。
だから、この映画は「JOKER」の続編ではなく、「JOKER」が受けた社会への補足みたいなものなんじゃないかなと考えております
そもそも
人を6人殺してヒーローは無いでしょう?と笑。ジョーカーに狂喜共振した群衆と前作を神格化した我々は同列。こんな東洋の島国までに本物模倣犯まで出てしまった訳で。今作は更に過熱希望の群衆と我々をしっかり現実に揺り戻してくれる。言うたら結局は疾患持ちのマーダー、更に内実は、本当は、弱い自分を受け入れて欲しかった、子供も欲しかった、、。超凡庸。。。どこにでも存在し得る人物。悪のカリスマでも何でもない、、ただの落ちぶれた異常犯罪者。ジョーカーがアーサーに戻るのはどうしたってもう誰にも許されない。ならば、、つまらない。見捨てられる。恋も終わる、、完全に終わる、そして、、取って変わられる。。そんな群像模様を普通に描いていたら何の救いも無い、このクソッタレな世の中そのままの映画になる笑。又は前作の焼き増しになる。だからこそ、この美しい映像と音楽の意表を突いた仕立て。でもむしろ哀しみは余計に際立つ。悲しい歌詞の曲が穏やかな曲調だと余計に響くタイプの私なので、この映画には概ね胸を撃たれました。一緒に観た連れは最低評価でしたが笑
賛否両論もやむなし
本日、見てきました。
率直なところ 「これで終わりなん?」と見終わった直後は
感じましたが、あれだけ大ヒットした前作の続編を
つまらんの一言で終わらせるのもなんだかなあ、と
思い直して、いろいろ考察と言う名のこじつけを
語っていきたいと思います。
まずタイトルのFOLIE A DUEX の意味ですが
Wikipedia によれば
「個人の妄想が別の個人に伝染する」「感応精神病」
との事です。
これは劇中でのアーサーとリーの事でもあり
この映画を見ている観客のダブルミーニングと思われます。
さらに言えば冒頭のアニメで示された
「実在の人物アーサー・フレック」と
「虚像であるジョーカー」の関係ともとれる様に思います。
あくまで本人の影でしか無いジョーカーという存在に
本人であるアーサーが振り回される(乗っ取られると
いってもいいかもしれません)
劇中でも民衆が望んでいるのは「反体制のヒーローたるジョーカー」
であって「精神疾患を抱えたアーサー・フレック」では
ありませんでした。
改めて考えてみると
前作は
「社会的弱者のアーサー・フレックが予期せぬ形で手に入れた
ジョーカーという虚像」の物語で
今作は
「ジョーカーという虚像に振り回された挙句に
破滅してしまうアーサー・フレック」の物語だと
言えると思います。
あくまでも主役は「アーサー・フレック」であって
けっして「ジョーカー」ではなかったという事なのでしょう。
そして観客もまた「ジョーカーという虚像」に翻弄させる事に
なってしまうが故の賛否両論という事でしょうね。
「ジョーカー」のいう言葉の記号性を考えたら無理もないですよね。
まして今作はレディー・ガガの役どころがハーレイ・クインであれば
なおさらですよね。
ただ前作にしろ間にはさまれた「ザ・バットマン」にしろ
単純なアメコミキャラの映画ではなく
現実と虚構が混沌とした世界観ですので
「ジョーカー」「ハーレイ・クイン」の名前が持つ意味も
自ずと異なってきます。
むしろ「今作のヴィランは?」と考えたら
間違いなくリーの方ですよね。
「放火を起こしてアーサーと一緒に脱獄を企てても
独房に入れられるどころか、看守を買収して
アーサーの独房に忍びこむ」
「電気店のTVを堂々と盗む」
「新聞ざたになっても平然と裁判の傍聴席最前列に鎮座する」
よっぽど悪党やん?!
ラストシーンも自らは刺殺され、刺した奴が新たなるジョーカーに
なるのを示唆する感じで終わり。
哀れ極まりないですやん?
まあ6人を殺めたのは事実ですから
「因果応報」なんですけど
娯楽映画としてのカタルシスは得られませんね。
前作の影響力を反映した
ある意味アンチテーゼともとれる作風ですが
前作と今作もまた
FOILIE A DUEXなのでしょうね。
擁護してやるよ! 実は「つまらなさ」も狙ってやった演出だ!
