ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全289件中、1~20件目を表示
ノーランの影に苛まれたトッド・フィリップス
ホアキン・フェニックス/アーサーの肩甲骨がみたかった?
ファーストシーンはアニメーションで、本作の概略と共にジョーカーが戯画として描かれていた。だから、実写になってホアキン・フェニックス-アーサー-ジョーカーの痩せ細り浮き出た肩甲骨と肩の不均衡さがまざまざと映し出されたのは衝撃だった。
ただ本作をみた10人中の8人、いや9人がきっとこう思っただろう。
「そんなのみたくない…」
マジで誰も期待していないし、望んでもいない彼の肩甲骨。凄いのは分かるけれど、そんなのがみたいわけじゃない。あのジョーカーが、今回はどんな狂人ぶりで死体の山/丘を築くのかそれがみたいのだ。なのにアーサーはいっこうに監獄のままだし、故に裁判劇だし、妄想以外では全く加害行為に及ばない。本作の彼はいつまでも暴力に受け身で何もできない無力の存在だ。さらにミュージカル調でもある。頭を抱えざるを得ない。
観客の期待外れは興行収入や、いまいち盛り上がっていない様からも明らかだろう。
なんでこんな物語にしたんだ???
気になって監督をしたトッド・フィリップスを調べた。すると彼が1970年生まれであることが分かった。では他に1970年生まれの映画監督が誰か調べると、一人の監督が現れる。そうクリストファー・ノーランである。
その時、私は納得した。トッド・フィリップスは本気でアカデミー賞作品賞を獲りにいったのだと。単なるDCコミックスシリーズの一作ではなく、現代の批評性を備えつつ娯楽性にも富んだ作品にしようとしたのだと。そのことはジョーカーのファンの期待に背くことになる。けれど期待通りであれば、ジョーカーという「影」を追従するだけに留まるし、それではいけないと困難な道を選択したのだろう。
さらに私がしているようにトッド・フィリップスはクリストファー・ノーランと比較をされ続けたに違いない。ノーランは『ダークナイト』でジョーカーを描いているし、『オッペンハイマー』でアカデミー賞作品賞を受賞した。ではトッド・フィリップスは?『ジョーカー』で第76回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞しているけれど、作品賞は獲れてはいない。
なんだかトッド・フィリップスはアーサーその者に思えてきた。では彼がノーランと同格となるにはどうするか。
ノーランができない心理描写を『ジョーカー』以上に深化させる。そのことは悪のカリスマであるジョーカーをアーサーという一人の人間に近づけることを意味する。ノーランができないミュージカル演出を『ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』で第67回ゴールデングローブ賞作品賞(ミュージカル・コメディ部門)で受賞した彼は採用する。『雨に唄えば』や『ウエスト・サイド・ストーリー』、『ラ・ラ・ランド』、『ショーシャンクの空に』へのオマージュ/目配せもする。その選択の結果が本作の物語化に違いない。続編でアカデミー賞作品賞を獲ろうとするならば『ゴッド・ファーザーPARTⅡ』以来の快挙ではないだろうか。それほど困難な道をトッド・フィリップスはノーランと同等と認められるために、選択したのだ。そう考えると本作の物語化にも納得がいく。
ではその選択が功を奏したか。残念ながら私は全面的に肯定はできない。
ミュージカル演出においても、監獄や法廷を舞台化できたとは言える。けれど、レオス・カラックスの『アネット』をもう観てしまったからね…トイレ/排泄を舞台化したり、ミュージカルの本質を抽出してしまった『アネット』と比べたら見劣りしてしまうし、裁判劇で画変わりしないことをミュージカル調で補っているようにしか思えない。しかもミュージカルシーンは説明描写に留まるしーあえてそうしているのか?ー、典型的な感情の吐露や心理描写になってもいないのはどうかと思うーアーサーが弁護士を解雇するミュージカルシーンは見応えがあったー。
