ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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どこにも行けない人々
人におすすめはしないけど、個人的にはすごく良かった。
カットがどれもオシャレで絵になる。高級感も抜群。
ミュージカルシーンがやけに多いなと思っていたら、後半のアーサーのセリフできちんと回収してくれるところも良かったです。
本当の姿では誰にも愛してもらえなかったアーサーが、
頑張ってジョーカーになり切ろうとするところはとても痛々しく、
唯一アーサーとしてみてくれていたゲイリーに諭されるシーンは本当に切なかったです。
ラストはしみじみと、アーサーのようなどこにも行けない人々を生み出してはいけないと教訓のように響く作品でした。
あとはエンドロールのガガの歌がめちゃくちゃ良かった。
ラストシーンとエンドロールで感情がぐちゃぐちゃになり、多分これは言葉にできないけれどすごく感動しているんだなぁと思った。
1人の人間としてのジョーカーを描いた作品
前作からのギャップがあるので賛否が別れると思いますが内容は決して見ていて退屈する映画ではないと思います。
ミュージカル表現の好き嫌いもあると思いますがシナリオ自体は話題作の続編という事もあり気合いの入った展開だと思います。
悪のカリスマ性に溢れたクールな悪役ジョーカーを期待して見に行くと期待を裏切られた!と思うかもしれません。
というのも今作のジョーカーの話が前作以上にあまりにも救いが無さすぎる所にあるのかな、と思います
前作は苦しいながらもジョーカーとして開花した事で悪役という存在ですが民衆から支持を得た。
ある意味ジョーカーとして活躍する事で救われた所があるんですが、今作はジョーカーとしてではなく1人の人間として、アーサーとしての主人公が物語を展開していきます。
弱くて不器用で本当にささやかな幸せを願っていただけのアーサーとしての話です。
映画を見に来られる方はド派手な立ち回りをするクールなヒールのジョーカーを期待してる方も多いと思います。
劇中でもそれは同じで1人の人間として、アーサーとしてのジョーカーを見てくれている人物が誰も居ないんですよね。
終始辛い展開が続き、弱々しいジョーカーと救いのない物語展開が今作の賛否の別れる要因になっているのではないかな、と思います。
映画としては皆が求めていた内容とは異なるかもしれませんが続きの展開が気になる面白い映画だったと思います。
せめて何か救いがあればもっと称賛を受ける作品になっていたのではないかな、と思えてなりません。
悪がハッピーエンドを迎える展開というのは許されないものなのかもしれませんが徹底して救いの梯子を外してしまうとこんな悲しい映画が生まれてしまうのか、と感じた作品でした。
ジョーカーという大役を与えられてしまったアーサーが本当に気の毒でなりませんでした。
新しいミュージカルの使い方
そこまで音楽に固執しなくてもなぁ
今年一番期待していただけになんか残念やなぁ。
そこまで音楽に固執しなくてもクライマックスでダンスだけでもよかったのではないかなぁ。
結局そのモヤモヤが残ったままだったので、リーには見限られ、刺殺されてしまうというショッキングなラストになるのに感情に入ってこず、すーっと流れてしまったのが非常に残念。
ミュージカル
タイトルなし(ネタバレ)
街を混乱・狂乱に導いた「ジョーカー」事件から2年。
アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は州立精神病棟に収監されていた。
弁護士のマリアンヌ・スチュワート(キャサリン・キーナー)は、精神疾患による責任能力不在で抗弁しようとしていた。
しかし、アーサー自身は精神疾患を認めない。
そんな折、ハーリー・クインゼル(レディー・ガガ)と名乗る女性が現れ、「わたしは自宅に火をつけ、母にここに入れられた。あなたに会いたかった・・・」とアーサーに告げる・・・
というところからはじまる物語。
前作を受けて、コミックスのファンならば、ジョーカーの恋人ハーレー・クインが現れ、ふたりして街を再び混乱・狂乱に導く物語を期待するだろう。
が、監督のトッド・フィリップスは、そういう期待されるであろう「ありきたりな」続編をあっさりと棄てる。
(脚本はスコット・シルヴァーと共同)
冒頭の「Me and My Shadow」というルーニー・チューンズ風アニメで、独り歩きした影によって本体がひどい目に遭うという内容がその後の物語を語っている。
これは、ジョーカーでなく「アーサーの物語」。
サブタイトルの「フォリ・ア・ドゥ」とは、一方の錯乱した精神が他の一方へ感応する精神疾患に用語で、「ふたり」が誰と誰を指しているかは観る側に委ねられているのだろう。
「ふたり」は、アーサーとハーリーのように見えるが、感応し合うのはアーサーの妄想の世界だけ。
ジョーカーとハーレー・クインのふたりとして。
現実世界でも感応し合っているようにみえるのはミスリード。
ジョーカーの幻影が存在しないことに失望するハーリーは、あっさりアーサーを棄ててしまう。
前作に熱狂した観客が、「現実では認められず、虚構の中でしか自己及び周囲肯定出来ない男の物語」である本作にそっぽを向くように。
それにしても耳に残るのは「ザッツ・エンターテインメント」の曲。
この映画も「エンターテインメント」だと、トッド・フィリップスとスコット・シルヴァーのコンビは言っている。
個人的は、大いに気に入った映画なのだけれど、不満もある。
法廷シーンでのクライマックス。
その意表を突く演出。
(個人的は『ナッシュビル』や『マグノリア』を思い出した)
そして、その後。
観ながら予想したのは次のとおり。
ひとつはアーサーとハーリーが再会し、ジョーカー&ハーレー・クインとなる結末。
前作に熱狂した観客が期待した活躍を予感させるもの。
もうひとつは、冒頭のアニメ同様、アーサーが民衆に殴り殺しにされる結末。
民衆がジョーカーの扮装をしている。
前作に熱狂し、本作に失望した観客におもねる形だ。
そして、本作の結末・・・
前作に熱狂した観客に少しも寄り添わない・・・
どちらかというと常識的な結末・・・
あ、感応し合ったのは、このふたりだったのか!