この作品の主役はジョーカーという超ヤバイ悪のカリスマを描いているようで、実はアーサーという中年男の生き様を描いている……ようで、本当はそのどちらでもない。
【現実の不条理にうんざりした社会狂気】を描いているのだと思いました。
それはフォリアデュ(フランス語で共狂い)というサブタイトルからも読み取れます。さらにいえば、ドラマ版GOTHAMでもそうだったように、ジョーカーという悪役は別の人間にふつうに代替わりします。そっちもやはり、狂気の感染という方法で。
あとまあ、歴代の映画のジョーカー役でも割とそうですよね。〇代目ジョーカーとか、フィギュアも衣装もきっちり分けられているし、それぞれにコアなファンがいる。
だから『ジョーカー』という概念は、ひとりのキャラクターを示すものではありません。
『ジョーカー』とは『ジョークをこぼす人間』であり、そもそもひとりの人間を指す名詞じゃないんです。だからメイクで変装するキャラなんです。たぶん、ここを納得できるかどうかが、実は解釈の別れるポイントです。
悪のカリスマとして覚醒した「アーサーのクライムアクション」を期待するとガッカリします。
でもですね、よく見ると、冒頭のアニメに出てきたあのヤバいジョーカーの「影」は作品中の画面内の空気中にずっといるんですよ。それは看守に暴力を振るわせて囚人を絞殺させたり、リーに虚妄的な愛を芽生えさせたり、最後の囚人を凶行にはしらせたりしている。まるで悪のウイルスみたいに、この鬱屈した現実世界のなかにずっと漂っている。
つまり、主役は「悪の影」です。冒頭のアニメのあいつです。
それゆえ、映画の最終幕では新しくジョーカーが誕生したのでしょう。それも、アーサーのように人間的な弱さを持たない、ミーハーで純粋な暴力性だけを持つ最悪のヴィランの卵として。あっちがたぶん(繋がるなら)ダークナイトのジョーカーだと思います。
ミュージカル仕立てである点については、正直いうと、とにかくテンポが悪いのでエンタメ映画としてはハッキリと面白くありません。私も見ていて「また音楽かよ」とうんざりしました。それでもこの映画は超傑作だと思います。
なぜかというと、たぶんこれ、狙って「退屈する演出」にしているんじゃないかと思うからです。作中で、さんざんエンタメ♪エンタメ♪ってからかってますしね。「エンタメとしてつまらないことなんてわかってるよ」という製作者の皮肉であり、比喩で、ジョークでしょう。
なによりも決定的なのが、作中で、リーがアーサーの「ジョーカーなんていない発言」にガッカリしたこと。それと、いま酷評している視聴者たちの「なにこのジョーカーの続編映画、面白くない」というのが、精密に計算されてシンクロしていると思うからです。
正直、トッド監督なら「ハングオーバー」でやっていたように、構成のテンポを良くすることでエンタメらしい大興奮映画にまとめることなんて、たぶん楽勝でできるはずです。
でもこの作品はそれをやらなかった。ジョーカーという「ふわっとした悪の魂」に焦がれている人間を失望させることで、よりそのふわっとした悪の魂を、浮き彫りにさせている。
だからこそ、この「敢えて退屈させる演出」ってとてつもない表現手法だと思うし、ハリウッド映画で実行した度胸が凄すぎると思うのです。
私はこれ、メチャクチャすごい作品だと思います。大好きです。
書ききれないくらい、色々なサブテーマが隠されてる。
どう見ても恋心を育てる過程が足らなすぎる初めから薄っぺらな恋愛なのに、心酔しちゃう童貞アーサーの弱者男性ぶりだとか。最後の面会は誰だったのか?とか。自動車自爆テロは誰が仕組んだのか?とか、なぜリーはあの階段で都合よくあのタイミングで待っていたのかとかね。
まあ、たぶん、思うに爆破テロはリーの仕業だったのだとわたしは思います。ハーレークインぐらいでしょう、ジョーカーのためにあんな過激なことするの。でもわざわざ作中で描写してしまうとチープになってしまうから、敢えて省いたのかなと。
最後の面会は、「それでもアーサーに会いたいと思ってくれている誰かにさえ、結局会えない悲劇」の演出でしょうかね。
マジで傑作。でも二度と観たくねえ。
けどこの傑作が低評価で終わるのはとても残念です。
'That's Life' と言ってもこれでは悲し過ぎる結末 でも...