確かにジョーカーを人間に近づける描写はよかった。裁判に当たって、アーサーの担当医を登場させ、彼の殺意が精神疾患由来であることを導出しようとしている。それはジョーカーのパフォーマンスを狂人のカリスマ性から普通の人の精神疾患へと横滑りさせる描写だろう。けれどアーサーが本当に求めていることは精神疾患だと診断されることではなく、むしろジョーカーという影を纏い、その影に魅了されるリーと性愛的に結ばれることに見出すシニカルさは最高だと思う。
ただアーサーの責任能力についての描写はどうかと思う。彼の裁判劇は殺人の事実の有無ではなく、責任能力の有無が焦点ではある。そして彼の自己弁護も虚しく、有罪になってしまう。けれどその責任能力について彼のバックグラウンドや精神疾患の判定を考慮に入れた主文が述べられることもなく、法廷が爆破されて省略される。それを映画だからと、省略するのは構わないが、ヒューマンドラマに仕立てリアリティラインを上げたのならちゃんとみせてほしいと思ってしまう。むしろこの爆破はリーと再会するために準備されたもののように思えるし、精神疾患だと診断する以上の答えを映画≒フィクションが持ち合わせていないようにも感じさせる。この物足りなさが、現実やモッブのドキュメントとしては適当ではあるが、その乗り越えとしては不十分という印象をもたらしてしまっている。
さあ、本作の描写する現実はかなり厳しい。ジョーカーの存在は否定される。存在するのは、監獄に収監され、看守に虐められ、肩甲骨を浮かび上がらせるひ弱な白人中年男性・アーサーのみ。彼に惹かれるリーも、セックスのときはアーサーにジョーカーのメイクをさせるようにアーサーその人を決してみていない。ヒロインのリーもまたカリスマ的なジョーカーの「影」を追う一人でしかない。アーサーが自由になる爆破もリーが引き起こしたわけではない。しかも彼が外の世界で彼女に会っても、見放され、再び監獄に戻ってしまう。あげくには彼は監獄の中で物語で全く焦点が当てられないモッブの男に刺し殺されて死んでしまう。華麗な脱獄劇もヒロインの駆け落ちもない。ヒロインに殺されることも許されない。ひ弱な男はダークヒーローにもなれず、誰にも救済されず死ぬしかない。この残酷な事実を誰がみたいというのだろうか。
ノーラン作品にも裁判のシーンは多いから、きっと現代のアメリカは映画≒フィクションで真面目に残酷な現実を提示しないとどうしようもない世界なのだと思う。アリ・アスターの世界線を突っ走ったら崩壊するんだ。
本作は前述のようにジョーカーファン以外にも届くようにウェルメイドなつくりになっている。ただ良くも悪くも秀作の域に留まっている。それをアカデミー賞はどのように評価するのか。少しは楽しみになってきた。
いいも悪いも、全てをその目で見届けたい貴方にオススメ🎶
観てきました〜♪
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」
「フォリ・ア・ドゥ」=
フランス語で「2人狂い」の意味だそうです。もう略して、「ジョーカー2」ってことでいいかしらん🙄
感想は、
賛否両論分かれる内容でした。
ミュージカル映画が嫌いな人は、苦手かもしれません。私はというと、昔は嫌いだったミュージカル映画が、昨今の名作ミュージカルによってその魅力に開眼。今はミュージカル映画大好きな方の人です。
で、そんな私ですが、
おっとこれは、もしかして?
ミュージカル映画的なやつかいな?
と、気がついた時には、
既に遅し…。
想定外のパンチに肩透かしを喰らい
若干、感情のスタートラインが出遅れてしまった模様…。
う〜ん、
やりたいことは十分に分かるのだけれど、残念ながら感情が追いつきませんでした。私の有り余る想像力と妄想力をフル稼働しても、主人公たちの気持ちに寄り添うことはできませんでした。
だってね、ひと6人も殺した極悪犯になったことないし🙄
極悪犯だって人間やし、恋するのも分かるよ。分かるけどもや…
えぇ?いつ?そんなに好きなん?