哀しい
哀しかった。そういう終わり方をするのか、それはないだろう、という気もした。ジョーカーはジョーカーでいてほしかった。でないと辛すぎる。
レディーガガとのシーン、とくに歌はとても美しいところがたくさんあった。「山をつくる」って何だったのだろう。美しかっただけに、すべてが幻想だったのかもしれないと思うとまた辛い。
彼女のこと以外は刑務所+法廷で、刑務所は例によってむごいだけなので、見終わってぐったり落ち込む。前作『ジョーカー』は、何というかダークヒーローの「悪の華」の魅力があったが、今回はとことん悲しいし暗い。「ダークヒーローを格好良いと思わせちゃいけない」という配慮でそうしたのか?と勘繰りたくなるほどに。
アーサー美しい
ネタバレみてから鑑賞
またミュージカル、ガガ、鬱好きとしては楽しめた
序盤から重いBGMとともに、わくわくしつつもあぁ始まってしまった…とアーサーの鬱々とした世界に取り込まれる
今回加わったミュージカル要素について
アーサーが最初に歌い出すところはディズニーばりに突然ではないが自然にすっと受け入れられた
というかホアキン歌うまい
ただ歌ってからは突然バリバリに歌いまくる、前回の妄想部分が歌うシーンでとてもわかりやすくなっている
だが、ガガが歌うシーンはこれが現実なのか妄想なのか分からなかった
最後にアーサーがもう歌うのやめてくれといっていたのでやっぱり現実だったのだろうか
ミュージカル要素は賛否両論みたいだが、1は心の休みどころがないほどの絶望的な激重展開ばかりで鬱好きでも相当キツかったが今回はミュージカル部分があって妄想でも気持ちを明るくさせてくれて自分はあってよかったと思う。
アーサーが裁判にかけられるシーンははホアキンのジョーカー、アーサーの演じ分けがとても素晴らしいので見所である。
アーサーは別人格ではなく自分の意思で殺人をしたと認めた。彼は正直に答えたのにジョーカーを崇拝してた連中はそれに冷めてしまう。アーサーは自分を認めてもらいたかったんだろうなぁ
印象に残ったシーンは序盤のアーサーが暗闇の中煙草を吸って牢屋のドアが閉められるのとガガと社交ダンス?のシーンが最高にかっこよかった
アーサーの謎の優雅な舞もまた見れる
配信か映画館かでまたみたい
イオンシネマ3 プレミアム前13G
うれし楽しミュージカル!
とても面白かった。前作の「ジョーカー」がマーティン・スコセッシの「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」を足して二で割ったような作品で、ヴェネチア映画祭金獅子賞を獲るほど高評価なのにはビックリした。本作はミュージカルで、往年の名作へのオマージュが嬉しい。初っぱなのアニメパートからミュージカルの傑作「サマー・ストック」でジュディー・ガーランドが歌って踊る「ゲット・ハッピー」が流れ、壁にはこれまた傑作「バンドワゴン」のポスターが垣間見れた。実写パートになっても「ゲット・ハッピー」が歌われ、囚人たちが鑑賞する映画は「バンドワゴン」で、火災になるシーンでは「ザッツ・エンターテイメント」のダンスシーン。アーサーが出所するシーンはフランスの傑作ミュージカル「ロシュフォールの恋人たち」のカラフルな傘の俯瞰シーンをオマージュしているのだろう。最後にアーサーが偶像化に歯止めが掛からず裏切られたと失望する信者に刺されるシーンは、ケン・ラッセルが映画化したTHE WHOのロックオペラ「Tommy/トミー」を彷彿とさせる。いずれもミュージカル映画への愛の賜物だろう。レディー・ガガのキャスティングの意味が理解出来た。続編で1作目のタッチを期待するファンのお思いをスルリとかわす大胆さは、本作の内容とリンクした確信的な監督の狙いなのだろう。お見事です。
ダークナイトみましょう!