'That's Life' と言ってもこれでは悲し過ぎる結末 でもやはり世の中は不条理 ってことか
カンソウ 色々色々あれど
もちろん主演 助演とも素晴らしかったので
ストーリー的には続編だけど展開は別物の様
冒頭のアニメが全て暗示してる様だけど全てでは無いと思いたい
精神心理学的にPTSD コンプレックスなどに目を向けさせながら
都度つど妄想狂喜のミュージカルでほぐれさせ
ナルホドね
世の中ヤッパリ不条理だよねと言う終わりは分からなくもないが
賛否のピはその辺もあるのかな
いや個人的にはそういう終わり方なんだと言う悲しみかな
ちょっと気を持たせつつも
でも世の中は概ね不条理、、、が勝つのか
ところでハーリィ クインは打算的か フォリ ア ドゥってくらいだから妄想教信者か
と今はこのくらい また巡るつもりで
やるせ無ければ That 's Life ♫を口ずさんで
いや 実はアーサーは死んでないんだ とかね
Send in the Clowns♫はハマり過ぎな感じ
アレッ? エンディングで救われてる?
ハッハハハハ
アーサーがジョーカーの始まりでありバットマンに登場するジョーカーに続くものなのは確かなのではないか?
たしか前回のジョーカーで制作者側が映画ジョーカーとバットマンの繋がりはないような話を聞きましたが (間違っていたらすいません)ブルース・ウェインの子供の頃と父親のトーマス・ウェインが出ていましたし今回もハービー・デント(検事)が出ていましたしかなり繋がりがあるのではないかと思いました。しかしアーサーのジョーカーがバットマンと戦うときには歳を取りすぎているのでもしかしてその子ども(リーがアーサーの子どもを身籠る)があとを引き継いでジョーカーになるとも思いましたがブルース・ウェインのバットマンと戦うときには少し年上っぽい感じがしましたのでもしかして留置場の中でアーサージョーカーに熱狂的な若者がおりこの若者がバットマンに登場したジョーカーではないかと。アーサーに対する最後の行動を見ればまさにジョーカーそのものではないかと思った次第です。こんかいのジョーカー賛否がありますがたしかに映画全体を通すと正直退屈なものでしたが最後の展開は面白かったですね。最後まで退屈な展開だったら2か3程度の評価でしたが最後の急展開は面白かったですね。
カリスマ
暗闇の色彩と雨のシーンが綺麗。
アーサーのタバコを吸う姿は格好いい。
ただ、頭の妄想の中が急にミュージカルに
なってしまうので集中力と緊張感が途切れて
しまう。
ゲイリーの『君だけは優しかった』が印象的。
だが社会はアーサーを愛してくれなかった。
そこから生まれのがジョーカー。
カリスマとして大衆にの熱狂された
ジョーカー。社会的排除を受けたアーサー。
狂言者リー。傍聴席に集まる人々。
異常な大衆の軍団。
自分はどの視点で見てたのだろうかと
問われる。
今回はジョーカーというより、アーサーと
いう人物が知れて良かった。
偶像崇拝
始めに個人の感想としては普通の作品である。前作より、平凡な作品なったなーと。
しかし今回の作品は、自分の主観かもしれないが「非」の評価が多いかなと。
まずは何故ここで「非」の評価が多いのか考えてみた。
①ミュージカル映画でしたっけ?