って、突っ込みたくなっちゃう悪い癖でちゃった。ミュージカル映画が苦手だった頃をほんのり思い出す苦い後味となりました😅
でもでも、
見どころは沢山あったよ🤭
レディ・ガガ好きなあなたは、もうそれだけで最高よ。主演のジョーカーを演じたホアキン・フェニックスも一作目同様、物凄い演技なのよ。すごい俳優さんなのよ。私の感情さえ追いついて、ストーリーに入り込めていたら、きっと物凄いお洒落でいてなおかつ、悲哀に満ちた傑作映画になっていたに違いない。
そもそもだ、
一作目が名作すぎた問題よ。
こちら気合い入れすぎて、前日にAmazonプライムでしっかり復習済みだから、感情の期待値はもうMAXなのよ。チラッとみた不評らしきレビューには目もくれず、かなり前のめりで観に行ったのも、よくなかったのかもしれません。
とにかく、
いいも悪いも、
全てをその目で見届けたい貴方😎
レッツ、フォリ・ア・ドゥ♪
でございます。
哀れな男の結末
前作同様、哀れな男が主役の物語。
物語自体は超現実であるが、舞台がゴッサムシティということもあり、
観客として、この映画はファンタジーだから、と心の何処かで甘えやら希望を抱きながら鑑賞してしまう。
でも現実って、こんなもんだよね。
ストーリー自体は目も当てられないようなひどい仕打ちが続いていくのだが、ミュージカルを駆使した演出や美しい映像のせいで、最後まで集中して見れた。
そして胸が苦しく、見終わった後も、しばらくこの映画について思いを馳せていた。
この映画は、あのジョーカーではなく、あくまでもひとりの哀れな男が主人公の話。
自分事として。アメリカの事だけではない。
解離性同一性障害の殺人が罪になるかどうかは横に置いておきましょう。専門家でも相当な慎重さと労力が要りましょうから。でも、その辺りの裁判でのやり取りも、丁寧な印象は受けました。アーサー自身が悪いのか?精神疾患がそうさせたのか?心神喪失状態だったのか?単なるお芝居や道化なのか?幼少期のトラウマが解離させたのか?等々。私が想像していたよりも、きちっと考えさせてくれる構成でした。上手い具合に、ミュージカルの挿入あるからこそ、息抜きしつつ陰惨にならず、返って集中してみることが出来た気がします。このやり場のない混沌(ジョーカーそのもの)がアメリカ社会だわ、と遠目に観たのでなく、きっと誰しもこんな矛盾を抱えているのでは?と問うていました。
「ジョーカー」は伝播し象徴となる
見終わった後に私も「ジョーカーはこんなに弱い人間なわけがない」と思ってしまった。それじゃあ劇中のリーと同類じゃん…とヴィランに強さを求めてしまう心を打ち砕かれた気がした。 現実世界にはジョーカーなんていない。それを作り出すのは、民衆の欲求なんだ、と。
徹底的にアーサーを「人間」として描くことで、現実世界で、反社会的な人間に悪のカリスマ性を求めてしまう集団心理に、監督はノーを突き付けた。
罪を憎んで人を憎まず。アーサーへ共感してもいいが、悪しき行為は賞賛されるべきではない、と。
そしてそれと共に、一人の男の真実にさえ近づけない社会の残酷さを訴えかける。他者の痛みに鈍感なのは、あなた自身もそうなのでは?と。映画の中だけ弱者に共感して、現実世界ではだれにも手を差し伸べていないのでは?と。
アーサーをアーサーとして扱い、関わってくれた人間がいないことが、同情を誘う。
弁護士も寄り添うようでいてその実、アーサーの苦しみからは目を背けているようにみえるし、裁判中はアーサーの母親も彼を愚弄していた事が赤裸々に語られる。
信奉者のリーも民衆も、ジョーカーの仮面をつけたアーサーしか求めない。というか、アーサーには興味がないのだ。
(もしかしたら裁判所爆発も、アーサーごと殺すつもりでリーが仕込んだか?)
アーサーに一番近い人間はやはり唯一、「こんなのは君らしくない」と言ってくれたゲイリーだけだったのかも。彼を知るがゆえに、本来は優しい人間が犯した狂気に、本当に恐怖したのかもしれない。
振り返ると、心象風景のミュージカルパートがじわじわと胸を抉ってくる。 第二作目は、アーサーとジョーカーの対決と言ってもいいかもしれない。
そしてアーサーからジョーカーが切り離され、象徴化していく…。
ラストは、ジョーカーが別の者に伝播する…と捉えることもできる。
または、リーが新たなジョーカーになるのかもという予感すら与える。
ホアキン版ジョーカーも、ノーラン版とはまた違う傑作。
本作に絶望した貴方、実は監督の思い通りかも
本作に絶望した貴方、実は監督の思い通りかも
本国での公開以降の酷評は勿論知っていて、それでも国内で公開されたら意外と評価高いんじゃないか説という甘い期待も裏切られてから一ヶ月、流石に中々手が出ず進撃の巨人が満員で見れなかったので代替候補として観てきました(笑)