前評価を聞いた上、尚且つ前作のファンであり、続編に対してあまりいい印象を持ってない私でしたが、この作品を太宰治の「人間失格」のような堕落モノだと思ってみると結構おもしろかったです。ただ、主人公は人を6人殺してる点がどうしても気になり、見る人によっては感情移入が難しくだいぶ好みが別れると思います。また主演俳優の精神異常の演技が生々しく、言動を含め、見てて苦しい場面が多々ありました。その上「僕の気持ちをわかってくれよ!」と言わんばかりにミュージカルをしてくるのでうまく雰囲気が掴みづらい方もいるかもしれません。
前言撤回します。この作品クソつまんないです。全てが不快です。例えると胡椒が効いてない腐ったハンバーグを口いっぱいに放り込んだような気持ちです。ただでさえ賛否両論だった「弱い人間性を持ったジョーカー」と言う要素をあろうことかワーナーは猛プッシュしてしまい、誰も感情移入できないこんな駄作を作り上げてしまいました。私はただただ前作で描ききれなかったジョー力一の華麗なる大犯行をハーレと一緒にやってくれるかと思いましたが、ジョーカーがやったことといえば自分をバカにした奴(バカにしてなくても気に食わなかったら◯す)を妄想の中でぶっ◯したり、銃を模した手で他の囚人や監守を打つフリして気を晴らしたりとかでした。厨二病の中学生かよ!それでも有名なアメコミ悪役がすることなのかよ!クソが!
結局みんなジョーカーと言う現象が好きなだけでアーサーのことは誰も興味ないんだっていうことがこの映画も伝えたかったことみたいだったけど、それもう前作の時点で十分描けていることだからくどくてしんどかったよ!この映画のメインテーマにするほどじゃねーよ!てか、前作オマージュ多すぎだろ!新鮮味薄くなっちゃうじゃないか!新しいジョーカーが見たかったのになんで前使ったセットばかり登場させるんだ!てか、前作は楽しかったのにこの作品のアーサーのジョーカー見てて全然楽しくないよ!何で作ったんだよこの作品!お金儲けのためだけにゴミみたいに扱ったファンを欺くとどうなるか。今から教えてやる。報いを受けろこのクソ野郎。
レビュー見てから観て良かった
色々なレビューや考察を見てから映画を観に行きました。
私は楽しめました。
元々ミュージカルが大の苦手です。急に歌い出したり踊り出したりする主人公の感情に全く着いていけず自分だけ置いてけぼりくらった感じになるからなのですが、この映画は大丈夫でした。
逆に、ミュージカルにする事で登場人物のイカれ具合が絶妙に助長されて素晴らしい相乗効果になっていたとも思えました。
面白くない、と思う意見が分からないほど「アーサー」の全てを感じた映画でした。
考察を色々見てから観た為、少しでも「ジョーカー」を観たいという目線で観ていたら面白くないと感じたかもしれません。
悲しいシーンでは笑ってしまうところは前回観たアーサーそのままでとても切なかったです。
そして素直な感想なのですが、リーは好きなように精神科に入ったり出たりができ、さらには精神科の学位を持っているとの事でしたが、メイクも異常だし考え方もやばいし放火もするしで、リーも充分精神異常者。なので急に歌い出したり踊り出したりするのもアーサー同様全然違和感無く観ることが出来ました。
世間と自分の理想のずれ
続編のむずかしさかな
前作では、アカデミー賞作品賞取るのではないかと自分も思っていたくらいの内容だし、ホワキン・フェニックスの怪演ぶりがとにかく心に焼き付く作品でした。
今回は、ジョーカーが逮捕されて裁判を受けるという、比較的展開が少ないために期待外れになってしまった。
相変わらず、フェニックスの異常に痩せた姿などは気合い十分であることをうかがえるが、期待したほどの内容では無かったと観客は思ったんだろうことは想像がつく。
ダークナイトの時のように、脱獄して更なる悪事を働くような脚本を観客は望んでいたのかもしれない。
私自身は、可もなく不可もなくってことで3をつけました。
可哀そうなアーサー
低評価が多い理由もよくわかるが、個人的には好きだった。
前作は当然良作だったが、少し重く観ていて疲れる内容である。
しかし、今作はミュージカルパートが多くその分話が進まないので、内容的には薄いため観ていて疲れることはない。
「ジョーカー」という偶像で見られる精神疾患者が、自己とその偶像の乖離で苦しむ話だと理解した。
ハーレーにはアーサーという自己は全く愛されず、ジョーカーという偶像しか愛されない。
前作に引き続き可哀そうなアーサー。
裁判でアーサーはジョーカーの姿になるが、まったく持って空回り。共感羞恥のように観ていられない。
悪のカリスマであるはずのジョーカー像が崩れ去る瞬間である。
「DCコミックスのジョーカー」を観に行った人は後悔するだろうが、「トッド・フィリップスのジョーカー」を観に行った人なら、別にそんな悪い映画ではないだろうと思う。
とりあえず、ハーレーはエーリッヒ・フロムの「愛するということ」でも読めば良いと思った。
実際の殺人件数は果たして6人...なのか?