前作と比べて圧倒的なシーン比率を誇ってたのが、歌唱シーン。それもミュージカル調。
ここの好き嫌いが激しいのだと思う。前作がここまで振り切ってるならともかく(フランク・シナトラの曲は意味をもっていたが)、さらには日本人はあまりミュージカル慣れしておらず、受けれている人は少ないように思う。
また、好きな方から観てもここまで数が必要か?シーンごとの意味のある楽曲になっているのかという点も多い。
近年のミュージカルを舞台にした映画、人気アーティストの伝記ものは楽曲が意味をもつし、それぞれ2つとも転換の時として曲が区切りとして機能し、観る側もそのシーンに期待を寄せる。
ここがこの作品には一つもない。ただ「風」になっているかなと感じた。(この楽曲はこういう作品に使われてて、こういう意味があるかもとかあれば教えてください。)また、曲数ももう少し少ないと思う。
「アリー スター誕生」の時の作品をもう一度と考えたのかもだが…(※トッド・フィリップスが制作に参加してた)
②カタルシスが全くない
こういうダークな作品というのは苦悩、葛藤や非道、残虐さを描き続ける負の画を描き続ける。
または、そのダークヒーローが最期に意味のある死を迎えるかどうかとか、報いや、最期に自分の美学を貫いた、回りまわって人の支えになっていたとか だ。
この2つの作品が個人的に多いと思う。
今回の作品は、上記2つに該当しない。
悪も貫かない、1人の人間、アーサーとしてJOKERはいないと宣言し、そしてハーレークイン(今回の役名はリー)に愛を求めふられる。
そして、刑務所内で囚人aにさされて、死んでしまう。
ハーレークインに殺される、悪を貫き死刑になる、脱獄しジョーカーとして君臨する。
そういう結末はない。スカッとする、かっこいいと思えるような描写はないのだ。
前作はやはり、アーサーがJOKERとして変貌していく様がキレイに描かれていた。
一番は皆、悪のカリスマとしての描写、ハーレークインとの共闘等期待していたのではないのかなと考えている。
JOKERを悪のカリスマとして描かないのは個人的には、悪くないとは思うのだが、ミュージカル調とこの地味エンディングは相性が悪いかなと。
単純に画がpopになるだけでなく、心理描写が楽曲によって直接的になるからだ。
それによってこの作品が重くも、軽くもなく、とっ散らかった印象を与えているのである。
上記の点だけなら、本当なら2.5とかなのだが、この作品の唯一輝いてる点を一つ上げたい。
理想像(偶像)の肥大化への注意喚起をこの作品で感じたところだ。
群衆にしろ、弁護士のスチュワートにしろ、ハーレークインすら、アーサー自身を見ず、自分が思うJOKERとしてしか見てなかった。アーサーとしては、1人の人間として見てほしい、そこは爆破された後の助けてくれたピエロからの逃走からも確認できると思う。あくまで彼らが助けたのはJOKERでありアーサーではないのだ。
また、現実でもこのイメージに大きく縛られてるところが大きいと思う。アイドルや、芸能人と呼ばれるかたがたは常にここに苦しん出るのではないのだろうかと思ったり…
あと、単純にレディ・ガガのthat's my life、ホアキン・フェニックスの色気はたまらなかったです。劇中の小ネタ(バットマンとの繋がり、劇中で流れてた映画 etc…)も含めてのこの点数で。
続編とは認めたくないです。
賛否両論と聞いていたので覚悟してみに行ったけど、私は否のほうでした。以下辛口すみません💦
まるでレディーガガによるレディーガガのための映画。ミュージカルを入れる意味が分かれへんし、内容的にもなんとも中途半端。レディーガガのプロモーションビデオでも作りたかったの?って怒りすらおぼえる。
前作は、アーサーという孤独で優しい人間がなぜジョーカーと呼ばれる怪物に堕ちていったのかその過程が丁寧に描かれていたので、今回の映画ではそこからさらに悪が進化するという感じなのかな?と勝手に思ってたが…まさかの恋愛のほうにいってしまうとは💦衝撃のラストとか宣伝してたけれど、無理やり終わらせたなという印象。唐突にはじまるミュージカルに辟易。
ただ、裁判のシーンで前作で殺されなかった同僚が証言するシーンは印象的。同僚だけはアーサーの味方でいたかったのかな。優しいアーサーを知ってるわけやしね。同僚が傷ついてる様子もみてアーサーは民衆という影に操られていることに気がついたのかななんて思っていた。にしてもなぜそこでまた歌うねん…
ジョーカーの続編と名乗っていなくてこの映画単独で観るとすれば、ここまで評価は低くしなかった。点数はキャストの熱演分でつけます。ほんまに残念でならない。
ミュージカル映画
最後の方で裁判所爆発して、これからやっとジョーカーを見れると思いきや(泣)暴れっぷりみたかった。
でも、これがリアルな人生だなと思いつつも、前作の壁は越えられなかったと思います。
全289件中、201~220件目を表示