いやあ~まさかまさか、良い意味での裏切りも何も無くそのままクソが出てくるとは・・・・・(呆れ)五年前に感動したあのジョーカーは見る影も有りませんでした。
内容は正真正銘の続編。妄想説などの議論を呼んだ前作ラストもあっさり現実だったという事が分かったのも束の間、刑務所に居るアーサーから始まります。序盤は流石ハリウッドの一線級という映像クオリティで「やっぱり面白いんじゃないか?」という期待を抱かせますが、レディー・ガガが出てきた当たりから不穏(不安)な感じになっていき・・・・。
そもそもレディー・ガガに惚れる理由が薄すぎて、これはアーサーが童貞疑惑もあるほどの非モテだったとしても、それ以上に他人に対して疑り深く拒絶心の強いアーサーがいつ惚れたのかも分からないほどあんなあっさり入れ込んでしまうのは強烈な違和感を感じざる得ない。
むしろジョーカーというキャラクター上、アーサーの方が裏切るじゃないけど最後はハーレイの脳天ぶち抜いてカメラの前でイエーイやって三作目に続く。。。とかの方がよっぽどらしかったと思う。
それがアーサーは終始入れ込んで明らかに彼女から求められるジョーカーを演じちゃってる格下な雰囲気で、もうそういうところも含めて前作で感動したあのジョーカーはどこへやら・・・という感じで。
それ以前にまずストーリーがシンプルにつまらない。前作の日常から非日常へ駆け上がっていくカタルシスであるだとか、その興奮なんかは微塵も継承されておらず、刑務所と裁判所を行き来する低予算も感じさせる絵の変化の無さとそれに呼応したつまらなさで眠ってしまいそうになる。
前作を遥かに凌ぐ予算は一体どこに割かれたと言うのか?ほぼレディー・ガガに吸われたんじゃなかろうか(笑)
既に多方面で言われていたミュージカル要素も意外とミュージカル映画ではないのでフルで歌い切るというボリュームが続くわけではなく、そこは前情報もあってか案外苦にならずに見れた。ただその殆どが妄想であるという点や、何よりハーレイにベタ惚れする理由が謎すぎて終始白けた雰囲気で見せられるのが非常に残念。
そもそも上でも語ったようにジョーカーとハーレイという関係性なのだから、もっと狂気的な愛みたいな感じでジョーカーとの主従関係みたいなのであればもっと面白かったと思うのだが、シンプルに今までモテなかったであろう中年男の青春と片や痛々しい女オタクという感じの構図でこれまたキツイのだ(笑)
ラストも風の噂では聞いていたが突然の展開で取ってつけたように、もうジョーカーは作りませんよ!!と言わんばかりのクソエンドで最後の最後までクソを塗りたくったクソだった。案外良かったという事も無い、正真正銘のクソ映画でした。
道中で良かったシーンや印象に残ったシーンも皆無です。まさかここまで酷評しなきゃならない自分も辛いです。。。。。
何より嫌だったのは、「ほら、これが見たかったんだろ?」と言わんばかりの前作オマージュや申し訳程度のアーサーの病気笑い描写。ほらほら、ホアキンのジョーカーだぞ!と言われているかのようにわざとらしく出てくる前作を彷彿とさせる感じが、安売りされているようで悪い同人作品でも観ているかのような気分にも錯覚させられました。
しかしここで面白い考察が、これすらも全て監督の手のひらの上で、そもそもこの作品に絶望することが監督の狙い通りだという説だ(震え声)
ジョーカーという祭り上げられた一人の男。そんな彼をまた神格化していた一人の実は普通の女性だったハーレイ。そして彼に失望して、絶望して振ってしまうハーレイ。そしてまた別の男はアーサーに怒りを覚え、殺◯。
そのラストも何の捻りも逆転も無く、本当ただ淡々と◯されてしまう。そうして空虚なミュージカルを見せられて特にカッコいいとも思えるシーンも無く最後の最後もあっさりと終わってしまう。
『『これこそが実は全て完成されている、メタ的に観客すらもジョーカーに対して失望させる完璧な2作目だった説・・・・・!!!!』』
いやあ~案外あるんじゃないかとw
それに本作、これが一作目ですげえダークでリアル路線のジョーカーって脳内変換すると案外見れたりします(笑)。飽く迄も前作が神すぎた。
前作が面白すぎて、アーサーがカッコよすぎて、ジョーカーという作品を神格化したまさにリアルな観客すらも作中のハーレイ達のように失望させて期待すらも打ち砕いて最後は最悪な気分で劇場を後にさせる。そこにはもうアーサー(ホアキンジョーカー)に対する期待も何も残っていない。
どこか予定調和なシーンが続き、最後の爆発すらも妙に説得力が無く突然舞台が変化するような奇妙な感覚。それら全てが悪いミュージカルでも見せられているような感覚をあえて観客にも体感させていた。アーサーの笑ってしまうような人生を疑似体験させていた。
そんな巧妙な計算が実は仕掛けられていた・・・・・そんな稀代の名作だったとして、数十年後には評価される時がくるかもしれません。
w