前作の補習かつ心酔者への説教という点に関しては、まさに旧エヴァ劇場版を思い出しましたね😅
ただ、どちらもそこに託けて前作への補完を仕込んでいるため、謎が解明してスッキリした快感✨はありました。
↓ネタバレ
【今作で判明したのは、前作から通じて、ほぼ全編アーサーの妄想だということです】
最期に口から流れた血は、明らかに冒頭の髭剃りミスによる乾きかけの血でした。
髭剃り後におばさん弁護士👩が唾を付けて拭き取ってくれましたが、そんなことをするはずもなく、これはアーサーの理想の甘ママ像を妄想している証です。
冒頭でTV📺に映っていた「ペペルピュー」が、最期直前のTV📺にも映っていました。
生中継中裁判所爆破💣→逃亡🏃という大騒動がありながら、最期直前では冒頭と同様に、囚人達がアーサーに無関心です。
つまり、冒頭の髭剃りと最期だけが現実で繋がっていて、後は全て妄想ということでしょう。
これで、前作で謎だった妄想⇔現実の境界は、母親殺し以外は全編妄想だったんだと、個人的に合点が行きました。
アーサーは大量殺人🔫を犯しておらず、世間でジョーカー騒動🤡も起きていなければ、そこから派生する色恋沙汰💘も裁判🔨も、全てが妄想です。
ミュージカル🎵シーンをベタな妄想ぽく見せているのは、その他を現実だと錯覚させるフェイクなのでしょう。
裁判では母親殺し以外を裁かれていましたが、これは逆に、現実では母親殺しのみの裁判が行われていると考えられます。
最後に母親殺しを暴露し、ジョーカーではないと吐露したのは、現実の裁判で母親殺しの責任能力を認めた反映なのでしょう。
げに哀しきは、あの真に迫る😢ゲイリーの証言も、実はアーサーの「本当の自分を見てくれているのは彼だけだ」と思い込みに過ぎないということです。
ところで、原作でハーレイクインはハービー・デント検事補=トゥーフェイスの娘を身籠ります。
爆破💣シーンでもきちっと、検事補の顔半分が焼け爛れていました。
今回リーが身籠ったのも、ジョーカーに会うためにデントを抱き込んだ結果の妊娠でしょう(という妄想でしょう)。
つまり、自分を見ていないと分かりつつも、ジョーカー🤡の仮面をして美女👩に筆おろししてもらったものの、そいつはライバルの子を孕んでいたという...まさにNTR妄想で捗っていたわけです(笑)
結局、アーサーを刺した🔪ヒース・レジャー似のニヤケ顔は2代目ということではなく、彼こそがオリジン🤡ジョーカーであり、アーサーはその快楽殺人の最初の被害者だったというオチになります。
前作でもわざわざブルース🦇とアーサー🤡の世代差を描いていましたから、端から「このジョーカー🤡は全て妄想であり、真のジョーカー🤡オリジンではない」という壮大なジョークだったということでしょうね...
ジョーカーはいない
尻すぼみ感が…
ジョーカーことアーサーが精神病院に隔離されたその後の物語。舞台が主に病院(監獄だと思った)と法廷なので、画面は地味で暗め。ミュージカル形式を取り入れたのは、そもそも娯楽映画としてのエンタメ性を高める狙いもあるのだろう。
使用される楽曲はほとんどがスタンダード調で、前作のようなロックテイストがなかったのは、個人的に残念。
ホアキン・フェニックスは、この前の「ボー」では小太りの中年おやじになりきっていたのに、今作ではまたしても肩甲骨を尖らせて、本当に体のことが心配になるくらい。レディ・ガガは、素顔だとあまりオーラを感じない。
展開としては、弁護士を解任してジョーカーの扮装で悪態をつくあたりから一気に振り切れるのかと期待したが、最終弁論で自分はジョーカーではないと吐露したり、リーとの別れ方もずいぶんあっさりしていて、尻すぼみ感がぬぐえなかったのが正直なところ。
ラスト、アーサーを刺した男、もしくは(本当かどうかわからないが)リーが身ごもった子供が、次のジョーカーになるというのもありかな。
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