そら平均評価3.3くらいになるわなって内容でした。
面白かったです。
ただ、ミュージカル映画くらい歌うし、主演の1人がレディ・ガガなので、あーーそのためのレディ・ガガね。ジョーカーの続編でそれやるんだ。って思いました。
いわゆる賛否両論ってやつですね。
観ながら、ワンピースREDを思い出しました。
あの作品は、歌わせることに重きを起きすぎてストーリーがゴミだったので、ちょっとビクビクながら、今作を観ました。
出会いが、"歌っている彼女"だったので彼女との関係の深さに応じて、音楽の種類が変わっていくのは面白かったですが、まあ多いですよね。
ハーレイがもともとアーティストで、それで歌うなら分かるんですが、別にそんなことないので、どうしても"レディ・ガガ"過ぎるんですよね…
だから、ジョーカーの新作をレディ・ガガの実力お披露目会に消費されてしまったっていう感覚があり、複雑です。
もちろん、歌唱が多かったことには意味があると思うのですが、誰しも繊細に裏を読んで、映画を視聴する訳では無いので…
最高の続編
フォリ・ア・ドゥ=フランス語で「2人狂い」、「伝播する」、「感染する」といった意味があるそうだが、まさにアーサーと言う1人の男が生みだしたジョーカーという世の不満の代弁者たる虚像が同調する人々に伝播し、感染していく物語であった。その結果、リーのような人間達を生み出し、やがて虚像はジョーカーという名の虚が剥がれ落ち、アーサーという名の実に戻る。しかし、一度拡がったジョーカーという名の病は本人の意思とは関係なく拡大感染しつづけ、新たに生まれた純粋悪のジョーカーにオリジナルであったはずの虚像は実像と共に刺殺される。つまりこれは、悪の象徴となるジョーカーを生み出すキッカケとなったジョーカーでありアーサーの物語なのだ。
ラストの自ら口を裂く音と共に次なるジョーカーの誕生を感じさせるシーンにフォリ・ア・ドゥのタイトルの真意を見たような気がします。
期待外れと言うには心動かされすぎる20年後の名作
余り評判良くないけど
フツーに楽しめたけどな
でも、評判良くないのはわかる
たぶん面白くないと言っている人の半分ぐらいは
ミュージカルだから。
なんで歌ってるのか意味分からないと言う意見の人は楽しめないと思う。
あとは、前作のような弱者救済というか強者をやり込めて社会をひっくり返すような爽快感が本作には全くない。主人公アーサーのダメなところばかり目立つ
でも、駄作っていうには
心動かされる。動かされすぎる。
ミュージカルパートはアーサーとリーの心理描写を本当にうまく表現できている。
普通はそのミュージカル作品のために作られた歌を作中に使う事が多いと思うが、本作ではほとんど誰もがどこかで聞いたことのあるスタンダードな曲でちゃんと表現できてるのはすごい。
前作の暴力シーンの代わりに今回はミュージカルシーンが主人公の見せ場。
ラブロマンスなのか妄想の世界なのかわからないけど歌ってる時はアーサーが主人公。
ミュージカルパートがアーサーの高ぶる心を表現しているのなら前作のこともあるし、もしかしたら、レディオガガ演ずるリーも。。。なんて思うとまた違った意味でミュージカルシーンが見られる。
基本、鬱展開、ミュージカルパートがないと本当に彼の境遇がひどすぎてみてられないと思う。
気になるのが、これってちゃんとバットマンの世界に繋がるなかな?ってところ
なんか評判悪いし本国の興行成績も悪いみたいなので実現しなさそうだけど
もし、パート3が作られるのなら必ず観に行くと思う。
オレ、アーサーと一緒に夢を見てたんだ
確かに冒頭からちょっとやな予感はしてたんだ。でもさ、周りは自分をクズか病人扱いしかしない中でさ、あんな風に自分を認めてくれる人がいたらさ、そりゃ夢見ちゃうじゃない!?
挙句母親の本音まで言う必要ある!?すみませんデリカシーを売ってください!!
澱が膿になって爆発して、よーしここから全員皆殺しだ!!ついでにカノジョとキャッキャウフフしちゃうぜ!
と思ってたから落差がすごい。この気持ちどうすればいいの…
JOKERにオリジナルはいない
アーサーは狂人を演じていただけだった。自分の器以上に大きくなったJOKERはアーサーの手を離れ、オリジナル無き模倣へと変わる。
最後のシーンでアーサーの腹をめった刺しにした青年はおそらく新たなJOKERになるだろう。
そして、裁判所の爆発で逃げ出したというカリスマ絶大のエピソードに酔いしれるゴッサムシティの人間はJOKERへと変貌する。
壮絶まさしくオリジナル無き模倣であり、アーサーは生け贄となったのだ。
というよくわからん感想になりました。
そもそもあんなに知能の低いアーサーが、我々の知る頭脳明晰なJOKERになりえるはずがない。(笑)
この映画のJOKERとダークナイトのJOKERは別の人間です。
②ミュージカル的法廷劇を観よ!
前作が1999年に僕が劇場で観た映画37本(卒業アルバム的SNS 2020年2月4日記載)中、1番良かったので、本作はとうぜん観ました。
この作品は、前作を観ていないと、内容が繋がらないので、この映画を観る前に、前作を観ておく必要があります。
薬物を使ってドーピング演技をしていたので、ヒース・レジャー氏演じたジョーカー「ダークナイト(2008年)」は、僕にとっては、語る価値はナシ
本作のぶっ飛んだ脚本は、映画「タクシードライバー(1976)」に近くもあり、「時計じかけのオレンジ(1962年)ぽくもあるが
これで、色彩感覚が飛んでいたら、完全にジャンキー"サイケ映画"と決めつけねばならないが、
本作はギリギリなところで、ミュージカルの域に踏み込むことで、その世界に足を踏み入れずに済んだ気がします。
本作は、アメリカンヒーロー映画でなく、バットマンシリーズのスピンオフ作品でもなく
完全に、オリジナルな世界感を持った作品なので、アメリカンヒーロの世界観を、本作に期待した鑑賞者からは、
大苦評が来ることは、容易に予想できる。
人の好みは、好きずき
僕は、アメリカンヒーローものが、嫌いに近く、本作の様な世界感が非常に好きです。
本作のジョーカーは"トランプのJ"ではなく、"バットマンの好敵手"でもなく、単に詰まらない"ジョークを発する人間"だということ
本作は、アーサーと言う いかれたオジサンの人格@害(多重@格)の中での物語、
おそらくレディ・ガガさん演じるはリーは、初登場のシーン以外は、すべてアーサーの妄想の中での出来事だと推論できる。
それでも、リーは、ジョーカーの相棒ではなく、単なるジャンキーのファンであった。その部分が、妄想を否定するような点ではあるが、彼の人生はいままで こうして裏切られ続けてきたのだから、
妄想の世界でも、落胆するような展開に、自分の無意識が導くような気がする。
まして、女性とは、まるで触れ合た事も付き合った事もない 童@ゆえ、弁護士にキスしたのも、もちろん妄想での行い。
ホアキン・フェニックスさん と レディー・ガガさん 両俳優の歌唱力は、実に素晴らしい。サウンドトラックが欲しいくらいだ。
撮影のライティングも構造も、実に考え込まれており 作品の芸術性が高い事を物語っています。
この映画を観たら、もう1度 本作ではなく、1作目「ジョーカー」を観て、これまでの経緯を おさらいしてみるとよいでしょう。
所詮敗者は敗者でしかない
カリスマジョーカーが“躁”だとしたら、囚人アーサーは“鬱”。“躁”と“鬱”の振り幅が大きい作品だと思いましたが、“鬱”が9割を占めてました。興行が悪いのも皆さんがトリッキーな“躁”ジョーカーを見たいからではないでしょうか。だって、ほとんどの人が貧しくて惨めでしみったれた“鬱”状態で生きていますよね?映画くらい“躁”になって現実逃避させてくれよ?みたいな。
アメリカは“ジョーカー”公開時の5年前より、さらにカオスになってきて、アーサーやリーみたいな人がキャラクターではなくリアルになってしまった。社会が貧困化してテロもありうるかもしれないし、全体的に理解ができない状況。ジョーカーという存在がジョークではなくなってしまった。
リーはアーサーがジョーカーになれば歓喜し求めてくれましたが、アーサーがアーサーのままだと失望し去ってしまいます。つまり、ジョーカーを求めるリーは私たち観客の象徴であり、本作でそれを断固拒否したアーサーは監督の心情そのものに思えました。ジョーカーは単なるアメコミのキャラクター。それがひとり歩きしただけ。
あのギャグ映画“ボラット”や“ハングオーバー”を撮った監督とは思えないくらい大きな不安感を作品から感じましたが、これも監督流のジョークなのでしょうか?
“所詮敗者は敗者でしかない”のか?
この続編の作り方しかない
前作「ジョーカー」は70年代アメリカンニューシネマらしくマーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」の系譜であり、
その続編である本作もやはりスコセッシ監督のミュージカル映画「ニューヨーク・ニューヨーク」に通じるものがある。興行的に失敗しているところまで同じ笑
私は前作「ジョーカー」ではラストで全てがジョークだった(ジョーカーという存在から今までの展開が全て妄想で、最後の精神病院みたいなところこそが現実)という解釈で観ておりました。そういう捉え方になる映画だと思っていましたが、本作は真逆のスタートをしていて前作の妄想部分だと思っていたジョーカーによる5人の殺害事件の罪を問われるアーサーの法廷劇というカタチをとっている。
これはあの「ジョーカー」が社会現象にまでなってしまい、模倣犯やらハロウィンの仮装で凶行に走る人間が実際に生まれてしまったということに対して、改めて製作側から前作のジョークが通じなかった悪のカリスマ信奉者達を現実に叩き落として"ジョーカーなんていない"と言いきる作品になっていたと思う。(看守がやたらと「ジョーク言ってみろよ(前作のあれやってみろよ)」とアーサーに絡むのも、前作はジョークだったんだと再確認する描写である。
ジョークの通じない人達に向ける映画として本作はレディ・ガガとアーサーのピカレスクロマンのカタチを取った。悪のカリスマに恋する人達を代表するハーレイクインとのロマンスに、ジョーカーではなく自分自身を見て欲しいというアーサーの声は届かない。
アニメーションや画角の違いなど映像的にも様々な工夫を凝らしていて、さらに最後はあの階段にて幕を閉じる綺麗な構成になっていた。確かにこれといった見せ場もなく、面白い映画ではないのだが、ラストであの若者がジョークを言いジョーカーのように笑いながらアーサーを刺し殺したことで、ジョーカーというは誰にでも生まれてくる可能性がある人格であるかのような不気味なラストは一作目の清々しさとは真逆でこれはこれで良いと思った。
個人的にはガガ様のハーレイクインをもっとしっかり描いて欲しかったのと、少し成長したブルース・ウェインとの対決という前作よりコミック寄りな描写も観たかったと思う。
前作はアーサーのやったことに妄想の疑問符がついていてそこが良かった...
前作はアーサーのやったことに妄想の疑問符がついていてそこが良かったが、今作は犯罪したことになっている設定があんま好きじゃないが中々楽しかった
なんかジョーカーって前作も含めて最初から居なかったんじゃ?
リーも含めて皆、最初のアニメのように影しか見てない
アーサーをアーサーとしてみてくれる人がいなかった映画の中も外も
二人狂いって誰?
妄想してるのはアーサーとこの映画を見てる人。他は皆現実見てるリーも含めてジョーカーに熱狂してる人は基本社会に不満ある人だと思うし
見てる人は前作のジョーカーの影を引きずって妄想してる
PVにあったリーと背中合わせで踊るシーンも、あんな犯罪犯して勝訴すんのかな?って妄想してた自分に対するカウンターパンチのような気さえする(まあ普通にカットされただけだと思うが)
結末から共有する精神病ってジョーカーってことなの?
小物の末路って感じもするが妄想のおかげ?で好きな人にヤラれるっていう願望というか救いなのかこれ
山ってなんだろ?犯罪の山でも築くつもりだったのかな?
妄想と現実のシーンが分かりにくい
ミュージカルってとこと、そのシーンが多め(と感じた)で好みが別れると思う
これはミュージカル映画?
ジョーカーの続編ということで鑑賞!
5人を殺害し勾留中のアーサー・フレック
ある日、音楽療法のプログラムを受けていた彼は、そこで謎めいた女性リーと出会う
彼女との交流をきっかけに、アーサーの中で抑え込まれていた狂気が再び暴走を始める
というのがあらすじ!
最初はアニメーションから始まり観る映画を間違ったかなと思っちゃいました
そしてミュージカル映画かと思うくらい歌ってた笑
みんなアーサーではなくジョーカーしか見てなかったですね
ハーレイ・クイーンもそうでしたしだからあっさり切り捨てられた…
見てて悲しくなりましたね
あと妊娠したのはほんとってことでいいんですよね?
いろいろ嘘ばっかりだったし…
そして最後はまさか刺されるとは思わなかった!
看守全然来ないしグルかなと思っちゃってます笑
あれでほんとに死んじゃったんですよね?
アーサーが救われなさすぎてかわいそうでした…
あといろんな人の感想を読んでジョーカーは概念でジョーカーは止まらない
アーサーは概念を作り出しただけで今後は違う誰かジョーカーになる…
なるほどなと思いました🤔
これから話は広がりそうだけど続編があるのかは気になるところ
だけどなさそう…笑
面白い映画をありがとうございました😊
ホアキンはすごい
見る前はジュークボックス型のミュージカルにする意味が前作から距離感がありすぎる気がしていたのだけれど、見てみると納得度がとても高い。
どんなシーンでもミュージカル化する事でエンタメになる。高揚感でありえない主張や悪がより正当化されて見えてくる演出にしびれます。
そして知っている歌なのにこの映画で歌われる事で意味合いが違って聞こえる事に意味がある。ジュークボックス型でないと出来ない心理効果でオリジナル曲にしない意味も強く感じました。時計仕掛けのオレンジで雨に唄えばを歌っているのを全編でやってる感じ。
ポジティブな肯定感が悪の背中をぐいぐい押してくる。
あのジョーカー化した時の魅力とカリスマ性のオンオフが素晴らしかった。やはりエモく良く見える事は恐い。
裁判所が壊れて法が機能しない街ゴッサムがジョーカーと共に完成したか!と興奮したのでやりたい様にやってイチャイチャしてハッピーに行きてたまにバットマン殴られる日々こそ幸せなハッピーエンドをおくってほしい気持ちはありつつ、アーサーが周囲の期待に応えずにアーサーとしてある事を選択したのは救いがないと同時に一番救いのある終わり方のような気もしました。ジョーカーを選択してアーサーを捨て切る事は内面的にも世間的にもアーサーの存在が無くなる事で、影響が大きくなりすぎたジョーカーになる選択はオーディエンスの期待に応え続ける事でもありもはや自分がないのではとも思えて、そうなるとアーサーというつまらない自分を残すことも世の中への反抗だよなとか思ったり。どちらに落ちても救いがないなぁ
最初のアニメで示唆していたけど、アーサーとジョーカーの二面性が別人格かただのプッツンした状態なのかは最後まで判別がつかなかった。台に立つ人は常に光の中の自分は造りもので普通の人間である自分は表に見せない存在なのだし気持ちなんてのは状況で変わるものだし。
しっかし歌がうまかった。レディガガの我欲の凄キャラもハマってた。タバコのシーンがカッコいい映画も久しぶりでそれも良かった。ホアキンのつくる存在感ほんと素晴らしい。
コメディアンよりシンガーを目指してたらアーサーの未来ももうちょっと違ったのかも。
ペルソナに呑まれるな
前作のラスト→自分のしたことを嬉々として話すアーサー・フレック。そこはアーカム州立病院の一室だった…。この描き方によって、「ジョーカーは存在するのか?そして人を殺したのか?アーサーの妄想ではないのか?」と観客に考えさせる余地を残していたのでいい余韻になっていました。
が、しかし、本作では「アーサー(ジョーカー)が人を殺した」ことを前提とし、それが裁判に発展するのでなんだかなぁ…となったのが観始めてからの正直な感想です。
よかった点:ホアキン・フェニックスの演技。アーサーとジョーカーの演じ分けがすぐに分かるほど、磨きがかかってました!特に法廷でかつての仲間のゲイリーに畳みかける時は必見。
悪かった点:ミュージカル仕立ての場面が多すぎる。アーサーの妄想の表現なのはわかりますけど、著しくテンポが落ちてました。レディー・ガガは上手です(あたりまえ)。
"衝撃のラスト"と喧伝されてましたが、確かに。アーサーが殺されるとは…。今度はアーサーを殺した囚人が「ジョーカー」を名乗るのか?ジョーカーの存在だけが一人歩きして続いていくのか?
最後にアーサーに面会に来たのは誰なのか?リーは絶縁されたので考えにくいし…まさかブルース・ウェイン?
…ラストはなんだかんだで余韻がありましたね笑
みんなジョーカーになろうよ
前評判が最悪だった本作
自分の目で確かめるべく鑑賞したが、いやはやこれはどうなんだと…
前作と比べてスケールは小さく、ミュージカルシーンばっかりでこれはないわーと映画館をあとに
だが、シネマトゥデイのネタバレレビューを読んで、評価が変わった
そもそも前作と本作はジョーカーのオリジンを描く物語である
サイコパスなジョーカーが暴れ回る映画なら既にダークナイトがある、あれは超えられない
ならば、とことんジョーカーのオリジンに向き合おうとしたのが本作なのだろう
敢えて暗く陰湿な監獄だけの舞台と時折挟むミュージカルによって、アーサー個人に強烈に焦点を当て、ジョーカーの思想や振る舞いに共感する人間たち、最後にアーサーを殺し、次なるジョーカーとなり得る人物を描写する
冒頭のアニメーションで語られるジョーカーの影が暴走するのは比喩表現で、アーサーの死が真のジョーカーの始まりを示しているとも言えるのではないだろうか
哀れな1人の男がジョーカーを生み出したのである
王道を外したトッド・フィリップス監督の度胸に拍手を送りたい(但し、ハングオーバー2、お前は駄目だ)
ただ、ストーリーは単調で面白いとは言い難い
不評のレビューが吹き荒れるのも納得な傑作まで紙一重の作品
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